二十万打御礼リクエスト。
【土桂。土方がほんの少しでも報われそうな感じに、やきもきする銀さんが絡む】
土方と桂。と、銀時。
リク土桂
「深酔い」の後日談的なもの。
通常の一話分にはちょっと長めだけど分けるほどでもない…。
さくり。
白足袋に旅草履の足が石段に綾なす落ち葉を踏みしめる。
「明け方の風でだいぶ散り、少々褪せたというが」
そう見あげる参道の上空は左右から差し交わされる梢に覆われ、それでもまだ錦に染まって鮮やかだ。
真紅、赤、橙、山吹、黄に緑。ひとくちに紅葉といってもこれほどに種類があるものか。
「いや、きれいなもんじゃねぇか」
思わず溜め息まじりに返した土方に、僧衣の背中が振り向いた。
「ほお。芋侍にも風情を解するこころはあったか」
笠に隠れてその目許までははっきりしないが、下段からやや見あげるかたちだから、その口許が笑んでいるのは見てとれた。
「つか、その格好はないだろうよ」
「うん? どこかおかしいか?」
しゃらん、と錫杖が鳴る。
そりゃ、ヅラ子以外の姿で会いたいと、かまっ娘倶楽部でくだを巻いたのは土方当人だけれど。だからって。
「紅葉狩りに墨染めはねぇだろう」
「なにを云う。寺に詣るにふさわしい装束はこれをおいてあるまい」
いやたしかにそれも似合っている。袈裟に墨衣の禁欲的なさまは逆に色っぽかったりする。するのだが。せっかくの逢引だというのに、これでは雰囲気もなにもあったものではない。
土方のほうはいつもの黒の着流しに帯刀だ。さすがに単衣から袷になって黒足袋も穿いているが、これもまた逢引というには素っ気のない装いであることは否めなかった。
指名手配犯と真選組の副長。もとより連れ立って歩くには人目を憚る間柄である。だから桂のこの出で立ちも、やむを得ないといわばいえるのだが、常日頃変装もせずに江戸市中を平然と闊歩していることを思えば、釈然としないものは残るのだ。
深くかぶった笠からわずかに覗く秀麗な白い横顔。あれでは紅葉も見づらかろうに。桂は意に介するでもなく、また一歩一歩石段を往く。二三段空けた斜め後方から土方がそれを追う。
いつもこんなもんだな、と土方は思う。俺たちの距離は。
脚絆に覆われた脛から伸びる引き締まった足首が、一畳ほどに拓けた石段のうえで止まった。桂は心持ち笠を擡げ、苔生した山門越しに続く境内の紅葉に目を細めた。
山門をくぐったすぐわきの楓が鐘楼に掛かって、参詣者の撮影ポイントになっていた。鮮やかな赤は透きとおった血のようで、そのくせ生々しくもなく涼やかだ。そこから庫裏と講堂周りを遊歩して、手水舎で手と口を浄め、まず本堂に参拝する。
平日にしては、思ったよりもひとが多い。さすがは紅葉の名所といったところか。醜態をさらしてまで漕ぎつけた紅葉狩りという名目の逢引だ。もうすこし人出を避けたいところだったがいたしかたない。みな紅葉に目を奪われているから、多生毛色のちがう長髪の僧衣姿があったところで気にとめもしないあたりは、ありがたかった。もっとも、笠を外せばそういうわけにもいくまいが。
山寺のさして広くはないが起伏に富んだ境内を一巡するうち、展望台という矢印の付いた案内板を見つけた。見るに茶店もあるらしく、甘酒、ぜんざい、だんご、おでん、とうもろこし、などと記された幟も、矢印の向けられた急な坂道沿いに立っている。
「ちょっと、いっぷくでもするか」
土方の問いかけに桂は鷹揚にうなずいて、木の枝と石で組まれただけの簡素な階段を上った。階段というよりは狭く急な自然歩道といったところで、なるほどこれでは茶店という誘惑がなければ足も向きがたい。相手がおんなこどもや年寄りなら手を差しのべるのもやぶさかではない急勾配だったが、あいにくと土方のおもいびとはそんなものはものともしない、健脚と身軽さの持ち主である。重力を感じさせない足取りでさきをゆく桂に、土方は内心で溜め息をついた。
こいつが、差しのべる手を必要とすることはあるんだろうか。
その手がいまの土方にあるとは土方自身が思えないから、畢竟ほかのだれかということになるわけで、土方は軽くあたまを振った。
いなければいないでそれは桂の孤高と孤独を示すだけだし、あればあったで土方には考えたくもない現実を突きつけられるだけだ。
二折りほど折れて登りきると、その先はひらけた台地になっていて、色づく木々のあいまに茶店の縁台がいくつか見える。わきに据えられた幟旗のむこう、軒先に湯気の立つ大鍋やら芳ばしい匂いを放つ焼き機やらの並んだ茶店があった。慣れた手つきで焼き団子を返したりおでんを器によそったりしていた年配の女店員ふたりが、店の奥に向かって声を掛けている。ぜんざいと甘酒はなかの厨房でこしらえているらしかった。
「なんにする」
「蕎麦はないのだな。甘酒でももらおうか」
店先を通り過ぎ、展望台というだけあって台地の木々の切れたむこうには、登ってきた山間の紅葉と山向こうの町並みとが見てとれた。
「ほう。なかなかによい見晴らしではないか」
さきに景色を一望した桂は、展望台のいちばん端の縁台に腰掛ける。それを見届けて土方は再度問うた。
「食いもんは?」
「ああ、まかせる」
笠の頤紐を解いて外し、眼下の眺望にやわらかな笑みを浮かべた桂が、そのままに振り返って土方をどきりとさせた。
こういうのを、なんだっけ。錦上に花を敷く、とか添えるとかいうのだったか。清かな紅葉のなかにひときわ艶やかな麗容が溶け込み、息を呑むほどの情景である。僧衣であることがいっそ清冽で、土方は茶店に足を返しながら心悸の昂まりを自覚した。
ああ、たちがわりぃ。
常日頃の無愛想な能面を見慣れているから、まれにその剥がれ落ちる一瞬がこうまで胸を刺すのだ。茶店という目的が、いや人目がなければ、この足は返らず縁台に駆け寄って、あの姿をこの腕に掻き抱いただろう。それを桂がおとなしく赦すかは、べつとして。
茶店で注文の品を告げ、さきに勘定を済ませてセルフサービスのそれを待つあいだも目は桂の姿を追う。ここからでは後ろ姿しか拝めないが、ひとつに結わいて肩に流された黒髪がときおり風に靡くのもまた、土方の目をたのしませた。
はい旦那、おまちどうさま。という年配の女店員の声に、我に返って二人前の盆を受け取る。桂のほうへと踵を返し掛けたそのとき、店奥から生の団子の山をかかえて焼き機へと運ぶアルバイトとおぼしき若い店員の姿に、気づいて土方は思わず上がりかけた声を抑えた。
厨房と軒先のあいだを忙しなく立ち働いていて、客のいる外の縁台にまでは関心がいってないのか、こちらを気にとめる気配はない。土方は舌を打ちたい心持ちで、足早に店先を離れた。
茶店のなかからは桂の座る縁台は幸い死角にあたっている。できればこのままにやり過ごしたい。あの目障りな白髪頭がまた店奥に引っこんでいるあいだにでも。
間近の紅葉と下界の眺望とを堪能しながらいい感じに小腹もふくれて、さてこのあともう少し境内を散策するかと、桂が腰を上げる。その手にした食器を土方はなにげないしぐさで取りあげて、ひとり返却口へとそそくさと運んだ。天が身方したもうたか、さいわい茶店の軒先にいま白髪頭の姿はない。
「貴様きょうはずいぶんとさーびすがいいな」
高台から急勾配の階段を下りながら、桂はどこかおもしろそうに小首を傾げた。
「そうか?」
すっとぼけて、そりゃせっかくの逢引だからな、とこころのなかでだけつづける。邪魔は極力排除したいし、それでなくとも飯を奢ったり食膳の上げ下げくらいどうということもない。ご機嫌を取ろうなどという意識はもうとうないが、おのれが桂にできることはしてやりたいとつねにどこかで思っているのもまた事実だ。
桂は境内の奥まった、将軍家ゆかりの廟所があるという杜への道をとった。さすがにこのあたりまで足を伸ばす客は少ないらしく、空気も些かひんやりとしている。常日頃から少しばかり気温が低いのか、紅葉はまだ鮮やかさを残してもいたが足もとの落ち葉は目に見えて嵩を増した。
背の高い石塀のむこうに廟所の屋根が覗く。桂は錫杖を鳴らしてもう一方の手で軽く祈祷のしぐさをした。攘夷志士にとっては将軍家の墓参りなど論外ではないのか、と土方は思ったが口には出さない。それを感じとったのだろう桂の口許が、薄く笑みを刷いた。
「紅葉を観に歩かせてもらっている。その挨拶だ。この下にだれが眠っていようが関係なかろう」
墓所に足で砂をかけるような真似はせぬから安心しろ。と揶揄うような口調で付け足されて、土方は苦笑した。
「や、おめぇがそんな真似をするとは思ってねぇが…っくしゅん」
語尾がくしゃみに取って代わられて、土方は鼻を啜った。
「っくしゅ…っ。冷えやがるな」
無意識のままに、土方は黒い袷の袖のうえから腕を擦る。
「そのようななりで来るからだ」
桂はまたいつもの平板なものいいで、整った能面を土方に向けた。
「この時期の山間は、江戸の街なかのようなわけにはゆかぬぞ」
なるほど、その意味では桂の僧衣は重ねの枚数が多いぶん、理にかなっているわけだ。
「んなこた、わかってるよ」
いいながら袷の衿をかき合わせた土方に、桂は僧衣の袂を探った。
「わかっていてその出で立ちとは、やはり芋侍はあたまが足りぬとみえるな」
「喧嘩売ってんのか、てめぇ」
云われていることがもっともなので、そう返す声にもちからはこもらない。
「そんなもの売っても一文の得にもならぬわ」
錫杖を傍らの木に立てかけると、桂は袂から取りだした巾着袋の紐を解いて、両の手でぱさりと振る。視界に白くひろがった布が、ふわりと土方の肩先から頸筋を包み込んだ。
え?
「本来なら貴様になどもったいないしろものだがな」
白い布は薄手だがやわらかで起毛して暖かく、中央におおきく黄色い嘴が描かれている。まんまるいふたつの目もあった。よくよく見れば筒状の巾着も、桂がいつも連れているあの白いばけものを模しているらしい。
「甘酒とおでんと、この紅葉の礼に、くれてやる」
これをよろこんでいいものかは微妙なところだが。
「そりゃ、どうも。…ありがとよ」
土方がそうと意識するよりさきに、布越しに触れられていた桂の手は離れたが、それはまごうことなく初めての。桂からの。
そう思い至って土方は、周章てて頸筋を覆う白い布を引きあげ、竦めるように顔を埋めた。襟巻きのぬくもりとはべつの熱が、頬に昇るのを予期したからだった。
目のまえを白い欠片がちらつく。つと見あげた江戸の街の凍てついた夜空から、雪が舞い落ちはじめていた。
黒い着流しに白い襟巻きを巻いて、土方は非番の夜を持て余す。あれから桂はかまっ娘倶楽部には出ていない。むろん会いたいときに会えるわけもない。それでもわずかな偶然を期待して、市中へと足は向かうのだ。
あてのない逍遙に倦き、からだも冷えきったところで、河原沿いの屋台の暖簾をくぐった。熱燗とおまかせでおでんを注文する。土方は白い襟巻きを外そうか少し迷って、けっきょくそのままにした。味噌やつゆが跳ぶのを懸念したからだが、汚れたら洗えばいい。
これは土方にとって初めて桂から贈られたものに相違なく、それを肌身離さず持っていたいと思ってしまうのは、とりもなおさず土方が桂に抱く恋情ゆえだ。さすがに細く折りたたんで嘴も目もすぐにそれとはわからないようにして巻いているが、非番の私服姿のときでもなければ身につけることは叶わない。隊服では許されるわけもなかったし、真選組の副長が指名手配犯のペット柄の襟巻きなど堂々と身につけられるはずもなかった。
「食いもんの趣味だけじゃなく、持ちもんの趣味までサイアクになったようだねぇ、多串くんは」
暖簾をくぐる気配とともに、背後から声が掛かる。熱燗を啜りながら土方はその声の主に視線だけを向けた。
「てめぇには云われたかねぇぜ、万事屋」
「返さなくていいのー。それ、ヅラのでしょ」
土方からひとつ置いた丸椅子を跨ぎながら屋台の親爺に注文を掛け、白い天パのあたまがそこに陣取った。
「俺のだ」
ひとことで返して、なみなみと黄色い物体を注いだがんもどきにかぶりつく。
「桂から、もらった」
云わずもがなにそう付け足したのは、なかば無意識の誇示だったか。
「貸してもらった、のまちがいじゃねぇの」
白髪頭の万事屋は甘味噌をたっぷり盛ったはんぺんを口に運んでいる。
「あいつがその白いのの付いたもの、おいそれとひとにやるわけねぇじゃん」
揶揄する口調で、もっさもっさとはんぺんを食みながら、そのくせその目は笑っていない。
「紅葉狩りに着流しひとつで出向くなんざ、莫迦のすることだよー」
あ、こいつ。あのとき気づいてやがったのか。それとも後日に聞いたのか。だれに? 桂に。
「くれてやる。と云うから、頂戴したまでだ」
「へぇ。ヅラが、そう云ったの」
明らかに、おもしろくない、といった表情で万事屋は口のなかのものを飲みくだす。
「まだ目も耳も耄碌してねぇよ」
てめぇなら、ねだれば桂はくれるんじゃねぇのか。そう口に出すのはぎりぎり思いとどまって、土方はこんどは煮たまごに黄色い蜷局を乗せてゆく。
こいつが差しのべたなら、桂はその手を取るだろうか。
「ゆっとくけど、そーゆーのまるでダメだからね、あいつ。不器用で」
取り皿の大根を箸で突き刺して、万事屋はそれきりもくもくと食べて呑むことに専念しだした。
ふん。と、土方は思う。
桂の手製じゃないと云いたいわけか。おおかた拵えたのはあの白いペンギンおばけなんだろう。それがどうした。重要なのはそこじゃない。桂が土方の身を慮ってくれた事実には変わりない。
ああ、そうか。
桂が、土方に、というより手前ぇ以外のだれかに、どうあれなにかを贈るということが、許し難ぇってぇわけかい。了見の狭いやろうだぜ。
土方自身が先刻思いとどまったせりふの卑小さを自認しつつも、そこはそれ、棚にあげてしまうにかぎる。だってこんなふうに、桂を。わずかばかりでもおのれが専有できるなんてこと、こんどまたいつあるかわからない。
桂からもらったぬくもりは、その夜ほんの少しだけ、土方に幸福をもたらした。
了 2010.12.29.
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さくり。
白足袋に旅草履の足が石段に綾なす落ち葉を踏みしめる。
「明け方の風でだいぶ散り、少々褪せたというが」
そう見あげる参道の上空は左右から差し交わされる梢に覆われ、それでもまだ錦に染まって鮮やかだ。
真紅、赤、橙、山吹、黄に緑。ひとくちに紅葉といってもこれほどに種類があるものか。
「いや、きれいなもんじゃねぇか」
思わず溜め息まじりに返した土方に、僧衣の背中が振り向いた。
「ほお。芋侍にも風情を解するこころはあったか」
笠に隠れてその目許までははっきりしないが、下段からやや見あげるかたちだから、その口許が笑んでいるのは見てとれた。
「つか、その格好はないだろうよ」
「うん? どこかおかしいか?」
しゃらん、と錫杖が鳴る。
そりゃ、ヅラ子以外の姿で会いたいと、かまっ娘倶楽部でくだを巻いたのは土方当人だけれど。だからって。
「紅葉狩りに墨染めはねぇだろう」
「なにを云う。寺に詣るにふさわしい装束はこれをおいてあるまい」
いやたしかにそれも似合っている。袈裟に墨衣の禁欲的なさまは逆に色っぽかったりする。するのだが。せっかくの逢引だというのに、これでは雰囲気もなにもあったものではない。
土方のほうはいつもの黒の着流しに帯刀だ。さすがに単衣から袷になって黒足袋も穿いているが、これもまた逢引というには素っ気のない装いであることは否めなかった。
指名手配犯と真選組の副長。もとより連れ立って歩くには人目を憚る間柄である。だから桂のこの出で立ちも、やむを得ないといわばいえるのだが、常日頃変装もせずに江戸市中を平然と闊歩していることを思えば、釈然としないものは残るのだ。
深くかぶった笠からわずかに覗く秀麗な白い横顔。あれでは紅葉も見づらかろうに。桂は意に介するでもなく、また一歩一歩石段を往く。二三段空けた斜め後方から土方がそれを追う。
いつもこんなもんだな、と土方は思う。俺たちの距離は。
脚絆に覆われた脛から伸びる引き締まった足首が、一畳ほどに拓けた石段のうえで止まった。桂は心持ち笠を擡げ、苔生した山門越しに続く境内の紅葉に目を細めた。
山門をくぐったすぐわきの楓が鐘楼に掛かって、参詣者の撮影ポイントになっていた。鮮やかな赤は透きとおった血のようで、そのくせ生々しくもなく涼やかだ。そこから庫裏と講堂周りを遊歩して、手水舎で手と口を浄め、まず本堂に参拝する。
平日にしては、思ったよりもひとが多い。さすがは紅葉の名所といったところか。醜態をさらしてまで漕ぎつけた紅葉狩りという名目の逢引だ。もうすこし人出を避けたいところだったがいたしかたない。みな紅葉に目を奪われているから、多生毛色のちがう長髪の僧衣姿があったところで気にとめもしないあたりは、ありがたかった。もっとも、笠を外せばそういうわけにもいくまいが。
山寺のさして広くはないが起伏に富んだ境内を一巡するうち、展望台という矢印の付いた案内板を見つけた。見るに茶店もあるらしく、甘酒、ぜんざい、だんご、おでん、とうもろこし、などと記された幟も、矢印の向けられた急な坂道沿いに立っている。
「ちょっと、いっぷくでもするか」
土方の問いかけに桂は鷹揚にうなずいて、木の枝と石で組まれただけの簡素な階段を上った。階段というよりは狭く急な自然歩道といったところで、なるほどこれでは茶店という誘惑がなければ足も向きがたい。相手がおんなこどもや年寄りなら手を差しのべるのもやぶさかではない急勾配だったが、あいにくと土方のおもいびとはそんなものはものともしない、健脚と身軽さの持ち主である。重力を感じさせない足取りでさきをゆく桂に、土方は内心で溜め息をついた。
こいつが、差しのべる手を必要とすることはあるんだろうか。
その手がいまの土方にあるとは土方自身が思えないから、畢竟ほかのだれかということになるわけで、土方は軽くあたまを振った。
いなければいないでそれは桂の孤高と孤独を示すだけだし、あればあったで土方には考えたくもない現実を突きつけられるだけだ。
二折りほど折れて登りきると、その先はひらけた台地になっていて、色づく木々のあいまに茶店の縁台がいくつか見える。わきに据えられた幟旗のむこう、軒先に湯気の立つ大鍋やら芳ばしい匂いを放つ焼き機やらの並んだ茶店があった。慣れた手つきで焼き団子を返したりおでんを器によそったりしていた年配の女店員ふたりが、店の奥に向かって声を掛けている。ぜんざいと甘酒はなかの厨房でこしらえているらしかった。
「なんにする」
「蕎麦はないのだな。甘酒でももらおうか」
店先を通り過ぎ、展望台というだけあって台地の木々の切れたむこうには、登ってきた山間の紅葉と山向こうの町並みとが見てとれた。
「ほう。なかなかによい見晴らしではないか」
さきに景色を一望した桂は、展望台のいちばん端の縁台に腰掛ける。それを見届けて土方は再度問うた。
「食いもんは?」
「ああ、まかせる」
笠の頤紐を解いて外し、眼下の眺望にやわらかな笑みを浮かべた桂が、そのままに振り返って土方をどきりとさせた。
こういうのを、なんだっけ。錦上に花を敷く、とか添えるとかいうのだったか。清かな紅葉のなかにひときわ艶やかな麗容が溶け込み、息を呑むほどの情景である。僧衣であることがいっそ清冽で、土方は茶店に足を返しながら心悸の昂まりを自覚した。
ああ、たちがわりぃ。
常日頃の無愛想な能面を見慣れているから、まれにその剥がれ落ちる一瞬がこうまで胸を刺すのだ。茶店という目的が、いや人目がなければ、この足は返らず縁台に駆け寄って、あの姿をこの腕に掻き抱いただろう。それを桂がおとなしく赦すかは、べつとして。
茶店で注文の品を告げ、さきに勘定を済ませてセルフサービスのそれを待つあいだも目は桂の姿を追う。ここからでは後ろ姿しか拝めないが、ひとつに結わいて肩に流された黒髪がときおり風に靡くのもまた、土方の目をたのしませた。
はい旦那、おまちどうさま。という年配の女店員の声に、我に返って二人前の盆を受け取る。桂のほうへと踵を返し掛けたそのとき、店奥から生の団子の山をかかえて焼き機へと運ぶアルバイトとおぼしき若い店員の姿に、気づいて土方は思わず上がりかけた声を抑えた。
厨房と軒先のあいだを忙しなく立ち働いていて、客のいる外の縁台にまでは関心がいってないのか、こちらを気にとめる気配はない。土方は舌を打ちたい心持ちで、足早に店先を離れた。
茶店のなかからは桂の座る縁台は幸い死角にあたっている。できればこのままにやり過ごしたい。あの目障りな白髪頭がまた店奥に引っこんでいるあいだにでも。
間近の紅葉と下界の眺望とを堪能しながらいい感じに小腹もふくれて、さてこのあともう少し境内を散策するかと、桂が腰を上げる。その手にした食器を土方はなにげないしぐさで取りあげて、ひとり返却口へとそそくさと運んだ。天が身方したもうたか、さいわい茶店の軒先にいま白髪頭の姿はない。
「貴様きょうはずいぶんとさーびすがいいな」
高台から急勾配の階段を下りながら、桂はどこかおもしろそうに小首を傾げた。
「そうか?」
すっとぼけて、そりゃせっかくの逢引だからな、とこころのなかでだけつづける。邪魔は極力排除したいし、それでなくとも飯を奢ったり食膳の上げ下げくらいどうということもない。ご機嫌を取ろうなどという意識はもうとうないが、おのれが桂にできることはしてやりたいとつねにどこかで思っているのもまた事実だ。
桂は境内の奥まった、将軍家ゆかりの廟所があるという杜への道をとった。さすがにこのあたりまで足を伸ばす客は少ないらしく、空気も些かひんやりとしている。常日頃から少しばかり気温が低いのか、紅葉はまだ鮮やかさを残してもいたが足もとの落ち葉は目に見えて嵩を増した。
背の高い石塀のむこうに廟所の屋根が覗く。桂は錫杖を鳴らしてもう一方の手で軽く祈祷のしぐさをした。攘夷志士にとっては将軍家の墓参りなど論外ではないのか、と土方は思ったが口には出さない。それを感じとったのだろう桂の口許が、薄く笑みを刷いた。
「紅葉を観に歩かせてもらっている。その挨拶だ。この下にだれが眠っていようが関係なかろう」
墓所に足で砂をかけるような真似はせぬから安心しろ。と揶揄うような口調で付け足されて、土方は苦笑した。
「や、おめぇがそんな真似をするとは思ってねぇが…っくしゅん」
語尾がくしゃみに取って代わられて、土方は鼻を啜った。
「っくしゅ…っ。冷えやがるな」
無意識のままに、土方は黒い袷の袖のうえから腕を擦る。
「そのようななりで来るからだ」
桂はまたいつもの平板なものいいで、整った能面を土方に向けた。
「この時期の山間は、江戸の街なかのようなわけにはゆかぬぞ」
なるほど、その意味では桂の僧衣は重ねの枚数が多いぶん、理にかなっているわけだ。
「んなこた、わかってるよ」
いいながら袷の衿をかき合わせた土方に、桂は僧衣の袂を探った。
「わかっていてその出で立ちとは、やはり芋侍はあたまが足りぬとみえるな」
「喧嘩売ってんのか、てめぇ」
云われていることがもっともなので、そう返す声にもちからはこもらない。
「そんなもの売っても一文の得にもならぬわ」
錫杖を傍らの木に立てかけると、桂は袂から取りだした巾着袋の紐を解いて、両の手でぱさりと振る。視界に白くひろがった布が、ふわりと土方の肩先から頸筋を包み込んだ。
え?
「本来なら貴様になどもったいないしろものだがな」
白い布は薄手だがやわらかで起毛して暖かく、中央におおきく黄色い嘴が描かれている。まんまるいふたつの目もあった。よくよく見れば筒状の巾着も、桂がいつも連れているあの白いばけものを模しているらしい。
「甘酒とおでんと、この紅葉の礼に、くれてやる」
これをよろこんでいいものかは微妙なところだが。
「そりゃ、どうも。…ありがとよ」
土方がそうと意識するよりさきに、布越しに触れられていた桂の手は離れたが、それはまごうことなく初めての。桂からの。
そう思い至って土方は、周章てて頸筋を覆う白い布を引きあげ、竦めるように顔を埋めた。襟巻きのぬくもりとはべつの熱が、頬に昇るのを予期したからだった。
目のまえを白い欠片がちらつく。つと見あげた江戸の街の凍てついた夜空から、雪が舞い落ちはじめていた。
黒い着流しに白い襟巻きを巻いて、土方は非番の夜を持て余す。あれから桂はかまっ娘倶楽部には出ていない。むろん会いたいときに会えるわけもない。それでもわずかな偶然を期待して、市中へと足は向かうのだ。
あてのない逍遙に倦き、からだも冷えきったところで、河原沿いの屋台の暖簾をくぐった。熱燗とおまかせでおでんを注文する。土方は白い襟巻きを外そうか少し迷って、けっきょくそのままにした。味噌やつゆが跳ぶのを懸念したからだが、汚れたら洗えばいい。
これは土方にとって初めて桂から贈られたものに相違なく、それを肌身離さず持っていたいと思ってしまうのは、とりもなおさず土方が桂に抱く恋情ゆえだ。さすがに細く折りたたんで嘴も目もすぐにそれとはわからないようにして巻いているが、非番の私服姿のときでもなければ身につけることは叶わない。隊服では許されるわけもなかったし、真選組の副長が指名手配犯のペット柄の襟巻きなど堂々と身につけられるはずもなかった。
「食いもんの趣味だけじゃなく、持ちもんの趣味までサイアクになったようだねぇ、多串くんは」
暖簾をくぐる気配とともに、背後から声が掛かる。熱燗を啜りながら土方はその声の主に視線だけを向けた。
「てめぇには云われたかねぇぜ、万事屋」
「返さなくていいのー。それ、ヅラのでしょ」
土方からひとつ置いた丸椅子を跨ぎながら屋台の親爺に注文を掛け、白い天パのあたまがそこに陣取った。
「俺のだ」
ひとことで返して、なみなみと黄色い物体を注いだがんもどきにかぶりつく。
「桂から、もらった」
云わずもがなにそう付け足したのは、なかば無意識の誇示だったか。
「貸してもらった、のまちがいじゃねぇの」
白髪頭の万事屋は甘味噌をたっぷり盛ったはんぺんを口に運んでいる。
「あいつがその白いのの付いたもの、おいそれとひとにやるわけねぇじゃん」
揶揄する口調で、もっさもっさとはんぺんを食みながら、そのくせその目は笑っていない。
「紅葉狩りに着流しひとつで出向くなんざ、莫迦のすることだよー」
あ、こいつ。あのとき気づいてやがったのか。それとも後日に聞いたのか。だれに? 桂に。
「くれてやる。と云うから、頂戴したまでだ」
「へぇ。ヅラが、そう云ったの」
明らかに、おもしろくない、といった表情で万事屋は口のなかのものを飲みくだす。
「まだ目も耳も耄碌してねぇよ」
てめぇなら、ねだれば桂はくれるんじゃねぇのか。そう口に出すのはぎりぎり思いとどまって、土方はこんどは煮たまごに黄色い蜷局を乗せてゆく。
こいつが差しのべたなら、桂はその手を取るだろうか。
「ゆっとくけど、そーゆーのまるでダメだからね、あいつ。不器用で」
取り皿の大根を箸で突き刺して、万事屋はそれきりもくもくと食べて呑むことに専念しだした。
ふん。と、土方は思う。
桂の手製じゃないと云いたいわけか。おおかた拵えたのはあの白いペンギンおばけなんだろう。それがどうした。重要なのはそこじゃない。桂が土方の身を慮ってくれた事実には変わりない。
ああ、そうか。
桂が、土方に、というより手前ぇ以外のだれかに、どうあれなにかを贈るということが、許し難ぇってぇわけかい。了見の狭いやろうだぜ。
土方自身が先刻思いとどまったせりふの卑小さを自認しつつも、そこはそれ、棚にあげてしまうにかぎる。だってこんなふうに、桂を。わずかばかりでもおのれが専有できるなんてこと、こんどまたいつあるかわからない。
桂からもらったぬくもりは、その夜ほんの少しだけ、土方に幸福をもたらした。
了 2010.12.29.
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