連作「天涯の遊子」の読み切り短篇。高桂篇。
高杉と桂。攘夷戦争(敗戦)以降、桂の江戸潜伏まえ。
連作的には山科潜伏期の終盤。
(企画『桂花美人』さま2月お題「梅」に掲載)
凛として、仄かな香気はかのひとを思わせる。
ふたりが潜伏する山科の隠れ家の中庭に、風変わりな梅の古木があった。
紅梅白梅がおなじ一本の木にそろい咲くさまは、さながら舞い散る雪に滲む血のようにも見えたが、敗戦を決定づけた闘いから一年が経とうという今日では、そこまで神経が病むこともない。
なによりもそこに漂う香(か)がそんな血腥さとは無縁であるのだから。
もとより風流を好んだ師の薫陶よろしく、こうした風雅をたのしむ傾向は教え子たちにも受け継がれて。なかでも高杉には、その気性の内向的な激しさとは裏腹に、というかだからなのか、三弦を爪弾くような趣味人としての顔がある。やはりこうした季節の趣を解することの似た、桂も幼いころより折々の風情に興を抱いていたのではなかったか。
「源平梅、というのだそうだ」
中庭に面した濡れ縁で梅見を酒肴に一杯やっていた高杉の、傍らに座しながら桂が云った。手には新しいとっくりと平杯がある。
「ふうん。赤が平家で白が源氏ってわけか」
桂からとっくりを手渡されて、高杉は手酌でやる。この季節にはやはり濁り酒を、というところが季節を味わうのに長けた桂らしい趣向だ。高杉は促して、桂の平杯にも注いだ。
「ああ、温まるな」
まだ昼日中とはいえ、この季節に縁側での酒は、よほどのものずきには違いない。そんなおのれに付き合う桂を、疎ましいような、くすぐったいような、半端な気分で高杉は眺めた。
「めずらしいじゃねぇか。あんたが昼の酒に付き合うたぁ」
「たまには、な。ちょうど務めのきりもついたし。観梅とあらば」
「いつになる?出立は」
「雪解けを待って」
「江戸入りか」
「すぐに市中入りはせん。戸塚か藤沢あたりでようすをみるつもりだ」
ふん、と平杯に酒を注ぎ足しながらどこか不満げな返事を漏らす高杉に、桂が微笑する。
「さみしいか」
とん、と音を立てて高杉はとっくりを置いた。
「だ、れが、だ。てめぇこそ、人肌恋しくなって、京にもどってくるんじゃねえのか」
「だれの人肌だ。おまえのか。晋助?」
面と向かって淡々と云われて、頬に朱が差すのを感じる。
「ほかに、だれがいるよ?」
気恥ずかしい気分を打ち払おうと強気に出れば、それもそうだな、と桂は笑って、庭に降り立つ。そのまま古木のもとにより、紅い一枝に手を伸べた。
「これで雪でも降れば、雪見酒になるのだが」
その姿を高杉は、一幅の画のように思った。樹下の佳人だ。
戻った桂は、手にした紅い梅花を一輪、高杉の酒に浮かべてみせた。
「なんだ?」
「見立てだ。酒を雪に」
「花は、なにに?」
「さて、なんだろうな…」
平杯に目を落とした桂のものおもう風情に、ふいに高杉は激情を覚えた。
白のなかの赤。雪白のなかの血か、それとも。白銀髪に覗く紅い眸か。
ぐい、とその酒をひといきで呷ると、桂の腕を思い切り引き寄せる。虚をつかれて高杉の身に倒れ込んだ桂の、口唇にその酒をそそいだ。
「晋…」
みなまで呼ばせずに、もういちどこんどは深く口を吸う。いまさらに、なにをおもう。去ったおとこを、この季節には思い出すのか。いまあんたといるのは、俺だ。桂。
ほんとうは江戸へなどやりたくない。攘夷の活動のためでなければ、なんとしてでも止めたろう。だが、またそのためでなければ、いまの桂が高杉を置いてわざわざ江戸へ出向くはずもなかった。
口腔を彷徨う舌からようように解放されて、桂が乱れた息を調えながら苦笑する。
「やはりさみしいのだな」
「だから、てめぇが、だろうが」
高杉に身をあずけたままの桂をそのまま組み敷いて、冷えた縁側に縫いつける。桂の腕が高杉の首に回り、引き寄せた。
どちらもがその理由を相手に被けたまま、ぬくもりを確かめあうように、肌を探る。
だんだんにたがいの熱に染まる桂の肌に匂い立つ香(か)は、庭先に漂う梅香に融けて、高杉のなかに永く染み入った。
了 2008.01.29.
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凛として、仄かな香気はかのひとを思わせる。
ふたりが潜伏する山科の隠れ家の中庭に、風変わりな梅の古木があった。
紅梅白梅がおなじ一本の木にそろい咲くさまは、さながら舞い散る雪に滲む血のようにも見えたが、敗戦を決定づけた闘いから一年が経とうという今日では、そこまで神経が病むこともない。
なによりもそこに漂う香(か)がそんな血腥さとは無縁であるのだから。
もとより風流を好んだ師の薫陶よろしく、こうした風雅をたのしむ傾向は教え子たちにも受け継がれて。なかでも高杉には、その気性の内向的な激しさとは裏腹に、というかだからなのか、三弦を爪弾くような趣味人としての顔がある。やはりこうした季節の趣を解することの似た、桂も幼いころより折々の風情に興を抱いていたのではなかったか。
「源平梅、というのだそうだ」
中庭に面した濡れ縁で梅見を酒肴に一杯やっていた高杉の、傍らに座しながら桂が云った。手には新しいとっくりと平杯がある。
「ふうん。赤が平家で白が源氏ってわけか」
桂からとっくりを手渡されて、高杉は手酌でやる。この季節にはやはり濁り酒を、というところが季節を味わうのに長けた桂らしい趣向だ。高杉は促して、桂の平杯にも注いだ。
「ああ、温まるな」
まだ昼日中とはいえ、この季節に縁側での酒は、よほどのものずきには違いない。そんなおのれに付き合う桂を、疎ましいような、くすぐったいような、半端な気分で高杉は眺めた。
「めずらしいじゃねぇか。あんたが昼の酒に付き合うたぁ」
「たまには、な。ちょうど務めのきりもついたし。観梅とあらば」
「いつになる?出立は」
「雪解けを待って」
「江戸入りか」
「すぐに市中入りはせん。戸塚か藤沢あたりでようすをみるつもりだ」
ふん、と平杯に酒を注ぎ足しながらどこか不満げな返事を漏らす高杉に、桂が微笑する。
「さみしいか」
とん、と音を立てて高杉はとっくりを置いた。
「だ、れが、だ。てめぇこそ、人肌恋しくなって、京にもどってくるんじゃねえのか」
「だれの人肌だ。おまえのか。晋助?」
面と向かって淡々と云われて、頬に朱が差すのを感じる。
「ほかに、だれがいるよ?」
気恥ずかしい気分を打ち払おうと強気に出れば、それもそうだな、と桂は笑って、庭に降り立つ。そのまま古木のもとにより、紅い一枝に手を伸べた。
「これで雪でも降れば、雪見酒になるのだが」
その姿を高杉は、一幅の画のように思った。樹下の佳人だ。
戻った桂は、手にした紅い梅花を一輪、高杉の酒に浮かべてみせた。
「なんだ?」
「見立てだ。酒を雪に」
「花は、なにに?」
「さて、なんだろうな…」
平杯に目を落とした桂のものおもう風情に、ふいに高杉は激情を覚えた。
白のなかの赤。雪白のなかの血か、それとも。白銀髪に覗く紅い眸か。
ぐい、とその酒をひといきで呷ると、桂の腕を思い切り引き寄せる。虚をつかれて高杉の身に倒れ込んだ桂の、口唇にその酒をそそいだ。
「晋…」
みなまで呼ばせずに、もういちどこんどは深く口を吸う。いまさらに、なにをおもう。去ったおとこを、この季節には思い出すのか。いまあんたといるのは、俺だ。桂。
ほんとうは江戸へなどやりたくない。攘夷の活動のためでなければ、なんとしてでも止めたろう。だが、またそのためでなければ、いまの桂が高杉を置いてわざわざ江戸へ出向くはずもなかった。
口腔を彷徨う舌からようように解放されて、桂が乱れた息を調えながら苦笑する。
「やはりさみしいのだな」
「だから、てめぇが、だろうが」
高杉に身をあずけたままの桂をそのまま組み敷いて、冷えた縁側に縫いつける。桂の腕が高杉の首に回り、引き寄せた。
どちらもがその理由を相手に被けたまま、ぬくもりを確かめあうように、肌を探る。
だんだんにたがいの熱に染まる桂の肌に匂い立つ香(か)は、庭先に漂う梅香に融けて、高杉のなかに永く染み入った。
了 2008.01.29.
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