「天涯の遊子」銀桂篇+土桂篇
銀時と桂と土方と。
竜宮篇以降、モンハン篇よりまえ。
全14回。其の十一。銀時、桂、神楽、新八、土方。
昨夜(ゆうべ)、夜行で出たというのを手掛かりに、駅員を当たって向かった方面のあたりを付ける。桂の故郷(くに)はむろん西だが、土方にとっての目的はそこに辿り着くことではない。ために生じる時間だ。記憶のない桂を連れるなら行き先はどこでもかまわないわけで、そのくせちゃんと西の方へ移動しているらしいのが、土方らしいといわば云えた。
「銀ちゃん!ちゃんとヅラを連れて帰るネ!」
「あとのことは心配要らないですから。万事屋の仕事も僕と神楽ちゃんとで、ちゃんとやっておきますから」
手掛かり掴んだから、ちょっと出てくるわ。
桂の行方を心配しているこどもたちに、いちおうそう告げるだけは告げて、出掛けようとした銀時に、こどもらはそう口を揃えた。
「探して連れ帰るまで、戻ってくんなヨ」
そんなあいつらのことまで忘れているのであろう桂は、いま、どこでなにを考えているのだろう。
夜行の停車駅は多くはないから、ひとつひとつを当たってみる。どう云いくるめて桂を連れ回しているかを考え、桂が自主的に土方との道行きに賛同する可能性に気がついた。持って生まれた性質は、そうそう変わるものじゃない。どうでもいいときはうるさいほどまとわりつくくせに、つらくやっかいなときほど迷惑をかけまいとひとを頼みとしないのは、桂のわるい癖だ。それを土方に把握されていることにも腹が立つ。あのやろう。
ならば、と、桂が好んで立ち寄りそうな場所を重点的に探ることにした。その道中は、土方のほうが手配書の掲げられたような場所はなるべく避けて通るだろうから、おのずと選択肢は狭まる。桂の記憶が戻ることを土方は望んでいない。その覚悟はしていても、失くした記憶を刺激するものをわざわざ見せることはない。
そろそろ桂はいくつくらいになっているだろう。往時を思い出し、銀時は舌を打った。いま世間に土方にあの姿を晒しているのかと思うと、いてもたってもいられなくなる。およそひとともおもわれぬ、天賦の美貌。だがひとの目を惹いてやまぬその容姿が、目撃情報に拠る捜索を容易にした。
背も伸びたろうから、替えの着物が必要になる。そう踏んであたった呉服屋のなかに、当たりを引いた。お城のほうへ向かったようだと、証言を得る。
かくして。
だんだんに狭く急になる階段を登った。観光客がたむろする展望の間を見回して、ついでにそこの窓から一望できる城郭内を見渡す。板間の中央付近からはさらに急な階段が上空に伸びている。まださきがあるのか。ここを登るのはよほどの物好きか城マニアくらいのものだろうと思われた。
だがあいにくと銀時のツレはその物好きの部類である。となれば、たしかめずにはおけない。少し登ると、階上からは幽かな話し声。無意識に銀時は気配を殺していた。
「見ぃつけた」
銀時のその声に、土方は呆然としてこちらを見た。
「そいつ連れて逃げる気なら、お面でも被せとかねーと無理だぜ、多串くん」
ま、それはそれで目立つだろうけど。
そんな軽口をたたきながら、天守への最後の一段をよじ登る。土方は腕のなかに桂を抱いたまま、まだ呆気にとられている。
「万事屋…」
土方が、ようやっとのことで口を利く。
「銀さんでーす」
銀時の巫山戯た口調も、ここまでだった。すぐ目のまえに探し求めた桂の姿がある。
それは。銀時が愛してやまない、けれど時代の酷(むご)さに翻弄されはじめたころの、せつないまでに美しいころの、桂だった。戦がなければ、きっとこんなふうに過ごせていたのだろう穏やかな姿だった。
大好きだった。ただ愛していた。まだその重荷を知るまえの銀時が、この世のだれよりもなによりも求めてやまない存在だった。たいせつだった。そう、たいせつだ。いまも大好きだ。いまも愛している。ただ愛している。
けして口にはしないことばが、脳裡に谺する。痛いほどに駆け巡る。
おのれがこの十日ほどのあいだ、いかに桂を希求していたかを思い知らされて、銀時はその場に立ちつくした。つぎのことばが出ない。
おたがいがことばを失ったかのようで、土方も銀時も、無言で睨み合うかたちになった。土方の腕のなかにいた桂が、銀時を見、土方を見て、おもむろに口を開いた。
「土方。————だれだ。知り合いか?」
そのことばに我に返ったのか、土方が桂の背に回していた腕を解いて、だが代わりに放すまいとするかのように、その手を握った。
おのれのそのときの表情を、銀時は自覚していたろうか。
鋭利な刃物で傷ついたときのように、最初しかっとしただけの痛みは、じわじわとうずき、ゆっくりと血を流す。脳髄と臓腑とこころのどこかが、ちぎれるように痛かった。熱を生む痛みではない、ただ冷えて凍てついていく、そんな痛みだった。
落ち着け。記憶を失くしていることは、わかっていたはずだ。ここにいる桂にとって、いまおのれは、見ず知らずの他人なのだ。
自分に云い聞かせようとしたことばが、ことさらに自身を抉った。
他人。
たにん。
見ず知らずの。
こころのどこかで、会えば桂は自分を思い出すとおもっていた。そう闇雲に信じていた気がした。
「ああ、ちょいとした、知り合いだ」
土方が取った手を放して促すと、桂は、さほどひろくはない天守の展望窓を譲るように身をうごかして、ぺこりと銀時に会釈した。そのまま、いま銀時が上がってきた階段側に回って、帰ろうというしぐさをする。
「ヅラ!」
反射的に手が伸びて、銀時は無意識のままその袖をつかんだ。
「ヅラじゃない、かつらだ」
常套句とともに、だが袖を振り払われた。
そのことばに、土方の表情が強張る。振り払われた現実に、銀時も身を射竦められたようにうごけない。
「…無礼者め」
桂もまた、どこかしらとまどったように、はねのけた銀時の手を見つめていた。
「土方。さきに、ゆくぞ」
まっさきに状況から立ちなおった桂が、そうことばを掛けて、急階段を下りはじめる。しばらくぼんやりとその姿を見送っていた土方は、ややあって周章てたようにそのあとに続いた。その背に、銀時はことばを投げた。
「おめー、わかってんの…」
土方の肩がぴくりと揺れて、脚が止まる。
「…なにをだ」
「わかってんだろう? てめーがいましてることは、手前ぇの首を絞めてるだけだよ?」
展望窓から射し込む陽は、傾きはじめている。
「てめぇには、わからねぇよ。万事屋」
再び階段に脚をかけ、土方は表情を殺して云い捨てた。
「桂とともに生きてきたてめぇには、金輪際、わからねぇ」
ふたりぶんの足音が階下に去っていく。この時間ではもう、ここまで登ってくるものもない。ああ、わからねぇよ。
「わかりたくもないね、俺ぁ」
銀時はひとりごちて、茜に染まった空を見る。てめぇの心中なんざ、知りたくもない。
「おめーだって、わかんねぇだろうがよ」
この俺の、こころのうちなんぞ。
おめぇが羨む、桂とともに過ごした日々は、ただ光り輝いていたわけじゃない。その半分はむしろ地を這い蹲って生きるに等しかった。桂がいるから堪えられた。桂がいるから逃げ出した。そんな懊悩を、てめぇは味わいたいのか。
天守の窓から見下ろせば、城郭の内を、外を、歩む米粒のような人影がいくつも見える。三々五々に散っていく。
ああ、それでも。そんな日々すらも。妬ましいのか。そうなのか。
そうなのかもしれない、と銀時は思った。
いま、桂にとって見ず知らずの他人と成り果てたこの身が、いまこんなにも疎ましいのだから。
陽の翳っていく天守の床で、銀時は膝を抱えて蹲る。
かみさま。かみさま。神さまなんていやしない。
せんせい。せんせい。
俺はいま、ひとりぽっちです。
かみさま、俺からヅラを奪わないでください。
俺の桂を、返してください。
死で引き裂かれるよりもなお、忘れ去られることの恐怖が、身を縛る。
名残の陽射しがしゃがみこんだ白銀髪を一瞬鮮やかな緋(あけ)に染め、ぷつりと音がするような唐突さで、その姿を蒼い闇に沈めた。
階下から、閉場を告げるアナウンスが洩れ聞こえてきた。
* * *
桂がずんずんと先を行く。土方は黙ってそれを追った。
だれだ? 桂にそう問われたときの、銀時の傷ついたこどものような眸が、残って消えない。桂に手を振り払われた刹那の、見る影もなく凍りついたさまが。はねのけた銀時の手を戸惑いを浮かべながらじっと見つめる桂の眼差しが。その桂の、無意識に口を吐いたことばが。
土方の胸にこびりついて、消えなかった。
「土方」
桂がようやく脚をとめて振り返り、きょうの宿所を訊ねてきた。土方は頷いて、そちらを指し示す。今朝方予約を入れたのは、部屋の窓から城の本丸の影を望めるという、ちいさいが近代的な設備の旅籠だった。
こぢんまりとした表帳場(フロント)で受付をすませる。
ふたつ鍵を受け取って、夕食は土方の部屋に用意を頼むことにした。
いつもなら、昼間のことをつれづれに食事のあいまの会話に挟むが、いっぺんにいろんなことがありすぎたきょうは、ことさらなにを話題にしていいのかわからない。銀時の出現はこの夢の終わりが近づいたことを土方に知らしめたが、それより桂の気持ちが気懸かりだった。
四阿での接吻から、桂は土方を受け入れてくれている。あのあとに抱きよせても拒まなかった。銀時をまえにしても、記憶のかけらは疼いても、記憶そのものは戻らなかった。そう。いまは、まだ。
いつまでもこのままでいられるわけはない。桂の姿は早晩もとにもどる。そうなればここに在るのは天下のお尋ねものだ。そのときおのれは、記憶のない桂の手に縄を掛けるのか。
箸置きに箸を戻して、しぐさでごちそうさまの挨拶をする。桂は食後の茶をたのしみながら、備え付けの円卓の下で椅子に座る土方の脚を軽く蹴った。
「!」
密事を感じさせる振る舞いに、驚いた。
「なにを呆けている」
「おめぇこそ、なに考えてた」
「…知り合いだと云ったな」
「……やっぱり、それか」
「おまえが記憶を失くす以前のおれを見知っていたというのは、ほんとうらしいな。あの白いあたまのおとこも、おれを知っているようだったから」
そう云いながら桂は卓のうえの食器をかたすと盆にまとめて、椅子から立った。
「気になるか? …あいつが」
そのさまを土方は目で追う。
「それはそうだろう。おれは自分が何者かも知らないんだぞ。その自分を知っているらしい人間を、気にならないわけがない」
表情の薄いおもてからはなにも読みとれず、桂はそのまま食器を手に部屋を出ようとした。土方は些か周章てて立ち上がり、あとを追う。
「それだけか」
いいようのない妬心に駆られ、開けようとした部屋の扉を押さえつけた。
「…? ほかになにがあるというのだ。てか、なにをする。食器をおけぬではないか」
「…………は?」
桂は手にした盆を土方の眼前に突きだして、睨みつけた。
「るーむさーびすとやらを頼んだあとにはこうして盆ごと部屋のまえの廊下に置いておくといい、と云ったのはおまえではないか、土方」
「あ、……ああ」
気の抜けたような声を返して、土方は出入りを塞ぐように立っていた身を退けた。
「まったく、もう」
桂は怒ったように廊下に盆を下げると、扉口のすぐ脇の手洗い場に入っていく。それを見て土方は、円卓横の寝台に溜息とともに座り込んだ。
「はあぁぁぁぁぁぁ」
膝のあいだに両腕を置き、背を丸めてがっくりと首を落とす。手洗いから顔を覗かせた桂が、その姿をみとめて眉を顰めた。
「なんなのだ。さっきから」
「手前ぇだけの空回りかよ」
我ながら情けない声を出して、そのまま寝台に寝転がる。
「だから、なにが回っているのだ?」
その土方の傍らに腰をおろして、顔を覗き込むように見下ろしてくる。
「天井」
「天井?」
土方の視線につられて、桂がすなおにうえを仰ぎ見る。拍子に目のまえに流れて落ちた、黒い尾っぽを握って引いた。
「こら、なにをす…」
そのままちからを込めて引っ張る。桂は髪を押さえて、そのまま土方のうえに倒れ込んだ。
続 2009.04.30.
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昨夜(ゆうべ)、夜行で出たというのを手掛かりに、駅員を当たって向かった方面のあたりを付ける。桂の故郷(くに)はむろん西だが、土方にとっての目的はそこに辿り着くことではない。ために生じる時間だ。記憶のない桂を連れるなら行き先はどこでもかまわないわけで、そのくせちゃんと西の方へ移動しているらしいのが、土方らしいといわば云えた。
「銀ちゃん!ちゃんとヅラを連れて帰るネ!」
「あとのことは心配要らないですから。万事屋の仕事も僕と神楽ちゃんとで、ちゃんとやっておきますから」
手掛かり掴んだから、ちょっと出てくるわ。
桂の行方を心配しているこどもたちに、いちおうそう告げるだけは告げて、出掛けようとした銀時に、こどもらはそう口を揃えた。
「探して連れ帰るまで、戻ってくんなヨ」
そんなあいつらのことまで忘れているのであろう桂は、いま、どこでなにを考えているのだろう。
夜行の停車駅は多くはないから、ひとつひとつを当たってみる。どう云いくるめて桂を連れ回しているかを考え、桂が自主的に土方との道行きに賛同する可能性に気がついた。持って生まれた性質は、そうそう変わるものじゃない。どうでもいいときはうるさいほどまとわりつくくせに、つらくやっかいなときほど迷惑をかけまいとひとを頼みとしないのは、桂のわるい癖だ。それを土方に把握されていることにも腹が立つ。あのやろう。
ならば、と、桂が好んで立ち寄りそうな場所を重点的に探ることにした。その道中は、土方のほうが手配書の掲げられたような場所はなるべく避けて通るだろうから、おのずと選択肢は狭まる。桂の記憶が戻ることを土方は望んでいない。その覚悟はしていても、失くした記憶を刺激するものをわざわざ見せることはない。
そろそろ桂はいくつくらいになっているだろう。往時を思い出し、銀時は舌を打った。いま世間に土方にあの姿を晒しているのかと思うと、いてもたってもいられなくなる。およそひとともおもわれぬ、天賦の美貌。だがひとの目を惹いてやまぬその容姿が、目撃情報に拠る捜索を容易にした。
背も伸びたろうから、替えの着物が必要になる。そう踏んであたった呉服屋のなかに、当たりを引いた。お城のほうへ向かったようだと、証言を得る。
かくして。
だんだんに狭く急になる階段を登った。観光客がたむろする展望の間を見回して、ついでにそこの窓から一望できる城郭内を見渡す。板間の中央付近からはさらに急な階段が上空に伸びている。まださきがあるのか。ここを登るのはよほどの物好きか城マニアくらいのものだろうと思われた。
だがあいにくと銀時のツレはその物好きの部類である。となれば、たしかめずにはおけない。少し登ると、階上からは幽かな話し声。無意識に銀時は気配を殺していた。
「見ぃつけた」
銀時のその声に、土方は呆然としてこちらを見た。
「そいつ連れて逃げる気なら、お面でも被せとかねーと無理だぜ、多串くん」
ま、それはそれで目立つだろうけど。
そんな軽口をたたきながら、天守への最後の一段をよじ登る。土方は腕のなかに桂を抱いたまま、まだ呆気にとられている。
「万事屋…」
土方が、ようやっとのことで口を利く。
「銀さんでーす」
銀時の巫山戯た口調も、ここまでだった。すぐ目のまえに探し求めた桂の姿がある。
それは。銀時が愛してやまない、けれど時代の酷(むご)さに翻弄されはじめたころの、せつないまでに美しいころの、桂だった。戦がなければ、きっとこんなふうに過ごせていたのだろう穏やかな姿だった。
大好きだった。ただ愛していた。まだその重荷を知るまえの銀時が、この世のだれよりもなによりも求めてやまない存在だった。たいせつだった。そう、たいせつだ。いまも大好きだ。いまも愛している。ただ愛している。
けして口にはしないことばが、脳裡に谺する。痛いほどに駆け巡る。
おのれがこの十日ほどのあいだ、いかに桂を希求していたかを思い知らされて、銀時はその場に立ちつくした。つぎのことばが出ない。
おたがいがことばを失ったかのようで、土方も銀時も、無言で睨み合うかたちになった。土方の腕のなかにいた桂が、銀時を見、土方を見て、おもむろに口を開いた。
「土方。————だれだ。知り合いか?」
そのことばに我に返ったのか、土方が桂の背に回していた腕を解いて、だが代わりに放すまいとするかのように、その手を握った。
おのれのそのときの表情を、銀時は自覚していたろうか。
鋭利な刃物で傷ついたときのように、最初しかっとしただけの痛みは、じわじわとうずき、ゆっくりと血を流す。脳髄と臓腑とこころのどこかが、ちぎれるように痛かった。熱を生む痛みではない、ただ冷えて凍てついていく、そんな痛みだった。
落ち着け。記憶を失くしていることは、わかっていたはずだ。ここにいる桂にとって、いまおのれは、見ず知らずの他人なのだ。
自分に云い聞かせようとしたことばが、ことさらに自身を抉った。
他人。
たにん。
見ず知らずの。
こころのどこかで、会えば桂は自分を思い出すとおもっていた。そう闇雲に信じていた気がした。
「ああ、ちょいとした、知り合いだ」
土方が取った手を放して促すと、桂は、さほどひろくはない天守の展望窓を譲るように身をうごかして、ぺこりと銀時に会釈した。そのまま、いま銀時が上がってきた階段側に回って、帰ろうというしぐさをする。
「ヅラ!」
反射的に手が伸びて、銀時は無意識のままその袖をつかんだ。
「ヅラじゃない、かつらだ」
常套句とともに、だが袖を振り払われた。
そのことばに、土方の表情が強張る。振り払われた現実に、銀時も身を射竦められたようにうごけない。
「…無礼者め」
桂もまた、どこかしらとまどったように、はねのけた銀時の手を見つめていた。
「土方。さきに、ゆくぞ」
まっさきに状況から立ちなおった桂が、そうことばを掛けて、急階段を下りはじめる。しばらくぼんやりとその姿を見送っていた土方は、ややあって周章てたようにそのあとに続いた。その背に、銀時はことばを投げた。
「おめー、わかってんの…」
土方の肩がぴくりと揺れて、脚が止まる。
「…なにをだ」
「わかってんだろう? てめーがいましてることは、手前ぇの首を絞めてるだけだよ?」
展望窓から射し込む陽は、傾きはじめている。
「てめぇには、わからねぇよ。万事屋」
再び階段に脚をかけ、土方は表情を殺して云い捨てた。
「桂とともに生きてきたてめぇには、金輪際、わからねぇ」
ふたりぶんの足音が階下に去っていく。この時間ではもう、ここまで登ってくるものもない。ああ、わからねぇよ。
「わかりたくもないね、俺ぁ」
銀時はひとりごちて、茜に染まった空を見る。てめぇの心中なんざ、知りたくもない。
「おめーだって、わかんねぇだろうがよ」
この俺の、こころのうちなんぞ。
おめぇが羨む、桂とともに過ごした日々は、ただ光り輝いていたわけじゃない。その半分はむしろ地を這い蹲って生きるに等しかった。桂がいるから堪えられた。桂がいるから逃げ出した。そんな懊悩を、てめぇは味わいたいのか。
天守の窓から見下ろせば、城郭の内を、外を、歩む米粒のような人影がいくつも見える。三々五々に散っていく。
ああ、それでも。そんな日々すらも。妬ましいのか。そうなのか。
そうなのかもしれない、と銀時は思った。
いま、桂にとって見ず知らずの他人と成り果てたこの身が、いまこんなにも疎ましいのだから。
陽の翳っていく天守の床で、銀時は膝を抱えて蹲る。
かみさま。かみさま。神さまなんていやしない。
せんせい。せんせい。
俺はいま、ひとりぽっちです。
かみさま、俺からヅラを奪わないでください。
俺の桂を、返してください。
死で引き裂かれるよりもなお、忘れ去られることの恐怖が、身を縛る。
名残の陽射しがしゃがみこんだ白銀髪を一瞬鮮やかな緋(あけ)に染め、ぷつりと音がするような唐突さで、その姿を蒼い闇に沈めた。
階下から、閉場を告げるアナウンスが洩れ聞こえてきた。
* * *
桂がずんずんと先を行く。土方は黙ってそれを追った。
だれだ? 桂にそう問われたときの、銀時の傷ついたこどものような眸が、残って消えない。桂に手を振り払われた刹那の、見る影もなく凍りついたさまが。はねのけた銀時の手を戸惑いを浮かべながらじっと見つめる桂の眼差しが。その桂の、無意識に口を吐いたことばが。
土方の胸にこびりついて、消えなかった。
「土方」
桂がようやく脚をとめて振り返り、きょうの宿所を訊ねてきた。土方は頷いて、そちらを指し示す。今朝方予約を入れたのは、部屋の窓から城の本丸の影を望めるという、ちいさいが近代的な設備の旅籠だった。
こぢんまりとした表帳場(フロント)で受付をすませる。
ふたつ鍵を受け取って、夕食は土方の部屋に用意を頼むことにした。
いつもなら、昼間のことをつれづれに食事のあいまの会話に挟むが、いっぺんにいろんなことがありすぎたきょうは、ことさらなにを話題にしていいのかわからない。銀時の出現はこの夢の終わりが近づいたことを土方に知らしめたが、それより桂の気持ちが気懸かりだった。
四阿での接吻から、桂は土方を受け入れてくれている。あのあとに抱きよせても拒まなかった。銀時をまえにしても、記憶のかけらは疼いても、記憶そのものは戻らなかった。そう。いまは、まだ。
いつまでもこのままでいられるわけはない。桂の姿は早晩もとにもどる。そうなればここに在るのは天下のお尋ねものだ。そのときおのれは、記憶のない桂の手に縄を掛けるのか。
箸置きに箸を戻して、しぐさでごちそうさまの挨拶をする。桂は食後の茶をたのしみながら、備え付けの円卓の下で椅子に座る土方の脚を軽く蹴った。
「!」
密事を感じさせる振る舞いに、驚いた。
「なにを呆けている」
「おめぇこそ、なに考えてた」
「…知り合いだと云ったな」
「……やっぱり、それか」
「おまえが記憶を失くす以前のおれを見知っていたというのは、ほんとうらしいな。あの白いあたまのおとこも、おれを知っているようだったから」
そう云いながら桂は卓のうえの食器をかたすと盆にまとめて、椅子から立った。
「気になるか? …あいつが」
そのさまを土方は目で追う。
「それはそうだろう。おれは自分が何者かも知らないんだぞ。その自分を知っているらしい人間を、気にならないわけがない」
表情の薄いおもてからはなにも読みとれず、桂はそのまま食器を手に部屋を出ようとした。土方は些か周章てて立ち上がり、あとを追う。
「それだけか」
いいようのない妬心に駆られ、開けようとした部屋の扉を押さえつけた。
「…? ほかになにがあるというのだ。てか、なにをする。食器をおけぬではないか」
「…………は?」
桂は手にした盆を土方の眼前に突きだして、睨みつけた。
「るーむさーびすとやらを頼んだあとにはこうして盆ごと部屋のまえの廊下に置いておくといい、と云ったのはおまえではないか、土方」
「あ、……ああ」
気の抜けたような声を返して、土方は出入りを塞ぐように立っていた身を退けた。
「まったく、もう」
桂は怒ったように廊下に盆を下げると、扉口のすぐ脇の手洗い場に入っていく。それを見て土方は、円卓横の寝台に溜息とともに座り込んだ。
「はあぁぁぁぁぁぁ」
膝のあいだに両腕を置き、背を丸めてがっくりと首を落とす。手洗いから顔を覗かせた桂が、その姿をみとめて眉を顰めた。
「なんなのだ。さっきから」
「手前ぇだけの空回りかよ」
我ながら情けない声を出して、そのまま寝台に寝転がる。
「だから、なにが回っているのだ?」
その土方の傍らに腰をおろして、顔を覗き込むように見下ろしてくる。
「天井」
「天井?」
土方の視線につられて、桂がすなおにうえを仰ぎ見る。拍子に目のまえに流れて落ちた、黒い尾っぽを握って引いた。
「こら、なにをす…」
そのままちからを込めて引っ張る。桂は髪を押さえて、そのまま土方のうえに倒れ込んだ。
続 2009.04.30.
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