Armed angel #24 二期終幕後 ニルティエ+刹那
かさなる影。
全四回、その4。終話。
「俺はただ、もう二度と絶対こいつのそばを離れねぇってだけさ。執念深い、諦めのわるいたちでね」
「…たしかにそうだ」
ちいさく笑って刹那もうなずく。
復讐の念を捨てられなかった、ロックオン・ストラトス。そのためにいのちを賭した狙撃手は、新たに得た生で、こんどはそのすべてでもって、ティエリア・アーデという存在そのものに添い遂げる覚悟なのだろう。
ならばこのさき刹那にできることはなんなのか。おのれの生きている意味はどこにある。ティエリアが見つけたそれを、ニールが決意したそれを、刹那はまだ明瞭に見いだせていない。ただCBとして生きることがそこへとつながると信じているだけだ。
渡すものを渡し終え、これで用はすんだとばかりに帰ろうとした刹那に、ニールはあきれたようにその肩に腕を回し、もう一方の手でティエリアを抱き寄せる。
「ひさしぶりに会ったのにそれはねぇだろ。メシだ。メシ食いに行くぞ」
「俺には買いだしミッションがある…」
「あとでみなで手分けすれば短時間ですませられるだろう。刹那」
ニールに水を向けられ、ティエリアにまでそう云い添えられては、刹那に拒める道理はなかった。
三人だけでとる食事はアジトの置かれていた南洋の無人島でのこと以来かもしれない。黙々と食事を続ける刹那に、やはり無言のまま淡々とスプーンを口に運ぶティエリア、食べるあいまにそのふたりに軽口を叩くロックオン。という図式はあまり変わらず、それに相槌を打つハロがいないことだけが少々寂しい。
「そういえば、ハロは最初、あなたとまちがえた」
「ろっくおんイキテタ、ろっくおんイキテタ」
無表情のまま口真似で再現して見せた刹那に、ニールは思わず咀嚼していたものを吹き出しそうになった。
「…刹那ぁ、おまえなぁ」
刹那はしれっとしてまた黙々とフォークを口に運ぶ。驚きあきれたように睨むニールに、ティエリアがめずらしく声を立てて笑った。
「ロックオンは…ライル・ディランディは、その後問題はないか?」
するりと出てきた呼び名に無意識に反応しかけたニールに気づいて、ティエリアはそう云いなおす。ニールはやや複雑そうな曖昧な笑みを浮かべたが、それはティエリアがライルを『CBのロックオン・ストラトス』として尊重してきたという明確な証しだ。
刹那もふつうに頷いている。
「ああ。いまはあいつも腹が据わったように見受ける。『教官殿のつくったシミュレーション』をいまでも訓練メニューにしているようだぞ、ティエリア」
深紅の眸がかるく瞠られた。
「教官殿?」
聞き慣れない呼称に口を挟んだニールの、疑問に刹那が応える。
「モビルスーツの基本操作からケルディムの高度な戦闘モードまで、あいつに叩き込んだのはティエリアだからな」
「…いまでも? では後継機はまだ手つかずか?」
ティエリアはそこからむしろ現況を汲み取ったらしい。
「手は着けているが。現状として、デュナメスをリペアして使っている。イアン・ヴァスティが資金のやりくりに腐心していた」
「王家の援助を失くした穴はでかいか…」
ニールは溜め息を零した。
デュナメスはおのれの搭乗していた機体だ。太陽炉はケルディムの後継機に載せられるはずだからGN粒子貯蔵タンクを動力源に改修されたのだろうが、六年前の旧世代機ということだ。
エージェントだった王留美の搭乗する小型艦が目のまえでスローネドライに撃ち抜かれた光景を思い起こす。油断のならないとんでもないお嬢さまだったが、当主としては有能で、CBには資金面で欠くべからざる存在だった。
「…代わりの支援者は幾人か確保しておいたが、もともとの資産の桁がちがうからな。そのなかで開発を進めるしかないだろう」
「代わりの確保…って、ティエリア、おまえさんが調えたのか?」
「ほかにやるものがいなかった」
こともなげに応えたティエリアをニールはまじまじと見つめる。
「王留美がリボンズたちと通じているとまでは考えなかったが、ソレスタルビーイングが再始動してからしばらくして、エージェントとしての働きが妙に緩慢になっていた。資金援助には滞りなかったものの、保険は掛けておくべきかと判断した」
「…しかし、おまえがどうやって」
如何にティエリアが変革したとはいえ、生真面目でまっすぐな融通の利かない性格はそうした交渉ごとに向くとは云えない。
「交渉時には疑似人格で当たったまでだ」
ニールはあたまを抱えた。ああ、そうだった。こいつは骨の髄までガンダムマイスターなのだ。必要とあらば女装でダンスも男娼での色仕掛けも厭わない。身に沁みて知っていたんじゃないか。
「俺が…ダブルオークアンタに、わがままを云わせてもらっているせいもあると思う」
刹那がややもうしわけなさそうにティエリアに視線を向けた。
「それはやむをえない。このさきを見据えれば新型のGNドライブと次世代機は…きみのクアンタは欠くべからざるものだ。…サバーニャとハルートはケルディムとアリオスの改良発展型をとっているから開発費も抑えられる」
「ああ。リンダ・ヴァスティもそのように云っていた」
「…ヴェーダで株価を操作すれば資金繰りは容易いが…」
思案げに首を傾げたティエリアにニールが苦笑する。
「そいつはちょっとな…。いかになんでも、おやっさんだって承服しねぇだろうよ」
いまヴェーダは連邦政府の管轄下にあるが、ヴェーダがあればこそ統一世界への歩みを進められている。ティエリアはそのヴェーダの一部となったと云いながら、実質それを支配下に置いているに等しい存在だから、やろうと思えばできてしまうのだ。
「だいいちおまえさんがそれをする気なら、もうとっくにやってるだろう?」
ことに当たってティエリアは、こうと決めたら躊躇しないし梃子でもうごかない。
「世界がゆるやかに統一に向かっているなかで、徒に経済を混乱させることは望ましくない」
ティエリアはちいさく首を振って、後継機の開発にはヴェーダも密かに尽力する、と呟いた。
* * *
買い出しをすませてエアポートまでを同道する。
搭乗ゲートをくぐる間際、刹那はティエリアに耳打ちするようにことばを交わした。
「ティエリア。なんなら、このまま帰ってこなくてもいい」
ヴェーダに。CBに。
「戯言を…」
思わず眉根を寄せたティエリアに、刹那が笑う。
「…冗談だ」
むしろ本気でそう云ってやりたかった。けれど自分たちはまだティエリアを必要としている。
「刹那。きみには似合わない」
思い当たってティエリアは苦笑した。そのとなりで怪訝そうに見守っているニールには、これが過日の一場面を擬えたやりとりだとはわからない。
このくらいはあっていいだろう。ティエリアの至情を一身に浴びているおとこには。
かるく手を上げて別れ、刹那は商用を偽装した小型機に乗り込んだ。
その機影が豆粒のようになって視界から消えるまで、ティエリアはずっと空を見つめていた。
「どうにか持ってよかったな」
雪雲に蔽われた曇天を見上げ、ニールはほっとひとつ息を吐く。海風が冷たい。
「…安心して欲しい」
「ん?」
見送りの展望デッキで、傍らに立つニールにティエリアはようやく紅玉を向けた。
「デュナメスもケルディムもあなたのパイロット特性をベースに置いていた。だがサバーニャは…ケルディムの後継機は、ライル・ディランディの特性を最大限に活かすべく設計されている」
「…俺はべつに」
「あなたの弟を宇宙(そら)で死なせたりしない」
「ティエリア……」
案じていないわけではなかったが、いまは腹を括っただろうライルのことをニールはさほど心配していない。たとえ宇宙(そら)で散ったとしても、それは両親や妹のような無情の死ではないはずだ。
「地上での抗争は影を潜めつつあるが、中東での小競り合いは消えていない。現にスメラギ・李・ノリエガはいまもヴェーダにミッションプランを諮ってくる。来たるべきそのときまでに、如何にゼロに近づけておけるかが重要になるだろう。サバーニャもハルートも宇宙空間での戦闘を第一義に置いて開発されている」
それはつまり、もう地上での紛争にガンダムを介入させるような時期は過ぎたということだ。
「クアンタは?」
「……あれは刹那の希望だ。刹那のための機体だ。イノベイターとなった彼が希んでいるのは闘いという手段ではない」
かつてガンダムを神のごとく信奉していた少年は、機動兵器であるガンダムに武力ではないなにを求め、なにを見出そうとしているのか。
「…おまえもまたガンダムに乗るんだろう」
「おそらくはそうなる。…そのための準備もしている」
「そのときのために…肉体が必要なんだな?」
強まってきた海風にトレンチコートの襟を立て、ニールは刹那の置いていったストールをティエリアのコートの肩口から顔の下半分ほどまでにくるくると巻き付けた。
「トライアルフィールドは脳量子波で使えるが、そのガンダムをうごかすにはうつわが要る」
「そのうつわを…俺と過ごすために使っちまっているわけか」
「…はい」
おとなしくストールを巻かれながら覗かせていた深紅の双眸が、微かに伏せられる。やはりどこか気が咎めているのだ。それでもティエリアはその私情を優先してくれた。ほかでもない、この身のために。
「こういうとき……なにを云えばいい? そんなおまえに俺はなにをしてやれる?」
それがどれほどの懊悩を経ての決断だったのか、ヴェーダ至上でおよそ私情というものを挟まなかったかつてのティエリアを知るニールには、その重みは計り知れない。
「…ニール」
「このさきガンダムに乗って闘うことのゆるされない俺に、おまえを護るすべはあるのか?」
微かに振られた紫黒の髪が、巻き付けたストールから零れて風に靡く。
「…以前にも云ったと思う。あなたはもう、ぼくのためになにかを、とは考えないで欲しい」
「そんなわけにいくかよ」
つとめて明るく云って、かたちのよいひたいを指先でちょこんと弾いた。
「あなたが生きてここにいてくれるだけで、ぼくはしあわせだ」
「……」
ひたいに触れた指先が凝る。
「ぼくはそのあなたと、あなたの希んだ世界をつくる」
「ティエリア…」
その手指を頬に滑らせて、風で乱れ掛かる髪をそっと掻き上げた。
「あなたは決してぼくのもとを離れないと云った。ぼくはあなたをひとりにしないと誓った。…それで充分だ」
碧緑の双眸をじっと見つめたまま、ティエリアは紅玉をゆるめてそのことばを象ったかのように穏やかに笑む。
ニールはもうなにも云えず、ただその身を抱きしめるしかなかった。
応えるように、しなやかな腕が苔色のコートの背に回る。たがいの背に回されたたがいの手指で、おなじ白金の光が煌めく。
ついに舞い落ちはじめた粉雪が視界を蔽うほどになるまでを、ふたりそのまま、ずっとそうしていた。
一対の影は白に融ける。
了 2012.08.30.
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「俺はただ、もう二度と絶対こいつのそばを離れねぇってだけさ。執念深い、諦めのわるいたちでね」
「…たしかにそうだ」
ちいさく笑って刹那もうなずく。
復讐の念を捨てられなかった、ロックオン・ストラトス。そのためにいのちを賭した狙撃手は、新たに得た生で、こんどはそのすべてでもって、ティエリア・アーデという存在そのものに添い遂げる覚悟なのだろう。
ならばこのさき刹那にできることはなんなのか。おのれの生きている意味はどこにある。ティエリアが見つけたそれを、ニールが決意したそれを、刹那はまだ明瞭に見いだせていない。ただCBとして生きることがそこへとつながると信じているだけだ。
渡すものを渡し終え、これで用はすんだとばかりに帰ろうとした刹那に、ニールはあきれたようにその肩に腕を回し、もう一方の手でティエリアを抱き寄せる。
「ひさしぶりに会ったのにそれはねぇだろ。メシだ。メシ食いに行くぞ」
「俺には買いだしミッションがある…」
「あとでみなで手分けすれば短時間ですませられるだろう。刹那」
ニールに水を向けられ、ティエリアにまでそう云い添えられては、刹那に拒める道理はなかった。
三人だけでとる食事はアジトの置かれていた南洋の無人島でのこと以来かもしれない。黙々と食事を続ける刹那に、やはり無言のまま淡々とスプーンを口に運ぶティエリア、食べるあいまにそのふたりに軽口を叩くロックオン。という図式はあまり変わらず、それに相槌を打つハロがいないことだけが少々寂しい。
「そういえば、ハロは最初、あなたとまちがえた」
「ろっくおんイキテタ、ろっくおんイキテタ」
無表情のまま口真似で再現して見せた刹那に、ニールは思わず咀嚼していたものを吹き出しそうになった。
「…刹那ぁ、おまえなぁ」
刹那はしれっとしてまた黙々とフォークを口に運ぶ。驚きあきれたように睨むニールに、ティエリアがめずらしく声を立てて笑った。
「ロックオンは…ライル・ディランディは、その後問題はないか?」
するりと出てきた呼び名に無意識に反応しかけたニールに気づいて、ティエリアはそう云いなおす。ニールはやや複雑そうな曖昧な笑みを浮かべたが、それはティエリアがライルを『CBのロックオン・ストラトス』として尊重してきたという明確な証しだ。
刹那もふつうに頷いている。
「ああ。いまはあいつも腹が据わったように見受ける。『教官殿のつくったシミュレーション』をいまでも訓練メニューにしているようだぞ、ティエリア」
深紅の眸がかるく瞠られた。
「教官殿?」
聞き慣れない呼称に口を挟んだニールの、疑問に刹那が応える。
「モビルスーツの基本操作からケルディムの高度な戦闘モードまで、あいつに叩き込んだのはティエリアだからな」
「…いまでも? では後継機はまだ手つかずか?」
ティエリアはそこからむしろ現況を汲み取ったらしい。
「手は着けているが。現状として、デュナメスをリペアして使っている。イアン・ヴァスティが資金のやりくりに腐心していた」
「王家の援助を失くした穴はでかいか…」
ニールは溜め息を零した。
デュナメスはおのれの搭乗していた機体だ。太陽炉はケルディムの後継機に載せられるはずだからGN粒子貯蔵タンクを動力源に改修されたのだろうが、六年前の旧世代機ということだ。
エージェントだった王留美の搭乗する小型艦が目のまえでスローネドライに撃ち抜かれた光景を思い起こす。油断のならないとんでもないお嬢さまだったが、当主としては有能で、CBには資金面で欠くべからざる存在だった。
「…代わりの支援者は幾人か確保しておいたが、もともとの資産の桁がちがうからな。そのなかで開発を進めるしかないだろう」
「代わりの確保…って、ティエリア、おまえさんが調えたのか?」
「ほかにやるものがいなかった」
こともなげに応えたティエリアをニールはまじまじと見つめる。
「王留美がリボンズたちと通じているとまでは考えなかったが、ソレスタルビーイングが再始動してからしばらくして、エージェントとしての働きが妙に緩慢になっていた。資金援助には滞りなかったものの、保険は掛けておくべきかと判断した」
「…しかし、おまえがどうやって」
如何にティエリアが変革したとはいえ、生真面目でまっすぐな融通の利かない性格はそうした交渉ごとに向くとは云えない。
「交渉時には疑似人格で当たったまでだ」
ニールはあたまを抱えた。ああ、そうだった。こいつは骨の髄までガンダムマイスターなのだ。必要とあらば女装でダンスも男娼での色仕掛けも厭わない。身に沁みて知っていたんじゃないか。
「俺が…ダブルオークアンタに、わがままを云わせてもらっているせいもあると思う」
刹那がややもうしわけなさそうにティエリアに視線を向けた。
「それはやむをえない。このさきを見据えれば新型のGNドライブと次世代機は…きみのクアンタは欠くべからざるものだ。…サバーニャとハルートはケルディムとアリオスの改良発展型をとっているから開発費も抑えられる」
「ああ。リンダ・ヴァスティもそのように云っていた」
「…ヴェーダで株価を操作すれば資金繰りは容易いが…」
思案げに首を傾げたティエリアにニールが苦笑する。
「そいつはちょっとな…。いかになんでも、おやっさんだって承服しねぇだろうよ」
いまヴェーダは連邦政府の管轄下にあるが、ヴェーダがあればこそ統一世界への歩みを進められている。ティエリアはそのヴェーダの一部となったと云いながら、実質それを支配下に置いているに等しい存在だから、やろうと思えばできてしまうのだ。
「だいいちおまえさんがそれをする気なら、もうとっくにやってるだろう?」
ことに当たってティエリアは、こうと決めたら躊躇しないし梃子でもうごかない。
「世界がゆるやかに統一に向かっているなかで、徒に経済を混乱させることは望ましくない」
ティエリアはちいさく首を振って、後継機の開発にはヴェーダも密かに尽力する、と呟いた。
* * *
買い出しをすませてエアポートまでを同道する。
搭乗ゲートをくぐる間際、刹那はティエリアに耳打ちするようにことばを交わした。
「ティエリア。なんなら、このまま帰ってこなくてもいい」
ヴェーダに。CBに。
「戯言を…」
思わず眉根を寄せたティエリアに、刹那が笑う。
「…冗談だ」
むしろ本気でそう云ってやりたかった。けれど自分たちはまだティエリアを必要としている。
「刹那。きみには似合わない」
思い当たってティエリアは苦笑した。そのとなりで怪訝そうに見守っているニールには、これが過日の一場面を擬えたやりとりだとはわからない。
このくらいはあっていいだろう。ティエリアの至情を一身に浴びているおとこには。
かるく手を上げて別れ、刹那は商用を偽装した小型機に乗り込んだ。
その機影が豆粒のようになって視界から消えるまで、ティエリアはずっと空を見つめていた。
「どうにか持ってよかったな」
雪雲に蔽われた曇天を見上げ、ニールはほっとひとつ息を吐く。海風が冷たい。
「…安心して欲しい」
「ん?」
見送りの展望デッキで、傍らに立つニールにティエリアはようやく紅玉を向けた。
「デュナメスもケルディムもあなたのパイロット特性をベースに置いていた。だがサバーニャは…ケルディムの後継機は、ライル・ディランディの特性を最大限に活かすべく設計されている」
「…俺はべつに」
「あなたの弟を宇宙(そら)で死なせたりしない」
「ティエリア……」
案じていないわけではなかったが、いまは腹を括っただろうライルのことをニールはさほど心配していない。たとえ宇宙(そら)で散ったとしても、それは両親や妹のような無情の死ではないはずだ。
「地上での抗争は影を潜めつつあるが、中東での小競り合いは消えていない。現にスメラギ・李・ノリエガはいまもヴェーダにミッションプランを諮ってくる。来たるべきそのときまでに、如何にゼロに近づけておけるかが重要になるだろう。サバーニャもハルートも宇宙空間での戦闘を第一義に置いて開発されている」
それはつまり、もう地上での紛争にガンダムを介入させるような時期は過ぎたということだ。
「クアンタは?」
「……あれは刹那の希望だ。刹那のための機体だ。イノベイターとなった彼が希んでいるのは闘いという手段ではない」
かつてガンダムを神のごとく信奉していた少年は、機動兵器であるガンダムに武力ではないなにを求め、なにを見出そうとしているのか。
「…おまえもまたガンダムに乗るんだろう」
「おそらくはそうなる。…そのための準備もしている」
「そのときのために…肉体が必要なんだな?」
強まってきた海風にトレンチコートの襟を立て、ニールは刹那の置いていったストールをティエリアのコートの肩口から顔の下半分ほどまでにくるくると巻き付けた。
「トライアルフィールドは脳量子波で使えるが、そのガンダムをうごかすにはうつわが要る」
「そのうつわを…俺と過ごすために使っちまっているわけか」
「…はい」
おとなしくストールを巻かれながら覗かせていた深紅の双眸が、微かに伏せられる。やはりどこか気が咎めているのだ。それでもティエリアはその私情を優先してくれた。ほかでもない、この身のために。
「こういうとき……なにを云えばいい? そんなおまえに俺はなにをしてやれる?」
それがどれほどの懊悩を経ての決断だったのか、ヴェーダ至上でおよそ私情というものを挟まなかったかつてのティエリアを知るニールには、その重みは計り知れない。
「…ニール」
「このさきガンダムに乗って闘うことのゆるされない俺に、おまえを護るすべはあるのか?」
微かに振られた紫黒の髪が、巻き付けたストールから零れて風に靡く。
「…以前にも云ったと思う。あなたはもう、ぼくのためになにかを、とは考えないで欲しい」
「そんなわけにいくかよ」
つとめて明るく云って、かたちのよいひたいを指先でちょこんと弾いた。
「あなたが生きてここにいてくれるだけで、ぼくはしあわせだ」
「……」
ひたいに触れた指先が凝る。
「ぼくはそのあなたと、あなたの希んだ世界をつくる」
「ティエリア…」
その手指を頬に滑らせて、風で乱れ掛かる髪をそっと掻き上げた。
「あなたは決してぼくのもとを離れないと云った。ぼくはあなたをひとりにしないと誓った。…それで充分だ」
碧緑の双眸をじっと見つめたまま、ティエリアは紅玉をゆるめてそのことばを象ったかのように穏やかに笑む。
ニールはもうなにも云えず、ただその身を抱きしめるしかなかった。
応えるように、しなやかな腕が苔色のコートの背に回る。たがいの背に回されたたがいの手指で、おなじ白金の光が煌めく。
ついに舞い落ちはじめた粉雪が視界を蔽うほどになるまでを、ふたりそのまま、ずっとそうしていた。
一対の影は白に融ける。
了 2012.08.30.
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