銀時と桂。年越し小話。
連作番外でもいいけど、もとはリク用に書き始めたものだったのでこちらに。
前年の年跨ぎにまにあわず、一年越しで完結を見た…。
大晦日の午前中にまでずれこんだ年末の大掃除をなんとかかたづけて、遅めの昼食兼早めの夕食を年越しそばで納めた。新八は志村の家のほうの年越し準備もあるから、早々に恒道館へと帰らねばならない。
「銀ちゃん、ヅラは今夜来ないアルか」
せめても奮発した海老の天麩羅を尻尾まで噛み砕きながら神楽が問う。
「ああ?なんでヅラが来るのよ」
「大晦日はおこたにみかんで歌合戦を見て、ゆく年くる年で除夜の鐘を聞いてから、初詣に繰り出すのがにっぽんじんの年越しネ。それでおとなはこどもにお年玉を渡すのがおつとめアル」
「てめーはにっぽんじんじゃねーだろが。だいちうちにお年玉なんていう悠長な風習はありませんー」
「だからヨー。銀ちゃんには期待してないネ。ヅラは来ないアルか」
「万年バイトに明け暮れてる攘夷志士に、おめーお年玉なんざ期待してんの」
天麩羅蕎麦の丼のつゆまで飲み干して、ごちそうさまと手を合わす。
「ヅラのほうがまだしも甲斐性があるダロ。部下はリーダーに貢ぐものネ」
口でどう云おうと神楽が待っているのはお年玉だけではないことは、銀時にもわかりきっている。桂がなにがしか持参して年始の挨拶に訪れることはあるだろうから、お年玉もそのときにもらえばよい。なのに大晦日の晩からの来訪を希むのは、みなで年を越す、という一家団欒的な行事をともに過ごしたいからだ。
ヅラが来ないのなら万事屋ではもうこれ以上のごちそうは望めないからと、神楽はお妙の招きもあって新八とともに恒道館へと向かった。そこでまた年越しの鍋だのをつついて、そのまま揃って初詣に繰り出すのだという。
「正月の朝からたまごかけごはんはごめんアル。やっぱりお節にお雑煮ネ」
と云い残したからには、初詣帰りは志村家に泊まり込む算段だ。
師走も押し迫ると万事屋的には書き入れ時で、その忙しさにかまけて正月用の餅つきもできず、せっかくの現金収入も貯め込んだ家賃とツケの支払いで露と消えて、伊勢海老や尾頭付きの並んだ豪勢なお節料理など夢のまた夢とあっては無理もない。志村家であればまだしもましなものが拝めるはずである。あの姉のかわいそうな手作り料理ではなく、スナックすまいるの上客からせしめたであろうものが。
銀さんも、と招かれて同道しなかったのは、いまにも雪が舞いそうな寒空のなかをわざわざ出かける気になれなかったからだ。実際のところ、正月早々ひとさまの一家団欒にお邪魔したくなかったせいもある。もっとも本音の理由はそれだけではなかったが。
万事屋にひとり残った銀時は、結野アナの正月三が日のお天気予報を見ながらごろ寝を決め込んで、綿入れ袢纏に甚兵衛姿の腹に手を突っ込んでぽりぽりと掻いている。あと数時間で今年も終わる。ちらりと壁の時計を見てわざとらしい咳払いをひとつ、銀時は今年も変わることのなかったくるくる天パの白銀髪を掻きながら身を起こした。
ああは云ったが、年越しに静かすぎるのもなんだかな。あの、鬱陶しい莫迦の顔でも見にいくか。
「いやいや、ちがいますよ。そのために断ったわけじゃないからね」
だれに聞こえるでもないいいわけをして、いつもの一張羅に着替えてからまた綿入れ袢纏を着込み、毛糸の帽子に襟巻きに手袋にマスクという完全防備の出で立ちで、玄関戸を閉て切った。
商店街も今年最後の買い物客を吐き出すころあいだ。街は家路を急ぐ人々でまだ少し忙しない。真選組の歳末特別警戒態勢は、ほどなく大晦日の初詣客の警備に取って代わるのだろう。その狭間にあってどことなく気の抜けた空気が漂っている。
師走の町並みに呑気にベスパを走らせながら、銀時は見るともなしに灯りの残る閉店間際のスーパーを眺めた。信号待ちのあいだに思案したのは、いま懐にあるなけなしの現金で果たしてどれだけのものが買えるだろう、といういささか情けない心積もりだった。
「この時間なら、生鮮食料品は値引きしてんな。ま、残ってればだけど」
年越しくらいは隠れ処でおとなしくしているだろう。配下のものも各々実家があるから、いまごろは白ペンギンと年越しそばでも食っているのかもしれない。むかしから節気の祝い事はつとめて欠かさぬほうだから、ふつうなら正月の準備も滞りなかろうが。常日頃から追われる身では、それもいまはままならぬことのほうが多いのだ。
「銀時ではないか」
手持ちの金で買えるだけ買った食材をつめ込んだエコバッグを積み、ベスパにまたがろうとした銀時を耳に馴染んだ声が呼び止めた。
「こんな押し迫った刻限にあわてて買いものか。計画性のないやつだ。まあ、れじ袋ではなくえこばっぐなのは感心だが」
これから訪ねようとした先にあるはずの顔を歩道に見つけて、いささか面食らう。
「レジ袋が有料化されてからこっち、ぱっつぁんがうるせーんだよ。おめーこそこんな暮れになにしてんだ、そんななりで」
「べつにふだんどおりの姿だが?」
たしかにいつもの袷羽織に外套と襟巻き姿はいたってふつうである。尋常でないのは手にしていた布袋のでかさだった。というか背負っていたというほうが正しい。
「いまごろサンタさんですかこの野郎。遅刻にもほどがあらぁ」
「黒須三太さんではない。桂だ。いや、もちをな。昼間に大量にいただいてしまったので、おれひとりでは食いきれぬし。万事屋におすそわけに伺うところだったのだ。ちょうどよかった」
「よくねーよ。いまいってもだれもいねーぞ。神楽なら新八んち」
「む。リーダーは不在か。それは残念。いやしかし、もちは保存が利くから、持って帰れ、銀時」
保存が利くならてめーで食えばいいものを。わざわざ大晦日のこんな時刻に届けに来るなど、万事屋の正月の台所事情を慮ってのこととしか思えない。
「てか、てめーひとりって、なによ。あの白いのがいんだろう」
「白いのではない。エリザベスなら年越しは彼女と一家団欒だ。松の内くらいゆっくりしてこいと、あいにく今朝方送り出したばかりでな」
「…ばかか、てめーは」
思わず吐き出したことばは、溜め息まじりだった。
そうして自分はひとりきりで過ごす気だったのか、と問いたくなって、やめた。万事屋に餅を届ける気遣いはあっても、そこでおのれが過ごそうとはまず考えないのがこいつなのだ。銀時が志村家にするような遠慮を、こいつがまだ万事屋に抱いているのだとしたら、いいかげんわかれと怒鳴りたくもなる。
そこで怒鳴れないのは、銀時自身にも躊躇いがあるからだった。攘夷をともにできぬ以上、桂があと一歩万事屋に踏み込めないのは道理で、そのあたりを曖昧に濁しているのは、云うまでもなくおのれのほうだろう。いや、桂とてわかっていながら頻繁に万事屋に顔を出すのだから、おたがいさまなのかもしれなかったが。
「おら、その餅袋のついでにおまえも乗っけてやるから、これも持ってな」
後部座席に積んでいたエコバッグを押しつけて、前後に大荷物を抱えた桂をそこへ押し込み、自分のしていたヘルメットを被せて、銀時はアクセルを噴かした。
かぶき町を裏街道へと回る。
荷物を抱えて銀時のベルトに捕まる桂の手が、くいと銀時をひっぱった。
「銀時。方向がちがう」
「いいんだよ」
それで通じたのかどうか、桂は、そうか、とだけ頷いて、そのまま荷物越しに銀時の腰に回した腕にちからを込めた。
ベスパを止めたのは、大江戸温泉なるなまえだけは立派な木賃宿である。
「この時期に部屋があるのか?」
荷物を抱えて見あげた宿屋の看板に、桂は小首を傾げた。
「この時期にあらかじめ予約を取るような客は、ちゃんとメシの出る高級旅籠に泊まるもんだ」
木賃宿では自炊が前提である。せっかくの晴の正月に好きこのんで泊まる宿では、たしかにない。
「もっとも今日日の木賃宿てなぁピンキリで、ウィークリーマンションと謳って家財道具一式揃ってるところもあれば、連れ込み茶屋と変わらねぇとこまであるけどな」
「ふむ。で、ここはどちらなのだ? 温泉は入り放題と聞いているが」
「ま、その中間ってとこ? てか、おめーも知ってんじゃん」
いささか意地の悪い表情で先に暖簾をくぐった銀時は、表帳場の親爺に声を掛けた。
だし巻きたまごを焼き田作りを煎り煮して、紅白のかまぼこも切って並べて、黒豆は豆をつけおく時間がないから出来合の総菜だ。ほんとは手前ぇでつくったほうがうまいし安いんだけどな。と銀時は思う。昆布締めや栗きんとんも欲しかったところだが、いかんせん材料費に限りがあった。さいわいもち菜は手に入ったから朝に雑煮でもつくれば正月の体裁は調うだろう。
それでも桂はうれしそうに顔をほころばせる。
「あいかわらず器用だな、銀時」
育ての親で師の松陽も料理を巧みにするようなひとではなかったから、銀時が覚えざるをえなかったのだ。だからごく幼い時分はともかく後年の吉田家で振る舞われたお節料理は、そのほとんどが銀時の手によるものだった。桂は家の嫡子として新年の挨拶にきて、そのお相伴にあずかることもよくあったから舌が記憶しているはずだ。
「うん。懐かしい味だ」
六畳間の和室にこたつの角を挟んで座る。味見をすませたら、あとは年を越してからだ。銀時はそのまま食べようとしたが、無駄に生真面目な桂がそれをよしとしなかった。
「お節は元旦にいただくものだ」
と云って譲らない。元旦とは正月元日の朝を指す。やれやれ夜が明けるまではおあずけか。しかたがないから餅だけ焼いて、それを肴にあとは燗酒をちびりちびりとやることにする。
テレビでは年越しの番組を各局が競い合っている。桂がその音量を絞った。
「なんだよ」
「音」
「あん?」
「除夜の鐘だ」
耳を澄ませば遠くたしかに鳴っている。なんとはなしに厳かに聞こえるから不思議なものだ。
「煩悩を祓うねー」
こたつの天板に顎を乗せただらしのない姿勢で、銀時は呟いた。
「なかなか、祓えぬのが煩悩だな」
淡々と返す桂に、銀時はいささか呆れ顔だ。桂ですら煩悩を祓えないなら、そこいらの人間など煩悩のかたまりどころか煩悩だけで構成されているようなものではないか。銀時もまた、然りである。
「そうだなぁ。白くてふわふわとか肉球とか、てめーは好きすぎるよな」
「貴様の甘味ほどではないぞ」
「俺は甘味を求めてサファリパークにチャリで行ったりしませんー」
「あたりまえだ。甘味ならばお菓子の国を目指すのが妥当だろう」
大まじめに巫山戯たことを抜かす顔はそれでもやっぱりきれいで、年越しの酒にほんのり染まった目もとや首筋は色っぽく、銀時の煩悩を絵に描けばこうなるだろう、という姿そのものだ。
こたつのなかの足を足でつつくと、桂が苦笑した。
「ほら。ここにも煩悩を掻き立てるものがある」
「ふうん。おめーの煩悩には俺も入るの」
てか、入れてくれるの。
「でなければこんな年の瀬に貴様とふたりでこんなところにはおらぬわ」
「そーかい」
無駄におとこまえに、きっぱりと桂は云いきる。
およそ煩悩とは縁遠い顔をして、でもこの静謐なおもてが快楽に酔うさまをたしかに銀時は知っている。
「よいのか銀時。このままここで年を越しても」
「ここで越したいんですー」
どこでもよかったんだ。おまえがいる場所なら。
煩悩は祓われたさきからまた、泉のごとく湧き出すのだろうけれど。こうして年を跨ぎ、かさねる歳月に意味があるとすれば、それは。このとなりにいる存在を変わらずに欠かさずに感じられることにこそあった。
こたつの角を挟んで伸ばされた腕が、長い黒髪を梳くようにして引き寄せる。啄むようにかさねた口唇は、たがいに酒精を宿している。
銀時の愛して止まない黒絹がゆるやかに靡いて、やがて、古びた畳にふわりと落ちた。
百八つめの音(ね)が新たな年の来訪を告げる。
あけましておめでとう。そうどちらからともなく耳もとで囁きあって。
甘く潤んだ桂の吐息が、銀時の喉を潤してゆく。
そう。お節は元旦に食うものだ。
だから初日の出を拝むまでのあいま、こうしてたがいを味わっているほかないじゃないか。
了 2010.12.31.
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大晦日の午前中にまでずれこんだ年末の大掃除をなんとかかたづけて、遅めの昼食兼早めの夕食を年越しそばで納めた。新八は志村の家のほうの年越し準備もあるから、早々に恒道館へと帰らねばならない。
「銀ちゃん、ヅラは今夜来ないアルか」
せめても奮発した海老の天麩羅を尻尾まで噛み砕きながら神楽が問う。
「ああ?なんでヅラが来るのよ」
「大晦日はおこたにみかんで歌合戦を見て、ゆく年くる年で除夜の鐘を聞いてから、初詣に繰り出すのがにっぽんじんの年越しネ。それでおとなはこどもにお年玉を渡すのがおつとめアル」
「てめーはにっぽんじんじゃねーだろが。だいちうちにお年玉なんていう悠長な風習はありませんー」
「だからヨー。銀ちゃんには期待してないネ。ヅラは来ないアルか」
「万年バイトに明け暮れてる攘夷志士に、おめーお年玉なんざ期待してんの」
天麩羅蕎麦の丼のつゆまで飲み干して、ごちそうさまと手を合わす。
「ヅラのほうがまだしも甲斐性があるダロ。部下はリーダーに貢ぐものネ」
口でどう云おうと神楽が待っているのはお年玉だけではないことは、銀時にもわかりきっている。桂がなにがしか持参して年始の挨拶に訪れることはあるだろうから、お年玉もそのときにもらえばよい。なのに大晦日の晩からの来訪を希むのは、みなで年を越す、という一家団欒的な行事をともに過ごしたいからだ。
ヅラが来ないのなら万事屋ではもうこれ以上のごちそうは望めないからと、神楽はお妙の招きもあって新八とともに恒道館へと向かった。そこでまた年越しの鍋だのをつついて、そのまま揃って初詣に繰り出すのだという。
「正月の朝からたまごかけごはんはごめんアル。やっぱりお節にお雑煮ネ」
と云い残したからには、初詣帰りは志村家に泊まり込む算段だ。
師走も押し迫ると万事屋的には書き入れ時で、その忙しさにかまけて正月用の餅つきもできず、せっかくの現金収入も貯め込んだ家賃とツケの支払いで露と消えて、伊勢海老や尾頭付きの並んだ豪勢なお節料理など夢のまた夢とあっては無理もない。志村家であればまだしもましなものが拝めるはずである。あの姉のかわいそうな手作り料理ではなく、スナックすまいるの上客からせしめたであろうものが。
銀さんも、と招かれて同道しなかったのは、いまにも雪が舞いそうな寒空のなかをわざわざ出かける気になれなかったからだ。実際のところ、正月早々ひとさまの一家団欒にお邪魔したくなかったせいもある。もっとも本音の理由はそれだけではなかったが。
万事屋にひとり残った銀時は、結野アナの正月三が日のお天気予報を見ながらごろ寝を決め込んで、綿入れ袢纏に甚兵衛姿の腹に手を突っ込んでぽりぽりと掻いている。あと数時間で今年も終わる。ちらりと壁の時計を見てわざとらしい咳払いをひとつ、銀時は今年も変わることのなかったくるくる天パの白銀髪を掻きながら身を起こした。
ああは云ったが、年越しに静かすぎるのもなんだかな。あの、鬱陶しい莫迦の顔でも見にいくか。
「いやいや、ちがいますよ。そのために断ったわけじゃないからね」
だれに聞こえるでもないいいわけをして、いつもの一張羅に着替えてからまた綿入れ袢纏を着込み、毛糸の帽子に襟巻きに手袋にマスクという完全防備の出で立ちで、玄関戸を閉て切った。
商店街も今年最後の買い物客を吐き出すころあいだ。街は家路を急ぐ人々でまだ少し忙しない。真選組の歳末特別警戒態勢は、ほどなく大晦日の初詣客の警備に取って代わるのだろう。その狭間にあってどことなく気の抜けた空気が漂っている。
師走の町並みに呑気にベスパを走らせながら、銀時は見るともなしに灯りの残る閉店間際のスーパーを眺めた。信号待ちのあいだに思案したのは、いま懐にあるなけなしの現金で果たしてどれだけのものが買えるだろう、といういささか情けない心積もりだった。
「この時間なら、生鮮食料品は値引きしてんな。ま、残ってればだけど」
年越しくらいは隠れ処でおとなしくしているだろう。配下のものも各々実家があるから、いまごろは白ペンギンと年越しそばでも食っているのかもしれない。むかしから節気の祝い事はつとめて欠かさぬほうだから、ふつうなら正月の準備も滞りなかろうが。常日頃から追われる身では、それもいまはままならぬことのほうが多いのだ。
「銀時ではないか」
手持ちの金で買えるだけ買った食材をつめ込んだエコバッグを積み、ベスパにまたがろうとした銀時を耳に馴染んだ声が呼び止めた。
「こんな押し迫った刻限にあわてて買いものか。計画性のないやつだ。まあ、れじ袋ではなくえこばっぐなのは感心だが」
これから訪ねようとした先にあるはずの顔を歩道に見つけて、いささか面食らう。
「レジ袋が有料化されてからこっち、ぱっつぁんがうるせーんだよ。おめーこそこんな暮れになにしてんだ、そんななりで」
「べつにふだんどおりの姿だが?」
たしかにいつもの袷羽織に外套と襟巻き姿はいたってふつうである。尋常でないのは手にしていた布袋のでかさだった。というか背負っていたというほうが正しい。
「いまごろサンタさんですかこの野郎。遅刻にもほどがあらぁ」
「黒須三太さんではない。桂だ。いや、もちをな。昼間に大量にいただいてしまったので、おれひとりでは食いきれぬし。万事屋におすそわけに伺うところだったのだ。ちょうどよかった」
「よくねーよ。いまいってもだれもいねーぞ。神楽なら新八んち」
「む。リーダーは不在か。それは残念。いやしかし、もちは保存が利くから、持って帰れ、銀時」
保存が利くならてめーで食えばいいものを。わざわざ大晦日のこんな時刻に届けに来るなど、万事屋の正月の台所事情を慮ってのこととしか思えない。
「てか、てめーひとりって、なによ。あの白いのがいんだろう」
「白いのではない。エリザベスなら年越しは彼女と一家団欒だ。松の内くらいゆっくりしてこいと、あいにく今朝方送り出したばかりでな」
「…ばかか、てめーは」
思わず吐き出したことばは、溜め息まじりだった。
そうして自分はひとりきりで過ごす気だったのか、と問いたくなって、やめた。万事屋に餅を届ける気遣いはあっても、そこでおのれが過ごそうとはまず考えないのがこいつなのだ。銀時が志村家にするような遠慮を、こいつがまだ万事屋に抱いているのだとしたら、いいかげんわかれと怒鳴りたくもなる。
そこで怒鳴れないのは、銀時自身にも躊躇いがあるからだった。攘夷をともにできぬ以上、桂があと一歩万事屋に踏み込めないのは道理で、そのあたりを曖昧に濁しているのは、云うまでもなくおのれのほうだろう。いや、桂とてわかっていながら頻繁に万事屋に顔を出すのだから、おたがいさまなのかもしれなかったが。
「おら、その餅袋のついでにおまえも乗っけてやるから、これも持ってな」
後部座席に積んでいたエコバッグを押しつけて、前後に大荷物を抱えた桂をそこへ押し込み、自分のしていたヘルメットを被せて、銀時はアクセルを噴かした。
かぶき町を裏街道へと回る。
荷物を抱えて銀時のベルトに捕まる桂の手が、くいと銀時をひっぱった。
「銀時。方向がちがう」
「いいんだよ」
それで通じたのかどうか、桂は、そうか、とだけ頷いて、そのまま荷物越しに銀時の腰に回した腕にちからを込めた。
ベスパを止めたのは、大江戸温泉なるなまえだけは立派な木賃宿である。
「この時期に部屋があるのか?」
荷物を抱えて見あげた宿屋の看板に、桂は小首を傾げた。
「この時期にあらかじめ予約を取るような客は、ちゃんとメシの出る高級旅籠に泊まるもんだ」
木賃宿では自炊が前提である。せっかくの晴の正月に好きこのんで泊まる宿では、たしかにない。
「もっとも今日日の木賃宿てなぁピンキリで、ウィークリーマンションと謳って家財道具一式揃ってるところもあれば、連れ込み茶屋と変わらねぇとこまであるけどな」
「ふむ。で、ここはどちらなのだ? 温泉は入り放題と聞いているが」
「ま、その中間ってとこ? てか、おめーも知ってんじゃん」
いささか意地の悪い表情で先に暖簾をくぐった銀時は、表帳場の親爺に声を掛けた。
だし巻きたまごを焼き田作りを煎り煮して、紅白のかまぼこも切って並べて、黒豆は豆をつけおく時間がないから出来合の総菜だ。ほんとは手前ぇでつくったほうがうまいし安いんだけどな。と銀時は思う。昆布締めや栗きんとんも欲しかったところだが、いかんせん材料費に限りがあった。さいわいもち菜は手に入ったから朝に雑煮でもつくれば正月の体裁は調うだろう。
それでも桂はうれしそうに顔をほころばせる。
「あいかわらず器用だな、銀時」
育ての親で師の松陽も料理を巧みにするようなひとではなかったから、銀時が覚えざるをえなかったのだ。だからごく幼い時分はともかく後年の吉田家で振る舞われたお節料理は、そのほとんどが銀時の手によるものだった。桂は家の嫡子として新年の挨拶にきて、そのお相伴にあずかることもよくあったから舌が記憶しているはずだ。
「うん。懐かしい味だ」
六畳間の和室にこたつの角を挟んで座る。味見をすませたら、あとは年を越してからだ。銀時はそのまま食べようとしたが、無駄に生真面目な桂がそれをよしとしなかった。
「お節は元旦にいただくものだ」
と云って譲らない。元旦とは正月元日の朝を指す。やれやれ夜が明けるまではおあずけか。しかたがないから餅だけ焼いて、それを肴にあとは燗酒をちびりちびりとやることにする。
テレビでは年越しの番組を各局が競い合っている。桂がその音量を絞った。
「なんだよ」
「音」
「あん?」
「除夜の鐘だ」
耳を澄ませば遠くたしかに鳴っている。なんとはなしに厳かに聞こえるから不思議なものだ。
「煩悩を祓うねー」
こたつの天板に顎を乗せただらしのない姿勢で、銀時は呟いた。
「なかなか、祓えぬのが煩悩だな」
淡々と返す桂に、銀時はいささか呆れ顔だ。桂ですら煩悩を祓えないなら、そこいらの人間など煩悩のかたまりどころか煩悩だけで構成されているようなものではないか。銀時もまた、然りである。
「そうだなぁ。白くてふわふわとか肉球とか、てめーは好きすぎるよな」
「貴様の甘味ほどではないぞ」
「俺は甘味を求めてサファリパークにチャリで行ったりしませんー」
「あたりまえだ。甘味ならばお菓子の国を目指すのが妥当だろう」
大まじめに巫山戯たことを抜かす顔はそれでもやっぱりきれいで、年越しの酒にほんのり染まった目もとや首筋は色っぽく、銀時の煩悩を絵に描けばこうなるだろう、という姿そのものだ。
こたつのなかの足を足でつつくと、桂が苦笑した。
「ほら。ここにも煩悩を掻き立てるものがある」
「ふうん。おめーの煩悩には俺も入るの」
てか、入れてくれるの。
「でなければこんな年の瀬に貴様とふたりでこんなところにはおらぬわ」
「そーかい」
無駄におとこまえに、きっぱりと桂は云いきる。
およそ煩悩とは縁遠い顔をして、でもこの静謐なおもてが快楽に酔うさまをたしかに銀時は知っている。
「よいのか銀時。このままここで年を越しても」
「ここで越したいんですー」
どこでもよかったんだ。おまえがいる場所なら。
煩悩は祓われたさきからまた、泉のごとく湧き出すのだろうけれど。こうして年を跨ぎ、かさねる歳月に意味があるとすれば、それは。このとなりにいる存在を変わらずに欠かさずに感じられることにこそあった。
こたつの角を挟んで伸ばされた腕が、長い黒髪を梳くようにして引き寄せる。啄むようにかさねた口唇は、たがいに酒精を宿している。
銀時の愛して止まない黒絹がゆるやかに靡いて、やがて、古びた畳にふわりと落ちた。
百八つめの音(ね)が新たな年の来訪を告げる。
あけましておめでとう。そうどちらからともなく耳もとで囁きあって。
甘く潤んだ桂の吐息が、銀時の喉を潤してゆく。
そう。お節は元旦に食うものだ。
だから初日の出を拝むまでのあいま、こうしてたがいを味わっているほかないじゃないか。
了 2010.12.31.
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