Armed angel #08 一期(第十八〜二十話) ニルティエ+刹那
トリニティ交戦と暴かれるロックオンと刹那の因縁。ヴェーダ変調。
終盤にエロあり。R18。
全五回。その1。
トリニティ三兄弟によるガンダムスローネの蛮行に、刹那は彼らがガンダムであることを否定し紛争幇助対象と断定して独断で武力介入を行使した。
それに宇宙(そら)にいたはずのティエリアのヴァーチェまでが参戦し、エクシアと二機でフォーメーションを駆使して交戦しているとの情報を得て、ロックオンは妙に得心する。ティエリアはイオリアの計画を歪めるものとして、刹那はガンダムという存在を歪めるものとして、ともに純粋すぎるふたりは、トリニティに義憤を募らせ初めてその闘いの意志を共有したのだ。
そのトリニティの所業でミッションプランに支障を来し、エクシアとともに地上での待機を余儀なくされていたデュナメスが、スメラギの認可のもと現場へ飛んだときには、ヴァーチェはナドレとなって、その真価を発揮していた。すなわち、有効圏内にあるヴェーダとリンクしたすべての機体を制御下に置くという、ガンダムマイスターへのトライアルシステムとしての機能を。
スローネアインとスローネドライを無力化したナドレがいままさに斬りかからんとしたそのとき、しかし二機は突如として機体制御を取り戻し、反攻に転じた。まにあったデュナメスの一撃が二機のスローネを牽制し、エクシアと交戦中だったスローネツヴァイが長兄の指示で退いて、その場でガンダム同士が三対三で対峙する。
* * *
惜っしいねぇ。おんなだったら放っとかねぇのによ。
先般トレミーの艦内で会談を持った際に、知性も品性の欠片もない狂犬のようなトリニティの次男坊がそう口にしたとき、まともに取りあうことなく受け流せたおのれを褒めてやりたい。一対一だったら確実に殴り飛ばすか、状況次第では銃であっても躊躇いなく抜いていただろう。最愛の恋人をその外見にのみ言及し下劣な対象に貶められて平静でいられるほど、おのれは人間ができていない。その口汚い科白が、気分を害したとあっさりと座を外したティエリアの耳に入らなかったことだけが救いだった。
そんな私的な遺恨で刹那の応援に駆けつけたわけではむろんなかったが、仮にもガンダムである機体にトリガーを引く躊躇いを、失くしてくれていたことだけはまちがいない。だがそんな自分を嘲笑うかのように、スローネアインの敵さんは告げたのだ。
ニールが自爆テロの巻き添えで殺された家族の仇と恨み、復讐を誓っていたクルジス共和国の反政府ゲリラ組織KPSA。いまはアザディスタン王国に併合されたその国で、そこに所属し活動していた少年兵ソラン・イブラヒムが、いまとなりにいる刹那・F・セイエイであると。
ヴェーダのレベル7に秘匿されていた情報を。
家族の仇を討たせろ、恨みを晴らさせろ。と刹那にいちどは向けた銃口を、ニールは結局、威嚇の一発を掠めるように発射するに留まり、無理な笑いに衝動を丸め込んで、下ろさざるを得なかった。
向けられた銃口に怯むことなく、エクシアでの戦争根絶のみを希求し、その一方で、代わりに世界を変えてくれるならかまわないと撃たれることを受容する。この歪んだ世界を変えてくれ、と。だが自分は生きているならソラン・イブラヒムではなくCBの刹那・F・セイエイとしてガンダムで闘うと。目のまえの少年は一途に語る。
どうして撃てるだろう。ガンダム莫迦と云われて、最高の褒めことばだ、と謝意を返せるような相手を。
その場の一部始終をふたりの傍らでただ冷静に見つづけていたティエリアにも、ニールが復讐のためにガンダムマイスターになることを受け容れた事実を知られた。故国でティエリアに語り聞かせた過去の、話すことのできなかったおのれの暗い情動をこんなかたちで暴かれようとは。
そしてティエリアは、刹那がモラリアの戦場で犯した秘匿義務放棄の行動の理由を覚る。かつて自身を洗脳した人物のなかに神の不在を見て懊悩する刹那という人間を知る。
神の名を騙り、幼い刹那を利用したKPSAのリーダー、それがモラリアの民間軍事会社PMCに所属する傭兵となっていた。その事実を刹那はそこで知り、たしかめようとしたのだ。
それはすなわちその男こそが、ニールの家族の直接の仇であることをも意味していた。アリー・アル・サーシェス。三大国家群の合同軍事演習の際に刹那を追いつめた因縁のイナクトのパイロットである。
いま、アジトのひとつである無人島に置かれたガンダムのコンテナに、エクシア、デュナメス、ナドレとなったヴァーチェの三機はそれぞれ格納されている。
その自機のコンテナに設えられている仮眠室で、ニールはパイロットスーツから着替えることもなくベッドに腰を掛け、ぼんやりと壁を見つめている。
撃たなかったのか、撃てなかったのか。
当時まだ幼かった刹那は直接に関わってはいないだろう。けれど、あれほど憎悪し復讐を誓った組織の一員であったことには相違ない。
ガンダムに懸ける刹那のおもいを容れてゆるした自分、それを認められてありがとうと返した刹那。そんな自分たちを見つめて唖然とし、これが人間か、と呟いたティエリアの初めて見せた、得も云われぬ微笑。
視界の端で捉えたティエリアのその穏やかとも呼べるやわらかな笑みを、このうえなく美しいと思った。
思いながらいまもまだニールを捉えているのは、おのれのなかで渦を巻いたまま行き場を失った復讐の念と、仇敵に銃爪を引けなかったことへの悔恨と、仲間に銃口を向けたことへの自責だ。
よかったのだ。これでよかったのだ。と、ひとりが云い、おまえの覚悟はそんなものだったのか。と、もうひとりが云う。
ひとを殺め続けたその果てにあるものが、こんな曖昧な自分だったとは。直接の仇でないから、仲間だから、と撃てなくなるような、そんなやわな覚悟でしかなかったのか。けれど刹那を撃ったら撃ったで、この身はやはり後悔していたのだろう。
おのれを縛り付ける想念が、ニールをベッドに縫い止めている。いいかげん着替えて食事の時間だ。壁に埋め込まれたモニターの時計を見ては思うけれど、からだはピクリともうごいてくれない。
満足に食事を摂ることもなく栄養剤だけ流し込んで平然として任務をこなすようなティエリアや、義務的にレーションを詰め込むだけの刹那であるから、こんなときニールが面倒を見なければ、きっとまともな夕飯にはならない。
「くくっ」
思わず嗤いが漏れる。そう、こんなときでさえ。染み付いている兄貴気質がおかしかった。
「ロックオン…、ロックオン・ストラトス」
仮眠室のインターフォンから流れ出た声が、遠慮がちにおのれを呼んだ。
「開けていただけませんか」
ティエリア。声の主はすぐに知れたが、いまはだれにも会いたい気分ではない。コンテナの通用口にも仮眠室にもロックが掛けてある。放っておけば、居眠りでもしていると思って帰ってくれないだろうか。
「ロックオン…もうやすんでいるのか?」
「………」
身をうごかす気力は湧かず、声に応える気持ちにもならない。なのにニールは、ただそのやわらかな声を耳にしていたいとだけ、こころのどこかで思っている。
「…狸寝入りか。あなたはあんなことのあったあとですんなり眠れるひとではない」
いつのまにやらいろいろと見透かされている。それでも応えないでいると、インターフォンのむこうでちいさな溜め息が漏れたのが聞こえてくる。
「あまりしたくはありませんが…おれにシステムロックは無意味だ。…入らせてもらいます」
一瞬、膝が立ちかけた。無意味。しまった。あいてはヴェーダの申し子だった。物理キーでもパスワードでも、システムを介している以上は解けないものはないのか。いや待て。たしか仮眠室の鍵には、生体認証が。あれをどうやって。
あれこれ考えているうちに、ティエリアはあっけなく仮眠室のドアのセキュリティまで制圧してしまう。遠慮なく開かれた扉の向こうから、薄桃色のカーディガンを羽織って腕を組み仁王立ちした華奢な姿が睨めてくる。
「起きているなら返事くらいしていただきたい」
「…おまえさんこそ、狸寝入りだとわかってて放っといてやろうという心遣いはないのかよ」
「あいにくおれは、そういった人間らしい心遣いを持ち合わせていないので」
木で鼻を括ったような返答に、ニールは苦笑した。
「うそつきめ」
それが人間らしい心遣いだと理解していないのなら、そもそもそんな返しはできないはずだ。
「心外だ」
「…どうやったら、バイオメトリクス認証まで欺せるんだ」
「バイオメトリクスも、つまるところは認証キーとして特定の数値に置き換えられているだけなので。…ふつう人間にはまず解析不可能だから、日常的には心配無用だ」
ベッドからうごけぬまま、ニールは胡桃色の癖っ毛を無造作に掻いて背中を丸めた。
「つまりおまえさんを締めだしたかったら、大昔の単純な、鍵に鍵穴のほうが有効なわけだ」
「そうなりますね。…締めだしますか?」
「出ていけと云ったら出ていくのか?」
背を丸めた姿勢で腰掛けた大腿の上に腕を組み、やや上目遣いにティエリアを睨むように窺い見る。
「あなたがほんとうに眠っていたなら、云われなくても出ていった」
ニールは溜め息を吐いてまた、あたまを抱えるようにして髪を掻く。
「………ほんと、やっかいだな。おまえさんってやつは」
「まだ着替えてもいないのか。…やっかいなのはあなたのほうだ」
そう云うや、ティエリアはつかつかと近寄ってきてニールの腕を取り、強引に引っ張り上げた。見目よりちからはずっとあるから、頑強に抵抗するのでもなければ案外簡単に従わされてしまうものだ。
「さっさと脱いで、シャワーを浴びて、着替えろ」
有無を云わさず、仮眠室のシャワールームに押し込められた。ごていねいに操作パネルをオンにまでしていく。温度調節をわざと冷温にしていったあたりは確信犯だろう。パイロットスーツのまま冷たいしぶきを一気に頭から浴びせかけられて、空ろだった意識に活を入れられる。ニールはしばらくそのまま、その冷水を浴び続けた。
パイロットスーツ自体には保温効果があるものの、いいかげん頭が冷えたところで濡れたそれを脱いでアンダーウェアとともに洗浄機に放り込み、熱めの湯に変えていささかあらっぽくあたまから洗い流す。湯に烟った鏡に、濡れてくるりと張り付いた前髪から覗く情けないおとこの顔が映る。
「くそっ」
ばんっと音を立てて、鏡像のその顔を覆うように平手で突いた。
「しっかりしろよ、ニール・ディランディ」
もういちど。
「ロックオン・ストラトス。おまえはなんのためにここに立っている!?」
二度三度、鈍い音を立てて鏡が鳴った。
ドア附近に掛けてあったバスタオルでばさばさと髪を拭き、ざっとからだを拭って腰に巻き付け、シャワールームをでた。
腕組みをしてその横の壁に凭れていたティエリアは、出てきたニールの腕を無言のままつかみあげると、その手に視線を注ぐ。
「…拳で突かなかったのは、まだしも賢明だったようですね」
たしかにそうだ。狙撃手が指を痛めるわけにはいかない。
「デュナメスのマイスターが自らの手を傷つけたとあらば、万死に値する」
たしかめて安心したのか、ティエリアはつかんだときとおなじくらい唐突にその腕を放した。
「着替えたら、食事だ。平時にはきちんとしたものをしっかり食べろといつも云っているのはあなただろう」
そう離れていく華奢な後ろ姿を、ニールは後ろから抱きとめた。裸の半身に抱き込めるようにティエリアのまえで両腕を深く交差させる。滑らかな紫黒の髪に鼻先を埋めた。カーディガンの背のやわらかな感触が胸から腹にかけての素肌を擽る。
「ロックオン」
「…食うならこっちがいい」
ニールの戯れ言に、ティエリアは溜め息を吐いた。
続 2011.10.08.
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トリニティ三兄弟によるガンダムスローネの蛮行に、刹那は彼らがガンダムであることを否定し紛争幇助対象と断定して独断で武力介入を行使した。
それに宇宙(そら)にいたはずのティエリアのヴァーチェまでが参戦し、エクシアと二機でフォーメーションを駆使して交戦しているとの情報を得て、ロックオンは妙に得心する。ティエリアはイオリアの計画を歪めるものとして、刹那はガンダムという存在を歪めるものとして、ともに純粋すぎるふたりは、トリニティに義憤を募らせ初めてその闘いの意志を共有したのだ。
そのトリニティの所業でミッションプランに支障を来し、エクシアとともに地上での待機を余儀なくされていたデュナメスが、スメラギの認可のもと現場へ飛んだときには、ヴァーチェはナドレとなって、その真価を発揮していた。すなわち、有効圏内にあるヴェーダとリンクしたすべての機体を制御下に置くという、ガンダムマイスターへのトライアルシステムとしての機能を。
スローネアインとスローネドライを無力化したナドレがいままさに斬りかからんとしたそのとき、しかし二機は突如として機体制御を取り戻し、反攻に転じた。まにあったデュナメスの一撃が二機のスローネを牽制し、エクシアと交戦中だったスローネツヴァイが長兄の指示で退いて、その場でガンダム同士が三対三で対峙する。
* * *
惜っしいねぇ。おんなだったら放っとかねぇのによ。
先般トレミーの艦内で会談を持った際に、知性も品性の欠片もない狂犬のようなトリニティの次男坊がそう口にしたとき、まともに取りあうことなく受け流せたおのれを褒めてやりたい。一対一だったら確実に殴り飛ばすか、状況次第では銃であっても躊躇いなく抜いていただろう。最愛の恋人をその外見にのみ言及し下劣な対象に貶められて平静でいられるほど、おのれは人間ができていない。その口汚い科白が、気分を害したとあっさりと座を外したティエリアの耳に入らなかったことだけが救いだった。
そんな私的な遺恨で刹那の応援に駆けつけたわけではむろんなかったが、仮にもガンダムである機体にトリガーを引く躊躇いを、失くしてくれていたことだけはまちがいない。だがそんな自分を嘲笑うかのように、スローネアインの敵さんは告げたのだ。
ニールが自爆テロの巻き添えで殺された家族の仇と恨み、復讐を誓っていたクルジス共和国の反政府ゲリラ組織KPSA。いまはアザディスタン王国に併合されたその国で、そこに所属し活動していた少年兵ソラン・イブラヒムが、いまとなりにいる刹那・F・セイエイであると。
ヴェーダのレベル7に秘匿されていた情報を。
家族の仇を討たせろ、恨みを晴らさせろ。と刹那にいちどは向けた銃口を、ニールは結局、威嚇の一発を掠めるように発射するに留まり、無理な笑いに衝動を丸め込んで、下ろさざるを得なかった。
向けられた銃口に怯むことなく、エクシアでの戦争根絶のみを希求し、その一方で、代わりに世界を変えてくれるならかまわないと撃たれることを受容する。この歪んだ世界を変えてくれ、と。だが自分は生きているならソラン・イブラヒムではなくCBの刹那・F・セイエイとしてガンダムで闘うと。目のまえの少年は一途に語る。
どうして撃てるだろう。ガンダム莫迦と云われて、最高の褒めことばだ、と謝意を返せるような相手を。
その場の一部始終をふたりの傍らでただ冷静に見つづけていたティエリアにも、ニールが復讐のためにガンダムマイスターになることを受け容れた事実を知られた。故国でティエリアに語り聞かせた過去の、話すことのできなかったおのれの暗い情動をこんなかたちで暴かれようとは。
そしてティエリアは、刹那がモラリアの戦場で犯した秘匿義務放棄の行動の理由を覚る。かつて自身を洗脳した人物のなかに神の不在を見て懊悩する刹那という人間を知る。
神の名を騙り、幼い刹那を利用したKPSAのリーダー、それがモラリアの民間軍事会社PMCに所属する傭兵となっていた。その事実を刹那はそこで知り、たしかめようとしたのだ。
それはすなわちその男こそが、ニールの家族の直接の仇であることをも意味していた。アリー・アル・サーシェス。三大国家群の合同軍事演習の際に刹那を追いつめた因縁のイナクトのパイロットである。
いま、アジトのひとつである無人島に置かれたガンダムのコンテナに、エクシア、デュナメス、ナドレとなったヴァーチェの三機はそれぞれ格納されている。
その自機のコンテナに設えられている仮眠室で、ニールはパイロットスーツから着替えることもなくベッドに腰を掛け、ぼんやりと壁を見つめている。
撃たなかったのか、撃てなかったのか。
当時まだ幼かった刹那は直接に関わってはいないだろう。けれど、あれほど憎悪し復讐を誓った組織の一員であったことには相違ない。
ガンダムに懸ける刹那のおもいを容れてゆるした自分、それを認められてありがとうと返した刹那。そんな自分たちを見つめて唖然とし、これが人間か、と呟いたティエリアの初めて見せた、得も云われぬ微笑。
視界の端で捉えたティエリアのその穏やかとも呼べるやわらかな笑みを、このうえなく美しいと思った。
思いながらいまもまだニールを捉えているのは、おのれのなかで渦を巻いたまま行き場を失った復讐の念と、仇敵に銃爪を引けなかったことへの悔恨と、仲間に銃口を向けたことへの自責だ。
よかったのだ。これでよかったのだ。と、ひとりが云い、おまえの覚悟はそんなものだったのか。と、もうひとりが云う。
ひとを殺め続けたその果てにあるものが、こんな曖昧な自分だったとは。直接の仇でないから、仲間だから、と撃てなくなるような、そんなやわな覚悟でしかなかったのか。けれど刹那を撃ったら撃ったで、この身はやはり後悔していたのだろう。
おのれを縛り付ける想念が、ニールをベッドに縫い止めている。いいかげん着替えて食事の時間だ。壁に埋め込まれたモニターの時計を見ては思うけれど、からだはピクリともうごいてくれない。
満足に食事を摂ることもなく栄養剤だけ流し込んで平然として任務をこなすようなティエリアや、義務的にレーションを詰め込むだけの刹那であるから、こんなときニールが面倒を見なければ、きっとまともな夕飯にはならない。
「くくっ」
思わず嗤いが漏れる。そう、こんなときでさえ。染み付いている兄貴気質がおかしかった。
「ロックオン…、ロックオン・ストラトス」
仮眠室のインターフォンから流れ出た声が、遠慮がちにおのれを呼んだ。
「開けていただけませんか」
ティエリア。声の主はすぐに知れたが、いまはだれにも会いたい気分ではない。コンテナの通用口にも仮眠室にもロックが掛けてある。放っておけば、居眠りでもしていると思って帰ってくれないだろうか。
「ロックオン…もうやすんでいるのか?」
「………」
身をうごかす気力は湧かず、声に応える気持ちにもならない。なのにニールは、ただそのやわらかな声を耳にしていたいとだけ、こころのどこかで思っている。
「…狸寝入りか。あなたはあんなことのあったあとですんなり眠れるひとではない」
いつのまにやらいろいろと見透かされている。それでも応えないでいると、インターフォンのむこうでちいさな溜め息が漏れたのが聞こえてくる。
「あまりしたくはありませんが…おれにシステムロックは無意味だ。…入らせてもらいます」
一瞬、膝が立ちかけた。無意味。しまった。あいてはヴェーダの申し子だった。物理キーでもパスワードでも、システムを介している以上は解けないものはないのか。いや待て。たしか仮眠室の鍵には、生体認証が。あれをどうやって。
あれこれ考えているうちに、ティエリアはあっけなく仮眠室のドアのセキュリティまで制圧してしまう。遠慮なく開かれた扉の向こうから、薄桃色のカーディガンを羽織って腕を組み仁王立ちした華奢な姿が睨めてくる。
「起きているなら返事くらいしていただきたい」
「…おまえさんこそ、狸寝入りだとわかってて放っといてやろうという心遣いはないのかよ」
「あいにくおれは、そういった人間らしい心遣いを持ち合わせていないので」
木で鼻を括ったような返答に、ニールは苦笑した。
「うそつきめ」
それが人間らしい心遣いだと理解していないのなら、そもそもそんな返しはできないはずだ。
「心外だ」
「…どうやったら、バイオメトリクス認証まで欺せるんだ」
「バイオメトリクスも、つまるところは認証キーとして特定の数値に置き換えられているだけなので。…ふつう人間にはまず解析不可能だから、日常的には心配無用だ」
ベッドからうごけぬまま、ニールは胡桃色の癖っ毛を無造作に掻いて背中を丸めた。
「つまりおまえさんを締めだしたかったら、大昔の単純な、鍵に鍵穴のほうが有効なわけだ」
「そうなりますね。…締めだしますか?」
「出ていけと云ったら出ていくのか?」
背を丸めた姿勢で腰掛けた大腿の上に腕を組み、やや上目遣いにティエリアを睨むように窺い見る。
「あなたがほんとうに眠っていたなら、云われなくても出ていった」
ニールは溜め息を吐いてまた、あたまを抱えるようにして髪を掻く。
「………ほんと、やっかいだな。おまえさんってやつは」
「まだ着替えてもいないのか。…やっかいなのはあなたのほうだ」
そう云うや、ティエリアはつかつかと近寄ってきてニールの腕を取り、強引に引っ張り上げた。見目よりちからはずっとあるから、頑強に抵抗するのでもなければ案外簡単に従わされてしまうものだ。
「さっさと脱いで、シャワーを浴びて、着替えろ」
有無を云わさず、仮眠室のシャワールームに押し込められた。ごていねいに操作パネルをオンにまでしていく。温度調節をわざと冷温にしていったあたりは確信犯だろう。パイロットスーツのまま冷たいしぶきを一気に頭から浴びせかけられて、空ろだった意識に活を入れられる。ニールはしばらくそのまま、その冷水を浴び続けた。
パイロットスーツ自体には保温効果があるものの、いいかげん頭が冷えたところで濡れたそれを脱いでアンダーウェアとともに洗浄機に放り込み、熱めの湯に変えていささかあらっぽくあたまから洗い流す。湯に烟った鏡に、濡れてくるりと張り付いた前髪から覗く情けないおとこの顔が映る。
「くそっ」
ばんっと音を立てて、鏡像のその顔を覆うように平手で突いた。
「しっかりしろよ、ニール・ディランディ」
もういちど。
「ロックオン・ストラトス。おまえはなんのためにここに立っている!?」
二度三度、鈍い音を立てて鏡が鳴った。
ドア附近に掛けてあったバスタオルでばさばさと髪を拭き、ざっとからだを拭って腰に巻き付け、シャワールームをでた。
腕組みをしてその横の壁に凭れていたティエリアは、出てきたニールの腕を無言のままつかみあげると、その手に視線を注ぐ。
「…拳で突かなかったのは、まだしも賢明だったようですね」
たしかにそうだ。狙撃手が指を痛めるわけにはいかない。
「デュナメスのマイスターが自らの手を傷つけたとあらば、万死に値する」
たしかめて安心したのか、ティエリアはつかんだときとおなじくらい唐突にその腕を放した。
「着替えたら、食事だ。平時にはきちんとしたものをしっかり食べろといつも云っているのはあなただろう」
そう離れていく華奢な後ろ姿を、ニールは後ろから抱きとめた。裸の半身に抱き込めるようにティエリアのまえで両腕を深く交差させる。滑らかな紫黒の髪に鼻先を埋めた。カーディガンの背のやわらかな感触が胸から腹にかけての素肌を擽る。
「ロックオン」
「…食うならこっちがいい」
ニールの戯れ言に、ティエリアは溜め息を吐いた。
続 2011.10.08.
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