「天涯の遊子」銀桂篇+土桂篇
銀時と桂と土方と。
新八、神楽、長谷川、沖田、近藤、ほか。
竜宮篇以降、モンハン篇よりまえ。
回数未定。其の四。銀時、桂、新八、神楽、長谷川、土方。
桂、どこだ。
落ちた崖下をくまなく、背の低い草木を掻き分けるようにして、銀時は桂の姿を捜し求めた。
生きているなら返事しろ。
だが、気を失っていようが、そこに桂がいるのなら気配でわからぬ銀時ではない。このひとけのなさは、すでにここには銀時しかいないことを告げていないか。
こころを落ち着けるように深呼吸してもういちど辺りを見回す。フロントのへしゃげたベスパがちいさく見える。銀時が気がついた場所からはもうずいぶん離れてしまっていた。
落ち着け。
ふたり同時にベスパごと投げ出されたのだ。これより遠くへ飛ばされるはずがない。いつのまにか夕闇も迫っている。丘陵地だ。灯りもない、足もとの整備の為されていない場所を闇雲に歩き回るのは、うまいやりかたではない。事故後、銀時はしばらく気を失っていたようだから、桂のほうがさきに気づいた可能性だってある。
少し離れた場所に落っこちて、そこでおなじように桂も銀時の姿を見失ったなら、やはり捜して歩いただろう。そうこうするうち、まさか迷子にでもなったのだろうか。
ありうる。竜宮城を天竺と混同するようなやつだ。
つとめてくだらないほうへと思考を飛ばしながら、銀時はベスパの車体を引き起こした。エンジンはかからないが、原形を留めているから、なおせばまた走れるだろう。足もとに銀時のくたびれた財布が転がっていた。事故ったときにポケットから飛び出して車体の下敷きになっていたらしい。片手でかったるく拾い上げると、挟み込んでいた診察券が落ちそうになった。縁起でもない。
西の空に茜雲が立っている。陽のあるうちに道路に出なければ。
だいじょうぶだ。
桂なら、だいじょうぶ。
桂は潜伏と逃亡を繰り返している生活上、江戸の地理には銀時より詳しい。たとえここで迷子になったとしても、丘を下れば江戸の町に戻ることくらいわかる。太陽が出ているのだから下りる方角を誤るような心配もない。あの健脚だ。かぶき町までなら徒歩でだって帰れる。これだけ捜して桂の影も形もないのだから、どうあれ桂は歩ける状態なのだ。それならだいじょうぶだ。ここはいったん、万事屋に戻るべきだ。
自分自身に云い聞かせるように銀時は無理矢理おのれを納得させると、後ろ髪引かれるおもいを振り切って、道路に出られる場所を求めてその場をあとにした。
だが。
痛むからだと傷だらけのベスパを引き摺って帰り着いた万事屋に、待ち望んだ桂の姿はなかった。
帰りの遅い銀時と桂を心配して退勤時間を過ぎても待っていた新八は、渋る銀時を振り切って、姉のお妙に連絡を入れる。志村家の掛かり付けの医師を連れてお妙が駆けつける間に、神楽は階下のスナックお登勢に急を知らせた。
銀時の怪我は当人が思っていたよりひどくて、捻挫に打撲に擦過傷。骨折こそないのは銀時が頑丈にできていたからに過ぎないという。
そのまま走り去ったのだろう事故のおおもとの大型車にひとしきり悪態を吐いて気がすんだのか、新八と神楽の懸念は桂の安否に絞られていた。いますぐにでも捜しに飛び出しそうな神楽を明るくなるまで待つよう宥めて、銀時自身つとめて取ろうとした睡眠の睡りの浅さに閉口しながら、その夜を過ごした。
これほど夜明けが待ち遠しいことは、戦時からこっち、なかった気がする。幾度かあった、前線に出たまま戻らぬ桂を待つ時間は、生きた心地がしなかった。むろん逆の立場で、銀時が桂を待たせたこともあるのだが。
翌朝、怪我の身を押して銀時は神楽と新八をともなって、駕籠屋で事故現場を訪れた。路上にはベスパのスリップ痕だけがあって、酔っぱらいの対向車はやはり、自分のしでかしたことにも気づかずに、あるいは気づかぬふりで、走り去っていったのだと知れた。
そこから落下の痕跡を辿りながら、なにか手がかりになるようなものでもないかと、あらためてしらみつぶしに当たってみる。
出掛けには念のため、桂の隠れ処、というか緊急時の連絡先に電話を入れてそれとなく確かめてもみたが、エリザベスや同志たちのもとを訪ねたようなふしもない。桂の行方不明を告げるにはまだ時期尚早な気がして、電話の理由は適当にでっち上げた。こいつらが事態を知ったら騒動になるのは目に見えている。副作用で桂が若齢化したのにだって、おそらく内情ではかなり対応に困じているだろうことは想像に難くないのだから。
だから桂も、気懸かりだったのだ。万事屋に誰もいないときを見計らって、連絡を取るくらいには。あの白ペンギンがいかに優秀なペットでも、党首代行は代行でしかない。その白ペンギンこそが、だれより桂の帰参を待ち望んでいるはずだ。
丸一日かけて、事故現場から落下箇所、そこから市街地へと辿る途、あたりをつけてくまなく探っても、桂の遺体がないことを確認できたのだけが唯一の救いであり収穫であって、桂の行方は杳として知れないままだった。
くそぅ。これじゃあまるで、神隠しにでも遭ったようじゃないか。
きのう銀時が捜したときにも踏み荒らしたような足跡らしきものはいくつかあったが、それが桂のものかどうか判然としない。専門家が鑑定でもすればわかるかもしれないが、そもそもいまの桂は常態ではなくそのうえ刻々と成長しているわけだから、それすらも怪しい。まずそれ以前に警察に、ここ江戸ではすなわち真選組に、捜索など頼むわけもなかったが。
だいいち桂が無事でここを抜けているなら連絡くらいしてくるだろう。それもないのはどう見ても変だ。それすらできないような異常事態が起きているのか。
帰りの駕籠屋を呼んで待つあいだ、手持ちぶさたに足もとの小石を蹴っていた神楽が、ふいに思いついたように問いかけてきた。
「銀ちゃん、ヅラ、ヘルメット被ってたアルか」
「メット? もちろん往きも帰りも被ってたぜ」
からだ以上にこころに堪えた疲労からか道端にしゃがみ込んでいた銀時は、顔を上げるのも億劫そうにそう応えた。
「じゃあ、あたまは打ってないアルな」
「いや、神楽ちゃん。ヘルメット被ってたって、あたまは打つと思うよ。防護にはなるだろうけど」
少しさきで駕籠屋が来るはずの方角を眺めていた新八が振り返って云う。刹那、なにかが閃いたように、昂奮した口調になった。
「そうか。桂さん、事故のとき、あたまでも打ったんじゃ」
なにそれ。ひょっとして、記憶喪失ってやつ?
「まえに銀さんもなったじゃないですか。桂さんも合コンのときにたしか馬に蹴られて一時的になってませんでしたっけ?」
なんてこった。じゃあ桂は、あのとき銀時よりさきに気がついて。そのままふらふらとどこかへ。
冗談じゃない。血の気が引いた。
常態の桂なら、指名手配犯として面も割れているから、当人が記憶を失くそうが周囲がそれとわかるだろう。少なくとも桂が桂であることは、当人以外が知っている。
だがいまの桂は。いまの桂を桂とわかるのは、桂の配下の幹部連のほかは、万事屋とその周辺の、事情を知らされている人間だけだ。だれも指名手配犯の桂小太郎とは思うまい。せいぜいが彼に似た少年、くらいのものだ。
そんな状態で本来の姿に戻っていく桂は、傍目には異常な早さで成長していくように映るだろう。さらには早晩もとの姿に戻って、記憶のない状態で指名手配犯として追われることになる。いつものように捕り手から逃げ切れるとは限らない。そうなるまえに桂を見つけださなければ。
ばちがあたったのだ。
そんな、らしくもないことばが銀時の脳裡を掠めた。
降りかかった桂の身の禍、それゆえに過ごせる日々を、どこかでよろこんでいる自分がいた。桂の内心の憂慮を察しつつ、銀時自身も早く戻れと願っておきながら、この時間を手放したくないとどこかこころの奥底で希んではいなかったか。
あたりまえのように桂が傍にいる日常に、桂が目の届くところに在る安心感に、それほど銀時は餓えていたのだ。もうずっと、長いこと。戦時以前にまで遡る、それは平和でしあわせな、時の記憶。
気がついて、ぞっとした。
結局自分は。使命に殉ずる桂より、ただおのれのそばにいて、おのれだけのものである桂を。おのれが希んでとなりに立つのではなく、桂をおのがとなりに引き摺りおろすだけの安穏の日々を、希んでいるのか。
「銀さん、ともかく乗ってくださいよ。帰って出直しましょう」
新八にそう声をかけられるまで、迎えの駕籠屋が着いていたことにも気づかずに、銀時はそんな出口のない想念に沈んでいた。
* * *
昼日中の警邏は、かったるい。ことにこんな秋晴れの日には、いかに真選組一途な土方といえども、仕事など放り出したい誘惑に駆られる。
午後もだいぶまわったし、そろそろ休憩の頃合いか。江戸の民の憩いの場である大きな公園のかたすみで、土方は煙草に火を点けた。
元気な年寄りの集団が陽が落ちるまでにもう一勝負とばかりにゲートボールに興じ、乳母車の親子連れがのんびりと散歩をしている。外回りの営業職とおぼしき面々も一息ついているのかベンチで缶珈琲を飲んでいる。
対照的に、くたびれたなりで銜え煙草にサングラスという出で立ちの輩もいる。ベンチの背もたれにぐったりと背中と両腕をあずけて、天を仰いでいる。座る横に求人誌が放ってあるところを見ると、失業中なのだろう。足もとには半分ほど空き缶の詰まった大きなビニール袋が置かれてあった。
そのおとこのもとへ、こちらは身なりのしゃんとした少年が駆け寄った。いまどきちゃんとした元服まえ姿の小振袖に袴、髪をうしろで高く結いひとつに結んで背に流しているのが、そこだけ時間が止まったかのような、古びた映写機のなかのざらついた映像のようだった。
サングラスのおとこが、少年から缶珈琲を受け取っている。
「いやぁ悪いね、ぼうや。いいのかい」
「ここまで連れてきてもらった礼だ。手持ちの小銭では、そのくらいしか買えなんだ。あいすまぬ」
言葉遣いまで古風だ。
「とんでもない。おじさん、どうせひまだからね」
プルトップを引き上げて、銜えていた煙草を手指に持ち替えながら、口をつける。
「方々に捨てられている、あるみ缶とやらを拾い集めている途中だったのだろう。清掃作業中だったのではないか」
「いや、清掃ってか、その、たんなるゴミ拾いで」
「ゴミ拾いは立派な地域奉仕活動だ」
おとこは、気まずそうにぽりぽりとあたまを掻いた。
「そんな、ごたいそうなもんじゃねぇんだよ。ちっとだが金になるんだ」
「そうなのか」
少年はそれを見下げるでもなく、素直に感心したような声を上げる。
「それよりぼうや、これからどうする。ほんとになにも思い出せないのかい」
その反応にほっとしたような照れたような表情で、おとこが訊ねた。
「うむ。よくわからんが、気づいたときには小高い丘の中腹の、藪のなかをさまよい歩いていたのだ。そのときは手になにか持っていたような気もするのだが、迷ってるうちに失えたらしい。いやちがうな。最初はあたまに着けていたのだったか。とにかく貴殿に会わなければ、いまも野っぱらで彷徨っていたやも知れぬ」
続 2009.01.10.
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桂、どこだ。
落ちた崖下をくまなく、背の低い草木を掻き分けるようにして、銀時は桂の姿を捜し求めた。
生きているなら返事しろ。
だが、気を失っていようが、そこに桂がいるのなら気配でわからぬ銀時ではない。このひとけのなさは、すでにここには銀時しかいないことを告げていないか。
こころを落ち着けるように深呼吸してもういちど辺りを見回す。フロントのへしゃげたベスパがちいさく見える。銀時が気がついた場所からはもうずいぶん離れてしまっていた。
落ち着け。
ふたり同時にベスパごと投げ出されたのだ。これより遠くへ飛ばされるはずがない。いつのまにか夕闇も迫っている。丘陵地だ。灯りもない、足もとの整備の為されていない場所を闇雲に歩き回るのは、うまいやりかたではない。事故後、銀時はしばらく気を失っていたようだから、桂のほうがさきに気づいた可能性だってある。
少し離れた場所に落っこちて、そこでおなじように桂も銀時の姿を見失ったなら、やはり捜して歩いただろう。そうこうするうち、まさか迷子にでもなったのだろうか。
ありうる。竜宮城を天竺と混同するようなやつだ。
つとめてくだらないほうへと思考を飛ばしながら、銀時はベスパの車体を引き起こした。エンジンはかからないが、原形を留めているから、なおせばまた走れるだろう。足もとに銀時のくたびれた財布が転がっていた。事故ったときにポケットから飛び出して車体の下敷きになっていたらしい。片手でかったるく拾い上げると、挟み込んでいた診察券が落ちそうになった。縁起でもない。
西の空に茜雲が立っている。陽のあるうちに道路に出なければ。
だいじょうぶだ。
桂なら、だいじょうぶ。
桂は潜伏と逃亡を繰り返している生活上、江戸の地理には銀時より詳しい。たとえここで迷子になったとしても、丘を下れば江戸の町に戻ることくらいわかる。太陽が出ているのだから下りる方角を誤るような心配もない。あの健脚だ。かぶき町までなら徒歩でだって帰れる。これだけ捜して桂の影も形もないのだから、どうあれ桂は歩ける状態なのだ。それならだいじょうぶだ。ここはいったん、万事屋に戻るべきだ。
自分自身に云い聞かせるように銀時は無理矢理おのれを納得させると、後ろ髪引かれるおもいを振り切って、道路に出られる場所を求めてその場をあとにした。
だが。
痛むからだと傷だらけのベスパを引き摺って帰り着いた万事屋に、待ち望んだ桂の姿はなかった。
帰りの遅い銀時と桂を心配して退勤時間を過ぎても待っていた新八は、渋る銀時を振り切って、姉のお妙に連絡を入れる。志村家の掛かり付けの医師を連れてお妙が駆けつける間に、神楽は階下のスナックお登勢に急を知らせた。
銀時の怪我は当人が思っていたよりひどくて、捻挫に打撲に擦過傷。骨折こそないのは銀時が頑丈にできていたからに過ぎないという。
そのまま走り去ったのだろう事故のおおもとの大型車にひとしきり悪態を吐いて気がすんだのか、新八と神楽の懸念は桂の安否に絞られていた。いますぐにでも捜しに飛び出しそうな神楽を明るくなるまで待つよう宥めて、銀時自身つとめて取ろうとした睡眠の睡りの浅さに閉口しながら、その夜を過ごした。
これほど夜明けが待ち遠しいことは、戦時からこっち、なかった気がする。幾度かあった、前線に出たまま戻らぬ桂を待つ時間は、生きた心地がしなかった。むろん逆の立場で、銀時が桂を待たせたこともあるのだが。
翌朝、怪我の身を押して銀時は神楽と新八をともなって、駕籠屋で事故現場を訪れた。路上にはベスパのスリップ痕だけがあって、酔っぱらいの対向車はやはり、自分のしでかしたことにも気づかずに、あるいは気づかぬふりで、走り去っていったのだと知れた。
そこから落下の痕跡を辿りながら、なにか手がかりになるようなものでもないかと、あらためてしらみつぶしに当たってみる。
出掛けには念のため、桂の隠れ処、というか緊急時の連絡先に電話を入れてそれとなく確かめてもみたが、エリザベスや同志たちのもとを訪ねたようなふしもない。桂の行方不明を告げるにはまだ時期尚早な気がして、電話の理由は適当にでっち上げた。こいつらが事態を知ったら騒動になるのは目に見えている。副作用で桂が若齢化したのにだって、おそらく内情ではかなり対応に困じているだろうことは想像に難くないのだから。
だから桂も、気懸かりだったのだ。万事屋に誰もいないときを見計らって、連絡を取るくらいには。あの白ペンギンがいかに優秀なペットでも、党首代行は代行でしかない。その白ペンギンこそが、だれより桂の帰参を待ち望んでいるはずだ。
丸一日かけて、事故現場から落下箇所、そこから市街地へと辿る途、あたりをつけてくまなく探っても、桂の遺体がないことを確認できたのだけが唯一の救いであり収穫であって、桂の行方は杳として知れないままだった。
くそぅ。これじゃあまるで、神隠しにでも遭ったようじゃないか。
きのう銀時が捜したときにも踏み荒らしたような足跡らしきものはいくつかあったが、それが桂のものかどうか判然としない。専門家が鑑定でもすればわかるかもしれないが、そもそもいまの桂は常態ではなくそのうえ刻々と成長しているわけだから、それすらも怪しい。まずそれ以前に警察に、ここ江戸ではすなわち真選組に、捜索など頼むわけもなかったが。
だいいち桂が無事でここを抜けているなら連絡くらいしてくるだろう。それもないのはどう見ても変だ。それすらできないような異常事態が起きているのか。
帰りの駕籠屋を呼んで待つあいだ、手持ちぶさたに足もとの小石を蹴っていた神楽が、ふいに思いついたように問いかけてきた。
「銀ちゃん、ヅラ、ヘルメット被ってたアルか」
「メット? もちろん往きも帰りも被ってたぜ」
からだ以上にこころに堪えた疲労からか道端にしゃがみ込んでいた銀時は、顔を上げるのも億劫そうにそう応えた。
「じゃあ、あたまは打ってないアルな」
「いや、神楽ちゃん。ヘルメット被ってたって、あたまは打つと思うよ。防護にはなるだろうけど」
少しさきで駕籠屋が来るはずの方角を眺めていた新八が振り返って云う。刹那、なにかが閃いたように、昂奮した口調になった。
「そうか。桂さん、事故のとき、あたまでも打ったんじゃ」
なにそれ。ひょっとして、記憶喪失ってやつ?
「まえに銀さんもなったじゃないですか。桂さんも合コンのときにたしか馬に蹴られて一時的になってませんでしたっけ?」
なんてこった。じゃあ桂は、あのとき銀時よりさきに気がついて。そのままふらふらとどこかへ。
冗談じゃない。血の気が引いた。
常態の桂なら、指名手配犯として面も割れているから、当人が記憶を失くそうが周囲がそれとわかるだろう。少なくとも桂が桂であることは、当人以外が知っている。
だがいまの桂は。いまの桂を桂とわかるのは、桂の配下の幹部連のほかは、万事屋とその周辺の、事情を知らされている人間だけだ。だれも指名手配犯の桂小太郎とは思うまい。せいぜいが彼に似た少年、くらいのものだ。
そんな状態で本来の姿に戻っていく桂は、傍目には異常な早さで成長していくように映るだろう。さらには早晩もとの姿に戻って、記憶のない状態で指名手配犯として追われることになる。いつものように捕り手から逃げ切れるとは限らない。そうなるまえに桂を見つけださなければ。
ばちがあたったのだ。
そんな、らしくもないことばが銀時の脳裡を掠めた。
降りかかった桂の身の禍、それゆえに過ごせる日々を、どこかでよろこんでいる自分がいた。桂の内心の憂慮を察しつつ、銀時自身も早く戻れと願っておきながら、この時間を手放したくないとどこかこころの奥底で希んではいなかったか。
あたりまえのように桂が傍にいる日常に、桂が目の届くところに在る安心感に、それほど銀時は餓えていたのだ。もうずっと、長いこと。戦時以前にまで遡る、それは平和でしあわせな、時の記憶。
気がついて、ぞっとした。
結局自分は。使命に殉ずる桂より、ただおのれのそばにいて、おのれだけのものである桂を。おのれが希んでとなりに立つのではなく、桂をおのがとなりに引き摺りおろすだけの安穏の日々を、希んでいるのか。
「銀さん、ともかく乗ってくださいよ。帰って出直しましょう」
新八にそう声をかけられるまで、迎えの駕籠屋が着いていたことにも気づかずに、銀時はそんな出口のない想念に沈んでいた。
* * *
昼日中の警邏は、かったるい。ことにこんな秋晴れの日には、いかに真選組一途な土方といえども、仕事など放り出したい誘惑に駆られる。
午後もだいぶまわったし、そろそろ休憩の頃合いか。江戸の民の憩いの場である大きな公園のかたすみで、土方は煙草に火を点けた。
元気な年寄りの集団が陽が落ちるまでにもう一勝負とばかりにゲートボールに興じ、乳母車の親子連れがのんびりと散歩をしている。外回りの営業職とおぼしき面々も一息ついているのかベンチで缶珈琲を飲んでいる。
対照的に、くたびれたなりで銜え煙草にサングラスという出で立ちの輩もいる。ベンチの背もたれにぐったりと背中と両腕をあずけて、天を仰いでいる。座る横に求人誌が放ってあるところを見ると、失業中なのだろう。足もとには半分ほど空き缶の詰まった大きなビニール袋が置かれてあった。
そのおとこのもとへ、こちらは身なりのしゃんとした少年が駆け寄った。いまどきちゃんとした元服まえ姿の小振袖に袴、髪をうしろで高く結いひとつに結んで背に流しているのが、そこだけ時間が止まったかのような、古びた映写機のなかのざらついた映像のようだった。
サングラスのおとこが、少年から缶珈琲を受け取っている。
「いやぁ悪いね、ぼうや。いいのかい」
「ここまで連れてきてもらった礼だ。手持ちの小銭では、そのくらいしか買えなんだ。あいすまぬ」
言葉遣いまで古風だ。
「とんでもない。おじさん、どうせひまだからね」
プルトップを引き上げて、銜えていた煙草を手指に持ち替えながら、口をつける。
「方々に捨てられている、あるみ缶とやらを拾い集めている途中だったのだろう。清掃作業中だったのではないか」
「いや、清掃ってか、その、たんなるゴミ拾いで」
「ゴミ拾いは立派な地域奉仕活動だ」
おとこは、気まずそうにぽりぽりとあたまを掻いた。
「そんな、ごたいそうなもんじゃねぇんだよ。ちっとだが金になるんだ」
「そうなのか」
少年はそれを見下げるでもなく、素直に感心したような声を上げる。
「それよりぼうや、これからどうする。ほんとになにも思い出せないのかい」
その反応にほっとしたような照れたような表情で、おとこが訊ねた。
「うむ。よくわからんが、気づいたときには小高い丘の中腹の、藪のなかをさまよい歩いていたのだ。そのときは手になにか持っていたような気もするのだが、迷ってるうちに失えたらしい。いやちがうな。最初はあたまに着けていたのだったか。とにかく貴殿に会わなければ、いまも野っぱらで彷徨っていたやも知れぬ」
続 2009.01.10.
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