「天涯の遊子」土桂篇。全4回。
土方と桂。と銀時。もしくはパー子&ヅラ子。
近藤もお出まし。
紅桜以降、動乱篇まえ。
「なあ、ヅラ子さん」
あずみと近藤の盛り上がりに水を差さない程度に合いの手を入れていたヅラ子に、初めて土方から声をかける。はい、と正面から見返されて、その双眸の湛える深い色にひきこまれそうになった。周章てて目を逸らす。
「いや、あの。…そう、えっと。あいつとは知り合いかなんかで?」
「あいつ?」
不可解そうに小首を傾げた。肩口で結わえて胸もとへ流した髪が揺れる。
「いや、じつはまえに町であんたを見かけたことがあって。万事屋といっしょに歩いているところを」
「万事屋…ああ、ぎ…坂田さん?」
「そう、それ」
「まあ、知り合いというか、古い友人で」
土方の空のグラスに気づいて酒を注ぎながら、澱むことなく応えた。淡々とした応対からは特別な関係性を窺わせるものはない。見送る万事屋のあの視線は気のせいだったのか、はたまた磯の鮑のなんとかというやつなのか。にしても古い友人か。万事屋はいったいどういう人脈をしてるんだ。
「土方…さんは、坂田さんをよくご存じなのか」
「知ってるわけでもねぇが、どうもソリがあわねぇのに鉢合わせるんだよ」
「似ているものは出合って反発すると云うから」
くすっと小さな笑いを含んだ声で、おんなが揶揄う。
え? 思わず土方はヅラ子を見た。奇妙な既視感。どこかでおなじようなことが。そういえば、桂もどこかしら似ていると云った。幼なじみと土方とを。
「ヅラ子さん、あんた…」
似ている幼なじみ。似ている古い友人。似ている、桂と目のまえのおんな。姿も、声も。まさか。そんなことがあるだろうか。
「なにか?」
じっと見つめすぎたらしく、ヅラ子が怪訝そうに問うてくる。だが土方にはそれを気にするどころではなかった。忙しなく頭が回る。そんなことがあり得るのか。これがもしそうなら。どうして、なんのために。いや、そんなことより、だいじなのはそうかどうかだ。どう聞こう。とにかく話をしなければ。
「…ああ、いや、ヅラ子さん。その…連絡先、教えちゃくれねぇか」
話の継ぎ穂を焦るあまり、あまりに無粋な話題転換になった。
「連絡先?」
唐突に過ぎる申し出に、ヅラ子が探るような目で見た。それはそうだろう。近藤を通じて紹介された真選組の副長とはいえ、一見の客が、ホステスを口説いている図にほかならない。
だがそれならそれでいい。土方がこのおんなを気に入ったのは事実だ。桂のことがなければ、すなおに一目惚れだと云えたことだろう。そもそも万事屋といたのを見かけただけであとを追おうとしたほどだ。好奇心が湧いたのは、たんに好みだったからなのだと、いまならわかる。
「アドレスとか、携帯番号とか、なんでもいいからよ」
だいいち、このおんなが桂なら教えるわけがない。そう思った。土方の感情がどうあれ真選組は敵方だ。思わず滑り出たことばだったが、たしかめるにはちょうどいいじゃないか。
「同伴出勤でもしてくれるわけか?」
挑発するように微笑した。どっちだ? 意図に気づかれたのか。それとも。
「あんたがそうしてほしいんなら。俺ぁ、どうもあんたに…」
「なんだぁ、トシ。意外とやるなぁ。ヅラ子さんに惚れたか」
すっかり酔っぱらってできあがった近藤が、いつのまにか自分たちの会話に聞き耳を立てていたらしい。そのままヅラ子に向かって云い募った。
「めずらしいんですよ、ヅラ子さん。こいつが手前ぇから口説くなんて。こいつは見てのとおり、もてる。もてるから、たいがいは女性のほうから云いよってくるんです。自分からアドレス訊くなんて真似、したことがない」
「近藤さん」
酔ってまくし立てる近藤を、土方が窘めにかかる。
「ぜひ、教えてやってください。こいつここんところ苛ついてるか鬱ぎ込んでるかで、なんかあったみたいなんだが、なにも云ってくれなくて」
「近藤さん! あんた、いいからもう」
援護射撃のつもりか、放っておけばなにを云い出すかわかったものではない。
「やるわねぇ。ヅラ子。うらやましいわぁ。天下の真選組副長さんよ。こんないいお相手めったにないわよぉ」
あずみまでが加わってきて、たしかにこれではヅラ子としては拒否できる雰囲気ではなくなった。むしろ桂であるかどうかの判断はしやすくなったともいえる状況に、土方はヅラ子の反応を待つ。
ヅラ子はしばし考えるそぶりでいたが、やがて土方に手を差し出した。
「あ?」
とっさに土方のほうが反応に戸惑うと、携帯を出せと云ってくる。土方が素直に手渡したそれを、しばらくいじっていたが。
「よくわからんな。ふだんは林檎社のぱそこんしかやらんのだ。どこにどう入れる?」
「え?」
教えてくれる気か。では、このおんなは別人なのか。
「やったな、トシ。第一関門突破だ!」
ばん、と思い切り近藤に背を叩かれて、土方はつんのめった。図らずもヅラ子の膝もとというか胸もとへ倒れ込んだ土方の、見あげた至近に美貌のおもてがある。鼻を埋めるかたちになった黒髪からは、離れがたくなるような仄かな芳香。周章てて退こうとして、したたかにテーブルの角に肘を打ちつけた。
「なにをしている。ほら」
痺れる肘をさすりながら、土方はヅラ子に請われるまま、使い方を説く。
「ここを、こう。押すと画面が変わって、こっから入力できっから」
「こう?」
「ちげーよ。こっち。携帯の扱いくらい覚えろや」
「だから、ふだん使わぬのだ」
まただ。また奇妙な既視感。
土方はまじまじと携帯に気を取られているヅラ子を見た。
「どこの化石だよ、ヅラ子さん。あんた」
教えるふりで、手に触れる。指先の感触に、たしかな覚えがあった。
ヅラ子はようやっと勝手がわかったらしく、土方の目のまえでアドレスを入力していく。フリーアドレスとおぼしきものだが、これがたしかに実在するなら、いったいどういうつもりなのだろう。
刀を扱うものの手、だった。それも相当の。いやそれ以上に。あのとき傷を負った桂が熱に浮かされて土方の指に絡めてきた手指の、あの記憶にかさなっていた。万事屋のあのおとことまちがわれて、絡めとられた指先の記憶。
「かつら…」
確信を得て思わず声にでてしまった土方の呟きを、聞き咎めたのは当のヅラ子だけだった。近藤とあずみはなにを祝ってか、土方とヅラ子に乾杯とか勝手に盛り上がっている。ヅラ子の、いや、桂の長くしなやかな指が一本伸ばされて、土方の口唇のうごきを縫い止めた。
土方がもの云いたげに桂を見る。桂の眸は笑んで、だがやんわりとそれを退けた。
「これでいいか」
携帯を土方の手許に返してくる。
「あ、ああ」
きっちり登録し終えられたアドレス。この十数文字が桂との初めて繋がった糸だ。これがほんものなら。だが、その場しのぎの偽りではないとの確信が、なぜだか土方にはあった。どういうつもりかはわからない。わからないが、桂が土方を受け入れてくれる階(きざはし)だと感じていた。
髪、伸びたんだな。傷はもう、いいのかい。
桂に封じられたそのさきを、こころのなかでだけ問いかけた。
そうしてひとつの、先の疑念は解けたのだ。
連れのおんなが桂だったのだから、万事屋の行動にも合点がいく。指名手配犯の桂に真選組のおのれを近づけまいとしたのは、幼なじみでかつての戦友として、ごく自然な行為だったろう。
しかし土方の、咽に刺さった小骨のようなものは残った。
あの万事屋の、おんなの歩み去る後ろ姿を、それと気づかれぬよう見送った視線。愛おしさの滲み出たあんな眸で、あの野郎はずっと桂を見てきたのだろうか。
桂のこころの奥深くにあのおとこが棲むように、あのおとこも桂をこころの奥底にずっと棲まわせてきているのだろうか。
土方の知らない、共有した時間の絶対的な差が、そこにはあった。
負けたくねぇ。
湧き出てきたのは、そのことばだけだった。
桂の心意も万事屋の本音も、土方にはまだわからなかったが。そのときはただ、それだけを思った。過去の時間は埋めようがない。だが、未来は。共有できる未来の時間は、土方にも平等に振り分けられているはずのものだった。
* * *
その後、再度訪ねた店に、ヅラ子の姿はなかった。訊けば臨時のバイトだという。攘夷の資金稼ぎか。それならうなずける。店の人間が桂の正体を知っているのかどうかは不明だが、土方にもそこまでを追求する気にはならない。
続 2008.04.02.
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「なあ、ヅラ子さん」
あずみと近藤の盛り上がりに水を差さない程度に合いの手を入れていたヅラ子に、初めて土方から声をかける。はい、と正面から見返されて、その双眸の湛える深い色にひきこまれそうになった。周章てて目を逸らす。
「いや、あの。…そう、えっと。あいつとは知り合いかなんかで?」
「あいつ?」
不可解そうに小首を傾げた。肩口で結わえて胸もとへ流した髪が揺れる。
「いや、じつはまえに町であんたを見かけたことがあって。万事屋といっしょに歩いているところを」
「万事屋…ああ、ぎ…坂田さん?」
「そう、それ」
「まあ、知り合いというか、古い友人で」
土方の空のグラスに気づいて酒を注ぎながら、澱むことなく応えた。淡々とした応対からは特別な関係性を窺わせるものはない。見送る万事屋のあの視線は気のせいだったのか、はたまた磯の鮑のなんとかというやつなのか。にしても古い友人か。万事屋はいったいどういう人脈をしてるんだ。
「土方…さんは、坂田さんをよくご存じなのか」
「知ってるわけでもねぇが、どうもソリがあわねぇのに鉢合わせるんだよ」
「似ているものは出合って反発すると云うから」
くすっと小さな笑いを含んだ声で、おんなが揶揄う。
え? 思わず土方はヅラ子を見た。奇妙な既視感。どこかでおなじようなことが。そういえば、桂もどこかしら似ていると云った。幼なじみと土方とを。
「ヅラ子さん、あんた…」
似ている幼なじみ。似ている古い友人。似ている、桂と目のまえのおんな。姿も、声も。まさか。そんなことがあるだろうか。
「なにか?」
じっと見つめすぎたらしく、ヅラ子が怪訝そうに問うてくる。だが土方にはそれを気にするどころではなかった。忙しなく頭が回る。そんなことがあり得るのか。これがもしそうなら。どうして、なんのために。いや、そんなことより、だいじなのはそうかどうかだ。どう聞こう。とにかく話をしなければ。
「…ああ、いや、ヅラ子さん。その…連絡先、教えちゃくれねぇか」
話の継ぎ穂を焦るあまり、あまりに無粋な話題転換になった。
「連絡先?」
唐突に過ぎる申し出に、ヅラ子が探るような目で見た。それはそうだろう。近藤を通じて紹介された真選組の副長とはいえ、一見の客が、ホステスを口説いている図にほかならない。
だがそれならそれでいい。土方がこのおんなを気に入ったのは事実だ。桂のことがなければ、すなおに一目惚れだと云えたことだろう。そもそも万事屋といたのを見かけただけであとを追おうとしたほどだ。好奇心が湧いたのは、たんに好みだったからなのだと、いまならわかる。
「アドレスとか、携帯番号とか、なんでもいいからよ」
だいいち、このおんなが桂なら教えるわけがない。そう思った。土方の感情がどうあれ真選組は敵方だ。思わず滑り出たことばだったが、たしかめるにはちょうどいいじゃないか。
「同伴出勤でもしてくれるわけか?」
挑発するように微笑した。どっちだ? 意図に気づかれたのか。それとも。
「あんたがそうしてほしいんなら。俺ぁ、どうもあんたに…」
「なんだぁ、トシ。意外とやるなぁ。ヅラ子さんに惚れたか」
すっかり酔っぱらってできあがった近藤が、いつのまにか自分たちの会話に聞き耳を立てていたらしい。そのままヅラ子に向かって云い募った。
「めずらしいんですよ、ヅラ子さん。こいつが手前ぇから口説くなんて。こいつは見てのとおり、もてる。もてるから、たいがいは女性のほうから云いよってくるんです。自分からアドレス訊くなんて真似、したことがない」
「近藤さん」
酔ってまくし立てる近藤を、土方が窘めにかかる。
「ぜひ、教えてやってください。こいつここんところ苛ついてるか鬱ぎ込んでるかで、なんかあったみたいなんだが、なにも云ってくれなくて」
「近藤さん! あんた、いいからもう」
援護射撃のつもりか、放っておけばなにを云い出すかわかったものではない。
「やるわねぇ。ヅラ子。うらやましいわぁ。天下の真選組副長さんよ。こんないいお相手めったにないわよぉ」
あずみまでが加わってきて、たしかにこれではヅラ子としては拒否できる雰囲気ではなくなった。むしろ桂であるかどうかの判断はしやすくなったともいえる状況に、土方はヅラ子の反応を待つ。
ヅラ子はしばし考えるそぶりでいたが、やがて土方に手を差し出した。
「あ?」
とっさに土方のほうが反応に戸惑うと、携帯を出せと云ってくる。土方が素直に手渡したそれを、しばらくいじっていたが。
「よくわからんな。ふだんは林檎社のぱそこんしかやらんのだ。どこにどう入れる?」
「え?」
教えてくれる気か。では、このおんなは別人なのか。
「やったな、トシ。第一関門突破だ!」
ばん、と思い切り近藤に背を叩かれて、土方はつんのめった。図らずもヅラ子の膝もとというか胸もとへ倒れ込んだ土方の、見あげた至近に美貌のおもてがある。鼻を埋めるかたちになった黒髪からは、離れがたくなるような仄かな芳香。周章てて退こうとして、したたかにテーブルの角に肘を打ちつけた。
「なにをしている。ほら」
痺れる肘をさすりながら、土方はヅラ子に請われるまま、使い方を説く。
「ここを、こう。押すと画面が変わって、こっから入力できっから」
「こう?」
「ちげーよ。こっち。携帯の扱いくらい覚えろや」
「だから、ふだん使わぬのだ」
まただ。また奇妙な既視感。
土方はまじまじと携帯に気を取られているヅラ子を見た。
「どこの化石だよ、ヅラ子さん。あんた」
教えるふりで、手に触れる。指先の感触に、たしかな覚えがあった。
ヅラ子はようやっと勝手がわかったらしく、土方の目のまえでアドレスを入力していく。フリーアドレスとおぼしきものだが、これがたしかに実在するなら、いったいどういうつもりなのだろう。
刀を扱うものの手、だった。それも相当の。いやそれ以上に。あのとき傷を負った桂が熱に浮かされて土方の指に絡めてきた手指の、あの記憶にかさなっていた。万事屋のあのおとことまちがわれて、絡めとられた指先の記憶。
「かつら…」
確信を得て思わず声にでてしまった土方の呟きを、聞き咎めたのは当のヅラ子だけだった。近藤とあずみはなにを祝ってか、土方とヅラ子に乾杯とか勝手に盛り上がっている。ヅラ子の、いや、桂の長くしなやかな指が一本伸ばされて、土方の口唇のうごきを縫い止めた。
土方がもの云いたげに桂を見る。桂の眸は笑んで、だがやんわりとそれを退けた。
「これでいいか」
携帯を土方の手許に返してくる。
「あ、ああ」
きっちり登録し終えられたアドレス。この十数文字が桂との初めて繋がった糸だ。これがほんものなら。だが、その場しのぎの偽りではないとの確信が、なぜだか土方にはあった。どういうつもりかはわからない。わからないが、桂が土方を受け入れてくれる階(きざはし)だと感じていた。
髪、伸びたんだな。傷はもう、いいのかい。
桂に封じられたそのさきを、こころのなかでだけ問いかけた。
そうしてひとつの、先の疑念は解けたのだ。
連れのおんなが桂だったのだから、万事屋の行動にも合点がいく。指名手配犯の桂に真選組のおのれを近づけまいとしたのは、幼なじみでかつての戦友として、ごく自然な行為だったろう。
しかし土方の、咽に刺さった小骨のようなものは残った。
あの万事屋の、おんなの歩み去る後ろ姿を、それと気づかれぬよう見送った視線。愛おしさの滲み出たあんな眸で、あの野郎はずっと桂を見てきたのだろうか。
桂のこころの奥深くにあのおとこが棲むように、あのおとこも桂をこころの奥底にずっと棲まわせてきているのだろうか。
土方の知らない、共有した時間の絶対的な差が、そこにはあった。
負けたくねぇ。
湧き出てきたのは、そのことばだけだった。
桂の心意も万事屋の本音も、土方にはまだわからなかったが。そのときはただ、それだけを思った。過去の時間は埋めようがない。だが、未来は。共有できる未来の時間は、土方にも平等に振り分けられているはずのものだった。
* * *
その後、再度訪ねた店に、ヅラ子の姿はなかった。訊けば臨時のバイトだという。攘夷の資金稼ぎか。それならうなずける。店の人間が桂の正体を知っているのかどうかは不明だが、土方にもそこまでを追求する気にはならない。
続 2008.04.02.
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