「天涯の遊子」土桂篇。
土方と桂。と、高杉。 山崎、沖田、銀時、ほかも。
動乱篇以降、攘夷志士試験の後日。
其の二。土方、山崎、桂。
だが。先に引き裂かれていたのは、どうやら山崎のほうだった。あえて明言を避けた土方の危惧は、ほどなく現実として顔を覗かせる。
真選組が攘夷派絡みの捕り物に躍起になるのは、それだけの価値があるからで、少しでも情報をつかめば現場にすっ飛んでいくことなど日常茶飯事。監査方はその情報の信憑性を探りつつ可能なかぎりの事実をもたらすのが役割だ。
一件からこっち、山崎の働きは明らかに精彩を欠いた。任務に失敗したことが大きいのだろうとも思ったが、常の山崎ならば逆に、汚名返上、名誉挽回、とばかりに仕事に精を出すだろう。だがそうはならないのは、それができない精神的な理由があるからだ。こうなっては桂との経緯を追求せざるを得ない。
うつむいたまま、山崎は唇を嚙み締めている。正座の膝に置かれた両の手がつよく握り込まれて、甲に筋を立てていた。
「なにがあった」
再度の土方の問い掛けにも山崎はただ頭を振り、もうしわけありません、と繰り返すばかりだ。ただいちど、真選組への忠節を問われたときだけは、青ざめた顔で、だが土方の目を見てきっぱりと、自分はなにがあっても副長たちについていく、と応えた。それきり、埒があかない。
土方は迷った末、云い方を変えた。
「桂を、どう思った?」
びくりと山崎の肩が揺れて、反射的に顔をあげる。先日のどこか縋るような眼差しがそこにあった。
「遠慮はいらねぇ。忌憚のない意見を聞かせろや。監査方として憚りがあるってんなら、てめぇ個人の見解でかまわねぇよ」
「…副長」
いつにない土方のやわらかなもの云いに、山崎がほっと肩のちからを抜く。それでもしばらく逡巡を見せたあと、ようやく謝罪以外のことばを口にした。
「怖い、です」
「…怖い?」
「敵の頭領だとわかっていて近づいたのに。狂乱の貴公子なにほどのものぞ、と思っていたのに。ほんとに、やることなすこと、わけがわからなくて。なのに、それなのに。奴らも人間だって、すごく人間なんだって。俺。…俺は」
ああ、やっぱりな。どこかそんなおもいで、土方は山崎のことばを聞いていた。
「怖いんです。任務とあれば、俺は桂を捕らえます。敵わないまでも全力を尽くします。だけど、怖いのは腕の差だとかそういうことじゃないんです。なんていったらいいのか。あの短い時間で、俺を、その、敵のはずの俺を…」
云い淀んだ山崎の、その先は聞かなくても土方にはわかる。『怖い』という表現は、敵方である自覚が云わせていることばであって、現実をありていにいえば『惹かれている』のと同義だろう。
理屈ではない部分でひとを畏怖させ惹きつけるのが、本義でのカリスマのカリスマたる所以だ。まだ、恋情に転化しなかっただけこいつはましだ、とさえ土方は思った。
真選組は侍に憧れるものたちの集団だ。剣しか能のないごろつきが、気張っているだけの成り上がりだ。思想的な部分を抜きにすれば、いまだに侍として闘いそれを体現しつづける存在に、惹かれるなというほうが無理なのだ。現に表向きはどうあれ侍としての一片を抱えつづける万事屋にも、真選組はなんのかんの云いつつ一目を置いている。隊士連中が土方に抱く信頼や憧憬も、土方がだれより侍らしくあれと真選組を律し鼓舞する存在、その魂のひとつだからだ、と云ったのは近藤だったか。
桂たちにほだされ、籠絡されかけた自分を山崎は内心に抱え込んでいた。
土方が桂に抱く感情をぶちまけてしまえば、山崎のこころは軽くなるだろうか。そんな出来もしないことを考えて、だが、ほかに掛けることばも見つからず、土方は
「あれは、ばけものだ」
だから、考えすぎるな。山崎に向けながら、心持ち自分に云い聞かせるかのように云う。
「並みの感覚で張り合えるやつじゃねぇ」
奇しくも、先だって土方自身が万事屋に云われたようなことばを、吐き出していた。たしかにどう考えても手に余るだろう山崎には、そう云ってやるしかなかった。
土方自身の手にも余るだろうか。と、土方は考える。万事屋自身からして、だれの手にも余ると宣った。そのうえで、唯一無二のツレだと。それを食って腹を壊してもまた食いたくなると。それほどに、やつは桂を。
おまえにその覚悟があんの? それができるの?
「犠牲…、か」
本気であればあるほど、引き換えるものはでかいのかもしれない。なにかを失うことなしになにかを得られることなど、きっとないのだ。
「は?」
自らの想念に引き込まれ無意識のうちに零れ出ていたことばに、山崎が怪訝そうに土方を見る。心許なさの残る眼差しが、山崎のうちなる畏れの深さを物語った。
「ともかく、だ。てめぇが近藤さんに顔向け出来ねぇことはしねぇと手前ぇ自身に誓えるんなら、それでいいんじゃねぇのか。桂が怖ぇのは、きっとてめぇだけじゃねぇからよ。山崎」
だが失ったからといって、必ずなにかを得られるとはかぎらない。
「そう…なんでしょうか」
「伊達や酔狂で一派のアタマは張れねぇ。やつぁ、痩せても枯れても攘夷の英雄。名にし負う一軍の将だ。てめぇの太刀打ちできるやつじゃねえと腹を括れば、また違う活路も見いだせるもんだぜ」
「はぁ」
些とは慰めになったのか、ちいさく息を吐いたあとで、山崎は少しだけ笑顔になって云った。
「たしかに俺なんかの敵うあいてじゃないみたいです。でも、知りませんでした。副長って、意外と桂さ…桂を買ってるんですね」
「……」
絶句した土方に、そうとも気づかず山崎はつづける。
「攘夷の英雄だの、過去の遺物だとばかりに唾棄しているかと思ってました」
それはたしかにそうだった。桂とじかに触れあう以前の、意味のない虚勢に過ぎなかったが。そんなにまえのことではなかったはずだ。なのにそれを遥か遠いむかしのように感じる自分に、土方はこのとき初めて気づいた。
追ってこいと桂は云った。その覚悟があるなら。自らの経験を積み、それを磨けと。そしておのれが桂を口説くにふさわしいと思えたなら。
俺は成長しただろうか。あれから少しは。
桂からの返信のないまま、日が過ぎる。漠然とした不安が、土方のこころを覆った。連絡を取れずにいたあいだに変わったかと心配したアドレスは生きていたが、これを桂が読んでいる保証はない。否、それよりも。このまま梨の礫にされる可能性のほうが高いのかもしれないのだ。
桂に個人的に愛想を尽かされたとは思わないが、真選組の土方としては一連の出来事は、桂が自分を遠ざける充分な理由になる。
会わなければ、と思う。山崎のために。会いたい、と思う。おのれ自身が。待ち侘びた桂からの返信が届いたのは、さらにその三日ののちだった。
* * *
肩口でゆるく結わえた黒髪。茄子紺の地に鮮やかに染め抜かれた文様。あれは鉄線花だったろうか。土方にはよくわからない。淡い藤色の帯をきりりと締めて背で優雅に垂らす。抑えた配色が、かえって艶やかさを増していた。
姿はヅラ子だが、ここはかまっ娘の店ではない。土方のほうはいつもの黒い着流しだ。思いがけず外で会ってくれたのは、西郷ママたちにいま以上の面倒を掛けまいとした配慮か。女装なのは大江戸界隈でのおたがいの立場を留意したからだが。
その神社の月の例祭には、骨董などの市も立つし屋台も並ぶ。ちょっとした逢引気分に浸れた。適当に冷やかして歩きながら、こうした催しが好きなのかどことなくたのしげな桂に、つい土方の頬もゆるむ。
夜とは違うほんのり薄化粧。それでも道行くひとが足を止め思わず振り返るほどの美人だから、当然、連れ立っていて悪い気のしようはずもない。どこかに性別も年齢も置き忘れてきたような存在だ。と土方はあらためて感じ入る。だが振り返り見られる理由は、端から見れば美男美女の一対だから、ということにもあるのだ。などという認識は土方のほうにも欠如していた。テキ屋の主人に羨望交じりに揶揄われるまでは。
ふいに傍らの桂の気配が消えて、土方が些かあわてる。見れば、幼子のよろこぶようなお面が一面に並べ掛けられた屋台のまえで足をとめ、桂はじっと動かなくなっていた。なにをそんなに熱心に、と思って少し戻って背後に回る。見つめていたのは、まるい目に黄色いくちばし。出来損ないの白いペンギンのような、得体の知れないお面だった。どこかで見た、と土方は思い、それが、桂が常日頃付き従えているペットの似姿だと気づくのに少し間が要った。
「こんなものが、欲しいのかい?」
云いながら、桂の肩越しに手を伸ばす。土方が白いお面を手に取ると、屋台の親爺がすかさず、美人のお連れさんだねぇ、旦那。などとお愛想を云ってよこす。土方が苦笑して懐の小銭を投げかけたとき、
「お連れさんではない。かつ」
ぼふっ。
決まり口上を云い出したので、あわててお面を桂の顔に押し付けた。
続 2008.06.28.
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だが。先に引き裂かれていたのは、どうやら山崎のほうだった。あえて明言を避けた土方の危惧は、ほどなく現実として顔を覗かせる。
真選組が攘夷派絡みの捕り物に躍起になるのは、それだけの価値があるからで、少しでも情報をつかめば現場にすっ飛んでいくことなど日常茶飯事。監査方はその情報の信憑性を探りつつ可能なかぎりの事実をもたらすのが役割だ。
一件からこっち、山崎の働きは明らかに精彩を欠いた。任務に失敗したことが大きいのだろうとも思ったが、常の山崎ならば逆に、汚名返上、名誉挽回、とばかりに仕事に精を出すだろう。だがそうはならないのは、それができない精神的な理由があるからだ。こうなっては桂との経緯を追求せざるを得ない。
うつむいたまま、山崎は唇を嚙み締めている。正座の膝に置かれた両の手がつよく握り込まれて、甲に筋を立てていた。
「なにがあった」
再度の土方の問い掛けにも山崎はただ頭を振り、もうしわけありません、と繰り返すばかりだ。ただいちど、真選組への忠節を問われたときだけは、青ざめた顔で、だが土方の目を見てきっぱりと、自分はなにがあっても副長たちについていく、と応えた。それきり、埒があかない。
土方は迷った末、云い方を変えた。
「桂を、どう思った?」
びくりと山崎の肩が揺れて、反射的に顔をあげる。先日のどこか縋るような眼差しがそこにあった。
「遠慮はいらねぇ。忌憚のない意見を聞かせろや。監査方として憚りがあるってんなら、てめぇ個人の見解でかまわねぇよ」
「…副長」
いつにない土方のやわらかなもの云いに、山崎がほっと肩のちからを抜く。それでもしばらく逡巡を見せたあと、ようやく謝罪以外のことばを口にした。
「怖い、です」
「…怖い?」
「敵の頭領だとわかっていて近づいたのに。狂乱の貴公子なにほどのものぞ、と思っていたのに。ほんとに、やることなすこと、わけがわからなくて。なのに、それなのに。奴らも人間だって、すごく人間なんだって。俺。…俺は」
ああ、やっぱりな。どこかそんなおもいで、土方は山崎のことばを聞いていた。
「怖いんです。任務とあれば、俺は桂を捕らえます。敵わないまでも全力を尽くします。だけど、怖いのは腕の差だとかそういうことじゃないんです。なんていったらいいのか。あの短い時間で、俺を、その、敵のはずの俺を…」
云い淀んだ山崎の、その先は聞かなくても土方にはわかる。『怖い』という表現は、敵方である自覚が云わせていることばであって、現実をありていにいえば『惹かれている』のと同義だろう。
理屈ではない部分でひとを畏怖させ惹きつけるのが、本義でのカリスマのカリスマたる所以だ。まだ、恋情に転化しなかっただけこいつはましだ、とさえ土方は思った。
真選組は侍に憧れるものたちの集団だ。剣しか能のないごろつきが、気張っているだけの成り上がりだ。思想的な部分を抜きにすれば、いまだに侍として闘いそれを体現しつづける存在に、惹かれるなというほうが無理なのだ。現に表向きはどうあれ侍としての一片を抱えつづける万事屋にも、真選組はなんのかんの云いつつ一目を置いている。隊士連中が土方に抱く信頼や憧憬も、土方がだれより侍らしくあれと真選組を律し鼓舞する存在、その魂のひとつだからだ、と云ったのは近藤だったか。
桂たちにほだされ、籠絡されかけた自分を山崎は内心に抱え込んでいた。
土方が桂に抱く感情をぶちまけてしまえば、山崎のこころは軽くなるだろうか。そんな出来もしないことを考えて、だが、ほかに掛けることばも見つからず、土方は
「あれは、ばけものだ」
だから、考えすぎるな。山崎に向けながら、心持ち自分に云い聞かせるかのように云う。
「並みの感覚で張り合えるやつじゃねぇ」
奇しくも、先だって土方自身が万事屋に云われたようなことばを、吐き出していた。たしかにどう考えても手に余るだろう山崎には、そう云ってやるしかなかった。
土方自身の手にも余るだろうか。と、土方は考える。万事屋自身からして、だれの手にも余ると宣った。そのうえで、唯一無二のツレだと。それを食って腹を壊してもまた食いたくなると。それほどに、やつは桂を。
おまえにその覚悟があんの? それができるの?
「犠牲…、か」
本気であればあるほど、引き換えるものはでかいのかもしれない。なにかを失うことなしになにかを得られることなど、きっとないのだ。
「は?」
自らの想念に引き込まれ無意識のうちに零れ出ていたことばに、山崎が怪訝そうに土方を見る。心許なさの残る眼差しが、山崎のうちなる畏れの深さを物語った。
「ともかく、だ。てめぇが近藤さんに顔向け出来ねぇことはしねぇと手前ぇ自身に誓えるんなら、それでいいんじゃねぇのか。桂が怖ぇのは、きっとてめぇだけじゃねぇからよ。山崎」
だが失ったからといって、必ずなにかを得られるとはかぎらない。
「そう…なんでしょうか」
「伊達や酔狂で一派のアタマは張れねぇ。やつぁ、痩せても枯れても攘夷の英雄。名にし負う一軍の将だ。てめぇの太刀打ちできるやつじゃねえと腹を括れば、また違う活路も見いだせるもんだぜ」
「はぁ」
些とは慰めになったのか、ちいさく息を吐いたあとで、山崎は少しだけ笑顔になって云った。
「たしかに俺なんかの敵うあいてじゃないみたいです。でも、知りませんでした。副長って、意外と桂さ…桂を買ってるんですね」
「……」
絶句した土方に、そうとも気づかず山崎はつづける。
「攘夷の英雄だの、過去の遺物だとばかりに唾棄しているかと思ってました」
それはたしかにそうだった。桂とじかに触れあう以前の、意味のない虚勢に過ぎなかったが。そんなにまえのことではなかったはずだ。なのにそれを遥か遠いむかしのように感じる自分に、土方はこのとき初めて気づいた。
追ってこいと桂は云った。その覚悟があるなら。自らの経験を積み、それを磨けと。そしておのれが桂を口説くにふさわしいと思えたなら。
俺は成長しただろうか。あれから少しは。
桂からの返信のないまま、日が過ぎる。漠然とした不安が、土方のこころを覆った。連絡を取れずにいたあいだに変わったかと心配したアドレスは生きていたが、これを桂が読んでいる保証はない。否、それよりも。このまま梨の礫にされる可能性のほうが高いのかもしれないのだ。
桂に個人的に愛想を尽かされたとは思わないが、真選組の土方としては一連の出来事は、桂が自分を遠ざける充分な理由になる。
会わなければ、と思う。山崎のために。会いたい、と思う。おのれ自身が。待ち侘びた桂からの返信が届いたのは、さらにその三日ののちだった。
* * *
肩口でゆるく結わえた黒髪。茄子紺の地に鮮やかに染め抜かれた文様。あれは鉄線花だったろうか。土方にはよくわからない。淡い藤色の帯をきりりと締めて背で優雅に垂らす。抑えた配色が、かえって艶やかさを増していた。
姿はヅラ子だが、ここはかまっ娘の店ではない。土方のほうはいつもの黒い着流しだ。思いがけず外で会ってくれたのは、西郷ママたちにいま以上の面倒を掛けまいとした配慮か。女装なのは大江戸界隈でのおたがいの立場を留意したからだが。
その神社の月の例祭には、骨董などの市も立つし屋台も並ぶ。ちょっとした逢引気分に浸れた。適当に冷やかして歩きながら、こうした催しが好きなのかどことなくたのしげな桂に、つい土方の頬もゆるむ。
夜とは違うほんのり薄化粧。それでも道行くひとが足を止め思わず振り返るほどの美人だから、当然、連れ立っていて悪い気のしようはずもない。どこかに性別も年齢も置き忘れてきたような存在だ。と土方はあらためて感じ入る。だが振り返り見られる理由は、端から見れば美男美女の一対だから、ということにもあるのだ。などという認識は土方のほうにも欠如していた。テキ屋の主人に羨望交じりに揶揄われるまでは。
ふいに傍らの桂の気配が消えて、土方が些かあわてる。見れば、幼子のよろこぶようなお面が一面に並べ掛けられた屋台のまえで足をとめ、桂はじっと動かなくなっていた。なにをそんなに熱心に、と思って少し戻って背後に回る。見つめていたのは、まるい目に黄色いくちばし。出来損ないの白いペンギンのような、得体の知れないお面だった。どこかで見た、と土方は思い、それが、桂が常日頃付き従えているペットの似姿だと気づくのに少し間が要った。
「こんなものが、欲しいのかい?」
云いながら、桂の肩越しに手を伸ばす。土方が白いお面を手に取ると、屋台の親爺がすかさず、美人のお連れさんだねぇ、旦那。などとお愛想を云ってよこす。土方が苦笑して懐の小銭を投げかけたとき、
「お連れさんではない。かつ」
ぼふっ。
決まり口上を云い出したので、あわててお面を桂の顔に押し付けた。
続 2008.06.28.
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