「天涯の遊子」番外。前後篇。後篇。
竜宮篇後の銀桂篇、そのもうひとつの世界。
からだの若齢化に、こころまでもが子どもに返ったように、探検と称して丘の中腹から頂を越える。そこから反対側の裾野へと下った。こちら側からは江戸の町並みが、葛折りの道沿いの木々のあいまのところどころで見渡せる。
途中、巡回中らしい真選組の隊服姿を見かけてどきりとしたが、このなりでは指名手配犯と気づかれるはずもないのだと、銀時と桂は笑ってやり過ごす。裾野をぐるりと巡ったところで、陽が傾きはじめた。
「そろそろ戻るか」
童心に返ったとはいえ、夜の野山の怖さは身にしみて知っているから、ふたりはそろって、隠れ家への径を辿りはじめた。
と、その帰路に、木にぼんやりもたれて佇む人影がある。そこから煙草の煙が漂っていた。銀時が止めるまもなく、桂がつかつかとその人影にちかよる。
「こんなところで喫うな。野火にでもなったらどうする」
「ああ?」
振り向いた顔には、どこか見覚えがある気がした。黒の着流しに刀を佩いている姿もどこかで。
あ、と気がついた。が、それにしては若すぎる。髪も長い。だがしかし自分たちのなりを思い出して、まさかこいつもか、と思い至った。あとを追った銀時が、桂の背をつつく。振り向いた桂はきょとんとしている。銀時が耳打ちすると、桂は小さく頷いた。
「貴様もそう思うか」
あ、気づいてたのか。土方だと。
あいてのほうも、似たような感覚であったらしい。こども桂にどこかでみたようなと思っていたのが、あとから顔を見せた子どもの髪の色で確信に変わったようだった。
「…おめっ、万事屋か?」
銀時は反射的に一歩進み出て、桂を背にして土方に向き直った。
「おめーこそ。なんだその髪は。ポニーテールですか、このやろう」
「るせぇっ。総悟の野郎がおもしろがってくっつけたんだよ。エクスなんとかってやつを」
「エクステンションか」
「そう、それだ。よってたかって、ひとをおもちゃにしやがるから、やつらを巻いてここまで逃げてきたんだ」
ああ、それでか。こんなところに真選組の隊服がいたのは。銀時がそう得心していると、土方がちらりと銀時の背後に目をやる。
「まさかとおもったが…。てぇことは、やっぱ。桂、なのか?」
銀時がずいと横に踏み込んで、その視界から桂を隔てるようにうごいた。
「なんだよ。おたがいこんななりで、捕り物なんかしねぇよ」
「じろじろ、見んな」
土方が鼻白んだように銀時を見遣った。
「なんだ、そりゃあ。見るくらいいいだろうが」
なんかいやなのだった。自分の姿もだが、それよりも。桂の、この姿を土方に見られるのが。というか、ほかのやつらに見せるのが、いやなのだ。
いまとなっては銀時ともうひとりの幼なじみの記憶以外に、知るものとてないであろう幼い姿を。見せたくない。ほかのだれにも。とくにこいつには。
「おもかげ、あるよな」
土方の眸がやけにやさしくゆるむ。ガキのころから、美人だったんだ。
そう思っているであろう土方の、内心など銀時には手に取るようにわかるのだ。こいつも桂に惚れているから。
「てめぇはガキの時分から、白髪頭か」
うってかわって銀時を見る眸は、揶揄を含んでいる。いつもならありえない見下ろされる視線が気に障った。明らかに逆転した見てくれの年の差を、おもしろがってやがるな。真選組の連中に遊ばれた腹いせかよ。
「銀さんの銀髪は生まれついてのものなんだよ。てめぇの尾っぽとはわけが違わぁ」
「俺だってな、このころは自前で長かったんだよ」
「ははん。それを総一郞くんにヅラで再現させられたわけね」
「ヅラじゃない、桂だ」
とんちんかんな口を挟んだ桂が、土方を見あげた。
「ともかく、野道で煙草は止せ」
いくぶん高めのあどけない声が、だがふだんの桂の口調そのままに云うものだから、土方はとまどったような、面映ゆいような表情を見せた。
「…わかったよ」
そう応じる土方の声もやはりいくぶん若い。煙草を地面に捨てて草履の爪先で揉み消す。桂がそれをじっと見る。土方は溜息を吐いてその吸い殻を拾い上げると、おのれの袂のうちに落とした。
忌々しく思うのと同時に銀時に笑いが込み上げてくる。こいつ、ふだん桂のまえではこんなに素直なのか。
つと、桂がその土方の背後に回り込むや、その後ろ髪をちからまかせに引っ張った。
「ててっ。なにしやがる!」
不意打ちを食らって、からだを後ろに傾かせながら土方が顔を顰めた。
「ヅ…、エクステのくせに、大げさだな」
桂の要らぬ反応を引き起こさぬためにあえて云い直し、銀時も顔を顰める。じつは内心穏やかではない。
「地毛にじかに結びつけてんだよ、痛ぇに決まってるだろうが」
銀時と土方の会話など耳に入っていないのか、桂はまた、土方の背の尾っぽをこんどはそっと引っ張ってみる。
たまりかねた銀時が、土方の抗議よりさきに口を挟んだ。
「なにしてんだ。おめーはよぉ」
桂を睨めて、土方の髪に触れるその腕を取って引き剥がす。
「いったい、なんだってぇんだよっ。桂?」
土方も、髪の結び目、後頭部の付け髪のもとの部分をさすりながら睨んだ。
桂は悪びれない。
「いや。いつもこうして引っ張られてばかりだったのでな。どんな気分なものか、いちどやってみたかったのだ」
「はぁ?」
土方は気の抜けたような声を出した。銀時が焦ったように桂を見返る。
「銀時も晋助も、ひとの髪をなんだとおもっているのか、やたら触れたが…」
「だぁっ」
銀時は周章てて背後から羽交い締めするように桂の口を塞いだ。
なにを云いだすんだ、こいつは。よりにもよって、このやろうのまえで。
「ほおぉぉ、万事屋。てめぇ、んなことばっかしてやがったのか」
云って、土方がにやりと笑う。揶揄って笑うというには、いささか苦いものが含まれていることに、銀時も当の土方も気づいていない。
「いや、ちがうから。ヅラ、てめぇのそれと、あれとこれとは、まったく意味が違うから」
いささか狼狽して銀時が意味不明のことばを紡ぐ。
「おめぇがこいつの髪引っ張ったところで、俺たちの気分にはならねぇって」
なられてたまるか。
「ほお。どんな気で触ってたんだ、てめぇはよ」
こんどは明らかに苦い表情で土方は問うた。揶揄うつもりが、やけにむかついてくるのを抑えられないでいるような口調だった。
「どんな気分になったというのだ?」
そう、桂にまで問われ。
ぱっかん。
銀時は思いきりそのあたまを叩(はた)いていた。
「いたい」
頭頂部を押さえて、桂が銀時を睨める。
「なんだというのだ、銀時。貴様は」
「てめーがくだらねーことすっからだ、この莫迦ヅラ」
「くだらなくない。莫迦ヅラじゃない。桂だ」
「いいかげんにしやがれ、てめぇらはよっ」
土方が、桂の長い尾っぽ髪を引っ張り上げて逆襲にでた。
「「あ」」
その手はそのまま、その黒髪を撫で梳かすように弄ぶ。
「なにをする」
「なにしやがる!」
ふたり同時に声が上がった。
土方は手に取った髪の感触にどきりとしたように、思わずといった風情で、くってかかる銀時の顔を見下ろしてくる。それに気づいた銀時が、こどもの顔のまま、口の端で嗤う。うごきの止まってしまった土方の手を、桂の髪から払いのけた。
おもむろに桂の腕をつかんで、引っ括るようにして促す。
「ぉら、帰んぞ。ヅラ。日が暮れちまわぁ」
「おい。銀。わかったから、そう急くな。土方、煙草はいかんぞ」
そう念を押し、銀時に引っ立てられるように遠ざかっていく桂の姿を、土方は魂の抜けたような顔で見送っている。ずんずん遠ざかりながら、ちらりと横目でそれを確認した銀時は、内心溜息を吐いた。いっそ舌打ちしたい気分だ。
桂の髪の磁力は、じかに触れたものにしかわかるまい。紅桜の一件で似蔵が切り取ったその一房を舐めるように味わってみせたとき、桂のその身を陵辱されたに等しい憤りを感じた。あのとき似蔵は明らかに桂の髪に欲情していた。
あの髪はひとを蠱惑する。いちど触れればもういちど、この手に味わいたくなる。それを土方に、桂に焦がれているおとこに知らしめるなど、狐に油揚げを晒すようなものではないか。
それをこの莫迦は。
ぱっこん。
「いたっ」
思い出したようにまた殴られて、桂はつかまれたままだった銀時の腕を振り解いた。
「もう、さっきから、なんだ。なにを怒っているのだ」
「てめーが、あんまり莫迦だからだ」
「莫迦と云うほうが莫迦なのだぞ」
「莫迦と云うほうが莫迦なら、莫迦と云うほうが莫迦だと云うほうが莫迦だ」
「莫迦と云うほうが莫迦だと云うほうが莫迦なら…」
「ああもう、うぜぇっ」
自分から仕掛けた口喧嘩に自分のほうから音を上げて、銀時は桂の口を塞いだ。それは馴染んだ口唇より、たよりなく、いっそうやわらかで、その儚さに一瞬、銀時はたじろいだ。かといって離しがたく、そのまま食んでそっと舌先で歯列をなぞる。おのれの身も子どもに還っているから、いつもの、思うようには舌も絡められず、もどかしい。桂のほうもそれを感じたのか、ちいさいままの手指がぎゅっと銀時の単衣をつかんだ。
もどかしいまま、そのもどかしさに煽られて、しばらく口を吸い合って舌を絡めて。吐息とともに声ともつかぬ甘い音が零れる。
「ぎん」
「……んだよ」
口唇を離して、手を握る。舌の代わりに指先を絡めた。
「はやく、かえろう」
隠れ家に。もとの姿に。
「…だな」
この姿もわるくはなかったけれど。過ぎた時間は過ぎたままにしておこう。
あの時代(とき)を経て、そのあとの戦争(とき)を生きて、いまの自分たちはあるのだから。ときに辛くとも、いっそう苦しくとも、いまという時間をともに生きられる自分たちは、たぶん、きっと、しあわせなのだ。
歳を重ねた我が身に。愛しい彼(か)の身に。おたがいを映して。
帰ろう。ほんとうの、いまに。
了 2008.08.15.
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からだの若齢化に、こころまでもが子どもに返ったように、探検と称して丘の中腹から頂を越える。そこから反対側の裾野へと下った。こちら側からは江戸の町並みが、葛折りの道沿いの木々のあいまのところどころで見渡せる。
途中、巡回中らしい真選組の隊服姿を見かけてどきりとしたが、このなりでは指名手配犯と気づかれるはずもないのだと、銀時と桂は笑ってやり過ごす。裾野をぐるりと巡ったところで、陽が傾きはじめた。
「そろそろ戻るか」
童心に返ったとはいえ、夜の野山の怖さは身にしみて知っているから、ふたりはそろって、隠れ家への径を辿りはじめた。
と、その帰路に、木にぼんやりもたれて佇む人影がある。そこから煙草の煙が漂っていた。銀時が止めるまもなく、桂がつかつかとその人影にちかよる。
「こんなところで喫うな。野火にでもなったらどうする」
「ああ?」
振り向いた顔には、どこか見覚えがある気がした。黒の着流しに刀を佩いている姿もどこかで。
あ、と気がついた。が、それにしては若すぎる。髪も長い。だがしかし自分たちのなりを思い出して、まさかこいつもか、と思い至った。あとを追った銀時が、桂の背をつつく。振り向いた桂はきょとんとしている。銀時が耳打ちすると、桂は小さく頷いた。
「貴様もそう思うか」
あ、気づいてたのか。土方だと。
あいてのほうも、似たような感覚であったらしい。こども桂にどこかでみたようなと思っていたのが、あとから顔を見せた子どもの髪の色で確信に変わったようだった。
「…おめっ、万事屋か?」
銀時は反射的に一歩進み出て、桂を背にして土方に向き直った。
「おめーこそ。なんだその髪は。ポニーテールですか、このやろう」
「るせぇっ。総悟の野郎がおもしろがってくっつけたんだよ。エクスなんとかってやつを」
「エクステンションか」
「そう、それだ。よってたかって、ひとをおもちゃにしやがるから、やつらを巻いてここまで逃げてきたんだ」
ああ、それでか。こんなところに真選組の隊服がいたのは。銀時がそう得心していると、土方がちらりと銀時の背後に目をやる。
「まさかとおもったが…。てぇことは、やっぱ。桂、なのか?」
銀時がずいと横に踏み込んで、その視界から桂を隔てるようにうごいた。
「なんだよ。おたがいこんななりで、捕り物なんかしねぇよ」
「じろじろ、見んな」
土方が鼻白んだように銀時を見遣った。
「なんだ、そりゃあ。見るくらいいいだろうが」
なんかいやなのだった。自分の姿もだが、それよりも。桂の、この姿を土方に見られるのが。というか、ほかのやつらに見せるのが、いやなのだ。
いまとなっては銀時ともうひとりの幼なじみの記憶以外に、知るものとてないであろう幼い姿を。見せたくない。ほかのだれにも。とくにこいつには。
「おもかげ、あるよな」
土方の眸がやけにやさしくゆるむ。ガキのころから、美人だったんだ。
そう思っているであろう土方の、内心など銀時には手に取るようにわかるのだ。こいつも桂に惚れているから。
「てめぇはガキの時分から、白髪頭か」
うってかわって銀時を見る眸は、揶揄を含んでいる。いつもならありえない見下ろされる視線が気に障った。明らかに逆転した見てくれの年の差を、おもしろがってやがるな。真選組の連中に遊ばれた腹いせかよ。
「銀さんの銀髪は生まれついてのものなんだよ。てめぇの尾っぽとはわけが違わぁ」
「俺だってな、このころは自前で長かったんだよ」
「ははん。それを総一郞くんにヅラで再現させられたわけね」
「ヅラじゃない、桂だ」
とんちんかんな口を挟んだ桂が、土方を見あげた。
「ともかく、野道で煙草は止せ」
いくぶん高めのあどけない声が、だがふだんの桂の口調そのままに云うものだから、土方はとまどったような、面映ゆいような表情を見せた。
「…わかったよ」
そう応じる土方の声もやはりいくぶん若い。煙草を地面に捨てて草履の爪先で揉み消す。桂がそれをじっと見る。土方は溜息を吐いてその吸い殻を拾い上げると、おのれの袂のうちに落とした。
忌々しく思うのと同時に銀時に笑いが込み上げてくる。こいつ、ふだん桂のまえではこんなに素直なのか。
つと、桂がその土方の背後に回り込むや、その後ろ髪をちからまかせに引っ張った。
「ててっ。なにしやがる!」
不意打ちを食らって、からだを後ろに傾かせながら土方が顔を顰めた。
「ヅ…、エクステのくせに、大げさだな」
桂の要らぬ反応を引き起こさぬためにあえて云い直し、銀時も顔を顰める。じつは内心穏やかではない。
「地毛にじかに結びつけてんだよ、痛ぇに決まってるだろうが」
銀時と土方の会話など耳に入っていないのか、桂はまた、土方の背の尾っぽをこんどはそっと引っ張ってみる。
たまりかねた銀時が、土方の抗議よりさきに口を挟んだ。
「なにしてんだ。おめーはよぉ」
桂を睨めて、土方の髪に触れるその腕を取って引き剥がす。
「いったい、なんだってぇんだよっ。桂?」
土方も、髪の結び目、後頭部の付け髪のもとの部分をさすりながら睨んだ。
桂は悪びれない。
「いや。いつもこうして引っ張られてばかりだったのでな。どんな気分なものか、いちどやってみたかったのだ」
「はぁ?」
土方は気の抜けたような声を出した。銀時が焦ったように桂を見返る。
「銀時も晋助も、ひとの髪をなんだとおもっているのか、やたら触れたが…」
「だぁっ」
銀時は周章てて背後から羽交い締めするように桂の口を塞いだ。
なにを云いだすんだ、こいつは。よりにもよって、このやろうのまえで。
「ほおぉぉ、万事屋。てめぇ、んなことばっかしてやがったのか」
云って、土方がにやりと笑う。揶揄って笑うというには、いささか苦いものが含まれていることに、銀時も当の土方も気づいていない。
「いや、ちがうから。ヅラ、てめぇのそれと、あれとこれとは、まったく意味が違うから」
いささか狼狽して銀時が意味不明のことばを紡ぐ。
「おめぇがこいつの髪引っ張ったところで、俺たちの気分にはならねぇって」
なられてたまるか。
「ほお。どんな気で触ってたんだ、てめぇはよ」
こんどは明らかに苦い表情で土方は問うた。揶揄うつもりが、やけにむかついてくるのを抑えられないでいるような口調だった。
「どんな気分になったというのだ?」
そう、桂にまで問われ。
ぱっかん。
銀時は思いきりそのあたまを叩(はた)いていた。
「いたい」
頭頂部を押さえて、桂が銀時を睨める。
「なんだというのだ、銀時。貴様は」
「てめーがくだらねーことすっからだ、この莫迦ヅラ」
「くだらなくない。莫迦ヅラじゃない。桂だ」
「いいかげんにしやがれ、てめぇらはよっ」
土方が、桂の長い尾っぽ髪を引っ張り上げて逆襲にでた。
「「あ」」
その手はそのまま、その黒髪を撫で梳かすように弄ぶ。
「なにをする」
「なにしやがる!」
ふたり同時に声が上がった。
土方は手に取った髪の感触にどきりとしたように、思わずといった風情で、くってかかる銀時の顔を見下ろしてくる。それに気づいた銀時が、こどもの顔のまま、口の端で嗤う。うごきの止まってしまった土方の手を、桂の髪から払いのけた。
おもむろに桂の腕をつかんで、引っ括るようにして促す。
「ぉら、帰んぞ。ヅラ。日が暮れちまわぁ」
「おい。銀。わかったから、そう急くな。土方、煙草はいかんぞ」
そう念を押し、銀時に引っ立てられるように遠ざかっていく桂の姿を、土方は魂の抜けたような顔で見送っている。ずんずん遠ざかりながら、ちらりと横目でそれを確認した銀時は、内心溜息を吐いた。いっそ舌打ちしたい気分だ。
桂の髪の磁力は、じかに触れたものにしかわかるまい。紅桜の一件で似蔵が切り取ったその一房を舐めるように味わってみせたとき、桂のその身を陵辱されたに等しい憤りを感じた。あのとき似蔵は明らかに桂の髪に欲情していた。
あの髪はひとを蠱惑する。いちど触れればもういちど、この手に味わいたくなる。それを土方に、桂に焦がれているおとこに知らしめるなど、狐に油揚げを晒すようなものではないか。
それをこの莫迦は。
ぱっこん。
「いたっ」
思い出したようにまた殴られて、桂はつかまれたままだった銀時の腕を振り解いた。
「もう、さっきから、なんだ。なにを怒っているのだ」
「てめーが、あんまり莫迦だからだ」
「莫迦と云うほうが莫迦なのだぞ」
「莫迦と云うほうが莫迦なら、莫迦と云うほうが莫迦だと云うほうが莫迦だ」
「莫迦と云うほうが莫迦だと云うほうが莫迦なら…」
「ああもう、うぜぇっ」
自分から仕掛けた口喧嘩に自分のほうから音を上げて、銀時は桂の口を塞いだ。それは馴染んだ口唇より、たよりなく、いっそうやわらかで、その儚さに一瞬、銀時はたじろいだ。かといって離しがたく、そのまま食んでそっと舌先で歯列をなぞる。おのれの身も子どもに還っているから、いつもの、思うようには舌も絡められず、もどかしい。桂のほうもそれを感じたのか、ちいさいままの手指がぎゅっと銀時の単衣をつかんだ。
もどかしいまま、そのもどかしさに煽られて、しばらく口を吸い合って舌を絡めて。吐息とともに声ともつかぬ甘い音が零れる。
「ぎん」
「……んだよ」
口唇を離して、手を握る。舌の代わりに指先を絡めた。
「はやく、かえろう」
隠れ家に。もとの姿に。
「…だな」
この姿もわるくはなかったけれど。過ぎた時間は過ぎたままにしておこう。
あの時代(とき)を経て、そのあとの戦争(とき)を生きて、いまの自分たちはあるのだから。ときに辛くとも、いっそう苦しくとも、いまという時間をともに生きられる自分たちは、たぶん、きっと、しあわせなのだ。
歳を重ねた我が身に。愛しい彼(か)の身に。おたがいを映して。
帰ろう。ほんとうの、いまに。
了 2008.08.15.
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