「天涯の遊子」銀桂篇+土桂篇
銀時と桂と土方と。
竜宮篇以降、モンハン篇よりまえ。
全14回。其の十。土方、桂、山崎、沖田、銀時。
ほんのり、R15。
四阿の半円の長椅子に、いつのまにか覆い被さるように桂を閉じこめていた土方は、ようよう半身を擡げると、口の端から白い頬と顎とに伝い落ちる幾条もの銀糸を拭うように舐め取って、真下で荒い呼吸を整える桂を見た。我に返れば土方の息も上がっている。桂のまだ閉じられたままの長い睫に、珠のような清んだ雫が絡んでいた。それも口唇と舌先とで掬い取り、土方は額と頬とに乱れかかる桂の黒髪を指先でそっとなおす。伏せられていた双の瞼が持ち上がって、黒く濡れた双眸が土方を捉えた。
「…ひじかた」
「ああ」
呟きには嫌悪も戸惑いも感じられなかったが、おのれの都合のいい耳にそう聞こえるだけかも知れないから、土方は腹を据えて声を返した。
「煙草くさい」
思わず苦笑する。
「そっちかよ」
「どっちだ」
桂は悪戯っぽい笑みを浮かべると、まだ半身がのし掛かられたままの膝頭で、土方の腰を小突いた。
「熱いぞ」
一瞬、返答に詰まった。が、ここで怯んだら負けだ。
「だから、云ったろうが。惚れてんだからしょうがねぇだろ」
ふいに桂が目を細める。微笑んでいるのか蔑んでいるのか、量りかねる表情だった。
「いまここに、刀がなくてよかったな」
「刀ならあるぜ。俺のがよ」
土方の腰に佩いた刀の柄に、桂の指がかかる。斬り殺されるのもいいかも知れない。と、一瞬だけそんな考えが過ぎった。
「…やめておこう。芋侍の鈍刀(なまくら)では腕が頽る」
蕩ける脳髄を、そのことばが刺した。
がばと土方は身を起こす。その唐突さに、桂がきょとんと目をまるくした。
「いま、なんつった?」
「は?」
「腕が頽る、のまえ」
「なまくらでは」
「ちがう、そのまえだ」
「え?」
桂は小首を傾げるばかりで、ほんとうに憶えていない、というか思い出せないようだった。
「なんなのだ。なにか云ったか、おれは」
「…いや、いい」
土方は長椅子に座り直すふりで、視線を外す。そうだ。いずれ記憶は戻るのだ。記憶を失くした桂の、いまの記憶を引き換えにして。
さんざめく人声が聞こえてきた。近づいてくる。桂は身を起こすと、乱れた衿もとを整えながら土方を促した。
「順路に戻るぞ。ほかにも庭園へ寄り道する客がいたようだ」
落とした吸い殻を拾い上げ灰皿に捨て踵を返しかけた桂の、腕を取って引き寄せて、土方はもういちどその口唇を掠めとる。そぞろ歩きの観光客が四阿に辿り着く寸前に、素知らぬ態でふたつのからだが離れた。
城のなか、天守閣へつづく暗く急な階段を、いくつもいくつも登る。
「妙な気分だ」
観光客のおおかたが中途で挫折しそうな最終行程を、疲れを知らぬ足取りでかろやかに登っていた桂がぽつりと呟いた。
「天守は戦のための備えだが。平時であれここまで登るには、相応の身分が要る。それをこのようにたやすく入れるなど」
「まあ、いまは観光施設だからなぁ」
たやすいかどうかは議論が分かれるところだが、桂のことばの意味するところはむろん物理的な険しさなどではないだろう。終いには、手すりに補助の鎖まで用意された、それこそよじ登るかのような急階段をようやく上がり切ったところで、陽の射し込む場所に出た。ここへ至る中途の階にも、ひらけた主たる展望の間はあったが、本丸の最も高い物見櫓、ここが文字通りの天守なのだった。
土方がようやく立てるほどの天井の高さ。云うなれば屋根裏なのだが、その展望の窓からの見晴らしは、さすがにみごとだ。
「…そうか、だからか」
唐突に、桂が思いついたような声を上げた。
「なんでぇ、いきなり」
桂はひとりわかったように頷いている。
「おい?」
土方を見返ると、至極まじめな顔で云ってのけた。
「いや、宿の部屋を別けてとっていた理由だ」
「………は?」
突然ふられた話題に、土方は半瞬ついて行けなかった。それがちゃんと意味を成して脳裡に落ちてきて、土方は知らず赤面した。
「かつら」
「おまえはよいやつだな」
桂は屈託なく云って、土方の腕を取った。
うわっ。反射的に身を引きかけて、桂に笑われる。
「さきほどとはえらく違うではないか」
「うるせぇ」
つとめて平静を装ってみるが、桂からの接触には慣れていないから、どうしたって落ち着かない。
「おまえはよいやつだ」
そう繰り返して、桂はそのまま天守の窓から、抜けるような秋空を見渡した。
「おれがおまえで、そのあいてを手に入れようとするなら、からだの変調のことなど告げない。告げずに不安がらせて、おのれだけを頼らせるよう仕向ける」
思いがけぬことばに、土方はまじまじと桂を見た。怜悧な美貌の横顔が、天守の仄暗い影と射し込む陽に精緻な陰翳を描いている。きれいだなと、あらためて思う。そのことばしか浮かんでこないほどに。
「おめぇは、それで不安がるようなタマじゃねぇだろうが」
「考えても詮なきことは、考えぬようしているだけだ」
うっすらと刷かれた笑みが、さみしげに揺れた。刹那、土方の胸に込みあげてきたのが、痛みだったのか愛おしさだったのか、わからない。
「俺は、んな、いいやつじゃねぇよ」
桂に取られていた腕を、自らそろりと取りなおす。
「俺の裏っかわを見たら、んな、せりふは吐けねぇ」
そのまま、静かに抱きよせた。数えるほどしかない、かつての本来の身の桂にこうして触れたときよりも、やはりいくぶん小柄で華奢だった。
「…思うに」
抗うでなく腕に納まった桂は、土方の肩口で呟いた。
「おまえは、おれを。記憶を失くす以前のおれを、見知っていたのではないのか。最初は若齢化ゆえ、わからなかったとしても」
責めるではなく、ただ淡々と。
「な……」
そのあまりに淡々としたものいいに、云われていることの意味を咄嗟に土方は掴みかねて。
「おまえがおれに惚れているというなら、それは。このおれにではなく、おまえの見知っている、おれにではないのか」
土方は腕のなかの華奢なからだを抱くちからをつよめた。
「…んで。…なんで、そう、思う」
その声は震えてはいなかったろうか。自信がない。桂は腕のなかで小首を傾げるしぐさをした。
「そのほうが、おまえの行動に納得がいく」
「だと…したら? だとしたら、おめぇは、どうする」
腕のなかのからだが微かに笑って震えた。
「さぁ。どうするかな…」
急階段をひとの登って来る気配がある。と、感じたのと同時に、掛かる声があった。
「いた」
唐突とも思える出現に、それまでその気配に気づかなかった迂闊さをおのれに問う。だが、
「見ぃつけた」
その声に聞き覚えがあった。桂を両の腕に閉じこめたまま、土方は呆然と、急階段からあたまだけを覗かせた白銀髪を見つめていた。
* * *
話は、七日まえに遡る。
かまっ娘倶楽部の代理バイトの帰りに、長谷川から桂の所在の糸口を掴んで銀時は、深夜の真選組屯所を訪れた。
酔っぱらったふりで通用門を叩き、当直の隊士では埒があかないだろうと踏んで、まず山崎を引っ張りだした。
「万事屋の旦那じゃないですか。なんなんですか。こんな真夜中に」
眠い目をこすりながら、それでも渋々応対に出た山崎は、通用門横の土塀の柱にもたれかかる酔っぱらった態の銀時を見て、困惑した顔をした。
「うちのー、預かりっ子が、帰ってこないんですけどぉ。こちらにやっかいになってるって、聞いたもんで」
「あ」
寝惚け眼にしては打てば響くような山崎の反応だった。さすがは監査方だ。
「ああ。あの子、やっぱり旦那の知り合いの子だったんですか。やっぱ兄弟がいたのか」
自分で自分の考えに頷いて、一瞬置いて首をひねった。
「あれ? でもその子なら副長が、故郷(くに)がわかったんで連れて行くって今日、じゃないや昨日遅くに夜行で出ましたよ。万事屋の伝手で知れたって」
「故郷(くに)?」
そうきたか。
「ええ。その子記憶を失くしてて。ああ、ええと。江戸に来てから、失くしたみたいなんすけど。旦那の預かり子なら旦那にまかせりゃよかったのに」
まずは土方の出方がわかって、いまここにすでに桂がいないとなれば、長居は無用だ。とりあえずは屯所という危険な檻からは逃れたわけだ。銀時はこれ以上無駄に疑問を抱かせないよう、収拾を図った。
「あー。そういや、そうだったわ。親元に帰してやってって多串くんに頼んだんだった」
「なんですか。しっかりしてくださいよ、旦那。酔っぱらって忘れちまったんですか」
「すんまっせーん。お邪魔しましたー」
そそくさと退却しかけて、この騒ぎに起きたのか、ただ厠に立っただけなのか、隊士がひとり寝間着のままの姿で、山崎に声を掛けてきた。
「だれでィ。たちの悪ぃ酔漢か」
「あ、沖田隊長。いや、万事屋の旦那で」
「なんでィ、旦那。めずらしい。真選組の屯所なんぞに御用ですかい?」
内心拙ったなと銀時は思った。沖田には幼い姿のときの桂を見られている。結びつけて考えられたら、面倒だ。
「んにゃ。勘違い。またね、総一郞くん」
「総悟でさぁ、旦那」
うしろ姿で片手を振って、背後でつづけられる会話を流し、千鳥足を装ってその場をあとにした。
「あの子、やっぱり沖田さんが見かけた子の兄弟だったみたいですよ」
「ふうん」
あちらも宿所に戻るのだろう、だんだんに声は遠ざかっていく。
「そういや、故郷(くに)って、どこなんでしょうね。局長もあんまりくわしくは聞いてないみたいだし」
「近藤さんは甘ぇからなぁ。公務絡みとはいえ、土方、有休半月だぜィ」
「いいなぁ。俺、もうそんなに残っていませんよ」
「万事屋の旦那ぁ」
沖田が、遠く、声を上げた。
「拐かし、かもしれやせんぜ」
冗談とも本気とも取れる口調だった。
さすがに沖田は喰えない。確証はないまでもそのこどもが桂だと、疑ってはいるのだ。土方が肩入れしたとなればなおさら、理屈も常識も飛び越えたところで、直感が働くのだろうか。
いつぞやの、沖田の眸を思い出していた。雨上がりの夕闇の丘。葛折りの帰り道。あれも、また。
「やれやれ…」
銀時は、あたまを掻いて、溜息を落とす。
「どいつも、こいつも」
たったいちど、手を放したばっかりに。ほんの少し目を離したばかりに。
続 2009.04.27.
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四阿の半円の長椅子に、いつのまにか覆い被さるように桂を閉じこめていた土方は、ようよう半身を擡げると、口の端から白い頬と顎とに伝い落ちる幾条もの銀糸を拭うように舐め取って、真下で荒い呼吸を整える桂を見た。我に返れば土方の息も上がっている。桂のまだ閉じられたままの長い睫に、珠のような清んだ雫が絡んでいた。それも口唇と舌先とで掬い取り、土方は額と頬とに乱れかかる桂の黒髪を指先でそっとなおす。伏せられていた双の瞼が持ち上がって、黒く濡れた双眸が土方を捉えた。
「…ひじかた」
「ああ」
呟きには嫌悪も戸惑いも感じられなかったが、おのれの都合のいい耳にそう聞こえるだけかも知れないから、土方は腹を据えて声を返した。
「煙草くさい」
思わず苦笑する。
「そっちかよ」
「どっちだ」
桂は悪戯っぽい笑みを浮かべると、まだ半身がのし掛かられたままの膝頭で、土方の腰を小突いた。
「熱いぞ」
一瞬、返答に詰まった。が、ここで怯んだら負けだ。
「だから、云ったろうが。惚れてんだからしょうがねぇだろ」
ふいに桂が目を細める。微笑んでいるのか蔑んでいるのか、量りかねる表情だった。
「いまここに、刀がなくてよかったな」
「刀ならあるぜ。俺のがよ」
土方の腰に佩いた刀の柄に、桂の指がかかる。斬り殺されるのもいいかも知れない。と、一瞬だけそんな考えが過ぎった。
「…やめておこう。芋侍の鈍刀(なまくら)では腕が頽る」
蕩ける脳髄を、そのことばが刺した。
がばと土方は身を起こす。その唐突さに、桂がきょとんと目をまるくした。
「いま、なんつった?」
「は?」
「腕が頽る、のまえ」
「なまくらでは」
「ちがう、そのまえだ」
「え?」
桂は小首を傾げるばかりで、ほんとうに憶えていない、というか思い出せないようだった。
「なんなのだ。なにか云ったか、おれは」
「…いや、いい」
土方は長椅子に座り直すふりで、視線を外す。そうだ。いずれ記憶は戻るのだ。記憶を失くした桂の、いまの記憶を引き換えにして。
さんざめく人声が聞こえてきた。近づいてくる。桂は身を起こすと、乱れた衿もとを整えながら土方を促した。
「順路に戻るぞ。ほかにも庭園へ寄り道する客がいたようだ」
落とした吸い殻を拾い上げ灰皿に捨て踵を返しかけた桂の、腕を取って引き寄せて、土方はもういちどその口唇を掠めとる。そぞろ歩きの観光客が四阿に辿り着く寸前に、素知らぬ態でふたつのからだが離れた。
城のなか、天守閣へつづく暗く急な階段を、いくつもいくつも登る。
「妙な気分だ」
観光客のおおかたが中途で挫折しそうな最終行程を、疲れを知らぬ足取りでかろやかに登っていた桂がぽつりと呟いた。
「天守は戦のための備えだが。平時であれここまで登るには、相応の身分が要る。それをこのようにたやすく入れるなど」
「まあ、いまは観光施設だからなぁ」
たやすいかどうかは議論が分かれるところだが、桂のことばの意味するところはむろん物理的な険しさなどではないだろう。終いには、手すりに補助の鎖まで用意された、それこそよじ登るかのような急階段をようやく上がり切ったところで、陽の射し込む場所に出た。ここへ至る中途の階にも、ひらけた主たる展望の間はあったが、本丸の最も高い物見櫓、ここが文字通りの天守なのだった。
土方がようやく立てるほどの天井の高さ。云うなれば屋根裏なのだが、その展望の窓からの見晴らしは、さすがにみごとだ。
「…そうか、だからか」
唐突に、桂が思いついたような声を上げた。
「なんでぇ、いきなり」
桂はひとりわかったように頷いている。
「おい?」
土方を見返ると、至極まじめな顔で云ってのけた。
「いや、宿の部屋を別けてとっていた理由だ」
「………は?」
突然ふられた話題に、土方は半瞬ついて行けなかった。それがちゃんと意味を成して脳裡に落ちてきて、土方は知らず赤面した。
「かつら」
「おまえはよいやつだな」
桂は屈託なく云って、土方の腕を取った。
うわっ。反射的に身を引きかけて、桂に笑われる。
「さきほどとはえらく違うではないか」
「うるせぇ」
つとめて平静を装ってみるが、桂からの接触には慣れていないから、どうしたって落ち着かない。
「おまえはよいやつだ」
そう繰り返して、桂はそのまま天守の窓から、抜けるような秋空を見渡した。
「おれがおまえで、そのあいてを手に入れようとするなら、からだの変調のことなど告げない。告げずに不安がらせて、おのれだけを頼らせるよう仕向ける」
思いがけぬことばに、土方はまじまじと桂を見た。怜悧な美貌の横顔が、天守の仄暗い影と射し込む陽に精緻な陰翳を描いている。きれいだなと、あらためて思う。そのことばしか浮かんでこないほどに。
「おめぇは、それで不安がるようなタマじゃねぇだろうが」
「考えても詮なきことは、考えぬようしているだけだ」
うっすらと刷かれた笑みが、さみしげに揺れた。刹那、土方の胸に込みあげてきたのが、痛みだったのか愛おしさだったのか、わからない。
「俺は、んな、いいやつじゃねぇよ」
桂に取られていた腕を、自らそろりと取りなおす。
「俺の裏っかわを見たら、んな、せりふは吐けねぇ」
そのまま、静かに抱きよせた。数えるほどしかない、かつての本来の身の桂にこうして触れたときよりも、やはりいくぶん小柄で華奢だった。
「…思うに」
抗うでなく腕に納まった桂は、土方の肩口で呟いた。
「おまえは、おれを。記憶を失くす以前のおれを、見知っていたのではないのか。最初は若齢化ゆえ、わからなかったとしても」
責めるではなく、ただ淡々と。
「な……」
そのあまりに淡々としたものいいに、云われていることの意味を咄嗟に土方は掴みかねて。
「おまえがおれに惚れているというなら、それは。このおれにではなく、おまえの見知っている、おれにではないのか」
土方は腕のなかの華奢なからだを抱くちからをつよめた。
「…んで。…なんで、そう、思う」
その声は震えてはいなかったろうか。自信がない。桂は腕のなかで小首を傾げるしぐさをした。
「そのほうが、おまえの行動に納得がいく」
「だと…したら? だとしたら、おめぇは、どうする」
腕のなかのからだが微かに笑って震えた。
「さぁ。どうするかな…」
急階段をひとの登って来る気配がある。と、感じたのと同時に、掛かる声があった。
「いた」
唐突とも思える出現に、それまでその気配に気づかなかった迂闊さをおのれに問う。だが、
「見ぃつけた」
その声に聞き覚えがあった。桂を両の腕に閉じこめたまま、土方は呆然と、急階段からあたまだけを覗かせた白銀髪を見つめていた。
* * *
話は、七日まえに遡る。
かまっ娘倶楽部の代理バイトの帰りに、長谷川から桂の所在の糸口を掴んで銀時は、深夜の真選組屯所を訪れた。
酔っぱらったふりで通用門を叩き、当直の隊士では埒があかないだろうと踏んで、まず山崎を引っ張りだした。
「万事屋の旦那じゃないですか。なんなんですか。こんな真夜中に」
眠い目をこすりながら、それでも渋々応対に出た山崎は、通用門横の土塀の柱にもたれかかる酔っぱらった態の銀時を見て、困惑した顔をした。
「うちのー、預かりっ子が、帰ってこないんですけどぉ。こちらにやっかいになってるって、聞いたもんで」
「あ」
寝惚け眼にしては打てば響くような山崎の反応だった。さすがは監査方だ。
「ああ。あの子、やっぱり旦那の知り合いの子だったんですか。やっぱ兄弟がいたのか」
自分で自分の考えに頷いて、一瞬置いて首をひねった。
「あれ? でもその子なら副長が、故郷(くに)がわかったんで連れて行くって今日、じゃないや昨日遅くに夜行で出ましたよ。万事屋の伝手で知れたって」
「故郷(くに)?」
そうきたか。
「ええ。その子記憶を失くしてて。ああ、ええと。江戸に来てから、失くしたみたいなんすけど。旦那の預かり子なら旦那にまかせりゃよかったのに」
まずは土方の出方がわかって、いまここにすでに桂がいないとなれば、長居は無用だ。とりあえずは屯所という危険な檻からは逃れたわけだ。銀時はこれ以上無駄に疑問を抱かせないよう、収拾を図った。
「あー。そういや、そうだったわ。親元に帰してやってって多串くんに頼んだんだった」
「なんですか。しっかりしてくださいよ、旦那。酔っぱらって忘れちまったんですか」
「すんまっせーん。お邪魔しましたー」
そそくさと退却しかけて、この騒ぎに起きたのか、ただ厠に立っただけなのか、隊士がひとり寝間着のままの姿で、山崎に声を掛けてきた。
「だれでィ。たちの悪ぃ酔漢か」
「あ、沖田隊長。いや、万事屋の旦那で」
「なんでィ、旦那。めずらしい。真選組の屯所なんぞに御用ですかい?」
内心拙ったなと銀時は思った。沖田には幼い姿のときの桂を見られている。結びつけて考えられたら、面倒だ。
「んにゃ。勘違い。またね、総一郞くん」
「総悟でさぁ、旦那」
うしろ姿で片手を振って、背後でつづけられる会話を流し、千鳥足を装ってその場をあとにした。
「あの子、やっぱり沖田さんが見かけた子の兄弟だったみたいですよ」
「ふうん」
あちらも宿所に戻るのだろう、だんだんに声は遠ざかっていく。
「そういや、故郷(くに)って、どこなんでしょうね。局長もあんまりくわしくは聞いてないみたいだし」
「近藤さんは甘ぇからなぁ。公務絡みとはいえ、土方、有休半月だぜィ」
「いいなぁ。俺、もうそんなに残っていませんよ」
「万事屋の旦那ぁ」
沖田が、遠く、声を上げた。
「拐かし、かもしれやせんぜ」
冗談とも本気とも取れる口調だった。
さすがに沖田は喰えない。確証はないまでもそのこどもが桂だと、疑ってはいるのだ。土方が肩入れしたとなればなおさら、理屈も常識も飛び越えたところで、直感が働くのだろうか。
いつぞやの、沖田の眸を思い出していた。雨上がりの夕闇の丘。葛折りの帰り道。あれも、また。
「やれやれ…」
銀時は、あたまを掻いて、溜息を落とす。
「どいつも、こいつも」
たったいちど、手を放したばっかりに。ほんの少し目を離したばかりに。
続 2009.04.27.
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