「天涯の遊子」沖桂篇。全4回。
沖田と桂。土方も絡む。
現在の、現時点推移と、回想が時系列で、同時進行。
紅桜以降、動乱篇まえ。
「総悟ぉ!?」
この場はただ黙って笑うしか、沖田に取れる手段はない。
「な。てめぇ、なにしてやがんだ。こんなところで。勤めはどうした。おめぇは非番じゃねぇだろが」
「非番はともかく、あとの科白はそっくりお返ししやすぜ。土方さん」
こんどは土方が沈黙する番だった。
「隅に置けねぇや。いつのまに桂と懇ろになってたんですかィ」
「だっ。だれが懇ろ…、てか、てめぇ。いつからそこにいやがった!?」
知らず顔を赤らめ声を荒げる土方に、桂の声が被った。
「悪趣味だな。童。ずっとあとをつけてきてそこに潜んでいたのだろう」
沖田は感嘆の口笛を吹く。
「お見通しだったわけですかィ? なら旦那もひとが悪いや。俺の覗き見も、土方の恥ずかしい告白も、知っててやらしたんなら」
土方が、思わず背後の桂を振り返った。桂は悪びれもしない。
「童。土方には俺に会いに来る理由がある。童がここにいる理由はなんだ?」
「おなじでさぁ」
ほとんど条件反射的に、そのことばが出た。
「俺もあんたに会いたかったんでィ。まえにも云ったじゃねえですかィ。あんたと本気の勝負がしてぇ」
「総悟、てめぇ、なに抜かしてやがる。十年早ぇよ」
「わかってねぇなぁ。土方さんも、旦那も」
沖田は挙げていた手を、腰に落とした。気づいた土方が、柄に添えていた指を握りなおす。
「いまじゃなきゃ意味がないんでィ。待ってたら、いまの桂はいなくなるじゃねえですか。老いぼれた桂に勝ったところで、おもしろくもなんともねぇや」
わずかに腰を落とす。重心を低くした。いつでも抜刀できる体勢だ。
「総悟」
我知らず弟の無茶を咎めるような声色になった土方を、桂が制した。
「童。十年経てば必ず、おれに勝てるという口振りだが」
「そう、なりやすぜ」
不敵に笑って、沖田は柄に手を掛けた。
桂は薄く笑った。冷ややかな笑みに、どこか興が乗っている。土方がそれを見て取った。
「ついでに云やぁ、童じゃねぇんで。沖田と覚えてもらえませんかねィ」
「よせ。総悟」
「止めんな」
「桂。てめぇもおもしろがってんじゃねえ」
土方も下手にはうごけず、視線だけを桂に向ける。
「惜しかったな」
くすり、笑って、桂は半歩ほど身を退いた。
「またですかィ。逃げんなや」
「十年早く生まれていたなら、よい戦力になったろうに」
そしてまた、半歩ほど退く。そのぶんを埋めようとする沖田を、土方がこんどこそ本気で制した。
「よさねえか」
抑えた声音に、凄みがあった。
「桂を庇うんですかィ。そこまで惚れやしたか」
うるさげに、土方を見た。沖田の目も本気だった。だが。
「土方が庇っているのは、貴様だ。童」
わからんか。云って、完全に沖田の間合いから出る。そしてあろうことか。桂はついぞない笑顔を向けてきた。
「たいせつにするがいい。その仲間」
沖田はそれを呆然と見た。土方にいたっては目を奪われてうごけない。その一瞬の間をついて、桂は身を翻し、瞬く間にその姿を消していた。
去り際の笑顔に毒気を抜かれ、沖田はその場に座り込んで胡座をかく。
ったく。まいどまいど逃げ足の早い。傍らでは、立ったまま、土方が新しい煙草に火を点けていた。見るともなしに見あげる。
「本気、なんですかィ」
「なにが」
「桂」
「見てたんなら、わかんだろ」
深く喫った煙を大きく吐き出す。見た見られたの気まずさはすでに消えていて、土方の態度は腹を括ったようにも見えた。
「まあねィ。俺に遠慮がないんなら、本気なんでしょうが」
「…………」
「真選組のトップ3が、そろって桂に拘泥してるってのも、褒められた状況じゃありませんぜ」
「拘泥ねぇ。…おめぇも」
そこでまた、土方は一服喫って、間をおいて。
「ある意味、囚われてるんじゃ、ねえのかい」
「…ですかねィ」
やけに素直に、うなずいていた。胡座の足首を両手でつかんで、天を仰ぐ。
「しかし、土方さん」
「ああ?」
「あんたがそういう意味で本気なら、やっかいな相手ですぜィ」
「わぁってるよ。んなこたぁ」
沖田は、知らずちからが入って凝ったからだをほぐすように、そのまま両手を組んで、伸びをした。
「いや。桂じゃなくて。万事屋の、旦那」
ぴくりと、煙草を持つ手が、振れた。沖田の目は、はしこくそれを捉える。
「桂のほうは知れねぇが、万事屋の旦那はまちがいなく、桂にご執心だ」
しばらく紫煙を目で追っていた土方は、やがて自らを納得させるように、やっぱりな、と独り言につぶやいた。
「…ああ。そいつぁ、たぶん桂のほうもだろうぜ。執心かどうかは置いても、だいじにおもってるこたぁ、たしかだ」
「そうですかィ。なら、覚悟のうえってことで、好きにしてくだせぇ」
云いながら、沖田は思い巡らす。
こうなった以上は万事屋の旦那に、土方のことを告げないでいるのは不公平じゃなかろうか。桂あいてなら、どうみても土方のほうの分が悪いが、それに同情するほどに沖田はひとが好くない。むしろ引っ掻き回してやりたくなる。万事屋の旦那を巻き込んで、たがいに牽制しあえば、沖田に漁夫の利が回ってこないともかぎらない。
その考え自体が、すでに桂へと傾斜している執心の表れなのだと、気づいて沖田は苦笑した。
* * *
そのこぢんまりとした家の玄関先で、桂は身に降り積もった雪をはらった。その手はそのまま沖田に伸びて、髪や、肩先や、背についた雪を、ごく自然な流れではらう。
このひとの、こういうところがいけねぇや。
そう沖田は思った。はらうしぐさも、その手も、おとこのものなのに。なぜこうも包み込まれるような気分になるのだろう。
からり、格子戸を開けて、なかから出迎えた白いものに、桂はねぎらいのことばを掛けた。沖田は、まじまじと見た。追ったことはあっても、間近で見ることはめったにない。この人外魔境の化け物をペットにできるのだから、やはり桂というのは、奥が深いのか、果てしなく抜けているか、なのだとあらためて沖田は思う。
『大丈夫なんですか、桂さん。そいつはいつもの、真選組の』
白いものが手のプラカードで、忠誠心を示す。それがなぜだか、沖田の癇に障った。
「きょうは非番でィ。非番に仕事するほど俺ぁ、ワーカホリックじゃねえや」
「よいのだ、エリザベス。これでも一応客なのだ。きょうは」
「いちおう、って。非道ぇな」
ふくれる沖田を、不信丸出しの態度で睨めて、白いものは次のを掲げた。
『なにかあったら、大声出してくださいよ』
「わかったわかった。台所で、鍋が噴いているようだぞ」
やわらかく微笑んで、桂は白いものを促した。
そんなやさしげな顔もできるんですねィ。そう思ったが、沖田は口にはしなかった。
* * *
早暁、桂の隠れ家を、奇襲した。
保土ヶ谷でのやりとりのあと、江戸で桂と遭遇する機会がなく、沖田は焦れていた。どうもその足で、京へと向かったらしい。あのあと会合の開かれるという宿へ現地の治安部隊が乗り込んだが、すでにもぬけの殻だったという。
というか、会合そのものが前夜のうちに、桂の提案により流れていたと思われるふしがあった。山崎が入手できたように、いずこからか情報が漏れている、という情報を桂のほうでも得ていたのだろう。にもかかわらず、桂があの場所に姿を見せたのは、つまるところ土方の意を汲んだからではないのかと、沖田は思い至った。
用心深いのか、大胆なのか、桂という人間のわけがわからなくなるのは、こういうときだ。桂は土方の恋心を知っている。その相手にそんなふうにされたなら、土方は深みに嵌る一方だろうに。
「こりゃ、意外と脈ありってことなのかねィ。だとしたら万事屋の旦那も、鳶に油揚げさらわれる、てなことにも…」
いや。それよりむしろありうるのは。土方のそれを利用して真選組や幕府の情報を得ることのほうだろう。しかし真選組が桂一派から直接的な被害を被ったことなど、沖田の知るかぎり、ない。土方が、そのあたりはちゃんと線を引いているのか。それとも桂のほうにそうする気がないのだろうか。
「ああ、もう。考えてたって埒があかねぇや。こりゃやっぱり、桂をとっつかまえて吐かせるが上策だぜィ」
もちろんそれは、沖田のいちばんの望みを果たすついでのことではあるが。
続 2008.02.03.
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「総悟ぉ!?」
この場はただ黙って笑うしか、沖田に取れる手段はない。
「な。てめぇ、なにしてやがんだ。こんなところで。勤めはどうした。おめぇは非番じゃねぇだろが」
「非番はともかく、あとの科白はそっくりお返ししやすぜ。土方さん」
こんどは土方が沈黙する番だった。
「隅に置けねぇや。いつのまに桂と懇ろになってたんですかィ」
「だっ。だれが懇ろ…、てか、てめぇ。いつからそこにいやがった!?」
知らず顔を赤らめ声を荒げる土方に、桂の声が被った。
「悪趣味だな。童。ずっとあとをつけてきてそこに潜んでいたのだろう」
沖田は感嘆の口笛を吹く。
「お見通しだったわけですかィ? なら旦那もひとが悪いや。俺の覗き見も、土方の恥ずかしい告白も、知っててやらしたんなら」
土方が、思わず背後の桂を振り返った。桂は悪びれもしない。
「童。土方には俺に会いに来る理由がある。童がここにいる理由はなんだ?」
「おなじでさぁ」
ほとんど条件反射的に、そのことばが出た。
「俺もあんたに会いたかったんでィ。まえにも云ったじゃねえですかィ。あんたと本気の勝負がしてぇ」
「総悟、てめぇ、なに抜かしてやがる。十年早ぇよ」
「わかってねぇなぁ。土方さんも、旦那も」
沖田は挙げていた手を、腰に落とした。気づいた土方が、柄に添えていた指を握りなおす。
「いまじゃなきゃ意味がないんでィ。待ってたら、いまの桂はいなくなるじゃねえですか。老いぼれた桂に勝ったところで、おもしろくもなんともねぇや」
わずかに腰を落とす。重心を低くした。いつでも抜刀できる体勢だ。
「総悟」
我知らず弟の無茶を咎めるような声色になった土方を、桂が制した。
「童。十年経てば必ず、おれに勝てるという口振りだが」
「そう、なりやすぜ」
不敵に笑って、沖田は柄に手を掛けた。
桂は薄く笑った。冷ややかな笑みに、どこか興が乗っている。土方がそれを見て取った。
「ついでに云やぁ、童じゃねぇんで。沖田と覚えてもらえませんかねィ」
「よせ。総悟」
「止めんな」
「桂。てめぇもおもしろがってんじゃねえ」
土方も下手にはうごけず、視線だけを桂に向ける。
「惜しかったな」
くすり、笑って、桂は半歩ほど身を退いた。
「またですかィ。逃げんなや」
「十年早く生まれていたなら、よい戦力になったろうに」
そしてまた、半歩ほど退く。そのぶんを埋めようとする沖田を、土方がこんどこそ本気で制した。
「よさねえか」
抑えた声音に、凄みがあった。
「桂を庇うんですかィ。そこまで惚れやしたか」
うるさげに、土方を見た。沖田の目も本気だった。だが。
「土方が庇っているのは、貴様だ。童」
わからんか。云って、完全に沖田の間合いから出る。そしてあろうことか。桂はついぞない笑顔を向けてきた。
「たいせつにするがいい。その仲間」
沖田はそれを呆然と見た。土方にいたっては目を奪われてうごけない。その一瞬の間をついて、桂は身を翻し、瞬く間にその姿を消していた。
去り際の笑顔に毒気を抜かれ、沖田はその場に座り込んで胡座をかく。
ったく。まいどまいど逃げ足の早い。傍らでは、立ったまま、土方が新しい煙草に火を点けていた。見るともなしに見あげる。
「本気、なんですかィ」
「なにが」
「桂」
「見てたんなら、わかんだろ」
深く喫った煙を大きく吐き出す。見た見られたの気まずさはすでに消えていて、土方の態度は腹を括ったようにも見えた。
「まあねィ。俺に遠慮がないんなら、本気なんでしょうが」
「…………」
「真選組のトップ3が、そろって桂に拘泥してるってのも、褒められた状況じゃありませんぜ」
「拘泥ねぇ。…おめぇも」
そこでまた、土方は一服喫って、間をおいて。
「ある意味、囚われてるんじゃ、ねえのかい」
「…ですかねィ」
やけに素直に、うなずいていた。胡座の足首を両手でつかんで、天を仰ぐ。
「しかし、土方さん」
「ああ?」
「あんたがそういう意味で本気なら、やっかいな相手ですぜィ」
「わぁってるよ。んなこたぁ」
沖田は、知らずちからが入って凝ったからだをほぐすように、そのまま両手を組んで、伸びをした。
「いや。桂じゃなくて。万事屋の、旦那」
ぴくりと、煙草を持つ手が、振れた。沖田の目は、はしこくそれを捉える。
「桂のほうは知れねぇが、万事屋の旦那はまちがいなく、桂にご執心だ」
しばらく紫煙を目で追っていた土方は、やがて自らを納得させるように、やっぱりな、と独り言につぶやいた。
「…ああ。そいつぁ、たぶん桂のほうもだろうぜ。執心かどうかは置いても、だいじにおもってるこたぁ、たしかだ」
「そうですかィ。なら、覚悟のうえってことで、好きにしてくだせぇ」
云いながら、沖田は思い巡らす。
こうなった以上は万事屋の旦那に、土方のことを告げないでいるのは不公平じゃなかろうか。桂あいてなら、どうみても土方のほうの分が悪いが、それに同情するほどに沖田はひとが好くない。むしろ引っ掻き回してやりたくなる。万事屋の旦那を巻き込んで、たがいに牽制しあえば、沖田に漁夫の利が回ってこないともかぎらない。
その考え自体が、すでに桂へと傾斜している執心の表れなのだと、気づいて沖田は苦笑した。
* * *
そのこぢんまりとした家の玄関先で、桂は身に降り積もった雪をはらった。その手はそのまま沖田に伸びて、髪や、肩先や、背についた雪を、ごく自然な流れではらう。
このひとの、こういうところがいけねぇや。
そう沖田は思った。はらうしぐさも、その手も、おとこのものなのに。なぜこうも包み込まれるような気分になるのだろう。
からり、格子戸を開けて、なかから出迎えた白いものに、桂はねぎらいのことばを掛けた。沖田は、まじまじと見た。追ったことはあっても、間近で見ることはめったにない。この人外魔境の化け物をペットにできるのだから、やはり桂というのは、奥が深いのか、果てしなく抜けているか、なのだとあらためて沖田は思う。
『大丈夫なんですか、桂さん。そいつはいつもの、真選組の』
白いものが手のプラカードで、忠誠心を示す。それがなぜだか、沖田の癇に障った。
「きょうは非番でィ。非番に仕事するほど俺ぁ、ワーカホリックじゃねえや」
「よいのだ、エリザベス。これでも一応客なのだ。きょうは」
「いちおう、って。非道ぇな」
ふくれる沖田を、不信丸出しの態度で睨めて、白いものは次のを掲げた。
『なにかあったら、大声出してくださいよ』
「わかったわかった。台所で、鍋が噴いているようだぞ」
やわらかく微笑んで、桂は白いものを促した。
そんなやさしげな顔もできるんですねィ。そう思ったが、沖田は口にはしなかった。
* * *
早暁、桂の隠れ家を、奇襲した。
保土ヶ谷でのやりとりのあと、江戸で桂と遭遇する機会がなく、沖田は焦れていた。どうもその足で、京へと向かったらしい。あのあと会合の開かれるという宿へ現地の治安部隊が乗り込んだが、すでにもぬけの殻だったという。
というか、会合そのものが前夜のうちに、桂の提案により流れていたと思われるふしがあった。山崎が入手できたように、いずこからか情報が漏れている、という情報を桂のほうでも得ていたのだろう。にもかかわらず、桂があの場所に姿を見せたのは、つまるところ土方の意を汲んだからではないのかと、沖田は思い至った。
用心深いのか、大胆なのか、桂という人間のわけがわからなくなるのは、こういうときだ。桂は土方の恋心を知っている。その相手にそんなふうにされたなら、土方は深みに嵌る一方だろうに。
「こりゃ、意外と脈ありってことなのかねィ。だとしたら万事屋の旦那も、鳶に油揚げさらわれる、てなことにも…」
いや。それよりむしろありうるのは。土方のそれを利用して真選組や幕府の情報を得ることのほうだろう。しかし真選組が桂一派から直接的な被害を被ったことなど、沖田の知るかぎり、ない。土方が、そのあたりはちゃんと線を引いているのか。それとも桂のほうにそうする気がないのだろうか。
「ああ、もう。考えてたって埒があかねぇや。こりゃやっぱり、桂をとっつかまえて吐かせるが上策だぜィ」
もちろんそれは、沖田のいちばんの望みを果たすついでのことではあるが。
続 2008.02.03.
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