Armed angel #24 二期終幕後 ニルティエ+刹那
二重写しの。
全四回、その3。
「ティエリアが、また実体を持ってそこにいると聞いた」
「ああ」
無造作に胡桃色の髪を掻き上げながら頷きを返してくる。背景を消しているのは居場所を特定されないための用心だろう。ニール・ディランディもティエリア・アーデも記録上はもうこの世に存在しないが、ティエリアという存在の特異性を考えればやむを得ない。どうあれいま、ヴェーダのすべてを掌握しているのはティエリアなのだ。その意識体をうつわに乗せていようと、ヴェーダの不調はティエリアに影響するし、ティエリアになにかがあればヴェーダにも少なからず還元されてしまう。判断としては正しい。たとえ通信の相手が刹那であっても、だ。
「渡したいものがある。…わすれものだ」
反射的に疑念を浮かべた碧緑に、刹那はそう付け加えた。
無意識だろうか。ずいぶんと警戒されている。CB以前の『ロックオン・ストラトス』の経歴を刹那は詳しく知らないが、スナイパーを生業にしていたとは耳にしていた。そのときの眼光もこんな感じだったのだろうかとさえ思わせる。マイスター最年長者は明朗さを纏って周囲を煙に巻くことに長けていたから、刹那もかつて銃を突きつけられるまでは、ニールの抱える闇の深さに気づけずにいた。
「わすれもの?」
「いまさら不要のものかとも思ったが、からだがあるなら無駄にはならないだろう」
あのままあるじ不在の部屋に置いておくことが、なぜだか物悲しくいやだっただけだ。これはおのれのわがままなのだろう、と刹那は思う。
「それなら、なぜティエリアに直接連絡しねぇんだ? 脳量子波で話しかけりゃいい。それでなくとも、リジェネからティエリアの新たな携帯端末の識別番号は聞いたんだろう?」
「また、おまえの要らぬ嫉妬を買うのはごめんだ。ニール・ディランディ」
溜め息を堪えて刹那はホロモニターを見遣る。兄貴肌でふだん飄々としたこのおとこが見かけによらずやきもち焼きなのを知っている。それはティエリアに対してのみ発動されるものではあったけれど、そのぶん根が深い。
かつて刹那は無知と狂信からたいせつなものを自らの手で打ち砕いた。理不尽な暴力でたいせつなものを奪い取られたニールとは、その意味で天と地ほどの差がある。おのれの無力に歯嚙みしたのは、おたがいおなじであるのだとしても。
「云うね、おまえも」
精悍な顔立ちに苦笑が浮かんだ。
「だが、身に覚えはあるはずだよな。刹那?」
刹那は目を瞬かせる。なにを指してか云わんとしたことはすぐに察せられたし、ティエリアが頓着なく話したのであれば、刹那があえて隠し立てする必要もない。
「…殴りたければ殴れ」
先刻から感じていた疎意の正体に気づいて、刹那はむしろ得心がいった。
たしかにティエリアと口接けたことがある。ニールのような恋愛感情からくるキスではなかったと刹那のほうは思っていても、ニールのほうがそれを納得するかは別の問題だ。
「いい覚悟だ。じゃあそのせつには、遠慮なく」
受け渡しの日時を定めたあと、ニールはかるい口調でそう冗談めかして笑った。ようやく懸念のほぐれたらしい朗らかさで。
「刹那が?」
深紅の双眸がわずかばかり瞠られて、ニールを振り返る。まだ水分を残した髪から雫が零れて、ニールはおもむろに近寄るとそのあたまをバスタオルでくるんで擦った。
「ああ、なんか渡し忘れたものがあるってさ。指輪を受け取ったら経済特区で合流する」
シャワーのぬくもりの残るからだを、そのついでのように背後から抱きしめる。サイズのあまった夜着の胸もとで交差させた両腕に、添わせてきた華奢な手指が問い掛けた。
「東京で…。刹那は地上休暇なのか?」
「いや、ミッションのあいまに、ちょろっと降りてくるようだ。恒例の買い出しじゃないのか」
「…そうか」
ティエリアはどことなく気まずげにうなずいた。
「会えてうれしくないのか?」
「そうではない。ただ…、…”そのとき”でもないのに、こうして肉体を得ている姿で刹那と会うことは……想定していなかった」
イノベイドとしての使命を全うすると一途に決意しているティエリアらしい反応に、ニールは思わず口もとをほころばせた。
「そんなこと。あいつは気にもしねぇだろうよ。俺が刹那なら、むしろうれしいね」
「うれしい?」
「ホロモニター越しにしか見られない意識データの姿でより、じかに触れられるおまえさんに会えるほうが、何万倍もいいに決まってる。”そのとき”とかは関係ねぇさ」
ティエリアが肉体を喪失したときに見せた刹那の後悔と煩悶を、ニールだけが目の当たりにした。あの鬱積をそのまま抱え込んでいるなら、いまこの姿のティエリアは、刹那を安堵させこそすれ、失望を呼ぶものではないはずだ。
ティエリアを独り占めできる限られた時間を削られるのは本意ではないが、かつておのれが弟のようにかまいたおし、いまティエリア自身が深く信を置くものとの再会に水を差すほどニールも狭量ではない。
先だってその亡骸をまえに偽らざる心情をニールに吐露し、いまさっきキスの事実をも誤魔化さなかった刹那は、それだけ揺るぎない信愛をティエリアに向けている。
「まあ、妬けないと云やぁ嘘になるが」
ぽつりと零したことばに、ティエリアは怪訝そうに背後のニールを肩越しに仰いだ。
「やけないとは? …なにが嘘になるんだ?」
「あー。いや、つまり俺はおまえさんにメロメロだってことだよ」
ずいぶんと情緒も豊かになったけれど、嫉妬という感情をおそらくまだティエリアは知らないだろう。ニールは笑いに紛らせて、しなやかな身をぎゅっと抱きしめる。
「めろめろ???」
ティエリアはなおいっそうわけのわからないという顔をしたが、抱きしめた腕に抗わずその身をあずけるように凭せ掛けてきた。
* * *
刹那とは経済特区東京にあるホテルのロビーで待ち合わせた。
アイルランドよりも冷え込んだその日、指定場所を屋外にしなかったことにニールは我が身を褒めた。
時間厳守のティエリアに急かされるようにニールがロビーのティーラウンジに着き、円い卓席にダージリンとモカブレンドが運ばれてきたころ、遅れて刹那がやってくる。
「死んだかと思った」
開口一番、いつぞやのせりふを冗談めかしてなぞりながら、ティエリアはちいさく笑んで迎えた。
刹那のほうもわずかばかり目を瞠らせて、苦笑を浮かべる。
「死んだのは、そっちだろう」
「勝手に殺してもらってはこまる、と云ったはずだが」
ティエリアは腕を組み、不遜なさまで刹那を見遣る。
「ミルクでいいか? 俺の奢りだ」
右手で銃を型取っておなじようになぞってみせたニールの揶揄いに、刹那はテーブルに置かれていたものとメニューとを眺め、おなじブレンドをオーダーした。
「…からだのぐあいはよさそうだな」
円形の斜め向かいで向きあった紅玉を見る。新たな肉体のその外見は以前とまるで変わらない。着衣が異なるだけで、さらさらと靡く肩口で切り揃えられた紫黒の髪もそのままだ。
「もちろんだ。体調管理もガンダムマイスターの責務のうちだ」
さらりと返されたことばに、刹那は櫨色の眸に一瞬複雑そうな色を浮かべたものの、そのまま小脇に抱えていた包みをティエリアに差し出した。
「渡したいものとは、これか?」
ティエリアは受け取り中身をあらためる。
かさりと音を立て紙袋から取り出されたのは、たたまれたストールだった。ニールにも見覚えのある、ふんわりとした淡い落ち着いた緑色の大判のストールだ。
「わすれものだ。おまえのものだ。…おまえが不要なら捨ててくれてかまわない」
「捨てるなど…」
ティエリアは目を細めてストールを肩に当て、刹那を見、傍らのニールを見返った。
「きみがくれたものだ。あなたと再会したときに身につけていたものだな」
「…刹那が、おまえに?」
身に纏った姿は見ているが、まさかそれが刹那から贈られたものだとは思ってもみなかった。
「あのときはブレイク・ピラーのあとで、ラ・トゥールの崩壊後しばらく気象がおかしかっただろう。陽が落ちて急に気温が下がって…そのときに」
「………」
思わず沈黙したニールに、刹那が肩を竦めた。
「おまえの色だ」
「…? …ああ。緑、か。それが?」
「ロックオンの緑だ。俺にとってティエリアはそれに包まれているイメージだった。だからその色をえらんだ。…そのときは無意識だったが」
「…は?」
咄嗟には意味がつかめず、間の抜けた声が出る。
「刹那」
ティエリアのほうもやや驚いたように刹那を見ている。その眦が淡く染まっているのは、ニールよりさきにその意味するところを把握したせいだ。
ニールは刹那の撥ねた黒髪をむかしのようにぐりぐりと撫で、照れ隠しに笑った。
「刹那。おまえさん、存外ロマンチストだな」
そのニールのしぐさに懐かしさを覚えた。刹那は双眸をゆるめ、自分でも気づかぬままに笑んだ。
刹那はわすれていない。何発もの銃弾を浴びて漂っていた無残な姿を、血に塗れて冷たくなったからだの感触を、カプセルで葬送したときの青白い肌を、憶えている。あれはたしかに遺体と呼べるものだった。まぎれもなく死んでいた。だが、いままたティエリアはこうして生きた姿で存在する。翻せばそれは人間ではないという証しにほかならないものであったが。
「また…おまえたちの姿を見られてよかった」
寄り添い合うふたりを。かつて刹那の好きだった状景を。
「刹那…」
ティエリアは腰掛けたままわずかに身を乗りだし、テーブル越しに刹那のその頬に手を伸べた。
「ぼくもきみの姿をこうしてじかに見られてうれしい。あれから…また少し雰囲気が変わった」
「…そうか」
「きみのからだの成長速度もいずれは翳ると思うが…。プトレマイオスのみなには、まだそのことは」
「ことばでは説明したが、…俺自身、実感のともなっているものではないからな。おまえのことも…、その姿を見ればよろこぶだろうが、驚くだろう」
ティエリアの亡骸は、みなの手によって宇宙葬に為されたのだから。
「この姿でいることは秘密だ。いつまでもこうしていられるわけではないからな」
「…ティエリア」
ティエリアはこころもち目を伏せ、それからまっすぐに刹那を見た。
「ひとときの休暇だと思っている。いまだけ、ゆるして欲しい」
ゆるすもなにもない。刹那にとっては、みなにとっては、この姿こそがあたりまえのものなのに。
伸べられたたおやかな手の指には光るものがある。ティエリアが装身具のたぐいを身につけているのを見たことは過去のどの記憶にもない。おなじ指輪が先刻刹那を撫で小突いた手にもあったことを認めて、名状しがたい感情が込み上げるのを刹那は抑えきれなかった。
「ひとつだけ聞かせてくれ。いま、おまえは…」
しあわせか?
そう問おうとして、刹那は口ごもった。問えばティエリアのことだ。肯くだろう。肯きながら、けれどそれを自らまたティエリアは手放すのだ。来たるべき日の対話のために。この地球の人類のために。
ティエリアは学び得た人間(ひと)としての個を生きるのではなく、イノベイドの使命を全うすることをえらんだ。ヴェーダを奪還したあのときから。
「…刹那?」
つづきを飲み込んだ刹那に深紅の双眸が問うて瞬く。刹那は傍らのニールに視線を移し、問いのつづきに代えた。
「おまえも。それで、いいんだな?」
ニールはかるく首肯し、にやりと笑んだ。
続 2012.08.30.
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「ティエリアが、また実体を持ってそこにいると聞いた」
「ああ」
無造作に胡桃色の髪を掻き上げながら頷きを返してくる。背景を消しているのは居場所を特定されないための用心だろう。ニール・ディランディもティエリア・アーデも記録上はもうこの世に存在しないが、ティエリアという存在の特異性を考えればやむを得ない。どうあれいま、ヴェーダのすべてを掌握しているのはティエリアなのだ。その意識体をうつわに乗せていようと、ヴェーダの不調はティエリアに影響するし、ティエリアになにかがあればヴェーダにも少なからず還元されてしまう。判断としては正しい。たとえ通信の相手が刹那であっても、だ。
「渡したいものがある。…わすれものだ」
反射的に疑念を浮かべた碧緑に、刹那はそう付け加えた。
無意識だろうか。ずいぶんと警戒されている。CB以前の『ロックオン・ストラトス』の経歴を刹那は詳しく知らないが、スナイパーを生業にしていたとは耳にしていた。そのときの眼光もこんな感じだったのだろうかとさえ思わせる。マイスター最年長者は明朗さを纏って周囲を煙に巻くことに長けていたから、刹那もかつて銃を突きつけられるまでは、ニールの抱える闇の深さに気づけずにいた。
「わすれもの?」
「いまさら不要のものかとも思ったが、からだがあるなら無駄にはならないだろう」
あのままあるじ不在の部屋に置いておくことが、なぜだか物悲しくいやだっただけだ。これはおのれのわがままなのだろう、と刹那は思う。
「それなら、なぜティエリアに直接連絡しねぇんだ? 脳量子波で話しかけりゃいい。それでなくとも、リジェネからティエリアの新たな携帯端末の識別番号は聞いたんだろう?」
「また、おまえの要らぬ嫉妬を買うのはごめんだ。ニール・ディランディ」
溜め息を堪えて刹那はホロモニターを見遣る。兄貴肌でふだん飄々としたこのおとこが見かけによらずやきもち焼きなのを知っている。それはティエリアに対してのみ発動されるものではあったけれど、そのぶん根が深い。
かつて刹那は無知と狂信からたいせつなものを自らの手で打ち砕いた。理不尽な暴力でたいせつなものを奪い取られたニールとは、その意味で天と地ほどの差がある。おのれの無力に歯嚙みしたのは、おたがいおなじであるのだとしても。
「云うね、おまえも」
精悍な顔立ちに苦笑が浮かんだ。
「だが、身に覚えはあるはずだよな。刹那?」
刹那は目を瞬かせる。なにを指してか云わんとしたことはすぐに察せられたし、ティエリアが頓着なく話したのであれば、刹那があえて隠し立てする必要もない。
「…殴りたければ殴れ」
先刻から感じていた疎意の正体に気づいて、刹那はむしろ得心がいった。
たしかにティエリアと口接けたことがある。ニールのような恋愛感情からくるキスではなかったと刹那のほうは思っていても、ニールのほうがそれを納得するかは別の問題だ。
「いい覚悟だ。じゃあそのせつには、遠慮なく」
受け渡しの日時を定めたあと、ニールはかるい口調でそう冗談めかして笑った。ようやく懸念のほぐれたらしい朗らかさで。
「刹那が?」
深紅の双眸がわずかばかり瞠られて、ニールを振り返る。まだ水分を残した髪から雫が零れて、ニールはおもむろに近寄るとそのあたまをバスタオルでくるんで擦った。
「ああ、なんか渡し忘れたものがあるってさ。指輪を受け取ったら経済特区で合流する」
シャワーのぬくもりの残るからだを、そのついでのように背後から抱きしめる。サイズのあまった夜着の胸もとで交差させた両腕に、添わせてきた華奢な手指が問い掛けた。
「東京で…。刹那は地上休暇なのか?」
「いや、ミッションのあいまに、ちょろっと降りてくるようだ。恒例の買い出しじゃないのか」
「…そうか」
ティエリアはどことなく気まずげにうなずいた。
「会えてうれしくないのか?」
「そうではない。ただ…、…”そのとき”でもないのに、こうして肉体を得ている姿で刹那と会うことは……想定していなかった」
イノベイドとしての使命を全うすると一途に決意しているティエリアらしい反応に、ニールは思わず口もとをほころばせた。
「そんなこと。あいつは気にもしねぇだろうよ。俺が刹那なら、むしろうれしいね」
「うれしい?」
「ホロモニター越しにしか見られない意識データの姿でより、じかに触れられるおまえさんに会えるほうが、何万倍もいいに決まってる。”そのとき”とかは関係ねぇさ」
ティエリアが肉体を喪失したときに見せた刹那の後悔と煩悶を、ニールだけが目の当たりにした。あの鬱積をそのまま抱え込んでいるなら、いまこの姿のティエリアは、刹那を安堵させこそすれ、失望を呼ぶものではないはずだ。
ティエリアを独り占めできる限られた時間を削られるのは本意ではないが、かつておのれが弟のようにかまいたおし、いまティエリア自身が深く信を置くものとの再会に水を差すほどニールも狭量ではない。
先だってその亡骸をまえに偽らざる心情をニールに吐露し、いまさっきキスの事実をも誤魔化さなかった刹那は、それだけ揺るぎない信愛をティエリアに向けている。
「まあ、妬けないと云やぁ嘘になるが」
ぽつりと零したことばに、ティエリアは怪訝そうに背後のニールを肩越しに仰いだ。
「やけないとは? …なにが嘘になるんだ?」
「あー。いや、つまり俺はおまえさんにメロメロだってことだよ」
ずいぶんと情緒も豊かになったけれど、嫉妬という感情をおそらくまだティエリアは知らないだろう。ニールは笑いに紛らせて、しなやかな身をぎゅっと抱きしめる。
「めろめろ???」
ティエリアはなおいっそうわけのわからないという顔をしたが、抱きしめた腕に抗わずその身をあずけるように凭せ掛けてきた。
* * *
刹那とは経済特区東京にあるホテルのロビーで待ち合わせた。
アイルランドよりも冷え込んだその日、指定場所を屋外にしなかったことにニールは我が身を褒めた。
時間厳守のティエリアに急かされるようにニールがロビーのティーラウンジに着き、円い卓席にダージリンとモカブレンドが運ばれてきたころ、遅れて刹那がやってくる。
「死んだかと思った」
開口一番、いつぞやのせりふを冗談めかしてなぞりながら、ティエリアはちいさく笑んで迎えた。
刹那のほうもわずかばかり目を瞠らせて、苦笑を浮かべる。
「死んだのは、そっちだろう」
「勝手に殺してもらってはこまる、と云ったはずだが」
ティエリアは腕を組み、不遜なさまで刹那を見遣る。
「ミルクでいいか? 俺の奢りだ」
右手で銃を型取っておなじようになぞってみせたニールの揶揄いに、刹那はテーブルに置かれていたものとメニューとを眺め、おなじブレンドをオーダーした。
「…からだのぐあいはよさそうだな」
円形の斜め向かいで向きあった紅玉を見る。新たな肉体のその外見は以前とまるで変わらない。着衣が異なるだけで、さらさらと靡く肩口で切り揃えられた紫黒の髪もそのままだ。
「もちろんだ。体調管理もガンダムマイスターの責務のうちだ」
さらりと返されたことばに、刹那は櫨色の眸に一瞬複雑そうな色を浮かべたものの、そのまま小脇に抱えていた包みをティエリアに差し出した。
「渡したいものとは、これか?」
ティエリアは受け取り中身をあらためる。
かさりと音を立て紙袋から取り出されたのは、たたまれたストールだった。ニールにも見覚えのある、ふんわりとした淡い落ち着いた緑色の大判のストールだ。
「わすれものだ。おまえのものだ。…おまえが不要なら捨ててくれてかまわない」
「捨てるなど…」
ティエリアは目を細めてストールを肩に当て、刹那を見、傍らのニールを見返った。
「きみがくれたものだ。あなたと再会したときに身につけていたものだな」
「…刹那が、おまえに?」
身に纏った姿は見ているが、まさかそれが刹那から贈られたものだとは思ってもみなかった。
「あのときはブレイク・ピラーのあとで、ラ・トゥールの崩壊後しばらく気象がおかしかっただろう。陽が落ちて急に気温が下がって…そのときに」
「………」
思わず沈黙したニールに、刹那が肩を竦めた。
「おまえの色だ」
「…? …ああ。緑、か。それが?」
「ロックオンの緑だ。俺にとってティエリアはそれに包まれているイメージだった。だからその色をえらんだ。…そのときは無意識だったが」
「…は?」
咄嗟には意味がつかめず、間の抜けた声が出る。
「刹那」
ティエリアのほうもやや驚いたように刹那を見ている。その眦が淡く染まっているのは、ニールよりさきにその意味するところを把握したせいだ。
ニールは刹那の撥ねた黒髪をむかしのようにぐりぐりと撫で、照れ隠しに笑った。
「刹那。おまえさん、存外ロマンチストだな」
そのニールのしぐさに懐かしさを覚えた。刹那は双眸をゆるめ、自分でも気づかぬままに笑んだ。
刹那はわすれていない。何発もの銃弾を浴びて漂っていた無残な姿を、血に塗れて冷たくなったからだの感触を、カプセルで葬送したときの青白い肌を、憶えている。あれはたしかに遺体と呼べるものだった。まぎれもなく死んでいた。だが、いままたティエリアはこうして生きた姿で存在する。翻せばそれは人間ではないという証しにほかならないものであったが。
「また…おまえたちの姿を見られてよかった」
寄り添い合うふたりを。かつて刹那の好きだった状景を。
「刹那…」
ティエリアは腰掛けたままわずかに身を乗りだし、テーブル越しに刹那のその頬に手を伸べた。
「ぼくもきみの姿をこうしてじかに見られてうれしい。あれから…また少し雰囲気が変わった」
「…そうか」
「きみのからだの成長速度もいずれは翳ると思うが…。プトレマイオスのみなには、まだそのことは」
「ことばでは説明したが、…俺自身、実感のともなっているものではないからな。おまえのことも…、その姿を見ればよろこぶだろうが、驚くだろう」
ティエリアの亡骸は、みなの手によって宇宙葬に為されたのだから。
「この姿でいることは秘密だ。いつまでもこうしていられるわけではないからな」
「…ティエリア」
ティエリアはこころもち目を伏せ、それからまっすぐに刹那を見た。
「ひとときの休暇だと思っている。いまだけ、ゆるして欲しい」
ゆるすもなにもない。刹那にとっては、みなにとっては、この姿こそがあたりまえのものなのに。
伸べられたたおやかな手の指には光るものがある。ティエリアが装身具のたぐいを身につけているのを見たことは過去のどの記憶にもない。おなじ指輪が先刻刹那を撫で小突いた手にもあったことを認めて、名状しがたい感情が込み上げるのを刹那は抑えきれなかった。
「ひとつだけ聞かせてくれ。いま、おまえは…」
しあわせか?
そう問おうとして、刹那は口ごもった。問えばティエリアのことだ。肯くだろう。肯きながら、けれどそれを自らまたティエリアは手放すのだ。来たるべき日の対話のために。この地球の人類のために。
ティエリアは学び得た人間(ひと)としての個を生きるのではなく、イノベイドの使命を全うすることをえらんだ。ヴェーダを奪還したあのときから。
「…刹那?」
つづきを飲み込んだ刹那に深紅の双眸が問うて瞬く。刹那は傍らのニールに視線を移し、問いのつづきに代えた。
「おまえも。それで、いいんだな?」
ニールはかるく首肯し、にやりと笑んだ。
続 2012.08.30.
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