「天涯の遊子」銀桂篇。全4回。
銀時と桂。攘夷戦争期回想で坂本。
動乱篇あと。終盤に微エロあり、注意。
戦時、傷が酷ければ酷いほど、銀時は手負いの獣のごとく、ひとをちかづけるのを嫌った。手当てしようと触れようものなら、逆に斬りつけかねないほどの怯えと気の昂ぶりを隠さなかった。銀時がいったんその状態に陥ってしまったなら、鎮まるまで無為に時間をおくしかなかった。…桂がいなければ。
じつのところ、銀時には覚えが定かではない。だからこれはきっと、あとから坂本あたりに聞かされたことが、混じっての記憶なのだろう。
さっきから青い顔でおろおろしている。だれだったか。どこかで見た。
苛烈な戦闘をようように五分にもどして、攘夷の軍の本隊が陣を張った廃寺に引き上げてきたとき、先陣をまかされとうに帰陣しているはずの銀時の姿が見あたらないのを不審に思ってか、坂本がようすを訪ねてきた。
年の頃はさほど変わらぬ、だが戦場経験の浅い若い兵士が、坂本に訴える。
坂田さんのようすがおかしい。酷い怪我を負っているようなのに、手当てはおろか、だれもちかづけようとさえしない。
坂本が銀時のこもる場所をのぞき見る。むっと立ちこめた血の臭いが鼻を刺す。銀時は荒い息の下で、まだ抜き身の刀を手に、本堂から離れた講堂脇の小さな土蔵の隅で、土壁に凭れて蹲っていた。その身から殺気が抜けていない。むしろ怯えているかのようだ。
「ああ、こりゃ下手にちかづかえぃほうがええ。なに、意識があるのやき、生死に関わるような怪我がやない。気が昂ぶっちゅうがやろ」
坂本が安心させるようなおおらかな口調で云い、兵士を振り返り見た。
「後詰めの隊は? たしか桂さんが率いちょったがはずだな」
「まだもどられません」
「そいつは…ようないな」
眉を曇らせる。出血が長引けば生死に関わってくる。
「おんしゃぁ本陣で待機して、後詰めの隊がもんたら、桂さんをへんしもここへお呼びしてくれ。わしが代わりにおるから」
青い顔の兵士があたふたと駆け去っていく。黒いもじゃもじゃあたまがこっちを見た。
「金時ー。わしちや。わかるかぇ。はやちっくとの辛抱やき」
「…………」
覚えがあった。こいつは知っている。なんて名だっけ。ああ、そうだ…。
「坂本」
その名が明確に銀時の意識のおもてに浮上するまえに、遠くから呼び成す声があった。
「おお、桂さん、こっちじゃ」
黒い尾っぽをあたまから垂らした、まだ少年とも呼べそうな体躯のおとこが銀時をひとめ見るなり、背後の部下に指示を出す。
「湯とさらしの用意を。坂本、酒はあるか?なるべくつよいやつがいい」
とたん、荒んでいた銀時の気配が収束していくのが、傍目にもわかったらしい。坂本は大急ぎで、陣屋の奥にとって返した。
盥一杯桶三杯ぶんの湯とさらしを土蔵の入り端まで運ばせ、桂がうなずいて坂本から瓢の酒を受け取る。
「案ずるな。すぐに終わる」
そう云って扉を閉めた。上方の格子窓から差し込む明かりを頼りに近寄ってくる。その姿をぼんやりと銀時は眺めた。
「銀時」
やわらかな、だがちからづよい声音が、銀時の傍らに跪いた。
「…かつら」
ようやく紡いだひとの名に、桂は応えるように銀時の強張った右腕の、血のこびりついた指をやさしく一本一本もたげて、抜き身の柄から引き剥がした。
その銀時の掌がそのまま桂の頬にかかる。そっと撫でた。
「ヅラ…。怪我は?」
「ヅラじゃない、桂だ。怪我をしているのは貴様のほうだ。おれは大事ない」
桂の顔も血と泥とにまみれていたが、桂の流す血ではないとわかってほっとする。
「そっか。怪我してるのか、俺」
「そうだ。ほら、止血と消毒をするから」
云いながら桂は胴衣を外させ、襟もとを寛げる。びっと、銀時の破れた着物を裂いた。
「しみるぞ」
云うやいなや、口に含んだ酒を吹きかける。
「いっ、つぅ」
思わず顔をしかめた銀時に、桂は笑んだ。
「てめ…。笑ってんじゃねーよ」
「気付けだ。よかったな。生きてる証拠だ」
傷口を湯に浸した布でなんどか拭って血と泥を落とす。もういちど酒を吹きかけて銀時を呻かせたあと、さらしで傷口を巻いた。
「いまはこれでがまんしろ。補給線は生きてる。明朝には糧食が届く。傷薬もあるはずだ」
「あんの? 饅頭とか干し柿とか干し芋とか…いちごとか」
桂がちいさく笑う。その笑みに銀時は安堵する。ああ、生きて帰れてよかった。生きていてくれて、よかった。
「いちごはさすがに無理だろう。金平糖ぐらいは回してもらえたと思う」
銀時の表情が明るくなったのを見てか、桂は初めてほっとしたような表情を見せた。
いっそ気を失うほどの大怪我のほうがまだしもよかった、と、あとで坂本に揶揄われたくらいのありさまだったのだが、銀時の自律の利くたぐいのことではなかったから、どうにもならない。
さすがにもうそんなことはないのだけれど、銀時はいまだに怪我の身を余人に触れさせるのを厭う一面が抜けきらないでいる。
* * *
「銀時」
背後から胸のあたりできつく交差させた腕を、振り払うでもなく桂が穏やかに銀時の名を呼ぶ。
「手当てができん」
桂の豊かな黒髪に鼻を埋めるようにして、銀時はくぐもった声をだした。
「マジ怒ってない?」
「なにをだ」
「俺が真選組の隊服着たこと」
背中越しに桂の笑う気配が伝わる。
「仕事だったのだろう?」
「…そうだけど。真選組の内紛なんざ、ほんと、どーでもよかったけど」
銀時の躊躇いを見透かすように桂のほうから口に乗せた。
「やつらはまだ幸福な時間を生きている」
「……ヅラ」
「ヅラじゃない。桂だ。だから捨て置けなかったのだろうさ」
銀時はただ黙って埋めた髪のなかで目を閉じる。馴染んだ桂の匂いがする。
「銀。だがおれは、いまのおれたちを非運と思いたくはない」
桂がぽつりと呟いた。
「それに」
「それに?」
「貴様が意味もなく隊服まで着込んで助太刀したとは、おれには思えんのだ」
ぎゅっと抱きしめる腕にちからがこもる。ああ、届いている、と銀時は思う。
「んー。あのヘッドホン野郎を見るまでは、まさかマジ攘夷志士が絡んでるなんて、思ってもみねーしさ。ほら、俺まえに攘夷派かとか疑われたし。まんまで真選組の内輪もめに関わったりしたら拙いんじゃね?って」
「…なるほど。伊東は近藤暗殺計画ごと攘夷の手のものの仕業に見せかけようとしていたのだな? 小物の考えそうなことだ」
それで、貴様自身がその奸計の裏打ちとされぬよう、用心のために着たか。得心がいったとばかりに、銀時の抱く腕を桂の掌がぽんぽんとあやすように叩く。ほうっと銀時は息を吐いた。さすがにこういうことに関しての、桂の理解は早い。なにより、知らずとも云わずとも通じていたことに、安堵する。
「なんつーか、やっぱな。ンなことに、みすみすその名を使われたくねーじゃん」
だってそれはそのまま、桂小太郎という生きざまに汚名を着せることになる。
むろんそんなところまで、口に出したりはできない。代わりにとばかりに、なおのこと銀時は掻き抱く。
「高杉が一枚噛んでた」
「…ああ」
「いつから、どこまで知ってたの」
いまここにいる、桂のたしかな存在を、失わないように。
「銀。高杉が世の民に害を及ぼそうとしたのなら、おれは阻む。だが幕府の狗をどうしようが、おれが関知するところではない」
銀時には咎めたつもりはなかったのだが、知らずそういう口調になっていたらしい。それとも桂のほうでも、そう問われるのを覚悟していたのだろうか。
「…」
高杉のことでは云うにおよばず。いまわざわざその名を口に出す気にはならないが、土方とだって、ずいぶん私的に関わりあっているようなのに。こいつは。
「貴様は貴様の情理で真選組を助けた。それを責める謂われはおれにはない。と同時に、真選組が、憎むには足りぬ相手だが鬱陶しい存在であることもまた事実。…わかるだろう。真選組と鬼兵隊、ともに食い合ってくれるなら、それはそれでかまわんのだ」
冷酷に平静にただ事実だけを見据えて、現状を判断し情を殺いでうごく。
変わらないが、変わった。戦時からこうだったけど、もっと幼い時分には、表情に出ないだけでもっとずっと感情でうごいた。ああ、いや、ちがう。そうじゃない。戦時でも大局に立ったときにはこうだったけれど、現場ではずっと過激で直情的だったんだった。
過激さこそ影を潜めているものの、いまもまっすぐなところは変わらない。
おのれの感情にではなく、おのれの信念に対して、まっすぐだ。
「わかるけど。俺、おめーのそーゆーとこ、きらい」
情より信念をとるおまえが。まぶしく愛おしく、せつなく哀しい。
「…うん。貴様はそれでいいとおもう」
桂は少しだけ、目を伏せた。長い睫に眸が烟る。
続 2008.04.25.
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戦時、傷が酷ければ酷いほど、銀時は手負いの獣のごとく、ひとをちかづけるのを嫌った。手当てしようと触れようものなら、逆に斬りつけかねないほどの怯えと気の昂ぶりを隠さなかった。銀時がいったんその状態に陥ってしまったなら、鎮まるまで無為に時間をおくしかなかった。…桂がいなければ。
じつのところ、銀時には覚えが定かではない。だからこれはきっと、あとから坂本あたりに聞かされたことが、混じっての記憶なのだろう。
さっきから青い顔でおろおろしている。だれだったか。どこかで見た。
苛烈な戦闘をようように五分にもどして、攘夷の軍の本隊が陣を張った廃寺に引き上げてきたとき、先陣をまかされとうに帰陣しているはずの銀時の姿が見あたらないのを不審に思ってか、坂本がようすを訪ねてきた。
年の頃はさほど変わらぬ、だが戦場経験の浅い若い兵士が、坂本に訴える。
坂田さんのようすがおかしい。酷い怪我を負っているようなのに、手当てはおろか、だれもちかづけようとさえしない。
坂本が銀時のこもる場所をのぞき見る。むっと立ちこめた血の臭いが鼻を刺す。銀時は荒い息の下で、まだ抜き身の刀を手に、本堂から離れた講堂脇の小さな土蔵の隅で、土壁に凭れて蹲っていた。その身から殺気が抜けていない。むしろ怯えているかのようだ。
「ああ、こりゃ下手にちかづかえぃほうがええ。なに、意識があるのやき、生死に関わるような怪我がやない。気が昂ぶっちゅうがやろ」
坂本が安心させるようなおおらかな口調で云い、兵士を振り返り見た。
「後詰めの隊は? たしか桂さんが率いちょったがはずだな」
「まだもどられません」
「そいつは…ようないな」
眉を曇らせる。出血が長引けば生死に関わってくる。
「おんしゃぁ本陣で待機して、後詰めの隊がもんたら、桂さんをへんしもここへお呼びしてくれ。わしが代わりにおるから」
青い顔の兵士があたふたと駆け去っていく。黒いもじゃもじゃあたまがこっちを見た。
「金時ー。わしちや。わかるかぇ。はやちっくとの辛抱やき」
「…………」
覚えがあった。こいつは知っている。なんて名だっけ。ああ、そうだ…。
「坂本」
その名が明確に銀時の意識のおもてに浮上するまえに、遠くから呼び成す声があった。
「おお、桂さん、こっちじゃ」
黒い尾っぽをあたまから垂らした、まだ少年とも呼べそうな体躯のおとこが銀時をひとめ見るなり、背後の部下に指示を出す。
「湯とさらしの用意を。坂本、酒はあるか?なるべくつよいやつがいい」
とたん、荒んでいた銀時の気配が収束していくのが、傍目にもわかったらしい。坂本は大急ぎで、陣屋の奥にとって返した。
盥一杯桶三杯ぶんの湯とさらしを土蔵の入り端まで運ばせ、桂がうなずいて坂本から瓢の酒を受け取る。
「案ずるな。すぐに終わる」
そう云って扉を閉めた。上方の格子窓から差し込む明かりを頼りに近寄ってくる。その姿をぼんやりと銀時は眺めた。
「銀時」
やわらかな、だがちからづよい声音が、銀時の傍らに跪いた。
「…かつら」
ようやく紡いだひとの名に、桂は応えるように銀時の強張った右腕の、血のこびりついた指をやさしく一本一本もたげて、抜き身の柄から引き剥がした。
その銀時の掌がそのまま桂の頬にかかる。そっと撫でた。
「ヅラ…。怪我は?」
「ヅラじゃない、桂だ。怪我をしているのは貴様のほうだ。おれは大事ない」
桂の顔も血と泥とにまみれていたが、桂の流す血ではないとわかってほっとする。
「そっか。怪我してるのか、俺」
「そうだ。ほら、止血と消毒をするから」
云いながら桂は胴衣を外させ、襟もとを寛げる。びっと、銀時の破れた着物を裂いた。
「しみるぞ」
云うやいなや、口に含んだ酒を吹きかける。
「いっ、つぅ」
思わず顔をしかめた銀時に、桂は笑んだ。
「てめ…。笑ってんじゃねーよ」
「気付けだ。よかったな。生きてる証拠だ」
傷口を湯に浸した布でなんどか拭って血と泥を落とす。もういちど酒を吹きかけて銀時を呻かせたあと、さらしで傷口を巻いた。
「いまはこれでがまんしろ。補給線は生きてる。明朝には糧食が届く。傷薬もあるはずだ」
「あんの? 饅頭とか干し柿とか干し芋とか…いちごとか」
桂がちいさく笑う。その笑みに銀時は安堵する。ああ、生きて帰れてよかった。生きていてくれて、よかった。
「いちごはさすがに無理だろう。金平糖ぐらいは回してもらえたと思う」
銀時の表情が明るくなったのを見てか、桂は初めてほっとしたような表情を見せた。
いっそ気を失うほどの大怪我のほうがまだしもよかった、と、あとで坂本に揶揄われたくらいのありさまだったのだが、銀時の自律の利くたぐいのことではなかったから、どうにもならない。
さすがにもうそんなことはないのだけれど、銀時はいまだに怪我の身を余人に触れさせるのを厭う一面が抜けきらないでいる。
* * *
「銀時」
背後から胸のあたりできつく交差させた腕を、振り払うでもなく桂が穏やかに銀時の名を呼ぶ。
「手当てができん」
桂の豊かな黒髪に鼻を埋めるようにして、銀時はくぐもった声をだした。
「マジ怒ってない?」
「なにをだ」
「俺が真選組の隊服着たこと」
背中越しに桂の笑う気配が伝わる。
「仕事だったのだろう?」
「…そうだけど。真選組の内紛なんざ、ほんと、どーでもよかったけど」
銀時の躊躇いを見透かすように桂のほうから口に乗せた。
「やつらはまだ幸福な時間を生きている」
「……ヅラ」
「ヅラじゃない。桂だ。だから捨て置けなかったのだろうさ」
銀時はただ黙って埋めた髪のなかで目を閉じる。馴染んだ桂の匂いがする。
「銀。だがおれは、いまのおれたちを非運と思いたくはない」
桂がぽつりと呟いた。
「それに」
「それに?」
「貴様が意味もなく隊服まで着込んで助太刀したとは、おれには思えんのだ」
ぎゅっと抱きしめる腕にちからがこもる。ああ、届いている、と銀時は思う。
「んー。あのヘッドホン野郎を見るまでは、まさかマジ攘夷志士が絡んでるなんて、思ってもみねーしさ。ほら、俺まえに攘夷派かとか疑われたし。まんまで真選組の内輪もめに関わったりしたら拙いんじゃね?って」
「…なるほど。伊東は近藤暗殺計画ごと攘夷の手のものの仕業に見せかけようとしていたのだな? 小物の考えそうなことだ」
それで、貴様自身がその奸計の裏打ちとされぬよう、用心のために着たか。得心がいったとばかりに、銀時の抱く腕を桂の掌がぽんぽんとあやすように叩く。ほうっと銀時は息を吐いた。さすがにこういうことに関しての、桂の理解は早い。なにより、知らずとも云わずとも通じていたことに、安堵する。
「なんつーか、やっぱな。ンなことに、みすみすその名を使われたくねーじゃん」
だってそれはそのまま、桂小太郎という生きざまに汚名を着せることになる。
むろんそんなところまで、口に出したりはできない。代わりにとばかりに、なおのこと銀時は掻き抱く。
「高杉が一枚噛んでた」
「…ああ」
「いつから、どこまで知ってたの」
いまここにいる、桂のたしかな存在を、失わないように。
「銀。高杉が世の民に害を及ぼそうとしたのなら、おれは阻む。だが幕府の狗をどうしようが、おれが関知するところではない」
銀時には咎めたつもりはなかったのだが、知らずそういう口調になっていたらしい。それとも桂のほうでも、そう問われるのを覚悟していたのだろうか。
「…」
高杉のことでは云うにおよばず。いまわざわざその名を口に出す気にはならないが、土方とだって、ずいぶん私的に関わりあっているようなのに。こいつは。
「貴様は貴様の情理で真選組を助けた。それを責める謂われはおれにはない。と同時に、真選組が、憎むには足りぬ相手だが鬱陶しい存在であることもまた事実。…わかるだろう。真選組と鬼兵隊、ともに食い合ってくれるなら、それはそれでかまわんのだ」
冷酷に平静にただ事実だけを見据えて、現状を判断し情を殺いでうごく。
変わらないが、変わった。戦時からこうだったけど、もっと幼い時分には、表情に出ないだけでもっとずっと感情でうごいた。ああ、いや、ちがう。そうじゃない。戦時でも大局に立ったときにはこうだったけれど、現場ではずっと過激で直情的だったんだった。
過激さこそ影を潜めているものの、いまもまっすぐなところは変わらない。
おのれの感情にではなく、おのれの信念に対して、まっすぐだ。
「わかるけど。俺、おめーのそーゆーとこ、きらい」
情より信念をとるおまえが。まぶしく愛おしく、せつなく哀しい。
「…うん。貴様はそれでいいとおもう」
桂は少しだけ、目を伏せた。長い睫に眸が烟る。
続 2008.04.25.
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