「天涯の遊子」銀桂篇。
銀時と桂。紅桜と紅桜脱出行。
当然高杉は絡むが、直の登場はない。
後半に微エロあり。注意。
明日をも知れぬいのちと切羽詰まっていたのなら、体裁も沽券も困惑も遠慮もさっさとかなぐり捨てて、ただ愛しいとおもうこころのまま抱きしめたのだろうに。
* * *
あれは、いつのことだったか。
いささか大きな闘いのあと。ひとり帰陣の遅れた桂を、じりじりとした気分で待っていた。その場にいた高杉が悪態をつきながら、そのじつ桂を心配していることなど、だれの目にも明らかで。おのれはといえば、つとめて素知らぬ態を装ってはいたが、なに、内実は高杉と大差ない。坂本あたりにはばればれだったろう。東の空が白むころになってようやく無事な姿を見せた桂に、心底ほっとして、腹が立ったくらいだ。
軍師として深慮遠謀できる頭脳と冷徹なまでの判断力を持ちながら、戦場では、ときに勇敢に過ぎるきらいのあった桂は、なんどか攘夷軍幹部連三人の肝を冷やさせた。そのたびに、だがたいした怪我もなく戻ってきたのだから、心配しなければいいものを、そういうわけにもいかないところが感情というやつだ。
だから、つねに銀時の背をあずけられる唯一の存在であった桂は、その半面銀時の恐怖と不安の根源でもあった。
ことに戦の末期ちかくには、きょう失うか明日失うかの恐怖と、こいつなら絶対に大丈夫という信頼のはざまで、銀時は揺れ続けた。結果として、自らの無力さとその恐怖に押しつぶされるかたちで、銀時は離脱するのだが。
その何年かのち江戸で、指名手配書というかたちで桂の無事を知ったとき、ああ、やっぱり生きていた。やっぱりこいつは大丈夫だ。そんなおもいに安堵して。再会したあとの桂が、過激な活動に身を投じていても、やがて穏健派となった身で真選組に追われ、たまに怪我の一つや二つ負うことはあっても。それを知って、ひやりとさせられることはあったにしても。
こころのどこかで、桂が死ぬわけはない。捕まることもまして殺られることもない。と、思っていたふしがある。あるいは、思い込もうとしていただけなのかもしれないが。だからこそ。再会後、桂の心意が量りきれぬのを理由に、その対応に惑うだけのよゆうが銀時にはあったのだ。
なのに。それを嘲笑うかのように、あの人斬りが、銀時の眼前に突きつけ、晒したものは。桂の死の象徴と、その身を陵辱するかの行為。
その刹那からあとのことを、だから銀時は、おそらく正常には記憶していない。ぐちゃぐちゃになったあたまの中身と、ぼろぼろになったからだを引き摺って、ただなにかに追い立てられるように、人斬りとそれの手にする妖刀とを追っていた。そうすることでしか、おのれを保っていられなかった。
実感のないままの桂の死。その現実を喉もとに突きつけてくる、ひと束の黒髪。人斬りになど殺られるやつじゃない。あんなもの、だれのものかわからない。いや、わかる。この手になじんだなめらかさの記憶が、妖刀に受けたこの身の刀傷よりも、銀時をさいなむ。
まだおもうさま抱きしめてない。ほんとうを告げていない。云うべきことばも、聞きたいことばも、なにもかも。もう手遅れだと、あたまの裡で鳴り響く声は、やまない。
戦時の、恐怖と信頼のはざまで揺さぶられ続けた感覚が、身によみがえってくるのを、銀時は押しとどめることができないでいる。妖刀を追って辿り着いた船艇の屋根で、あのときのように素知らぬ態で、へらりと笑ってはみたが。
肉体だけが人斬りの妖刀のうごきに反応し、奥底にしみこんだからだの記憶が白夜叉としてのおのれを覚醒させていく。それをどこか他人事のように感じながら、銀時はただ、目のまえの化け物と対峙し戦い続けていた。
それがおのれという人間の本能なのか、ただ慣れという反射からくるものなのか、銀時にはわからない。わかっているのは。そのむかし、こうしたおのれに闘いの意味づけをしてくれたたしかな存在がいたことと、いまさらに、その比翼の存在を失ったかという、恐怖とも絶望ともつかぬ感覚に突き動かされていることだけだ。
けれど、負の感情だけで打ち破れるほどに、妖刀は甘くはなく容赦もなかった。妖刀に乗っ取られた人斬りに、銀時は斃され、なかば意識を手放した。
* * *
声が、聞こえた。
船艇の屋根から天井を突き破って船室へと落ち、妖刀に全身を取り巻かれて身動きもならず。遠ざかる意識の向こうで、かすかにその声が聞こえた。たしかに。
気配で感じる周りでは、刀鍛冶の娘や、夜兎の怪力娘、眼鏡男子が、懸命に刀の化け物を銀時の身から剥がそうとしてくれている。
たしかに声がする。あの世のお迎えなんかじゃない、この現世(うつしよ)のどこかから。
そう気づいたとき、銀時の失われたかにみえていたちからが、よみがえってきた。おのれの底力を呼び覚ますのは。そうだ、いつだって。
死ぬわけにはいかない。懸命におのれを救い出そうとしてくれるものたちのために。そしてなにより、あいつが生きているのなら。あの声の主がこの世に在るのなら、銀時もまた、生きてこの世に在ることの意味がある。こんなところで、くたばるわけにはいかない。
気づいたときには、妖刀ごと、人斬りの身を薙ぎ払っていた。
* * *
みなの無事退出を見届けて、高杉に捨てぜりふを吐き、桂につづいて甲板からひらりと中空に身を躍らせたとき、銀時にはなんの迷いも懸念もなかった。
用意周到な桂の腿につかまって、その背の珍妙な絵柄のパラシュートは風に運ばれ、江戸の町を眼下にしながら、漂っていく。
おたがいに割り切るかのせりふを吐きながら、そのじつ、あっさり捨てきれるはずのないことを、どちらもが知っていた。高杉と桂と銀時と。三者三様、そんな通り一遍な関係では、ありえなかった。
なにも云うまい。いまはこれ以上。再び相見えるそのときになってみなければ、実際にどうなるかなど、だれにもわかりはしないのだから。
ざっぷん。ざばざば、ざば。ぱしゃ。
珍妙なパラシュートのふたり連れは、江戸の海のはずれの、三方を岸壁と松林とに囲まれた、小さな砂浜を臨む浅瀬に不時着した。
「冬でなくて、よかったぜ」
とはいえ、満身創痍の身には、膝下くらいといえど水の中でのうごきは重い。そんな銀時をよそに、ひとけのない砂浜までさきに渡り着いた桂は、少しの間あたりのようすをうかがって風の通らない岩陰にあたりをつけると、その場でさっさと火を熾しはじめた。ほどなく点いた火種に、枯れた小枝をくべ、火を育てる。
戦争末期にはゲリラ戦法が主だっていたとはいえ、桂がこうしたサバイバル術にいまも長けているのを、喜んでいいのか悲しむべきなのか。複雑なおもいで見るともなしに見ていた銀時を、桂が手招いた。
「さっさと、脱げ」
「いやん、ヅラくんたら」
「阿呆。爆撃食らったようなからだで、濡れたままでいたら、それこそお迎えが来るぞ」
有無を云わさず片身掛けの流水柄の着物を剥ぎ取り、なかの黒の上下も脱ぐように命じてから、焚き火の近くに大きめな枯れ枝や流木を組んで、そこへ銀時の着物を絞って掛ける。そうしておいて、桂はおのれの着物の半身だけをはだけると、袖と裾とを絞った。
逆さに振ったブーツから海水を落としながら、肩口から真新しい包帯の巻かれた桂の半裸を見た銀時は、ひとりごちた。
「てめーこそ、やっぱ怪我してんじゃねぇか」
それであの太刀捌きだったのだから、やはり桂というのはおそろしい。
絞っただけの濡れた半身を襦袢だけ手早く着直して、怪我にいささか動作の鈍い銀時の上下もさっさと奪い取り、そのしたの包帯に桂が眉をひそめる。
「この傷も、まだ新しいではないか」
「てめーのもだろうが」
あの人斬りにつけられた傷か。そう思うだけで、はらわたが煮える。
「おれのはたいした傷ではない。貴様その身で紅桜を斃したか」
呆れたようにも感心したようにも桂が云うのへ、銀時は問うた。
「呼んだろう。おまえ」
「なにをだ」
「俺のこと」
「?」
枝組みの簡易物干しに黒の上下を掛けながら、桂が銀時を窺い見る。
「聞こえた。おまえの声が」
「空耳か?」
不思議そうに見る桂に、焚き火で暖を取りながら銀時はいささか決まり悪げだ。
「貴様が来ていたことには途中で気づいたが…」
「呼んだろ?」
桂は考え込んだ。
「呼んだかもしれんが。ことばにした覚えはない」
「んじゃ、それだ」
「どれだ?」
「いーの。銀さんには聞こえたんだから」
桂が訝しげに、銀時の額に手を当てる。
「熱はないようだが。幻聴か?」
「それより、俺、ぱんついっちょなんですけど」
ああ、ちょっと待て。云って桂は、最初に掛けた流水柄の着物の具合を見た。まだ少し裾のあたりが湿っているが、着ているうちに乾くだろう、と判断して、銀時の素肌にそれを掛ける。空いた場所におのれの着物を掛け乾して、襦袢一枚の姿で、掻き集めてきた枯れ枝を火に継ぎ足した。
続 2008.02.16.
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明日をも知れぬいのちと切羽詰まっていたのなら、体裁も沽券も困惑も遠慮もさっさとかなぐり捨てて、ただ愛しいとおもうこころのまま抱きしめたのだろうに。
* * *
あれは、いつのことだったか。
いささか大きな闘いのあと。ひとり帰陣の遅れた桂を、じりじりとした気分で待っていた。その場にいた高杉が悪態をつきながら、そのじつ桂を心配していることなど、だれの目にも明らかで。おのれはといえば、つとめて素知らぬ態を装ってはいたが、なに、内実は高杉と大差ない。坂本あたりにはばればれだったろう。東の空が白むころになってようやく無事な姿を見せた桂に、心底ほっとして、腹が立ったくらいだ。
軍師として深慮遠謀できる頭脳と冷徹なまでの判断力を持ちながら、戦場では、ときに勇敢に過ぎるきらいのあった桂は、なんどか攘夷軍幹部連三人の肝を冷やさせた。そのたびに、だがたいした怪我もなく戻ってきたのだから、心配しなければいいものを、そういうわけにもいかないところが感情というやつだ。
だから、つねに銀時の背をあずけられる唯一の存在であった桂は、その半面銀時の恐怖と不安の根源でもあった。
ことに戦の末期ちかくには、きょう失うか明日失うかの恐怖と、こいつなら絶対に大丈夫という信頼のはざまで、銀時は揺れ続けた。結果として、自らの無力さとその恐怖に押しつぶされるかたちで、銀時は離脱するのだが。
その何年かのち江戸で、指名手配書というかたちで桂の無事を知ったとき、ああ、やっぱり生きていた。やっぱりこいつは大丈夫だ。そんなおもいに安堵して。再会したあとの桂が、過激な活動に身を投じていても、やがて穏健派となった身で真選組に追われ、たまに怪我の一つや二つ負うことはあっても。それを知って、ひやりとさせられることはあったにしても。
こころのどこかで、桂が死ぬわけはない。捕まることもまして殺られることもない。と、思っていたふしがある。あるいは、思い込もうとしていただけなのかもしれないが。だからこそ。再会後、桂の心意が量りきれぬのを理由に、その対応に惑うだけのよゆうが銀時にはあったのだ。
なのに。それを嘲笑うかのように、あの人斬りが、銀時の眼前に突きつけ、晒したものは。桂の死の象徴と、その身を陵辱するかの行為。
その刹那からあとのことを、だから銀時は、おそらく正常には記憶していない。ぐちゃぐちゃになったあたまの中身と、ぼろぼろになったからだを引き摺って、ただなにかに追い立てられるように、人斬りとそれの手にする妖刀とを追っていた。そうすることでしか、おのれを保っていられなかった。
実感のないままの桂の死。その現実を喉もとに突きつけてくる、ひと束の黒髪。人斬りになど殺られるやつじゃない。あんなもの、だれのものかわからない。いや、わかる。この手になじんだなめらかさの記憶が、妖刀に受けたこの身の刀傷よりも、銀時をさいなむ。
まだおもうさま抱きしめてない。ほんとうを告げていない。云うべきことばも、聞きたいことばも、なにもかも。もう手遅れだと、あたまの裡で鳴り響く声は、やまない。
戦時の、恐怖と信頼のはざまで揺さぶられ続けた感覚が、身によみがえってくるのを、銀時は押しとどめることができないでいる。妖刀を追って辿り着いた船艇の屋根で、あのときのように素知らぬ態で、へらりと笑ってはみたが。
肉体だけが人斬りの妖刀のうごきに反応し、奥底にしみこんだからだの記憶が白夜叉としてのおのれを覚醒させていく。それをどこか他人事のように感じながら、銀時はただ、目のまえの化け物と対峙し戦い続けていた。
それがおのれという人間の本能なのか、ただ慣れという反射からくるものなのか、銀時にはわからない。わかっているのは。そのむかし、こうしたおのれに闘いの意味づけをしてくれたたしかな存在がいたことと、いまさらに、その比翼の存在を失ったかという、恐怖とも絶望ともつかぬ感覚に突き動かされていることだけだ。
けれど、負の感情だけで打ち破れるほどに、妖刀は甘くはなく容赦もなかった。妖刀に乗っ取られた人斬りに、銀時は斃され、なかば意識を手放した。
* * *
声が、聞こえた。
船艇の屋根から天井を突き破って船室へと落ち、妖刀に全身を取り巻かれて身動きもならず。遠ざかる意識の向こうで、かすかにその声が聞こえた。たしかに。
気配で感じる周りでは、刀鍛冶の娘や、夜兎の怪力娘、眼鏡男子が、懸命に刀の化け物を銀時の身から剥がそうとしてくれている。
たしかに声がする。あの世のお迎えなんかじゃない、この現世(うつしよ)のどこかから。
そう気づいたとき、銀時の失われたかにみえていたちからが、よみがえってきた。おのれの底力を呼び覚ますのは。そうだ、いつだって。
死ぬわけにはいかない。懸命におのれを救い出そうとしてくれるものたちのために。そしてなにより、あいつが生きているのなら。あの声の主がこの世に在るのなら、銀時もまた、生きてこの世に在ることの意味がある。こんなところで、くたばるわけにはいかない。
気づいたときには、妖刀ごと、人斬りの身を薙ぎ払っていた。
* * *
みなの無事退出を見届けて、高杉に捨てぜりふを吐き、桂につづいて甲板からひらりと中空に身を躍らせたとき、銀時にはなんの迷いも懸念もなかった。
用意周到な桂の腿につかまって、その背の珍妙な絵柄のパラシュートは風に運ばれ、江戸の町を眼下にしながら、漂っていく。
おたがいに割り切るかのせりふを吐きながら、そのじつ、あっさり捨てきれるはずのないことを、どちらもが知っていた。高杉と桂と銀時と。三者三様、そんな通り一遍な関係では、ありえなかった。
なにも云うまい。いまはこれ以上。再び相見えるそのときになってみなければ、実際にどうなるかなど、だれにもわかりはしないのだから。
ざっぷん。ざばざば、ざば。ぱしゃ。
珍妙なパラシュートのふたり連れは、江戸の海のはずれの、三方を岸壁と松林とに囲まれた、小さな砂浜を臨む浅瀬に不時着した。
「冬でなくて、よかったぜ」
とはいえ、満身創痍の身には、膝下くらいといえど水の中でのうごきは重い。そんな銀時をよそに、ひとけのない砂浜までさきに渡り着いた桂は、少しの間あたりのようすをうかがって風の通らない岩陰にあたりをつけると、その場でさっさと火を熾しはじめた。ほどなく点いた火種に、枯れた小枝をくべ、火を育てる。
戦争末期にはゲリラ戦法が主だっていたとはいえ、桂がこうしたサバイバル術にいまも長けているのを、喜んでいいのか悲しむべきなのか。複雑なおもいで見るともなしに見ていた銀時を、桂が手招いた。
「さっさと、脱げ」
「いやん、ヅラくんたら」
「阿呆。爆撃食らったようなからだで、濡れたままでいたら、それこそお迎えが来るぞ」
有無を云わさず片身掛けの流水柄の着物を剥ぎ取り、なかの黒の上下も脱ぐように命じてから、焚き火の近くに大きめな枯れ枝や流木を組んで、そこへ銀時の着物を絞って掛ける。そうしておいて、桂はおのれの着物の半身だけをはだけると、袖と裾とを絞った。
逆さに振ったブーツから海水を落としながら、肩口から真新しい包帯の巻かれた桂の半裸を見た銀時は、ひとりごちた。
「てめーこそ、やっぱ怪我してんじゃねぇか」
それであの太刀捌きだったのだから、やはり桂というのはおそろしい。
絞っただけの濡れた半身を襦袢だけ手早く着直して、怪我にいささか動作の鈍い銀時の上下もさっさと奪い取り、そのしたの包帯に桂が眉をひそめる。
「この傷も、まだ新しいではないか」
「てめーのもだろうが」
あの人斬りにつけられた傷か。そう思うだけで、はらわたが煮える。
「おれのはたいした傷ではない。貴様その身で紅桜を斃したか」
呆れたようにも感心したようにも桂が云うのへ、銀時は問うた。
「呼んだろう。おまえ」
「なにをだ」
「俺のこと」
「?」
枝組みの簡易物干しに黒の上下を掛けながら、桂が銀時を窺い見る。
「聞こえた。おまえの声が」
「空耳か?」
不思議そうに見る桂に、焚き火で暖を取りながら銀時はいささか決まり悪げだ。
「貴様が来ていたことには途中で気づいたが…」
「呼んだろ?」
桂は考え込んだ。
「呼んだかもしれんが。ことばにした覚えはない」
「んじゃ、それだ」
「どれだ?」
「いーの。銀さんには聞こえたんだから」
桂が訝しげに、銀時の額に手を当てる。
「熱はないようだが。幻聴か?」
「それより、俺、ぱんついっちょなんですけど」
ああ、ちょっと待て。云って桂は、最初に掛けた流水柄の着物の具合を見た。まだ少し裾のあたりが湿っているが、着ているうちに乾くだろう、と判断して、銀時の素肌にそれを掛ける。空いた場所におのれの着物を掛け乾して、襦袢一枚の姿で、掻き集めてきた枯れ枝を火に継ぎ足した。
続 2008.02.16.
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