連作「天涯の遊子」の読み切り短篇。
万事屋舞台で、銀→桂。回想で高杉(高桂←銀もしくは銀→桂←高)。
春雨(転生郷)以降、ニンジャーまえ。
*『火影』と一部連動
まっ、そうなにもかもがうまくいくわきゃ、ないか。
万事屋の応接用のソファにごろりと横になりながら、そうひとりごちて銀時はおのれの手を額の上空に翳して見た。
「いまからおれがおまえの左腕だ」
転生郷にまつわる春雨の一件でそう桂に云われたとき、こいつといまさら共闘なんて、と思うこころの一方で、からだの奥底に染みついた記憶がもたらす昂揚感は拭いきれなかった。翳した左手をそのまま瞼の上にそっと置く。
「…ヅラぁ」
つぶやくともなしにつぶやいた。
がらがら、と玄関の引き戸が開く。定春の散歩から帰ってきた神楽が、勢いよく駆け込んできた。
「銀ちゃん、ヅラ、来たアルよ」
「オン!!」
人馬ならぬ、天人の少女と巨大犬とが同時に叫んで、見ると背後に、新八と歓談しながら入ってくる桂の姿があった。
「お邪魔する」
律儀にあいさつをして、新八に勧められるまま、銀時の向かいに腰を下ろす。
「おめーよ、ひとんちたずねるときは、なにかあんだろ。こう、持ってくるものがさ」
ついいましがたまで思い耽っていた相手の出現に、内心のどぎまぎを意味不明な男の沽券でねじ伏せて、銀時は気怠げに桂を見た。
「あ、それなら、さっき道端で会ったとき貰ったアル」
「あれは奪い取った、というのが正しいよ。神楽ちゃん」
銀時の科白を勝手にひきとった子どもたちが、奥から返す。すでに台所では神楽が包みを開いているらしい、紙のこすれる音がした。
「貴様、どうしたのだ。その手は」
「あん?」
新八が切り分けてくれた栗蒸し羊羹を手づかみでほおばる銀時の、卓におかれたほうの手を見て、桂が問うた。銀時が翳して見ていた左手だ。包帯が巻かれている。
「ああ、こりゃ、なんだ。その」
「なんだ。侍ならはっきり云わんか。ちゃんと手当はしたのだろうな?」
「銀さん、自分でやるからいいって、僕たちにも見せてくれないんですよ。医者にも診せてないみたいだし」
銀時の隣で新八が云うと、とうに自分のぶんを平らげてしまった神楽が、手つかずの桂のぶんに視線を釘付けにしたまま、あらぬ方向へ話を逸らす。
「きっと、やばい傷ヨ。人妻に手を出して旦那に斬りかかられたか、その人妻に抵抗されて思いっきり噛まれたのに決まってるアルね」
「神楽ちゃん。またこんどはどんな昼ドラ見てるの。ないから、それ。銀さんにそんな甲斐性、ないから」
「うむ。人妻を相手にするときはだな、たいみんぐを見計らうことが肝要だ。…よければ、食すか?」
じぃぃっと見つめる神楽の視線に、気づいた桂がそう云い添えた。
「いいアルか?」
「神楽ちゃんダメでしょ。失礼ですよ、桂さんに。茶菓子にお客さまのお持たせで、というだけでも、もうしわけないのに」
神楽が目を輝かせるのを、あわてて新八が止めに入った。桂は湯呑みに品良く手を添え、ほどよい濃さの緑茶を口に運ぶ。
「よいのだ。え、と、新八くんとやら。あまり甘いものは食いつけぬのでな」
「ほら、いいって云ってるアル。いただくヨ。ヅラ、ありがとアル」
銀時が桂をそう呼ぶのをそのまま覚えて気兼ねもなく呼び、礼を云ったつぎの瞬間には、桂のまえの栗蒸し羊羹は神楽の胃袋に納まっていた。
「あああ!! すみません、桂さん!」
「気にすんなー新八。こいつマジ糖分ダメだから」
「あ、そうなんですか? じゃあよけいにもうしわけなかったですね。すみません」
年齢(とし)のわりに苦労性でしっかりものの少年は、そう頭を下げた。それへ、気にするなというそぶりで応じて、桂は銀時の正面を向きなおった。
「貴様は少しは気にしろ、銀時。甘いものを三度の飯代わりにできるようなやつは、早死にするぞ」
「るせー。まだ糖は下りてませんー。てか、なら、持ってくんなよ、甘いもんを」
「なにを云うか。持ってこなければ来ないで、さきほどのように文句を垂れるくせに」
話題が左手の包帯から逸れたことにほっとする。春雨の一件があったせいかどうなのか、新八も神楽も桂に懐きはじめているな、と銀時は思った。傷を見せるような羽目にでもなれば、桂なら、刀傷だとすぐわかる。子どもたちに見せたいものでもないし、それ以上にその経緯を話すのは面倒だった。ことに桂には、知られたくない、という意識がどこかにあった。
その傷が、高杉の抜き身を握って防いだ際にできたものだったからだ。
高杉がまつりに乗じて、江戸に大きな花火を打ち上げようとした。息子を奪われた老人のこころの間隙をついて。そのこと自体は桂も承知しているはずで、だからべつだん、銀時が高杉と再会したことがまずいわけではない。まずいのは、と銀時が一方的に思っているのは、そのときのほんの些細なやりとりを、桂に知られることだった。銀時が、それを知られるのがいやなせいだった。
* * *
「ヅラと会ってるってな」
鞘から抜き差した刀で銀時のうしろをとって、男がそういった。ぞろりとした派手な着流し、片手に瓢箪。左顔を包帯で覆った、頽廃的な姿。高杉は嫌な目つきで厭な笑い方をした。
「…あっちが勝手に来んだよ」
「どのつらさげて、会うんだ?てめーは。なあ、銀時?」
高杉の云わんとすることは銀時にも理解できたが、それを高杉に云われたくはなかった。桂になら、いくらでも責められて当然と思う。だが当の桂はそれをしない。それゆえに銀時は、桂にどう対していいのか、いまだに惑っている。そこを他人にとやかく云われるのは、ごめんだった。たとえそれが、戦友であろうと、幼なじみであろうと。
「どのつらもなにも。銀さんの面はひとつしかないでしょーが」
「はっ。よく云うぜ、白夜叉。てめーが桂にしたこと、させたこと、ほかのだれがどう庇おうが、たとえ桂が赦そうが、俺はゆるさねぇ」
「あいかわらずだな、てめーは。ヅラのこととなると見境がねえ」
「そのことば、そっくりそのまま返すぜ。銀時」
刹那、高杉から、明確な殺気が立ちのぼった。殺られるとは思わなかったが、うしろをとられているぶん、分が悪い。だがそれは意外にも、すうっと、消えて。
云ったのだ、高杉は。
「いまさらだよなぁ、銀時。俺たちゃおなじ穴の狢だ。てめーも知っちゃあいるんだろうが」
背後から耳元によせて。気味悪いほどにやわらかな声音は、わざとだ。
「ヅラは…いいよな」
暗に含ませた毒に、気づかない銀時ではなかった。
「あ、そう」
右の拳をぎゅっと握りしめる。そのときは、爪が食い込むのにも、気づかなかった。
「なんのことだかわかんねーけど。せいぜいあいつに甘えさせてもらいなさいよ、晋ちゃん」
精一杯の虚勢を張った。気づいてか気づかずか、高杉が鼻で笑う。
「それよりさ、高杉よぉ」
まつりの人混みに、指名手配中の過激派浪士。
「…なんでてめーがこんなところにいんだ…」
高杉が語るのを聞くともなしに聞かされて。抜こうとした刀を素手で止め、握った拳で思い切り、高杉をぶっ飛ばした。
* * *
銀時の落とした視線の先に、爪痕があった。右の掌に残って、うっすらとまだ消えない。それほどつよく握っていたのかと、おかしくなる。そうしないと自制できないほどに、あの瞬間、湧き上がったものは。そのむかしも、たびたび銀時を苛んだ、やっかいな感情ってやつで。
いつのまにやら、神楽や新八と談笑している桂の表情を、そっと盗み見る。顔を合わせれば攘夷活動の勧誘を忘れない。忘れないが、近頃それはもう、あいさつ代わりだった。現にきょうも桂は、新八が手みやげを切り分けている間に、貴様が攘夷に戻るならこのようなものいつだって届けてやるぞ、とひとこと云っただけだ。パフェかシュークリームにして、と応えておいた。
「なんだ、銀時。貴様も食い足りぬのか。おれの顔は蒸し羊羹ではないぞ?」
知らず、じっと見つめてしまっていたらしい。あわてて取り繕おうとするのへ、神楽が呑気に口を挟む。
「銀ちゃん、ヅラはそんなに甘いアルか?」
思わずぎょっとなった銀時に、桂がくすりと笑うのが見えた。このやろー。
やっぱり、このままじゃ置けない。なに考えてるんだか知らねーが、こいつは、俺のもんだ。高杉なんぞに御せるやつじゃねえ。おのれのことは棚にあげ、銀時は決意した。
かつて、銀時が桂をおのれの甘露と内心で位置づけていたことなど、知るよしもない神楽は、ふたりのおとなの顔を交互に見比べている。
桂が笑いながら、立ち上がった。ちらりとよこした目線の妖しさに、銀時は腹の奥で呻く。
「では、食われるまえに、お暇するとしよう」
このやろーーーー。
了 2008.01.08.
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まっ、そうなにもかもがうまくいくわきゃ、ないか。
万事屋の応接用のソファにごろりと横になりながら、そうひとりごちて銀時はおのれの手を額の上空に翳して見た。
「いまからおれがおまえの左腕だ」
転生郷にまつわる春雨の一件でそう桂に云われたとき、こいつといまさら共闘なんて、と思うこころの一方で、からだの奥底に染みついた記憶がもたらす昂揚感は拭いきれなかった。翳した左手をそのまま瞼の上にそっと置く。
「…ヅラぁ」
つぶやくともなしにつぶやいた。
がらがら、と玄関の引き戸が開く。定春の散歩から帰ってきた神楽が、勢いよく駆け込んできた。
「銀ちゃん、ヅラ、来たアルよ」
「オン!!」
人馬ならぬ、天人の少女と巨大犬とが同時に叫んで、見ると背後に、新八と歓談しながら入ってくる桂の姿があった。
「お邪魔する」
律儀にあいさつをして、新八に勧められるまま、銀時の向かいに腰を下ろす。
「おめーよ、ひとんちたずねるときは、なにかあんだろ。こう、持ってくるものがさ」
ついいましがたまで思い耽っていた相手の出現に、内心のどぎまぎを意味不明な男の沽券でねじ伏せて、銀時は気怠げに桂を見た。
「あ、それなら、さっき道端で会ったとき貰ったアル」
「あれは奪い取った、というのが正しいよ。神楽ちゃん」
銀時の科白を勝手にひきとった子どもたちが、奥から返す。すでに台所では神楽が包みを開いているらしい、紙のこすれる音がした。
「貴様、どうしたのだ。その手は」
「あん?」
新八が切り分けてくれた栗蒸し羊羹を手づかみでほおばる銀時の、卓におかれたほうの手を見て、桂が問うた。銀時が翳して見ていた左手だ。包帯が巻かれている。
「ああ、こりゃ、なんだ。その」
「なんだ。侍ならはっきり云わんか。ちゃんと手当はしたのだろうな?」
「銀さん、自分でやるからいいって、僕たちにも見せてくれないんですよ。医者にも診せてないみたいだし」
銀時の隣で新八が云うと、とうに自分のぶんを平らげてしまった神楽が、手つかずの桂のぶんに視線を釘付けにしたまま、あらぬ方向へ話を逸らす。
「きっと、やばい傷ヨ。人妻に手を出して旦那に斬りかかられたか、その人妻に抵抗されて思いっきり噛まれたのに決まってるアルね」
「神楽ちゃん。またこんどはどんな昼ドラ見てるの。ないから、それ。銀さんにそんな甲斐性、ないから」
「うむ。人妻を相手にするときはだな、たいみんぐを見計らうことが肝要だ。…よければ、食すか?」
じぃぃっと見つめる神楽の視線に、気づいた桂がそう云い添えた。
「いいアルか?」
「神楽ちゃんダメでしょ。失礼ですよ、桂さんに。茶菓子にお客さまのお持たせで、というだけでも、もうしわけないのに」
神楽が目を輝かせるのを、あわてて新八が止めに入った。桂は湯呑みに品良く手を添え、ほどよい濃さの緑茶を口に運ぶ。
「よいのだ。え、と、新八くんとやら。あまり甘いものは食いつけぬのでな」
「ほら、いいって云ってるアル。いただくヨ。ヅラ、ありがとアル」
銀時が桂をそう呼ぶのをそのまま覚えて気兼ねもなく呼び、礼を云ったつぎの瞬間には、桂のまえの栗蒸し羊羹は神楽の胃袋に納まっていた。
「あああ!! すみません、桂さん!」
「気にすんなー新八。こいつマジ糖分ダメだから」
「あ、そうなんですか? じゃあよけいにもうしわけなかったですね。すみません」
年齢(とし)のわりに苦労性でしっかりものの少年は、そう頭を下げた。それへ、気にするなというそぶりで応じて、桂は銀時の正面を向きなおった。
「貴様は少しは気にしろ、銀時。甘いものを三度の飯代わりにできるようなやつは、早死にするぞ」
「るせー。まだ糖は下りてませんー。てか、なら、持ってくんなよ、甘いもんを」
「なにを云うか。持ってこなければ来ないで、さきほどのように文句を垂れるくせに」
話題が左手の包帯から逸れたことにほっとする。春雨の一件があったせいかどうなのか、新八も神楽も桂に懐きはじめているな、と銀時は思った。傷を見せるような羽目にでもなれば、桂なら、刀傷だとすぐわかる。子どもたちに見せたいものでもないし、それ以上にその経緯を話すのは面倒だった。ことに桂には、知られたくない、という意識がどこかにあった。
その傷が、高杉の抜き身を握って防いだ際にできたものだったからだ。
高杉がまつりに乗じて、江戸に大きな花火を打ち上げようとした。息子を奪われた老人のこころの間隙をついて。そのこと自体は桂も承知しているはずで、だからべつだん、銀時が高杉と再会したことがまずいわけではない。まずいのは、と銀時が一方的に思っているのは、そのときのほんの些細なやりとりを、桂に知られることだった。銀時が、それを知られるのがいやなせいだった。
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「ヅラと会ってるってな」
鞘から抜き差した刀で銀時のうしろをとって、男がそういった。ぞろりとした派手な着流し、片手に瓢箪。左顔を包帯で覆った、頽廃的な姿。高杉は嫌な目つきで厭な笑い方をした。
「…あっちが勝手に来んだよ」
「どのつらさげて、会うんだ?てめーは。なあ、銀時?」
高杉の云わんとすることは銀時にも理解できたが、それを高杉に云われたくはなかった。桂になら、いくらでも責められて当然と思う。だが当の桂はそれをしない。それゆえに銀時は、桂にどう対していいのか、いまだに惑っている。そこを他人にとやかく云われるのは、ごめんだった。たとえそれが、戦友であろうと、幼なじみであろうと。
「どのつらもなにも。銀さんの面はひとつしかないでしょーが」
「はっ。よく云うぜ、白夜叉。てめーが桂にしたこと、させたこと、ほかのだれがどう庇おうが、たとえ桂が赦そうが、俺はゆるさねぇ」
「あいかわらずだな、てめーは。ヅラのこととなると見境がねえ」
「そのことば、そっくりそのまま返すぜ。銀時」
刹那、高杉から、明確な殺気が立ちのぼった。殺られるとは思わなかったが、うしろをとられているぶん、分が悪い。だがそれは意外にも、すうっと、消えて。
云ったのだ、高杉は。
「いまさらだよなぁ、銀時。俺たちゃおなじ穴の狢だ。てめーも知っちゃあいるんだろうが」
背後から耳元によせて。気味悪いほどにやわらかな声音は、わざとだ。
「ヅラは…いいよな」
暗に含ませた毒に、気づかない銀時ではなかった。
「あ、そう」
右の拳をぎゅっと握りしめる。そのときは、爪が食い込むのにも、気づかなかった。
「なんのことだかわかんねーけど。せいぜいあいつに甘えさせてもらいなさいよ、晋ちゃん」
精一杯の虚勢を張った。気づいてか気づかずか、高杉が鼻で笑う。
「それよりさ、高杉よぉ」
まつりの人混みに、指名手配中の過激派浪士。
「…なんでてめーがこんなところにいんだ…」
高杉が語るのを聞くともなしに聞かされて。抜こうとした刀を素手で止め、握った拳で思い切り、高杉をぶっ飛ばした。
* * *
銀時の落とした視線の先に、爪痕があった。右の掌に残って、うっすらとまだ消えない。それほどつよく握っていたのかと、おかしくなる。そうしないと自制できないほどに、あの瞬間、湧き上がったものは。そのむかしも、たびたび銀時を苛んだ、やっかいな感情ってやつで。
いつのまにやら、神楽や新八と談笑している桂の表情を、そっと盗み見る。顔を合わせれば攘夷活動の勧誘を忘れない。忘れないが、近頃それはもう、あいさつ代わりだった。現にきょうも桂は、新八が手みやげを切り分けている間に、貴様が攘夷に戻るならこのようなものいつだって届けてやるぞ、とひとこと云っただけだ。パフェかシュークリームにして、と応えておいた。
「なんだ、銀時。貴様も食い足りぬのか。おれの顔は蒸し羊羹ではないぞ?」
知らず、じっと見つめてしまっていたらしい。あわてて取り繕おうとするのへ、神楽が呑気に口を挟む。
「銀ちゃん、ヅラはそんなに甘いアルか?」
思わずぎょっとなった銀時に、桂がくすりと笑うのが見えた。このやろー。
やっぱり、このままじゃ置けない。なに考えてるんだか知らねーが、こいつは、俺のもんだ。高杉なんぞに御せるやつじゃねえ。おのれのことは棚にあげ、銀時は決意した。
かつて、銀時が桂をおのれの甘露と内心で位置づけていたことなど、知るよしもない神楽は、ふたりのおとなの顔を交互に見比べている。
桂が笑いながら、立ち上がった。ちらりとよこした目線の妖しさに、銀時は腹の奥で呻く。
「では、食われるまえに、お暇するとしよう」
このやろーーーー。
了 2008.01.08.
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