「天涯の遊子」銀桂篇+土桂篇
銀時と桂と土方と。
新八、神楽、長谷川、沖田、近藤、ほか。
竜宮篇以降、モンハン篇よりまえ。
回数未定。其の七。土方、桂、沖田、山崎、登勢、銀時。
「ザキ、おめぇは顔合わせてねぇだろィ」
「いえ、その万事屋の旦那の連れてた子じゃなくて、どっかのだれかに」
「そいつぁ、俺も思ったが」
周囲の会話にときおり関心を示すような視線を向けながら、だがもくもくと食事をつづける少年の姿に、土方はつい先刻の既視感の正体に思い当たった。
紅桜に斬られた桂を救い匿ったとき。土方のマヨ好きを目の当たりにした桂が、やはりそうだった。眉をひそめ苦言を呈し、だが怯むでなく平然と食事を続けて。
土方の食の嗜好をまえにして引かない人間はそうそういない。自分の話題で盛り上がる周囲の会話を流せる、記憶喪失とは思えないようなこの堂に入った態度。年齢(とし)こそ違うが、見てくれといい、性格といい、立ち居振る舞いといい、ここまで似た人間がいるものなのか。
「総悟。万事屋は、なんつったんだ? そのこどものこと」
「子守のバイト、でしたかねィ。ああ、たしか医者に連れて行くところとか」
「俺、あした確かめてきましょうか。その子に兄弟がいないかどうか」
山崎の申し出に、土方は少し間を置いてから首を横に振った。
「いや。近藤さんから、こいつのことは一任されちまってるからな。しかたねぇ。手前ぇで行くさ」
食堂から戻って、昨夜とおなじくつづきのひと間に床(とこ)を伸べてやる。少年はちょこんと一礼をして、この日何度目かの欠伸を嚙み殺しながら、ふとんに潜り込んだ。食事のあいだは目も冴えていたようだが、そろそろ限界だったろう。鼻先まで引き上げた上掛けから黒目勝ちな眸だけを覗かせて、眠たげな声で問うてきた。
「あすはその、万事屋とやらに出向けばよいのか?」
土方はなにげない調子で返す。
「おめぇはここで休んでろ。事故ってからだ痛めて検査に引っ張り回されての連日じゃ保たねぇだろう。無駄足ってこともある。俺がちゃんと調べてきてやるからよ」
土方のことばに、そうか、と頷いて少年はことんと睡りに落ちた。やはりすなおだなと思う。疑うことを知らないのか、まっすぐでひねたところがない。これが生来の気質なら、歳をかさね経験を積みかさね攘夷の戦を経て身に纏った鎧はいかほどのものだったのか。
そう、これがもし、桂なら。
あり得るはずのない妄想は、だが先刻より土方のあたまのなかをじわじわと浸食している。
「どうかしてるぜ、まったく」
寝入った姿を眺めながらちいさくかぶりを振って、土方はつづきの間との襖を立てきった。
その日すべき仕事を些か無理矢理に片づけて、土方が万事屋を訪ねたのは、午(ひる)もだいぶ回ったころだった。
だが、二階家の玄関口で誰何してもだれもでない。鍵もかかっているようだ。ちっ留守か、と外階段を下りると、上る際には気づかなかった外階段の影になる路地の奥に目立たぬように、事故にでも遭ったのかひしゃげたベスパが押し込められている。
そのさまに土方がしばし立ち止まって考え込んでいると、支度中の札を掲げた階下の飲み屋の店奥から話し声が聞こえてきた。あいまあいまに食器の擦れる音と、芳ばしい匂いが漂ってくる。そういえばちょっと遅いがまだまだ昼飯時だった。
「銀さんなら、朝から不貞寝してますよ。きのう丸一日捜索して疲れたって。まあ事故の怪我もあるんで、休んでくれてたほうがいいっちゃいいですから、鍵掛けて出ちゃいましたけど」
「しょうがないねぇ、あの甲斐性なしは。あとで握り飯でも持っていってやりな。しかしあの姿で記憶がないとなると、こりゃやっかいだよ。なんだかねえ。アタシたちがよってたかってお人形さん扱いしたのがわるかったかねぇ」
「ヅラ、けっこう着せ替えノリノリだったヨ。銀ちゃんも毎日いそいそとヅラの髪結ってたアル」
「そうよね。だって、桂さん、似合うんですもの。ちっちゃなころはそれこそ稚児人形みたいだったし。いまなんかちょうど元服まえの若衆振袖がぴったりで。私も着替えの用意のしがいがあったわ」
「ワタシノ晴レ姿ニハ負ケルケドナ」
「どこがアルか。ヅラとネコ耳ババァとじゃ。月と亀仙人ネ」
「データに書き加えておきます。桂さまは月、キャサリンさまは亀仙人」
「フザケンナ。ダレガアンナ助平ジジイカ」
「たまさん、ちがいますから。書き加えるなら月と鼈ですから」
「なんにしても、どこをどうアタリを付けて捜し出すかだねぇ」
内々でのメシ時の呑気な会話かと思えば、洩れ聞こえたその内容に、土方は耳を疑った。
察するに、万事屋はバイクで事故ったのだろう。そして桂はおそらくはそのバイクに同乗していたのだ。銀時は怪我を負い、桂は記憶を失くし行方知れずとなった。しかもどうやらいまの桂はふつうの状態ではないらしい。
そんなことが、ほんとうに。あり得るのか。
だが、記憶喪失。いまは元服まえの若衆振袖。ちょっとまえには稚児人形。
昨夕の言がたしかなら、総悟が見掛けた"ちびっこい"のは、まさしくあの少年だったということだ。そして、その少年は。
「莫迦な」
知らずそう呟きながら、土方はおのれの埒もない妄想が急速に現実味を帯びるのを感じていた。
あれほどまでに桂をおもわせる少年だ。桂本人であるというほうが、むしろ得心がいく。その原因など知るべくもないが、桂の身に異常事態が起きて、いちど幼少時に返り、いままた成長の過程を辿っているのだというのなら。
もういちどひしゃげたベスパに視線を落とし、あらためて二階家の玄関を仰ぎ見る。あの扉をたたき壊し強引に踏み込み、あのおとこの胸ぐらをつかんでそれを確かめてみたい衝動に駆られた。そしていま、桂の身の手がかりを失ったあの万事屋が、どんな顔をしているのかを。
だが、しなかった。昏い愉悦を土方は自覚した。そのまま代わりにしたことは、かまっ娘倶楽部に足を向けることだった。
こちらもまだとうぜんのように、灯の落とされたままの入口には支度中の札がかかっている。裏口に回ると、早番らしいホステスが昨夜のあとかたづけと開店まえの準備をはじめていた。市中見廻りの途中に立ち寄った態でヅラ子の出勤スケジュールを訊いてみる。土方がヅラ子に熱を上げていることは店では周知の事実だったから、とくにあやしむでもなく教えてくれた。
体調を崩してバイトには当分来ない。代わりにパー子が出ている、云々。
「あいにくと、見舞いはだれからのも受けないって云ってるのよ。アタシたちさえシャットアウトなの。インフルエンザだって云うから病室も隔離されてるみたい。副長さんも心配でしょうけど、そういうわけだから、快復を待っててあげてね」
顔もがたいもごついが愛想とひとのよい長身のオカマが、化粧まえの素顔でしなをつくった。それにふだんどおりに軽く手を挙げ頷いて立ち去りながら、だが土方の心臓はいくぶん忙しなく鼓動を刻みはじめる。
ネット上に姿を見せなくなったポンチ侍。
見舞いを拒否して入院しているというヅラ子。
万事屋のもとから消えた桂。
その身に起きているらしい異変。
事故ったバイク。
万事屋が同乗させていた幼子。
もう疑いようがなかった。
崖下から長谷川が拾ってきた迷子。
あの少年は、桂なのだ。若返った姿で記憶を失くした、桂小太郎そのひとなのだ。
土方はつとめてゆっくりとした歩調をとりながら、煙草を銜えて火を点けた。深く喫い、立ち止まって、紫煙を吐く。その行方を追い仰ぐように惑い揺らいでいた眼差しは、紫煙が周りの空気に溶け消えるのを待つように閉ざされて。再び見開かれたとき、土方の眸(め)にはもう、迷いの色はなかった。
屯所に戻った土方は、その足で局長室に向かった。
万事屋の伝手で、少年の身元がわかりそうだ。だがその住み処は江戸から遠く離れている。所用で江戸に出ていたところを難儀にあったものらしい。親元に届けて、ついでにことの経緯を話してこようと思う。急ぎですまねぇがあすから二三日休暇をもらえるか。
素知らぬ顔ですらすらと、口を吐いて出るにまかせた嘘偽り。近藤のほうは土方のその言を疑う理由もないから、あっさりと承諾した。
そいつは重畳じゃあないか。それなら早いほうがいい。親御さんもさぞ心配なことだろう。あすとは云わずこのあとすぐにも発ったらどうだ。なに、この際だ。たまりにたまっている有休をまとめて取っちまえばいい。無事送り届けたら、そのままことのついでにのんびりと骨休めでもしてこいよ、トシ。
伊東の一件からこっち、崩壊しかけた真選組の組織を立て直すのに忙しく、その後も高杉の江戸潜伏情報に振り回されたり、老化ガス騒動の後始末に追われたりしていたから、このあたりで長めの休暇を取るのもわるくないだろう。そう結論づけて、土方はその近藤の勧めに従った。
否、勧めに従う振りをした。
いま自分が職務ついでに休暇を申請すれば、近藤がそう水を向けてくるだろうことを、土方は半ば予期していた。真選組のためにだれより真摯に精力的にうごいてきた土方を、近藤は知っている。高杉を取り逃がした失態も、公務の疲れのせいだと、始末書一枚でことを収めてしまった。
その近藤と真選組を、いま自分は裏切るのだ。
たとえ一時的にせよ。こともあろうに、その立場を利用して。
礼を述べて局長室を辞しながら、土方はこころのうちで瞑目した。けれど、謝罪はしない。謝ることは非を認めることだ。裏切りの意識はあっても、いまのこのおのれの情動を否定することが、土方にはどうしてもできなかった。そんな気持ちで詫びたところで詫びになどならない。
これは天の配剤か、悪魔の罠だ。どちらだろうとかまいはしない。いま桂はおのれの手許にある。その桂は、銀時を知らない。高杉を知らない。攘夷もなにもない、過去のない桂だ。土方の手の及ばぬ過去を持たぬ桂なのだ。
それは甘い囁きだった。魔が刻のあやうい誘惑だった。
それを撥ね除けるには、土方はあまりに餓(かつ)えていた。報われぬままに募るだけの恋情を抱えて過ごす日々に、倦んでいた。
あすにもと急いだのには理由があった。だからすぐにも発てという近藤のことばは渡りに船だった。土方には委細は知れずとも、桂がいずれもとの姿に戻ることは自明の理だ。沖田が見掛けたという時期といま現在の桂の姿から推察するに、それはせいぜいあとひと月、どう長く見積もってもふた月はかからぬだろう。一晩二晩では気づかなくとも、長く間近でともに過ごせばその変化は目に見えてわかるはずだ。屯所に置いておくのは危険すぎた。
つぎの朝を待たず、土方は少年を連れ立って駅に向かった。
出立までの慌ただしさに面食らいながらも、少年は疑うことをしなかった。もとより身につけていた小振袖に袴と洗濯したての内着を着込み、記憶のない郷里への道中を、土方に連れられて行くのだと、ただ頼みにして。
夜行列車の切符を手にものめずらしそうに寝台車を覗き込む。表情の薄い顔には、けれど好奇心からかちいさな笑みが乗っていた。
車窓を流れる夜の江戸の町の灯りと、それに照らし出される、少年の屈託のない横顔。向かい合わせに座して眺める土方の、内なる声が繰り返し繰り返す呪文のような囁きは、漣となって凪ぐことがない。
仮初めの、これが夢でも。
吉夢となろうと悪夢に転じようと。
いま、その夢を討ち払うちからを、土方は持たなかった。
* * *
夕闇が降りるころになって、ようよう銀時が階下に姿を現した。
万事屋稼業のほうは、きのうきょうと休業状態だったから新八は姉とともにすれ違いで帰り、神楽は夕飯まえのこの時間、定春の散歩に出ている。
「ばーさん、なんか食わせて」
ふたりきりの従業員、天人のキャサリンと機械人形(からくり)のたまは奥の間の控えにいるらしく、店のカウンター内にいたのは女将のお登勢ひとりで、本日の料理の仕込みの最後のひと仕上げをしていた。
「まだ営業時間前だよ。さっき握り飯持たせてやったろう」
「あったかいもん、食いたい」
銀時はカウンターの細長い卓に手を掛けて、よっこらしょと、かったるそうに腰をおろした。
「甘ったれてんじゃないよ、いい歳したおとこが」
お登勢は小皿にとった煮物の味見をして、よし、とばかりに大きな陶器の丼に盛りつける。カウンターに五つほど並べられた大丼の中身が、これですべて埋まった。日によって替わる中身のおおかたは家庭料理の総菜や酒のつまみになるもので、これに旬の焼き魚と冷や奴、汁物あたりが定番メニューだ。
「このあと、かまっ娘倶楽部に出なきゃなんねぇんだよ。ってっっ」
丼から直接つまみ食いしようとした手の甲を、ぺしん、と叩(はた)かれる。
「行くのかい、その怪我で」
叩いたその手が引っこんだかと思うと、小鉢に盛られた茄子と豚肉と蒟蒻の味噌煮に、白飯と浅蜊のすまし汁が出てきた。
「あいつに頼まれてるからな」
「そうかい。ま、家賃のぶんしっかり稼いどくれ。こいつもツケとくからね」
「ちっ。しみったれてやがんなぁ、ばばぁ」
箸をとって、つゆだくの甘味のある味噌煮を白飯にぶっかけて掻っ込む。浅蜊の貝殻から身をひとつひとつ器用に剥いて、しまいには行儀悪く歯と口唇で直接その身を剥ぎ取った。
「ごっそさん」
銀時は黙々と平らげ、最後に茶を流し込んで、席を立つ。戸口の木札を商い中へと返しながら、お登勢がその背を見送った。
「メシがあって、食う元気があるなら、たいがいのことは乗り切れるもんさ」
煌々としたネオンとにぎやかさの増す街をかまっ娘倶楽部への途をぶらぶらと歩みながら、銀時がその目で追うのは見失った桂の背中だけだった。どこに消えたんだ、あの莫迦は。俺を忘れ、攘夷を忘れ、江戸の町の人々を忘れて、いまごろどこを彷徨っているのか。あすの姿も心許ないあのからだで。
続 2009.02.27.
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「ザキ、おめぇは顔合わせてねぇだろィ」
「いえ、その万事屋の旦那の連れてた子じゃなくて、どっかのだれかに」
「そいつぁ、俺も思ったが」
周囲の会話にときおり関心を示すような視線を向けながら、だがもくもくと食事をつづける少年の姿に、土方はつい先刻の既視感の正体に思い当たった。
紅桜に斬られた桂を救い匿ったとき。土方のマヨ好きを目の当たりにした桂が、やはりそうだった。眉をひそめ苦言を呈し、だが怯むでなく平然と食事を続けて。
土方の食の嗜好をまえにして引かない人間はそうそういない。自分の話題で盛り上がる周囲の会話を流せる、記憶喪失とは思えないようなこの堂に入った態度。年齢(とし)こそ違うが、見てくれといい、性格といい、立ち居振る舞いといい、ここまで似た人間がいるものなのか。
「総悟。万事屋は、なんつったんだ? そのこどものこと」
「子守のバイト、でしたかねィ。ああ、たしか医者に連れて行くところとか」
「俺、あした確かめてきましょうか。その子に兄弟がいないかどうか」
山崎の申し出に、土方は少し間を置いてから首を横に振った。
「いや。近藤さんから、こいつのことは一任されちまってるからな。しかたねぇ。手前ぇで行くさ」
食堂から戻って、昨夜とおなじくつづきのひと間に床(とこ)を伸べてやる。少年はちょこんと一礼をして、この日何度目かの欠伸を嚙み殺しながら、ふとんに潜り込んだ。食事のあいだは目も冴えていたようだが、そろそろ限界だったろう。鼻先まで引き上げた上掛けから黒目勝ちな眸だけを覗かせて、眠たげな声で問うてきた。
「あすはその、万事屋とやらに出向けばよいのか?」
土方はなにげない調子で返す。
「おめぇはここで休んでろ。事故ってからだ痛めて検査に引っ張り回されての連日じゃ保たねぇだろう。無駄足ってこともある。俺がちゃんと調べてきてやるからよ」
土方のことばに、そうか、と頷いて少年はことんと睡りに落ちた。やはりすなおだなと思う。疑うことを知らないのか、まっすぐでひねたところがない。これが生来の気質なら、歳をかさね経験を積みかさね攘夷の戦を経て身に纏った鎧はいかほどのものだったのか。
そう、これがもし、桂なら。
あり得るはずのない妄想は、だが先刻より土方のあたまのなかをじわじわと浸食している。
「どうかしてるぜ、まったく」
寝入った姿を眺めながらちいさくかぶりを振って、土方はつづきの間との襖を立てきった。
その日すべき仕事を些か無理矢理に片づけて、土方が万事屋を訪ねたのは、午(ひる)もだいぶ回ったころだった。
だが、二階家の玄関口で誰何してもだれもでない。鍵もかかっているようだ。ちっ留守か、と外階段を下りると、上る際には気づかなかった外階段の影になる路地の奥に目立たぬように、事故にでも遭ったのかひしゃげたベスパが押し込められている。
そのさまに土方がしばし立ち止まって考え込んでいると、支度中の札を掲げた階下の飲み屋の店奥から話し声が聞こえてきた。あいまあいまに食器の擦れる音と、芳ばしい匂いが漂ってくる。そういえばちょっと遅いがまだまだ昼飯時だった。
「銀さんなら、朝から不貞寝してますよ。きのう丸一日捜索して疲れたって。まあ事故の怪我もあるんで、休んでくれてたほうがいいっちゃいいですから、鍵掛けて出ちゃいましたけど」
「しょうがないねぇ、あの甲斐性なしは。あとで握り飯でも持っていってやりな。しかしあの姿で記憶がないとなると、こりゃやっかいだよ。なんだかねえ。アタシたちがよってたかってお人形さん扱いしたのがわるかったかねぇ」
「ヅラ、けっこう着せ替えノリノリだったヨ。銀ちゃんも毎日いそいそとヅラの髪結ってたアル」
「そうよね。だって、桂さん、似合うんですもの。ちっちゃなころはそれこそ稚児人形みたいだったし。いまなんかちょうど元服まえの若衆振袖がぴったりで。私も着替えの用意のしがいがあったわ」
「ワタシノ晴レ姿ニハ負ケルケドナ」
「どこがアルか。ヅラとネコ耳ババァとじゃ。月と亀仙人ネ」
「データに書き加えておきます。桂さまは月、キャサリンさまは亀仙人」
「フザケンナ。ダレガアンナ助平ジジイカ」
「たまさん、ちがいますから。書き加えるなら月と鼈ですから」
「なんにしても、どこをどうアタリを付けて捜し出すかだねぇ」
内々でのメシ時の呑気な会話かと思えば、洩れ聞こえたその内容に、土方は耳を疑った。
察するに、万事屋はバイクで事故ったのだろう。そして桂はおそらくはそのバイクに同乗していたのだ。銀時は怪我を負い、桂は記憶を失くし行方知れずとなった。しかもどうやらいまの桂はふつうの状態ではないらしい。
そんなことが、ほんとうに。あり得るのか。
だが、記憶喪失。いまは元服まえの若衆振袖。ちょっとまえには稚児人形。
昨夕の言がたしかなら、総悟が見掛けた"ちびっこい"のは、まさしくあの少年だったということだ。そして、その少年は。
「莫迦な」
知らずそう呟きながら、土方はおのれの埒もない妄想が急速に現実味を帯びるのを感じていた。
あれほどまでに桂をおもわせる少年だ。桂本人であるというほうが、むしろ得心がいく。その原因など知るべくもないが、桂の身に異常事態が起きて、いちど幼少時に返り、いままた成長の過程を辿っているのだというのなら。
もういちどひしゃげたベスパに視線を落とし、あらためて二階家の玄関を仰ぎ見る。あの扉をたたき壊し強引に踏み込み、あのおとこの胸ぐらをつかんでそれを確かめてみたい衝動に駆られた。そしていま、桂の身の手がかりを失ったあの万事屋が、どんな顔をしているのかを。
だが、しなかった。昏い愉悦を土方は自覚した。そのまま代わりにしたことは、かまっ娘倶楽部に足を向けることだった。
こちらもまだとうぜんのように、灯の落とされたままの入口には支度中の札がかかっている。裏口に回ると、早番らしいホステスが昨夜のあとかたづけと開店まえの準備をはじめていた。市中見廻りの途中に立ち寄った態でヅラ子の出勤スケジュールを訊いてみる。土方がヅラ子に熱を上げていることは店では周知の事実だったから、とくにあやしむでもなく教えてくれた。
体調を崩してバイトには当分来ない。代わりにパー子が出ている、云々。
「あいにくと、見舞いはだれからのも受けないって云ってるのよ。アタシたちさえシャットアウトなの。インフルエンザだって云うから病室も隔離されてるみたい。副長さんも心配でしょうけど、そういうわけだから、快復を待っててあげてね」
顔もがたいもごついが愛想とひとのよい長身のオカマが、化粧まえの素顔でしなをつくった。それにふだんどおりに軽く手を挙げ頷いて立ち去りながら、だが土方の心臓はいくぶん忙しなく鼓動を刻みはじめる。
ネット上に姿を見せなくなったポンチ侍。
見舞いを拒否して入院しているというヅラ子。
万事屋のもとから消えた桂。
その身に起きているらしい異変。
事故ったバイク。
万事屋が同乗させていた幼子。
もう疑いようがなかった。
崖下から長谷川が拾ってきた迷子。
あの少年は、桂なのだ。若返った姿で記憶を失くした、桂小太郎そのひとなのだ。
土方はつとめてゆっくりとした歩調をとりながら、煙草を銜えて火を点けた。深く喫い、立ち止まって、紫煙を吐く。その行方を追い仰ぐように惑い揺らいでいた眼差しは、紫煙が周りの空気に溶け消えるのを待つように閉ざされて。再び見開かれたとき、土方の眸(め)にはもう、迷いの色はなかった。
屯所に戻った土方は、その足で局長室に向かった。
万事屋の伝手で、少年の身元がわかりそうだ。だがその住み処は江戸から遠く離れている。所用で江戸に出ていたところを難儀にあったものらしい。親元に届けて、ついでにことの経緯を話してこようと思う。急ぎですまねぇがあすから二三日休暇をもらえるか。
素知らぬ顔ですらすらと、口を吐いて出るにまかせた嘘偽り。近藤のほうは土方のその言を疑う理由もないから、あっさりと承諾した。
そいつは重畳じゃあないか。それなら早いほうがいい。親御さんもさぞ心配なことだろう。あすとは云わずこのあとすぐにも発ったらどうだ。なに、この際だ。たまりにたまっている有休をまとめて取っちまえばいい。無事送り届けたら、そのままことのついでにのんびりと骨休めでもしてこいよ、トシ。
伊東の一件からこっち、崩壊しかけた真選組の組織を立て直すのに忙しく、その後も高杉の江戸潜伏情報に振り回されたり、老化ガス騒動の後始末に追われたりしていたから、このあたりで長めの休暇を取るのもわるくないだろう。そう結論づけて、土方はその近藤の勧めに従った。
否、勧めに従う振りをした。
いま自分が職務ついでに休暇を申請すれば、近藤がそう水を向けてくるだろうことを、土方は半ば予期していた。真選組のためにだれより真摯に精力的にうごいてきた土方を、近藤は知っている。高杉を取り逃がした失態も、公務の疲れのせいだと、始末書一枚でことを収めてしまった。
その近藤と真選組を、いま自分は裏切るのだ。
たとえ一時的にせよ。こともあろうに、その立場を利用して。
礼を述べて局長室を辞しながら、土方はこころのうちで瞑目した。けれど、謝罪はしない。謝ることは非を認めることだ。裏切りの意識はあっても、いまのこのおのれの情動を否定することが、土方にはどうしてもできなかった。そんな気持ちで詫びたところで詫びになどならない。
これは天の配剤か、悪魔の罠だ。どちらだろうとかまいはしない。いま桂はおのれの手許にある。その桂は、銀時を知らない。高杉を知らない。攘夷もなにもない、過去のない桂だ。土方の手の及ばぬ過去を持たぬ桂なのだ。
それは甘い囁きだった。魔が刻のあやうい誘惑だった。
それを撥ね除けるには、土方はあまりに餓(かつ)えていた。報われぬままに募るだけの恋情を抱えて過ごす日々に、倦んでいた。
あすにもと急いだのには理由があった。だからすぐにも発てという近藤のことばは渡りに船だった。土方には委細は知れずとも、桂がいずれもとの姿に戻ることは自明の理だ。沖田が見掛けたという時期といま現在の桂の姿から推察するに、それはせいぜいあとひと月、どう長く見積もってもふた月はかからぬだろう。一晩二晩では気づかなくとも、長く間近でともに過ごせばその変化は目に見えてわかるはずだ。屯所に置いておくのは危険すぎた。
つぎの朝を待たず、土方は少年を連れ立って駅に向かった。
出立までの慌ただしさに面食らいながらも、少年は疑うことをしなかった。もとより身につけていた小振袖に袴と洗濯したての内着を着込み、記憶のない郷里への道中を、土方に連れられて行くのだと、ただ頼みにして。
夜行列車の切符を手にものめずらしそうに寝台車を覗き込む。表情の薄い顔には、けれど好奇心からかちいさな笑みが乗っていた。
車窓を流れる夜の江戸の町の灯りと、それに照らし出される、少年の屈託のない横顔。向かい合わせに座して眺める土方の、内なる声が繰り返し繰り返す呪文のような囁きは、漣となって凪ぐことがない。
仮初めの、これが夢でも。
吉夢となろうと悪夢に転じようと。
いま、その夢を討ち払うちからを、土方は持たなかった。
* * *
夕闇が降りるころになって、ようよう銀時が階下に姿を現した。
万事屋稼業のほうは、きのうきょうと休業状態だったから新八は姉とともにすれ違いで帰り、神楽は夕飯まえのこの時間、定春の散歩に出ている。
「ばーさん、なんか食わせて」
ふたりきりの従業員、天人のキャサリンと機械人形(からくり)のたまは奥の間の控えにいるらしく、店のカウンター内にいたのは女将のお登勢ひとりで、本日の料理の仕込みの最後のひと仕上げをしていた。
「まだ営業時間前だよ。さっき握り飯持たせてやったろう」
「あったかいもん、食いたい」
銀時はカウンターの細長い卓に手を掛けて、よっこらしょと、かったるそうに腰をおろした。
「甘ったれてんじゃないよ、いい歳したおとこが」
お登勢は小皿にとった煮物の味見をして、よし、とばかりに大きな陶器の丼に盛りつける。カウンターに五つほど並べられた大丼の中身が、これですべて埋まった。日によって替わる中身のおおかたは家庭料理の総菜や酒のつまみになるもので、これに旬の焼き魚と冷や奴、汁物あたりが定番メニューだ。
「このあと、かまっ娘倶楽部に出なきゃなんねぇんだよ。ってっっ」
丼から直接つまみ食いしようとした手の甲を、ぺしん、と叩(はた)かれる。
「行くのかい、その怪我で」
叩いたその手が引っこんだかと思うと、小鉢に盛られた茄子と豚肉と蒟蒻の味噌煮に、白飯と浅蜊のすまし汁が出てきた。
「あいつに頼まれてるからな」
「そうかい。ま、家賃のぶんしっかり稼いどくれ。こいつもツケとくからね」
「ちっ。しみったれてやがんなぁ、ばばぁ」
箸をとって、つゆだくの甘味のある味噌煮を白飯にぶっかけて掻っ込む。浅蜊の貝殻から身をひとつひとつ器用に剥いて、しまいには行儀悪く歯と口唇で直接その身を剥ぎ取った。
「ごっそさん」
銀時は黙々と平らげ、最後に茶を流し込んで、席を立つ。戸口の木札を商い中へと返しながら、お登勢がその背を見送った。
「メシがあって、食う元気があるなら、たいがいのことは乗り切れるもんさ」
煌々としたネオンとにぎやかさの増す街をかまっ娘倶楽部への途をぶらぶらと歩みながら、銀時がその目で追うのは見失った桂の背中だけだった。どこに消えたんだ、あの莫迦は。俺を忘れ、攘夷を忘れ、江戸の町の人々を忘れて、いまごろどこを彷徨っているのか。あすの姿も心許ないあのからだで。
続 2009.02.27.
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