「天涯の遊子」土桂篇。
土方と桂。と、高杉。 山崎、沖田、銀時、ほかも。
動乱篇以降、攘夷志士試験の後日。
其の三。土方、桂。
「そのなりをしてる意味がねぇだろうが。ったく…」
参道の屋台すじを離れて、土方が愚痴る。思わず桂の手を取って、人混みを突っ切るようにお面屋をあとにしていた。白ペンギンもどきの面に口を塞がれた桂は、そのまま面をつけた姿でいて土方のほうを見やる。めずらしく、その気配が笑っているのに気づいて、土方はそのさきのことばを呑み込んだ。
「…なんだよ」
ぱちりとまんまるい目が土方を見つめる。黄色いくちばしのむこうの見えない口許が、たしかに笑んでいる。
「買ってくれるとは思わなかった」
「って、あんまり欲しそうにしてるからよ」
「ありがとう」
思いがけず返された謝意に、土方はあわててそっぽを向いた。顔に血が昇るのがわかる。こんなことくらいで、情けねえ。視界の狭いお面越しの桂に気づかれていないことを祈りながら、土方は意味もなくことばを継いだ。
「きょうはその、白いのはどうした」
「白いのではない、エリザベスだ。おれに代わって派の会合に出ている。むろん、どこで、とは教えてやれぬがな」
「そいつぁ…俺との話を優先してくれたってことか?」
桂がお面の小首を傾げた。
「まあ、おれでなくともすむ会合だったのでな。貴様の話とやらがエリザベスで用が足りるのなら、そうしてもよかったが」
足りるわけがない。それでなくともかなり強引に取り付けた約束だ。桂の代わりにあのペンギンお化けが現れた日には、目も当てられない。そう返す土方に、桂はまた、お面の奥でちいさく笑った。
「きょうは機嫌がいいんだな」
「そうか?」
「そうだろうがよ」
さっき勢いで無意識に取ってしまった手は、土方にはとうに意識的なものに変わっていたが、まだ振り解かれもせずにそこにある。
「まつりなどひさしぶりだからかな」
「まつりだから、誘いに乗ってくれたのか」
「それもあるが。そろそろ貴様の話とやらを聞こうか」
お面の向こうで、桂の漆黒の眸がすぅと細められる。まるい目にちいさく穿たれた穴から、その気配が伝わった。ほんとうにさりげない自然なしぐさで、土方の掌から抜かれた手。もう少し桂との逢瀬をたのしみたかったが、そうも云っていられないようだ。
この切り替えの早いお姫さまは、柔和な外見を裏切る鋼の意志と、その風情に似つかわしくも、柳に雪折れなしのこころの持ち主だった。
持って回った云いようは性分ではない。だから土方は単刀直入に問うた。
「山崎になにをした?」
「山崎?」
「ばっくれるなよ。うちの監査方だ」
「…ああ。あの攘夷志士志望者か」
思い出したように桂は云い、無事返してやったと思ったが、と付け加えた。
「そのことについちゃあ、礼を云う。借りを返しただけとあってもな」
「なら、なにが問題なのだ。あれはなかなか使えるおとこと見たぞ。真選組でだいじにしてやるがいい」
お面の向こうの表情は見えない。もっとも面がなかったところで、こんなときの桂は常の整った能面のままだから、大差ないには違いないが。買ってやったことをほんのちょっとばかり、後悔した。
「あれからどうにも、臆してていけねぇ」
「貴様が鬼の上司だからだろう」
「俺にじゃねぇよ。てめぇにだ。桂」
「おれ?」
「畏れをなしてる、てぇのかな。てめぇも見てのとおり、やつはあれで、肝の据わった監査方だ。ちっとやそっとで、敵に呑まれるようなやつじゃぁねぇんだよ」
「なにも」
べつになにもしていない、と桂は云った。
「ただ、試験をしただけだ。攘夷志士になりたいというのでな。まさか真選組だとは思わず」
「いや。最初(はな)からうちの山崎と、見知っていたろう?」
白い面のまるい目がじっと土方を見る。黄色いくちばしが嗤った気がした。
「さて。どうだったか。むろんいまはもう完璧に覚えているぞ」
「桂」
思わず詰るような口調になる。と、
「なぁ、土方」
桂の手がしなやかにうごき、その指先がおのれの被る面に掛かった。
「忍んだ密偵をどうもてなそうと、仕掛けた側がとやかく云う筋合いではあるまい」
ゆっくりと白い面が外されて、また違った白皙のおもてが顔を覗かせる。
「信じようと信じまいと、おれは試験のほかなにもしていない。捕らえてのち尋問はしたが拷問もしておらぬ。山崎とやらが、おれのなににそれほど畏れを抱くのかは知らぬが」
漆黒の玉石がふたつ、土方をまっすぐに射抜く。
「真選組の間者に掛ける情けなど、二度はないと思えよ」
その眸は冷たく笑んでいた。
正体を承知の上で、山崎を弄ったのか。それもただ揶揄うのではない、山崎が知らずこころを囚われるようなやり口で。なんて野郎だ。やはり、行かせたのはまちがいだった。副長として、上層部の口出しなど無視すればよかったのだ。無事返したのも、土方への借りを返すなど殊勝なことを云って、実際は。山崎がすでに、真選組を裏切らないまでも、桂にとってはなんら障りにならない、と判断したからではないのか。
土方はまじまじと桂を見た。
この酷薄なまでの怜悧さとついさっきの幼子のようなかわいらしさが、無理なく同居するのが桂というひととなりの怖さだ。
土方は内心で苦笑する。そうか。俺も怖いのか。そうだ、怖いのだ。たまらなく怖いのだ。
土方の視界のなかで冷めた笑みを湛えていた黒曜石の双眸が、またふいに、なにやら愛おしげにゆるむ。どきりとして、こんどはなんだと逸らされた視線の先を追った。そこにあるものを認めて、土方は額を押さえて、溜息をつく。
「なんだよ。欲しいのか」
いま来た参道の角隅に、綿菓子屋があった。半畳ほどの小さな屋台の軒先、木枠に色とりどりの袋が吊されている。さまざまなキャラクターや柄で賑やかしい。桂が目をとめたのはむろんのこと、白いそれだった。ぱっちりした目に黄色いくちばし。ふたつほど綿菓子が詰められて、空気で胴長にまるくふくらんでいるのがかのペットの風体を思わせて、お面よりもよほど似ている。
桂はとことこと迷わず足を向けながら、土方を振り返った。
「案ずるな。土産くらいおのれで買う」
「土産?」
いやな予感がした。こんなこどもじみた糖分をよろこぶ手合いには、心当たりがある。
「せっかくなのでな」
と、桂は店の主に三つばかり頼むと声を掛け、主がいつもの五割増しはにこやかに、美人の客の指す袋を木棚から外しに掛かる。白いペンギンお化けと、水色地の流行りのアイドルキャラ、淡い萌黄にきれいなシャボン玉と薄紅の花の浮かんだそれを、手に取った。先に財布を出せばいいものを、受け取ってから懐に手を入れ、勘定をしようとするものだから、もたついた。その間に土方は桂の横合いを縫って店の主に代金を握らせる。
「土方?」
きょとんとする桂を残して、さっさと鳥居のほうへ足を向けた。
「誘ったのは俺だ。てめぇに出させるわけにはいかねぇ」
土方の、意地だった。
あとを追うように袋を抱えて小走りに寄ってきた桂が、しかしだな、とどこか不満げに物言いをつける。
「てか、どこへ行くのだ」
「行くんだろう。その土産、渡しによ」
「それはそうだが。もう話は終わったのか」
「おめぇが終わらせたんだろうが」
実際のところ話はもう終わっていた。桂の真意を糺したかっただけで、それ自体をどうこう云うつもりは毛頭ない。自分が桂の立場なら山崎を無事に返したりはしなかった。比せば、どちらがより非情かは論議の別れるところだろうが、五体満足で返されただけでも幸運だったと云わねばならないのだ。
続 2008.06.28.
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「そのなりをしてる意味がねぇだろうが。ったく…」
参道の屋台すじを離れて、土方が愚痴る。思わず桂の手を取って、人混みを突っ切るようにお面屋をあとにしていた。白ペンギンもどきの面に口を塞がれた桂は、そのまま面をつけた姿でいて土方のほうを見やる。めずらしく、その気配が笑っているのに気づいて、土方はそのさきのことばを呑み込んだ。
「…なんだよ」
ぱちりとまんまるい目が土方を見つめる。黄色いくちばしのむこうの見えない口許が、たしかに笑んでいる。
「買ってくれるとは思わなかった」
「って、あんまり欲しそうにしてるからよ」
「ありがとう」
思いがけず返された謝意に、土方はあわててそっぽを向いた。顔に血が昇るのがわかる。こんなことくらいで、情けねえ。視界の狭いお面越しの桂に気づかれていないことを祈りながら、土方は意味もなくことばを継いだ。
「きょうはその、白いのはどうした」
「白いのではない、エリザベスだ。おれに代わって派の会合に出ている。むろん、どこで、とは教えてやれぬがな」
「そいつぁ…俺との話を優先してくれたってことか?」
桂がお面の小首を傾げた。
「まあ、おれでなくともすむ会合だったのでな。貴様の話とやらがエリザベスで用が足りるのなら、そうしてもよかったが」
足りるわけがない。それでなくともかなり強引に取り付けた約束だ。桂の代わりにあのペンギンお化けが現れた日には、目も当てられない。そう返す土方に、桂はまた、お面の奥でちいさく笑った。
「きょうは機嫌がいいんだな」
「そうか?」
「そうだろうがよ」
さっき勢いで無意識に取ってしまった手は、土方にはとうに意識的なものに変わっていたが、まだ振り解かれもせずにそこにある。
「まつりなどひさしぶりだからかな」
「まつりだから、誘いに乗ってくれたのか」
「それもあるが。そろそろ貴様の話とやらを聞こうか」
お面の向こうで、桂の漆黒の眸がすぅと細められる。まるい目にちいさく穿たれた穴から、その気配が伝わった。ほんとうにさりげない自然なしぐさで、土方の掌から抜かれた手。もう少し桂との逢瀬をたのしみたかったが、そうも云っていられないようだ。
この切り替えの早いお姫さまは、柔和な外見を裏切る鋼の意志と、その風情に似つかわしくも、柳に雪折れなしのこころの持ち主だった。
持って回った云いようは性分ではない。だから土方は単刀直入に問うた。
「山崎になにをした?」
「山崎?」
「ばっくれるなよ。うちの監査方だ」
「…ああ。あの攘夷志士志望者か」
思い出したように桂は云い、無事返してやったと思ったが、と付け加えた。
「そのことについちゃあ、礼を云う。借りを返しただけとあってもな」
「なら、なにが問題なのだ。あれはなかなか使えるおとこと見たぞ。真選組でだいじにしてやるがいい」
お面の向こうの表情は見えない。もっとも面がなかったところで、こんなときの桂は常の整った能面のままだから、大差ないには違いないが。買ってやったことをほんのちょっとばかり、後悔した。
「あれからどうにも、臆してていけねぇ」
「貴様が鬼の上司だからだろう」
「俺にじゃねぇよ。てめぇにだ。桂」
「おれ?」
「畏れをなしてる、てぇのかな。てめぇも見てのとおり、やつはあれで、肝の据わった監査方だ。ちっとやそっとで、敵に呑まれるようなやつじゃぁねぇんだよ」
「なにも」
べつになにもしていない、と桂は云った。
「ただ、試験をしただけだ。攘夷志士になりたいというのでな。まさか真選組だとは思わず」
「いや。最初(はな)からうちの山崎と、見知っていたろう?」
白い面のまるい目がじっと土方を見る。黄色いくちばしが嗤った気がした。
「さて。どうだったか。むろんいまはもう完璧に覚えているぞ」
「桂」
思わず詰るような口調になる。と、
「なぁ、土方」
桂の手がしなやかにうごき、その指先がおのれの被る面に掛かった。
「忍んだ密偵をどうもてなそうと、仕掛けた側がとやかく云う筋合いではあるまい」
ゆっくりと白い面が外されて、また違った白皙のおもてが顔を覗かせる。
「信じようと信じまいと、おれは試験のほかなにもしていない。捕らえてのち尋問はしたが拷問もしておらぬ。山崎とやらが、おれのなににそれほど畏れを抱くのかは知らぬが」
漆黒の玉石がふたつ、土方をまっすぐに射抜く。
「真選組の間者に掛ける情けなど、二度はないと思えよ」
その眸は冷たく笑んでいた。
正体を承知の上で、山崎を弄ったのか。それもただ揶揄うのではない、山崎が知らずこころを囚われるようなやり口で。なんて野郎だ。やはり、行かせたのはまちがいだった。副長として、上層部の口出しなど無視すればよかったのだ。無事返したのも、土方への借りを返すなど殊勝なことを云って、実際は。山崎がすでに、真選組を裏切らないまでも、桂にとってはなんら障りにならない、と判断したからではないのか。
土方はまじまじと桂を見た。
この酷薄なまでの怜悧さとついさっきの幼子のようなかわいらしさが、無理なく同居するのが桂というひととなりの怖さだ。
土方は内心で苦笑する。そうか。俺も怖いのか。そうだ、怖いのだ。たまらなく怖いのだ。
土方の視界のなかで冷めた笑みを湛えていた黒曜石の双眸が、またふいに、なにやら愛おしげにゆるむ。どきりとして、こんどはなんだと逸らされた視線の先を追った。そこにあるものを認めて、土方は額を押さえて、溜息をつく。
「なんだよ。欲しいのか」
いま来た参道の角隅に、綿菓子屋があった。半畳ほどの小さな屋台の軒先、木枠に色とりどりの袋が吊されている。さまざまなキャラクターや柄で賑やかしい。桂が目をとめたのはむろんのこと、白いそれだった。ぱっちりした目に黄色いくちばし。ふたつほど綿菓子が詰められて、空気で胴長にまるくふくらんでいるのがかのペットの風体を思わせて、お面よりもよほど似ている。
桂はとことこと迷わず足を向けながら、土方を振り返った。
「案ずるな。土産くらいおのれで買う」
「土産?」
いやな予感がした。こんなこどもじみた糖分をよろこぶ手合いには、心当たりがある。
「せっかくなのでな」
と、桂は店の主に三つばかり頼むと声を掛け、主がいつもの五割増しはにこやかに、美人の客の指す袋を木棚から外しに掛かる。白いペンギンお化けと、水色地の流行りのアイドルキャラ、淡い萌黄にきれいなシャボン玉と薄紅の花の浮かんだそれを、手に取った。先に財布を出せばいいものを、受け取ってから懐に手を入れ、勘定をしようとするものだから、もたついた。その間に土方は桂の横合いを縫って店の主に代金を握らせる。
「土方?」
きょとんとする桂を残して、さっさと鳥居のほうへ足を向けた。
「誘ったのは俺だ。てめぇに出させるわけにはいかねぇ」
土方の、意地だった。
あとを追うように袋を抱えて小走りに寄ってきた桂が、しかしだな、とどこか不満げに物言いをつける。
「てか、どこへ行くのだ」
「行くんだろう。その土産、渡しによ」
「それはそうだが。もう話は終わったのか」
「おめぇが終わらせたんだろうが」
実際のところ話はもう終わっていた。桂の真意を糺したかっただけで、それ自体をどうこう云うつもりは毛頭ない。自分が桂の立場なら山崎を無事に返したりはしなかった。比せば、どちらがより非情かは論議の別れるところだろうが、五体満足で返されただけでも幸運だったと云わねばならないのだ。
続 2008.06.28.
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