連作「天涯の遊子」の番外、坂桂篇。其の一。
短篇のつもりが思ったより長くなったので、前後篇に分ける予定でいたら、
ちょめ追加でさらに長くなったため、つごう三分割。
坂本と桂。と、エリザベス。と、坂本 in エリー。
*注
但し、エリザベスはエリザベスという存在で正体には言及せず。
もしも坂本がエリーに代わったなら…、というお話。
設定そのものがお莫迦なので、そのあたりは流してね。
in エリーの番外は、坂本篇・高杉篇・銀時篇で三部作の予定。
ヅラ誕 2008、党首のしあわせキャンペーン(笑) の序。
でもたぶん六月中には終わらない…。
後半に微エロあり、注意。
待ち合わせの時刻きっかりに、白いものは現れた。
「おー、ステファン。こっちちや」
ネット茶屋の一角で、黒いもじゃもじゃあたまが白いものを手招きする。
『お久しぶりです、坂本さん』
看板で挨拶を交わし、さっそく用件に移った。
『夕食の買いものと云って出てきました。今晩のメニューは、これ。材料のメモです』
受け取って、坂本は目を細める。
「カレーか。これならわしにもつくれる。得意料理やか」
『そう思って、一週間の献立表も簡単なものを』
と、白いものの手が、レシピとおぼしき紙の束を坂本に渡してくる。
「ありがとなー。ステファン。心配は料理ばあだ。あとは掃除も洗濯も交渉ごとも、なんちゃーどんとこいやき」
『ほんとに、だいじょうぶですか』
坂本はにっかり笑って、持っていた風呂敷包みから、ばさりとそれを取りだした。白いものが、丸い目をさらに丸くする。
「ようできちゅうろう。快援隊特製、エリぐるみリアルver.13。この感触など、ほれ、おまんそのままに再現しちゅう。このふわんふわん加減に苦労したがだ。ここが小太郎のお気に入りやきな。改良に改良を重ねて、ちゃんと看板も仕込めるようになっちゅうが」
うれしそうに得意げに語る坂本に、白いものは気遣わしげな目を向けた。
『また、陸奥殿に叱られませんか。無駄に金を掛けるなと』
「おまん、桂さんに似てきちゅうぞ。なに、陸奥にもちゃんと話はとおしてあるがで。この季節、蒸れ対策もばっちりやか」
そういって、坂本はあたまからすっぽりとその特製品を被り、黄色の水掻きを履く。茶屋のwebカメラでモニタリングしてみた。ディスプレイには二対の白いものの姿が映しだされている。そのふたつが顔を見合わせた。
『やき、ほがーに心配しやーせき、休暇と思ってゆっくりしたらえいがだ』
坂本がさっそく手にした看板で、白いものに語る。
『承知しました。桂さんをお願いします。でも土佐弁は不味いですよ、坂本さん』
『あ、
しもうた。そうやった しまった。そうでした』
プラカードで会話する、おなじ白い物体。端から見れば不気味なことこの上ないので、坂本は早々に買いものに向かった。入れ替わった白いもの、すなわちエリザベスは、少々時間をおいてから茶屋を出る手筈になっている。
外は、梅雨の雨空が実際の時刻よりも日暮れを早く感じさせていた。坂本は慣れぬ水掻き履きに足もとを気にしながら、片手に買いもの籠、片手に雨傘の出で立ちで、桂の待つ家へと急ぐ。それでもその足取りは軽やかだった。
* * *
「ごちそうまでした」
礼儀正しく食後の挨拶をして、桂はエリザベスを見た。余人にはあまりみせることのないやわらかな眼差しで、笑みさえ含んでいるようだ。坂本はエリぐるみのなかから、うっとりとそれを眺める。ステファンが羨ましいぜよ。ぎっちりこがな顔を見ちゅうのか。
「うまかったぞ、エリザベス。いつもと味が違ったようだが、つくりかたを変えたのか?」
どきりとする。
『たまにはちがった風もいいかと思いまして、アレンジを』
「そうか。なにごとも切磋琢磨するのはよいことだ。えらいな」
坂本がとっさに云い繕ったのへ、桂は生真面目に頷いて褒めた。こがなところは相手がペットでもひとでも変わらんな。と、坂本は微笑ましくなる。
桂の隠れ家はさまざまあるが、いまいるのは長屋の一角で、建物は古びているが柱も桟も磨き上げられ、破れ障子も美しく型取りされた色和紙で塞がれてある。隅々まで掃除の行き届いた六畳一間に、厨を兼ねた土間から続く玄関の三和土も、きれいに掃き清められていた。
桂もきれい好きな一面はあるが、労を惜しんで掃除をするというわけでもないから、多忙な日々のせめてものやすらぎの空間を、とエリザベスが心を砕いているのだろうと知れた。
長屋とはいえ、さすがにいまは水回りも完備され、猫の額ほどの裏庭に厠も風呂も個別に設えられていて、単身者が住まうには過不足もない。茶の間兼寝間の一角には枕屏風が夜具を隠している。ここに住まうあいだは、これを仕切りにして桂はエリザベスと一間を分けあって過ごしているのだった。
古くは行灯の置かれた片隅には、小型のテレビが鎮座ましましている。
坂本がエリザベスの姿で厨に立って片づけをしていると、食後の茶をたのしみながら天気予報を見ていた桂が、よかったな、エリザベス。あすは洗濯日和だそうだ、と呟いた。
「あすはおれも時間があるから、手伝うぞ。ふとんも干そうか」
『せっかくのおやすみなんですから、ゆっくりしていてください。桂さん』
洗いものを終えて桂の斜め後ろにちょこんと正座した坂本は、そうプラカードで示した。おまえはいいこだな、と桂が微笑する。
ふいに抱きしめたくなって、坂本はこまった。この姿ではそういうわけにもいかない。そもそも今回の主たる目的はそこではない。
坂本が桂に贈ったエリザベスの日々の労をねぎらい、まとまった休暇をあたえることと、坂本自身が桂の日常に触れてたのしむこと。そしてもうひとつ。
ひさびさの晴れ間つづきに、ふかふかのふとんとお日様の匂いのするシーツにくるまって、めずらしく桂は寝過ごした。
すやすやと眠る幼子のような桂の寝顔に、起こすのを忍びなく思ったエリザベス、ではなく坂本が、無理に起床させなかったからだが、桂はそんな自分を恥じたらしい。もともと体温も低いし、低血圧気味で、朝はけして得意ではない。その桂がきっちり刻限に目覚めるのは、ひとえにその性格の賜物だった。
梅雨のあいま、皐月を思わせるからりと乾いた空気に、寝苦しさもなく、そのおかげで睡りが深かったのかもしれぬが、と前置きして
「どうも、妙だな」
いくぶん遅めの朝餉を口にしながら、桂はひとりごちる。
「こんなことは、めったにないのだが。どこかで気が抜けているのやもしれぬ」
こんなことではいかん、いかん。と、もぐもぐ咀嚼するあいまに呟く桂に、坂本はエリぐるみのなかで苦笑した。気が抜けちゅうがやなく、寛いじゅうのだ。ほがーに気にすることでもないがに。
藍の紗紬の単衣に絽の羽織という涼しげな装いに、包み隠された細身のからだがわずかに透けて見えて、坂本の目をたのしませた。ちゃぶ台を挟んで桂の右脇に座した坂本は、着ぐるみでの食事を器用にこなしている。食事時は食事に集中しがちなはずの桂の視線が、つ、とエリザベスに流れてきた。
「どうも雰囲気が違う」
いつもの癖で小首を傾げながら、桂がエリザベスをじっと見つめた。坂本は思わずひやりとする。だが桂はこちらを訝しんでいるわけではないらしく、浮かんでいるのはそう感じるおのれ自身に戸惑っているような、そんな覚束ない表情だった。
ふだんひとに対して、ときに酷薄とさえ呼べる対応をしてのける桂が、愛するペットをまえにしては、その怜悧さもいささか削がれるのだろうか。いちど掛けた愛情の対象を深く大きく受け入れる、というのは桂の長所にして欠点だから、思想や思惑の渦巻く人間とは違い、動物相手ではそうした面がよりつよく発揮されてしまうということか。
まあ、だからこそ坂本も、こんなばかげたまねを考えついたわけだが。
エリザベスの外見とエリザベスの働きをするエリぐるみの相手を、桂は微塵も疑うまい。一時的になら完璧な入れ替わりを成せるはずだ。
けれど。上手の手から水が漏れる。人間のやることに完璧などない。
坂本の七日間エリザベス生活も余すところあと一日、というところで、ことは発覚した。
桂が風呂をつかったあと、一日の寝しまに浸かるのがエリザベスの日課だ。それに倣った坂本が、雑務と公務に追われたその日の疲れを癒していると。
「かぁつらぁぁぁぁぁ」
バズーカの大音響とともに、真選組一番隊隊長の怒声が、長屋中に響き渡った。すわ、一大事。と、坂本は風呂を飛び出しエリぐるみをひっかぶって、六畳間に向かう。玄関先から打ち込まれた爆撃を避けて裏庭に飛び出した桂と、鉢合わせた。
「逃げるぞ、エリザベス」
いつ逃亡となってもいいように、つねにまとめられている小さな風呂敷包みひとつを懐に、腰に刀を帯びた真白い夜着姿の桂が、庭先を跳ねた。板塀を足場に軽々と屋根に飛び移る。坂本も、比すれば些か重いうごきではあったが、昔取った杵柄でそれに続く。
武士のならいで下穿きだけはつけたまま湯を浴びる。坂本にはいまはもう失くしかけた習慣だったが、エリザベスとして桂のそばにいるときだけは念のためにと、往時の慣習に従ったのが幸いした。
夜空にかかる更け待ちの月。その月光を避けるように屋根の上を桂に続いて駆ける。真選組は意外にも深追いしては来なかった。ついさっき、屋根づたいに逃げようとした坂本が背中で聞いた呟きを思い出す。目の端で捉えたのは、バズーカを肩に担いだ若く小柄な隊長服。
「祝砲には、ちぃとばかし、フライングでしたかねィ」
まさかぇ。あいたという日を知っての、所業ろうか。
足裏に走った痛みに、坂本は我に返る。しまったと思ったのはそのときだった。
続 2008.06.05.
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待ち合わせの時刻きっかりに、白いものは現れた。
「おー、ステファン。こっちちや」
ネット茶屋の一角で、黒いもじゃもじゃあたまが白いものを手招きする。
『お久しぶりです、坂本さん』
看板で挨拶を交わし、さっそく用件に移った。
『夕食の買いものと云って出てきました。今晩のメニューは、これ。材料のメモです』
受け取って、坂本は目を細める。
「カレーか。これならわしにもつくれる。得意料理やか」
『そう思って、一週間の献立表も簡単なものを』
と、白いものの手が、レシピとおぼしき紙の束を坂本に渡してくる。
「ありがとなー。ステファン。心配は料理ばあだ。あとは掃除も洗濯も交渉ごとも、なんちゃーどんとこいやき」
『ほんとに、だいじょうぶですか』
坂本はにっかり笑って、持っていた風呂敷包みから、ばさりとそれを取りだした。白いものが、丸い目をさらに丸くする。
「ようできちゅうろう。快援隊特製、エリぐるみリアルver.13。この感触など、ほれ、おまんそのままに再現しちゅう。このふわんふわん加減に苦労したがだ。ここが小太郎のお気に入りやきな。改良に改良を重ねて、ちゃんと看板も仕込めるようになっちゅうが」
うれしそうに得意げに語る坂本に、白いものは気遣わしげな目を向けた。
『また、陸奥殿に叱られませんか。無駄に金を掛けるなと』
「おまん、桂さんに似てきちゅうぞ。なに、陸奥にもちゃんと話はとおしてあるがで。この季節、蒸れ対策もばっちりやか」
そういって、坂本はあたまからすっぽりとその特製品を被り、黄色の水掻きを履く。茶屋のwebカメラでモニタリングしてみた。ディスプレイには二対の白いものの姿が映しだされている。そのふたつが顔を見合わせた。
『やき、ほがーに心配しやーせき、休暇と思ってゆっくりしたらえいがだ』
坂本がさっそく手にした看板で、白いものに語る。
『承知しました。桂さんをお願いします。でも土佐弁は不味いですよ、坂本さん』
『あ、
しもうた。そうやった しまった。そうでした』
プラカードで会話する、おなじ白い物体。端から見れば不気味なことこの上ないので、坂本は早々に買いものに向かった。入れ替わった白いもの、すなわちエリザベスは、少々時間をおいてから茶屋を出る手筈になっている。
外は、梅雨の雨空が実際の時刻よりも日暮れを早く感じさせていた。坂本は慣れぬ水掻き履きに足もとを気にしながら、片手に買いもの籠、片手に雨傘の出で立ちで、桂の待つ家へと急ぐ。それでもその足取りは軽やかだった。
* * *
「ごちそうまでした」
礼儀正しく食後の挨拶をして、桂はエリザベスを見た。余人にはあまりみせることのないやわらかな眼差しで、笑みさえ含んでいるようだ。坂本はエリぐるみのなかから、うっとりとそれを眺める。ステファンが羨ましいぜよ。ぎっちりこがな顔を見ちゅうのか。
「うまかったぞ、エリザベス。いつもと味が違ったようだが、つくりかたを変えたのか?」
どきりとする。
『たまにはちがった風もいいかと思いまして、アレンジを』
「そうか。なにごとも切磋琢磨するのはよいことだ。えらいな」
坂本がとっさに云い繕ったのへ、桂は生真面目に頷いて褒めた。こがなところは相手がペットでもひとでも変わらんな。と、坂本は微笑ましくなる。
桂の隠れ家はさまざまあるが、いまいるのは長屋の一角で、建物は古びているが柱も桟も磨き上げられ、破れ障子も美しく型取りされた色和紙で塞がれてある。隅々まで掃除の行き届いた六畳一間に、厨を兼ねた土間から続く玄関の三和土も、きれいに掃き清められていた。
桂もきれい好きな一面はあるが、労を惜しんで掃除をするというわけでもないから、多忙な日々のせめてものやすらぎの空間を、とエリザベスが心を砕いているのだろうと知れた。
長屋とはいえ、さすがにいまは水回りも完備され、猫の額ほどの裏庭に厠も風呂も個別に設えられていて、単身者が住まうには過不足もない。茶の間兼寝間の一角には枕屏風が夜具を隠している。ここに住まうあいだは、これを仕切りにして桂はエリザベスと一間を分けあって過ごしているのだった。
古くは行灯の置かれた片隅には、小型のテレビが鎮座ましましている。
坂本がエリザベスの姿で厨に立って片づけをしていると、食後の茶をたのしみながら天気予報を見ていた桂が、よかったな、エリザベス。あすは洗濯日和だそうだ、と呟いた。
「あすはおれも時間があるから、手伝うぞ。ふとんも干そうか」
『せっかくのおやすみなんですから、ゆっくりしていてください。桂さん』
洗いものを終えて桂の斜め後ろにちょこんと正座した坂本は、そうプラカードで示した。おまえはいいこだな、と桂が微笑する。
ふいに抱きしめたくなって、坂本はこまった。この姿ではそういうわけにもいかない。そもそも今回の主たる目的はそこではない。
坂本が桂に贈ったエリザベスの日々の労をねぎらい、まとまった休暇をあたえることと、坂本自身が桂の日常に触れてたのしむこと。そしてもうひとつ。
ひさびさの晴れ間つづきに、ふかふかのふとんとお日様の匂いのするシーツにくるまって、めずらしく桂は寝過ごした。
すやすやと眠る幼子のような桂の寝顔に、起こすのを忍びなく思ったエリザベス、ではなく坂本が、無理に起床させなかったからだが、桂はそんな自分を恥じたらしい。もともと体温も低いし、低血圧気味で、朝はけして得意ではない。その桂がきっちり刻限に目覚めるのは、ひとえにその性格の賜物だった。
梅雨のあいま、皐月を思わせるからりと乾いた空気に、寝苦しさもなく、そのおかげで睡りが深かったのかもしれぬが、と前置きして
「どうも、妙だな」
いくぶん遅めの朝餉を口にしながら、桂はひとりごちる。
「こんなことは、めったにないのだが。どこかで気が抜けているのやもしれぬ」
こんなことではいかん、いかん。と、もぐもぐ咀嚼するあいまに呟く桂に、坂本はエリぐるみのなかで苦笑した。気が抜けちゅうがやなく、寛いじゅうのだ。ほがーに気にすることでもないがに。
藍の紗紬の単衣に絽の羽織という涼しげな装いに、包み隠された細身のからだがわずかに透けて見えて、坂本の目をたのしませた。ちゃぶ台を挟んで桂の右脇に座した坂本は、着ぐるみでの食事を器用にこなしている。食事時は食事に集中しがちなはずの桂の視線が、つ、とエリザベスに流れてきた。
「どうも雰囲気が違う」
いつもの癖で小首を傾げながら、桂がエリザベスをじっと見つめた。坂本は思わずひやりとする。だが桂はこちらを訝しんでいるわけではないらしく、浮かんでいるのはそう感じるおのれ自身に戸惑っているような、そんな覚束ない表情だった。
ふだんひとに対して、ときに酷薄とさえ呼べる対応をしてのける桂が、愛するペットをまえにしては、その怜悧さもいささか削がれるのだろうか。いちど掛けた愛情の対象を深く大きく受け入れる、というのは桂の長所にして欠点だから、思想や思惑の渦巻く人間とは違い、動物相手ではそうした面がよりつよく発揮されてしまうということか。
まあ、だからこそ坂本も、こんなばかげたまねを考えついたわけだが。
エリザベスの外見とエリザベスの働きをするエリぐるみの相手を、桂は微塵も疑うまい。一時的になら完璧な入れ替わりを成せるはずだ。
けれど。上手の手から水が漏れる。人間のやることに完璧などない。
坂本の七日間エリザベス生活も余すところあと一日、というところで、ことは発覚した。
桂が風呂をつかったあと、一日の寝しまに浸かるのがエリザベスの日課だ。それに倣った坂本が、雑務と公務に追われたその日の疲れを癒していると。
「かぁつらぁぁぁぁぁ」
バズーカの大音響とともに、真選組一番隊隊長の怒声が、長屋中に響き渡った。すわ、一大事。と、坂本は風呂を飛び出しエリぐるみをひっかぶって、六畳間に向かう。玄関先から打ち込まれた爆撃を避けて裏庭に飛び出した桂と、鉢合わせた。
「逃げるぞ、エリザベス」
いつ逃亡となってもいいように、つねにまとめられている小さな風呂敷包みひとつを懐に、腰に刀を帯びた真白い夜着姿の桂が、庭先を跳ねた。板塀を足場に軽々と屋根に飛び移る。坂本も、比すれば些か重いうごきではあったが、昔取った杵柄でそれに続く。
武士のならいで下穿きだけはつけたまま湯を浴びる。坂本にはいまはもう失くしかけた習慣だったが、エリザベスとして桂のそばにいるときだけは念のためにと、往時の慣習に従ったのが幸いした。
夜空にかかる更け待ちの月。その月光を避けるように屋根の上を桂に続いて駆ける。真選組は意外にも深追いしては来なかった。ついさっき、屋根づたいに逃げようとした坂本が背中で聞いた呟きを思い出す。目の端で捉えたのは、バズーカを肩に担いだ若く小柄な隊長服。
「祝砲には、ちぃとばかし、フライングでしたかねィ」
まさかぇ。あいたという日を知っての、所業ろうか。
足裏に走った痛みに、坂本は我に返る。しまったと思ったのはそのときだった。
続 2008.06.05.
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