「天涯の遊子」沖桂篇。終話。
沖田と桂。銀時がちょこっと。
現在の、現時点推移と、回想が時系列で、同時進行。
紅桜以降、動乱篇まえ。
沖田は内密の独行で、桂の潜伏場所となりそうな箇所を洗い出しはじめた。
その一方で。以前に竹林沿いの道で、桂の隠れ家を訪なうところを出くわしたのであろう万事屋の旦那は、きっとそのいくつかを知っている、と沖田は踏んでいた。
聞いたところで無駄なことは自明の理だが、ものは試しと甘味で釣って誘ったファミレスで、水を向けてみる。と、案の定。
「総一郞くん、やめてくんない? ツレはたしかにツレだけどさ。そういうんじゃ、ないから」
この期におよんでしらばっくれる銀時に、沖田はさりげなく爆弾を落とした。
「そういうんでも、どういうんでも、かまいやせんがね。しっかりガードしておかないと、俺みたいな狗に、食われますぜ。旦那」
「狗?」
ぜんざい−−−江戸でいう粒あんのお汁粉−−−に浮かぶ焼き餅にかぶりつきながら、銀時は気のなさそうな目線を上げた。
「掠めてマヨでもぶっかけられた日にゃあ、食いたくても食えなくなりやせんか」
沖田がぜんざいの器を指さして云う。銀時は少しだけ、考えるような間を取った。まあ、そりゃそうだろう。沖田とて、想像の外だったのだから。
「なに、それ。多串くんが?」
ぜんざいを見つめ、半分になった餅を箸でつつきながら、銀時が訝しげに口を開いた。沖田は、手のなかで転がしていた湯呑みの甘酒を、一口啜ると。
「本気、だそうで」
「なにいっちゃってるの? 真選組が」
そう、銀時が目を眇めるのを、しれっとしたことばで煽る。
「障害が多いほど燃えるともいいやすし」
「…………」
鼻白んだ表情で、それきり銀時は、黙々とぜんざいを食べることに集中してしまった。
沖田は確信した。万事屋の旦那なら桂から聞き出しているはずだ。いずれかの隠れ家を、そのどこかで桂と会うために。
そう考えて、だが沖田は当初の目的を捨てた。それはそれで土方を弄るネタになるからいいとして。それならむしろあえてその場所は外したい。どうせなら、ほかのだれも知らない隠れ家がいい。邪魔をされるのはごめんだ。
いつにないまじめさを発揮して職務に励むふりで、沖田はそのひとつを執念で探りあてた。
そして、桂が京から戻ったという情報をつかんだあと。その隠れ家に桂が来る日を辛抱強く待って。夜も明けきらぬ時間を狙い、桂を襲った。常の飛び道具で、ではない。刀だけを携えて、乗り込んだのである。
白いものが、桂を庇ってまえに出た。かまわず斬り伏せようとしたところを、桂が制止した。沖田をではなく、そのペットを。云い含めて、下がらせる。
桂は目顔で沖田を促し、隠れ家の裏手の、空けた荒れ地へ導いた。腰のものを、すらり、抜く。当然、本身だ。沖田の口に笑みがのぼった。
「どうやら、本気で仕合ってくれる気に、なってくれたようですねィ」
桂は、読めぬ表情のまま、静かにかまえた。
「しかたあるまい。子どものわがままに付き合ってやるのも、おとなの了見だ」
ぞくりとしたものが、沖田の背を這った。
「どうにも一度手合わせせねば、気がすまぬのでは、な」
能面のごとく整った桂の顔からことさらに表情が消え、その華奢とも呼べる体躯から、見えないなにかが立ちのぼったかに、見えた。
切り結んだのは、長い時間ではなかった。おそらく勝負は一瞬だったろう。その機を探るのに、時間を費やしただけだ。
沖田は、本気だった。本気で殺り合う気で来ていた。でなければ、桂には勝てない。桂が、自分を子どもと侮って少しでも情けを掛けたなら、そのときはまちがいなく、沖田が勝つ。むろんのこと、そんな勝利など沖田は望んではいなかった。
だから、桂がそうした際にはどこまでも非情になれるおとこだと、身をもって知ったとき。沖田は悦びに打ち震えた。こうでなくては。攻め甲斐も倒し甲斐もない。これでこそ、沖田が追うだけの、価値がある。
気づいたときには、ふとんに寝かされていた。
肩が痛む。腕も足も痛い。だが斬られていたのは、致命の箇所の、いわば、ほんの薄皮一枚だった。その薄皮一枚でぎりぎりとどめて知らしめた、桂の剣の冴えに、おのれの敗北を悟った。
いまはまだ、勝てなかった。まだ。そう、まだなだけだ。いずれは、必ず。
音もなく襖が開いて、桂が手桶に汲んだ湯と手ぬぐいを持って現れた。
「気づいたか」
仰向けに寝かされたままの状態で、沖田は天井の一点を見つめている。
「…負けやしたか。俺ぁ」
「負けたな」
沖田の枕元に、桂が膝をつく。
「きょうのところはそれで満足しろ」
とにもかくにも、望みどおり、仕合ったのだから。
「そうですねィ。そう思うしかないでさぁ」
桂は手ぬぐいを湯に浸し、かたく絞って、沖田の額の汗を押さえた。つい先刻、斬り合ったおとこの手とはおもえない、やわらかなしぐさだった。
「旦那ぁ、不思議なおひとですねィ」
「旦那ではない。不思議なおひとでもない。桂だ」
一点を射抜くように見ていた沖田の眼差しが、ぼんやりと天井を眺めるようなそれに変わった。
「…桂、さんは」
「うむ?」
「なにを期して、つよくなりやした?」
「……」
「国をまもるためですかィ? だいじなだれかを、まもるためですかィ」
聞いてどうなるわけでもない。ただこのおとこを超えるには、自分にはまだ確実に、なにかが足りない。時間ではない。経験ではない。なにかが。
「おまえは?」
沖田の顔を拭った手ぬぐいが静かに湯へと戻され、もういちど、桂の手はそれを絞る。掛け布団をわずかに捲って、頸から胸へと浄めていく。刀傷の手当てはすでになされていたが、気づかぬまに、ひどく寝汗をかいていた。
「俺?…俺ですかィ。俺ぁ、ただ、つよくなりたかった。それだけでさぁ」
幼いころ病身を看病されたときの記憶がよみがえり、沖田は、知らず目を閉じる。拭い終えた桂の手が、やわらかくふとんをもとに直すのを感じていた。
「それで、つよくなったか」
「へい。…て、負けましたけどね。旦那…じゃなかった、桂さんには」
身をうごかすと傷が攣れて痛むので、沖田は開けた目線だけを桂に向ける。
「おれが、つよくなりたかったのは、もっと利己的なものからだ」
いつのまにか沖田も見慣れた、感情を乗せない表情のまま、桂は応えた。
「おのれのおもいを、信念を貫くに必要な、つよさがほしかった」
「おもい、ですかィ」
「いまもそう、希んでいる」
そう云って、手ぬぐいと手桶を枕元から引き取って、桂が立ち上がりかけるのへ。ふと、沖田の口をついてでたのは。
「…桂さん。そいつは、剣のうえでのことだけですかねぇ」
中腰のまま沖田を見おろす姿勢で、桂が小首をかしげた。さらりと音がするようななめらかさで、黒髪が肩をすべる。ああ、きれいだ。と、初めて実感をもって沖田はおもった。
「剣のことを問うているのだろう?」
「それは、そうなんですがねィ」
おそらく自覚していないのだ。そう沖田は感じた。
桂の、得体の知れぬのは、ひととしてのつよさのほどだ。
あの、初めて対峙した桂に、沖田が感じ取ったのは。剣もそれもひっくるめた、その存在のありようの、つよさだったろう。こいつに勝つのは、至難の業だ。だが、勝ちたい。沖田を闇雲に惹きつけたつよさにこそ、勝って、超えたい。
* * *
そうして迎えた、この雪の日の朝。
転々とする桂の隠れ家を探り当てては、折に触れ、桂のもとを襲撃する沖田は、爾来、真剣を抜くことこそなかったが。桂の身柄を狙う日もあれば、ただ顔を見に来るだけの日もあって、桂をして、困惑させた。
この朝、おもむろに、桂は云った。家移りだと。そして、案内するという。いたずらに探られては、自分も周囲も迷惑だ、襲うならその一軒家にいるときだけにしろ。というのが、その云い分だった。
敵に隠れ家を教えるという神経も理解に苦しむが、襲うものへ注文をつけるのもどこか発想がぶっとんでいる。だがそれすらもいまのおのれには、たのしくてしかたがないのだということに、この朝、沖田は気づいてしまった。
かくして、冒頭の仕儀となり。いま、沖田は桂の隠れ家に、招かれている。
どのみちきょうは顔を見に寄るだけの気分の日だったから、これはこれで、目的を果たしているのだ。だから。
「べつに、いいんですけどねィ」
「なにが、いいのだ?」
雪見障子越し、降り積もった雪と、射し込みはじめた陽の照り返しに映える坪庭の、雪白。そんな茶の間で、桂が鍋から椀に雑煮をよそう。ああ、そういえば。旧正月は、いまごろだったか。天人来襲のまえの、暦では。
そんな言祝ぎの日に。
「あんたと、こうしてることでさぁ」
椀から立ちのぼる湯気と、鼻をくすぐる出汁の好い香りが、食欲をそそる。
勧められるままに箸をつけながら、沖田は、奇妙で気まぐれな眩い幸福感のなかにいた。
了 2008.02.03.
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沖田は内密の独行で、桂の潜伏場所となりそうな箇所を洗い出しはじめた。
その一方で。以前に竹林沿いの道で、桂の隠れ家を訪なうところを出くわしたのであろう万事屋の旦那は、きっとそのいくつかを知っている、と沖田は踏んでいた。
聞いたところで無駄なことは自明の理だが、ものは試しと甘味で釣って誘ったファミレスで、水を向けてみる。と、案の定。
「総一郞くん、やめてくんない? ツレはたしかにツレだけどさ。そういうんじゃ、ないから」
この期におよんでしらばっくれる銀時に、沖田はさりげなく爆弾を落とした。
「そういうんでも、どういうんでも、かまいやせんがね。しっかりガードしておかないと、俺みたいな狗に、食われますぜ。旦那」
「狗?」
ぜんざい−−−江戸でいう粒あんのお汁粉−−−に浮かぶ焼き餅にかぶりつきながら、銀時は気のなさそうな目線を上げた。
「掠めてマヨでもぶっかけられた日にゃあ、食いたくても食えなくなりやせんか」
沖田がぜんざいの器を指さして云う。銀時は少しだけ、考えるような間を取った。まあ、そりゃそうだろう。沖田とて、想像の外だったのだから。
「なに、それ。多串くんが?」
ぜんざいを見つめ、半分になった餅を箸でつつきながら、銀時が訝しげに口を開いた。沖田は、手のなかで転がしていた湯呑みの甘酒を、一口啜ると。
「本気、だそうで」
「なにいっちゃってるの? 真選組が」
そう、銀時が目を眇めるのを、しれっとしたことばで煽る。
「障害が多いほど燃えるともいいやすし」
「…………」
鼻白んだ表情で、それきり銀時は、黙々とぜんざいを食べることに集中してしまった。
沖田は確信した。万事屋の旦那なら桂から聞き出しているはずだ。いずれかの隠れ家を、そのどこかで桂と会うために。
そう考えて、だが沖田は当初の目的を捨てた。それはそれで土方を弄るネタになるからいいとして。それならむしろあえてその場所は外したい。どうせなら、ほかのだれも知らない隠れ家がいい。邪魔をされるのはごめんだ。
いつにないまじめさを発揮して職務に励むふりで、沖田はそのひとつを執念で探りあてた。
そして、桂が京から戻ったという情報をつかんだあと。その隠れ家に桂が来る日を辛抱強く待って。夜も明けきらぬ時間を狙い、桂を襲った。常の飛び道具で、ではない。刀だけを携えて、乗り込んだのである。
白いものが、桂を庇ってまえに出た。かまわず斬り伏せようとしたところを、桂が制止した。沖田をではなく、そのペットを。云い含めて、下がらせる。
桂は目顔で沖田を促し、隠れ家の裏手の、空けた荒れ地へ導いた。腰のものを、すらり、抜く。当然、本身だ。沖田の口に笑みがのぼった。
「どうやら、本気で仕合ってくれる気に、なってくれたようですねィ」
桂は、読めぬ表情のまま、静かにかまえた。
「しかたあるまい。子どものわがままに付き合ってやるのも、おとなの了見だ」
ぞくりとしたものが、沖田の背を這った。
「どうにも一度手合わせせねば、気がすまぬのでは、な」
能面のごとく整った桂の顔からことさらに表情が消え、その華奢とも呼べる体躯から、見えないなにかが立ちのぼったかに、見えた。
切り結んだのは、長い時間ではなかった。おそらく勝負は一瞬だったろう。その機を探るのに、時間を費やしただけだ。
沖田は、本気だった。本気で殺り合う気で来ていた。でなければ、桂には勝てない。桂が、自分を子どもと侮って少しでも情けを掛けたなら、そのときはまちがいなく、沖田が勝つ。むろんのこと、そんな勝利など沖田は望んではいなかった。
だから、桂がそうした際にはどこまでも非情になれるおとこだと、身をもって知ったとき。沖田は悦びに打ち震えた。こうでなくては。攻め甲斐も倒し甲斐もない。これでこそ、沖田が追うだけの、価値がある。
気づいたときには、ふとんに寝かされていた。
肩が痛む。腕も足も痛い。だが斬られていたのは、致命の箇所の、いわば、ほんの薄皮一枚だった。その薄皮一枚でぎりぎりとどめて知らしめた、桂の剣の冴えに、おのれの敗北を悟った。
いまはまだ、勝てなかった。まだ。そう、まだなだけだ。いずれは、必ず。
音もなく襖が開いて、桂が手桶に汲んだ湯と手ぬぐいを持って現れた。
「気づいたか」
仰向けに寝かされたままの状態で、沖田は天井の一点を見つめている。
「…負けやしたか。俺ぁ」
「負けたな」
沖田の枕元に、桂が膝をつく。
「きょうのところはそれで満足しろ」
とにもかくにも、望みどおり、仕合ったのだから。
「そうですねィ。そう思うしかないでさぁ」
桂は手ぬぐいを湯に浸し、かたく絞って、沖田の額の汗を押さえた。つい先刻、斬り合ったおとこの手とはおもえない、やわらかなしぐさだった。
「旦那ぁ、不思議なおひとですねィ」
「旦那ではない。不思議なおひとでもない。桂だ」
一点を射抜くように見ていた沖田の眼差しが、ぼんやりと天井を眺めるようなそれに変わった。
「…桂、さんは」
「うむ?」
「なにを期して、つよくなりやした?」
「……」
「国をまもるためですかィ? だいじなだれかを、まもるためですかィ」
聞いてどうなるわけでもない。ただこのおとこを超えるには、自分にはまだ確実に、なにかが足りない。時間ではない。経験ではない。なにかが。
「おまえは?」
沖田の顔を拭った手ぬぐいが静かに湯へと戻され、もういちど、桂の手はそれを絞る。掛け布団をわずかに捲って、頸から胸へと浄めていく。刀傷の手当てはすでになされていたが、気づかぬまに、ひどく寝汗をかいていた。
「俺?…俺ですかィ。俺ぁ、ただ、つよくなりたかった。それだけでさぁ」
幼いころ病身を看病されたときの記憶がよみがえり、沖田は、知らず目を閉じる。拭い終えた桂の手が、やわらかくふとんをもとに直すのを感じていた。
「それで、つよくなったか」
「へい。…て、負けましたけどね。旦那…じゃなかった、桂さんには」
身をうごかすと傷が攣れて痛むので、沖田は開けた目線だけを桂に向ける。
「おれが、つよくなりたかったのは、もっと利己的なものからだ」
いつのまにか沖田も見慣れた、感情を乗せない表情のまま、桂は応えた。
「おのれのおもいを、信念を貫くに必要な、つよさがほしかった」
「おもい、ですかィ」
「いまもそう、希んでいる」
そう云って、手ぬぐいと手桶を枕元から引き取って、桂が立ち上がりかけるのへ。ふと、沖田の口をついてでたのは。
「…桂さん。そいつは、剣のうえでのことだけですかねぇ」
中腰のまま沖田を見おろす姿勢で、桂が小首をかしげた。さらりと音がするようななめらかさで、黒髪が肩をすべる。ああ、きれいだ。と、初めて実感をもって沖田はおもった。
「剣のことを問うているのだろう?」
「それは、そうなんですがねィ」
おそらく自覚していないのだ。そう沖田は感じた。
桂の、得体の知れぬのは、ひととしてのつよさのほどだ。
あの、初めて対峙した桂に、沖田が感じ取ったのは。剣もそれもひっくるめた、その存在のありようの、つよさだったろう。こいつに勝つのは、至難の業だ。だが、勝ちたい。沖田を闇雲に惹きつけたつよさにこそ、勝って、超えたい。
* * *
そうして迎えた、この雪の日の朝。
転々とする桂の隠れ家を探り当てては、折に触れ、桂のもとを襲撃する沖田は、爾来、真剣を抜くことこそなかったが。桂の身柄を狙う日もあれば、ただ顔を見に来るだけの日もあって、桂をして、困惑させた。
この朝、おもむろに、桂は云った。家移りだと。そして、案内するという。いたずらに探られては、自分も周囲も迷惑だ、襲うならその一軒家にいるときだけにしろ。というのが、その云い分だった。
敵に隠れ家を教えるという神経も理解に苦しむが、襲うものへ注文をつけるのもどこか発想がぶっとんでいる。だがそれすらもいまのおのれには、たのしくてしかたがないのだということに、この朝、沖田は気づいてしまった。
かくして、冒頭の仕儀となり。いま、沖田は桂の隠れ家に、招かれている。
どのみちきょうは顔を見に寄るだけの気分の日だったから、これはこれで、目的を果たしているのだ。だから。
「べつに、いいんですけどねィ」
「なにが、いいのだ?」
雪見障子越し、降り積もった雪と、射し込みはじめた陽の照り返しに映える坪庭の、雪白。そんな茶の間で、桂が鍋から椀に雑煮をよそう。ああ、そういえば。旧正月は、いまごろだったか。天人来襲のまえの、暦では。
そんな言祝ぎの日に。
「あんたと、こうしてることでさぁ」
椀から立ちのぼる湯気と、鼻をくすぐる出汁の好い香りが、食欲をそそる。
勧められるままに箸をつけながら、沖田は、奇妙で気まぐれな眩い幸福感のなかにいた。
了 2008.02.03.
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