2010/05/30 新刊「迷霧 〜天涯の遊子」より
表題作『迷霧』序盤から一部抜粋。
「天涯の遊子」の銀桂篇。過去〜現代紅桜後。
村塾幼少期:銀時と小太郎。と、晋助。松陽先生。
攘夷戦争期:銀時と桂。と、高杉、坂本。
「そこんとこ、どうなのよ」
塾帰りの小太郎と晋助に銀時が交ざって、いつもなら河原の堤を根城に、きょうは野に虫を探そうか、山に木の実を採ろうか、そろそろ暖かくなってきたから海釣りにでも行こうか、と談じるところだがさすがにそんな気分ではない。銀時に問われた晋助が口をへの字に結んだ。
「父上はいつもどおりだと仰有るばかりだ」
それを疑っているのは晋助もまた同様なのだと知れる口調である。
「おめーはなにも聞かされてねーの? 当の本人としちゃ」
「仮に人柱となるなら、厄災祓いと相場は決まっているが」
まるで他人事のように小太郎は云った。
「厄災?」
「いま天人とかいうやからが京やお江戸のあたりを騒がしているというから、その厄祓いなのではないか?」
「ばかばかしい。そんなことで祓えるもんか!」
小太郎の言を阻むように晋助が云い捨てる。
「ふむ。おれにそのようなちからはないが、大祭の神子は神の御遣いゆえ、そうした役目を担うこともあるやもしれぬな」
あくまで淡々と告げる小太郎に、銀時はあたまを抱えた。
「おまえさぁ。なんでそんなに危機感がないの。もしそうなら、殺されるかも知れねーのよ?」
ぎょっとなって銀時を睨みつけたのは、当人ではなく晋助だった。
「縁起でもないこと、云うな!」
「縁起でももなにも。人身御供ってなぁそーゆーことでしょ。当人の知らないところで勝手にことが運んでて、神職のおっさんらに神さまのお告げだとでも云われたら、桂の家でも逆らえないんじゃん?」
「先生が、そんなことおゆるしになるはずがない」
晋助がそう反論してくることはなかば見越していたから、銀時は黙って小太郎を見遣った。銀時は神など畏れない。怖いのはそれを盲信する人間の心のほうだ。おのれの外見を異端と忌避し排除しようとした多くのおとなたちのように。
「当日ずらかっちゃえば?」
「莫迦を云うな。それこそ桂の家に迷惑が掛かる。万が一にも噂がまことなら…」
「まことなら、どーすんのよ」
「…どうしよう」
「おまえねぇ」
「この身ひとつで真実、世の厄災を祓えるなら否応もないが」
いや、あるだろう。
「そんなことで天人などという無頼のものらが立ち去るとは思えぬしな…」
「いま問題はそこじゃねぇだろーが!」
業を煮やした銀時が舌を打つ。
どうしてこいつは、こう、感情の軸がずれてるんだろう。生真面目であたまもいいくせに、銀時や晋助の心配の根っこがわかっていない。
小太郎はきょとんとした顔で銀時を見返している。
* * *
ぱっかん。
「痛い。いきなりなにをする」
陣を敷いた寺の山門まえで、見張り役の銀時のもとへと食事を運んできた桂が、顔を合わせるなり叩(はた)かれたあたまをさすった。
「おめーが呑気な顔晒すからだ」
霧に霞む入相だ。ふたりが背にした山門越し、聳える二対の五重の塔も上層は隠れて見えない。数年前の近在への天人の侵攻でうち捨てられたらしい山寺は意外に壮麗な伽藍を残していて、ただ山寺と呼ぶのが憚られるほどだ。
あの鎮守の杜の草深い裏山とは様相はまるでちがっているのに、こんな日には思い出す。そのたびに怖気がする。
「そんなことを云うのなら、これはやらんぞ」
まだ湯気の立つ汁椀を、差し出した銀時の鼻先から掠めとる。
「わぁった。わかったから、それ寄こせ」
芳ばしい味噌の香と煮えた大根や芋の匂いが空きっ腹を刺激した。
「ごめんなさいは?」
「はい、ごめん。すんませんでした。ヅラくん」
「ヅラじゃない。桂だ。反省の態度とは思えんな」
そう返しながらも桂はちいさく笑って、汁椀と竹皮の包みを手渡してくる。鉤槍を受け取って代わりに見張りに立つ桂の傍らで、銀時はまず一口、もうしわけ程度に具の浮いた味噌汁を流し込み、包みを解く。雑穀の多い握り飯は食むさきからぽろぽろと零れた。
銀時がなにかと桂を小突くようなくせが付いたのは、あのときからのような気がする。
きょとんとして見つめてくる顔に、怒りと不安とがない交ぜになって思わずそのあたまを叩いていた。思い出のちょうどいまそのタイミングで桂が現れたものだから、無意識に手が出てしまった。
もぐもぐと飯を食う銀時の横顔に桂が視線を落とす。
「この霧では敵も味方も容易にはうごけぬな」
見透かされたようで、どきりとした。
「みんな疲れてる。ちょうどいい休息になるだろ」
「うむ。霧にまぎれて悪巧みなど、考えぬがよい」
その口調に険しさはない。だから現状を案じてのことばではないと知れた。
ああ、ばれてるな。と銀時は思う。これだからこいつは、やっかいだ。鈍いくせに聡い。聡いくせにずれている。
* * *
波打ち際をかろやかに駆ける。うしろに結わかれた長い黒髪の尾っぽが跳ねる。股立を取った小太郎が白い大きな犬と砂浜で戯れている。
一歩ごとに飛沫(しぶき)を跳ね上げ、粒になった陽射しがきらきらと煌めいては、細い足首にまとわりつく。勢い余ってまくり上がった袴の裾からときおり白い膕が覗いて、銀時の胸をいたずらにざわめかせた。
おつかいの帰り道。海岸沿いの松林から銀時が偶然見掛けた小太郎の、はしゃぐ姿はついぞ見掛けない笑顔だ。
「めずらし…」
なんだかわからない。初めてだ。それは見てはいけないものを見たような、それでいてずっとずっと見つめていたいような、摩訶不思議な気分にさせる。
しばらくぼんやりと眺めていた銀時は、小太郎がいつこちらに気づくかと考え、それが気づいて欲しいものなのか、このまま気づかれずにただただ眺めていたいものなのか、だんだんわからなくなってきた。
なんだっけ。こんなのたしか昔話になかったか。見てはいけないものを見たばっかりに…。
わっ。
足もとを波に攫われて、小太郎がバランスを崩す。それに思惟を中断され、はっとなって銀時は思わず身を乗りだした。
大きな白い犬が小太郎の小袖を咬む。おかげであやうくあたまからの沈没は免れたが、跳ね上げた水飛沫で袴は腰板のあたりまで濡れてしまった。あれでは股立ちを取った意味がない。
(中略)
昼をだいぶ回ったころ、晋助が塾舎に顔を出した。
「…先生は?」
「夕方にはもどるって。小太郎の晴れ姿観に」
「…晴れ姿……」
「まあ、ふつうに考えりゃ、大祭の神子は十二年に一度しか巡ってこないわけだしさ。えらばれるってのは、幸運で名誉なことなんじゃん?」
「先生がなにも口出しされなかったってことは、噂は噂に過ぎなかったのか、なぁ…」
「…なんじゃね?」
適当に相槌を打ちながら、ああこいつもやっぱりまだ気にしていたのだなと銀時は思う。
陽が西に傾きはじめても、松陽がもどる気配はなかった。
「先生、どうされたんだろう」
「もうすぐ小太郎が通っちまうなぁ」
塾舎から少し出た通りで巡行の列を待ちながら、松陽を出迎えるつもりがまだ遠くにも姿は見えない。
「…だな」
「ったく」
小太郎か松陽がいないときのふたりはこんなものだ。晋助が突っかかるなり、銀時が揶揄うなりして、口喧嘩を始めるのでもなければ、会話らしい会話はつづかない。けれどだからといって、たがいを疎ましいと思っているわけではない。たがいに好きかと聞かれたら否と応えたろうが、ひとたびなにごとかがあれば助太刀の労は惜しまなかったろう。
それはこのころからずっと、戦場にあっても変わることのない、このもうひとりの幼なじみとのありようだった。
* * *
「小太郎。ここにいたのか」
山門で仁王立ちになっている桂に背後から声が掛かる。
「なんだ、晋助」
「なんだじゃねぇよ。刻限だ」
「あ?…ああ、しまった。合議があるのだったな」
銀時が指に残った握り飯の飯粒をきれいに攫えている姿を横目に捉えて、高杉はわずかに嘆息した。
「飯なんざ、下のやつに運ばせりゃいいだろ」
「たまたまおれの手が空いていたのだ」
銀時が夕餉を取り終えたのをたしかめて、桂は見張り番の鉤槍を返した。
「銀時。貴様も来い。ここはだれかに代わらせよう」
「俺はいーよ。今夜のとこは見張り番に徹します」
「しょうのないやつだな」
「小難しいことは、ヅラくんにまかせっから。作戦よろしく」
中規模な隊ではあったが、いま実質これを率い、その軍師的役割を担っているのは桂と高杉である。さしずめ銀時は実戦隊長と云わば云えたが、長期に及ぶ戦で年長者を失っていくなか、若年ながら頭角を現していた自分たちにおのずと指揮権が委ねられた結果ではあった。桂が攘夷の旗頭として奉られるようになるのも、高杉が機動に長けた別動隊を鬼兵隊と称して率いるようになるのも、銀時が白夜叉の二つ名を戴くようになるのも、このもう少しのちの話だ。
「晋助?」
本陣を置いた講堂へと戻りかけた桂が、まだ山門に佇む高杉を振り返る。
「ああ、すぐ行く。坂本が武器と糧食の工面をつけたんで先に話があるそうだ」
「ほんとうか。そいつはたすかる」
表情の薄い桂がわずかばかり喜色を浮かべるのを、見て取れぬ銀時ではなかった。むろんこいつも。
銀時の視線に気づいた高杉は片眉を擡げて、口の端で冷たく笑んだ。
「役に立つじゃねぇの。あの黒もじゃも」
坂本とは、銀時たちが参戦してほどなく、渡り歩いたいくつめかの小隊で出会った。意気投合して、というよりは当初はかなり一方的に、主として桂にだが、懐かれて行動を共にするようになった。
元来、来るもの拒まずの桂は気にする風でもなかったが、高杉はずいぶん長いあいだ警戒を解いていなかったことを銀時は知っている。銀時が松陽のもとへ引き取られ、ふたりに相対したときの、高杉がそうだったからだ。当時はまだごく幼かったから、さほどの障壁はなかったとはいえ。
「変わらないねぇ、晋ちゃん…高杉くんは」
途中ぎろりと睨まれて、銀時はへらりと笑って呼び名をあらためる。
「ヅラ以外は、みな取るに足らねーのな」
ことに、師亡きいまは。
銀時とも、先生や桂が受け容れてるからしかたなく付き合う、きっかけはそんな感じだった。
ふん、と鼻で笑って高杉は、銀時の立つ山門のもう一方の門柱に背をあずけて前方を凝視した。
「そのことば、そっくり返すぜ。白もじゃ天パ」
どこまでわかって云っているのだろう。辺りは夕闇に沈み、高杉の顔も窺い知れない。霧はさらに濃さを増してきていた。
「いやな霧だ」
「まあね」
「こんな晩はろくなことが無ぇ」
ああ。おそらく高杉の目にもおなじものが見えている。
あの日。霧にまぎれて見失った、桂の姿が。
つづきはオフ本で…
PR
「そこんとこ、どうなのよ」
塾帰りの小太郎と晋助に銀時が交ざって、いつもなら河原の堤を根城に、きょうは野に虫を探そうか、山に木の実を採ろうか、そろそろ暖かくなってきたから海釣りにでも行こうか、と談じるところだがさすがにそんな気分ではない。銀時に問われた晋助が口をへの字に結んだ。
「父上はいつもどおりだと仰有るばかりだ」
それを疑っているのは晋助もまた同様なのだと知れる口調である。
「おめーはなにも聞かされてねーの? 当の本人としちゃ」
「仮に人柱となるなら、厄災祓いと相場は決まっているが」
まるで他人事のように小太郎は云った。
「厄災?」
「いま天人とかいうやからが京やお江戸のあたりを騒がしているというから、その厄祓いなのではないか?」
「ばかばかしい。そんなことで祓えるもんか!」
小太郎の言を阻むように晋助が云い捨てる。
「ふむ。おれにそのようなちからはないが、大祭の神子は神の御遣いゆえ、そうした役目を担うこともあるやもしれぬな」
あくまで淡々と告げる小太郎に、銀時はあたまを抱えた。
「おまえさぁ。なんでそんなに危機感がないの。もしそうなら、殺されるかも知れねーのよ?」
ぎょっとなって銀時を睨みつけたのは、当人ではなく晋助だった。
「縁起でもないこと、云うな!」
「縁起でももなにも。人身御供ってなぁそーゆーことでしょ。当人の知らないところで勝手にことが運んでて、神職のおっさんらに神さまのお告げだとでも云われたら、桂の家でも逆らえないんじゃん?」
「先生が、そんなことおゆるしになるはずがない」
晋助がそう反論してくることはなかば見越していたから、銀時は黙って小太郎を見遣った。銀時は神など畏れない。怖いのはそれを盲信する人間の心のほうだ。おのれの外見を異端と忌避し排除しようとした多くのおとなたちのように。
「当日ずらかっちゃえば?」
「莫迦を云うな。それこそ桂の家に迷惑が掛かる。万が一にも噂がまことなら…」
「まことなら、どーすんのよ」
「…どうしよう」
「おまえねぇ」
「この身ひとつで真実、世の厄災を祓えるなら否応もないが」
いや、あるだろう。
「そんなことで天人などという無頼のものらが立ち去るとは思えぬしな…」
「いま問題はそこじゃねぇだろーが!」
業を煮やした銀時が舌を打つ。
どうしてこいつは、こう、感情の軸がずれてるんだろう。生真面目であたまもいいくせに、銀時や晋助の心配の根っこがわかっていない。
小太郎はきょとんとした顔で銀時を見返している。
* * *
ぱっかん。
「痛い。いきなりなにをする」
陣を敷いた寺の山門まえで、見張り役の銀時のもとへと食事を運んできた桂が、顔を合わせるなり叩(はた)かれたあたまをさすった。
「おめーが呑気な顔晒すからだ」
霧に霞む入相だ。ふたりが背にした山門越し、聳える二対の五重の塔も上層は隠れて見えない。数年前の近在への天人の侵攻でうち捨てられたらしい山寺は意外に壮麗な伽藍を残していて、ただ山寺と呼ぶのが憚られるほどだ。
あの鎮守の杜の草深い裏山とは様相はまるでちがっているのに、こんな日には思い出す。そのたびに怖気がする。
「そんなことを云うのなら、これはやらんぞ」
まだ湯気の立つ汁椀を、差し出した銀時の鼻先から掠めとる。
「わぁった。わかったから、それ寄こせ」
芳ばしい味噌の香と煮えた大根や芋の匂いが空きっ腹を刺激した。
「ごめんなさいは?」
「はい、ごめん。すんませんでした。ヅラくん」
「ヅラじゃない。桂だ。反省の態度とは思えんな」
そう返しながらも桂はちいさく笑って、汁椀と竹皮の包みを手渡してくる。鉤槍を受け取って代わりに見張りに立つ桂の傍らで、銀時はまず一口、もうしわけ程度に具の浮いた味噌汁を流し込み、包みを解く。雑穀の多い握り飯は食むさきからぽろぽろと零れた。
銀時がなにかと桂を小突くようなくせが付いたのは、あのときからのような気がする。
きょとんとして見つめてくる顔に、怒りと不安とがない交ぜになって思わずそのあたまを叩いていた。思い出のちょうどいまそのタイミングで桂が現れたものだから、無意識に手が出てしまった。
もぐもぐと飯を食う銀時の横顔に桂が視線を落とす。
「この霧では敵も味方も容易にはうごけぬな」
見透かされたようで、どきりとした。
「みんな疲れてる。ちょうどいい休息になるだろ」
「うむ。霧にまぎれて悪巧みなど、考えぬがよい」
その口調に険しさはない。だから現状を案じてのことばではないと知れた。
ああ、ばれてるな。と銀時は思う。これだからこいつは、やっかいだ。鈍いくせに聡い。聡いくせにずれている。
* * *
波打ち際をかろやかに駆ける。うしろに結わかれた長い黒髪の尾っぽが跳ねる。股立を取った小太郎が白い大きな犬と砂浜で戯れている。
一歩ごとに飛沫(しぶき)を跳ね上げ、粒になった陽射しがきらきらと煌めいては、細い足首にまとわりつく。勢い余ってまくり上がった袴の裾からときおり白い膕が覗いて、銀時の胸をいたずらにざわめかせた。
おつかいの帰り道。海岸沿いの松林から銀時が偶然見掛けた小太郎の、はしゃぐ姿はついぞ見掛けない笑顔だ。
「めずらし…」
なんだかわからない。初めてだ。それは見てはいけないものを見たような、それでいてずっとずっと見つめていたいような、摩訶不思議な気分にさせる。
しばらくぼんやりと眺めていた銀時は、小太郎がいつこちらに気づくかと考え、それが気づいて欲しいものなのか、このまま気づかれずにただただ眺めていたいものなのか、だんだんわからなくなってきた。
なんだっけ。こんなのたしか昔話になかったか。見てはいけないものを見たばっかりに…。
わっ。
足もとを波に攫われて、小太郎がバランスを崩す。それに思惟を中断され、はっとなって銀時は思わず身を乗りだした。
大きな白い犬が小太郎の小袖を咬む。おかげであやうくあたまからの沈没は免れたが、跳ね上げた水飛沫で袴は腰板のあたりまで濡れてしまった。あれでは股立ちを取った意味がない。
(中略)
昼をだいぶ回ったころ、晋助が塾舎に顔を出した。
「…先生は?」
「夕方にはもどるって。小太郎の晴れ姿観に」
「…晴れ姿……」
「まあ、ふつうに考えりゃ、大祭の神子は十二年に一度しか巡ってこないわけだしさ。えらばれるってのは、幸運で名誉なことなんじゃん?」
「先生がなにも口出しされなかったってことは、噂は噂に過ぎなかったのか、なぁ…」
「…なんじゃね?」
適当に相槌を打ちながら、ああこいつもやっぱりまだ気にしていたのだなと銀時は思う。
陽が西に傾きはじめても、松陽がもどる気配はなかった。
「先生、どうされたんだろう」
「もうすぐ小太郎が通っちまうなぁ」
塾舎から少し出た通りで巡行の列を待ちながら、松陽を出迎えるつもりがまだ遠くにも姿は見えない。
「…だな」
「ったく」
小太郎か松陽がいないときのふたりはこんなものだ。晋助が突っかかるなり、銀時が揶揄うなりして、口喧嘩を始めるのでもなければ、会話らしい会話はつづかない。けれどだからといって、たがいを疎ましいと思っているわけではない。たがいに好きかと聞かれたら否と応えたろうが、ひとたびなにごとかがあれば助太刀の労は惜しまなかったろう。
それはこのころからずっと、戦場にあっても変わることのない、このもうひとりの幼なじみとのありようだった。
* * *
「小太郎。ここにいたのか」
山門で仁王立ちになっている桂に背後から声が掛かる。
「なんだ、晋助」
「なんだじゃねぇよ。刻限だ」
「あ?…ああ、しまった。合議があるのだったな」
銀時が指に残った握り飯の飯粒をきれいに攫えている姿を横目に捉えて、高杉はわずかに嘆息した。
「飯なんざ、下のやつに運ばせりゃいいだろ」
「たまたまおれの手が空いていたのだ」
銀時が夕餉を取り終えたのをたしかめて、桂は見張り番の鉤槍を返した。
「銀時。貴様も来い。ここはだれかに代わらせよう」
「俺はいーよ。今夜のとこは見張り番に徹します」
「しょうのないやつだな」
「小難しいことは、ヅラくんにまかせっから。作戦よろしく」
中規模な隊ではあったが、いま実質これを率い、その軍師的役割を担っているのは桂と高杉である。さしずめ銀時は実戦隊長と云わば云えたが、長期に及ぶ戦で年長者を失っていくなか、若年ながら頭角を現していた自分たちにおのずと指揮権が委ねられた結果ではあった。桂が攘夷の旗頭として奉られるようになるのも、高杉が機動に長けた別動隊を鬼兵隊と称して率いるようになるのも、銀時が白夜叉の二つ名を戴くようになるのも、このもう少しのちの話だ。
「晋助?」
本陣を置いた講堂へと戻りかけた桂が、まだ山門に佇む高杉を振り返る。
「ああ、すぐ行く。坂本が武器と糧食の工面をつけたんで先に話があるそうだ」
「ほんとうか。そいつはたすかる」
表情の薄い桂がわずかばかり喜色を浮かべるのを、見て取れぬ銀時ではなかった。むろんこいつも。
銀時の視線に気づいた高杉は片眉を擡げて、口の端で冷たく笑んだ。
「役に立つじゃねぇの。あの黒もじゃも」
坂本とは、銀時たちが参戦してほどなく、渡り歩いたいくつめかの小隊で出会った。意気投合して、というよりは当初はかなり一方的に、主として桂にだが、懐かれて行動を共にするようになった。
元来、来るもの拒まずの桂は気にする風でもなかったが、高杉はずいぶん長いあいだ警戒を解いていなかったことを銀時は知っている。銀時が松陽のもとへ引き取られ、ふたりに相対したときの、高杉がそうだったからだ。当時はまだごく幼かったから、さほどの障壁はなかったとはいえ。
「変わらないねぇ、晋ちゃん…高杉くんは」
途中ぎろりと睨まれて、銀時はへらりと笑って呼び名をあらためる。
「ヅラ以外は、みな取るに足らねーのな」
ことに、師亡きいまは。
銀時とも、先生や桂が受け容れてるからしかたなく付き合う、きっかけはそんな感じだった。
ふん、と鼻で笑って高杉は、銀時の立つ山門のもう一方の門柱に背をあずけて前方を凝視した。
「そのことば、そっくり返すぜ。白もじゃ天パ」
どこまでわかって云っているのだろう。辺りは夕闇に沈み、高杉の顔も窺い知れない。霧はさらに濃さを増してきていた。
「いやな霧だ」
「まあね」
「こんな晩はろくなことが無ぇ」
ああ。おそらく高杉の目にもおなじものが見えている。
あの日。霧にまぎれて見失った、桂の姿が。
つづきはオフ本で…
PR