「天涯の遊子」高桂篇。其の三。終話。
高杉と桂。と、万斉。
動乱篇以降、竜宮篇よりまえ。
R18。
解けた帯が畳に綾を描き、もう両腕に掛かっただけの小袖は、濡れて艶めく肌を際立たせる彩りに過ぎず。そこに揺蕩うか細い裸身の、擡げられた両の脚の狭間で、諸肌脱いだ背にいくつもの疵痕を覗かせて、腰にだけ派手な色彩をまとわりつかせた身が揺れる。
隻眼の包帯を湿らせ、したたり落ちた汗の雫が、眼下にうちひろがった漆黒の波間に吸い込まれる。その中心で仄かな桜に染まった肌にも、雫は珠となって浮かんでは伝い落ちた。
ふと思いついたように高杉は、その雫を舌先で舐め取ってみる。その感触に桂が幽かに瞼を上げた。
「しんすけ…?」
甘く掠れて、高杉の耳にようやく届くだけの声。掬い取った雫もまた甘露に思えるほどあたまの芯は痺れていて、高杉はまた、伝う雫を堰き止める鎖骨の窪みを舐めた。そのまま薄く緩やかなまろみに沿って降り、もうぷくりと熟して爆ぜそうなふたつの突起を舌で押し潰すように転がしてみる。繰り返し吸われ弄られれば官能も敏く深くなるから、桂は反射的に腰を浮かせた。
「ぅふ…ぁぁ。ああっ」
すかさずそこを突き上げると、高杉の背に回されていた桂の腕が知らず縋るように引き絞られて、長い指が爪を立てる。
し…んすけ。しんすけ。
高杉が退いてはまた押し寄せるたび、桂の口唇がそうかたち取られる。耽楽に湿った肌は馨しく匂い立ち、高杉を陶然とさせる。意味もなく繰り返し紡がれる名と、きゅうと締めつけてくる桂の腕と内奥とに駆り立てられて、高杉はひときわ深く抉るように打ちつけていた。
刹那の刻が来る。
桂の背が撓り、喉を引きつらせた喘ぎが空気を震わせ高く響く。高杉はひさかたぶりの熱情を桂の身のうちへと吐き出し、桂のそれを自身も浴びて、ともに至極をふたりひとつに分かち合うのだ。
ゆっくり退いて身を起こす。そのうごきにつれて、注ぎ込まれた熱の濡れた感触が桂のなかから溢れ、秘めやかな肌を伝い流れた。
くったりと畳に身を投げだしたまま、桂は目を閉じている。たがいの乱れた呼吸がしだいに整っていくのを耳に感じながら、高杉は桂の内腿を伝うおのれの残滓を、指で掬った。桂がぴくりと身を跳ねさせる。
「ぅ…ん。しんすけ」
咎める声は艶っぽくて却って高杉の興を誘った。ひぅと桂が息を呑む。高杉の指が濡れたその一条を遡って、ふたたび這入り込んできたからだ。
「しん…止せ」
まだ熱の去らぬ身に仕掛けられた悪戯に、否応なしに起こる震えを抑えながら、桂が高杉の肩をつかんだ。もう片腕を桂の脇の畳に付いて、上から覗き込むように眺める。濡れた襞の奥はさらにやわらかく溶けていて、高杉の手指を容易く呑み込んでいく。指先でそこを遊びながら、いやがる桂に口接けた。
「…っ、晋っ」
桃花に染まる眦で睨む目つきは、ことさらに艶をふくんで。高杉の、まだ燃え残って燻る火種をあっという間に火柱に変える。
「足りねぇよ。いつぶりだと思ってやがる」
「がっつく歳では…ないだろう」
弾みかける息を、怺えて桂が抗議する。それでも撥ね除けられたりしないから、これはゆるされているのだ。
「関係ねぇなぁ。あんたのまえじゃ俺はいつだって手の掛かる童(わっぱ)なんだろう?」
口の端で笑って揶揄う。
「童がこんな、真似をするか。っう…ぅ」
く、ぁ。ああ。
とろけた内奥を執拗に愛撫する高杉の手指は容赦なく、堪えきれずに洩れた喘ぎが桂の口唇を震わせた。
「し…んすけ」
立てて割られた膝のあいだに潜り込ませた腕の、そのさき。蹂躙するうごきに連れて、身にわずかにまとわりつくばかりの小袖が揺れて波立つ。顔を背けて耐えていながら、足袋跣の爪先が誘うように畳を擦った。
「こたろ…」
強引なまでに重ねて灯された、つづけざまの情火に身を灼く桂は、その口唇で天上の楽を奏で、舞う腕が高杉の顔を捉えた。
「も、う。いいかげんに…し、ろ」
「ん…とろとろ」
「…っ。しんっ」
「つぅ」
桂の堪えて震える長い指が、片側の眼(まなこ)を覆う弛んだ包帯に掛かって引きつり、高杉が顔を歪ませる。だが口許の笑みは消えない。
「あぁ…わかったって…」
その桂の指先に引き寄せられるまま、なめらかな頬に頬を寄せる。しっとりと汗ばんだ感触と匂いの心地よさに、さらに熱を持ったおのれが疼いた。
「とどめはちゃんと刺してやる」
口接けながら、口唇で口唇にじかにそう告げてやる。熱に潤んだ漆黒の双眸が、暗緑色の隻眼を捉えて一瞬たりとも放さない。放せない。
弛み垂れ下がった包帯が邪魔で、自ら剥ぎ取ってうち捨てる。すぅっと桂の手が伸びて、はらりと落ちた前髪の奥の、空ろな眼窩をやさしく撫でた。そのまま誘(いざな)われ、明くことのない左の瞼に啄むような接吻を受ける。
この傷を負った戦時から、桂がごく稀に見せるこの行為を、高杉は好きだった。おのれが桂にだけゆるし、桂にだけゆるされた、約束事のようで。
下肢の奥深くに根もとまでふくませていた手指を解いて、桂の身を返し、ふたたびおのれのものをあてがう。高杉自らの欲の証(しる)しにたすけられ、侵入はより滑らかでより密接に果たされた。
「こたろ…ぉ」
腰を掲げ快楽に反る背に胸を合わせて、耳朶に直接その名を注(つ)ぐ。桂はせつなく浅い息を繰り返し、高杉の刻む律動をときに逸らし、深く迎え入れ、さらに重ねて、その身を揺らしつづけた。
背から滑り、肩や脇へ腕にと流れた黒髪が、生きもののように雪肌を舐めて蠢く。その背にもいくつもの朱痕を刻みながら、高杉が口接ける。
両の腕で懸命におのが身を支える桂に腕を回し、ちいさな尖りを指の間に挟み込むようにして、かたちが変わるほどに薄い胸を揉みしだく。
引き締まった肌の稜線を辿り、下腹の翳りに掌を這わせてさすり、おのれと同様に昂ぶっているのをたしかめて、五本の指を絡めた。
そのあいだにも濡れてつながる深部を捏ねて、攻めることを休めない。
喘ぐ声が艶めいて狂おしさを増し、黒髪がいっそう乱れて雪肌を這い回る。緩急を付け腰を抜き差しする高杉の激しさを、受け止めてはいなし、いなしては煽り立て、桂の背が撓む。珠と散る汗に、そこだけが薄闇に浮かびあがるかの光を放つ。
こんなふうに、抱くあいだの桂をつぶさに見られるようになったことに、少しだけ寂寞を覚えた。けれどそんなよゆうはすぐにも剥がれて、桂は高杉を絡めとったその深奥で彩に翻弄しはじめる。甘く激しくゆるやかに。それは高杉のからだが覚えているよりも、さらに、さらに。さらに。
溶け合えるのは、これしかないと。きっとたがいに知っている。
淫らに濡れた音も声も喘ぎも呻きも、もうどちらがどちらとも付かず。肉の境目さえ曖昧になってゆく。
山科のころとも桂が江戸へ出たばかりのころとも、ちがう感慨と快感をもたらすのは、いまおたがいが立つ場所を違えてしまったがゆえか。
過去に囚われ絶望の淵に沈んで破壊を繰り返すおのれが。会うことも触れることも、もう二度とない、つぎのあろうはずもない、そう思いながらも絶つことのかなわなかった、高杉の潜在する本願が。いまこのときを境にどちらへと転がりゆくのか、もう高杉自身にもわからなかった。
抱く桂の身はけして、高杉のものにはなりえない。それなのに、それだからか、この執着は消せない。消えることがない。
松陽の死がもたらした修復されることのない怒りと嘆きと憎しみにあって、この執着だけが光であり闇なのだ。
囚われのこの身の希む、それは、生か死か。
愉楽の波にもまれながら高まる、止め処ない欲情が、弾けて迸る。かさなりつながったまま力尽きて倒れ込む、たがいの身の熱を混ぜて分け合う、ふたたびのその忘我の刻の狭間で。
高杉は漠としてそう思い至った。
* * *
指定の場所へ高杉の迎えに出向いてきた河上は、初めて至近に桂を目にして首を傾げた。
「はて。どこかでお目に掛かったでござろうか」
「紅桜の折。あの船上で、こちらを見下ろしていただろう」
エリザベスを従えて、笠に袈裟を纏った僧衣の桂が、錫杖を鳴らす。
江戸八百八町のはずれ、鬱蒼とした鎮守の杜ばかりが残る昼日中の無人寺には、ほかに人影もない。
「いや、そうではなく。もっと間近に、でござる。その魂の音色に聞き覚えがあるような」
「気のせいだろう。さもなくば耳鼻科に行くことをお勧めするぞ。先般、銀時が世話になったようだな」
白夜叉のせいで乗っていたヘリごと地面に叩き落とされ、突き指という名の全身打撲を負った河上は、いささか鼻白んだ。
ヅラ子姿でかまっ娘倶楽部で会っているのを、桂はしれっとして受け流している。こういう嘘なら平然とつけるのだと、高杉には少しおかしく愛おしい。
先日来の噂を聞きつけた鬼兵隊から桂のもとへ交渉の申し出があり、幾度か親書のやりとりをしてのちに、高杉からはなんの連絡も入れていなかったことが露見して、高杉は桂に小言をくらった。
おのれの身を案じてくれるものがいるのに、徒に心配を掛けるなと。
ふん。銀時や坂本あたりが聞いたなら、まんま桂に打ち返すだろう、そのことば。
来島が半べそをかいて迎えるだろう、と云ったのは河上だ。
鬱陶しくはあるが、これもまたひとつの縁(えにし)か。過去の幸福とは比べるべくもなく。けれどもまあ、わるくもない。
桂は高杉を引き渡すのに、条件を付けなかった。
これを甘さと見るか、のちの日に反る恐ろしさと踏むかは、判断の問われるところだ。
「じゃあな、ヅラ」
「ヅラじゃない、桂だ」
「この恩義にはいつかべつのかたちで報いよう。あらためてまた御礼に伺うでござるよ」
無事滞りなく引き渡しをすませて桂は、白いものを従えて、来た径をひとり帰って行く。笠の下、長い黒髪を靡かせるまっすぐに伸びた背中が、振り返ることはない。
その姿をしばしじっと目にとどめ、高杉はくるりと背を向け、歩み出す。それに半歩後れて付き従った河上が、ひとりごちた。
「…変わった音色の御仁でござる。拍子は狂いはちゃめちゃなようで、どこか一条の流れのような音韻を刻んでいる。曲調は清かで明確なのに終止符が見えぬとは」
それでもこの音色は、たしかにどこかで。
ぶつぶつとそう繰り返すのを、高杉は煙管を銜えた口の端を笑みのかたちに歪めて、背中に聞いていた。
訝しんではいても、まだ女装の桂と結びついてはいないと見える。
おとこでも美人は口説くと云っていたから、あいてが桂と知れたとき、どう出るのかが見ものだな。
それを当座の余興と決め置いて。
高杉はその日、鬼兵隊の船艦(ふね)へと帰った。
了 2009.06.30.
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解けた帯が畳に綾を描き、もう両腕に掛かっただけの小袖は、濡れて艶めく肌を際立たせる彩りに過ぎず。そこに揺蕩うか細い裸身の、擡げられた両の脚の狭間で、諸肌脱いだ背にいくつもの疵痕を覗かせて、腰にだけ派手な色彩をまとわりつかせた身が揺れる。
隻眼の包帯を湿らせ、したたり落ちた汗の雫が、眼下にうちひろがった漆黒の波間に吸い込まれる。その中心で仄かな桜に染まった肌にも、雫は珠となって浮かんでは伝い落ちた。
ふと思いついたように高杉は、その雫を舌先で舐め取ってみる。その感触に桂が幽かに瞼を上げた。
「しんすけ…?」
甘く掠れて、高杉の耳にようやく届くだけの声。掬い取った雫もまた甘露に思えるほどあたまの芯は痺れていて、高杉はまた、伝う雫を堰き止める鎖骨の窪みを舐めた。そのまま薄く緩やかなまろみに沿って降り、もうぷくりと熟して爆ぜそうなふたつの突起を舌で押し潰すように転がしてみる。繰り返し吸われ弄られれば官能も敏く深くなるから、桂は反射的に腰を浮かせた。
「ぅふ…ぁぁ。ああっ」
すかさずそこを突き上げると、高杉の背に回されていた桂の腕が知らず縋るように引き絞られて、長い指が爪を立てる。
し…んすけ。しんすけ。
高杉が退いてはまた押し寄せるたび、桂の口唇がそうかたち取られる。耽楽に湿った肌は馨しく匂い立ち、高杉を陶然とさせる。意味もなく繰り返し紡がれる名と、きゅうと締めつけてくる桂の腕と内奥とに駆り立てられて、高杉はひときわ深く抉るように打ちつけていた。
刹那の刻が来る。
桂の背が撓り、喉を引きつらせた喘ぎが空気を震わせ高く響く。高杉はひさかたぶりの熱情を桂の身のうちへと吐き出し、桂のそれを自身も浴びて、ともに至極をふたりひとつに分かち合うのだ。
ゆっくり退いて身を起こす。そのうごきにつれて、注ぎ込まれた熱の濡れた感触が桂のなかから溢れ、秘めやかな肌を伝い流れた。
くったりと畳に身を投げだしたまま、桂は目を閉じている。たがいの乱れた呼吸がしだいに整っていくのを耳に感じながら、高杉は桂の内腿を伝うおのれの残滓を、指で掬った。桂がぴくりと身を跳ねさせる。
「ぅ…ん。しんすけ」
咎める声は艶っぽくて却って高杉の興を誘った。ひぅと桂が息を呑む。高杉の指が濡れたその一条を遡って、ふたたび這入り込んできたからだ。
「しん…止せ」
まだ熱の去らぬ身に仕掛けられた悪戯に、否応なしに起こる震えを抑えながら、桂が高杉の肩をつかんだ。もう片腕を桂の脇の畳に付いて、上から覗き込むように眺める。濡れた襞の奥はさらにやわらかく溶けていて、高杉の手指を容易く呑み込んでいく。指先でそこを遊びながら、いやがる桂に口接けた。
「…っ、晋っ」
桃花に染まる眦で睨む目つきは、ことさらに艶をふくんで。高杉の、まだ燃え残って燻る火種をあっという間に火柱に変える。
「足りねぇよ。いつぶりだと思ってやがる」
「がっつく歳では…ないだろう」
弾みかける息を、怺えて桂が抗議する。それでも撥ね除けられたりしないから、これはゆるされているのだ。
「関係ねぇなぁ。あんたのまえじゃ俺はいつだって手の掛かる童(わっぱ)なんだろう?」
口の端で笑って揶揄う。
「童がこんな、真似をするか。っう…ぅ」
く、ぁ。ああ。
とろけた内奥を執拗に愛撫する高杉の手指は容赦なく、堪えきれずに洩れた喘ぎが桂の口唇を震わせた。
「し…んすけ」
立てて割られた膝のあいだに潜り込ませた腕の、そのさき。蹂躙するうごきに連れて、身にわずかにまとわりつくばかりの小袖が揺れて波立つ。顔を背けて耐えていながら、足袋跣の爪先が誘うように畳を擦った。
「こたろ…」
強引なまでに重ねて灯された、つづけざまの情火に身を灼く桂は、その口唇で天上の楽を奏で、舞う腕が高杉の顔を捉えた。
「も、う。いいかげんに…し、ろ」
「ん…とろとろ」
「…っ。しんっ」
「つぅ」
桂の堪えて震える長い指が、片側の眼(まなこ)を覆う弛んだ包帯に掛かって引きつり、高杉が顔を歪ませる。だが口許の笑みは消えない。
「あぁ…わかったって…」
その桂の指先に引き寄せられるまま、なめらかな頬に頬を寄せる。しっとりと汗ばんだ感触と匂いの心地よさに、さらに熱を持ったおのれが疼いた。
「とどめはちゃんと刺してやる」
口接けながら、口唇で口唇にじかにそう告げてやる。熱に潤んだ漆黒の双眸が、暗緑色の隻眼を捉えて一瞬たりとも放さない。放せない。
弛み垂れ下がった包帯が邪魔で、自ら剥ぎ取ってうち捨てる。すぅっと桂の手が伸びて、はらりと落ちた前髪の奥の、空ろな眼窩をやさしく撫でた。そのまま誘(いざな)われ、明くことのない左の瞼に啄むような接吻を受ける。
この傷を負った戦時から、桂がごく稀に見せるこの行為を、高杉は好きだった。おのれが桂にだけゆるし、桂にだけゆるされた、約束事のようで。
下肢の奥深くに根もとまでふくませていた手指を解いて、桂の身を返し、ふたたびおのれのものをあてがう。高杉自らの欲の証(しる)しにたすけられ、侵入はより滑らかでより密接に果たされた。
「こたろ…ぉ」
腰を掲げ快楽に反る背に胸を合わせて、耳朶に直接その名を注(つ)ぐ。桂はせつなく浅い息を繰り返し、高杉の刻む律動をときに逸らし、深く迎え入れ、さらに重ねて、その身を揺らしつづけた。
背から滑り、肩や脇へ腕にと流れた黒髪が、生きもののように雪肌を舐めて蠢く。その背にもいくつもの朱痕を刻みながら、高杉が口接ける。
両の腕で懸命におのが身を支える桂に腕を回し、ちいさな尖りを指の間に挟み込むようにして、かたちが変わるほどに薄い胸を揉みしだく。
引き締まった肌の稜線を辿り、下腹の翳りに掌を這わせてさすり、おのれと同様に昂ぶっているのをたしかめて、五本の指を絡めた。
そのあいだにも濡れてつながる深部を捏ねて、攻めることを休めない。
喘ぐ声が艶めいて狂おしさを増し、黒髪がいっそう乱れて雪肌を這い回る。緩急を付け腰を抜き差しする高杉の激しさを、受け止めてはいなし、いなしては煽り立て、桂の背が撓む。珠と散る汗に、そこだけが薄闇に浮かびあがるかの光を放つ。
こんなふうに、抱くあいだの桂をつぶさに見られるようになったことに、少しだけ寂寞を覚えた。けれどそんなよゆうはすぐにも剥がれて、桂は高杉を絡めとったその深奥で彩に翻弄しはじめる。甘く激しくゆるやかに。それは高杉のからだが覚えているよりも、さらに、さらに。さらに。
溶け合えるのは、これしかないと。きっとたがいに知っている。
淫らに濡れた音も声も喘ぎも呻きも、もうどちらがどちらとも付かず。肉の境目さえ曖昧になってゆく。
山科のころとも桂が江戸へ出たばかりのころとも、ちがう感慨と快感をもたらすのは、いまおたがいが立つ場所を違えてしまったがゆえか。
過去に囚われ絶望の淵に沈んで破壊を繰り返すおのれが。会うことも触れることも、もう二度とない、つぎのあろうはずもない、そう思いながらも絶つことのかなわなかった、高杉の潜在する本願が。いまこのときを境にどちらへと転がりゆくのか、もう高杉自身にもわからなかった。
抱く桂の身はけして、高杉のものにはなりえない。それなのに、それだからか、この執着は消せない。消えることがない。
松陽の死がもたらした修復されることのない怒りと嘆きと憎しみにあって、この執着だけが光であり闇なのだ。
囚われのこの身の希む、それは、生か死か。
愉楽の波にもまれながら高まる、止め処ない欲情が、弾けて迸る。かさなりつながったまま力尽きて倒れ込む、たがいの身の熱を混ぜて分け合う、ふたたびのその忘我の刻の狭間で。
高杉は漠としてそう思い至った。
* * *
指定の場所へ高杉の迎えに出向いてきた河上は、初めて至近に桂を目にして首を傾げた。
「はて。どこかでお目に掛かったでござろうか」
「紅桜の折。あの船上で、こちらを見下ろしていただろう」
エリザベスを従えて、笠に袈裟を纏った僧衣の桂が、錫杖を鳴らす。
江戸八百八町のはずれ、鬱蒼とした鎮守の杜ばかりが残る昼日中の無人寺には、ほかに人影もない。
「いや、そうではなく。もっと間近に、でござる。その魂の音色に聞き覚えがあるような」
「気のせいだろう。さもなくば耳鼻科に行くことをお勧めするぞ。先般、銀時が世話になったようだな」
白夜叉のせいで乗っていたヘリごと地面に叩き落とされ、突き指という名の全身打撲を負った河上は、いささか鼻白んだ。
ヅラ子姿でかまっ娘倶楽部で会っているのを、桂はしれっとして受け流している。こういう嘘なら平然とつけるのだと、高杉には少しおかしく愛おしい。
先日来の噂を聞きつけた鬼兵隊から桂のもとへ交渉の申し出があり、幾度か親書のやりとりをしてのちに、高杉からはなんの連絡も入れていなかったことが露見して、高杉は桂に小言をくらった。
おのれの身を案じてくれるものがいるのに、徒に心配を掛けるなと。
ふん。銀時や坂本あたりが聞いたなら、まんま桂に打ち返すだろう、そのことば。
来島が半べそをかいて迎えるだろう、と云ったのは河上だ。
鬱陶しくはあるが、これもまたひとつの縁(えにし)か。過去の幸福とは比べるべくもなく。けれどもまあ、わるくもない。
桂は高杉を引き渡すのに、条件を付けなかった。
これを甘さと見るか、のちの日に反る恐ろしさと踏むかは、判断の問われるところだ。
「じゃあな、ヅラ」
「ヅラじゃない、桂だ」
「この恩義にはいつかべつのかたちで報いよう。あらためてまた御礼に伺うでござるよ」
無事滞りなく引き渡しをすませて桂は、白いものを従えて、来た径をひとり帰って行く。笠の下、長い黒髪を靡かせるまっすぐに伸びた背中が、振り返ることはない。
その姿をしばしじっと目にとどめ、高杉はくるりと背を向け、歩み出す。それに半歩後れて付き従った河上が、ひとりごちた。
「…変わった音色の御仁でござる。拍子は狂いはちゃめちゃなようで、どこか一条の流れのような音韻を刻んでいる。曲調は清かで明確なのに終止符が見えぬとは」
それでもこの音色は、たしかにどこかで。
ぶつぶつとそう繰り返すのを、高杉は煙管を銜えた口の端を笑みのかたちに歪めて、背中に聞いていた。
訝しんではいても、まだ女装の桂と結びついてはいないと見える。
おとこでも美人は口説くと云っていたから、あいてが桂と知れたとき、どう出るのかが見ものだな。
それを当座の余興と決め置いて。
高杉はその日、鬼兵隊の船艦(ふね)へと帰った。
了 2009.06.30.
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