「天涯の遊子」高桂篇。全3回。其の二。
高杉と桂。
動乱篇以降、竜宮篇よりまえ。
R18。
桂はただ、見下ろす高杉の隻眼を変わらぬつよい眼差しで見つめてくる。こいつが応えないときは、それが応えで、応えるまでもないからだ。攘夷のための戦略でなら幾百幾千もの敵を平然と冷徹に瞞してみせるのに、こんなとき、口からでまかせのひとつも云えない。
「ふん」
高杉はちいさく嗤うと、硬質な音を残して刀を鞘に納めた。
「どう思うだろうなぁ。たたっ斬ると口を揃えたてめぇが、その対手を助けて匿って」
刀を脇に置いて膝をつき、背後から桂の肩に両の腕を回す。抱きよせるようにして、首筋を覆う豊かな黒髪に鼻先を埋(うず)めた。ああ、この匂いだ。
桂の指がその腕に掛かる。やんわりと外しに掛かるのを見越したように高杉は腕にちからを込め、
「寝取られて」
云うなり、桂の身をおのれの胸もとへと引き倒した。
「…っ」
背後からそのまま小袖の合わせに手を忍ばせる。高杉の膝のあいだに抱え込まれるかたちに体勢を崩された桂は、無遠慮に胸をまさぐりはじめた骨張った手を諫めるでもなく。いまも固く鍛錬されたそのくせしなやかな指がただ困惑したように高杉の派手な着流しの袂をつかんだ。
「高杉」
「抵抗しねぇのか」
拒否されたらされたで傷つくくせに、そんなことばが口を吐く。
「…わからぬ」
「なにが」
「おれの身など、いまさら抱いてもなにも状況は変わらんだろう」
そんなことは問題じゃない。なにかと引き換えたいんじゃない。
「あいかわらずの莫迦だな、てめぇは」
むかしもいまも、ただ高杉が桂を欲しいだけなのだということが、こいつにはたぶん一生わからないんだろう。
山科で過ごした日々は、なんだ。俺がただ、てめぇを慰めにしていただけだとでも思ってんのか。それともその逆か。
「もう、俺にされんのはいやか」
「それこそ、いまさらだ」
「あれが手のうちに戻ってきたら、もう俺は要らねぇか」
瞬間、桂は跳ねるようにして身を翻し、その勢いのまま高杉のあたまをしたたかに撲った。
「いてぇ」
拳固で殴るこたねぇだろう。云って顔を蹙めて睨める高杉に、桂は正面から睨み返すと、その鼻先をつまみ上げる。
「ほぉらっ。ひゃめろ、ふら」
「いつおれが、貴様を銀時の代わりにした。おまえは銀時じゃないし、銀時はおまえじゃない。そんなこともわからぬほどに、腐り果てたかそのあたまは」
いつもの能面だが、その双眸が真剣に怒っている。
ああ、変わらねぇ。むかしっから、癇癪を起こした高杉が理に反したことを云ったりしたりしたときに、だれより身近で真っ先に、叱ってきたのはこいつだった。ことに、自身や他者をわけもなく貶めるような発言を、桂は嫌った。
そうだろう。そうだよな。高杉に桂の代わりなどないように、桂にも高杉の代わりはないのだ。桂が銀時を赦すのも、高杉を受容しつづけるのも、等しく掛け替えがないからだ。
「だったら、抱かせろよ」
「いまそういう話をしているのではない」
「そういう話だろうがよ!」
抓まれた鼻をさすりながら、つい、むかしのようなむきな反応になる。
「まったく、きさまというやつは」
桂が呆れたように、溜息混じりに零す。
「いっぺん掬い上げたんだ。俺を見限れねぇなら、中途半端にすんじゃねぇ」
再び桂の胸ぐらを捉えて、背にした文机に押しつける。いきおい文机は畳を滑り、書院窓のある壁に当たって止まった。拍子に硯箱が跳ねて高い音を立てる。
「どんな理屈だ、それは」
桂はいつのまにか怒りの矛を収めて、どこかおもしろそうに高杉を見あげている。
「てめぇが蒔いたタネだろう」
紅桜のあと顔を合わせたかまっ娘倶楽部で、桂自らがそう口にしたのだ。
「だからおまえは嫌いだ」
おれが見限れないのをいいことに、わがまま勝手ばかりする。そうきっぱり付け足した口調は、けれどちっとも疎んじてはなくて。
「嫌いとか云うな。二度と聞きたくねぇんだよ」
あのひとことに傷ついた自分が情けなくて、ついまたやっぱり甘えがでる。桂は少し小首を傾げて、まるでいま気づいたかのように呟いた。
「おまえ、おれを好きなのだったな」
「…それこそ、いまさらじゃねぇか」
死ぬまで忘れねぇと、云ったろう。
死んでも、俺は、おまえを。
「桂さん、いかがなされましたか」
ものおとを聞きつけ、まだ隠れ処に居残っていた同士が障子越しに廊下から声を掛けてきた。
「ああ、大事ない。ちょっと文机にぶつけただけだ」
「さようですか。お気をつけてくださいよ。エリザベスさんもおられないのですし」
「うむ」
世話する側のエリザベスの世話になっている、という態の云い回しに気を悪くするでもなく、障子のこちら側で組み敷かれているという状況に焦るでもなく、桂は平然と言葉を返して部下をねぎらった。
「遅くまでご苦労。貴様も気をつけて帰れよ。狗がまだ界隈をうろついているだろうからな」
「心得ております」
おのれを気遣う党首のことばに神妙に頷いた声音には、隠しきれない歓びが滲んでいた。戦時に顕著になった桂の、上に立つものとしての求心力は、いささかも衰えていない。こいつはこうでなくちゃならねぇ。
そのことばひとつに、震えるほどの感動を覚える。それは危ういが、盟主には欠くことのできぬ天賦のひとつだ。
「さすがは攘夷の暁だなぁ、ヅラ。あんたが死ねと云えば死ぬんじゃねぇか」
気配が去っていくのを桂を組み伏せたまま見送って、高杉は、感嘆を揶揄する口調でくるんだ。文机にうちひろがった黒髪の中心に、浮かぶ白皙が顔を曇らせる。
「生きて帰れと云えば必ず生きて帰るなら、ああも多くを失いはしなかった」
思わぬ返答に高杉は苦笑した。
「そういう意味じゃねぇよ。あんたにならいのちを預けるっていう輩がいまも健在なのは目出度ぇことだろ」
蹙めた頬を緩ませるように、高杉の掌が桂のおもてをやわらかに撫でる。
「目出度くはない。攘夷を成すためにはありがたいと思うが」
下から高杉を見あげていた桂が、つ、と左目の包帯に触れてきた。
「貴様もだろう。貴様にも、預けられたいのちがいくつもあるだろう」
「…………」
「いまの貴様は、それすらも顧みず、死に急いでいるかのようだ」
憐憫ではない淡々と真実のみを告げる口調。真摯な黒い双眸が、高杉の心底を射抜いてくる。
「…死ぬ気はねぇよ。俺が死ぬときは、この腐った世界も道連れだ」
「それは、させぬ」
短く云い切った口許に、高杉はゆっくりとおのれの口唇を落とした。
灯りの落とされた文机に半身をあずけて組み敷かれた桂の、口唇をなんども繰り返し吸いあげる。間近のぼやけた視界のなかで、桂は瞼を伏せ眉根を寄せている。口唇をなぞりやわらかに食み、忍び込ませた舌で口腔を擽り舌を絡めて。根気よく、だが性的な欲望は隠しもせず、高杉はひたすらに接吻をつづけた。
派手な着流しの袖口から伸びた手で、桂の薄縹の袂から覗くたおやかな腕を遡る。内着のなかの二の腕をじかに擦られて、ふるりと震えた桂の熱が高杉の掌に伝わってきた。
「高杉」
ようやくわずかばかり解放された口唇が、まだとどまらせようとするかのように、長じてからの呼び名を刻む。
「そうじゃねぇだろ。桂」
はだけた胸もとに顔を埋(うず)めた高杉は、両の乳首をかわるがわる吸いながら、煽るように強請(ねだ)った。
「なぁ、小太郎」
しんすけ。と、まだ少し舌っ足らずな高い声で初めて呼ばれたとき、高杉の世界には、周囲の茫漠としたおとなたちのほかは、桂しかいなかった。やがて桂が通いはじめた私塾、あとを追うように入塾した高杉を、松陽先生もまた、そう呼んだ。高杉のいまをつくりあげた多くは松陽であり、桂であり、あまり認めたくはないが、そののち加わった銀時である。それはむろん裏を返せば、桂にも銀時にも云えることだったが。
「……ぁ」
高杉の舌と口唇が胸もとを彷徨うにつれ、桂の息が浅く早くなる。袂から忍ばせた掌が脇腹を掠めたとき、朱唇から甘く濡れた囁きが零れた。
「晋…助」
無意識で呼ぶこともあるくせに、こんなときばかり意地の張り合い。けれどようやく折れた桂がその名を紡いだとたん、高杉のなかで懸命に先送りに延ばしていた熱の塊が、抑えようもなく膨らんで脊髄を駆けのぼった。
「こたろう」
ちいさく呻いて高杉は、弛んだ桂の小袖の裾をわり、うってかわった性急さで、下穿きに隠されていたたしかな兆しを口にふくんだ。
おのれの腰に一心に顔を埋める高杉の髪を、桂のしなやかな指があやすように撫でてくる。
晋助。そう吐息のように名を呼んで、高杉の身幅に開かれた膝を立て、その両脇と頬とを挟み込むように摩った。煽られて高杉は、さらに激しく舐め舐り吸い扱く。
「っあぁ」
舌先をとろりとした苦みが刺し、ついで解き放たれた熱が高杉の口腔を満たした。なかばを飲み下し、なかばを掌に吐き出して、その手で弾む息を整える桂の背後を探り、まず指先が窄みに這入り込む。
しんすけ。幽かに甘く掠れた声が耳を打つ。高杉は忍ばせた手指で桂の奥を穿ちながら、ふたたびその胸の紅く染まった尖りに口唇を寄せた。
「しん…ぁ」
桂はきつく目を閉じて、迫り上がる快楽に堪えるように身を捩る。しどけなくはだけた前身頃をかろうじて纏った、薄い胸がせつない吐息とともに上下する。二の腕まで捲れた袖から空(くう)を掻くように伸ばされた白い腕が、高杉の頸を抱き込むように円を描いた。
「こたろ」
そのしぐさに誘(いざな)われるままに、口唇は胸もとから鎖骨の窪みを辿り肩口に首筋にいくつも朱痕を記しながら、耳朶の付け根をつよく吸う。繊細な顎の稜線を辿り、ちいさく開かれたままの口唇を啄んでは、対の耳朶まで至ってまたつよく食む。乱れて脈打つ頸動脈を甘噛みして肩先から脇腹に下り、しっとりと淡く色づいた雪肌のそこかしこに、高杉の口唇が触れた証を残してゆく。
桂はもうその愛撫に身を委ねていて、時折、そうしてほしいところへ高杉を誘掖するだけだ。それを汲みとりながら、そのうえをゆく愉悦をあたえようと試みる。それがうまく叶ったとき、桂は初めて我を忘れた声で啼くのだ。
きっとおのれを抱くおとこの数だけ、こんなとき桂の見せる顔はあって、そのどれもがちがっているのだろう。
だから高杉にあたえられる桂の、声も表情も上気した肌の色も、それは高杉だけのものだった。ほかのだれかがあたえる快楽に酔う桂など、興味はない。高杉が欲しいのは、この身のみが桂に及ぼす反応だ。おのれだけが呼び起こせる桂の姿だ。
かたん、と文机がまた音を立てる。硯箱がいまにも畳に落ちそうになるのを目の端で捉えた。桂の気が一瞬そちらに削がれて、高杉は片手で奥を穿ったまま、桂の身をもう片手で抱くようにして床畳に滑らせた。
「んぁあっ」
その衝撃を穿たれた奥にじかに感じてか、桂がこれまでになく色めいた声を立てた。ずん、と高杉の身の中枢にそれは響いて、うねるような灼熱が臨界点を告げてくる。穿っていた指を引き抜いて、高杉はその塊が弾けて溶け出すまえに、桂のなかに深く埋め込んだ。
続 2009.06.27.
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桂はただ、見下ろす高杉の隻眼を変わらぬつよい眼差しで見つめてくる。こいつが応えないときは、それが応えで、応えるまでもないからだ。攘夷のための戦略でなら幾百幾千もの敵を平然と冷徹に瞞してみせるのに、こんなとき、口からでまかせのひとつも云えない。
「ふん」
高杉はちいさく嗤うと、硬質な音を残して刀を鞘に納めた。
「どう思うだろうなぁ。たたっ斬ると口を揃えたてめぇが、その対手を助けて匿って」
刀を脇に置いて膝をつき、背後から桂の肩に両の腕を回す。抱きよせるようにして、首筋を覆う豊かな黒髪に鼻先を埋(うず)めた。ああ、この匂いだ。
桂の指がその腕に掛かる。やんわりと外しに掛かるのを見越したように高杉は腕にちからを込め、
「寝取られて」
云うなり、桂の身をおのれの胸もとへと引き倒した。
「…っ」
背後からそのまま小袖の合わせに手を忍ばせる。高杉の膝のあいだに抱え込まれるかたちに体勢を崩された桂は、無遠慮に胸をまさぐりはじめた骨張った手を諫めるでもなく。いまも固く鍛錬されたそのくせしなやかな指がただ困惑したように高杉の派手な着流しの袂をつかんだ。
「高杉」
「抵抗しねぇのか」
拒否されたらされたで傷つくくせに、そんなことばが口を吐く。
「…わからぬ」
「なにが」
「おれの身など、いまさら抱いてもなにも状況は変わらんだろう」
そんなことは問題じゃない。なにかと引き換えたいんじゃない。
「あいかわらずの莫迦だな、てめぇは」
むかしもいまも、ただ高杉が桂を欲しいだけなのだということが、こいつにはたぶん一生わからないんだろう。
山科で過ごした日々は、なんだ。俺がただ、てめぇを慰めにしていただけだとでも思ってんのか。それともその逆か。
「もう、俺にされんのはいやか」
「それこそ、いまさらだ」
「あれが手のうちに戻ってきたら、もう俺は要らねぇか」
瞬間、桂は跳ねるようにして身を翻し、その勢いのまま高杉のあたまをしたたかに撲った。
「いてぇ」
拳固で殴るこたねぇだろう。云って顔を蹙めて睨める高杉に、桂は正面から睨み返すと、その鼻先をつまみ上げる。
「ほぉらっ。ひゃめろ、ふら」
「いつおれが、貴様を銀時の代わりにした。おまえは銀時じゃないし、銀時はおまえじゃない。そんなこともわからぬほどに、腐り果てたかそのあたまは」
いつもの能面だが、その双眸が真剣に怒っている。
ああ、変わらねぇ。むかしっから、癇癪を起こした高杉が理に反したことを云ったりしたりしたときに、だれより身近で真っ先に、叱ってきたのはこいつだった。ことに、自身や他者をわけもなく貶めるような発言を、桂は嫌った。
そうだろう。そうだよな。高杉に桂の代わりなどないように、桂にも高杉の代わりはないのだ。桂が銀時を赦すのも、高杉を受容しつづけるのも、等しく掛け替えがないからだ。
「だったら、抱かせろよ」
「いまそういう話をしているのではない」
「そういう話だろうがよ!」
抓まれた鼻をさすりながら、つい、むかしのようなむきな反応になる。
「まったく、きさまというやつは」
桂が呆れたように、溜息混じりに零す。
「いっぺん掬い上げたんだ。俺を見限れねぇなら、中途半端にすんじゃねぇ」
再び桂の胸ぐらを捉えて、背にした文机に押しつける。いきおい文机は畳を滑り、書院窓のある壁に当たって止まった。拍子に硯箱が跳ねて高い音を立てる。
「どんな理屈だ、それは」
桂はいつのまにか怒りの矛を収めて、どこかおもしろそうに高杉を見あげている。
「てめぇが蒔いたタネだろう」
紅桜のあと顔を合わせたかまっ娘倶楽部で、桂自らがそう口にしたのだ。
「だからおまえは嫌いだ」
おれが見限れないのをいいことに、わがまま勝手ばかりする。そうきっぱり付け足した口調は、けれどちっとも疎んじてはなくて。
「嫌いとか云うな。二度と聞きたくねぇんだよ」
あのひとことに傷ついた自分が情けなくて、ついまたやっぱり甘えがでる。桂は少し小首を傾げて、まるでいま気づいたかのように呟いた。
「おまえ、おれを好きなのだったな」
「…それこそ、いまさらじゃねぇか」
死ぬまで忘れねぇと、云ったろう。
死んでも、俺は、おまえを。
「桂さん、いかがなされましたか」
ものおとを聞きつけ、まだ隠れ処に居残っていた同士が障子越しに廊下から声を掛けてきた。
「ああ、大事ない。ちょっと文机にぶつけただけだ」
「さようですか。お気をつけてくださいよ。エリザベスさんもおられないのですし」
「うむ」
世話する側のエリザベスの世話になっている、という態の云い回しに気を悪くするでもなく、障子のこちら側で組み敷かれているという状況に焦るでもなく、桂は平然と言葉を返して部下をねぎらった。
「遅くまでご苦労。貴様も気をつけて帰れよ。狗がまだ界隈をうろついているだろうからな」
「心得ております」
おのれを気遣う党首のことばに神妙に頷いた声音には、隠しきれない歓びが滲んでいた。戦時に顕著になった桂の、上に立つものとしての求心力は、いささかも衰えていない。こいつはこうでなくちゃならねぇ。
そのことばひとつに、震えるほどの感動を覚える。それは危ういが、盟主には欠くことのできぬ天賦のひとつだ。
「さすがは攘夷の暁だなぁ、ヅラ。あんたが死ねと云えば死ぬんじゃねぇか」
気配が去っていくのを桂を組み伏せたまま見送って、高杉は、感嘆を揶揄する口調でくるんだ。文机にうちひろがった黒髪の中心に、浮かぶ白皙が顔を曇らせる。
「生きて帰れと云えば必ず生きて帰るなら、ああも多くを失いはしなかった」
思わぬ返答に高杉は苦笑した。
「そういう意味じゃねぇよ。あんたにならいのちを預けるっていう輩がいまも健在なのは目出度ぇことだろ」
蹙めた頬を緩ませるように、高杉の掌が桂のおもてをやわらかに撫でる。
「目出度くはない。攘夷を成すためにはありがたいと思うが」
下から高杉を見あげていた桂が、つ、と左目の包帯に触れてきた。
「貴様もだろう。貴様にも、預けられたいのちがいくつもあるだろう」
「…………」
「いまの貴様は、それすらも顧みず、死に急いでいるかのようだ」
憐憫ではない淡々と真実のみを告げる口調。真摯な黒い双眸が、高杉の心底を射抜いてくる。
「…死ぬ気はねぇよ。俺が死ぬときは、この腐った世界も道連れだ」
「それは、させぬ」
短く云い切った口許に、高杉はゆっくりとおのれの口唇を落とした。
灯りの落とされた文机に半身をあずけて組み敷かれた桂の、口唇をなんども繰り返し吸いあげる。間近のぼやけた視界のなかで、桂は瞼を伏せ眉根を寄せている。口唇をなぞりやわらかに食み、忍び込ませた舌で口腔を擽り舌を絡めて。根気よく、だが性的な欲望は隠しもせず、高杉はひたすらに接吻をつづけた。
派手な着流しの袖口から伸びた手で、桂の薄縹の袂から覗くたおやかな腕を遡る。内着のなかの二の腕をじかに擦られて、ふるりと震えた桂の熱が高杉の掌に伝わってきた。
「高杉」
ようやくわずかばかり解放された口唇が、まだとどまらせようとするかのように、長じてからの呼び名を刻む。
「そうじゃねぇだろ。桂」
はだけた胸もとに顔を埋(うず)めた高杉は、両の乳首をかわるがわる吸いながら、煽るように強請(ねだ)った。
「なぁ、小太郎」
しんすけ。と、まだ少し舌っ足らずな高い声で初めて呼ばれたとき、高杉の世界には、周囲の茫漠としたおとなたちのほかは、桂しかいなかった。やがて桂が通いはじめた私塾、あとを追うように入塾した高杉を、松陽先生もまた、そう呼んだ。高杉のいまをつくりあげた多くは松陽であり、桂であり、あまり認めたくはないが、そののち加わった銀時である。それはむろん裏を返せば、桂にも銀時にも云えることだったが。
「……ぁ」
高杉の舌と口唇が胸もとを彷徨うにつれ、桂の息が浅く早くなる。袂から忍ばせた掌が脇腹を掠めたとき、朱唇から甘く濡れた囁きが零れた。
「晋…助」
無意識で呼ぶこともあるくせに、こんなときばかり意地の張り合い。けれどようやく折れた桂がその名を紡いだとたん、高杉のなかで懸命に先送りに延ばしていた熱の塊が、抑えようもなく膨らんで脊髄を駆けのぼった。
「こたろう」
ちいさく呻いて高杉は、弛んだ桂の小袖の裾をわり、うってかわった性急さで、下穿きに隠されていたたしかな兆しを口にふくんだ。
おのれの腰に一心に顔を埋める高杉の髪を、桂のしなやかな指があやすように撫でてくる。
晋助。そう吐息のように名を呼んで、高杉の身幅に開かれた膝を立て、その両脇と頬とを挟み込むように摩った。煽られて高杉は、さらに激しく舐め舐り吸い扱く。
「っあぁ」
舌先をとろりとした苦みが刺し、ついで解き放たれた熱が高杉の口腔を満たした。なかばを飲み下し、なかばを掌に吐き出して、その手で弾む息を整える桂の背後を探り、まず指先が窄みに這入り込む。
しんすけ。幽かに甘く掠れた声が耳を打つ。高杉は忍ばせた手指で桂の奥を穿ちながら、ふたたびその胸の紅く染まった尖りに口唇を寄せた。
「しん…ぁ」
桂はきつく目を閉じて、迫り上がる快楽に堪えるように身を捩る。しどけなくはだけた前身頃をかろうじて纏った、薄い胸がせつない吐息とともに上下する。二の腕まで捲れた袖から空(くう)を掻くように伸ばされた白い腕が、高杉の頸を抱き込むように円を描いた。
「こたろ」
そのしぐさに誘(いざな)われるままに、口唇は胸もとから鎖骨の窪みを辿り肩口に首筋にいくつも朱痕を記しながら、耳朶の付け根をつよく吸う。繊細な顎の稜線を辿り、ちいさく開かれたままの口唇を啄んでは、対の耳朶まで至ってまたつよく食む。乱れて脈打つ頸動脈を甘噛みして肩先から脇腹に下り、しっとりと淡く色づいた雪肌のそこかしこに、高杉の口唇が触れた証を残してゆく。
桂はもうその愛撫に身を委ねていて、時折、そうしてほしいところへ高杉を誘掖するだけだ。それを汲みとりながら、そのうえをゆく愉悦をあたえようと試みる。それがうまく叶ったとき、桂は初めて我を忘れた声で啼くのだ。
きっとおのれを抱くおとこの数だけ、こんなとき桂の見せる顔はあって、そのどれもがちがっているのだろう。
だから高杉にあたえられる桂の、声も表情も上気した肌の色も、それは高杉だけのものだった。ほかのだれかがあたえる快楽に酔う桂など、興味はない。高杉が欲しいのは、この身のみが桂に及ぼす反応だ。おのれだけが呼び起こせる桂の姿だ。
かたん、と文机がまた音を立てる。硯箱がいまにも畳に落ちそうになるのを目の端で捉えた。桂の気が一瞬そちらに削がれて、高杉は片手で奥を穿ったまま、桂の身をもう片手で抱くようにして床畳に滑らせた。
「んぁあっ」
その衝撃を穿たれた奥にじかに感じてか、桂がこれまでになく色めいた声を立てた。ずん、と高杉の身の中枢にそれは響いて、うねるような灼熱が臨界点を告げてくる。穿っていた指を引き抜いて、高杉はその塊が弾けて溶け出すまえに、桂のなかに深く埋め込んだ。
続 2009.06.27.
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