「天涯の遊子」の読み切り短篇。高桂篇。
高杉と桂。
攘夷戦争終結(敗戦)以降、桂の江戸潜伏まえ。
微エロあり、注意。R18で。
連作的には山科潜伏期の中盤あたり。
『桜狩』『菖蒲湯』(同序盤)のあと、『源平梅』(同終盤)よりまえ。
いいから、寝てろ。
………しかし。
そんなからだでうろちょろされちゃ、こっちが迷惑なんだよ。
そんなやりとりがあって、無理矢理ふとんに押し込めてはみたが。時すでに遅しで、桂はそれから数日を経たいまもまだ、床(とこ)を離れられない。
薄く薄くのばして炊かれた粥の、そのまた上澄みの重湯だけをやっとのことで口にして、桂はさきほどまた眠りについた。高杉が手ずから重湯を口に運んだ木匙と椀を枕元の丸盆のうえにかたして、青白いその寝顔を見つめる。
閉ざされた黒曜石の眸にかわって、その白皙のおもてを彩るのは、濃い影を落とす長い睫だ。ときに射すくめられるほどのつよい眼差しがないから、こうしてじっくりその美貌を眺めることも叶う。病の床でも、無駄にきれいな容(かんばせ)は、見ていて飽きるということがなかった。
盆過ぎからとたんに秋めいて、朝晩は過ごしやすくなった。
どころではなく急速に襲ってきた冷え込みに、半月以上の間を置いて、ばったりと桂が倒れた。天人が侵攻してきてからこっち、気象までもが狂いはじめた気がする。
天人侵攻以前には気象予報そのものが存在しなかったし、戦時には、気象は戦略上の重要な機密情報だから、天気予報などというものがそもそも公にされることはない。が、攘夷派の敗北がすでに決定事項となった今日(こんにち)では、平気で垂れ流されてくる。それが外れるのも平時ならご愛敬なのだろう。
こんな時期いつもなら体調を崩すのは高杉のほうなのだが、さきに倒れられたせいか、妙なものですこぶるおのれの体調はいい。
たいがい身も心もタフなのは見掛け線の細い桂のほうで、だがそのぶんぎりぎりまで踏ん張るものだから、倒れるときはいつだって突然になる。
そこまでわるくするまえにひとこと云うなり自重するなりしろ、と思ってはみても、その不調に早くに気づいてやれないおのれこそが、なにより疎ましいというのがほんとうのところだ。
戦争のさなかには、こうした変化にいちばん敏感だったのは意外にもあのお調子者の坂本で、高杉も銀時も後手に回ることが多かった。もっとも、早くに気づいたところで、それをすなおに表せるおのれではないことも、承知してはいるのだ。
桂の希望で細く開けられた障子越しに、屋敷の中庭が、淡い月明かりに青白く浮かんで見える。
四季折々に表情を変えるこの隠れ家の中庭は、いまは秋草に賑わい、穂先を紅紫の花弁に染めた宮城野萩が、ことさら優美に枝垂れているが。昼間、陽光のもとに見るそれとは違い、地上に届くほど下垂した枝葉が月光に青く陰翳を落とす姿は、いっそ幻想的ですらあった。
秋口の極端な冷え込みは一時的なもので、いまは中秋の涼やかな夜風が心地よく、澱みがちな寝間の空気を穏やかに巡らせていた。
ここ山科の地に移り住んで半年あまりが過ぎようとしている。
殺戮に明け暮れた日々から、一転。身を潜め、機を窺いながら戦力を調えなおす日々は、穏やかと云えば穏やかで、そのじつ、こころから安らぐことのない、これもまたべつの意味での闘いの刻に相違なかった。
そんななか、高杉にとって桂とだけ、いやおたがいにとっておたがいとだけ過ごす時間が、なにものにも代え難い心の糧になっていたのだが。
畳に差し込む月影をぼんやりと眺めながら、手持ちぶさたに、桂の眠る床の上掛けの縁(へり)を指先でなぞる。
見飽きることのない顔だが、対話もろくにない静寂すぎる時間には少々厭いた。常日頃、口を開けば小言の降ってくるような相手だけに、よけいそう感じるのかもしれない。たぶんいま、自分は淋しいのだ。そうわかってはいたが、それを口にできる高杉ではなかった。
子どものころよく熱を出しては桂に世話を焼かれたものだが、そうしたとき桂もこんな心持ちでいたのだろうか。いや、ここまででは、きっとなかったろう。こいつはだれかに頼ったり依存したりしないやつだから。
それを歯がゆいともせつないとも感じながら、そうした桂にこそ惹かれているおのれを、高杉は知っていた。
高杉自身にも桂にたいせつにされているという自負はあったし、それにおのれが甘えているという自覚はさらにあったから、こうしてめずらしく立場が逆になるという事態に、感覚がついていっていないのだろう。
「眸(め)、あけろよ」
そっと呟くように、こぼれ落ちる言の葉。本気で起こす気などはない。ただ無性におのれを見て欲しくなる瞬間が、こんなときにでさえ、たしかにある。
それはこのところ顕著になった、高杉の、増した執着の表れでもあった。
ゆく夏の兆しはじめた皐月のころに、初めて、高杉が閨で触れ褥で抱いた桂のからだ。これまでそれを知らずに生きてこられたことが不思議に感じられるほどに、高杉は囚われた。
肉体の快楽はむろんのこと、生身の桂に、生(き)のままのおのれをぶつけゆだね、ゆだねながらゆだねられる、そのえもいわれぬ甘美な交わりに高杉は酔った。溺れた。ああ、そうか。これがだれかに溺れるということなのかと、あらためて覚ったくらいだ。
銀時の桂へのそれを、はたで眺めながらどこか冷めた目で見ていた高杉は、銀時に寄せる桂の信頼や情愛に嫉妬こそしても、銀時が桂を抱いていたであろう事実にはほろ苦い感情はあれど、狂うほどの妬心を煽られたことなどいちどとしてなかったものを。
それがいまとなっては、知らざるもののみが持ちうるよゆうであったのだ、と、高杉も気づかざるをえない。
眠る桂の頬に、思わず触れそうになった指先を周章てて押しとどめる。
ああ、まずい。
丸盆を片手に立ち上がった高杉は、厨に返すべく、寝間から回廊へとつなぐ障子の隙間から、身をすべらせるように外へ出た。
不意に庭先の萩の枝葉が風に揺らいでさんざめき、青白い夜光の庭に融け込んだ色のないその影が、生きもののごとく蠢く。
おのれのこころのうちに潜む欲望を見透かされた心地がして、高杉はその萩を見つめた。萩はまたおとなしやかな顔を見せて、枝垂れた枝葉と花弁とが、中秋の庭を彩るばかり。
これは桂に似ている。唐突に高杉は思った。
我が身をなぶる情欲という名の風、いやいっそ暴力的な嵐に、その身を震わせ戦慄かせながら、過ぎ去ったあとには、ただ泰然としてすましている。
萩はまた風に揺れて、中庭の回廊を渡る高杉の袖を引いた。
誘っているのか。誘われているのか。判然としないまま、高杉は枝垂れた萩の葉に身を揺蕩わせる。いま寝間で、ちからなく睡りのなかにあるはずの桂が、姿を移したかのようだ。
* * *
しんすけ。
朧におのれの名を紡ぐ口唇に、口唇を押しあてる。
あれから幾夜となく肌をかさねた。触れたくて触れずにいたたいせつなものを、この腕に抱くというのは不思議な心持ちがする。
桂のほうでもそうであったらしく、かさねたからだの下でちいさく笑った。
おまえのことはたいがい知っていたつもりだったが。肌を合わせねばわからぬこともあるものだな。
そのことば、そのまま返す。と、高杉は思う。
平素平坦な表情を乗せぬおもて。だがこの腕のなかで、桂のからだはこんなにも雄弁だ。
さして頑健とは呼べぬおのれと比しても、目に見えて細身のたおやかなからだ。戦時に負った疵痕は高杉のほうが比ぶべくもなく多いが、この肌に戦傷など残らぬほうがいい。その意味では、桂の背をまもっていた、いまとなっては忌々しく度し難いだけの存在に、高杉は感謝する。
肌理の細かな新雪の肌。指先でなだらかな隆起を辿る。口唇と舌とがそれを追った。桂のしなやかに長い指が高杉の頬を撫で髪を弄り、さらなる深みへと誘(いざな)う。
口腔に含み舌で転がしていたものから、奥まった翳りへと舌を這わせて潜り込む。それまでよゆうをみせていたなめらかな肢体がぴくりと跳ねた。
指と舌とで擽りながら、その反応を充分にたのしむ。それから指だけを内奥に残して、口唇は胸の突端へと遡った。
ああ…。
桂が深い溜息を漏らす。指をうごかすと、さらに呑み込もうとするかのようにあやしく蠢いた。
こたろう。
胸の尖りを吸い舐りながら名を呼ぶ。それまで丹念に肌を撫でていたほうの掌で、兆した先端を包み込んだ。
応えるように桂の両の腕が高杉の背に回され、いくつもの疵痕を辿りながら腰骨のあたりまで落ちて。そのまま前庭へと回された指先が猛ったものに触れて、絡みつく。
高杉は低く呻いた。
目の端で桂が秘やかに微笑むのが見える。妖艶な笑みを刻んだ口唇をふたたび、こんどは噛みつくように深く貪った。たがいの舌と舌とが絡み合い、たがいの手指を搦めた欲の頂を、ふたつ合わせて絡ませる。
しん…すけ。
微かに掠れ濡れた声。
痺れるような灼熱が背筋を走り抜け、ぐっと奥歯を嚙み締めてやり過ごす。高杉は桂の深奥から手指を放し、桂の手指をおのれから外させて、熱を孕んだままいっとき解放されたものどうし、ふたたび深く絡みつき結び合わさるよう身を進めた。
息を呑み声を殺した桂の片息を、口唇に感じ口腔に受け止める。仙骨と背骨に掛かった桂の指先の、もたらす痛みが心地いい。真白い肌と銘仙の褥に散って波打つ黒髪に鼻先を埋めて、その香りに包み込まれる。いつしか甘く潤んだ吐息とともに、桂の手指が背筋を彷徨って高杉を煽った。
しだいに激しさを増すおのがうごきを押しとどめるすべは、とうになく。
なにより愛しい存在となった、比類なきたいせつな身を啼かせながら、高杉は桂の奥深くに弾ける熱を感じている。
ああ、ここに。自分はようやく辿り着いたのだ。
* * *
あやうく取り落としそうになった丸盆を周章てて抱えなおして、高杉は厨へと向かった。
今宵はもう、このまま寝間には戻らぬがいい。
おのれにそう云い聞かせながら、それをまっとうする自信はいまの高杉にはないのだ。きっと厨からまたすぐ、取って返すのだろう。そういえば、水差しの水が無くなりかけていたな、などと、おのれにいいわけをして。
ただそばにあるだけでいいと、それでもいいと、云い聞かせて。ことばには乗せぬおもいを一晩中抱えるのだとしても。桂の身が快復するまでの刻を、いましばらく耐えたなら。
俺に触れてくれ。桂。
その眸で、その髪で、その指先で、その吐息で。俺を搦め取ってくれ。
ひとりで過ごすには、秋の夜は長すぎる。
了 2008.09.07.
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いいから、寝てろ。
………しかし。
そんなからだでうろちょろされちゃ、こっちが迷惑なんだよ。
そんなやりとりがあって、無理矢理ふとんに押し込めてはみたが。時すでに遅しで、桂はそれから数日を経たいまもまだ、床(とこ)を離れられない。
薄く薄くのばして炊かれた粥の、そのまた上澄みの重湯だけをやっとのことで口にして、桂はさきほどまた眠りについた。高杉が手ずから重湯を口に運んだ木匙と椀を枕元の丸盆のうえにかたして、青白いその寝顔を見つめる。
閉ざされた黒曜石の眸にかわって、その白皙のおもてを彩るのは、濃い影を落とす長い睫だ。ときに射すくめられるほどのつよい眼差しがないから、こうしてじっくりその美貌を眺めることも叶う。病の床でも、無駄にきれいな容(かんばせ)は、見ていて飽きるということがなかった。
盆過ぎからとたんに秋めいて、朝晩は過ごしやすくなった。
どころではなく急速に襲ってきた冷え込みに、半月以上の間を置いて、ばったりと桂が倒れた。天人が侵攻してきてからこっち、気象までもが狂いはじめた気がする。
天人侵攻以前には気象予報そのものが存在しなかったし、戦時には、気象は戦略上の重要な機密情報だから、天気予報などというものがそもそも公にされることはない。が、攘夷派の敗北がすでに決定事項となった今日(こんにち)では、平気で垂れ流されてくる。それが外れるのも平時ならご愛敬なのだろう。
こんな時期いつもなら体調を崩すのは高杉のほうなのだが、さきに倒れられたせいか、妙なものですこぶるおのれの体調はいい。
たいがい身も心もタフなのは見掛け線の細い桂のほうで、だがそのぶんぎりぎりまで踏ん張るものだから、倒れるときはいつだって突然になる。
そこまでわるくするまえにひとこと云うなり自重するなりしろ、と思ってはみても、その不調に早くに気づいてやれないおのれこそが、なにより疎ましいというのがほんとうのところだ。
戦争のさなかには、こうした変化にいちばん敏感だったのは意外にもあのお調子者の坂本で、高杉も銀時も後手に回ることが多かった。もっとも、早くに気づいたところで、それをすなおに表せるおのれではないことも、承知してはいるのだ。
桂の希望で細く開けられた障子越しに、屋敷の中庭が、淡い月明かりに青白く浮かんで見える。
四季折々に表情を変えるこの隠れ家の中庭は、いまは秋草に賑わい、穂先を紅紫の花弁に染めた宮城野萩が、ことさら優美に枝垂れているが。昼間、陽光のもとに見るそれとは違い、地上に届くほど下垂した枝葉が月光に青く陰翳を落とす姿は、いっそ幻想的ですらあった。
秋口の極端な冷え込みは一時的なもので、いまは中秋の涼やかな夜風が心地よく、澱みがちな寝間の空気を穏やかに巡らせていた。
ここ山科の地に移り住んで半年あまりが過ぎようとしている。
殺戮に明け暮れた日々から、一転。身を潜め、機を窺いながら戦力を調えなおす日々は、穏やかと云えば穏やかで、そのじつ、こころから安らぐことのない、これもまたべつの意味での闘いの刻に相違なかった。
そんななか、高杉にとって桂とだけ、いやおたがいにとっておたがいとだけ過ごす時間が、なにものにも代え難い心の糧になっていたのだが。
畳に差し込む月影をぼんやりと眺めながら、手持ちぶさたに、桂の眠る床の上掛けの縁(へり)を指先でなぞる。
見飽きることのない顔だが、対話もろくにない静寂すぎる時間には少々厭いた。常日頃、口を開けば小言の降ってくるような相手だけに、よけいそう感じるのかもしれない。たぶんいま、自分は淋しいのだ。そうわかってはいたが、それを口にできる高杉ではなかった。
子どものころよく熱を出しては桂に世話を焼かれたものだが、そうしたとき桂もこんな心持ちでいたのだろうか。いや、ここまででは、きっとなかったろう。こいつはだれかに頼ったり依存したりしないやつだから。
それを歯がゆいともせつないとも感じながら、そうした桂にこそ惹かれているおのれを、高杉は知っていた。
高杉自身にも桂にたいせつにされているという自負はあったし、それにおのれが甘えているという自覚はさらにあったから、こうしてめずらしく立場が逆になるという事態に、感覚がついていっていないのだろう。
「眸(め)、あけろよ」
そっと呟くように、こぼれ落ちる言の葉。本気で起こす気などはない。ただ無性におのれを見て欲しくなる瞬間が、こんなときにでさえ、たしかにある。
それはこのところ顕著になった、高杉の、増した執着の表れでもあった。
ゆく夏の兆しはじめた皐月のころに、初めて、高杉が閨で触れ褥で抱いた桂のからだ。これまでそれを知らずに生きてこられたことが不思議に感じられるほどに、高杉は囚われた。
肉体の快楽はむろんのこと、生身の桂に、生(き)のままのおのれをぶつけゆだね、ゆだねながらゆだねられる、そのえもいわれぬ甘美な交わりに高杉は酔った。溺れた。ああ、そうか。これがだれかに溺れるということなのかと、あらためて覚ったくらいだ。
銀時の桂へのそれを、はたで眺めながらどこか冷めた目で見ていた高杉は、銀時に寄せる桂の信頼や情愛に嫉妬こそしても、銀時が桂を抱いていたであろう事実にはほろ苦い感情はあれど、狂うほどの妬心を煽られたことなどいちどとしてなかったものを。
それがいまとなっては、知らざるもののみが持ちうるよゆうであったのだ、と、高杉も気づかざるをえない。
眠る桂の頬に、思わず触れそうになった指先を周章てて押しとどめる。
ああ、まずい。
丸盆を片手に立ち上がった高杉は、厨に返すべく、寝間から回廊へとつなぐ障子の隙間から、身をすべらせるように外へ出た。
不意に庭先の萩の枝葉が風に揺らいでさんざめき、青白い夜光の庭に融け込んだ色のないその影が、生きもののごとく蠢く。
おのれのこころのうちに潜む欲望を見透かされた心地がして、高杉はその萩を見つめた。萩はまたおとなしやかな顔を見せて、枝垂れた枝葉と花弁とが、中秋の庭を彩るばかり。
これは桂に似ている。唐突に高杉は思った。
我が身をなぶる情欲という名の風、いやいっそ暴力的な嵐に、その身を震わせ戦慄かせながら、過ぎ去ったあとには、ただ泰然としてすましている。
萩はまた風に揺れて、中庭の回廊を渡る高杉の袖を引いた。
誘っているのか。誘われているのか。判然としないまま、高杉は枝垂れた萩の葉に身を揺蕩わせる。いま寝間で、ちからなく睡りのなかにあるはずの桂が、姿を移したかのようだ。
* * *
しんすけ。
朧におのれの名を紡ぐ口唇に、口唇を押しあてる。
あれから幾夜となく肌をかさねた。触れたくて触れずにいたたいせつなものを、この腕に抱くというのは不思議な心持ちがする。
桂のほうでもそうであったらしく、かさねたからだの下でちいさく笑った。
おまえのことはたいがい知っていたつもりだったが。肌を合わせねばわからぬこともあるものだな。
そのことば、そのまま返す。と、高杉は思う。
平素平坦な表情を乗せぬおもて。だがこの腕のなかで、桂のからだはこんなにも雄弁だ。
さして頑健とは呼べぬおのれと比しても、目に見えて細身のたおやかなからだ。戦時に負った疵痕は高杉のほうが比ぶべくもなく多いが、この肌に戦傷など残らぬほうがいい。その意味では、桂の背をまもっていた、いまとなっては忌々しく度し難いだけの存在に、高杉は感謝する。
肌理の細かな新雪の肌。指先でなだらかな隆起を辿る。口唇と舌とがそれを追った。桂のしなやかに長い指が高杉の頬を撫で髪を弄り、さらなる深みへと誘(いざな)う。
口腔に含み舌で転がしていたものから、奥まった翳りへと舌を這わせて潜り込む。それまでよゆうをみせていたなめらかな肢体がぴくりと跳ねた。
指と舌とで擽りながら、その反応を充分にたのしむ。それから指だけを内奥に残して、口唇は胸の突端へと遡った。
ああ…。
桂が深い溜息を漏らす。指をうごかすと、さらに呑み込もうとするかのようにあやしく蠢いた。
こたろう。
胸の尖りを吸い舐りながら名を呼ぶ。それまで丹念に肌を撫でていたほうの掌で、兆した先端を包み込んだ。
応えるように桂の両の腕が高杉の背に回され、いくつもの疵痕を辿りながら腰骨のあたりまで落ちて。そのまま前庭へと回された指先が猛ったものに触れて、絡みつく。
高杉は低く呻いた。
目の端で桂が秘やかに微笑むのが見える。妖艶な笑みを刻んだ口唇をふたたび、こんどは噛みつくように深く貪った。たがいの舌と舌とが絡み合い、たがいの手指を搦めた欲の頂を、ふたつ合わせて絡ませる。
しん…すけ。
微かに掠れ濡れた声。
痺れるような灼熱が背筋を走り抜け、ぐっと奥歯を嚙み締めてやり過ごす。高杉は桂の深奥から手指を放し、桂の手指をおのれから外させて、熱を孕んだままいっとき解放されたものどうし、ふたたび深く絡みつき結び合わさるよう身を進めた。
息を呑み声を殺した桂の片息を、口唇に感じ口腔に受け止める。仙骨と背骨に掛かった桂の指先の、もたらす痛みが心地いい。真白い肌と銘仙の褥に散って波打つ黒髪に鼻先を埋めて、その香りに包み込まれる。いつしか甘く潤んだ吐息とともに、桂の手指が背筋を彷徨って高杉を煽った。
しだいに激しさを増すおのがうごきを押しとどめるすべは、とうになく。
なにより愛しい存在となった、比類なきたいせつな身を啼かせながら、高杉は桂の奥深くに弾ける熱を感じている。
ああ、ここに。自分はようやく辿り着いたのだ。
* * *
あやうく取り落としそうになった丸盆を周章てて抱えなおして、高杉は厨へと向かった。
今宵はもう、このまま寝間には戻らぬがいい。
おのれにそう云い聞かせながら、それをまっとうする自信はいまの高杉にはないのだ。きっと厨からまたすぐ、取って返すのだろう。そういえば、水差しの水が無くなりかけていたな、などと、おのれにいいわけをして。
ただそばにあるだけでいいと、それでもいいと、云い聞かせて。ことばには乗せぬおもいを一晩中抱えるのだとしても。桂の身が快復するまでの刻を、いましばらく耐えたなら。
俺に触れてくれ。桂。
その眸で、その髪で、その指先で、その吐息で。俺を搦め取ってくれ。
ひとりで過ごすには、秋の夜は長すぎる。
了 2008.09.07.
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