Armed angel #02 一期未満 ニルティエ
ソレスタルビーイングによる武力介入行動開始より二年半ほど遡る。
ロックオン(ニール)とティエリアの休暇と始まりの使命。アレルヤ加入。
全六回。その1。
「アレルヤ・ハプティズム。変形から機体制御までの時間が掛かりすぎる」
ラグランジュ3に設えられたCB偽装ドック内の、食堂の一角。近寄ってきた人影が、なんの挨拶もなしにそう宣った。
「おいおい、ティエリア。いきなりそれはねぇだろ」
あきれ声を出したのは不躾な声を掛けられた当人ではなく、その対面に座していたロックオン・ストラトスことニール・ディランディである。キュリオスのマイスター、アレルヤ・ハプティズムが基地に合流し教習を初めて三ヶ月ほどになる。
「え。そ、そう? まだ遅いかな」
長身で鍛え抜かれた筋肉質のからだや片側の前髪を長く垂らした見かけによらず、穏やかな気質の青年は食後の珈琲を嗜む手をやすめて叱責する声の主をもうしわけなさそうに仰いだ。ティエリア・アーデは素通しの眼鏡越しに切れ長の深紅の双眸を眇め、冷徹に云い募る。
「あと、コンマ三秒は短縮できる。キュリオスは一撃離脱の機動性が最大の武器だ。きみの遅延は後続各機とのフォーメーションに影響を及ぼす」
「そうだね。ごめん」
「アレルヤはよくやってるよ。あんま無理云いなさんな」
いいガタイを縮めて詫びる同僚が不憫で、スプーンで掬い上げたレーションのカレーを掲げてニールは宥めるようにティエリアに向けた。
「それよか、昼飯。ちゃんと食ったのか、ティエリア」
「あなたは黙っていろ、ロックオン・ストラトス。できないことなら要求しない。アレルヤ・ハプティズムの身体能力値から見て可能だから云っている」
「データ上の仮想値、だろ? 人間がそうそう数字どおりにいくかよ。…ったく、おまえさんは」
「できうるかぎりのシステム調整は行ったはずだ」
ニールのことばを遮って、ティエリアは云い捨てた。
「七十二時間のうちに可変型MSの特性を最大限に生かせるようになれ。でなければきみは、ガンダムマイスターにふさわしくない」
紫黒の髪と薄桃色のやわらかな上衣を揺蕩わせて、出ていく背中を眺めながら、ニールは溜め息をついた。食堂には地球上とほぼ同じ重力が設定されているが、扉を出たすぐ向こう側はもう微重力空間だ。ティエリアと自分たちとのあいだには、この重力差程度には懸隔がある気がする。
「やれやれ。あいかわらず生真面目っていうか、融通がきかねぇっていうか」
「いつもながら手厳しいよね。ティエリアは」
そう云う顔はもうしわけなさそうではあったが、笑んでいる。
「おまえさんが出来た人間で、たすかるよ」
だから、レーションを口に運びながら、そう返した。
「データ上だと、僕にできるって?」
「云ってたな」
「じゃあ、もうちょっとがんばってみるよ。彼がそう云うなら、できそうだ」
アレルヤは、ぐいっと残りの珈琲を飲み干す。
「ま、どんなシミュレーションでも97%以上の成果叩き出してるやつから云われちゃ、なぁ。…おつかれさん」
おかわりもらってこよう、と二杯目の珈琲を取りに立ったアレルヤは、カップを二つ手にして戻り、食事を終えたニールのまえにそのひとつを置いた。
「そういえば、ロックオンはティエリアにダメ出しされてないよね。僕がここに来てから、ずっと」
軽く礼を返して、珈琲を口にしながらニールは苦笑する。
「おまえさんが来るまえの六ヶ月が、俺にはあんの。しかもマイスターふたりだけって状態でだぜ。…ないわけねぇだろ」
「そうなんだ。でもティエリアはロックオンのことは認めてるみたいに見えるよ」
一瞬ふくむところでもあるのかとその表情を窺ったニールだが、アレルヤの態度には屈託がなかった。
「数字さえ出しちまえば、文句は云われねぇってだけだけどな。アレルヤ、このあとは?」
空のプレートと飲み終えたカップを手に、立ち上がる。
「体術。僕が唯一、彼に認められてる分野だから、気は楽だけど」
やっぱり実証あるのみなんだね。そう、おっとりと声がつづいた。
* * *
ふたりには、いちど地上に降りてもらいます。
スメラギ・李・ノリエガのひとことで、軌道エレベータのリニアトレインの乗客となった。
「あなたたちには宇宙居住者必須の休暇も兼ねているから拒否権はないわよ。わたしはアレルヤ・ハプティズムを迎えに行ってあとから合流します。太平洋第六スポットで会いましょう」
渋るティエリアにそう云い含めておいて、ナイスバディの戦術予報士はニールの携帯端末に必要情報を転送してきた。人体を宇宙環境に適応させるナノマシン技術の普及により身体的には問題がないとされていても、精神衛生面への配慮から人間には一定期間以上の地上での環境が必要だとされている。そうした観点からの休息義務だ。兼ねている、と云うからにはむろんそれだけではすまないのだろうが。
「ちゃんとティエリアを連れてきてね、ロックオン」
むくれてさっさと席を外してしまった年下の同僚の先刻の様相に、ニールは肩を竦めた。
「荷が重いな。あの頑固者がおとなしく俺に連れられてくれますかね」
「未成年には保護者が必要なの。お願いよ。だいじょうぶ。ミッションには地上活動だってある。その環境に馴染むのもマイスターのつとめだと、ちゃんとわかっているから。…まあ、機嫌はよくないでしょうけど」
「…です、ね。了解した。それで、アレルヤ・ハプティズムってのは、こんど加わるっていう話の?」
「ええ。キュリオスのマイスターになるわ」
四人掛けのコンパートメントに斜めに向かいあわせて搭乗する。リニアトレインは静止軌道ステーションから音もなく滑り出た。客室内に設えられたモニターからは、軌道エレベータとリニアトレインのガイドからはじまり、これから降りるユニオン領のイメージ映像が流れ出している。
「無人島に隠れ処か。ますますもって、うちの規模の底が知れないな」
秘匿義務にうるさい同僚を慮って、あえて固有名詞を外してつぶやいた。
武力による紛争根絶というイオリア・シュヘンベルグの理念のもと計画は遂行される。ソレスタルビーイングはそのための私設武装組織だが、ニールの目にはいまもって全容が見えてこない。天上人、などという穿ったネーミングをするくらいだ。その実態を把握させることなどないのだろう。
ティエリアはさっきからずっと無言のまま瞑目している。寝ているわけではないらしいのは、ニールがなにか口に出すたび、その柳眉がうるさそうに蹙められていることからも窺える。どうやら話し相手になってくれる気はないらしい。
「そう、顰めっ面ばかりしてんなよ。美人が台無しだぜ」
ほんと、もったいない。と思う。この容姿ならちょっと微笑むだけでも万人を籠絡できるだろうに、この態度のせいで逆効果にしかなっていないのがCBにおけるティエリアの現状だ。ひとことで云えば、浮いている。当人のほうにも馴染む気がさらさらないのか、マイスターとしての高すぎる能力と整いすぎた稀なる美貌は、不遜という外壁をもって周囲と隔絶している。
「なにがたのしいのか、わからない。ロックオン・ストラトス」
「はぃ?」
これまで沈黙を湛えていた口から不意にそう返されて、咄嗟に気の抜けた声が出た。
「さっきからあなたの声にいつになく昂揚感がある。その温度が、うるさい。鬱陶しい。気持ちわるい」
「そりゃ、休暇がたのしみじゃない人間なんて、そういないだろ」
ずいぶんな云われようだったが、無視を決め込んでいたわりにこちらの声の調子にまで気づいていたあたり、相当神経を尖らせていたのだろう。瞑目したまま返されたことばの辛辣さより、それでも喋ってきたことのほうに安堵を覚えた。
「頼むから、ここまできてやっぱり降りたくねぇとか云い出すなよ?」
「命令には従う。だが地上は、きらいだ」
「なにがそんなに厭なんだ」
「ぜんぶだ。身の枷になる重力も、さまざまな音も、混じる匂いも、気温の変化も、不確定な天候も、ぜんぶが煩わしい」
それらすべてが、ニールには懐かしいと感じるものだった。
「おまえ……宇宙生まれの宇宙育ち、か?」
これは秘匿事項に属する質問だろうか。ティエリアはそこでようやく閉じていた眸を開いた。
「それなのに、宇宙滞在者必須の休暇とやらがなぜ必要なのか理解に苦しむ」
暗に肯定されて、むしろ得心がいった。ティエリアの、無重力下で優雅に泳ぐ肢体が目に浮かぶ。あれほどまでに自在にうごけるのには、そうした背景が所以だったのだ。
「そうだとしても、やっぱりひとには地上での暮らしが必要なんだろうさ」
「おれには、苦行だ」
「…うーん。そればっかりは俺にはなんともいいがたいよ。俺は地球産だからティエリアの感覚はわからない。でもだからって逆に宇宙での生活が苦行だとまで感じたことはねぇよ?」
「…慣れの問題だと?」
「それもあるだろうけどな。そこで過ごす意義みたいなもんがあれば、捉えかたも違ってくるんじゃねぇの?」
「過ごす、意義…?」
「マイスターの責務で、とかじゃなくてさ。もっと、こう、個人的な意味合いがあれば、些とはらくに過ごせるかもな」
ティエリアの深紅の双眸が、ニールを見据える。
「あなたには、あるのか。添わぬ場所で過ごす、個人的な意義というものが」
けれどそう問う声は、どこか空ろに響いた。
地上が嫌いだというティエリアは、それから到着までやっぱりずっと不機嫌で、ずっとなにかを考え込んでいるようだった。リニアトレインから下車することさえ忘れたように、促されるまで席を立とうともせず、降り立ったホームから向かう方角さえわからなくなったのか、そこでまた立ち尽くしてしまう。そのままニールが放っておけば、だれかにどこか見知らぬ場所へ連れて行かれたとしても気づかなかったに相違ない。
「意外と不用意というか…あぶなっかしいんだな」
いったんおのれの思念に沈み込んでしまうと、周りが見えなくなるらしい。それにしても、それはふだんの超然とした隔絶とは異なり、どこか現実と乖離したような覚束なさだった。
「おいこら。こっちだ! ティエリア!」
タワーの地上ステーション構内でなんどもそう声を掛ける羽目になり、絶え間ない人波に攫われそうになって、ついにはその腕をひっつかんで歩かざるを得なくなった。最初、撥ね除けられるかとも思ったが、ティエリアはすなおに腕を取られている。というよりも、腕を取られていること自体、ちゃんと認識できているのかすらあやしい。
ふい周囲が騒がしくなったのはそのときだ。
出入国でごった返す人垣が割れて悲鳴とともに血走った目の男がひとり、まろびでてきた。同時に周りにいた旅客が数名、床に崩れ落ち倒れ臥す。明らかに瞳孔が開き目の焦点が合っていない。歯茎も剥き出しに口を歪め獣のような低い唸り声を上げている。その手に幅広のダガー、と認識するより早くニールの右手は袖のないジャケットに隠された脇のホルスターへと伸びていた。
ティエリアをつかんでいた手を思いきりおのれの後背へと引いておいて、放す。けれどそこで咄嗟に脳裡を過ぎったのは、いまここで銃を抜くことの是非だった。おのれはCBの一員だ。単身で狙撃手をしていたころとは行動の重さが違う。
半瞬の躊躇いが凶器を持つ男の突進をゆるし、しまった、と思った瞬間に、後方に追いやったはずの存在がうごくのに気づいた。気づいたときには、もうそれは起きていた。
続 2011.09.03.
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「アレルヤ・ハプティズム。変形から機体制御までの時間が掛かりすぎる」
ラグランジュ3に設えられたCB偽装ドック内の、食堂の一角。近寄ってきた人影が、なんの挨拶もなしにそう宣った。
「おいおい、ティエリア。いきなりそれはねぇだろ」
あきれ声を出したのは不躾な声を掛けられた当人ではなく、その対面に座していたロックオン・ストラトスことニール・ディランディである。キュリオスのマイスター、アレルヤ・ハプティズムが基地に合流し教習を初めて三ヶ月ほどになる。
「え。そ、そう? まだ遅いかな」
長身で鍛え抜かれた筋肉質のからだや片側の前髪を長く垂らした見かけによらず、穏やかな気質の青年は食後の珈琲を嗜む手をやすめて叱責する声の主をもうしわけなさそうに仰いだ。ティエリア・アーデは素通しの眼鏡越しに切れ長の深紅の双眸を眇め、冷徹に云い募る。
「あと、コンマ三秒は短縮できる。キュリオスは一撃離脱の機動性が最大の武器だ。きみの遅延は後続各機とのフォーメーションに影響を及ぼす」
「そうだね。ごめん」
「アレルヤはよくやってるよ。あんま無理云いなさんな」
いいガタイを縮めて詫びる同僚が不憫で、スプーンで掬い上げたレーションのカレーを掲げてニールは宥めるようにティエリアに向けた。
「それよか、昼飯。ちゃんと食ったのか、ティエリア」
「あなたは黙っていろ、ロックオン・ストラトス。できないことなら要求しない。アレルヤ・ハプティズムの身体能力値から見て可能だから云っている」
「データ上の仮想値、だろ? 人間がそうそう数字どおりにいくかよ。…ったく、おまえさんは」
「できうるかぎりのシステム調整は行ったはずだ」
ニールのことばを遮って、ティエリアは云い捨てた。
「七十二時間のうちに可変型MSの特性を最大限に生かせるようになれ。でなければきみは、ガンダムマイスターにふさわしくない」
紫黒の髪と薄桃色のやわらかな上衣を揺蕩わせて、出ていく背中を眺めながら、ニールは溜め息をついた。食堂には地球上とほぼ同じ重力が設定されているが、扉を出たすぐ向こう側はもう微重力空間だ。ティエリアと自分たちとのあいだには、この重力差程度には懸隔がある気がする。
「やれやれ。あいかわらず生真面目っていうか、融通がきかねぇっていうか」
「いつもながら手厳しいよね。ティエリアは」
そう云う顔はもうしわけなさそうではあったが、笑んでいる。
「おまえさんが出来た人間で、たすかるよ」
だから、レーションを口に運びながら、そう返した。
「データ上だと、僕にできるって?」
「云ってたな」
「じゃあ、もうちょっとがんばってみるよ。彼がそう云うなら、できそうだ」
アレルヤは、ぐいっと残りの珈琲を飲み干す。
「ま、どんなシミュレーションでも97%以上の成果叩き出してるやつから云われちゃ、なぁ。…おつかれさん」
おかわりもらってこよう、と二杯目の珈琲を取りに立ったアレルヤは、カップを二つ手にして戻り、食事を終えたニールのまえにそのひとつを置いた。
「そういえば、ロックオンはティエリアにダメ出しされてないよね。僕がここに来てから、ずっと」
軽く礼を返して、珈琲を口にしながらニールは苦笑する。
「おまえさんが来るまえの六ヶ月が、俺にはあんの。しかもマイスターふたりだけって状態でだぜ。…ないわけねぇだろ」
「そうなんだ。でもティエリアはロックオンのことは認めてるみたいに見えるよ」
一瞬ふくむところでもあるのかとその表情を窺ったニールだが、アレルヤの態度には屈託がなかった。
「数字さえ出しちまえば、文句は云われねぇってだけだけどな。アレルヤ、このあとは?」
空のプレートと飲み終えたカップを手に、立ち上がる。
「体術。僕が唯一、彼に認められてる分野だから、気は楽だけど」
やっぱり実証あるのみなんだね。そう、おっとりと声がつづいた。
* * *
ふたりには、いちど地上に降りてもらいます。
スメラギ・李・ノリエガのひとことで、軌道エレベータのリニアトレインの乗客となった。
「あなたたちには宇宙居住者必須の休暇も兼ねているから拒否権はないわよ。わたしはアレルヤ・ハプティズムを迎えに行ってあとから合流します。太平洋第六スポットで会いましょう」
渋るティエリアにそう云い含めておいて、ナイスバディの戦術予報士はニールの携帯端末に必要情報を転送してきた。人体を宇宙環境に適応させるナノマシン技術の普及により身体的には問題がないとされていても、精神衛生面への配慮から人間には一定期間以上の地上での環境が必要だとされている。そうした観点からの休息義務だ。兼ねている、と云うからにはむろんそれだけではすまないのだろうが。
「ちゃんとティエリアを連れてきてね、ロックオン」
むくれてさっさと席を外してしまった年下の同僚の先刻の様相に、ニールは肩を竦めた。
「荷が重いな。あの頑固者がおとなしく俺に連れられてくれますかね」
「未成年には保護者が必要なの。お願いよ。だいじょうぶ。ミッションには地上活動だってある。その環境に馴染むのもマイスターのつとめだと、ちゃんとわかっているから。…まあ、機嫌はよくないでしょうけど」
「…です、ね。了解した。それで、アレルヤ・ハプティズムってのは、こんど加わるっていう話の?」
「ええ。キュリオスのマイスターになるわ」
四人掛けのコンパートメントに斜めに向かいあわせて搭乗する。リニアトレインは静止軌道ステーションから音もなく滑り出た。客室内に設えられたモニターからは、軌道エレベータとリニアトレインのガイドからはじまり、これから降りるユニオン領のイメージ映像が流れ出している。
「無人島に隠れ処か。ますますもって、うちの規模の底が知れないな」
秘匿義務にうるさい同僚を慮って、あえて固有名詞を外してつぶやいた。
武力による紛争根絶というイオリア・シュヘンベルグの理念のもと計画は遂行される。ソレスタルビーイングはそのための私設武装組織だが、ニールの目にはいまもって全容が見えてこない。天上人、などという穿ったネーミングをするくらいだ。その実態を把握させることなどないのだろう。
ティエリアはさっきからずっと無言のまま瞑目している。寝ているわけではないらしいのは、ニールがなにか口に出すたび、その柳眉がうるさそうに蹙められていることからも窺える。どうやら話し相手になってくれる気はないらしい。
「そう、顰めっ面ばかりしてんなよ。美人が台無しだぜ」
ほんと、もったいない。と思う。この容姿ならちょっと微笑むだけでも万人を籠絡できるだろうに、この態度のせいで逆効果にしかなっていないのがCBにおけるティエリアの現状だ。ひとことで云えば、浮いている。当人のほうにも馴染む気がさらさらないのか、マイスターとしての高すぎる能力と整いすぎた稀なる美貌は、不遜という外壁をもって周囲と隔絶している。
「なにがたのしいのか、わからない。ロックオン・ストラトス」
「はぃ?」
これまで沈黙を湛えていた口から不意にそう返されて、咄嗟に気の抜けた声が出た。
「さっきからあなたの声にいつになく昂揚感がある。その温度が、うるさい。鬱陶しい。気持ちわるい」
「そりゃ、休暇がたのしみじゃない人間なんて、そういないだろ」
ずいぶんな云われようだったが、無視を決め込んでいたわりにこちらの声の調子にまで気づいていたあたり、相当神経を尖らせていたのだろう。瞑目したまま返されたことばの辛辣さより、それでも喋ってきたことのほうに安堵を覚えた。
「頼むから、ここまできてやっぱり降りたくねぇとか云い出すなよ?」
「命令には従う。だが地上は、きらいだ」
「なにがそんなに厭なんだ」
「ぜんぶだ。身の枷になる重力も、さまざまな音も、混じる匂いも、気温の変化も、不確定な天候も、ぜんぶが煩わしい」
それらすべてが、ニールには懐かしいと感じるものだった。
「おまえ……宇宙生まれの宇宙育ち、か?」
これは秘匿事項に属する質問だろうか。ティエリアはそこでようやく閉じていた眸を開いた。
「それなのに、宇宙滞在者必須の休暇とやらがなぜ必要なのか理解に苦しむ」
暗に肯定されて、むしろ得心がいった。ティエリアの、無重力下で優雅に泳ぐ肢体が目に浮かぶ。あれほどまでに自在にうごけるのには、そうした背景が所以だったのだ。
「そうだとしても、やっぱりひとには地上での暮らしが必要なんだろうさ」
「おれには、苦行だ」
「…うーん。そればっかりは俺にはなんともいいがたいよ。俺は地球産だからティエリアの感覚はわからない。でもだからって逆に宇宙での生活が苦行だとまで感じたことはねぇよ?」
「…慣れの問題だと?」
「それもあるだろうけどな。そこで過ごす意義みたいなもんがあれば、捉えかたも違ってくるんじゃねぇの?」
「過ごす、意義…?」
「マイスターの責務で、とかじゃなくてさ。もっと、こう、個人的な意味合いがあれば、些とはらくに過ごせるかもな」
ティエリアの深紅の双眸が、ニールを見据える。
「あなたには、あるのか。添わぬ場所で過ごす、個人的な意義というものが」
けれどそう問う声は、どこか空ろに響いた。
地上が嫌いだというティエリアは、それから到着までやっぱりずっと不機嫌で、ずっとなにかを考え込んでいるようだった。リニアトレインから下車することさえ忘れたように、促されるまで席を立とうともせず、降り立ったホームから向かう方角さえわからなくなったのか、そこでまた立ち尽くしてしまう。そのままニールが放っておけば、だれかにどこか見知らぬ場所へ連れて行かれたとしても気づかなかったに相違ない。
「意外と不用意というか…あぶなっかしいんだな」
いったんおのれの思念に沈み込んでしまうと、周りが見えなくなるらしい。それにしても、それはふだんの超然とした隔絶とは異なり、どこか現実と乖離したような覚束なさだった。
「おいこら。こっちだ! ティエリア!」
タワーの地上ステーション構内でなんどもそう声を掛ける羽目になり、絶え間ない人波に攫われそうになって、ついにはその腕をひっつかんで歩かざるを得なくなった。最初、撥ね除けられるかとも思ったが、ティエリアはすなおに腕を取られている。というよりも、腕を取られていること自体、ちゃんと認識できているのかすらあやしい。
ふい周囲が騒がしくなったのはそのときだ。
出入国でごった返す人垣が割れて悲鳴とともに血走った目の男がひとり、まろびでてきた。同時に周りにいた旅客が数名、床に崩れ落ち倒れ臥す。明らかに瞳孔が開き目の焦点が合っていない。歯茎も剥き出しに口を歪め獣のような低い唸り声を上げている。その手に幅広のダガー、と認識するより早くニールの右手は袖のないジャケットに隠された脇のホルスターへと伸びていた。
ティエリアをつかんでいた手を思いきりおのれの後背へと引いておいて、放す。けれどそこで咄嗟に脳裡を過ぎったのは、いまここで銃を抜くことの是非だった。おのれはCBの一員だ。単身で狙撃手をしていたころとは行動の重さが違う。
半瞬の躊躇いが凶器を持つ男の突進をゆるし、しまった、と思った瞬間に、後方に追いやったはずの存在がうごくのに気づいた。気づいたときには、もうそれは起きていた。
続 2011.09.03.
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