連作「天涯の遊子」の番外、高桂篇。其の二。
高杉と桂。と、高杉 in エリザベス。
と、エリザベス、河上も。
ヅラ誕 2008、in エリー番外三部作の破。晋誕合わせ。
番外は、天涯の遊子設定での、もうひとつの世界。
攘夷穏健派機関誌『JOY』第三期第三号、巻頭特集グラビアインタビューのロケは、いつのまにか特別附録のDVD撮影にまで企画が拡大していた。
桂とエリザベスは、その撮影とインタビューに二日間、スケジュールを割いている。この間は拘束はされても上げ膳据え膳である。家事に追われる心配はない。その期を狙った、エリザベスとエリぐるみの高杉の交代劇。だがしかし意外にも、この入れ替わりは至極あっさりと為された。
いつのまにやらことの次第を推察していた河上が同行を申し出て、白いものの捕縛に拉致監禁まで考えて手筈を整えていたのだが。いざ、手ぐすね引いて相対してみると。
白いものは表情の読めないまるい目で高杉を見、
『ち。やっぱり来やがったか』
などと不穏なひとことをプラカードに掲げたわりには、
『いまだけだからな』
と念押ししただけで、あっさりとその役目を高杉に委ねたのだった。
ただひとつの条件は撮影現場にはinエリーの高杉ひとりであること。すなわち、河上が座を外すこと。桂をひとり残すのだからエリザベス側からしてみればそれも道理で、高杉は同意して河上を下がらせた。
もともと、入れ替わってしまえばそのあとは、そのつもりだったのだ。桂が白いものに甘いのは先刻承知で、エリぐるみだとばれでもしないかぎり高杉の身に危険などありようはずがない。せっかく桂とふたりきりになれるかもしれない機会だ。余人を邪魔に思うのは、高杉とておなじである。
「ものわかりがよすぎるでござるな。エリザベス殿」
『ひとの恋路を邪魔するやつは馬に蹴られて死ぬんだぜ。若造』
などという会話が、ともに立ち去るふたりのあいだで交わされたことは、むろん高杉の知るところではない。
グラビア撮影のあいま、エリザベスを気遣う桂は、ついぞ見たことのないやわらかな表情だった。スチールカメラマンが思わずシャッターを切るのも忘れて見惚れるほどの。
しかしプロ意識と芸術家魂を全力で発動したらしいカメラマンは、そのあとはひたすらにシャッターボタンを押しづけた。
「桂さーん。目線ください。そう、そう」
「あ、からだごと向いてみて」
「そう。いい感じ」
「いいよ。いい。うん、いいよー」
「つぎ、桂さんは目線を向こうへ、遠くに」
「うんそう、いいなー、いいよ、いい、いい」
「エリザベスさんはその反対を向いて」
テンションの高いカメラマンの声は、うるさいくらいだ。
「遠慮することはないのだぞ、エリザベス。おまえの愛らしさを存分に読者に伝えるよい機会なのだからな」
などと桂に云われても、白いばけもののかわいらしさなど高杉には理解不能の領域だから、適当にうごいてみるしかない。
「うん。そう!それ、その感じがいいな」
カメラマンの声の高さが一段階増して、静止させられた。
「そう、背中合わせで」
その単語にぴくりと反応したのは、エリザベス、もとい高杉のほうである。そっと背後を窺い見るが、桂はとくにどうということもなく、素直に指示に従っている。いいんだろうか。まあ桂が気にしないのなら、高杉はかまわないのだが。というかむしろこれは。
かつて得られなかったポジションに、やや胸が高鳴る。白いもののなかにいるのだという事実は、この際どうでもよかった。試し撮りのポラには、さすがにプロでみごとに切り取られた紅葉はいまが盛りと見まごう風情、それを背景に当然、桂と背中合わせのエリザベスが写っている。その白いもののなかみは自分なのだと思うと、妙に背徳めいた悦びさえ湧いてくる。
『このポラ
もらってくぜ いただいていいですか』
思わず掲げた看板に、カメラマンが気軽に頷くのを見て、桂が口許をほころばせた。
「なんだ、エリザベス。そんなものが欲しいのか? あ、すみません。かめらまん殿、もう一枚おなじのをお願いします」
思いがけないことばに、エリザベスのなかで高杉は目を瞠った。
おそろいのツーショット写真だよ、これ。しかも美麗な横顔の桂との。
かつて、なんたらとかいう企画で、高杉自身と撮ったツーショットの桂は、短い髪の端麗な能面でカメラを睨みつけていたものである。もちろん、どうあれその貴重なショットは、高杉のたいせつな本のなかに挟み込んであったが。
これは微笑んでこそいないけれど、紅葉絶佳ななかで白いものと背中合わせに佇む桂の横顔は、このうえもなく美しく。
だが。
一転。ふいに高杉は空しさに襲われた。隠匿の悦びはあるが、これは、桂のこの姿は、自分に見せたものではないのだ。この静謐で艶美なたたずまいも、あくまで、白いものと背中合わせにそこにあるからこその。
戦時には白銀髪のおとこと、なんどとなく対で見せられた、神々しいまでの艶姿。
ひらり。
高杉、ではなくエリぐるみの白い手から、ポラ写真が落ちる。
「どうした、エリザベス。ちゃんとしまっておかなければだめじゃないか」
拾い上げた桂が、やさしい手つきでそれをエリザベスの手に握らせた。
その、感覚はある。あるが、桂の体温は伝わらない。剣に鍛えられた硬い指先の、だがしなやかな感触が、じかに高杉の掌に伝わっては来ない。
なにをしているんだろう、俺は。
「かつら」
エリぐるみのなかで呟いた高杉のことばは、けれど白いカワに吸収されて、桂の耳には届かなかった。
その後も滞りなく撮影は進行し、エリザベスのとなりで、桂は終始ごきげんだった。
撮影半ばまでの浮き立つような気分は凋み、後半、高杉は白いもののなかでカメラマンの指示どおりにうごくばかりで、ただ桂を眺め続けた。あまりに見つめるものだからカメラマンに冷やかされ、桂がはにかんだように苦笑する。
怜悧な黒い双眸が愛しさにゆるむ。
この白いものに好かれることが、そんなにうれしいのか、ちくしょう。
桂の多くは攘夷に捧げられていたし、かつては白い天パや黒もじゃに、このまなざしが分かちあたえられた時期もあった。それでも。この眸が高杉だけを見つめた日々もたしかにあったのだ。
おのれの剣が白いものを横一文字に薙ぎ払い、返す桂の刀がこの身を裂いたときでさえ。いまこの瞬間、その双眸が捉えているのがこの身だけであるということの、あの名状しがたい愉悦と昂揚。
触れられる距離でそば近くに立とうとも、じかに触れあえない、その視界を奪えない。これでは、意味がないのだ、自分には。傍らで、桂をただ眺めていられるのは幸福と云わば云えたが、それだけでは満たされないのだ。
おのれの桂への執着、おのが業(ごう)とも呼べるなにかを、高杉はあらためてつよく自覚させられていた。
撮影後のインタビューは、そのまま寺の奥座敷を借りて行われた。桂のななめうしろに控えて座したエリぐるみの高杉は、蕩々と語られる攘夷穏健派の党首としての桂のことばに耳を傾けながら、おもう。
もはやともに闘うことはない。途は違(たが)ったのだ。白いもののなかで、高杉は静かに瞑目した。
このこころも、このからだも。二度と桂と触れあえはしまい。
とっぷりと日も暮れて。ようやくこの日一日のスケジュールを終え、慰労の食事を振る舞われ、宿坊を兼ねた寺にそのまま泊まる。
ついたてひとつを隔てただけで、白いものと同部屋に同宿するのも厭わないらしい桂は、多忙を縫っての撮影に疲れたのだろう、まもなくすやすやと眠りについた。ついたての向こうから穏やかな寝息が伝わってくる。桂が安らげないときに表出する奇矯ないびきではないことに安堵しながら、高杉の心中は複雑だ。それほどにこの白いものを信頼しているのか。
いっそ、この姿のままで襲ってやろうか。などと不埒なことを考えてみる。
ぶんぶんとかぶりを振って、高杉はエリぐるみのまま敷かれたふとんに潜り込み、掛け布団を引っ被った。
そのときだった。
続 2008.10.04.
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攘夷穏健派機関誌『JOY』第三期第三号、巻頭特集グラビアインタビューのロケは、いつのまにか特別附録のDVD撮影にまで企画が拡大していた。
桂とエリザベスは、その撮影とインタビューに二日間、スケジュールを割いている。この間は拘束はされても上げ膳据え膳である。家事に追われる心配はない。その期を狙った、エリザベスとエリぐるみの高杉の交代劇。だがしかし意外にも、この入れ替わりは至極あっさりと為された。
いつのまにやらことの次第を推察していた河上が同行を申し出て、白いものの捕縛に拉致監禁まで考えて手筈を整えていたのだが。いざ、手ぐすね引いて相対してみると。
白いものは表情の読めないまるい目で高杉を見、
『ち。やっぱり来やがったか』
などと不穏なひとことをプラカードに掲げたわりには、
『いまだけだからな』
と念押ししただけで、あっさりとその役目を高杉に委ねたのだった。
ただひとつの条件は撮影現場にはinエリーの高杉ひとりであること。すなわち、河上が座を外すこと。桂をひとり残すのだからエリザベス側からしてみればそれも道理で、高杉は同意して河上を下がらせた。
もともと、入れ替わってしまえばそのあとは、そのつもりだったのだ。桂が白いものに甘いのは先刻承知で、エリぐるみだとばれでもしないかぎり高杉の身に危険などありようはずがない。せっかく桂とふたりきりになれるかもしれない機会だ。余人を邪魔に思うのは、高杉とておなじである。
「ものわかりがよすぎるでござるな。エリザベス殿」
『ひとの恋路を邪魔するやつは馬に蹴られて死ぬんだぜ。若造』
などという会話が、ともに立ち去るふたりのあいだで交わされたことは、むろん高杉の知るところではない。
グラビア撮影のあいま、エリザベスを気遣う桂は、ついぞ見たことのないやわらかな表情だった。スチールカメラマンが思わずシャッターを切るのも忘れて見惚れるほどの。
しかしプロ意識と芸術家魂を全力で発動したらしいカメラマンは、そのあとはひたすらにシャッターボタンを押しづけた。
「桂さーん。目線ください。そう、そう」
「あ、からだごと向いてみて」
「そう。いい感じ」
「いいよ。いい。うん、いいよー」
「つぎ、桂さんは目線を向こうへ、遠くに」
「うんそう、いいなー、いいよ、いい、いい」
「エリザベスさんはその反対を向いて」
テンションの高いカメラマンの声は、うるさいくらいだ。
「遠慮することはないのだぞ、エリザベス。おまえの愛らしさを存分に読者に伝えるよい機会なのだからな」
などと桂に云われても、白いばけもののかわいらしさなど高杉には理解不能の領域だから、適当にうごいてみるしかない。
「うん。そう!それ、その感じがいいな」
カメラマンの声の高さが一段階増して、静止させられた。
「そう、背中合わせで」
その単語にぴくりと反応したのは、エリザベス、もとい高杉のほうである。そっと背後を窺い見るが、桂はとくにどうということもなく、素直に指示に従っている。いいんだろうか。まあ桂が気にしないのなら、高杉はかまわないのだが。というかむしろこれは。
かつて得られなかったポジションに、やや胸が高鳴る。白いもののなかにいるのだという事実は、この際どうでもよかった。試し撮りのポラには、さすがにプロでみごとに切り取られた紅葉はいまが盛りと見まごう風情、それを背景に当然、桂と背中合わせのエリザベスが写っている。その白いもののなかみは自分なのだと思うと、妙に背徳めいた悦びさえ湧いてくる。
『このポラ
もらってくぜ いただいていいですか』
思わず掲げた看板に、カメラマンが気軽に頷くのを見て、桂が口許をほころばせた。
「なんだ、エリザベス。そんなものが欲しいのか? あ、すみません。かめらまん殿、もう一枚おなじのをお願いします」
思いがけないことばに、エリザベスのなかで高杉は目を瞠った。
おそろいのツーショット写真だよ、これ。しかも美麗な横顔の桂との。
かつて、なんたらとかいう企画で、高杉自身と撮ったツーショットの桂は、短い髪の端麗な能面でカメラを睨みつけていたものである。もちろん、どうあれその貴重なショットは、高杉のたいせつな本のなかに挟み込んであったが。
これは微笑んでこそいないけれど、紅葉絶佳ななかで白いものと背中合わせに佇む桂の横顔は、このうえもなく美しく。
だが。
一転。ふいに高杉は空しさに襲われた。隠匿の悦びはあるが、これは、桂のこの姿は、自分に見せたものではないのだ。この静謐で艶美なたたずまいも、あくまで、白いものと背中合わせにそこにあるからこその。
戦時には白銀髪のおとこと、なんどとなく対で見せられた、神々しいまでの艶姿。
ひらり。
高杉、ではなくエリぐるみの白い手から、ポラ写真が落ちる。
「どうした、エリザベス。ちゃんとしまっておかなければだめじゃないか」
拾い上げた桂が、やさしい手つきでそれをエリザベスの手に握らせた。
その、感覚はある。あるが、桂の体温は伝わらない。剣に鍛えられた硬い指先の、だがしなやかな感触が、じかに高杉の掌に伝わっては来ない。
なにをしているんだろう、俺は。
「かつら」
エリぐるみのなかで呟いた高杉のことばは、けれど白いカワに吸収されて、桂の耳には届かなかった。
その後も滞りなく撮影は進行し、エリザベスのとなりで、桂は終始ごきげんだった。
撮影半ばまでの浮き立つような気分は凋み、後半、高杉は白いもののなかでカメラマンの指示どおりにうごくばかりで、ただ桂を眺め続けた。あまりに見つめるものだからカメラマンに冷やかされ、桂がはにかんだように苦笑する。
怜悧な黒い双眸が愛しさにゆるむ。
この白いものに好かれることが、そんなにうれしいのか、ちくしょう。
桂の多くは攘夷に捧げられていたし、かつては白い天パや黒もじゃに、このまなざしが分かちあたえられた時期もあった。それでも。この眸が高杉だけを見つめた日々もたしかにあったのだ。
おのれの剣が白いものを横一文字に薙ぎ払い、返す桂の刀がこの身を裂いたときでさえ。いまこの瞬間、その双眸が捉えているのがこの身だけであるということの、あの名状しがたい愉悦と昂揚。
触れられる距離でそば近くに立とうとも、じかに触れあえない、その視界を奪えない。これでは、意味がないのだ、自分には。傍らで、桂をただ眺めていられるのは幸福と云わば云えたが、それだけでは満たされないのだ。
おのれの桂への執着、おのが業(ごう)とも呼べるなにかを、高杉はあらためてつよく自覚させられていた。
撮影後のインタビューは、そのまま寺の奥座敷を借りて行われた。桂のななめうしろに控えて座したエリぐるみの高杉は、蕩々と語られる攘夷穏健派の党首としての桂のことばに耳を傾けながら、おもう。
もはやともに闘うことはない。途は違(たが)ったのだ。白いもののなかで、高杉は静かに瞑目した。
このこころも、このからだも。二度と桂と触れあえはしまい。
とっぷりと日も暮れて。ようやくこの日一日のスケジュールを終え、慰労の食事を振る舞われ、宿坊を兼ねた寺にそのまま泊まる。
ついたてひとつを隔てただけで、白いものと同部屋に同宿するのも厭わないらしい桂は、多忙を縫っての撮影に疲れたのだろう、まもなくすやすやと眠りについた。ついたての向こうから穏やかな寝息が伝わってくる。桂が安らげないときに表出する奇矯ないびきではないことに安堵しながら、高杉の心中は複雑だ。それほどにこの白いものを信頼しているのか。
いっそ、この姿のままで襲ってやろうか。などと不埒なことを考えてみる。
ぶんぶんとかぶりを振って、高杉はエリぐるみのまま敷かれたふとんに潜り込み、掛け布団を引っ被った。
そのときだった。
続 2008.10.04.
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