(前略)
「私は王族だが、いまの王党派のすべてを是とするわけではない」
「それでいいんじゃないか。おまえはおまえの革命を目指せばいい」
いつになく明るい青紫の双眸が、傍らからアードライを見つめてくる。
「エルエルフ…」
この冴えた眸が好きだと思った。吸いよせられる。囚われてしまう。
半身を傾げて身を寄せ、アードライはエルエルフに口接けた。
戦闘に汚れた顔も、血の滲む軍服も、たがいの野望の頂きに上るための階段だ。返り血は浴びていたがふたりともその身におおきな怪我のあるわけでもない。かさねられた唇はいくどか角度を変え、それは徐々に深まってゆく。
「…おい、ちょっと待て」
絡まる舌と交わす吐息に煽られ誘われて、エルエルフの肢体を彷徨いはじめたアードライの手に、さすがに制止がかかった。
「待たない」
「アードライ、いま本気で…ここでする気か」
抱きしめられ抱き込まれ、深く熱く口唇を求めてくるあいてに、エルエルフは呼吸のあいまに抗議の声をあげた。
「かまわないだろう? ここには私たちしかいない」
「待機中だぞ」
「だからこそ、時間はある」
時限待機だ。状況が急変でもしないかぎり、予定の時刻まではこの場所をうごけない。
「青姦か…とんだ王子さまだな」
意外そうな、どこかそれをおもしろがるような声音でつぶやく。
「青姦? なんだそれは」
「…これだから育ちのよいやつは」
ちいさく溜め息を吐かれて、いままさにアードライが実行に移しつつあるものだと理解した。
「それは……きみは、いやなのか?」
「いまさら抵抗感を持つようには、できてない。おれは」
半ば諦めてか、明確な愛撫に変わっていくこの手のうごきを甘受する。けれどエルエルフのそのことばにアードライは思わず手を止めた。
「…エルエルフ。きみは私を妬かせたいのか」
「…あ?」
「私はきみ以外を知らないのにきみはそうじゃない。わかってはいるが…それをあからさまにされるのは…その、」
つづくことばを云い淀んだアードライの、切り揃えられた髪に手を突っ込み、エルエルフは逆にそのあたまを引き寄せる。
「気の毒だったな。おまえの筆おろしのあいてが…おれで」
挑発するかのせりふを吐いた。
「そんなことは云ってない。そんなふうに思ったことはない」
「でも、不愉快、なんだろう?」
「むろん愉快ではないが…それよりも」
「それよりも?」
不安になる。
「…もう、黙ってくれ」
こんなときばかり彼は饒舌だ。彼我の差を突きつけてくる。
「ん」
鼻に抜ける甘い吐息。口接けを受ける彼は柳眉を寄せて、いつも少しだけ苦しそうに見えた。
「エルエルフ」
軍服を剥ぎ、なめらかな肌を曝きながら、増えた傷痕を数える。このさきもからだをかさねるたびに、少しずつ嵩んでいくのだろう。
「…アードライ…」
伸ばされたしなやかな腕が淡く紫がかった銀の髪を抱き、掻き乱す。腰をおろしていた岩場からずり落ちるようにして、絡んだからだが荒れ地のわずかばかりの叢へと沈んだ。
「あ、…っ」
脱ぎ捨てた軍服のベルトで手首を括った。
「おい」
「少し、おとなしくしていてくれ。きみに触れられると、私は、がまんが利かなくなるんだ」
「そんな理由があるか」
「たまには、私にイニシアティブをくれたっていいだろう」
「心外だな。抱いているのはおまえで、おれはいつだってこちらがわだぞ」
「それはしかたがない。私のほうがきみを愛しているのだから」
たわいのないやりとり。睦言に本音を乗せた。
「……」
「エルエルフ…」
好きだ。愛している。いくども名を紡ぎ、あれからずっと云わせてはもらえなかったことばを繰り返す。繰り返しながら口唇は引き締まった稜線を辿り、兆しはじめたものに舌を絡めた。
「…アード…ライ」
さほど変わらぬたがいの体格、力量差からみても、本気で抵抗されれば児戯にも等しい縛めなどなんの意味も為さない。つまりはゆるされているのだ。
繰り返すことばのあいまに口を吐いたのは、自分でも愚かしいほどの。
「エルエルフ。きみは私のものだ…」
夜の帷のなか、星明かりに青白く世界は染まる。
押し広げた大腿の狭間に深く腰を絡めながら、いくども引いては突き上げる。そのたびごとに背を撓らせ半裸の胸を仰け反らせて喘ぐ。銀の髪が汗に張り付く喉もとに食らいついて、鬱血を残した。
「あ……、あ」
甘さの増した声が、耳もとで音律を刻む。平素の彼が冷静であればあるだけ、その落差に溺れた。けれどそれでも、この彼の、うちなるどこかは冷めているのだ。
「…アードライ…」
「……な、んだ」
「腕を……。解け」
未だ括られ頭上に掲げられたままの両の手首が、丈の短い草葉に擦れて色を移している。星光色の世界でそれは墨色がかって見えた。
「だめだ」
頬の乾いた血を舐めとり、そのまま這わせて辿った耳殻に舌を捩じ込みながら、おのれのものとも思えぬ欲に掠れた声が応える。
「ん、あ…」
それにすら感じたのか、抽送を繰り返していたものをきゅうと締め上げられて、アードライは思わず呻いた。
「エル…エル…フ」
「ほど…け…」
「私から…逃げるのか」
ひときわ深く突き入れると、ちいさくかぶりを振る。
「ちが…、っ、あ、…う」
その顎を捉えて噛むように口を吸った。濡れて滑った口唇がアードライの頬に荒れた息を吐く。
「……い、から」
「ん?」
律動に合わせて途切れ途切れになる呼気に、乱されたことばがようやく意味を紡いだ。
「おまえ…に、ふれたい、だ…から」
「……っ」
なにか溢れ出そうになった声を吐息とともに呑み込んだ。発せられれば奇妙な音にしかならなかったろう。
「エルエ…ル…フ…っ」
極まった情動のままに昂ぶったからだは、一気に頂点へと駆けのぼった。
まだ愉楽に震えるからだを、彼をつよく抱きとめることで耐えた。荒い息のしたでアードライは、眼下のあいての頭上に片方の手を伸べ、縛めを解く。自由を取り戻した腕が、途端に頬に落ち掛かっていた三つ編みをひっつかんだ。
「っ」
「この…莫迦が! こんなところで、なかに出すなど…っ」
濡れて乱れた呼吸のまま、青紫の双眸が睨めつけてくる。
「…、私があとでちゃんと処理する」
「状況を考えろ。宿舎じゃないんだぞ」
息は乱れて肌は上気しているのに、冷静に指摘してくる。それがおもしろくなくて、おのれの欲を浴びて濡れた奥へと、とどまったまま未だひくつくものを押し込んだ。
「…いっ…」
エルエルフが糾弾の声を呑む。
「た…。…く…ぅ」
抽送に足る張りを取り戻し、つづけての愉悦を刻みはじめたアードライに、エルエルフはつかんだ髪でその顔を引き寄せ、噛み付くようにキスをした。
「…!」
思わぬ反撃に目をまるくする。
「エ…ルエルフ…?」
「そういう了見なら、アードライ。…搾り取ってやる」
艶めかしさに、ぞくりとするほどの眼差しに。
「…受けて立とう」
辟易ろぎながらもアードライはその身の侵攻を再開した。
(中略)
直立に正した姿勢で敬礼を返し退出しようとした背に、カインはゆったりと呼びかけた。
「エルエルフ」
声のトーンが変わったのを察知したのだろう、振り返りもせず応じたエルエルフの口調も変わる。
「用件は終わった。それとも、まだなにかあるのか。またどこかの要人の寝首を掻けとでも?」
「ふ…。いまのきみをそんな用途に使うほど、私は愚かではないつもりだ」
ゆっくりと立ち上がり、銀髪の少年の背後に立った。その背は揺るがない。
一歩近づいて手を伸べ、カインは背後から銀の髪を梳きその頸筋を撫でた。身じろぎもしない少年のかたちのよい顎を長い指が捉える。そのままあたまひとつぶんは差のある長身が被さるように顔を伏せて、仰のかせたエルエルフの口唇を塞いだ。
「っ」
「その点でもきみは実に優秀だったがね。…いまもまだ錆び付いてはいないようだ」
「……」
目線だけで問うてくるのへ、カインはエルエルフの襟元を寛げ、頸筋の朱い一点を指し示すように指先でなぞった。
「着衣では見えない位置ぎりぎりだ。慎重なのか、それともきみの誘導の賜物か。あいてはだれだね?」
「応える必要性を感じない」
「…ふむ。王子さまをたらしこんだか」
無言で背後を見返す青紫の双眸に動揺はない。
「よいメンタルコントロールだ。練度評価Aをあげよう。蛇足だが、きみの疑問にも応えようか」
隻眼を細めてカインはたのしげにつぶやく。
「この痕はまだ新しい。きみは昨日まで任務で三日、外地に詰めていた。組んでいたのはアードライだ。初歩的な推理だよ」
もういちど頸筋を掌で撫で上げる。絹糸のような銀髪の感触も懐かしい。
「まあ軍においては取り立ててめずらしいことでもないし咎め立てする気はない。それよりきみの慧眼に、彼はどう映る?」
「どう、とは」
「叛逆の意志はありかなしか」
「きさまにそれを、いちばん抱いているのはこのおれだ」
感情を削ぎ落とした声が、ひとごとのように応えた。
「それは問題ではないな。きみは私には勝てない。重々承知しているはずだよ」
「王党派と通じているかと問うなら否だ」
「それはけっこう」
掌で銀糸を掬ってあらわになった白いうなじに、カインは唇を這わせる。ぞわりとする感覚にエルエルフは眸を閉じ、それを逃そうとした。
「だがきさまのことだ。とうに内偵に当たらせて報告は受けているんだろう。ならばおれに問うのも蛇足だ」
「むろんイクスアインの調査分析能力は評価しているよ。看過できないような疑わしき行動は無いと」
ゆっくりとカインはさきほどとは逆に一歩身を離し、もういちどあらためてかつての教え子の姿を眺めた。
「エルエルフ。こちらを向いて」
「………」
回れ右の要領でエルエルフがくるりと向きなおる。
「脱ぎなさい」
云ったほうも云われたほうも眉ひとつうごかさぬままだ。
「ここで?」
「となりに移動するくらいの心遣いは私にもある」
佐官の執務室には休息をとれるような一室が隣接されている。
「ついでにブラインドを下ろすという配慮はないのか?」
執務室とを隔てる扉から近くにソファと小さめの円卓、その向こうに衝立を挟んで仮眠用のベッドなどが設えられたこぢんまりとしたつくりだが、それでも下士官の部屋以上の広さはあった。
採光のために細長くとられた磨り硝子の窓からは、午后の陽が射し込んでいる。
「ないな。この目で確かめたいのでね」
「まだこのからだに関心があるのか。きさまが好むには薹が立っていると思うが」
軍服の飾りベルトを外し脱いだ上衣をソファの背に掛ける。軍靴を脱いでその脇に寄せた。
「その云い方には語弊があるな。私はべつに少年趣味ではない。いくつになろうがきみはきみだよエルエルフ。その価値が損なわれることはない」
サスペンダーを肩から抜いて下衣を床に落とし、拾い上げてこれもソファのうえに置く。シャツの釦に手を掛けたところで、カインがその手を押さえた。
「潔い脱ぎっぷりだが、もう少し色気を見せて欲しいものだな」
「きさまあいてに、いまさらそんな手管が必要か?」
いまでもひとまわりはおおきな手が代わって釦を外していくのを、エルエルフはじっと見つめた。
「ほう…アードライはずいぶんときみにご執心なのだな」
はだけたシャツのあいまから覗いた肌の、いくつも散った朱痕にカインは薄く笑った。
半端に脱がされたシャツで後ろ手に両腕を括られて、簡素なベッドに放り出される。それ以外は身につけるものとてない姿でエルエルフはおのれを見下ろす長身のおとこを見遣った。
「…っ」
片方の足首をつかまれ持ちあげられ、酷薄な隻眼が鑑賞するかの眼差しで爪先から付け根までをしげしげと眺めた。
「…こんなところにまで…。あの王子さまは本質的には激情家だが…なるほど」
喉の奥で笑いながらつぶやくと、視線のあとを追うように撫で上げてきた掌が、鼠蹊をなぞり、長い指が背後に回って奥まった場所を探る。
「く…あ」
なんの予備動作もなしに這入り込んできた指に思わず呻いた。
「……う」
二度三度遊ぶように掻き回して、あっさり出ていく。カインは立ち上がり、丈の長い佐官の軍服の上衣だけを脱いで衝立に掛けた。ふたたびベッド脇に腰をおろすとあらためて、まだ少年のまろみを残す臀を撫でる。
「あれには…どんな顔を見せているのかな、エルエルフきみは」
白いシーツに横顔を埋めて、その青紫の眸だけがカインを捉えた。
「おれの反応など…きさまは見飽きるくらい見てるだろう」
「…それは、おなじ顔なのかな?」
仙骨から背筋に沿って掌を這わせ、脇をくぐって胸の尖りを転がす。
「……っ」
上になった肩先に口接けながら、低く囁いた。
「…エルエルフ。きみのからだは王子さまの手には……あまるよ」
オフ本に続く 2014.06.18.