Armed angel #13 一期と二期の幕間 ニルティエ(ニール不在)
活動再開の数ヶ月前。地上休暇のティエリア、墓参。ライルとニアミス。
前後篇・前篇
烟る雨のなか、黒いスーツに包まれた華奢な背中は振り返らない。
差し掛けられた傘に護られるように、青と白の花束があった。
* * *
地上に降り立って最初に向かったのは、経済特区東京だ。
CBの定点スポット、刹那の隠れ処の在った地域だが、当然のことながらいまは廃棄されている。
裏切り者によりヴェーダが掌握された時点で、CBの活動拠点の情報は敵側に流れているとみてまちがいない。ラグランジュ1で国連軍との戦闘になったのも、その宙域にCBの秘密ドックがあると明かされてしまったからだろう。
それでいくならラグランジュ3が狙われてもおかしくはないはずだったが、その気配はない。なにかべつの思惑がうごいているのか、それとも地上世界を統一するのに忙しく、ラグランジュ1に比せば地球からは遠いラグランジュ3の、壊滅しかけて鳴りを潜めた組織などにかかずらっている暇などないということなのか。
もっとも懸念していたマイスターの個人情報の漏洩がなかったことは、ここに来るまでに試したマイスター四人分の偽IDがいまもふつうに生きていることで確認できた。ティエリアが地上に降りるのには新たに取った偽IDを使用し、そのあと念のためラグランジュ3の基地との交信を絶って、四人すべての偽IDを使いながら移動してみたが問題はなく、ティエリアをひとまず安堵させた。
どうしてかはわからないが、GNドライブのブラックボックスにトランザムシステムを隠したり、それと同時にツインドライブシステムの情報を送ってくるようなイオリアのことだから、ヴェーダに悪意的な介在が認められたとき、マイスターの情報がデリートされるようトラップでも仕掛けていた、というところだろう。
まずここを目的地にとえらんだのは、買いもののためである。
以前ミッションなどで地上滞在中の折に、数えるほどだが物資調達の一環として訪れたことがあったからだ。経済特区だけあって、短時間で効率よく目的のものを揃えられる環境が整っている。
ティエリアは商業エリアの大型ショッピングモールから少し離れた、老舗とおぼしきブティックに足を向けた。流行り廃りとは関係のないものを、きちんと置いてあるような洋品店である。
これから行く場所に必要な衣裳を調達しなければならない。偽IDが生きているのなら紐づけられている口座の電子マネーも有効ということになる。これで支払いの心配もなくなった。もっともそれが使えない場合に備えて、どこかの口座を拝借できるようそれなりの準備はしてきたのだけれど。
入ってきた客をみて、店員が一瞬目を瞠ったのがわかった。ティエリアには珍しくもない反応なので流しておいて、目的のものを探す。
店員のほうも如才なく気持ちのよい挨拶で迎えたあとは、じろじろ見たりはせず押しつけがましく寄ってきたりもしない。たださりげなく目を配り、ティエリアが探しているものに見当を付けてそちらへ案内してきたあたり、上質な接客といえようか。
もっともティエリア自身はこうした買いものに慣れているわけもないから、こうした知識のでどころはもっぱら買いもの好きだったクリスティナ・シエラであり、それをロックオン経由で仕入れたに過ぎなかったのだが。
「おまえさんくらい美人だったら、店員もえらび甲斐があるだろうぜ。欲しいものがあるのに迷ったんなら、遠慮なく試着させてもらえって」
「えー? なに。ロックオン。まさか、ティエリアとお買いもの?」
「こんどミッションでいっしょに地上に降りるんでな、みんなのぶんの買い出しだ」
「あっ、そうだった! メモメモ。メモするからあたしのぶんもお使いお願いね」
「降りるのは三十八時間後だ。それまでにリストアップしておいてくれよ」
「うんうん。でもティエリアはほんと、お洋服で化けると思うな。いつも淡色のカーディガンとパンツだもの。たまにはちがった雰囲気のも着てみたらいいのに、ね? ロックオンもそう思わない?」
ティエリア自身はあまり着るものにこだわりがなく、どちらかといえば私服はゆったりとした感じのものを好む、というくらいの基準しかなかったから、その後なぜか『ティエリアになにを着せたいか』で勝手に盛りあがったロックオンとクリスティナ・シエラには、辟易とさせられたことがある。
そのふたりともがもうこの世にはいないのだ。
と、いまさらのように込み上げてきた感覚にティエリアは戸惑った。これが感傷というものか。ティエリアはそれを振り払うようにちいさく首を振った。
云われたことを思いだし、店員に見立てを依頼する。喪のためのスーツだと伝えると、ノーブルで仕立てのよいものを一式、革靴まで調えてくれた。
それに着替えてティエリアは、エアポートからダブリンへと飛んだ。
ダブリンのエアポート構内モールの生花店で花束を買い調える。
青紫に純白という抑えた清冽な配色にその意図を察したのだろう、きょうは傘を持って行かれたほうがいいですよ、と親切な店員のその助言に従い、黒の長傘も調達する。
空港口の乗り場で自動制御の無人タクシーを拾い、郊外のセメタリーへと走らせた。
後部座席から流れる車窓を眺める。あのときとは季節はちがうが、やはり空には雲が多い。花屋の店員が云っていたように、午後には崩れるのかもしれない。やがて見覚えのある丘陵地が迫ってきた。
シャムロックの群生を越え、高い木立といくつもの石碑が見え始めたあたりの脇道で、タクシーを止める。これを逃すと帰路の手段がなくなるから、そのまま待機を選択して、傘と花束を手に降り立った。
あのときとおなじように、ここからは歩く。
ロックオン・ストラトスの、ニール・ディランディの、家族がここに埋まって、…眠っている。
記憶を頼りに丘の坂道を登る。風が吹き抜ける。
「…少し、寒いな」
風に雨粒が混じりだした。
ティエリアは花束を散らさぬよう気を遣いながら、慣れぬしぐさで傘を開いた。宇宙(そら)に傘など必要ないから、初めて見たときはその用途も使い方もよくわからなかった。それを笑顔で教えてくれたのもロックオンだ。
十字に戴く円環、立石、大理石のアーチ。目指すセメタリーの立ち並ぶ石碑が全容を表してきて、ティエリアはいったんそこで脚を止めた。
無意識に息を整える。あのときとはちがう緊張がそこにはあった。
ケルト十字の象られた墓石のまえで、ティエリアはじっとそのハイクロスを眺めている。慈しむようにそれを撫でた革手袋の手が甦る。
少しずつ視線を落として、その下の墓石に刻まれた文字を目で追った。風雨に打たれて少し角の取れた三つのなまえの下に、まだ綴りの篆刻も鮮やかな、それ。
「…ニール・ディランディ」
宇宙(そら)に散った、あなたのからだはここにはない。それでもあなたの魂はここに来ることがあるだろうか。
「地獄などではなく、愛する家族のもとへ辿り着けているといいのだが…」
そう呟いて、かぶりを振った。
「…いや、嘘だな。ほんとうはまだやっぱり、地獄の入口であなたに待っていて欲しい。まだしばらくは…あなたをひとりにしてしまうけれど」
ティエリアは膝を落とし花束を供えると、上から順に三人の彼の家族の名を呼んだ。それからここにはない、もうひとりの名を。
「…あなたがたのご子息を、きみたちの兄さんを、ぼくは護れなかった。…謝罪のことばもありません」
こうべを垂れて瞑目する。
そうしてしばらく置いてから、ティエリアはその細い指先で、まだ新しい名をなぞった。
「…ニール」
愛しさに震える声でその名を呼ぶ。
「あなたの希んだ世界の変革を…そのために為すべきことを、ぼくはする」
刻まれた名を幾度も繰り返しやさしく撫でた。
指先の熱に墓石の名がほんのり温まるかにみえたころ、ようやくティエリアは思いきるように立ち上がった。
「それを果たすまで、ぼくはもうここには来ない。だから…これが最後になるかもしれないが…」
忘れないで。
「ぼくは、あなたが大好きだ。あなたを愛している。あなたが勝手に逝くまえにそれを伝えられたことだけが、いまのぼくの救いです」
そしてあなたから教わったことが、いまのこの身を支えている。
「いつか会えたときには、そのときには…、一発殴ってさしあげる」
あなたは愚かだと。
無意識のままに、せつなくそれでいてやわらかな笑みがティエリアのおもてに浮かんだ。
…そのあとには、百万遍のキスを。
「その日まで、ぼくを導いてくれ。ロックオン」
「ああ、そうだ」
花束が濡れぬようにと黒い雨傘を墓前に差し掛けて、ティエリアはもういちどハイクロスを見つめ、ニールにひとこと語りかける。
「 」
そうして、その場をあとにした。
* * *
烟る雨のなか、黒いスーツに包まれた華奢な背は、いちども振り返らなかった。
意図したわけではなかったが、結果として覗き見するかたちになった。だがこの日に、墓前にまったく見知らぬ姿があったら、訝るのがふつうだろう。
ライル・ディランディは手にした白い花束を、傘に護られるように置かれた青と白の花束のとなりに供えた。
続 2011.11.10.
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烟る雨のなか、黒いスーツに包まれた華奢な背中は振り返らない。
差し掛けられた傘に護られるように、青と白の花束があった。
* * *
地上に降り立って最初に向かったのは、経済特区東京だ。
CBの定点スポット、刹那の隠れ処の在った地域だが、当然のことながらいまは廃棄されている。
裏切り者によりヴェーダが掌握された時点で、CBの活動拠点の情報は敵側に流れているとみてまちがいない。ラグランジュ1で国連軍との戦闘になったのも、その宙域にCBの秘密ドックがあると明かされてしまったからだろう。
それでいくならラグランジュ3が狙われてもおかしくはないはずだったが、その気配はない。なにかべつの思惑がうごいているのか、それとも地上世界を統一するのに忙しく、ラグランジュ1に比せば地球からは遠いラグランジュ3の、壊滅しかけて鳴りを潜めた組織などにかかずらっている暇などないということなのか。
もっとも懸念していたマイスターの個人情報の漏洩がなかったことは、ここに来るまでに試したマイスター四人分の偽IDがいまもふつうに生きていることで確認できた。ティエリアが地上に降りるのには新たに取った偽IDを使用し、そのあと念のためラグランジュ3の基地との交信を絶って、四人すべての偽IDを使いながら移動してみたが問題はなく、ティエリアをひとまず安堵させた。
どうしてかはわからないが、GNドライブのブラックボックスにトランザムシステムを隠したり、それと同時にツインドライブシステムの情報を送ってくるようなイオリアのことだから、ヴェーダに悪意的な介在が認められたとき、マイスターの情報がデリートされるようトラップでも仕掛けていた、というところだろう。
まずここを目的地にとえらんだのは、買いもののためである。
以前ミッションなどで地上滞在中の折に、数えるほどだが物資調達の一環として訪れたことがあったからだ。経済特区だけあって、短時間で効率よく目的のものを揃えられる環境が整っている。
ティエリアは商業エリアの大型ショッピングモールから少し離れた、老舗とおぼしきブティックに足を向けた。流行り廃りとは関係のないものを、きちんと置いてあるような洋品店である。
これから行く場所に必要な衣裳を調達しなければならない。偽IDが生きているのなら紐づけられている口座の電子マネーも有効ということになる。これで支払いの心配もなくなった。もっともそれが使えない場合に備えて、どこかの口座を拝借できるようそれなりの準備はしてきたのだけれど。
入ってきた客をみて、店員が一瞬目を瞠ったのがわかった。ティエリアには珍しくもない反応なので流しておいて、目的のものを探す。
店員のほうも如才なく気持ちのよい挨拶で迎えたあとは、じろじろ見たりはせず押しつけがましく寄ってきたりもしない。たださりげなく目を配り、ティエリアが探しているものに見当を付けてそちらへ案内してきたあたり、上質な接客といえようか。
もっともティエリア自身はこうした買いものに慣れているわけもないから、こうした知識のでどころはもっぱら買いもの好きだったクリスティナ・シエラであり、それをロックオン経由で仕入れたに過ぎなかったのだが。
「おまえさんくらい美人だったら、店員もえらび甲斐があるだろうぜ。欲しいものがあるのに迷ったんなら、遠慮なく試着させてもらえって」
「えー? なに。ロックオン。まさか、ティエリアとお買いもの?」
「こんどミッションでいっしょに地上に降りるんでな、みんなのぶんの買い出しだ」
「あっ、そうだった! メモメモ。メモするからあたしのぶんもお使いお願いね」
「降りるのは三十八時間後だ。それまでにリストアップしておいてくれよ」
「うんうん。でもティエリアはほんと、お洋服で化けると思うな。いつも淡色のカーディガンとパンツだもの。たまにはちがった雰囲気のも着てみたらいいのに、ね? ロックオンもそう思わない?」
ティエリア自身はあまり着るものにこだわりがなく、どちらかといえば私服はゆったりとした感じのものを好む、というくらいの基準しかなかったから、その後なぜか『ティエリアになにを着せたいか』で勝手に盛りあがったロックオンとクリスティナ・シエラには、辟易とさせられたことがある。
そのふたりともがもうこの世にはいないのだ。
と、いまさらのように込み上げてきた感覚にティエリアは戸惑った。これが感傷というものか。ティエリアはそれを振り払うようにちいさく首を振った。
云われたことを思いだし、店員に見立てを依頼する。喪のためのスーツだと伝えると、ノーブルで仕立てのよいものを一式、革靴まで調えてくれた。
それに着替えてティエリアは、エアポートからダブリンへと飛んだ。
ダブリンのエアポート構内モールの生花店で花束を買い調える。
青紫に純白という抑えた清冽な配色にその意図を察したのだろう、きょうは傘を持って行かれたほうがいいですよ、と親切な店員のその助言に従い、黒の長傘も調達する。
空港口の乗り場で自動制御の無人タクシーを拾い、郊外のセメタリーへと走らせた。
後部座席から流れる車窓を眺める。あのときとは季節はちがうが、やはり空には雲が多い。花屋の店員が云っていたように、午後には崩れるのかもしれない。やがて見覚えのある丘陵地が迫ってきた。
シャムロックの群生を越え、高い木立といくつもの石碑が見え始めたあたりの脇道で、タクシーを止める。これを逃すと帰路の手段がなくなるから、そのまま待機を選択して、傘と花束を手に降り立った。
あのときとおなじように、ここからは歩く。
ロックオン・ストラトスの、ニール・ディランディの、家族がここに埋まって、…眠っている。
記憶を頼りに丘の坂道を登る。風が吹き抜ける。
「…少し、寒いな」
風に雨粒が混じりだした。
ティエリアは花束を散らさぬよう気を遣いながら、慣れぬしぐさで傘を開いた。宇宙(そら)に傘など必要ないから、初めて見たときはその用途も使い方もよくわからなかった。それを笑顔で教えてくれたのもロックオンだ。
十字に戴く円環、立石、大理石のアーチ。目指すセメタリーの立ち並ぶ石碑が全容を表してきて、ティエリアはいったんそこで脚を止めた。
無意識に息を整える。あのときとはちがう緊張がそこにはあった。
ケルト十字の象られた墓石のまえで、ティエリアはじっとそのハイクロスを眺めている。慈しむようにそれを撫でた革手袋の手が甦る。
少しずつ視線を落として、その下の墓石に刻まれた文字を目で追った。風雨に打たれて少し角の取れた三つのなまえの下に、まだ綴りの篆刻も鮮やかな、それ。
「…ニール・ディランディ」
宇宙(そら)に散った、あなたのからだはここにはない。それでもあなたの魂はここに来ることがあるだろうか。
「地獄などではなく、愛する家族のもとへ辿り着けているといいのだが…」
そう呟いて、かぶりを振った。
「…いや、嘘だな。ほんとうはまだやっぱり、地獄の入口であなたに待っていて欲しい。まだしばらくは…あなたをひとりにしてしまうけれど」
ティエリアは膝を落とし花束を供えると、上から順に三人の彼の家族の名を呼んだ。それからここにはない、もうひとりの名を。
「…あなたがたのご子息を、きみたちの兄さんを、ぼくは護れなかった。…謝罪のことばもありません」
こうべを垂れて瞑目する。
そうしてしばらく置いてから、ティエリアはその細い指先で、まだ新しい名をなぞった。
「…ニール」
愛しさに震える声でその名を呼ぶ。
「あなたの希んだ世界の変革を…そのために為すべきことを、ぼくはする」
刻まれた名を幾度も繰り返しやさしく撫でた。
指先の熱に墓石の名がほんのり温まるかにみえたころ、ようやくティエリアは思いきるように立ち上がった。
「それを果たすまで、ぼくはもうここには来ない。だから…これが最後になるかもしれないが…」
忘れないで。
「ぼくは、あなたが大好きだ。あなたを愛している。あなたが勝手に逝くまえにそれを伝えられたことだけが、いまのぼくの救いです」
そしてあなたから教わったことが、いまのこの身を支えている。
「いつか会えたときには、そのときには…、一発殴ってさしあげる」
あなたは愚かだと。
無意識のままに、せつなくそれでいてやわらかな笑みがティエリアのおもてに浮かんだ。
…そのあとには、百万遍のキスを。
「その日まで、ぼくを導いてくれ。ロックオン」
「ああ、そうだ」
花束が濡れぬようにと黒い雨傘を墓前に差し掛けて、ティエリアはもういちどハイクロスを見つめ、ニールにひとこと語りかける。
「 」
そうして、その場をあとにした。
* * *
烟る雨のなか、黒いスーツに包まれた華奢な背は、いちども振り返らなかった。
意図したわけではなかったが、結果として覗き見するかたちになった。だがこの日に、墓前にまったく見知らぬ姿があったら、訝るのがふつうだろう。
ライル・ディランディは手にした白い花束を、傘に護られるように置かれた青と白の花束のとなりに供えた。
続 2011.11.10.
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