Armed angel #19 二期(第十七話と十八話のあいま、ブレイク・ピラー後の空白の四ヶ月のどこか) ニルティエ+刹那+リジェネ
ライル、アレルヤ、フェルト、ソーマ、アニューなども。
全七回。その1。
ロックオン・ストラトス!
初めて教官殿にそう名を呼ばれた。
それはライルをその名にふさわしいと認めたというのではなくむしろ、その名にふさわしくあれ、という励ましの意味合いだったのだろうと思う。その声に後押しされて、ライルはメメントモリを落とす最後の一撃を、一度きりのその銃爪を引くことができた。
結果ミッションを成し遂げたことで、爾来ティエリアはライルをロックオンと呼ぶようになった。
—————それが、これほどの重みを持つものだとは。
なにが変わったというわけではない。ただライル自身がそう呼ばれるたび、云いようのないプレッシャーを感じてしまうだけだ。
兄の優秀さをだれより知っているのはライル自身であったし、ティエリアの兄ニールに寄せるおもいの深さを垣間見るたびに、おのれがその名を継ぐことの、その名をティエリアが呼ぶことの、重さを思い知らされる。
教官殿にコードネームで呼ばせたい、いつかロックオン・ストラトスと呼ばせてみせると考えていたくせに、いざそうなってみると、わかってはいたが兄の名はたとえようもなく重かった。
その兄の存在をリアルに知らない中途加入の、年齢的にも釣り合いそうな、おまけに美人のクルーに気を惹かれたのは、自明の理だったかもしれない。
ブレイク・ピラーののち、プトレマイオス2はアロウズを避けながら地上を転々としている。火器管制と航行システムは依然調整中で海中に潜ることもできず、実際には幾度か敵に補足され、そのたび交戦を避けてひたすら逃げる。明け暮れ整備と訓練に費やされる日々だ。
昼休憩の艦内の食堂では、ピンクの髪のフェルト・グレイスがティエリアと食事をとっていた。
「ティエリアは…ライルのことロックオンって呼ぶようになったんだね」
「いまケルディムのマイスターはあのおとこだからな」
「無理してない? …つらくない?」
心配そうな、どこか複雑な感情をのせた声音でフェルトはティエリアに食後の紅茶を勧める。礼を云ってそれを受け取るティエリアは、小首を傾げた。
「そういった感情は覚えない。…まだ慣れないので妙な感覚は残っているが、ライル・ディランディが真にソレスタルビーイングにとっての〝ロックオン・ストラトス〟になる日までには、こちらも馴染むだろう」
淡々としたティエリアの応えに、フェルトは溜息を漏らした。
「わたしは…だめだな。きっとこのさきもライルをロックオンとは呼べない。…最初はかさねて見ちゃってたけど、彼は…ニールじゃないから」
「フェルトがいやなら無理に呼ぶことはない。ロックオン…ニールと、ライルはちがう。あたりまえのことだ」
フェルトを見るティエリアの眼差しはやわらかい。
「そういえば…、ティエリアはロックオンとライルを最初からかさねたりしなかった」
「ぼくには、ふたりは別人に見えた。それだけだ」
「見た目は瓜二つなのに。…やっぱ、かなわないなぁ。わたし」
フェルトはそう笑んで、腰掛けたまま背伸びをする。
「ロックオンがティエリアをたいせつにしてたのって…ティエリアのそういうところだね、きっと。まっすぐ、ロックオンのほんとうを見てた」
「…そんなことはない。ぼくは…彼になにも返せなかった。あたえてもらうばかりで」
紅茶のカップを両手でくるむようにして口をつけながらつぶやく姿は、妙に稚く見えた。
「そういうのは関係ないんだと思う。ロックオンはティエリアにそうすることがうれしかったんだろうし、それはロックオンが心の底で求めていただいじななにかをティエリアが持ってたってことじゃないかな」
「そうだろうか…。そんなふうに考えたことはなかった」
やや途方にくれたような、戸惑いをティエリアはみせた。
「だって、ちっちゃなころのミレイナにはティエリアは天使だったんだよ」
「ああ、それはまえにも聞いたが」
きれいな深紅の双眸が、苦笑する。
「いまのティエリアを見てると、なんだかわかる気がする。きっとロックオンにはまえからそれが見えてたんだね」
おなじように紅茶に口をつけながら、フェルトは視線を落とした。
「…だからかな、ときどき不安になるんだ」
対面の白磁のおもてがやや驚きの色を浮かべる。
「フェルト。…ぼくのなにが、きみを不安にさせている?」
ティエリアはやわらかく問うてきた。
「んー」
フェルトは少しこまったように考え込んだ。
「つまり、そういうところ、かな。うまく云えないけど」
「それでは、わからない」
「だから、え…と、ライルのことでもそうだけど。いまのティエリアって、トレミーのみんなを受け容れて、一歩離れたところから見ているようなところがあるから」
「ぼくが…」
困惑を深めたように柳眉を寄せ、ティエリアはなぜだか寂しげに笑んだ。
「そんなつもりはないのだが…、…そうか。そんなふうに見えるのか。不安にさせたのならすまない」
フェルトは周章てて手を振った。
「あ。あんまり気にしないで。深い意味はないから。ただなんとなく、ね」
「どうかしたんですか、ライル」
食堂の入口手前でなんとなくそのやりとりを眺めてしまっていたライルに、遅れてやってきたアニューが声を掛けた。
「ん? …ああ、いや。待ってたんだ。いっしょに食わないか」
にっこり頷いたアニューとともに食堂へ入る。なかではちょうど席を立ったティエリアとフェルトが、入れ替わるようにレーションのトレイを片づけていた。
「よう、きょうも代わり映えのないメニューかい。教官殿」
「つぎの補給まではやむを得ないだろうな」
いつもの無表情でティエリアは返す。後ろに続いていたフェルトが思い出したように声を上げた。
「あ、そういえば。食料調達に買いものに降りるって、たしか…」
「ああ。今回はぼくと刹那が担当だ」
フェルトにかるく頷くと、ティエリアはライルのほうを向きなおる。
「出立は四十八時間後になる。ロックオン、きみもなにか欲しいものがあれば書きだして提出を。アニュー・リターナー、要りようなものがあるなら遠慮なく云って欲しい」
「はい。ありがとうございます」
手に取ったトレイをさりげなくアニューに渡したライルは、さきに席へ行くよう促して、ティエリアに耳打ちをする。
「教官殿。そのまえにケルディムのシミュレーションのことで調整を頼みたいんだが」
ティエリアは一瞬訝しげに眉を顰めてから頷いた。
「了解した。では昼食をすませたら連絡を」
「ひさしぶりだな、あんたとこうしてるのも」
コンテナを兼ねた艦内の整備ドックで、ライルはパイロットスーツに着替えてケルディムのコクピットハッチの横に立った。
「シミュレーションで新装備の訓練とは殊勝な心がけだな」
いまは地上だからコンテナ内に空気も重力もある。であれば通常は戦闘配備でもないのに着替える必要はないので、ティエリアは制服のままコクピットに乗り込んでコンソールパネルのキーを叩く。定位置に鎮座するハロの赤い目が明滅して、ティエリアの組み直しているプログラムを追っている。ライルが一方的に感じているプレッシャーのことなど、ティエリアは知らない。
「なあ、買いものって、なにを頼んでもいいのかい」
その気分を紛らすために、たいして実のないことを口にした。
「買い出しは少人数で行うし運搬の都合もあるから、主に食料と日用品だが。スペースにかぎりのある艦内で場所を取らず、航行上危険物と認められるものでなければ、たいてい許可される」
「てことは、事前にリストチェックされんのか」
ティエリアは手はやすめないまま、視線だけを向けてきた。
「なにか公にしにくいものでも欲しいのか? ものによっては買い出し担当の裁量のうちで買ってこられないこともない」
「…そりゃありがてぇ。けど、教官殿には頼みにくい、かな」
ライルは小鼻の脇を掻いて苦笑いを浮かべる。
「ぼくに云いにくければ、刹那に頼むといい」
ティエリアはそれにはさして関心を払わず、またコンソールパネルに向きなおる。データスティックを差し込んでいったん読み込み、ハロになにやら確認をとって、また変更を加えている。
その華奢な肩のうごきに妙な艶を感じてライルは目を逸らした。先般の女装がまだあとを引いているのか、やはり兄のことがあるせいか。比べられるのはごめんだったからさすがにもう手を出そうとは思わないものの、プレッシャーを感じるくらいにはライルはこの存在に重きを置いているわけで、無視できるはずもない。
「教官殿は…兄さんと、その、どうしてたんだ?」
「どう、とは」
「宇宙にいるときにさ。…恋人なんだから、することしてたわけだろう」
ティエリアの手が止まった。厳しい目で睨めてくる。
「おっと、誤解しないでくれ。揶揄ってるんじゃない。真面目に訊いてる」
「ではもっと、質問の要旨を明確に」
「明確に…て。…まぁ、ぶっちゃけ、無重力でちゃんとできるのかって話なんだが。いざってときのための参考に」
ティエリアは一瞬目をまるくして、あろうことか笑い出した。意外にも。
「な、なんだよ」
「妙なところで兄弟だな、と思っただけだ。その点なら心配は無用だ。いまのプトレマイオスでは各部屋ごとに個別の重力設定が任意で可能になっている」
「…あ、そうなのか」
ティエリアはまだくすくすと笑みを零しながら、またキーパネルを叩く。
「あんたがそんなふうに笑うなんて…、な。…兄さんとそういうことがあったわけかい」
「以前のプトレマイオスはベースが多目的輸送艦だったからか、そこまで乗員の生活環境整備が為されていなかった。このプトレマイオス2は武装も大気圏離脱能力も備えた万能艦だ。システム設計には若干だがぼくも携わっている。そのあたりにぬかりはない」
「兄さん…苦労したんだな」
直截な応えはなくとも察せられる。思わずニールに同情してしまうライルである。
「その問いから察するに…、きみが云いにくい買いものの件だが、メディカルルームのストレージにあるはずだ。備品扱いで標準装備されている。出入記録さえきちんと付ければ無記名で利用できる」
「…なるほど。備品なのか」
納得したようなライルに、ティエリアはこともなげに云った。
「長期航行の艦船に措いて性処理の問題は避けて通れないが、プトレマイオスはクルーが少ない。地上休暇の際に発散するのでなければ、あいては特定にしてだいじにすることだ」
「…おいおい」
まいったな、というようにライルはあたまを掻いた。
ティエリアは色ごとには疎い印象があるが、こういうところは合理性が働くせいか、捌けている。恋愛という情緒面ではなく性本能として捉えているせいかもしれない。
確認音が鳴ってデータスティックを引き抜くと、ティエリアはコクピット脇に手を掛け、くるりとかるい体捌きでコクピットを出た。
「ティエリア」
捜していたのか、それを待っていたのか、刹那がドックの通用口から声を掛けてきた。ケルディムとセラヴィー、ダブルオーとアリオスが、それぞれおなじコンテナに格納されているため、刹那がこちらに来ることはめったにない。
気づいたティエリアが、なにごとかと問うように刹那のもとへと向かう。
続 2012.01.13.
PR
ロックオン・ストラトス!
初めて教官殿にそう名を呼ばれた。
それはライルをその名にふさわしいと認めたというのではなくむしろ、その名にふさわしくあれ、という励ましの意味合いだったのだろうと思う。その声に後押しされて、ライルはメメントモリを落とす最後の一撃を、一度きりのその銃爪を引くことができた。
結果ミッションを成し遂げたことで、爾来ティエリアはライルをロックオンと呼ぶようになった。
—————それが、これほどの重みを持つものだとは。
なにが変わったというわけではない。ただライル自身がそう呼ばれるたび、云いようのないプレッシャーを感じてしまうだけだ。
兄の優秀さをだれより知っているのはライル自身であったし、ティエリアの兄ニールに寄せるおもいの深さを垣間見るたびに、おのれがその名を継ぐことの、その名をティエリアが呼ぶことの、重さを思い知らされる。
教官殿にコードネームで呼ばせたい、いつかロックオン・ストラトスと呼ばせてみせると考えていたくせに、いざそうなってみると、わかってはいたが兄の名はたとえようもなく重かった。
その兄の存在をリアルに知らない中途加入の、年齢的にも釣り合いそうな、おまけに美人のクルーに気を惹かれたのは、自明の理だったかもしれない。
ブレイク・ピラーののち、プトレマイオス2はアロウズを避けながら地上を転々としている。火器管制と航行システムは依然調整中で海中に潜ることもできず、実際には幾度か敵に補足され、そのたび交戦を避けてひたすら逃げる。明け暮れ整備と訓練に費やされる日々だ。
昼休憩の艦内の食堂では、ピンクの髪のフェルト・グレイスがティエリアと食事をとっていた。
「ティエリアは…ライルのことロックオンって呼ぶようになったんだね」
「いまケルディムのマイスターはあのおとこだからな」
「無理してない? …つらくない?」
心配そうな、どこか複雑な感情をのせた声音でフェルトはティエリアに食後の紅茶を勧める。礼を云ってそれを受け取るティエリアは、小首を傾げた。
「そういった感情は覚えない。…まだ慣れないので妙な感覚は残っているが、ライル・ディランディが真にソレスタルビーイングにとっての〝ロックオン・ストラトス〟になる日までには、こちらも馴染むだろう」
淡々としたティエリアの応えに、フェルトは溜息を漏らした。
「わたしは…だめだな。きっとこのさきもライルをロックオンとは呼べない。…最初はかさねて見ちゃってたけど、彼は…ニールじゃないから」
「フェルトがいやなら無理に呼ぶことはない。ロックオン…ニールと、ライルはちがう。あたりまえのことだ」
フェルトを見るティエリアの眼差しはやわらかい。
「そういえば…、ティエリアはロックオンとライルを最初からかさねたりしなかった」
「ぼくには、ふたりは別人に見えた。それだけだ」
「見た目は瓜二つなのに。…やっぱ、かなわないなぁ。わたし」
フェルトはそう笑んで、腰掛けたまま背伸びをする。
「ロックオンがティエリアをたいせつにしてたのって…ティエリアのそういうところだね、きっと。まっすぐ、ロックオンのほんとうを見てた」
「…そんなことはない。ぼくは…彼になにも返せなかった。あたえてもらうばかりで」
紅茶のカップを両手でくるむようにして口をつけながらつぶやく姿は、妙に稚く見えた。
「そういうのは関係ないんだと思う。ロックオンはティエリアにそうすることがうれしかったんだろうし、それはロックオンが心の底で求めていただいじななにかをティエリアが持ってたってことじゃないかな」
「そうだろうか…。そんなふうに考えたことはなかった」
やや途方にくれたような、戸惑いをティエリアはみせた。
「だって、ちっちゃなころのミレイナにはティエリアは天使だったんだよ」
「ああ、それはまえにも聞いたが」
きれいな深紅の双眸が、苦笑する。
「いまのティエリアを見てると、なんだかわかる気がする。きっとロックオンにはまえからそれが見えてたんだね」
おなじように紅茶に口をつけながら、フェルトは視線を落とした。
「…だからかな、ときどき不安になるんだ」
対面の白磁のおもてがやや驚きの色を浮かべる。
「フェルト。…ぼくのなにが、きみを不安にさせている?」
ティエリアはやわらかく問うてきた。
「んー」
フェルトは少しこまったように考え込んだ。
「つまり、そういうところ、かな。うまく云えないけど」
「それでは、わからない」
「だから、え…と、ライルのことでもそうだけど。いまのティエリアって、トレミーのみんなを受け容れて、一歩離れたところから見ているようなところがあるから」
「ぼくが…」
困惑を深めたように柳眉を寄せ、ティエリアはなぜだか寂しげに笑んだ。
「そんなつもりはないのだが…、…そうか。そんなふうに見えるのか。不安にさせたのならすまない」
フェルトは周章てて手を振った。
「あ。あんまり気にしないで。深い意味はないから。ただなんとなく、ね」
「どうかしたんですか、ライル」
食堂の入口手前でなんとなくそのやりとりを眺めてしまっていたライルに、遅れてやってきたアニューが声を掛けた。
「ん? …ああ、いや。待ってたんだ。いっしょに食わないか」
にっこり頷いたアニューとともに食堂へ入る。なかではちょうど席を立ったティエリアとフェルトが、入れ替わるようにレーションのトレイを片づけていた。
「よう、きょうも代わり映えのないメニューかい。教官殿」
「つぎの補給まではやむを得ないだろうな」
いつもの無表情でティエリアは返す。後ろに続いていたフェルトが思い出したように声を上げた。
「あ、そういえば。食料調達に買いものに降りるって、たしか…」
「ああ。今回はぼくと刹那が担当だ」
フェルトにかるく頷くと、ティエリアはライルのほうを向きなおる。
「出立は四十八時間後になる。ロックオン、きみもなにか欲しいものがあれば書きだして提出を。アニュー・リターナー、要りようなものがあるなら遠慮なく云って欲しい」
「はい。ありがとうございます」
手に取ったトレイをさりげなくアニューに渡したライルは、さきに席へ行くよう促して、ティエリアに耳打ちをする。
「教官殿。そのまえにケルディムのシミュレーションのことで調整を頼みたいんだが」
ティエリアは一瞬訝しげに眉を顰めてから頷いた。
「了解した。では昼食をすませたら連絡を」
「ひさしぶりだな、あんたとこうしてるのも」
コンテナを兼ねた艦内の整備ドックで、ライルはパイロットスーツに着替えてケルディムのコクピットハッチの横に立った。
「シミュレーションで新装備の訓練とは殊勝な心がけだな」
いまは地上だからコンテナ内に空気も重力もある。であれば通常は戦闘配備でもないのに着替える必要はないので、ティエリアは制服のままコクピットに乗り込んでコンソールパネルのキーを叩く。定位置に鎮座するハロの赤い目が明滅して、ティエリアの組み直しているプログラムを追っている。ライルが一方的に感じているプレッシャーのことなど、ティエリアは知らない。
「なあ、買いものって、なにを頼んでもいいのかい」
その気分を紛らすために、たいして実のないことを口にした。
「買い出しは少人数で行うし運搬の都合もあるから、主に食料と日用品だが。スペースにかぎりのある艦内で場所を取らず、航行上危険物と認められるものでなければ、たいてい許可される」
「てことは、事前にリストチェックされんのか」
ティエリアは手はやすめないまま、視線だけを向けてきた。
「なにか公にしにくいものでも欲しいのか? ものによっては買い出し担当の裁量のうちで買ってこられないこともない」
「…そりゃありがてぇ。けど、教官殿には頼みにくい、かな」
ライルは小鼻の脇を掻いて苦笑いを浮かべる。
「ぼくに云いにくければ、刹那に頼むといい」
ティエリアはそれにはさして関心を払わず、またコンソールパネルに向きなおる。データスティックを差し込んでいったん読み込み、ハロになにやら確認をとって、また変更を加えている。
その華奢な肩のうごきに妙な艶を感じてライルは目を逸らした。先般の女装がまだあとを引いているのか、やはり兄のことがあるせいか。比べられるのはごめんだったからさすがにもう手を出そうとは思わないものの、プレッシャーを感じるくらいにはライルはこの存在に重きを置いているわけで、無視できるはずもない。
「教官殿は…兄さんと、その、どうしてたんだ?」
「どう、とは」
「宇宙にいるときにさ。…恋人なんだから、することしてたわけだろう」
ティエリアの手が止まった。厳しい目で睨めてくる。
「おっと、誤解しないでくれ。揶揄ってるんじゃない。真面目に訊いてる」
「ではもっと、質問の要旨を明確に」
「明確に…て。…まぁ、ぶっちゃけ、無重力でちゃんとできるのかって話なんだが。いざってときのための参考に」
ティエリアは一瞬目をまるくして、あろうことか笑い出した。意外にも。
「な、なんだよ」
「妙なところで兄弟だな、と思っただけだ。その点なら心配は無用だ。いまのプトレマイオスでは各部屋ごとに個別の重力設定が任意で可能になっている」
「…あ、そうなのか」
ティエリアはまだくすくすと笑みを零しながら、またキーパネルを叩く。
「あんたがそんなふうに笑うなんて…、な。…兄さんとそういうことがあったわけかい」
「以前のプトレマイオスはベースが多目的輸送艦だったからか、そこまで乗員の生活環境整備が為されていなかった。このプトレマイオス2は武装も大気圏離脱能力も備えた万能艦だ。システム設計には若干だがぼくも携わっている。そのあたりにぬかりはない」
「兄さん…苦労したんだな」
直截な応えはなくとも察せられる。思わずニールに同情してしまうライルである。
「その問いから察するに…、きみが云いにくい買いものの件だが、メディカルルームのストレージにあるはずだ。備品扱いで標準装備されている。出入記録さえきちんと付ければ無記名で利用できる」
「…なるほど。備品なのか」
納得したようなライルに、ティエリアはこともなげに云った。
「長期航行の艦船に措いて性処理の問題は避けて通れないが、プトレマイオスはクルーが少ない。地上休暇の際に発散するのでなければ、あいては特定にしてだいじにすることだ」
「…おいおい」
まいったな、というようにライルはあたまを掻いた。
ティエリアは色ごとには疎い印象があるが、こういうところは合理性が働くせいか、捌けている。恋愛という情緒面ではなく性本能として捉えているせいかもしれない。
確認音が鳴ってデータスティックを引き抜くと、ティエリアはコクピット脇に手を掛け、くるりとかるい体捌きでコクピットを出た。
「ティエリア」
捜していたのか、それを待っていたのか、刹那がドックの通用口から声を掛けてきた。ケルディムとセラヴィー、ダブルオーとアリオスが、それぞれおなじコンテナに格納されているため、刹那がこちらに来ることはめったにない。
気づいたティエリアが、なにごとかと問うように刹那のもとへと向かう。
続 2012.01.13.
PR