「天涯の遊子」坂桂篇。全三回。其の二。
坂本と桂。
京次郎篇モンハン篇を経ての獄門島篇(原作順準拠)以降、スタンド仙望郷篇よりまえ。
R18。
「桂さん」
「あれの家族が目のまえで、高杉自らの手によって惨殺されるのでもないかぎり。いや、そうなればなったで逆上して、真のちからさえ発揮できぬのがオチやもしれぬ」
そう。腕前ではない。覚悟の問題なのだ。
「それがわかっちゅうなら、なおのことじゃ」
もとより大義のためにうごくおとこではない。そこに重きを置いていないからだが、いったん情を寄せたひとびとを護るためには剣を振るう。おのれはそのためにこそ、この存在をゆるされている。銀時には戦時からそう思い込んでいるふしがあった。
ゆえに。ただひたすらに、がむしゃらに、斬った。斬って、斬りつづけた。桂はそれを承知していた。だれより深く銀時を識っていた。
失いたくないから護る。護るために闘う。けれどその手から零れ散る。失わないための闘いが、新たな亡失を生む。護る。闘う。失う。失わせない。護りたい。だから闘える。まだ闘える。まだ護れる。けれど零れ落ちるのだ。護りきれずに失くすのだ。耐えきれなかったのだ。放り出してしまったのだ。
その自尊と自虐とが銀時の人離れしたつよさの根源であり、どうしようのない弱さの根幹でもあると、桂はとうに識っているのだ。
「夢を見た」
唐突な、だがどこか茫洋とした声が、思惟に沈みかけた坂本の意識を表層に引き戻した。
「あの折、ふたたび銀時とともに闘う夢を」
つと、伸ばされた桂の長い手指が、闇を透かした船窓の硝子に見えない線を描く。
「おれには心地の佳い夢だった。…なあ、坂本。けれど同時にこうも思った。おれは銀時に剣を振るって欲しいのだろうか、と」
それは刀剣を一閃したかのようにうごき、鏡像の桂を切り裂いた。
「おれは攘夷のためにはあの剣を欲しいと思うが、銀時のようなおとこが剣を振るわずにすむ世をこそ、つくりたい」
そのまま一点で止まった指先。坂本はたまらずに、その手指を覆うように掌をよせてつかんだ。
「おれのつとめは、攘夷を成し、新たな国造りの土台を築き、それを次の世代に引き渡す。そこまでだと思っている。高杉の真の思惑が破壊であれそののちの再生であれ、徒に犠牲を強いるなら斬り捨てるしかない」
しなやかで冷酷な指先は、見えない血を流す。
「それは最後に取っておかぇいか、桂さん。描いた筋書きどおりにことが運ぶとは思っちゃーせんろう。仮に晋坊が本心からこの国を壊そうとしたち、違った道を辿ったさきのその行く末が、また交わらんとはかぎらん」
「…それもまた、ずいぶんと虫のいい夢だ」
覆った坂本の掌のなかで、桂が指を握り込むのを感じた。
「金時がな、まえにこうゆっちょったがよ。こたろのとなりで、死ぬまで立って走っていたい、と」
だから希めば、桂の夢と銀時の夢がまた寄り添い重なることもあるだろうと、坂本も思ったのだが。
「…そうか」
闇色の窓硝子に浮かんだ真白いおもてが、またちいさく笑む。どこか達観したそれを目にした刹那、坂本は耳もとでなにかがおおきく軋む音を聞いた。
空気のようにたがいの存在を感じ、合わせずとも一心同体の闘いができる。それなのに、それゆえに、桂は。
「金時は…なにをしちゅう」
桂の眸が怪訝そうに瞬いた。
「いつまでも手を拱いちゅう気か。腹を括ったががないがかえ」
「坂本?」
無意識につよく握っていた掌に、わずかばかり痛そうに柳眉をよせる。坂本はかまわずそのまま桂を背中から抱き込めた。
「このままわしが攫っていくぞ」
敗戦を歴てなお見えない血を流しつづけているのは、なにも銀時や高杉ばかりではない。早くに離脱した坂本ですら心の奥底にそれを仕舞い込んでいる。けれど自らが流しつづけている血を、桂だけが自覚していない。その、折れることのないしなやかな柳のつよさがゆえに。
は。っはあ。あぁ。
甘やかな、それでいてどこか苦しげな吐息が、絶え間なく洩れる。
瞬かない星の光は濃色の藍の闇には溶け込まずくっきりとして、地上から見る星空のようには見慣れない。坂本にはもうすっかり目に馴染んだ光景のはずだが、それでもときおりまだ違和感はつきまとう。宇宙(そら)を駆る商人も、しょせんは地上の生きものなのだ。
その闇と光点とを遥かに仰いだ船窓に、映る桂の白い肌。硝子に寄りかかるように身を支える両の腕にだけ崩れはだけた浴衣を留まらせて、あやしく揺れ蠢く漆黒の髪が綾に乱れかかる。
「た…つまっ」
閨でだけゆるされた声音で、桂が坂本を呼ぶ。坂本は背後から絡めた腰をひときわ烈しく揺さぶった。
「ひ、あ、っああっ」
拗り込むように深く深く、突き立て抉り、潮のように引いては、間断なく攻める。たつま。たつま。そのたび桂は問うように声を上げた。たがいの鏡像の眼差しが絡む。その、もの問いたげな双眸を、坂本は気づいて気づかぬふりをした。いや、ちがう。気づいて、けれど応えるだけのよゆうがなかった。
かつてこんなふうに桂を抱いたことがない。桂のからだはいつだって坂本をして芯から蕩かすほどの心地よさであったが、砂漠にオアシスを求めるようなひりつく渇きや切迫感とは無縁のおのれだったのだ。
それは怒りにも似た焦燥だった。むしろ怒りそのものだったかもしれない。はやくはやくと、このこころが叫ぶ。その魂の、軋みが聞こえないのかと責める。
どこまで甘えている。どこまで甘えていた。おのれは。銀時は。高杉は。
けれどいまさらに流れでる血に気づかせることはすまい。自覚したところで桂はその歩みをやめないのだから。ならば、気づかぬままに流させた血を汲もう。桂がおもい果たすまで、おのが血を注ぎ込もう。
「こたろ」
細いからだに回された坂本の腕が、桂の胸を彷徨う。荒く脈打つ心臓の音を掌に感じとる。口唇が喘ぎ、息をつぐたび上下する腹に、滑らせた手指でもうひとつの脈打つ芯を絡めとった。
「ん、あ」
愉悦を滲ませた清艶なおもてを映す、闇色の硝子が鳴る。両腕を付いた桂の手指が折れ曲がるように船窓を掻いた。
坂本が指の腹と爪とで遊ぶ濡れた熱の塊は、いま桂が深部に納めて抜き差しされる灼熱の心棒に、合わせるように打ち震えている。
ああ…。
何度めかの深い息遣いがひときわ湿り気を帯び、そこからの息差しはつづけざまな片息で、間近な限界を伝えた。
もう? と、いつもならそう揶揄うように口唇を啄み、まだ、だ。と、桂がむきになって咬み返すこともあったが。それすらもままならないままに、坂本は押しよせる絶頂の波間に攫われ、波濤で砕けた。
気息を整えながら、桂がまだつながっている身を捩る。終えたばかりのそれにすら感じて、坂本はさすがに苦笑を浮かべた。
どうかしている。ほんとうに。
われながらにそう思ったそのとおりを、そのまま寝台に縺れ込んだあと桂に問われたから、返すことばに困る。焦燥を孕んだこの怒りの矛先は桂ではなく、おのれであり、銀時であり、高杉だ。桂をひとり置き去りにして、みな置き去りにされたのだ。
「堪忍しとおせ」
うしろから抱き込んだ背から肩を覆う豊かな黒髪に鼻先を埋めて、耳もとに囁く。桂はくすぐったそうに身を竦め、わけがわからない、といったようすで肩越しに坂本を振り返り見た。
「なんなのだ。辰馬。ほんとうにおかしいぞ」
脇から忍ばせた腕でさらに引き寄せ、その指先でうすい胸に戯れ掛かりながら、ことばを探る。
「んー。こたろに惚れなおしたばあやき」
「この、舌先三寸が」
そう返す眸は笑っていたから、些か独行に逸った振る舞いだったと坂本自身思っていても、機嫌を損ねたわけではないらしい。
「嘘がやないきね」
そう。嘘じゃない。認識を過っていただけだ。
退けると思っていた。銀時が腹を括ってふたたび桂のとなりに立つのなら。その日を待って、おのが領分をすべて委ねるのがおのれの筋目と心得ていた。なのに。
この焦燥は。この怒りは。
いま坂本には、これを消し去ることなしに、身を退く自信がなかった。
桂が銀時をおもって捨てた夢が、銀時によって紡ぎ直されることを願う心意に偽りはなく、けれど坂本はこのとき初めて、そうでない未来の可能性に思い至ってしまったのだ。
だれしもだ。おのれのなかに潜む浅ましさに気づきたくはない。だから。
「たのむちや……」
金時。
知らず漏れた、声に出すか出さぬかの呟きだったが、至近で捉えた桂には聞こえたらしい。
「ん? なにをたのむのだ?」
「……この国を」
咄嗟に、そう出た。
「むろんだ」
「わしの身ならいつでも貸すきに」
坂本の応(いら)えに、桂はうなずいて微笑する。そのくせとんでもないことばを吐いた。
「せんの話だがな。おれが高杉に斬られるという筋立ても半々で起こりうるだろう?」
続 2011.03.06.
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「桂さん」
「あれの家族が目のまえで、高杉自らの手によって惨殺されるのでもないかぎり。いや、そうなればなったで逆上して、真のちからさえ発揮できぬのがオチやもしれぬ」
そう。腕前ではない。覚悟の問題なのだ。
「それがわかっちゅうなら、なおのことじゃ」
もとより大義のためにうごくおとこではない。そこに重きを置いていないからだが、いったん情を寄せたひとびとを護るためには剣を振るう。おのれはそのためにこそ、この存在をゆるされている。銀時には戦時からそう思い込んでいるふしがあった。
ゆえに。ただひたすらに、がむしゃらに、斬った。斬って、斬りつづけた。桂はそれを承知していた。だれより深く銀時を識っていた。
失いたくないから護る。護るために闘う。けれどその手から零れ散る。失わないための闘いが、新たな亡失を生む。護る。闘う。失う。失わせない。護りたい。だから闘える。まだ闘える。まだ護れる。けれど零れ落ちるのだ。護りきれずに失くすのだ。耐えきれなかったのだ。放り出してしまったのだ。
その自尊と自虐とが銀時の人離れしたつよさの根源であり、どうしようのない弱さの根幹でもあると、桂はとうに識っているのだ。
「夢を見た」
唐突な、だがどこか茫洋とした声が、思惟に沈みかけた坂本の意識を表層に引き戻した。
「あの折、ふたたび銀時とともに闘う夢を」
つと、伸ばされた桂の長い手指が、闇を透かした船窓の硝子に見えない線を描く。
「おれには心地の佳い夢だった。…なあ、坂本。けれど同時にこうも思った。おれは銀時に剣を振るって欲しいのだろうか、と」
それは刀剣を一閃したかのようにうごき、鏡像の桂を切り裂いた。
「おれは攘夷のためにはあの剣を欲しいと思うが、銀時のようなおとこが剣を振るわずにすむ世をこそ、つくりたい」
そのまま一点で止まった指先。坂本はたまらずに、その手指を覆うように掌をよせてつかんだ。
「おれのつとめは、攘夷を成し、新たな国造りの土台を築き、それを次の世代に引き渡す。そこまでだと思っている。高杉の真の思惑が破壊であれそののちの再生であれ、徒に犠牲を強いるなら斬り捨てるしかない」
しなやかで冷酷な指先は、見えない血を流す。
「それは最後に取っておかぇいか、桂さん。描いた筋書きどおりにことが運ぶとは思っちゃーせんろう。仮に晋坊が本心からこの国を壊そうとしたち、違った道を辿ったさきのその行く末が、また交わらんとはかぎらん」
「…それもまた、ずいぶんと虫のいい夢だ」
覆った坂本の掌のなかで、桂が指を握り込むのを感じた。
「金時がな、まえにこうゆっちょったがよ。こたろのとなりで、死ぬまで立って走っていたい、と」
だから希めば、桂の夢と銀時の夢がまた寄り添い重なることもあるだろうと、坂本も思ったのだが。
「…そうか」
闇色の窓硝子に浮かんだ真白いおもてが、またちいさく笑む。どこか達観したそれを目にした刹那、坂本は耳もとでなにかがおおきく軋む音を聞いた。
空気のようにたがいの存在を感じ、合わせずとも一心同体の闘いができる。それなのに、それゆえに、桂は。
「金時は…なにをしちゅう」
桂の眸が怪訝そうに瞬いた。
「いつまでも手を拱いちゅう気か。腹を括ったががないがかえ」
「坂本?」
無意識につよく握っていた掌に、わずかばかり痛そうに柳眉をよせる。坂本はかまわずそのまま桂を背中から抱き込めた。
「このままわしが攫っていくぞ」
敗戦を歴てなお見えない血を流しつづけているのは、なにも銀時や高杉ばかりではない。早くに離脱した坂本ですら心の奥底にそれを仕舞い込んでいる。けれど自らが流しつづけている血を、桂だけが自覚していない。その、折れることのないしなやかな柳のつよさがゆえに。
は。っはあ。あぁ。
甘やかな、それでいてどこか苦しげな吐息が、絶え間なく洩れる。
瞬かない星の光は濃色の藍の闇には溶け込まずくっきりとして、地上から見る星空のようには見慣れない。坂本にはもうすっかり目に馴染んだ光景のはずだが、それでもときおりまだ違和感はつきまとう。宇宙(そら)を駆る商人も、しょせんは地上の生きものなのだ。
その闇と光点とを遥かに仰いだ船窓に、映る桂の白い肌。硝子に寄りかかるように身を支える両の腕にだけ崩れはだけた浴衣を留まらせて、あやしく揺れ蠢く漆黒の髪が綾に乱れかかる。
「た…つまっ」
閨でだけゆるされた声音で、桂が坂本を呼ぶ。坂本は背後から絡めた腰をひときわ烈しく揺さぶった。
「ひ、あ、っああっ」
拗り込むように深く深く、突き立て抉り、潮のように引いては、間断なく攻める。たつま。たつま。そのたび桂は問うように声を上げた。たがいの鏡像の眼差しが絡む。その、もの問いたげな双眸を、坂本は気づいて気づかぬふりをした。いや、ちがう。気づいて、けれど応えるだけのよゆうがなかった。
かつてこんなふうに桂を抱いたことがない。桂のからだはいつだって坂本をして芯から蕩かすほどの心地よさであったが、砂漠にオアシスを求めるようなひりつく渇きや切迫感とは無縁のおのれだったのだ。
それは怒りにも似た焦燥だった。むしろ怒りそのものだったかもしれない。はやくはやくと、このこころが叫ぶ。その魂の、軋みが聞こえないのかと責める。
どこまで甘えている。どこまで甘えていた。おのれは。銀時は。高杉は。
けれどいまさらに流れでる血に気づかせることはすまい。自覚したところで桂はその歩みをやめないのだから。ならば、気づかぬままに流させた血を汲もう。桂がおもい果たすまで、おのが血を注ぎ込もう。
「こたろ」
細いからだに回された坂本の腕が、桂の胸を彷徨う。荒く脈打つ心臓の音を掌に感じとる。口唇が喘ぎ、息をつぐたび上下する腹に、滑らせた手指でもうひとつの脈打つ芯を絡めとった。
「ん、あ」
愉悦を滲ませた清艶なおもてを映す、闇色の硝子が鳴る。両腕を付いた桂の手指が折れ曲がるように船窓を掻いた。
坂本が指の腹と爪とで遊ぶ濡れた熱の塊は、いま桂が深部に納めて抜き差しされる灼熱の心棒に、合わせるように打ち震えている。
ああ…。
何度めかの深い息遣いがひときわ湿り気を帯び、そこからの息差しはつづけざまな片息で、間近な限界を伝えた。
もう? と、いつもならそう揶揄うように口唇を啄み、まだ、だ。と、桂がむきになって咬み返すこともあったが。それすらもままならないままに、坂本は押しよせる絶頂の波間に攫われ、波濤で砕けた。
気息を整えながら、桂がまだつながっている身を捩る。終えたばかりのそれにすら感じて、坂本はさすがに苦笑を浮かべた。
どうかしている。ほんとうに。
われながらにそう思ったそのとおりを、そのまま寝台に縺れ込んだあと桂に問われたから、返すことばに困る。焦燥を孕んだこの怒りの矛先は桂ではなく、おのれであり、銀時であり、高杉だ。桂をひとり置き去りにして、みな置き去りにされたのだ。
「堪忍しとおせ」
うしろから抱き込んだ背から肩を覆う豊かな黒髪に鼻先を埋めて、耳もとに囁く。桂はくすぐったそうに身を竦め、わけがわからない、といったようすで肩越しに坂本を振り返り見た。
「なんなのだ。辰馬。ほんとうにおかしいぞ」
脇から忍ばせた腕でさらに引き寄せ、その指先でうすい胸に戯れ掛かりながら、ことばを探る。
「んー。こたろに惚れなおしたばあやき」
「この、舌先三寸が」
そう返す眸は笑っていたから、些か独行に逸った振る舞いだったと坂本自身思っていても、機嫌を損ねたわけではないらしい。
「嘘がやないきね」
そう。嘘じゃない。認識を過っていただけだ。
退けると思っていた。銀時が腹を括ってふたたび桂のとなりに立つのなら。その日を待って、おのが領分をすべて委ねるのがおのれの筋目と心得ていた。なのに。
この焦燥は。この怒りは。
いま坂本には、これを消し去ることなしに、身を退く自信がなかった。
桂が銀時をおもって捨てた夢が、銀時によって紡ぎ直されることを願う心意に偽りはなく、けれど坂本はこのとき初めて、そうでない未来の可能性に思い至ってしまったのだ。
だれしもだ。おのれのなかに潜む浅ましさに気づきたくはない。だから。
「たのむちや……」
金時。
知らず漏れた、声に出すか出さぬかの呟きだったが、至近で捉えた桂には聞こえたらしい。
「ん? なにをたのむのだ?」
「……この国を」
咄嗟に、そう出た。
「むろんだ」
「わしの身ならいつでも貸すきに」
坂本の応(いら)えに、桂はうなずいて微笑する。そのくせとんでもないことばを吐いた。
「せんの話だがな。おれが高杉に斬られるという筋立ても半々で起こりうるだろう?」
続 2011.03.06.
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