Armed angel #06 一期(第十〜十三話) ニルティエ
鹵獲作戦でのナドレ露呈から人革連特務機関への武力介入を経て、
アザディスタン内戦危機まで。
人間にとっての過去というものを知りはじめるティエリア。
全三回。その1。
輸送艦プトレマイオスのブリッジで、戦況オペレータークリスティナ・シエラの声が響いた。
「スメラギさん! ヴァーチェ、いえナドレからの応答、ありません」
「どういうこと? 着艦シークエンスには応答あったんでしょう?」
戦闘指揮を執ったスメラギ・李・ノリエガは緊張を走らせた。ナドレの着艦はさきほど確認されていて、すでにコンテナに収容されている。
「それはオートで。映像回線も切られててなかのようすがわからないんです」
「そう。ナドレは無傷のようだから…だいじょうぶなんでしょうけど」
「気でも失ってるんでしょうか」
そう案じるクリスティナは、先刻キュリオスのコクピットからの映像でアレルヤ・ハプティズムの涙らしきものを視認している。そのキュリオスは先立って着艦を済ませ、アレルヤの無事も確認されていた。
人革連の鹵獲作戦に嵌り、陽動のため先行した二機のガンダムはともに窮地に追い込まれた。が、キュリオスは敵輸送艦にいったん鹵獲されたもののそれを破壊して脱出を果たし、ヴァーチェは内包していたナドレを露呈しながらも敵を撃退している。
後続して艦の防衛に回ったエクシアの刹那・F・セイエイとオーバーホール中で艦から砲撃を行ったデュナメスは応戦に苦慮したものの、無事帰投しているから、マイスターで安否が未確認なのはティエリア・アーデだけだ。
「ティエリアがコクピットから出て来ないって?」
そのデュナメスのコンテナにいたロックオン・ストラトスに、スメラギからの連絡が入る。
「ええ。いまヴァーチェのコンテナに酸素の充塡を急がせてるわ。こちらからコクピットハッチを開けようにも、なかのようすがわからないんじゃ…」
パイロットスーツの損傷やヘルメット着用の有無も不明な状況では、真空状態のコンテナで迂闊にコクピットハッチを強制開放するわけにはいかない。
「わかった。そっちへ回ってみる。充塡にはあとどれだけかかる?」
* * *
コンテナで見あげるナドレは、ほかのどのガンダムよりも華奢で、異質だった。髪のようにも見える長く伸びた朱いコードはGN粒子を外装に供給するためのものだ。この機体の存在についてはCBのなかでも機密扱いに等しいせいで、ほかのガンダムマイスターでさえ詳細は知らされておらず、むろんのこと目にするのは初めてだった。
ロックオン・ストラトスことニール・ディランディも名称と存在こそ知っていたが、先刻デュナメスで映像越しに見るまでは、ナドレのことなど考えたこともなかった。この機体はなぜヴァーチェのなかに存在するのか。なんのために。しかしそれがなんであるにせよここまで秘されていたものを、この計画の早い段階で露呈したことが不測の事態であったことはまちがいない。ヴェーダによるイオリア計画の遂行を絶対とするティエリアが、この事態を相当に重く見ていることは想像に難くなかった。
「ティエリア…」
じりじりと酸素の充塡を待ちながら、ニールはナドレのコクピットを見つめ続けている。怪我さえなければいい。無事ならそれでいいんだ。
コンテナの空気充塡完了を知らせるランプが灯る。ニールはヘルメットのバイザーを開けて、通用口からナドレへと向かう。
だがコクピットハッチのロックを遠隔操作で強制解除しようとした矢先にハッチは内側から開かれて、なかから紫紺のパイロットスーツが姿をあらわした。ヘルメットを小脇に抱えて機体を蹴る。
「ティエリア」
キャットウォークにふわりと着地すると、近くまで来ていたニールを無視して、すぐにまた床を蹴った。肩口で切り揃えられた紫黒の髪が靡いて、そのおもてを隠す。
「パージした装備の補填を頼む」
整備士のイアン・ヴァスティに手短に通信を入れ、そのまま通路口へと姿を消してしまう。その姿をニールは苦笑して見送った。とりつく島もない。
「まあ、怪我もないようだからいいさ」
ヘルメットを脱いで、軽く頭を振る。閉じ込められていた胡桃色の髪が開放感とともにくるりと巻きあがり、頸筋に空気を呼び込む。
ナドレの開け放たれたコクピットをあらためて見た。装甲の厚いヴァーチェの奥深くに位置するそれは、ナドレと共有していたがためなのだと知れた。
「ナドレ…か」
ふだんおのれの機体以外のコクピット内部を見ることはあまりない。ガンダム全機に精通しているティエリアを除けば、ほかのマイスターも似たり寄ったりのものだろう。ことにティエリアがいい顔をしないこともあってヴァーチェには近寄る機会がないから、ものめずらしさも手伝ってしげしげと眺め覗き込んだ。
ふと、そのニールの頬をなにかが掠めた。
「ん?」
見ればその透明のちいさな粒はいくつもあって、コクピット内に浮かんでいる。
「…水滴?」
頬に触れて弾けた粒の感触を指先でたしかめる。舐めてみると微かにしょっぱい。
「………」
正体に思い当たって、ニールは周りに漂う粒を拾い集めた。
「…莫迦なやつ」
計画を歪めたと、泣いたのか。それだけのことで、ふだん見せることのない涙を零したのか。ニールの知るそれは生理的なものであって、昂ぶった感情ゆえのものを見たことはない。それほどショックだったのか。おそらくは放心してしまい、そこから回復するまでコクピットから出られなかったのだろう。
「ほんと、…莫迦だよ。おまえさんは」
ブリッジでスメラギにきつい詰責を浴びせていたティエリアが立ち去って、一同がほっと肩のちからを抜くのがわかった。
「かわいいよなぁ、生真面目で。他人に八つ当たりなんかしてさ」
そう呟いたニールのことばに同意するものはいないかも知れないが、それでもそのくらいはゆるされるだろう。スメラギの失策を一方的に責めるティエリアに、おまえにも責任はある、と面と向かって云えたのはやはり、ニールだけだったのだから。
「あのヴェーダの申し子をつかまえて、かわいい、なんて云えるのは、おまえくらいなもんだろうぜ。ロックオン」
砲撃士のラッセ・アイオンが、両手を掲げてお手上げのポーズで笑って見せた。
「人間らしくていいじゃねぇか。八つ当たりなんて」
軽く応えたニールのことばの深意に、気づいたものはいるだろうか。
「ま、ミス・スメラギにはもうしわけなかったが」
「いいのよ。私のミスだったことに違いはないもの」
代わって詫びるニールに、スメラギはちいさく肩を竦めて首を振った。
「それでいのちの危険に晒された…、叱られて当然だわ。自覚していることを責められるのはいい気分じゃないけれど」
やるせなさげに溜め息をつく。
「それに…彼のような存在は組織には必要よ」
「それって、どういう意味です?」
操舵士のリヒテンダール・ツエーリが肩越しに、左斜め後方の戦術予報士を仰いだ。
「作戦の実行に於いては必ず是非が問われる。トレミーはクルーが少ないから問題が表出しにくいけれど、統括責任者の責任をきちんと問うものがだれもいなければ、不満や不信を内心で感じている人間の感情の受け皿がなくなって、鬱屈してしまう。それが積もれば組織内の不安要因になりかねない。だから、ああしてあたりまえのことをあたりまえに、忌憚なく意見できるひとは大事なの。もちろん、ぐさりとは来るけどね」
「おとなですねぇ、スメラギさん」
情け容赦のないティエリアの舌鋒を苦手とするのは、おそらくこの場にいるクルー全員の一致した認識だったから、操舵士の反応はある意味もっともなものだったが。
「それなりの規模の組織にいたなら、たいがいわかってくることよ」
「…そりゃあ、そうだなぁ、そう云われてみれば」
頷いた砲撃士にも、してみるとそういう経験があるのかも知れない。
ブリッジのクルーたちの会話をあとにして、ニールはシャワールームに急いだ。
オーバーホール中を襲撃されたせいで一時的に混乱したが、もともとは完了後につぎのミッションが予定されている。エクシアとデュナメスが地上に降りることになっていた。そうなればまた、しばらくはティエリアとは携帯端末を通じてしか会えなくなる。それまでは、傷心を仏頂面で押し隠すティエリアのそばにいてやりたい。もっともティエリアはそんなニールを鬱陶しがるだろうが、おのれの失態を容易にゆるせない矜持の持ち主を放ってはおけなかった。
いのちがあっただけでもめっけもんだ。
先刻ニールが云ったことばを、ティエリアがちゃんと受けとめてくれるといい。ナドレを敵に晒したことを、そうしなければやられていた、とティエリアは口にした。こんなところで死ぬわけにはいかない、という無意識の反射だけなのかもしれなかったが、どんな理由であれそれはティエリアが生に執着したという証しで、わるいことではないとニールは思う。
パイロットスーツとアンダーウェアを脱ぎ、専用の洗浄機に放り込む。個室のひとつに入って、操作パネルを押した。
シャワーといっても微重力下のものだから上から下へと流れ落ちるわけではない。専用ルームの中で、水滴となって飛散しないよう上部の噴出口から噴射した水を下部から絶えず吸引するかたちになっている。当然のこと個室は完全密閉で乾燥までをやってのける。
となりからも作動音がするから、おそらく使用者はティエリアだろう。それを見込んで追ってきた。いま自室に籠もられたら、どうがんばってみても顔を合わせてくれるとは思えない。そのまえに、捕まえておきたかった。
案の定、ニールが個室から出ると、脱衣場の壁に向かってコの字型に仕切られたパーティションの向こうに、紫黒の髪が覗いて見えた。
「ちっとは、すっきりしたかい」
ジーンズを穿きTシャツの袖を通しながら、そう声を掛けた。返事はない。とはいえ驚いたようすもないから、隣室のシャワーの気配が追ってきたニールのものだということは予測がついていたのだろう。さっさと上がって逃げることをしなかったのは、顔を合わせる意志が向こうにもあったのだと自惚れていいだろうか。
「…生きててくれてよかった。おまえが無事でよかった」
なによりも告げたかったのはこれだった。
続 2011.09.23.
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輸送艦プトレマイオスのブリッジで、戦況オペレータークリスティナ・シエラの声が響いた。
「スメラギさん! ヴァーチェ、いえナドレからの応答、ありません」
「どういうこと? 着艦シークエンスには応答あったんでしょう?」
戦闘指揮を執ったスメラギ・李・ノリエガは緊張を走らせた。ナドレの着艦はさきほど確認されていて、すでにコンテナに収容されている。
「それはオートで。映像回線も切られててなかのようすがわからないんです」
「そう。ナドレは無傷のようだから…だいじょうぶなんでしょうけど」
「気でも失ってるんでしょうか」
そう案じるクリスティナは、先刻キュリオスのコクピットからの映像でアレルヤ・ハプティズムの涙らしきものを視認している。そのキュリオスは先立って着艦を済ませ、アレルヤの無事も確認されていた。
人革連の鹵獲作戦に嵌り、陽動のため先行した二機のガンダムはともに窮地に追い込まれた。が、キュリオスは敵輸送艦にいったん鹵獲されたもののそれを破壊して脱出を果たし、ヴァーチェは内包していたナドレを露呈しながらも敵を撃退している。
後続して艦の防衛に回ったエクシアの刹那・F・セイエイとオーバーホール中で艦から砲撃を行ったデュナメスは応戦に苦慮したものの、無事帰投しているから、マイスターで安否が未確認なのはティエリア・アーデだけだ。
「ティエリアがコクピットから出て来ないって?」
そのデュナメスのコンテナにいたロックオン・ストラトスに、スメラギからの連絡が入る。
「ええ。いまヴァーチェのコンテナに酸素の充塡を急がせてるわ。こちらからコクピットハッチを開けようにも、なかのようすがわからないんじゃ…」
パイロットスーツの損傷やヘルメット着用の有無も不明な状況では、真空状態のコンテナで迂闊にコクピットハッチを強制開放するわけにはいかない。
「わかった。そっちへ回ってみる。充塡にはあとどれだけかかる?」
* * *
コンテナで見あげるナドレは、ほかのどのガンダムよりも華奢で、異質だった。髪のようにも見える長く伸びた朱いコードはGN粒子を外装に供給するためのものだ。この機体の存在についてはCBのなかでも機密扱いに等しいせいで、ほかのガンダムマイスターでさえ詳細は知らされておらず、むろんのこと目にするのは初めてだった。
ロックオン・ストラトスことニール・ディランディも名称と存在こそ知っていたが、先刻デュナメスで映像越しに見るまでは、ナドレのことなど考えたこともなかった。この機体はなぜヴァーチェのなかに存在するのか。なんのために。しかしそれがなんであるにせよここまで秘されていたものを、この計画の早い段階で露呈したことが不測の事態であったことはまちがいない。ヴェーダによるイオリア計画の遂行を絶対とするティエリアが、この事態を相当に重く見ていることは想像に難くなかった。
「ティエリア…」
じりじりと酸素の充塡を待ちながら、ニールはナドレのコクピットを見つめ続けている。怪我さえなければいい。無事ならそれでいいんだ。
コンテナの空気充塡完了を知らせるランプが灯る。ニールはヘルメットのバイザーを開けて、通用口からナドレへと向かう。
だがコクピットハッチのロックを遠隔操作で強制解除しようとした矢先にハッチは内側から開かれて、なかから紫紺のパイロットスーツが姿をあらわした。ヘルメットを小脇に抱えて機体を蹴る。
「ティエリア」
キャットウォークにふわりと着地すると、近くまで来ていたニールを無視して、すぐにまた床を蹴った。肩口で切り揃えられた紫黒の髪が靡いて、そのおもてを隠す。
「パージした装備の補填を頼む」
整備士のイアン・ヴァスティに手短に通信を入れ、そのまま通路口へと姿を消してしまう。その姿をニールは苦笑して見送った。とりつく島もない。
「まあ、怪我もないようだからいいさ」
ヘルメットを脱いで、軽く頭を振る。閉じ込められていた胡桃色の髪が開放感とともにくるりと巻きあがり、頸筋に空気を呼び込む。
ナドレの開け放たれたコクピットをあらためて見た。装甲の厚いヴァーチェの奥深くに位置するそれは、ナドレと共有していたがためなのだと知れた。
「ナドレ…か」
ふだんおのれの機体以外のコクピット内部を見ることはあまりない。ガンダム全機に精通しているティエリアを除けば、ほかのマイスターも似たり寄ったりのものだろう。ことにティエリアがいい顔をしないこともあってヴァーチェには近寄る機会がないから、ものめずらしさも手伝ってしげしげと眺め覗き込んだ。
ふと、そのニールの頬をなにかが掠めた。
「ん?」
見ればその透明のちいさな粒はいくつもあって、コクピット内に浮かんでいる。
「…水滴?」
頬に触れて弾けた粒の感触を指先でたしかめる。舐めてみると微かにしょっぱい。
「………」
正体に思い当たって、ニールは周りに漂う粒を拾い集めた。
「…莫迦なやつ」
計画を歪めたと、泣いたのか。それだけのことで、ふだん見せることのない涙を零したのか。ニールの知るそれは生理的なものであって、昂ぶった感情ゆえのものを見たことはない。それほどショックだったのか。おそらくは放心してしまい、そこから回復するまでコクピットから出られなかったのだろう。
「ほんと、…莫迦だよ。おまえさんは」
ブリッジでスメラギにきつい詰責を浴びせていたティエリアが立ち去って、一同がほっと肩のちからを抜くのがわかった。
「かわいいよなぁ、生真面目で。他人に八つ当たりなんかしてさ」
そう呟いたニールのことばに同意するものはいないかも知れないが、それでもそのくらいはゆるされるだろう。スメラギの失策を一方的に責めるティエリアに、おまえにも責任はある、と面と向かって云えたのはやはり、ニールだけだったのだから。
「あのヴェーダの申し子をつかまえて、かわいい、なんて云えるのは、おまえくらいなもんだろうぜ。ロックオン」
砲撃士のラッセ・アイオンが、両手を掲げてお手上げのポーズで笑って見せた。
「人間らしくていいじゃねぇか。八つ当たりなんて」
軽く応えたニールのことばの深意に、気づいたものはいるだろうか。
「ま、ミス・スメラギにはもうしわけなかったが」
「いいのよ。私のミスだったことに違いはないもの」
代わって詫びるニールに、スメラギはちいさく肩を竦めて首を振った。
「それでいのちの危険に晒された…、叱られて当然だわ。自覚していることを責められるのはいい気分じゃないけれど」
やるせなさげに溜め息をつく。
「それに…彼のような存在は組織には必要よ」
「それって、どういう意味です?」
操舵士のリヒテンダール・ツエーリが肩越しに、左斜め後方の戦術予報士を仰いだ。
「作戦の実行に於いては必ず是非が問われる。トレミーはクルーが少ないから問題が表出しにくいけれど、統括責任者の責任をきちんと問うものがだれもいなければ、不満や不信を内心で感じている人間の感情の受け皿がなくなって、鬱屈してしまう。それが積もれば組織内の不安要因になりかねない。だから、ああしてあたりまえのことをあたりまえに、忌憚なく意見できるひとは大事なの。もちろん、ぐさりとは来るけどね」
「おとなですねぇ、スメラギさん」
情け容赦のないティエリアの舌鋒を苦手とするのは、おそらくこの場にいるクルー全員の一致した認識だったから、操舵士の反応はある意味もっともなものだったが。
「それなりの規模の組織にいたなら、たいがいわかってくることよ」
「…そりゃあ、そうだなぁ、そう云われてみれば」
頷いた砲撃士にも、してみるとそういう経験があるのかも知れない。
ブリッジのクルーたちの会話をあとにして、ニールはシャワールームに急いだ。
オーバーホール中を襲撃されたせいで一時的に混乱したが、もともとは完了後につぎのミッションが予定されている。エクシアとデュナメスが地上に降りることになっていた。そうなればまた、しばらくはティエリアとは携帯端末を通じてしか会えなくなる。それまでは、傷心を仏頂面で押し隠すティエリアのそばにいてやりたい。もっともティエリアはそんなニールを鬱陶しがるだろうが、おのれの失態を容易にゆるせない矜持の持ち主を放ってはおけなかった。
いのちがあっただけでもめっけもんだ。
先刻ニールが云ったことばを、ティエリアがちゃんと受けとめてくれるといい。ナドレを敵に晒したことを、そうしなければやられていた、とティエリアは口にした。こんなところで死ぬわけにはいかない、という無意識の反射だけなのかもしれなかったが、どんな理由であれそれはティエリアが生に執着したという証しで、わるいことではないとニールは思う。
パイロットスーツとアンダーウェアを脱ぎ、専用の洗浄機に放り込む。個室のひとつに入って、操作パネルを押した。
シャワーといっても微重力下のものだから上から下へと流れ落ちるわけではない。専用ルームの中で、水滴となって飛散しないよう上部の噴出口から噴射した水を下部から絶えず吸引するかたちになっている。当然のこと個室は完全密閉で乾燥までをやってのける。
となりからも作動音がするから、おそらく使用者はティエリアだろう。それを見込んで追ってきた。いま自室に籠もられたら、どうがんばってみても顔を合わせてくれるとは思えない。そのまえに、捕まえておきたかった。
案の定、ニールが個室から出ると、脱衣場の壁に向かってコの字型に仕切られたパーティションの向こうに、紫黒の髪が覗いて見えた。
「ちっとは、すっきりしたかい」
ジーンズを穿きTシャツの袖を通しながら、そう声を掛けた。返事はない。とはいえ驚いたようすもないから、隣室のシャワーの気配が追ってきたニールのものだということは予測がついていたのだろう。さっさと上がって逃げることをしなかったのは、顔を合わせる意志が向こうにもあったのだと自惚れていいだろうか。
「…生きててくれてよかった。おまえが無事でよかった」
なによりも告げたかったのはこれだった。
続 2011.09.23.
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