2010/10/10 新刊「焦熱 〜天涯の遊子」より
表題作の序〜中盤から一部抜粋
「天涯の遊子」の過去譚、銀桂篇。
村塾幼少〜少年期。お誕生日本。
銀時と小太郎。と、晋助。松陽先生。
誕生日にまつわるあれやこれやを経ての銀桂初ちゅーまで。
(前略)
「なにやってんの」
こう暑くては勉学に身も入らないからと朝も早くの時間にだけ行われていた授業も終わり、藪入りの休みに入った夏の間の昼下がり。
子どもらの退けた塾舎のひと間で、小太郎はさきほどからなにやらひとり悪戦苦闘している。ちょっとまえまではそこに松陽先生もいて、熱心に教えを請うていた。
手にした書物を幾度も閉じたり開いたりしていたがお温習いをするというわけでもなく、松陽は小太郎の手に手を添えてしぐさで説明を繰り返す。それにおおきく頷いていたものの、いまのようすを見ると教わったようにはできないでいるらしい。朝っぱらからわざわざ訪ねてきて、この時間までよく倦きもせず。
いつものように窓際の最後列の席の後壁に凭れて半分寝こけながらそのようすを眺めていた銀時は、小太郎がいつまでたっても顔をあげて振り返り銀時を見ることも、席を立ってその名を呼ぶこともしないのに焦れて、膝立ちでいざるようにちかづくと、横からその手許を覗き込んだ。
小太郎の返事はない。ひとつのことに夢中になると、すぐこれだ。銀時は溜め息をついて、もういちど問いかける。
「なにやってんの」
ようよう気づいたようすで、けれど小太郎は手をやすめず銀時を見もせずに、ひとこと返した。
「本をつくろっている」
よくよく見れば、たしかに手許の書物は綴じ紐が取れ掛け、表紙にもいくつかの破れ目がある。小太郎の机の上には、さまざまにかたち取られたきれいな和紙が幾枚かあって、その表紙の補修に当てるのだなと知れた。
「またえらくぼろい本じゃん」
「ぼろいとか云うな。先月父上のおつとめに同道したおりに、その町の古書店でようやく見つけたのだぞ」
応えながらも小太郎の手指は懸命に新しい綴じ紐を繰っている。
「あっ」
ばさりと音がして、せっかく綴じかけた紐がゆるむ。小太郎は眉間に皺をよせたものの、また根気よく最初からやりなおす。さっきからきっとこれを繰り返していたのにちがいない。
こうした細かな手作業に小太郎が向いていないことに、銀時は出会ってからさほど間もないうちに気がついた。手先の器用さだけなら銀時のほうが遥かにましで、ともに暮らしはじめてほどなくそれを知った松陽に重宝がられ、すでになんどか蔵書の修繕を手伝わされていたから、
「ちょちょいと、やってやろーか?」
見かねた銀時がそう云っても、小太郎は首を横に振る。
「よいのだ。これはおれが贈るものだから、おれが手ずからやらねば意味がない」
その眸は一心に本を見つめたままだ。
「贈るって」
「うむ。あすは晋助の誕生日だろう。まえまえから読みたがっていた絵双紙なのだ」
「誕生日?」
初耳だった。古来、年明けとともにみな、数えでひとつ歳をくうのがこの国の風習であったし、そもそも誕生日などという概念が銀時に欠けていたせいもある。
「ちかごろは、おのおの誕生日を祝うようになってきただろう? 晋助はあれでお祭り好きだから、生まれた日を祝ってやれるならそれもよいものだと思ってな」
「ふうん」
「生まれたばかりのあいつは、それはそれはよく泣く赤子だったのだ」
懐かしむ風情で語る小太郎の横顔に、銀時はあいまいに頷く。
「おめーだってまだよちよち歩きくらいのもんだったろうがよ」
「そうだが、不思議とおぼえているのだ」
なんだかおもしろくなかった。自分の知らない時間をこいつらが共有しているのは、わかりきっていることなのに。
「あっそ。じゃ、がんばって」
そう立ち上がりかけた銀時に、小太郎がきょう初めてこちらを見た。
「銀時、きさまは?」
まっすぐ目を見て少し小首を傾げて、そう問いかけてくる。
「は?」
そのしぐさに思わず足を止めてしまっていたら、
「きさまは、いつ生まれたのだ?」
かさねて問われて、銀時はことばに詰まった。
そんなものは知らない。そんなものはない。松陽とここに来るまでのことを銀時はだれにもなにも語っていなかったから、小太郎がそう訊ねたとしても無理からぬことなのだ。だが。
「俺は…。てかおめーは、いつなんだよ」
おのれ自身の記憶にないものでは応えようもなくて、話を逸らす。
「おれは六月だ。水無月の二十六日だぞ」
「それ、もう、過ぎてんじゃん!」
いまごろになって。無性に腹が立って、ちいさく怒鳴った。
「なぜ怒るのだ?」
小太郎がきょとんとしたきれいな顔で銀時を見つめる。
なぜって。…あれ? なぜだろう。
「十月ですよ」
やや気まずい空気を纏わせかけた銀時の、背後からふいに声がかかる。いつのまにやらもどってきていた松陽が、廊下から教室を覗き込んでいた。
塾舎から中庭を挟んだ私宅の居間で少し遅い昼餉をとりながら、松陽はにこやかにふたりを交互に見つめる。
「たしか十日だったでしょうかね」
小太郎は眸をきらきらさせて頷いている。
「十月の十日ですね。おぼえました」
きちんと咀嚼し終えて小太郎はたしかめるように復唱した。
「おぼえなくていーよ」
するするっと冷たいそうめんを啜るあいまに銀時が返す。
「またきみはそういうことを云う」
松陽に軽く笑顔で睨まれる。けれど、なんでその日なのか。適当に云ってんじゃねーよ、と銀時は思う。それが、松陽が銀時に出会い、銀時が新たな暮らしを歩むきっかけとなった日であったことは、あとになってわかったことだ。
昼餉のあと、ふたたび苦戦する小太郎にやっぱり少しだけ銀時が手伝って、古い絵双紙の補修は完成を見た。萌黄色の表紙に破れ目を覆う薄紫や薄桃の型抜き和紙が映えて、こざっぱりと存外見栄えのいいぐあいになっている。もっとも本の中身が目当てなら外観などさほど気にはしないだろうが、晋助ならたしかにこのほうが貰ってうれしいだろうと思われた。
小太郎のほっそりときれいな手指が優美なしぐさでそれを小風呂敷に包み込む。その指先や甲や掌の、白い肌に赤く筋を残したところどころのひっかき傷はこの修繕中にこしらえたものだ。ばかなやつ。
「じゃあこれは、おれたちから晋助への贈りものだ」
銀時が手伝ってくれたのだから。と、小太郎はうれしそうに包みを懐にしまい込んで、すっくと立ち上がる。いまは休みの最中だから、明日じかに高杉宅へ届けるのだろうか。
「ちょうど二ヶ月(ふたつき)後だな。銀時おまえはなにがいい」
帰りしなに、銀時を振り返り見た。
「なにって」
あたまのうしろの高い位置でひとつに結われた長い黒髪が、つられて少し遅れてさらさらと靡く。夏の陽にうっすらと汗ばむ頸筋の後れ毛だけが張り付いたままだ。なにがどうのというのではなしに、銀時はただそのうごきに目を奪われて、なぜだか目が離せない。
「なにか、欲しいもの」
「んー…甘いもの?」
なんの衒いもなく小太郎に問われて咄嗟に思い浮かんだのは、そんなくらいのものだった。
(中略)
月も変わり、大祭に明け暮れた夏の最後を彩る、焦げつくようなぎらぎらした陽射しの暑い日。
素潜りの得意な小太郎と連れ立って近隣の海辺に出た。
いまごろ夏バテした晋助に滋養のある活きのいい貝や魚でも届けてやろう、という名目ではじめた魚獲りだったが、そこはこどものことだからいつのまにやらただの海遊びになってしまって、はしゃぎすぎた。
ふたりともが些かバテて、灼熱地獄の砂地を避けて岩場の日陰に座り込む。小太郎は下帯ひとつで素潜りしていたが、陸(おか)に上がって纏った薄い内着一枚の姿で、それももう汗と水とに濡れて肌に貼りついている。銀時は泳ぎが得意とはいえなかったから、いつもの丈の短い単衣のままだったが、むろんのこと濡れ鼠だ。
暑いのに隣り合わせて座り込んで、ときおり触れる肌に心地よさを覚える。それは銀時だけの感情だったかもしれないが、小太郎だって気にせずそうしていたのだから、いやではなかったんだろう。
そんなこと、いままでだってよくあることだったのだ。なのに。
触れた肌に暑気でない熱を感じて、銀時は思わず身じろいだ。
「ぎんとき?」
怪訝そうに覗き込んできた漆黒の双眸に、汗ばむおのれの姿が映る。黒目がちな目もとから涼やかな鼻梁につづき、白皙の頬もいまは陽にわずかに火照ってうっすらと桃色がかっている。朱赤に潤んだ口唇が、銀時の名を刻む。
「銀時? どうした。気分がわるいのか?」
「…や、なんでもねぇ」
からからに渇いた口でようやくに呟いて、もういちどその場に身を落ち着けた。落ち着けようとした。けれど、できない。どうなっちまったんだ、俺。
案じたのだろう、小太郎が竹筒の水筒を銀時に差し出してきた。銀時はだまって受け取り、ごくごくと飲んだ。
のどの干涸らびは和らいだが、熱は鎮まってくれない。ほんとうに暑気あたりしたのかもしれない。これじゃ晋ちゃんを笑えねぇわ、と内心でひとりごちて、竹筒を小太郎に返す。
「もういいのか?」
「おめーも飲まねぇと、脱水になんぞ」
「そうか。そうだな」
あいかわらず我が身のことには無頓着な小太郎は、初めて気づいたように水筒を口に当てた。わずかに逸らせた白い喉もとを、汗がつたう。水を嚥下するうごきが、その艶めかしさをいや増した。
って、なんだよそれ。艶めかしい。そう感じた発想そのものに、銀時は驚愕した。
ここにいるのは小太郎だ。いつもの小太郎なのに。なんで。
疲れ果てて帰り着いたその夜、いつもなら泥のように深く眠るはずが、銀時は浅い眠りのなかで繰り返し見る夢に魘された。夢は長く一晩中つづいたように思われて、そのくせ目が覚めてみればまだ陽も昇りきらぬ時刻だ。あたまは濁りぼんやりとしたままで、からだも重く、目覚めの爽快さなど微塵もない。だが次の瞬間、銀時は飛び起きた。
つづきはオフ本 2010.09.23.
PR
(前略)
「なにやってんの」
こう暑くては勉学に身も入らないからと朝も早くの時間にだけ行われていた授業も終わり、藪入りの休みに入った夏の間の昼下がり。
子どもらの退けた塾舎のひと間で、小太郎はさきほどからなにやらひとり悪戦苦闘している。ちょっとまえまではそこに松陽先生もいて、熱心に教えを請うていた。
手にした書物を幾度も閉じたり開いたりしていたがお温習いをするというわけでもなく、松陽は小太郎の手に手を添えてしぐさで説明を繰り返す。それにおおきく頷いていたものの、いまのようすを見ると教わったようにはできないでいるらしい。朝っぱらからわざわざ訪ねてきて、この時間までよく倦きもせず。
いつものように窓際の最後列の席の後壁に凭れて半分寝こけながらそのようすを眺めていた銀時は、小太郎がいつまでたっても顔をあげて振り返り銀時を見ることも、席を立ってその名を呼ぶこともしないのに焦れて、膝立ちでいざるようにちかづくと、横からその手許を覗き込んだ。
小太郎の返事はない。ひとつのことに夢中になると、すぐこれだ。銀時は溜め息をついて、もういちど問いかける。
「なにやってんの」
ようよう気づいたようすで、けれど小太郎は手をやすめず銀時を見もせずに、ひとこと返した。
「本をつくろっている」
よくよく見れば、たしかに手許の書物は綴じ紐が取れ掛け、表紙にもいくつかの破れ目がある。小太郎の机の上には、さまざまにかたち取られたきれいな和紙が幾枚かあって、その表紙の補修に当てるのだなと知れた。
「またえらくぼろい本じゃん」
「ぼろいとか云うな。先月父上のおつとめに同道したおりに、その町の古書店でようやく見つけたのだぞ」
応えながらも小太郎の手指は懸命に新しい綴じ紐を繰っている。
「あっ」
ばさりと音がして、せっかく綴じかけた紐がゆるむ。小太郎は眉間に皺をよせたものの、また根気よく最初からやりなおす。さっきからきっとこれを繰り返していたのにちがいない。
こうした細かな手作業に小太郎が向いていないことに、銀時は出会ってからさほど間もないうちに気がついた。手先の器用さだけなら銀時のほうが遥かにましで、ともに暮らしはじめてほどなくそれを知った松陽に重宝がられ、すでになんどか蔵書の修繕を手伝わされていたから、
「ちょちょいと、やってやろーか?」
見かねた銀時がそう云っても、小太郎は首を横に振る。
「よいのだ。これはおれが贈るものだから、おれが手ずからやらねば意味がない」
その眸は一心に本を見つめたままだ。
「贈るって」
「うむ。あすは晋助の誕生日だろう。まえまえから読みたがっていた絵双紙なのだ」
「誕生日?」
初耳だった。古来、年明けとともにみな、数えでひとつ歳をくうのがこの国の風習であったし、そもそも誕生日などという概念が銀時に欠けていたせいもある。
「ちかごろは、おのおの誕生日を祝うようになってきただろう? 晋助はあれでお祭り好きだから、生まれた日を祝ってやれるならそれもよいものだと思ってな」
「ふうん」
「生まれたばかりのあいつは、それはそれはよく泣く赤子だったのだ」
懐かしむ風情で語る小太郎の横顔に、銀時はあいまいに頷く。
「おめーだってまだよちよち歩きくらいのもんだったろうがよ」
「そうだが、不思議とおぼえているのだ」
なんだかおもしろくなかった。自分の知らない時間をこいつらが共有しているのは、わかりきっていることなのに。
「あっそ。じゃ、がんばって」
そう立ち上がりかけた銀時に、小太郎がきょう初めてこちらを見た。
「銀時、きさまは?」
まっすぐ目を見て少し小首を傾げて、そう問いかけてくる。
「は?」
そのしぐさに思わず足を止めてしまっていたら、
「きさまは、いつ生まれたのだ?」
かさねて問われて、銀時はことばに詰まった。
そんなものは知らない。そんなものはない。松陽とここに来るまでのことを銀時はだれにもなにも語っていなかったから、小太郎がそう訊ねたとしても無理からぬことなのだ。だが。
「俺は…。てかおめーは、いつなんだよ」
おのれ自身の記憶にないものでは応えようもなくて、話を逸らす。
「おれは六月だ。水無月の二十六日だぞ」
「それ、もう、過ぎてんじゃん!」
いまごろになって。無性に腹が立って、ちいさく怒鳴った。
「なぜ怒るのだ?」
小太郎がきょとんとしたきれいな顔で銀時を見つめる。
なぜって。…あれ? なぜだろう。
「十月ですよ」
やや気まずい空気を纏わせかけた銀時の、背後からふいに声がかかる。いつのまにやらもどってきていた松陽が、廊下から教室を覗き込んでいた。
塾舎から中庭を挟んだ私宅の居間で少し遅い昼餉をとりながら、松陽はにこやかにふたりを交互に見つめる。
「たしか十日だったでしょうかね」
小太郎は眸をきらきらさせて頷いている。
「十月の十日ですね。おぼえました」
きちんと咀嚼し終えて小太郎はたしかめるように復唱した。
「おぼえなくていーよ」
するするっと冷たいそうめんを啜るあいまに銀時が返す。
「またきみはそういうことを云う」
松陽に軽く笑顔で睨まれる。けれど、なんでその日なのか。適当に云ってんじゃねーよ、と銀時は思う。それが、松陽が銀時に出会い、銀時が新たな暮らしを歩むきっかけとなった日であったことは、あとになってわかったことだ。
昼餉のあと、ふたたび苦戦する小太郎にやっぱり少しだけ銀時が手伝って、古い絵双紙の補修は完成を見た。萌黄色の表紙に破れ目を覆う薄紫や薄桃の型抜き和紙が映えて、こざっぱりと存外見栄えのいいぐあいになっている。もっとも本の中身が目当てなら外観などさほど気にはしないだろうが、晋助ならたしかにこのほうが貰ってうれしいだろうと思われた。
小太郎のほっそりときれいな手指が優美なしぐさでそれを小風呂敷に包み込む。その指先や甲や掌の、白い肌に赤く筋を残したところどころのひっかき傷はこの修繕中にこしらえたものだ。ばかなやつ。
「じゃあこれは、おれたちから晋助への贈りものだ」
銀時が手伝ってくれたのだから。と、小太郎はうれしそうに包みを懐にしまい込んで、すっくと立ち上がる。いまは休みの最中だから、明日じかに高杉宅へ届けるのだろうか。
「ちょうど二ヶ月(ふたつき)後だな。銀時おまえはなにがいい」
帰りしなに、銀時を振り返り見た。
「なにって」
あたまのうしろの高い位置でひとつに結われた長い黒髪が、つられて少し遅れてさらさらと靡く。夏の陽にうっすらと汗ばむ頸筋の後れ毛だけが張り付いたままだ。なにがどうのというのではなしに、銀時はただそのうごきに目を奪われて、なぜだか目が離せない。
「なにか、欲しいもの」
「んー…甘いもの?」
なんの衒いもなく小太郎に問われて咄嗟に思い浮かんだのは、そんなくらいのものだった。
(中略)
月も変わり、大祭に明け暮れた夏の最後を彩る、焦げつくようなぎらぎらした陽射しの暑い日。
素潜りの得意な小太郎と連れ立って近隣の海辺に出た。
いまごろ夏バテした晋助に滋養のある活きのいい貝や魚でも届けてやろう、という名目ではじめた魚獲りだったが、そこはこどものことだからいつのまにやらただの海遊びになってしまって、はしゃぎすぎた。
ふたりともが些かバテて、灼熱地獄の砂地を避けて岩場の日陰に座り込む。小太郎は下帯ひとつで素潜りしていたが、陸(おか)に上がって纏った薄い内着一枚の姿で、それももう汗と水とに濡れて肌に貼りついている。銀時は泳ぎが得意とはいえなかったから、いつもの丈の短い単衣のままだったが、むろんのこと濡れ鼠だ。
暑いのに隣り合わせて座り込んで、ときおり触れる肌に心地よさを覚える。それは銀時だけの感情だったかもしれないが、小太郎だって気にせずそうしていたのだから、いやではなかったんだろう。
そんなこと、いままでだってよくあることだったのだ。なのに。
触れた肌に暑気でない熱を感じて、銀時は思わず身じろいだ。
「ぎんとき?」
怪訝そうに覗き込んできた漆黒の双眸に、汗ばむおのれの姿が映る。黒目がちな目もとから涼やかな鼻梁につづき、白皙の頬もいまは陽にわずかに火照ってうっすらと桃色がかっている。朱赤に潤んだ口唇が、銀時の名を刻む。
「銀時? どうした。気分がわるいのか?」
「…や、なんでもねぇ」
からからに渇いた口でようやくに呟いて、もういちどその場に身を落ち着けた。落ち着けようとした。けれど、できない。どうなっちまったんだ、俺。
案じたのだろう、小太郎が竹筒の水筒を銀時に差し出してきた。銀時はだまって受け取り、ごくごくと飲んだ。
のどの干涸らびは和らいだが、熱は鎮まってくれない。ほんとうに暑気あたりしたのかもしれない。これじゃ晋ちゃんを笑えねぇわ、と内心でひとりごちて、竹筒を小太郎に返す。
「もういいのか?」
「おめーも飲まねぇと、脱水になんぞ」
「そうか。そうだな」
あいかわらず我が身のことには無頓着な小太郎は、初めて気づいたように水筒を口に当てた。わずかに逸らせた白い喉もとを、汗がつたう。水を嚥下するうごきが、その艶めかしさをいや増した。
って、なんだよそれ。艶めかしい。そう感じた発想そのものに、銀時は驚愕した。
ここにいるのは小太郎だ。いつもの小太郎なのに。なんで。
疲れ果てて帰り着いたその夜、いつもなら泥のように深く眠るはずが、銀時は浅い眠りのなかで繰り返し見る夢に魘された。夢は長く一晩中つづいたように思われて、そのくせ目が覚めてみればまだ陽も昇りきらぬ時刻だ。あたまは濁りぼんやりとしたままで、からだも重く、目覚めの爽快さなど微塵もない。だが次の瞬間、銀時は飛び起きた。
つづきはオフ本 2010.09.23.
PR