「天涯の遊子」の番外、銀桂篇。
銀時と桂。と、白血球王。
回数未定。其の一。
ほか、新八、神楽、登勢、たま、エリザベスなど。
終盤に微エロあり、注意。
番外は、天涯の遊子設定での、もうひとつの世界。
連作時系列ではないけど、たまクエ篇からしばらくのち、の感じ。
ここは、まほろば。
* * *
その日。江戸の町は朝からどことなく落ち着きがなかった。みなしきりに空を見あげては、手近な時計の針やら文字盤やらを気にしている。
「いいかー。絶対直接見るんじゃねぇぞ。サングラスや煤けたガラス板や黒い下敷きなんてのもだめだからな」
「わかってるアル。ヅラからもらった専用の日蝕眼鏡でちゃんと見るアル」
「それ一個しかないんだからね。ちゃんと僕にも回してよ、神楽ちゃん」
神楽は日傘を差しながら待機している。
曇りがちの空に太陽のお出ましを待つひとびとは、そこかしこでちいさな輪をつくり、あるいはひとりで静かに、そのときを待っていた。
「んじゃ、俺はちょいと出掛けてくっから」
ふたりのこどもを万事屋の玄関先の張り出し廊下に残し、銀時はそう云って外階段を下りてゆく。
「銀ちゃんは見ないアルか」
「俺はガキのころにもいっぺん見てるし。この暑いのにお日さん待つなんて酔狂やってられるかよ」
「銀さんのこどものころって云ったら、僕が生まれるまえですよね。てことは桂さんもいっしょに見たんですか」
新八の口調は問い掛けではなく確認だった。どれだけずっといっしょだったと思われてるんだか。まあ、否定はしない。実際その場には高杉も松陽先生もほかの塾生たちもいたのだが。部分蝕だったそれが人生最初の日蝕で、二度めのそれは戦時に経験した皆既蝕だ。そのときにはたしかに、銀時の傍らにいたのは桂ひとりだったし。
きょうだって、ほんとうは桂もこの場にいるはずだったのだ。
三度めの日蝕も隣りあって見るはずだった。銀時が子どもたちに強請(ねだ)られた日蝕グラスを、桂に調達させたのを理由にして。
ところが桂は日蝕グラスだけをさきに送ってよこした。なにやらまた面倒ごとを抱え込んだらしく、当日渡せる保証がなくなったからだという。くさった銀時の八つ当たりをくらって、当初人数分送られてきた品は、いま神楽が手にしているひとつだけになってしまったのである。
約束をしたがらないのはそれを必ず果たせる状況にいまの桂がないからで、できない約束をしたくないのだ。銀時自身それをわかっていて取り付けた約束だから、反故にされたことはこたえるが、腹が立つというのとはちょっとちがう。
ふらりと勝手気ままに万事屋に立ち寄るくせに、いつまでたっても銀時の傘の下には収まらない。
なんでだよ。どうかと思うよ、ほんとうに。
「まあさ、ババァからの頼まれごともあってな。夕方までに戻らなかったら、神楽のこと頼むわ、ぱっつぁん」
「お登勢さんからですか。僕ら行かなくていいんですか?」
「日蝕、見てーんだろ。俺ひとりでまにあうから心配すんな」
そのお登勢はこの時間まだ眠っている。キャサリンもだ。店は通常深夜まで営業しているのだから、起きるのはどうしたって昼頃になる。日蝕時間ぎりぎりにでも飛び起きてくるかもしれない。たまはひとりでさきほど源外のもとへと向かった。ここのところまた調子が悪いから、大事をとって源外のところで診てもらっているのだ。たしかに、またドット化されてはたまらない。
昨夜銀時に持ち込まれた頼まれごとは、じつはそこに端を発していた。
「ちょいと、銀時。たいへんだよ。たまが風邪ひいた」
深夜遅くに飲んで帰った銀時は、スナックお登勢の店先で呼び止められた。早めの店じまいか暖簾をかたしながら、お登勢にそう声を掛けられたのだ。
「はぁ? またどっかの電脳ウィルスにでもやられたってか?」
万事屋の階下の店の奥、その一室でたまが寝込んでいた。おおきなマスクをしている。
「てめーの白血球王はどうしたよ」
上がり框に腰掛けて、覗き込むように銀時が問う。
「すみません、銀時さま。先日店のお客さまからいただいたオイルがからだに合わずアレルギー反応をおこしてしまったらしくて」
マスクにいくぶんくぐもった声で、たまは淡々と云った。
「じゃあ風邪じゃなくてむしろ花粉症に近いんじゃね? あ、食いものアレルギーか」
「じつは私、先日鼻の穴に虫が飛び込んできたおり、大きなくしゃみをしてしまいました」
「おめー、くしゃみなんかするの」
「からくりですので必要のない放屁はしませんが、人間のようにオイルを口から摂取する構造上、鼻に異物が入るとオイルに不純物が混じりかねないので反射的に排出するよう機能が組み込まれているのです」
めんどくせーな。おい。
「そのおり、どうも、体内から飛び出してしまったようなのです」
「はああああ?」
白血球王が、か?
「それで免疫力も低下して、焦ったセキュリティたちが馴染みのないオイルに過剰反応を起こしてしまったらしく」
「で、ダウンしたのかよ」
銀時はうんざりしたように、あたまを掻いた。そのさきのたまのことばに想像がついたからだ。はたして。
「お願いです、銀時さま。白血球王を見つけだして、私の体内に戻してやっていただけませんか」
やっぱりだ。
やくたいもない愚痴をこぼしながら、ぶらぶらと銀時が向かった先はむろんいつものパチンコ屋ではなく、かぶき町公園から少し離れたところにある神社だった。
探すといっても当てがあるわけもない。とりあえずたまがくしゃみをしたのは、かぶき町町内会持ち回りの神社の朝の清掃日だったというから、出発点としては妥当な線だろう。あとは当日の風向きやら清掃後のゴミの行き場やらから、適当にあたりを付けていくしかない。
鎮守の杜の残る境内は掃き清められて、社を奥に、ご神木とも呼べるような大きな木が拝殿の脇にそびえている。陽射しを遮る木の下には、みなの願いが通じてか顔を覗かせはじめた太陽の陽の光が、木洩れ日となって影を落としていた。
新八にああは云ったが、せっかくの日蝕だ。ちょっとぐらい見ていこう。
「そろそろ、か」
日蝕グラスがなくとも日蝕をたのしむすべはいくつもある。幼いあの日、無謀にも直接太陽を見ようとして大目玉を食らった。水を張った盥に墨を落として太陽を映り込ませる手もあるが、その師に教わったなか、これがいちばん手軽な方法だ。
好奇心のいたって旺盛な桂が、いまかいまかと、地面に落ちたその木洩れ日をじっと見つめていたのを思い出す。
皆既蝕や金環蝕でもないかぎり、蝕の太陽は部分が欠けたところで肉眼ではわからない。だが地上に届く光はたしかにそのさまを映していて、木洩れ日のひとつひとつが、よく見ると欠けた太陽のかたちをしているのだ。
銀時はブーツの爪先で、境内の石畳に落ちる光のひとつを踏む。まだまるくて欠けていない。
ふいに呼び覚まされ、銀時の目に耳に、それは鮮やかに甦った。
ぎんとき。ぎんとき。すごいな、ちいさな三日月でいっぱいだ。
そう声を弾ませる、遠い日の桂の姿。地上の三日月に見蕩れる桂の横顔に、こちらのほうがきれいだと銀時が見蕩れていたことは、ずっとないしょだ。そんな思い返すだけでくすぐったくて気恥ずかしいいくつもの場面を、きっと自分は黙ったまま墓場まで持っていくんだろう。
見る間に木洩れ日は太陽の欠片に姿を移した。風に揺れる梢に、ほんのひとときの眩いきらめきが、かさなり瞬く。樹下の辺り一面の木洩れ日も、ブーツに乗ったひとかけらも、その折の情景のように三日月に変わる。
蝕が始まったのだ。
桂と、これを見たかった。
懐中時計を取りだして、針を確認する。そのころ桂は、その手にしっかりと麦わら帽子を持っていた。
「これでも見られるぞ」
麦わら帽子の編み目を透る光も、やはり蝕の太陽のかたちになるのだ。
「どうだ。見えるか、白(はく)どの」
手を伸べて麦わら帽子を水平に掲げ持ち、その影を地面へと落とす。肩に乗った白血球王に、桂はやわらかにそう問い掛けた。
白血球王の目に眩く映るのは、透過する三日月型の光ばかりではない。
* * *
ここが、外界か。
たまさまのなかから強制排出されてしまった俺に、もはや行くところなどありはしなかった。戻ろうにも、くしゃみの新幹線なみの時速に飛ばされ、風に乗って運ばれてしまって、たまさまの姿はどこにも見あたらない。
とぼとぼ歩いていると、人間の連れた犬になんども鼻を擦りよせられ、気ままに動き回るネコにあやうくぱくりとされかけられて逃げまどう。情けない。たまさまの体内では白血球王と呼ばれたセキュリティも、外界では風にくるくると飛ばされ小動物に鼻であしらわれる、哀れな一寸法師だ。
その俺に、上空から黄色いでかい物体が降ってきた。こんどこそ終わりだ。黄色い壁に踏みつぶされていのち果てるのだ。上空一面を覆った黄色い物体から逃れるすべはない。観念して目を瞑る。
「エリザベス。いかん。足もとでいまなにかうごいたぞ」
その声に、黄色い空は接触寸前で止まった。
「妙なものでも踏みつけておまえの足が傷ついてはいかん、そのままそのまま」
声が近づき、黄色い空がそっと除けられる。かがみ込んだ旅草履の白い足袋の爪先が見え、次いで降りてきた長い指がこの身をつかんだ。
「銀時?」
聞き覚えのある名を呼ぶ
「銀時ではないか。どうしたのだ、このように縮んでしまうとは」
まじまじと見つめてくる黒曜石の眸。ゆるく結わえられた長い黒髪をさらりと揺らして小首を傾げた。
「ちょっと愛らしいではないか。…あれ?」
手にした俺を正面に据える。もう片手を足もとに添えてくれたので安定よく立つことができた。
「銀時、ではないな。瓜二つだが、目が違う。いまのあやつは、このような澄んだ生きた目をしておらんからな」
そういう口もとは茱萸の実を食んだように濡れて紅い。いささか服装は異なるがこの容姿には記憶があった。幾度か客として、たまさまに話題と知識を提供していた人間だ。この俺の口調にはこのおとこからインプットされたものが少なからず影響している。
「俺は白血球王という。坂田銀時とお知り合いか?」
「なんと。口がきけるか、白血球王どのとやら。銀時を存じておるのか。てか、そっくりだからな」
「俺の主(あるじ)のたまさまのたいせつな友人だ。そっくりなのはそのコピーだからだ」
「たまさま? お登勢どのの店の、あのたまどののことか?」
「そうだ。もどりたいのだが、たまさまを見失い、ここがどこかすらもわからん」
「またずいぶんと、飛ばされてきたものだな。ここからかぶき町へは歩けば半日以上はかかるぞ」
さすがというかなんというか、動じない。あたりまえのように一寸法師サイズの俺と会話してくるこのおとこは、たしかお尋ね者だった。にもかかわらず、女将にも店の客にも疎まれずに馴染んでいたが、そういえば。
「坂田銀時とは幼なじみとか」
「うむ。おれは桂小太郎という。どれ、白どの。たまどののもとまで連れて行ってやりたいが、あいにくとおれはこれから大磯の宿(しゅく)へ向かわねばならぬ身だ。所用をすませた帰りになら寄ってやることも可能なのだが」
「それでかまわぬ。連れ戻っていただけるか。かたじけない」
「そうか、では」
と、左肩から右脇下へと袈裟に覆われた墨衣(すみごろも)の胸もとのうちに、桂はこの身を滑り込ませる。襟にしがみついて、顔だけ覗かせた。内側からいい匂いがする。妙な気分だ。
続 2009.09.23.
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ここは、まほろば。
* * *
その日。江戸の町は朝からどことなく落ち着きがなかった。みなしきりに空を見あげては、手近な時計の針やら文字盤やらを気にしている。
「いいかー。絶対直接見るんじゃねぇぞ。サングラスや煤けたガラス板や黒い下敷きなんてのもだめだからな」
「わかってるアル。ヅラからもらった専用の日蝕眼鏡でちゃんと見るアル」
「それ一個しかないんだからね。ちゃんと僕にも回してよ、神楽ちゃん」
神楽は日傘を差しながら待機している。
曇りがちの空に太陽のお出ましを待つひとびとは、そこかしこでちいさな輪をつくり、あるいはひとりで静かに、そのときを待っていた。
「んじゃ、俺はちょいと出掛けてくっから」
ふたりのこどもを万事屋の玄関先の張り出し廊下に残し、銀時はそう云って外階段を下りてゆく。
「銀ちゃんは見ないアルか」
「俺はガキのころにもいっぺん見てるし。この暑いのにお日さん待つなんて酔狂やってられるかよ」
「銀さんのこどものころって云ったら、僕が生まれるまえですよね。てことは桂さんもいっしょに見たんですか」
新八の口調は問い掛けではなく確認だった。どれだけずっといっしょだったと思われてるんだか。まあ、否定はしない。実際その場には高杉も松陽先生もほかの塾生たちもいたのだが。部分蝕だったそれが人生最初の日蝕で、二度めのそれは戦時に経験した皆既蝕だ。そのときにはたしかに、銀時の傍らにいたのは桂ひとりだったし。
きょうだって、ほんとうは桂もこの場にいるはずだったのだ。
三度めの日蝕も隣りあって見るはずだった。銀時が子どもたちに強請(ねだ)られた日蝕グラスを、桂に調達させたのを理由にして。
ところが桂は日蝕グラスだけをさきに送ってよこした。なにやらまた面倒ごとを抱え込んだらしく、当日渡せる保証がなくなったからだという。くさった銀時の八つ当たりをくらって、当初人数分送られてきた品は、いま神楽が手にしているひとつだけになってしまったのである。
約束をしたがらないのはそれを必ず果たせる状況にいまの桂がないからで、できない約束をしたくないのだ。銀時自身それをわかっていて取り付けた約束だから、反故にされたことはこたえるが、腹が立つというのとはちょっとちがう。
ふらりと勝手気ままに万事屋に立ち寄るくせに、いつまでたっても銀時の傘の下には収まらない。
なんでだよ。どうかと思うよ、ほんとうに。
「まあさ、ババァからの頼まれごともあってな。夕方までに戻らなかったら、神楽のこと頼むわ、ぱっつぁん」
「お登勢さんからですか。僕ら行かなくていいんですか?」
「日蝕、見てーんだろ。俺ひとりでまにあうから心配すんな」
そのお登勢はこの時間まだ眠っている。キャサリンもだ。店は通常深夜まで営業しているのだから、起きるのはどうしたって昼頃になる。日蝕時間ぎりぎりにでも飛び起きてくるかもしれない。たまはひとりでさきほど源外のもとへと向かった。ここのところまた調子が悪いから、大事をとって源外のところで診てもらっているのだ。たしかに、またドット化されてはたまらない。
昨夜銀時に持ち込まれた頼まれごとは、じつはそこに端を発していた。
「ちょいと、銀時。たいへんだよ。たまが風邪ひいた」
深夜遅くに飲んで帰った銀時は、スナックお登勢の店先で呼び止められた。早めの店じまいか暖簾をかたしながら、お登勢にそう声を掛けられたのだ。
「はぁ? またどっかの電脳ウィルスにでもやられたってか?」
万事屋の階下の店の奥、その一室でたまが寝込んでいた。おおきなマスクをしている。
「てめーの白血球王はどうしたよ」
上がり框に腰掛けて、覗き込むように銀時が問う。
「すみません、銀時さま。先日店のお客さまからいただいたオイルがからだに合わずアレルギー反応をおこしてしまったらしくて」
マスクにいくぶんくぐもった声で、たまは淡々と云った。
「じゃあ風邪じゃなくてむしろ花粉症に近いんじゃね? あ、食いものアレルギーか」
「じつは私、先日鼻の穴に虫が飛び込んできたおり、大きなくしゃみをしてしまいました」
「おめー、くしゃみなんかするの」
「からくりですので必要のない放屁はしませんが、人間のようにオイルを口から摂取する構造上、鼻に異物が入るとオイルに不純物が混じりかねないので反射的に排出するよう機能が組み込まれているのです」
めんどくせーな。おい。
「そのおり、どうも、体内から飛び出してしまったようなのです」
「はああああ?」
白血球王が、か?
「それで免疫力も低下して、焦ったセキュリティたちが馴染みのないオイルに過剰反応を起こしてしまったらしく」
「で、ダウンしたのかよ」
銀時はうんざりしたように、あたまを掻いた。そのさきのたまのことばに想像がついたからだ。はたして。
「お願いです、銀時さま。白血球王を見つけだして、私の体内に戻してやっていただけませんか」
やっぱりだ。
やくたいもない愚痴をこぼしながら、ぶらぶらと銀時が向かった先はむろんいつものパチンコ屋ではなく、かぶき町公園から少し離れたところにある神社だった。
探すといっても当てがあるわけもない。とりあえずたまがくしゃみをしたのは、かぶき町町内会持ち回りの神社の朝の清掃日だったというから、出発点としては妥当な線だろう。あとは当日の風向きやら清掃後のゴミの行き場やらから、適当にあたりを付けていくしかない。
鎮守の杜の残る境内は掃き清められて、社を奥に、ご神木とも呼べるような大きな木が拝殿の脇にそびえている。陽射しを遮る木の下には、みなの願いが通じてか顔を覗かせはじめた太陽の陽の光が、木洩れ日となって影を落としていた。
新八にああは云ったが、せっかくの日蝕だ。ちょっとぐらい見ていこう。
「そろそろ、か」
日蝕グラスがなくとも日蝕をたのしむすべはいくつもある。幼いあの日、無謀にも直接太陽を見ようとして大目玉を食らった。水を張った盥に墨を落として太陽を映り込ませる手もあるが、その師に教わったなか、これがいちばん手軽な方法だ。
好奇心のいたって旺盛な桂が、いまかいまかと、地面に落ちたその木洩れ日をじっと見つめていたのを思い出す。
皆既蝕や金環蝕でもないかぎり、蝕の太陽は部分が欠けたところで肉眼ではわからない。だが地上に届く光はたしかにそのさまを映していて、木洩れ日のひとつひとつが、よく見ると欠けた太陽のかたちをしているのだ。
銀時はブーツの爪先で、境内の石畳に落ちる光のひとつを踏む。まだまるくて欠けていない。
ふいに呼び覚まされ、銀時の目に耳に、それは鮮やかに甦った。
ぎんとき。ぎんとき。すごいな、ちいさな三日月でいっぱいだ。
そう声を弾ませる、遠い日の桂の姿。地上の三日月に見蕩れる桂の横顔に、こちらのほうがきれいだと銀時が見蕩れていたことは、ずっとないしょだ。そんな思い返すだけでくすぐったくて気恥ずかしいいくつもの場面を、きっと自分は黙ったまま墓場まで持っていくんだろう。
見る間に木洩れ日は太陽の欠片に姿を移した。風に揺れる梢に、ほんのひとときの眩いきらめきが、かさなり瞬く。樹下の辺り一面の木洩れ日も、ブーツに乗ったひとかけらも、その折の情景のように三日月に変わる。
蝕が始まったのだ。
桂と、これを見たかった。
懐中時計を取りだして、針を確認する。そのころ桂は、その手にしっかりと麦わら帽子を持っていた。
「これでも見られるぞ」
麦わら帽子の編み目を透る光も、やはり蝕の太陽のかたちになるのだ。
「どうだ。見えるか、白(はく)どの」
手を伸べて麦わら帽子を水平に掲げ持ち、その影を地面へと落とす。肩に乗った白血球王に、桂はやわらかにそう問い掛けた。
白血球王の目に眩く映るのは、透過する三日月型の光ばかりではない。
* * *
ここが、外界か。
たまさまのなかから強制排出されてしまった俺に、もはや行くところなどありはしなかった。戻ろうにも、くしゃみの新幹線なみの時速に飛ばされ、風に乗って運ばれてしまって、たまさまの姿はどこにも見あたらない。
とぼとぼ歩いていると、人間の連れた犬になんども鼻を擦りよせられ、気ままに動き回るネコにあやうくぱくりとされかけられて逃げまどう。情けない。たまさまの体内では白血球王と呼ばれたセキュリティも、外界では風にくるくると飛ばされ小動物に鼻であしらわれる、哀れな一寸法師だ。
その俺に、上空から黄色いでかい物体が降ってきた。こんどこそ終わりだ。黄色い壁に踏みつぶされていのち果てるのだ。上空一面を覆った黄色い物体から逃れるすべはない。観念して目を瞑る。
「エリザベス。いかん。足もとでいまなにかうごいたぞ」
その声に、黄色い空は接触寸前で止まった。
「妙なものでも踏みつけておまえの足が傷ついてはいかん、そのままそのまま」
声が近づき、黄色い空がそっと除けられる。かがみ込んだ旅草履の白い足袋の爪先が見え、次いで降りてきた長い指がこの身をつかんだ。
「銀時?」
聞き覚えのある名を呼ぶ
「銀時ではないか。どうしたのだ、このように縮んでしまうとは」
まじまじと見つめてくる黒曜石の眸。ゆるく結わえられた長い黒髪をさらりと揺らして小首を傾げた。
「ちょっと愛らしいではないか。…あれ?」
手にした俺を正面に据える。もう片手を足もとに添えてくれたので安定よく立つことができた。
「銀時、ではないな。瓜二つだが、目が違う。いまのあやつは、このような澄んだ生きた目をしておらんからな」
そういう口もとは茱萸の実を食んだように濡れて紅い。いささか服装は異なるがこの容姿には記憶があった。幾度か客として、たまさまに話題と知識を提供していた人間だ。この俺の口調にはこのおとこからインプットされたものが少なからず影響している。
「俺は白血球王という。坂田銀時とお知り合いか?」
「なんと。口がきけるか、白血球王どのとやら。銀時を存じておるのか。てか、そっくりだからな」
「俺の主(あるじ)のたまさまのたいせつな友人だ。そっくりなのはそのコピーだからだ」
「たまさま? お登勢どのの店の、あのたまどののことか?」
「そうだ。もどりたいのだが、たまさまを見失い、ここがどこかすらもわからん」
「またずいぶんと、飛ばされてきたものだな。ここからかぶき町へは歩けば半日以上はかかるぞ」
さすがというかなんというか、動じない。あたりまえのように一寸法師サイズの俺と会話してくるこのおとこは、たしかお尋ね者だった。にもかかわらず、女将にも店の客にも疎まれずに馴染んでいたが、そういえば。
「坂田銀時とは幼なじみとか」
「うむ。おれは桂小太郎という。どれ、白どの。たまどののもとまで連れて行ってやりたいが、あいにくとおれはこれから大磯の宿(しゅく)へ向かわねばならぬ身だ。所用をすませた帰りになら寄ってやることも可能なのだが」
「それでかまわぬ。連れ戻っていただけるか。かたじけない」
「そうか、では」
と、左肩から右脇下へと袈裟に覆われた墨衣(すみごろも)の胸もとのうちに、桂はこの身を滑り込ませる。襟にしがみついて、顔だけ覗かせた。内側からいい匂いがする。妙な気分だ。
続 2009.09.23.
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