「天涯の遊子」高桂篇。
高杉と桂。最後にちょろっと万斉。
動乱篇以降、竜宮篇よりまえ。
全3回。其の一。
後半にエロあり。R18相当。
連作時系列では、土桂『白皙』と連動&その後。『朧』のまえ。
高桂『水際』の流れを汲む。
二度とは得られないだろうと思われた日々は、ひょんなことから転がり込んできた。
江戸の町に単独行で忍び出たところを真選組に取り囲まれた。その川沿いの店(たな)から高杉を救い出したのは、桂が寵愛する白いものだった。
その折に挫いた脚と、まだまだ温むには早すぎた川で水浴びさせられて引き込んだ風邪とで、そのまま桂の隠れ処に居着くこと数日。ようよう熱も引き咳も収まってきて、痛めた足首の腫れも取れてくる。
そうなると床(とこ)にじっとしてはいられなくなって高杉は、そこそこ志士連中も寝泊まりできるような部屋数の、屋敷内や庭先をうろちょろしだした。
攘夷過激派の急先鋒である鬼兵隊の総督を、いまは穏健派となった攘夷の暁が匿っているというのは、その筋のものにとっては聞き捨てならないことで、噂は瞬く間に広まる。匿っているのではなく人質(しち)として、対過激派との交渉の材料にしているのだという話までもがまことしやかに飛び交った。
「うむ。その手があったか」
流言飛語に胸を痛める配下の志士たちに注進されるたび、桂はそう冗談めかすだけで取りあわない。そのことに気づいていた高杉は、密かに桂に耳打ちをした。
「いっそ嘘から出た誠にする、てなぁどうだ。ヅラ」
「ヅラじゃない、桂だ。また貴様は勝手に起き出して。治りかけが養生の大事だとなんども云ったろう」
広いだけが取り柄のくたびれた屋敷の奥の間を、療養ついでに居室と決め込んでしまった高杉に、そう小言を云って桂は、ぽん、と新しい包帯を巻き終えた足首を叩く。
「てっ」
高杉が顔を蹙めるのへ、それみたことかと桂が一瞥をくれた。
「資金繰りに困ってんなら、俺をダシにすりゃ、万斉あたりがさっさと都合を付けてくるだろうよ」
本気とも冗談ともつかぬ口調で云って口の端で笑う高杉に、桂は生真面目な顔で返してくる。
「困ってなどおらん」
「ならなんで、毎晩バイトに精出してんだ。てめーも白いのも、過激派の総督に見張りも付けず」
桂がじっと高杉をみた。ややあって小首を傾げる。
「なんだ。さびしかったのか」
「ばか云ってんじゃねぇ。なんでいまさら俺が」
「それならそう云え」
「だから、そうじゃねぇっつってんだろ」
なんだってこいつはこう、ひとの話を聞かないんだ。当たらずとも遠からずなのには気づかぬふりで、いらつきを抑えようと懐から愛用の煙管を取りだしてみたものの、肝心の刻み煙草も煙草盆もここにはなかったことを思い出し、手遊(てすさ)びにそれを弄ぶ。
「見張りなど置いても、貴様がなにごとかを仕掛ける気になったならしょせん意味を成さぬし、そうでないならそもそも見張る必要などないではないか」
結局貴様は、おのれのしたいようにするのだから。そう云いながら桂は煙管を取りあげ、なかば強引に高杉を再びふとんに押し込めた。
「それともなにか。おれが一日中張り付いて見張っていれば、貴様はもうどこにも行かぬとでも云うつもりか?」
「…それもわるかねぇ」
曖昧に高杉が頷くと、桂は苦笑して煙管を枕もとに置き、ふとんのへりを軽く抑えてから立ち上がる。
「出来もしないことを云うな」
優美ともいえる音のないしぐさで、次の間へと移った。
「そいつぁおたがいさまだろう」
閉じられる襖越しに、そう呟く。聞こえたのか聞こえなかったのか、部屋はそのまま薄闇に落ちた。
そうじゃねぇか。四六時中、桂が高杉の傍らに在ってくれることなど、ありえないのだから。
* * *
置き手紙で呼び出した桂を待つあいだ、その出逢い茶屋のひと間で三弦を爪弾く。真選組に踏み込まれたのはそのときだ。
それまでに高杉のほうでおのれの江戸潜伏の噂を虚実取り混ぜて流し、ことさらにちょっかいを掛けて挑発じみた真似を繰り返していたのだから、驚きはしなかったがいささかタイミングがわるかったことは否めない。なにもいまでなくていいものを、と内心でぼやいたが、なにを思ってか捕り手は土方ひとりきり。真選組の副長が桂に懸想しているらしいことはかまっ娘倶楽部での一件で察していたから、そのあたりをつついたら、問答無用で斬りかかられた。
なるほどこいつぁマジらしい。やれやれ、まったく恐れ入る。
高杉や銀時がいまだ、つかみかけてはつかみきれないでいる最強最悪の幼なじみは、おのれの磁場におとこを引き摺り込むことに掛けては右に出るものがないのではないか。
哀れだな。喉元に抜き身をあてられたまま、脳裡にそんなことばさえ浮かんだ。こいつの手には負えまい。さっさと引き返せばいい。引き返せるうちに。
刀を突きつけたところで、しょせんは一介の幕府の狗。天下に名だたる攘夷過激派の首魁をおいそれと、おのれの一存で殺せるわけもないのだ。
さて、どうするか。このまま捕縛されてやるのも一興だが、と考えるまもなく近づいてくるほんの幽かな気配を感じて、高杉は知らず口許に笑みを浮かべた。
来やがった。
待ち侘びたあいての訪ないに湧き上がったよろこびは、この危急の場を回避できる助太刀としてではなく、桂が高杉の置き手紙を無視できなかったことに対するそれだった。
いったんは逆に虜にした土方を桂の言を容れて渋々見逃し、さきに発った桂のあとを追うようにして隠れ処へと向かう。
夜陰にまぎれ、真選組の包囲網をくぐり抜けて高杉が帰り着いたとき、桂はこぢんまりとした奥の次の間で、ちいさく明かりを灯した文机をまえになにやら書きものをしていた。傍らにはつねのごとく白いものが控えている。
高杉が転がり込んで、はや数十日。見慣れた光景は、だがいつまで経とうが高杉の神経を逆撫でするものでしかない。この隠れ処は仲間の志士の出入りも多く、せっかくの桂との時間は思うにまかせぬままだった。
体調も快復し、それに辟易とした高杉が業を煮やしてした置き手紙に応じたくせに。狗に邪魔されて口接けひとつで桂を解放せざるを得ず、帰ってみればこうしてしれっとひとり日常に立ち返っている。
おもしろくない高杉は、黙ったまま廊下から入り端の障子に凭れて座り込んだ。
「もどったか」
振り返りもせず、筆を置いてようよう声を掛けてくる。とうに気づいていたろうに、無言で桂の背を見つめる高杉に、桂は一切の関心を払わなかった。
「戻ってこられちゃ迷惑だったか」
「迷惑だ」
云って桂は、したためた文を丸めて折り、檀紙にくるんで宛名を記す。
「と云えば帰るものでもあるまい。ではエリザベス、これを至急たのむ」
『かしこまりました』
白いものが、どこにあるかわからない膝立ちで進み出て、恭しくその書簡を受け取る。ついと立ち、座り込んだままの高杉に一瞥をくれて、座を辞した。
廊下を行くまるくのっぺりした白い後ろ姿を目の端で見送りながら、高杉は口を歪めた。
「なんでぇ。どっかへ密書か」
あいかわらず、ペットのくせに妙な働きをするやつだ。
「密書なら貴様のおるところでなど書かぬわ。だが親書なのでな。党首の名代で届けるには相応の立場のものでないと」
だからなんで、ペットが党首名代に相応の立場なんだよ。
「くくっ。なさけねぇなぁ。あんなものを頼みにするほど、おめぇの周りにゃ人材(ひと)がねぇのか」
「なにを云う。エリザベスは欠かすことのできぬ有能な人材だぞ」
「ありゃ、人材じゃねぇだろうよ」
「むろんだ。あれほど愛らしい生きものはない」
真顔でかみあわない会話を返してくるのはいつものことだ。白いもののことなぞどうでもいいのだ、俺は。
「で、俺のことでも知らせたか? 居座られて困っていると」
背に障子を立てきって、ゆっくりと高杉は立ち上がった。
「貴様がここにいると、外に漏らしてなんの益がある。貴様こそ、配下のものに連絡を付けたのだろうな。迎えはいつ来る」
桂はまた文机に向かい直り、筆と墨とをかたしはじめる。
「さぁてなぁ。万斉もいいかげん見限ってる頃合いじゃねぇか」
それを見下ろすかのように、高杉は桂の背後に立った。
「河上か。あの、三弦を背負ったさんぐらすのおとこ、あれはたしかに岡田や来島のように、貴様にただ心酔しているのとは少々ちがうようだが」
「ほぉ。てめぇもそう、見るかい」
手にした鞘から鍔のない本身をすらりと抜いて、鈍く光る刃(やいば)を桂の細い首筋にあてがう。
「隙だらけだぜ」
桂は微動だにしない。ぴんと伸ばした背のまま手先だけをうごかして硯箱に蓋をする。
「そんな殺気のない刀にまでいちいち反応していては身が持たぬ」
「殺気もなしにひとを殺れるやつも世の中にゃぁいる。気をつけるこったな」
黒目勝ちの双眸が、目線だけを斜め後ろの高杉に投げた。
「そこまでのひとでなしに出会ったことはまだないが。耳に留めておこう」
紅桜の一件であんな訣別をしても、高杉が真選組を巻き込んでした画策の真の狙いにもおおかた見当を付けているだろうに、それでも桂はまだ、こうして一対一で相対したなら高杉を受容するのをやめない。
「ヅラぁ」
「ヅラじゃない」
「このまま薙ぎ払ったら、やつぁどんな顔するんだろうな」
「やつ、とは」
問う視線だけが高杉を見る。
「決まってんだろう」
つぅっと刃先で白い肌を上下に撫でた。引いても押してもいないから切れることはないが、桂が少しでもうごいたなら容易く傷つくだろう。
「より、もどしたんだろう?」
再開後しばらくは、表向きはどうあれ、桂のほうが一線を引いていたことを高杉は知っている。
途を違えたという意味では、結句、銀時も高杉も同じなのだ。
相容れず対立したはずのおのれが桂への執着を断ち切れないでいるのだから、ただ腑抜けただけの銀時が桂を思い切れるわけがない。まして、桂の血を吸った紅桜を斃し、真選組の動乱にまでかかずらってきた銀時は、逃げ出した過去と向き合いはじめているように見える。二度と再び、桂を失うまいと。
続 2009.06.26.
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二度とは得られないだろうと思われた日々は、ひょんなことから転がり込んできた。
江戸の町に単独行で忍び出たところを真選組に取り囲まれた。その川沿いの店(たな)から高杉を救い出したのは、桂が寵愛する白いものだった。
その折に挫いた脚と、まだまだ温むには早すぎた川で水浴びさせられて引き込んだ風邪とで、そのまま桂の隠れ処に居着くこと数日。ようよう熱も引き咳も収まってきて、痛めた足首の腫れも取れてくる。
そうなると床(とこ)にじっとしてはいられなくなって高杉は、そこそこ志士連中も寝泊まりできるような部屋数の、屋敷内や庭先をうろちょろしだした。
攘夷過激派の急先鋒である鬼兵隊の総督を、いまは穏健派となった攘夷の暁が匿っているというのは、その筋のものにとっては聞き捨てならないことで、噂は瞬く間に広まる。匿っているのではなく人質(しち)として、対過激派との交渉の材料にしているのだという話までもがまことしやかに飛び交った。
「うむ。その手があったか」
流言飛語に胸を痛める配下の志士たちに注進されるたび、桂はそう冗談めかすだけで取りあわない。そのことに気づいていた高杉は、密かに桂に耳打ちをした。
「いっそ嘘から出た誠にする、てなぁどうだ。ヅラ」
「ヅラじゃない、桂だ。また貴様は勝手に起き出して。治りかけが養生の大事だとなんども云ったろう」
広いだけが取り柄のくたびれた屋敷の奥の間を、療養ついでに居室と決め込んでしまった高杉に、そう小言を云って桂は、ぽん、と新しい包帯を巻き終えた足首を叩く。
「てっ」
高杉が顔を蹙めるのへ、それみたことかと桂が一瞥をくれた。
「資金繰りに困ってんなら、俺をダシにすりゃ、万斉あたりがさっさと都合を付けてくるだろうよ」
本気とも冗談ともつかぬ口調で云って口の端で笑う高杉に、桂は生真面目な顔で返してくる。
「困ってなどおらん」
「ならなんで、毎晩バイトに精出してんだ。てめーも白いのも、過激派の総督に見張りも付けず」
桂がじっと高杉をみた。ややあって小首を傾げる。
「なんだ。さびしかったのか」
「ばか云ってんじゃねぇ。なんでいまさら俺が」
「それならそう云え」
「だから、そうじゃねぇっつってんだろ」
なんだってこいつはこう、ひとの話を聞かないんだ。当たらずとも遠からずなのには気づかぬふりで、いらつきを抑えようと懐から愛用の煙管を取りだしてみたものの、肝心の刻み煙草も煙草盆もここにはなかったことを思い出し、手遊(てすさ)びにそれを弄ぶ。
「見張りなど置いても、貴様がなにごとかを仕掛ける気になったならしょせん意味を成さぬし、そうでないならそもそも見張る必要などないではないか」
結局貴様は、おのれのしたいようにするのだから。そう云いながら桂は煙管を取りあげ、なかば強引に高杉を再びふとんに押し込めた。
「それともなにか。おれが一日中張り付いて見張っていれば、貴様はもうどこにも行かぬとでも云うつもりか?」
「…それもわるかねぇ」
曖昧に高杉が頷くと、桂は苦笑して煙管を枕もとに置き、ふとんのへりを軽く抑えてから立ち上がる。
「出来もしないことを云うな」
優美ともいえる音のないしぐさで、次の間へと移った。
「そいつぁおたがいさまだろう」
閉じられる襖越しに、そう呟く。聞こえたのか聞こえなかったのか、部屋はそのまま薄闇に落ちた。
そうじゃねぇか。四六時中、桂が高杉の傍らに在ってくれることなど、ありえないのだから。
* * *
置き手紙で呼び出した桂を待つあいだ、その出逢い茶屋のひと間で三弦を爪弾く。真選組に踏み込まれたのはそのときだ。
それまでに高杉のほうでおのれの江戸潜伏の噂を虚実取り混ぜて流し、ことさらにちょっかいを掛けて挑発じみた真似を繰り返していたのだから、驚きはしなかったがいささかタイミングがわるかったことは否めない。なにもいまでなくていいものを、と内心でぼやいたが、なにを思ってか捕り手は土方ひとりきり。真選組の副長が桂に懸想しているらしいことはかまっ娘倶楽部での一件で察していたから、そのあたりをつついたら、問答無用で斬りかかられた。
なるほどこいつぁマジらしい。やれやれ、まったく恐れ入る。
高杉や銀時がいまだ、つかみかけてはつかみきれないでいる最強最悪の幼なじみは、おのれの磁場におとこを引き摺り込むことに掛けては右に出るものがないのではないか。
哀れだな。喉元に抜き身をあてられたまま、脳裡にそんなことばさえ浮かんだ。こいつの手には負えまい。さっさと引き返せばいい。引き返せるうちに。
刀を突きつけたところで、しょせんは一介の幕府の狗。天下に名だたる攘夷過激派の首魁をおいそれと、おのれの一存で殺せるわけもないのだ。
さて、どうするか。このまま捕縛されてやるのも一興だが、と考えるまもなく近づいてくるほんの幽かな気配を感じて、高杉は知らず口許に笑みを浮かべた。
来やがった。
待ち侘びたあいての訪ないに湧き上がったよろこびは、この危急の場を回避できる助太刀としてではなく、桂が高杉の置き手紙を無視できなかったことに対するそれだった。
いったんは逆に虜にした土方を桂の言を容れて渋々見逃し、さきに発った桂のあとを追うようにして隠れ処へと向かう。
夜陰にまぎれ、真選組の包囲網をくぐり抜けて高杉が帰り着いたとき、桂はこぢんまりとした奥の次の間で、ちいさく明かりを灯した文机をまえになにやら書きものをしていた。傍らにはつねのごとく白いものが控えている。
高杉が転がり込んで、はや数十日。見慣れた光景は、だがいつまで経とうが高杉の神経を逆撫でするものでしかない。この隠れ処は仲間の志士の出入りも多く、せっかくの桂との時間は思うにまかせぬままだった。
体調も快復し、それに辟易とした高杉が業を煮やしてした置き手紙に応じたくせに。狗に邪魔されて口接けひとつで桂を解放せざるを得ず、帰ってみればこうしてしれっとひとり日常に立ち返っている。
おもしろくない高杉は、黙ったまま廊下から入り端の障子に凭れて座り込んだ。
「もどったか」
振り返りもせず、筆を置いてようよう声を掛けてくる。とうに気づいていたろうに、無言で桂の背を見つめる高杉に、桂は一切の関心を払わなかった。
「戻ってこられちゃ迷惑だったか」
「迷惑だ」
云って桂は、したためた文を丸めて折り、檀紙にくるんで宛名を記す。
「と云えば帰るものでもあるまい。ではエリザベス、これを至急たのむ」
『かしこまりました』
白いものが、どこにあるかわからない膝立ちで進み出て、恭しくその書簡を受け取る。ついと立ち、座り込んだままの高杉に一瞥をくれて、座を辞した。
廊下を行くまるくのっぺりした白い後ろ姿を目の端で見送りながら、高杉は口を歪めた。
「なんでぇ。どっかへ密書か」
あいかわらず、ペットのくせに妙な働きをするやつだ。
「密書なら貴様のおるところでなど書かぬわ。だが親書なのでな。党首の名代で届けるには相応の立場のものでないと」
だからなんで、ペットが党首名代に相応の立場なんだよ。
「くくっ。なさけねぇなぁ。あんなものを頼みにするほど、おめぇの周りにゃ人材(ひと)がねぇのか」
「なにを云う。エリザベスは欠かすことのできぬ有能な人材だぞ」
「ありゃ、人材じゃねぇだろうよ」
「むろんだ。あれほど愛らしい生きものはない」
真顔でかみあわない会話を返してくるのはいつものことだ。白いもののことなぞどうでもいいのだ、俺は。
「で、俺のことでも知らせたか? 居座られて困っていると」
背に障子を立てきって、ゆっくりと高杉は立ち上がった。
「貴様がここにいると、外に漏らしてなんの益がある。貴様こそ、配下のものに連絡を付けたのだろうな。迎えはいつ来る」
桂はまた文机に向かい直り、筆と墨とをかたしはじめる。
「さぁてなぁ。万斉もいいかげん見限ってる頃合いじゃねぇか」
それを見下ろすかのように、高杉は桂の背後に立った。
「河上か。あの、三弦を背負ったさんぐらすのおとこ、あれはたしかに岡田や来島のように、貴様にただ心酔しているのとは少々ちがうようだが」
「ほぉ。てめぇもそう、見るかい」
手にした鞘から鍔のない本身をすらりと抜いて、鈍く光る刃(やいば)を桂の細い首筋にあてがう。
「隙だらけだぜ」
桂は微動だにしない。ぴんと伸ばした背のまま手先だけをうごかして硯箱に蓋をする。
「そんな殺気のない刀にまでいちいち反応していては身が持たぬ」
「殺気もなしにひとを殺れるやつも世の中にゃぁいる。気をつけるこったな」
黒目勝ちの双眸が、目線だけを斜め後ろの高杉に投げた。
「そこまでのひとでなしに出会ったことはまだないが。耳に留めておこう」
紅桜の一件であんな訣別をしても、高杉が真選組を巻き込んでした画策の真の狙いにもおおかた見当を付けているだろうに、それでも桂はまだ、こうして一対一で相対したなら高杉を受容するのをやめない。
「ヅラぁ」
「ヅラじゃない」
「このまま薙ぎ払ったら、やつぁどんな顔するんだろうな」
「やつ、とは」
問う視線だけが高杉を見る。
「決まってんだろう」
つぅっと刃先で白い肌を上下に撫でた。引いても押してもいないから切れることはないが、桂が少しでもうごいたなら容易く傷つくだろう。
「より、もどしたんだろう?」
再開後しばらくは、表向きはどうあれ、桂のほうが一線を引いていたことを高杉は知っている。
途を違えたという意味では、結句、銀時も高杉も同じなのだ。
相容れず対立したはずのおのれが桂への執着を断ち切れないでいるのだから、ただ腑抜けただけの銀時が桂を思い切れるわけがない。まして、桂の血を吸った紅桜を斃し、真選組の動乱にまでかかずらってきた銀時は、逃げ出した過去と向き合いはじめているように見える。二度と再び、桂を失うまいと。
続 2009.06.26.
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