金魂・ガヤ箱設定パラレル、のんびり連載。
「燎原に雪」其の壱の2。
晋助と小太郎(ズラ子)。
万事屋晋ちゃん開業当初までのものがたり。
まただ。と晋助は思った。
また小太郎は住み処を奪われた。見知らぬ第三者の、悪意によって。これは不幸な偶然なのか。こんな偶然があり得るのか。
生家は付け火され、その類焼で養家が焼ける。いや、まて。
晋助のまなうらに、劫火に晒される武家屋敷がよみがえった。ひときわ燃えさかっていた、小太郎の家。あれは。
類焼などではなかったのではないか。火元は複数あったのではないのか。小太郎の生家と養家。あるいは私塾も。ともに付け火されたのだったとしたら。
たんなる腹いせや嫌がらせではない、なにかべつの明確な目的を持って、狙われたのではないか。松陽もまた、それがために爆殺されたのではないか。
だれが、なんのために、なにを標的として。
そして晋助は思いいたる。小太郎が黙して姿をくらました理由に。
小太郎もまたおなじことを考えたのだ。付け火に跡形もなく焼かれた生家。養家の武家屋敷の火の廻りの早さへの不審。そして松陽の事故が事故でないと察していたなら。おのれの身辺で不穏な出来事がかさねて起こったという現実を、そのまま、わけのわからぬままに、甘受などできなかっただろう。
「あの、莫迦」
晋助は吐き捨てた。小太郎は身を隠し、その目的と犯人とを暴こうとしている。確信に近い予感があった。両親と養い親と松陽と、あの大火で亡くなったひとたちへの、せめてもの手向けに。
だがそうであっても憾みは残る。この身を気遣ったのだと、その心情を理解しながら、なお晋助は思うのだ。
なぜ、それを。俺に云わねぇ。
流れ着いた江戸で、剣の腕を頼りに口を糊しながら、当てもなく手がかりを彷徨い求めた。それは一連の災厄を仕掛けた連中の素姓であり、その狙いであり、小太郎の行方であった。あぶない橋を渡り、わざときな臭いほうへほうへと、足を向けた。
「つぅ」
鈍い痛みと異物感。また、視界がぼやける。左の目だ。
子どものころ弱かったからだは、いまは影を潜めて人並み以上になっていたつもりなのに。蓄積された疲労は、どこかしら弱いところにでるものらしい。おのれの無力さに歯嚙みするのはこんなときだった。
小太郎の行方は杳として知れない。犯人の氏素性もつかめない。
晋助が最も怖れたのは、その標的が小太郎自身であることだった。が、いずれの場合も小太郎は助かっているし、小太郎ひとりを殺めればよいなら、もっとうまいやりようがいくらでもあるだろう。ならば残る可能性はなにか。取捨選択のすえ着目したのは、生家と養家と松陽との関わりだった。
そして手繰りよせた三者を結ぶ糸。松陽が精励した学術研究。小太郎の実父はその共同研究者であり、養父はその経済的援護者であったと思われるふしがある。小太郎の養子縁組を世話したのも、もとはといえばその繋がりからだったのだろう。
狙いは、その学術研究とやらか。正体不明のなにものかが、それを抹消しようとした。あるいは研究成果が欲しくて、あげく独占しようとしたのかもしれない。そのどちらかだ。
そうあたりを付けて、こんどはその方面から探りを入れようとしたのだが。ことが科学的学術研究などという分野になると、一介の風来坊のごとき身の上では、いささか敷居が高かった。研究内容もろくに知らぬまま闇雲にあたるだけでは埒のあくはずもない。にしても、こうも空振りつづきでは、いいかげん疲れもたまってこようというもの。
深更から積もりはじめた雪も昼過ぎには峠を越え、遠慮がちな冬の陽差しがようやくあたりを包み込みはじめた。それでもまだ凍てつくような寒さの残るなか、江戸の猥雑な径をとぼとぼと歩む。その足取りが成果のなさを物語っているようだ。
翳む左目をこすりながら、だがその瞬間なにかが風を切る音に、晋助は反射的に身を翻していた。靡く髪を数本散らして切っ先が掠めて通る。鋭い痛みが左頬に走り、背後の板塀に、たん、と高い音が響く。そのまま突き刺さって揺れる矢羽根を視界の端に捉えた。どこかで見たような紋所だ。だがそれをしかと確かめるだけの猶予はなかった。
「ずいぶんとまた、古風なまねをするじゃねぇか」
第二第三の矢をかわして板塀を乗り越え、走る。身を隠せる場所を探さなければ。幸いそれ以上の追っ手が掛かる気配はない。ならばこれは警告か。晋助は片頬を歪めて笑った。まんざら、空振りばかりでもなかったわけだ。
昂揚する気分とは裏腹に、足取りはしだいに重くなる。薄皮を剥ぐように失われていくからだのちから。頬の傷口の異様な熱さ。
ああ、そうか。畜生。敵も然る者。毒矢だったってぇことかい。
鬱蒼とした木々の生い茂る寺の境内。雪の重さに軋む裏木戸を押して、その物陰に晋助はなんとかからだを押し込んだ。
境内裏の降り積もった雪には足跡ひとつない。木立を抜けるとどうやら墓地のようだった。
適当な墓石のひとつに身をあずけて、どう、と脚を投げ出す。ここまでか。なんの毒かはわからいが、むやみにうごけばそれだけ毒の回りも早くなる。吸い出そうにも頬の傷では手前でできるはずもなく、傷の周囲を抉るにもすでにこの腕には佩刀を抜くちからがない。なんどか指で掻き出そうと試みて、ずり落ちる手に、諦めた。
「ちゃんと聞いとくんだったなぁ」
先生、なにを研究なさってたんですか。小太郎、おめぇは? そばにいたからには、些とは知ってたんだろう?
そこで、はたと気づく。晋助はちいさく舌打ちした。が、それはちからなく音にはならない。
もし小太郎が松陽の研究を、あの折りのことばどおりに手伝っていたとしたら。その内容までを深く理解できずとも、研究に関わっていたとなれば、標的とされる充分な因子となりうるじゃねぇか。
あるいは小太郎は、すでに犯人の狙いには気づいていて、それもあって姿をくらませたのだろうか。
ああ、そうであったらいい。それなら二度と、故郷にも江戸の町にも、姿を見せるな。このまま煙と消えてしまえ。そうしていればあんたは安全だ。どうか何処かで平穏に暮らしていてくれ。犯人を暴こうなどと考えずに、どうか。それは、俺がやるから。
「会いてぇ…な」
祈り、誓うこころの一方で、もうひとつの本音が零れた。このまま、自分はここでくたばるかもしれない。そんな弱気が晋助に、長く封じていたことばをゆるした。
風花が舞って、きらきらと光の粒を振らせる。しだいに暗く翳んでいく視界に、それだけが鮮やかに映った。ああ、あの夜のようだ。あの降り注ぐ火の花のようだ。
あれがすべてのはじまりで、きっと終わりだったのだ。
* * *
風がまた、きらきらと光の粒を舞わせた。ぼやけた視界に、そのむこうから近づいてくる人影がある。女のようだ。黒く長い髪を、ゆるくひとつに結わえて、肩口から胸もとへと流している。その影が、つと足を止めた。こちらに気がついたのか。警戒しているんだろう、無理もない。
晋助はちからの入らぬままに習い性で添えていた手を、腰のものからだらりと落とした。この寒空にせっかく墓参りに来た女人を、驚かしちゃいけねぇ。
だが、驚かされたのは、晋助のほうだった。
「…しんすけ?」
なぜ俺の名を知っている。覗き込むように見つめてくるおんなの顔に、どこか見覚えがある気がした。利かぬ視界で、賢明に目をこらす。艶やかに化粧のほどこされた、だがこの能面のごとき冷たい無表情は、まさか。
「………こた?」
じっと見つめる。疲労と体内を犯す毒素にぼやけていた焦点が、それでもしだいに定まった。
「こたろ…う、なのか?」
「やっぱり、晋助か…!」
おんなにしては低めの、だがとうに声変わりを迎えたおとこのものというにはあまりにやわらかな声音が、ゆるやかに喜色を帯びる。その表情はかわらぬままに、晋助の眼前に跪き、その両の掌が冷え切った頬を包み込んだ。
「…傷は、いけねぇ」
触れれば、あんたにも、毒が。
そのことばが届いたのかどうか。紅に彩られたやわらかな口唇が押し当てられ、その傷口をきつく吸いあげ、すぐさま吐き出された。血の混じったそれが雪白を汚す。ひんやりとした手が晋助の手首をつかみ脈をとった。
「神経毒だろう。致死のものではないと思うが、このままいけば凍死だ。少しもうごけぬか?」
晋助の腕を薄い肩に回して促された。ちからを振り絞り、なんとか踏ん張って、立ち上がる。
哀しくも懐かしい記憶が一瞬脳裡を掠めた。
あれがすべてのはじまりで。けれど終わりでは、なかったんだな。
身を引き摺るようにあとにする。からだをあずけていた墓石には、半分雪に埋もれて『俗名 松陽』の銘が顔を覗かせていた。
* * *
壱・続 2008.07.22.
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まただ。と晋助は思った。
また小太郎は住み処を奪われた。見知らぬ第三者の、悪意によって。これは不幸な偶然なのか。こんな偶然があり得るのか。
生家は付け火され、その類焼で養家が焼ける。いや、まて。
晋助のまなうらに、劫火に晒される武家屋敷がよみがえった。ひときわ燃えさかっていた、小太郎の家。あれは。
類焼などではなかったのではないか。火元は複数あったのではないのか。小太郎の生家と養家。あるいは私塾も。ともに付け火されたのだったとしたら。
たんなる腹いせや嫌がらせではない、なにかべつの明確な目的を持って、狙われたのではないか。松陽もまた、それがために爆殺されたのではないか。
だれが、なんのために、なにを標的として。
そして晋助は思いいたる。小太郎が黙して姿をくらました理由に。
小太郎もまたおなじことを考えたのだ。付け火に跡形もなく焼かれた生家。養家の武家屋敷の火の廻りの早さへの不審。そして松陽の事故が事故でないと察していたなら。おのれの身辺で不穏な出来事がかさねて起こったという現実を、そのまま、わけのわからぬままに、甘受などできなかっただろう。
「あの、莫迦」
晋助は吐き捨てた。小太郎は身を隠し、その目的と犯人とを暴こうとしている。確信に近い予感があった。両親と養い親と松陽と、あの大火で亡くなったひとたちへの、せめてもの手向けに。
だがそうであっても憾みは残る。この身を気遣ったのだと、その心情を理解しながら、なお晋助は思うのだ。
なぜ、それを。俺に云わねぇ。
流れ着いた江戸で、剣の腕を頼りに口を糊しながら、当てもなく手がかりを彷徨い求めた。それは一連の災厄を仕掛けた連中の素姓であり、その狙いであり、小太郎の行方であった。あぶない橋を渡り、わざときな臭いほうへほうへと、足を向けた。
「つぅ」
鈍い痛みと異物感。また、視界がぼやける。左の目だ。
子どものころ弱かったからだは、いまは影を潜めて人並み以上になっていたつもりなのに。蓄積された疲労は、どこかしら弱いところにでるものらしい。おのれの無力さに歯嚙みするのはこんなときだった。
小太郎の行方は杳として知れない。犯人の氏素性もつかめない。
晋助が最も怖れたのは、その標的が小太郎自身であることだった。が、いずれの場合も小太郎は助かっているし、小太郎ひとりを殺めればよいなら、もっとうまいやりようがいくらでもあるだろう。ならば残る可能性はなにか。取捨選択のすえ着目したのは、生家と養家と松陽との関わりだった。
そして手繰りよせた三者を結ぶ糸。松陽が精励した学術研究。小太郎の実父はその共同研究者であり、養父はその経済的援護者であったと思われるふしがある。小太郎の養子縁組を世話したのも、もとはといえばその繋がりからだったのだろう。
狙いは、その学術研究とやらか。正体不明のなにものかが、それを抹消しようとした。あるいは研究成果が欲しくて、あげく独占しようとしたのかもしれない。そのどちらかだ。
そうあたりを付けて、こんどはその方面から探りを入れようとしたのだが。ことが科学的学術研究などという分野になると、一介の風来坊のごとき身の上では、いささか敷居が高かった。研究内容もろくに知らぬまま闇雲にあたるだけでは埒のあくはずもない。にしても、こうも空振りつづきでは、いいかげん疲れもたまってこようというもの。
深更から積もりはじめた雪も昼過ぎには峠を越え、遠慮がちな冬の陽差しがようやくあたりを包み込みはじめた。それでもまだ凍てつくような寒さの残るなか、江戸の猥雑な径をとぼとぼと歩む。その足取りが成果のなさを物語っているようだ。
翳む左目をこすりながら、だがその瞬間なにかが風を切る音に、晋助は反射的に身を翻していた。靡く髪を数本散らして切っ先が掠めて通る。鋭い痛みが左頬に走り、背後の板塀に、たん、と高い音が響く。そのまま突き刺さって揺れる矢羽根を視界の端に捉えた。どこかで見たような紋所だ。だがそれをしかと確かめるだけの猶予はなかった。
「ずいぶんとまた、古風なまねをするじゃねぇか」
第二第三の矢をかわして板塀を乗り越え、走る。身を隠せる場所を探さなければ。幸いそれ以上の追っ手が掛かる気配はない。ならばこれは警告か。晋助は片頬を歪めて笑った。まんざら、空振りばかりでもなかったわけだ。
昂揚する気分とは裏腹に、足取りはしだいに重くなる。薄皮を剥ぐように失われていくからだのちから。頬の傷口の異様な熱さ。
ああ、そうか。畜生。敵も然る者。毒矢だったってぇことかい。
鬱蒼とした木々の生い茂る寺の境内。雪の重さに軋む裏木戸を押して、その物陰に晋助はなんとかからだを押し込んだ。
境内裏の降り積もった雪には足跡ひとつない。木立を抜けるとどうやら墓地のようだった。
適当な墓石のひとつに身をあずけて、どう、と脚を投げ出す。ここまでか。なんの毒かはわからいが、むやみにうごけばそれだけ毒の回りも早くなる。吸い出そうにも頬の傷では手前でできるはずもなく、傷の周囲を抉るにもすでにこの腕には佩刀を抜くちからがない。なんどか指で掻き出そうと試みて、ずり落ちる手に、諦めた。
「ちゃんと聞いとくんだったなぁ」
先生、なにを研究なさってたんですか。小太郎、おめぇは? そばにいたからには、些とは知ってたんだろう?
そこで、はたと気づく。晋助はちいさく舌打ちした。が、それはちからなく音にはならない。
もし小太郎が松陽の研究を、あの折りのことばどおりに手伝っていたとしたら。その内容までを深く理解できずとも、研究に関わっていたとなれば、標的とされる充分な因子となりうるじゃねぇか。
あるいは小太郎は、すでに犯人の狙いには気づいていて、それもあって姿をくらませたのだろうか。
ああ、そうであったらいい。それなら二度と、故郷にも江戸の町にも、姿を見せるな。このまま煙と消えてしまえ。そうしていればあんたは安全だ。どうか何処かで平穏に暮らしていてくれ。犯人を暴こうなどと考えずに、どうか。それは、俺がやるから。
「会いてぇ…な」
祈り、誓うこころの一方で、もうひとつの本音が零れた。このまま、自分はここでくたばるかもしれない。そんな弱気が晋助に、長く封じていたことばをゆるした。
風花が舞って、きらきらと光の粒を振らせる。しだいに暗く翳んでいく視界に、それだけが鮮やかに映った。ああ、あの夜のようだ。あの降り注ぐ火の花のようだ。
あれがすべてのはじまりで、きっと終わりだったのだ。
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風がまた、きらきらと光の粒を舞わせた。ぼやけた視界に、そのむこうから近づいてくる人影がある。女のようだ。黒く長い髪を、ゆるくひとつに結わえて、肩口から胸もとへと流している。その影が、つと足を止めた。こちらに気がついたのか。警戒しているんだろう、無理もない。
晋助はちからの入らぬままに習い性で添えていた手を、腰のものからだらりと落とした。この寒空にせっかく墓参りに来た女人を、驚かしちゃいけねぇ。
だが、驚かされたのは、晋助のほうだった。
「…しんすけ?」
なぜ俺の名を知っている。覗き込むように見つめてくるおんなの顔に、どこか見覚えがある気がした。利かぬ視界で、賢明に目をこらす。艶やかに化粧のほどこされた、だがこの能面のごとき冷たい無表情は、まさか。
「………こた?」
じっと見つめる。疲労と体内を犯す毒素にぼやけていた焦点が、それでもしだいに定まった。
「こたろ…う、なのか?」
「やっぱり、晋助か…!」
おんなにしては低めの、だがとうに声変わりを迎えたおとこのものというにはあまりにやわらかな声音が、ゆるやかに喜色を帯びる。その表情はかわらぬままに、晋助の眼前に跪き、その両の掌が冷え切った頬を包み込んだ。
「…傷は、いけねぇ」
触れれば、あんたにも、毒が。
そのことばが届いたのかどうか。紅に彩られたやわらかな口唇が押し当てられ、その傷口をきつく吸いあげ、すぐさま吐き出された。血の混じったそれが雪白を汚す。ひんやりとした手が晋助の手首をつかみ脈をとった。
「神経毒だろう。致死のものではないと思うが、このままいけば凍死だ。少しもうごけぬか?」
晋助の腕を薄い肩に回して促された。ちからを振り絞り、なんとか踏ん張って、立ち上がる。
哀しくも懐かしい記憶が一瞬脳裡を掠めた。
あれがすべてのはじまりで。けれど終わりでは、なかったんだな。
身を引き摺るようにあとにする。からだをあずけていた墓石には、半分雪に埋もれて『俗名 松陽』の銘が顔を覗かせていた。
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壱・続 2008.07.22.
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