「天涯の遊子」銀桂篇+土桂篇
銀時と桂と土方と。
新八、神楽、長谷川、沖田、近藤、ほか。
竜宮篇以降、モンハン篇よりまえ。
回数未定。其の三。銀時、桂。
「銀時。道がちがうようだが」
「いまごろおせーよ。たまにはそとで食おうぜ」
かぶき町までを迂回する道筋から郊外にまで抜けて、ようやく気づいたらしい桂の声が、銀時の背中越しに伝わってくる。
「なんだ。めずらしい」
「医者と万事屋の往復ばかりじゃ、厭きるだろ」
そうなってからまだ二十日ほどだったが、ふだんの桂の生活からすれば平穏すぎる毎日はそれ以上の長さに感じられるはずだった。桂の見た目の年齢は、ようやく神楽を越すか越さないかくらいでまだ新八に届かない。
もっとも神楽は夜兎だからか年齢のわりに幼いし、新八は年相応の外見としても、実際の桂はその年頃にはもう戦場に立っていたから、ずっとおとなびていたのだが。
そっか。もうすぐその年齢(とし)になるのか。
いま現在の桂の外見を見るに、この数年ののちには、こんなこどもが戦争に身を投じていたのだ、というあたりまえだった事実が身に沁みてくる。
当人たちはいっぱしの戦力になるつもりでいたし、実際その一年後にはそうならざるを得なくなるほど戦況は厳しかったし、ほどなくそれ以上の立場にさえ変わっていったのだけれど。桂も、銀時も。高杉も坂本も。
腹がくちくなると眠くなる。
丘陵地のてっぺん近くでピクニックもどきの昼食タイムを終えて、ゆるやかな斜面に寝転がった銀時は、上空を漂う雲をぼんやりと眺めながら、夢うつつにそんなことを思っていた。空が高い。青天にもくもくとして積み重なる入道雲は消え去り、知らぬまに鱗状に姿を変えている。抜けるような秋晴れだ。
桂も、いつのまにやらとなりで寝転んで微睡んでいるのが、耳を擽るやわらかな寝息で伝わってきた。
半分眠ったまま、銀時は視線だけをそちらへ流す。桂の横顔が視界を覆った。その近さに、内心で苦笑する。背中合わせに眠るのは戦時の野営でもよくあったから、これはくせのようなものなのだ。無意識でいると、おたがいがおたがいのとなりをいつのまにか必ず占めている。
老化した竜宮城でもそうであったことは、新八からあとでいやと云うほど聞かされたし詰られもしたから、三つ子の魂ってやつは死ぬまで変わらないものらしい。
おのれのとなりで安らいで眠る桂は、銀時の秘かな自負であり、ときに頭痛の種だった。
濃密に肌を合わせるような関係になったあとでも、桂はときに信じられないほどに無頓着で無防備で無自覚だったから、銀時はあたまを悩ませたのだ。あたまだけじゃない、こころもからだも、ひどく悩んで苦しんで、そのくせ途方もないしあわせを感じていた。
微睡む桂の寝顔を、銀時は半身をひねって覆い被さるような姿勢でうえから覗き込んでみる。ほら、こんな間近でも桂は目覚めやしない。
この距離に耐えうる容貌はめったにない。見た目どれほど美しくても、たいがい肌の肌理が荒かったり、造作を化粧でつくりあげたりしているものだ。だから、幼いころからこの顔を見慣れている銀時や高杉の審美眼は相当にレベルアップされてしまっていて、生半可な美人にはときめかないのだ。それって、ある意味不幸じゃね?などと思ってみても、いまさら取り返しなどつかない。
それに。こいつの真の価値は見てくれの美しさにあるのじゃない。竜宮城で乙姫に云ったせりふではないが、魂にかたちがあるなら桂のそれは外見に勝るだろう。まあそのぶん奇矯さも生半可なものじゃないから、人間って生きものはどこかしらでバランスが取れているわけだ。
見つめているうちに、いっこうに気づかないまま微睡まれる安堵と相反する苛立ちが湧き上がってきた。
呑気に眠りこけやがって。襲うぞ、このやろー。
そう口に出したわけでもないのに。まるで聞こえたかのように、ぱちり、と音がしたかと思うような唐突さで、桂が目を開けた。
「…………」
「………」
至近で見つめ合うかたちになって、咄嗟のうごきが取れなかった。
「…なんですか。狸寝入りですか、このやろう」
「や、うとうとしてた。なんだか陽差しが翳った気がして」
微睡んでいたのはたしかなようで、見開いた眸はまだ霞がかかったようにぼうっとしていて、焦点が定まっていないのが妙に艶めかしい。
ほんと、たちわりぃ、こいつ。
だから。銀時の影になったせいか、とつづけた桂のことばのそのさきは、銀時の口唇に呑み込まれた。
ん。ぅん。んふ。
合わせる口唇の角度を変えるたび、その合間を縫うように桂の濡れた吐息がこぼれ落ちる。昼日中の高い太陽も、桂の未だ幼さを留めた外見も、もう有効な抑止力にはならなかった。
だんだんに深まっていく口接けに、止まらないのか止められないのか、おたがいの身に回された腕はどちらも相手を抱くちからをつよめるばかりで、退くことを知らない。腰に熱が溜まってくるのがわかる。薄く目を開けた銀時は、名残を惜しみながら銀糸を引く口唇を、かなりの努力をもって引き剥がした。
だから、やばいって、わかってたんだ。
そう呟いて、そのまま桂のうえにちからなく突っ伏した。
「いつまで銀さんに禁欲生活を強いる気だよ。莫迦ヅラ」
「ヅラじゃない、桂だ」
銀時の顔の横で仰向いたままの桂の声が、頰骨越しに伝わってくる。
「殊勝なことを。この姿では襲えぬか」
「いま俺がおまえをあれしたら、へたすりゃ犯罪よ犯罪」
そのくせまだ、このからだを引き離す気になれないのだから、こまった。
「むかしは、したくせに」
桂は、どこかおもしろがっている声音で返す。
「いやだからあれは、銀さんもおなじくらいだったわけでしょ」
こどもどうしなら罪のない戯れですむ。片方が分別あって然るべきおとなであれば、相愛であろうとそれは背徳なのだ。
「なかみは、貴様とおなじ歳なのだから、気にすることもあるまいに」
そうは云われても、現実に抱きしめるからだの儚さが、銀時をぎりぎり引き留めるのだった。おとなになっても線の細いからだではあったが、この華奢とも呼べる頼りなさと張りのあるしなやかさはやはり少年期特有のもので、それをむちゃくちゃに蹂躙したい欲望も、ないと云えばうそになるけれど。本来あるべき姿の桂に対する渇望は、それを遥かに凌ぐのだ。
抱きたいのはいまの桂で、過去じゃない。
「なにそれ。誘ってんの」
突っ伏していた身を起こし両肘でおのが上半身を支えて、銀時はそのなかに閉じこめた桂を見た。桂の眸がふいに細められ、眩しいものを見るようにかざした掌で、銀時の髪をなぶった。
「光に透けてる。きれいだな」
そう呟いた桂の黒曜石の双眸は、ふわふわと八方に伸びる白銀髪を映している。いつのまにか伸ばされた両の腕の掌が押し包むように、銀時の髪をなんども梳いた。ぽふぽふと掌に遊ばせては、癖毛を指先にからめて撫でつける。
「ヅラ」
愛おしむかのしぐさと、その見つめてくる眼差しに息苦しさを覚えて、銀時は救いを求めるように名を呼んだ。これで誘っていないというなら、こいつはいっぺん死んだほうがいい。なんでこれを常態のときにやってくれないのかと恨み言のひとつも云いたくなる。
そんな銀時の葛藤など何処吹く風で、桂はその呼び名を訂正することもわすれたように、白銀の髪とそれを梳くおのれの手の甲を見つめている。
「たしかにまだまだ、縮んでるな」
「ああ? 俺の髪のことか、そりゃ」
「莫迦、ちがう」
そう笑って、銀時の目のまえに手をかざした。
ああ、そうか。桂自身は我が身を見られるわけじゃないから、鏡を見ているのでもないかぎり、おのれの身の若返りとその再成長ぐあいは、こうして四肢の彼我の差で実感するほうが多いのだろう。
銀時はその掌に、おのれの手を重ねた。
「俺のが大きいな」
「あたりまえだ。貴様の掌の大きさにおれが勝てたことなどないぞ」
それはそうなのだが。
「こんなに差があるって、なかったじゃん」
桂も刀を使うから、体格に比せば手はしっかりしているのだが、大きいと云うよりは指が長い。銀時と決定的にちがうのはその骨格と、掌の肉厚だった。銀時の手は大きいがごつごつした感はあまりなくて、弾力のある強靱な肉に纏われているのだ。
桂がその肉厚の掌に指を這わせた。
ああもう、だからね。
そのまま指の一本でも口に含んでくれたら、これはもう誘い以外のなにものでもないから、銀時のなけなしのおとなの分別とやらも雲散霧消してしまうだろうに。どこまでも天然の、常人とはあたまの配線の異なる桂は、銀時の掌の弾力を確かめるようになぞるばかりで、そこになにかべつのものを見ているのだろう。
そんなことまで察してしまう、おのれらの生半可ではない付き合いの長さと深さとが、恨めしい。
「もとのからだに戻ったら、あらためて比べてみよう」
あのしなやかに長い指と薄い掌。そのくせ気功だか掌底だかの技まで使うのだから、おのれが云うのもなんだが、こいつのつよさも人外というかたいがいだと思う。
「はいはい。だからせいぜい早くもとに戻って、銀さんを慰めなさい」
「戻ったら真っ先にやるべきことが、ほかにいくつもあるのだが」
思案げに云いながら離れていく桂の指先を、銀時の掌が逆に捕らえる。その拍子に向けられた桂の視線を逃さず視線で捉えたまま銀時は、つかんだ指先に口唇を押し付けた。
「そのいくつかに、俺は入れてくんねーの」
ふふ、と桂が潜めた声で仄かに笑う。
「貴様と、こんなふうに過ごす時間を得られるとは思っていなかった」
されるままに指先を銀時にあずけながら、桂はそう呟いた。
「それ、俺のせりふ」
桂が攘夷活動から離れ、銀時のもとで、この腕の届く範囲で毎日を過ごす。それは桂が常態であれば、叶わぬ夢なのだ。少なくとも攘夷が成るまでは、桂はそんな生き方をおのれにゆるしはしないだろうから。
いや、たとえそのときがきても、桂が銀時を択ぶ保証などない。桂から云わせればそれまで銀時が桂を希みつづけている保証もないということになるのだが、あいにく銀時にはそんな斟酌はないのだった。だってそんなもの、思い切ることができるんならとうに思い切っている。あの、桂を捨てた日に、そうするつもりで。結局がいま、このざまなのだから。
おのれはこんなにも、こいつのことが。
幾度となく繰り返し口唇を押しあてては、ちろちろと舌先で、桂の指の甲と腹とを擽る。煽るだけ煽ってくれた仕返しだ。
桂がくすぐったそうに身を竦めた。
小一時間ほどをひなたぼっこのようにゆるゆると過ごしてから、またベスパにまたがった。江戸の町を望む丘陵地はいくつかあって、花見の名所だったり紅葉狩りに絶好だったりするが、そのどちらの季節からも外れたいまは賑わいにはほど遠い。だから銀時は呑気にベスパを走らせていた。
丘を下る緩やかな坂道がカーブを描く。後部座席から伸びた桂の手は、銀時の腰に回されている。カーブを曲がるたびごと、重心移動する銀時のうごきにあわせてからだをあずけてくる。タンデムにも慣れてきて心地よい瞬間だ。
そのいくつめかのカーブの曲がり端、目に入った対向車線の大型車に、路肩に寄ってやり過ごそうとしたときだった。その大型車がセンターラインを踏み越えて銀時のベスパに突進してきた。
馬鹿野郎、酔っぱらってんのか。
などと叫ぶいとまもなく、急いて切ったハンドルは無情にも、ふたりを乗せたベスパを足場のない中空へと放り出した。
* * *
続 2009.01.06.
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「銀時。道がちがうようだが」
「いまごろおせーよ。たまにはそとで食おうぜ」
かぶき町までを迂回する道筋から郊外にまで抜けて、ようやく気づいたらしい桂の声が、銀時の背中越しに伝わってくる。
「なんだ。めずらしい」
「医者と万事屋の往復ばかりじゃ、厭きるだろ」
そうなってからまだ二十日ほどだったが、ふだんの桂の生活からすれば平穏すぎる毎日はそれ以上の長さに感じられるはずだった。桂の見た目の年齢は、ようやく神楽を越すか越さないかくらいでまだ新八に届かない。
もっとも神楽は夜兎だからか年齢のわりに幼いし、新八は年相応の外見としても、実際の桂はその年頃にはもう戦場に立っていたから、ずっとおとなびていたのだが。
そっか。もうすぐその年齢(とし)になるのか。
いま現在の桂の外見を見るに、この数年ののちには、こんなこどもが戦争に身を投じていたのだ、というあたりまえだった事実が身に沁みてくる。
当人たちはいっぱしの戦力になるつもりでいたし、実際その一年後にはそうならざるを得なくなるほど戦況は厳しかったし、ほどなくそれ以上の立場にさえ変わっていったのだけれど。桂も、銀時も。高杉も坂本も。
腹がくちくなると眠くなる。
丘陵地のてっぺん近くでピクニックもどきの昼食タイムを終えて、ゆるやかな斜面に寝転がった銀時は、上空を漂う雲をぼんやりと眺めながら、夢うつつにそんなことを思っていた。空が高い。青天にもくもくとして積み重なる入道雲は消え去り、知らぬまに鱗状に姿を変えている。抜けるような秋晴れだ。
桂も、いつのまにやらとなりで寝転んで微睡んでいるのが、耳を擽るやわらかな寝息で伝わってきた。
半分眠ったまま、銀時は視線だけをそちらへ流す。桂の横顔が視界を覆った。その近さに、内心で苦笑する。背中合わせに眠るのは戦時の野営でもよくあったから、これはくせのようなものなのだ。無意識でいると、おたがいがおたがいのとなりをいつのまにか必ず占めている。
老化した竜宮城でもそうであったことは、新八からあとでいやと云うほど聞かされたし詰られもしたから、三つ子の魂ってやつは死ぬまで変わらないものらしい。
おのれのとなりで安らいで眠る桂は、銀時の秘かな自負であり、ときに頭痛の種だった。
濃密に肌を合わせるような関係になったあとでも、桂はときに信じられないほどに無頓着で無防備で無自覚だったから、銀時はあたまを悩ませたのだ。あたまだけじゃない、こころもからだも、ひどく悩んで苦しんで、そのくせ途方もないしあわせを感じていた。
微睡む桂の寝顔を、銀時は半身をひねって覆い被さるような姿勢でうえから覗き込んでみる。ほら、こんな間近でも桂は目覚めやしない。
この距離に耐えうる容貌はめったにない。見た目どれほど美しくても、たいがい肌の肌理が荒かったり、造作を化粧でつくりあげたりしているものだ。だから、幼いころからこの顔を見慣れている銀時や高杉の審美眼は相当にレベルアップされてしまっていて、生半可な美人にはときめかないのだ。それって、ある意味不幸じゃね?などと思ってみても、いまさら取り返しなどつかない。
それに。こいつの真の価値は見てくれの美しさにあるのじゃない。竜宮城で乙姫に云ったせりふではないが、魂にかたちがあるなら桂のそれは外見に勝るだろう。まあそのぶん奇矯さも生半可なものじゃないから、人間って生きものはどこかしらでバランスが取れているわけだ。
見つめているうちに、いっこうに気づかないまま微睡まれる安堵と相反する苛立ちが湧き上がってきた。
呑気に眠りこけやがって。襲うぞ、このやろー。
そう口に出したわけでもないのに。まるで聞こえたかのように、ぱちり、と音がしたかと思うような唐突さで、桂が目を開けた。
「…………」
「………」
至近で見つめ合うかたちになって、咄嗟のうごきが取れなかった。
「…なんですか。狸寝入りですか、このやろう」
「や、うとうとしてた。なんだか陽差しが翳った気がして」
微睡んでいたのはたしかなようで、見開いた眸はまだ霞がかかったようにぼうっとしていて、焦点が定まっていないのが妙に艶めかしい。
ほんと、たちわりぃ、こいつ。
だから。銀時の影になったせいか、とつづけた桂のことばのそのさきは、銀時の口唇に呑み込まれた。
ん。ぅん。んふ。
合わせる口唇の角度を変えるたび、その合間を縫うように桂の濡れた吐息がこぼれ落ちる。昼日中の高い太陽も、桂の未だ幼さを留めた外見も、もう有効な抑止力にはならなかった。
だんだんに深まっていく口接けに、止まらないのか止められないのか、おたがいの身に回された腕はどちらも相手を抱くちからをつよめるばかりで、退くことを知らない。腰に熱が溜まってくるのがわかる。薄く目を開けた銀時は、名残を惜しみながら銀糸を引く口唇を、かなりの努力をもって引き剥がした。
だから、やばいって、わかってたんだ。
そう呟いて、そのまま桂のうえにちからなく突っ伏した。
「いつまで銀さんに禁欲生活を強いる気だよ。莫迦ヅラ」
「ヅラじゃない、桂だ」
銀時の顔の横で仰向いたままの桂の声が、頰骨越しに伝わってくる。
「殊勝なことを。この姿では襲えぬか」
「いま俺がおまえをあれしたら、へたすりゃ犯罪よ犯罪」
そのくせまだ、このからだを引き離す気になれないのだから、こまった。
「むかしは、したくせに」
桂は、どこかおもしろがっている声音で返す。
「いやだからあれは、銀さんもおなじくらいだったわけでしょ」
こどもどうしなら罪のない戯れですむ。片方が分別あって然るべきおとなであれば、相愛であろうとそれは背徳なのだ。
「なかみは、貴様とおなじ歳なのだから、気にすることもあるまいに」
そうは云われても、現実に抱きしめるからだの儚さが、銀時をぎりぎり引き留めるのだった。おとなになっても線の細いからだではあったが、この華奢とも呼べる頼りなさと張りのあるしなやかさはやはり少年期特有のもので、それをむちゃくちゃに蹂躙したい欲望も、ないと云えばうそになるけれど。本来あるべき姿の桂に対する渇望は、それを遥かに凌ぐのだ。
抱きたいのはいまの桂で、過去じゃない。
「なにそれ。誘ってんの」
突っ伏していた身を起こし両肘でおのが上半身を支えて、銀時はそのなかに閉じこめた桂を見た。桂の眸がふいに細められ、眩しいものを見るようにかざした掌で、銀時の髪をなぶった。
「光に透けてる。きれいだな」
そう呟いた桂の黒曜石の双眸は、ふわふわと八方に伸びる白銀髪を映している。いつのまにか伸ばされた両の腕の掌が押し包むように、銀時の髪をなんども梳いた。ぽふぽふと掌に遊ばせては、癖毛を指先にからめて撫でつける。
「ヅラ」
愛おしむかのしぐさと、その見つめてくる眼差しに息苦しさを覚えて、銀時は救いを求めるように名を呼んだ。これで誘っていないというなら、こいつはいっぺん死んだほうがいい。なんでこれを常態のときにやってくれないのかと恨み言のひとつも云いたくなる。
そんな銀時の葛藤など何処吹く風で、桂はその呼び名を訂正することもわすれたように、白銀の髪とそれを梳くおのれの手の甲を見つめている。
「たしかにまだまだ、縮んでるな」
「ああ? 俺の髪のことか、そりゃ」
「莫迦、ちがう」
そう笑って、銀時の目のまえに手をかざした。
ああ、そうか。桂自身は我が身を見られるわけじゃないから、鏡を見ているのでもないかぎり、おのれの身の若返りとその再成長ぐあいは、こうして四肢の彼我の差で実感するほうが多いのだろう。
銀時はその掌に、おのれの手を重ねた。
「俺のが大きいな」
「あたりまえだ。貴様の掌の大きさにおれが勝てたことなどないぞ」
それはそうなのだが。
「こんなに差があるって、なかったじゃん」
桂も刀を使うから、体格に比せば手はしっかりしているのだが、大きいと云うよりは指が長い。銀時と決定的にちがうのはその骨格と、掌の肉厚だった。銀時の手は大きいがごつごつした感はあまりなくて、弾力のある強靱な肉に纏われているのだ。
桂がその肉厚の掌に指を這わせた。
ああもう、だからね。
そのまま指の一本でも口に含んでくれたら、これはもう誘い以外のなにものでもないから、銀時のなけなしのおとなの分別とやらも雲散霧消してしまうだろうに。どこまでも天然の、常人とはあたまの配線の異なる桂は、銀時の掌の弾力を確かめるようになぞるばかりで、そこになにかべつのものを見ているのだろう。
そんなことまで察してしまう、おのれらの生半可ではない付き合いの長さと深さとが、恨めしい。
「もとのからだに戻ったら、あらためて比べてみよう」
あのしなやかに長い指と薄い掌。そのくせ気功だか掌底だかの技まで使うのだから、おのれが云うのもなんだが、こいつのつよさも人外というかたいがいだと思う。
「はいはい。だからせいぜい早くもとに戻って、銀さんを慰めなさい」
「戻ったら真っ先にやるべきことが、ほかにいくつもあるのだが」
思案げに云いながら離れていく桂の指先を、銀時の掌が逆に捕らえる。その拍子に向けられた桂の視線を逃さず視線で捉えたまま銀時は、つかんだ指先に口唇を押し付けた。
「そのいくつかに、俺は入れてくんねーの」
ふふ、と桂が潜めた声で仄かに笑う。
「貴様と、こんなふうに過ごす時間を得られるとは思っていなかった」
されるままに指先を銀時にあずけながら、桂はそう呟いた。
「それ、俺のせりふ」
桂が攘夷活動から離れ、銀時のもとで、この腕の届く範囲で毎日を過ごす。それは桂が常態であれば、叶わぬ夢なのだ。少なくとも攘夷が成るまでは、桂はそんな生き方をおのれにゆるしはしないだろうから。
いや、たとえそのときがきても、桂が銀時を択ぶ保証などない。桂から云わせればそれまで銀時が桂を希みつづけている保証もないということになるのだが、あいにく銀時にはそんな斟酌はないのだった。だってそんなもの、思い切ることができるんならとうに思い切っている。あの、桂を捨てた日に、そうするつもりで。結局がいま、このざまなのだから。
おのれはこんなにも、こいつのことが。
幾度となく繰り返し口唇を押しあてては、ちろちろと舌先で、桂の指の甲と腹とを擽る。煽るだけ煽ってくれた仕返しだ。
桂がくすぐったそうに身を竦めた。
小一時間ほどをひなたぼっこのようにゆるゆると過ごしてから、またベスパにまたがった。江戸の町を望む丘陵地はいくつかあって、花見の名所だったり紅葉狩りに絶好だったりするが、そのどちらの季節からも外れたいまは賑わいにはほど遠い。だから銀時は呑気にベスパを走らせていた。
丘を下る緩やかな坂道がカーブを描く。後部座席から伸びた桂の手は、銀時の腰に回されている。カーブを曲がるたびごと、重心移動する銀時のうごきにあわせてからだをあずけてくる。タンデムにも慣れてきて心地よい瞬間だ。
そのいくつめかのカーブの曲がり端、目に入った対向車線の大型車に、路肩に寄ってやり過ごそうとしたときだった。その大型車がセンターラインを踏み越えて銀時のベスパに突進してきた。
馬鹿野郎、酔っぱらってんのか。
などと叫ぶいとまもなく、急いて切ったハンドルは無情にも、ふたりを乗せたベスパを足場のない中空へと放り出した。
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続 2009.01.06.
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