「天涯の遊子」土桂篇。終話。
土方と桂。と銀時。もしくはパー子&ヅラ子。
紅桜以降、動乱篇まえ。
「…おめぇも、呑めや」
探りつつ切り出した土方に、パー子もとい万事屋はちらりと一瞥をくれると
「んじゃ、遠慮なく」
さっさと自分のぶんをグラスにつくって、ぞんざいにソファに座り直した。
「態度でけぇな、おい」
「そりゃ、こっちのせりふだ」
グラスを一気に呷って、万事屋が前方を睨む。視線の先にあるのはカウンターだ。ヅラ子があずみと酔客を挟んで、適度にあしらいつつ相手をしていた。
紅い双眸は桂の背中を捕らえて放さない。そのまま、ぽつりと。
「真選組が、ふざけてんじゃねーよ」
云って、その手は二杯めを勝手につくりだす。
「ふざけてねぇよ。あいにくとな」
土方もグラスに新しい氷を落とし、自分の手でボトルから酒を注ぐ。
万事屋は桂から視線を返し、土方を静かに睨めた。
「笑わせんな。あいつの手を取りながら、もう片手で手錠掛けようって腹か」
「笑わせんな。ンな簡単にお縄につくようなタマなら、俺たちゃとうに、特別ボーナスで祝杯あげてるぜ」
グラスをマドラーでかき混ぜ、万事屋はこんどは嘗めるように口に運んだ。
「ほら、みろ。それがそもそも、てめーらのオシゴトでしょーが。土方くん」
土方がグラスを両手でつかんで軽く回すと、カランと氷が崩れてぶつかる音がした。
「仕事とプライベートは別だろうが」
「爪の先までどっぷり真選組のやつが、ぬかすな」
それはそうなのだ。そのとおりなのだが、理屈どおりにいかないのが感情だ。手前ぇでわかっていることを、こいつに云われるのは癪に障る。
「てめぇこそ、攘夷なんざ関係ねえってつらして、桂に肩入れしてんじゃねぇか」
「関係ねぇよ。攘夷は。ありゃ、ただの古なじみの、腐れ縁のダチだ。肩入れしてるって思われてんなら、それだけの理由だ」
ああ、そうかよ。そんな煙幕張って、お茶を濁すってんなら、おめぇの感情だってたかが知れてる。
「なら、よけいによけいな口挟むんじゃねえ。俺は、惚れてる」
「…!………」
万事屋の紅い眸が驚愕するように瞠られた。
口の端で、土方は笑った。こいつは喧嘩だ。しかも最初(はな)からアドバンテージを握られてる、劣勢歴然の。だがだからこそ、恥も外聞もつぶれるような面子(めんつ)もなかった。土方は桂に惚れた。桂が欲しいのだ。真選組としての立場などいまここで、この喧嘩を放棄する理由にはならない。いずれ立場を選び取らねばならない事態になるとしても、それはまだ、いまじゃない。
「なぁ、万事屋。惚れてんだよ、俺は」
ゆっくり、噛んで含めるように云う。土方は挑戦的な眼差しで万事屋を見据えた。
「てめぇが昔なじみで腐れ縁のダチだってんなら、それがなんだ? 知ったこっちゃねえ」
そのままどれほどのあいだか、たがいを睨み据えていた。
土方の手のグラスも万事屋のそれも、テーブルの上に据えられたまま、ぴくりともうごかない。溶け出した氷が自然にかさなりを崩して、またグラスのなかで音を立てる。
その音で我に返ったように、万事屋がことばを紡いだ。
「…正気で云ってんの?」
「冗談で云えることかよ」
固まっていたからだをほぐすように、土方もようやくまたグラスを傾ける。
それを見てか万事屋も酒で口を湿らせると、小さく息を吐いた。知らぬまに乗りだすようになっていたからだをソファーに凭せ掛け、視線が天井を仰ぐ。
そうして、観念したようにその視線を土方へと巡らせた。
「……あのさ。あれは、俺のだから」
つねの気怠い口調で告げる。
「幼なじみで腐れ縁でか」
「そう。幼なじみで腐れ縁で戦友で、唯一無二のツレ、だから」
口調とは裏腹に、紅い双眸は真摯な色を帯び、占有を主張する苛烈な焰の色に取って代わった。
「…ツレ、ね」
こいつの最大限の吐露で、惚気だ、と土方は思う。桂におもわれているという確たる自信があるのか。牽制の強がりか。いずれにせよ、ここまで引き出せたなら上等だ。おなじ土俵に引き摺り出さなければ、喧嘩にもならない。
万事屋のほうにも当然それは伝わったか、即座に一手打ち込まれた。
「おめーがちょっかい出すのは勝手だけど、真選組もなんも関係なしで、本気で正気だってんなら、相応の犠牲が出るぜ」
グラスの氷を含んで噛み砕きながら、ソファにふんぞり返る。
「犠牲? てめぇが邪魔をするとでも云いてぇのか」
万事屋が鼻で笑った。
「莫迦か。わかってねぇ。ヅラはな。おめーの手には余る。てか、たいがいの野郎の手には余るんだよ。あれは」
だが土方を小馬鹿にしたわけではないらしく、目線だけをまたカウンターのほうに流して、諦念を滲ませる。
「あれはそーゆう、イキモノなの」
そう云いながらもその眼差しはやわらかく、いつぞやの見送る姿を思わせた。
まったく。いろにでりけり、ってやつだ。隠そうとして、ことばより態度に出ちまうタイプだ。もっともおのれとて、我が身を振り返れば、ひとのことを云えた義理ではないのだろう。いやいや、俺はここまで拗くれてねぇ。
「…ふん。てめぇの手には余らないってのか」
土方に視線をもどして、万事屋は小さく笑った。
「銀さんは、付き合い長いからね。手に余っても、余ったぶんも食えるのよ」
残りの酒を呷って、とん、とグラスをテーブルに置く。
「食って腹こわしても、食いつづけられんの。てか食いたくなるの」
おまえにその覚悟があんの? それができるの?
言外にそう糺す。
「云っとくが、おめーの仇は俺だけじゃねぇよ。わかってる?」
付け足されたことばに、土方は苦虫を噛み潰したような顔をした。
あの容姿だ。その身のこなし、頭の切れ、加えて剣の腕も立つ。妙に抜けたかわいらしさも相俟って、いま現に、同志という名の信奉者や崇拝者を全国くまなくかかえているであろう、ばけものじみた党首さまは、そうしたけなげに慕う僕(しもべ)だけでなく。戦時あるいはそれ以前から、横恋慕だの劣情だのの暴走も含めた色恋には事欠かなかったことだろう。
当人だけがどこ吹く風で、繰り広げられる恋の鞘当て、丁々発止の駆け引きは、きっとなにもいまに始まったことではないのだ。
「てこたぁ、それはつまり、てめぇの恋敵も俺だけじゃねぇってことだよな」
こんどは万事屋が、それはそれはいやーな顔をしてみせたので、土方は少しだけ溜飲を下げた。
「おめーより強力なやつが、それはもう、うじゃうじゃと」
「ほぉ。情けねえ。ガキのころから連んでるくせして、そいつら追っぱらえねぇのか」
「なにを追い払うのだ?」
またぞろ陰険漫才をしだしたところへ、知らぬまに桂がもどってきていた。
「「こいつを」」
たがいにたがいを指さして、土方と万事屋の声がまたハモる。
「そうか。やはり漫才ネタの打ち合わせをしていたのだな。コンビ名はなんにする。中二ーず、とかどうだ」
見慣れた能面のまま至極まじめにふざけたことをぬかす桂の額に、万事屋が慣れたしぐさで手刀を落とした。
* * *
桂のバイトの日々が終わって、土方はまた、会うすべを失った。
やはりまだヅラ子姿で以外、たとえば保土ヶ谷の宿のときのように、会ってくれる気はないらしい。またバイトに出る日を待つしかないか。それを教えてくれればいいが。知らぬまにうごくかもしれない。
そんな稀な偶然を期待して、土方は店にちょくちょく足を運んだ。すっかり常連(なじみ)の態である。
ときおり町で見かける万事屋は、土方を見かけても以前とまったく変わらぬ態度だったが、内心のほどはわからない。
こいつも会いたいときに会えるわけではないらしいと、最近気づいた。考えてみればおたずねものなのだから、あたりまえと云えば云える。
それでも、桂のほうから万事屋のもとへ出向くこともあるのだろうから、だからといって土方の悋気が消えるわけでもないのだが、慰めにはなる。
われながら器が小さいと苦笑しながら、見あげた頭上の屋根に、駆ける桂の姿があった。遠くからバズーカ砲の轟音と沖田の声が追ってきていた。見廻り中の一番隊と出くわしたか。
桂は足下の土方の姿に気づいたが、一瞥しただけで瞬く間に遠ざかる。土方は携帯で桂目撃を隊に伝えてあわててあとを追うのだが、この脚と腕とが桂に届くとは思われない。そう、いつものごとく。
見失った後ろ影に、土方は嘆息する。同時にほっとする。
この鬩ぎあいはつづくだろう。
こんなのをなんといったか。たしか、ああ。
陽炎稲妻水の月。
きょうもまた恋しいひとは、形(なり)は見えても捕らえられない。
了 2008.04.02.
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「…おめぇも、呑めや」
探りつつ切り出した土方に、パー子もとい万事屋はちらりと一瞥をくれると
「んじゃ、遠慮なく」
さっさと自分のぶんをグラスにつくって、ぞんざいにソファに座り直した。
「態度でけぇな、おい」
「そりゃ、こっちのせりふだ」
グラスを一気に呷って、万事屋が前方を睨む。視線の先にあるのはカウンターだ。ヅラ子があずみと酔客を挟んで、適度にあしらいつつ相手をしていた。
紅い双眸は桂の背中を捕らえて放さない。そのまま、ぽつりと。
「真選組が、ふざけてんじゃねーよ」
云って、その手は二杯めを勝手につくりだす。
「ふざけてねぇよ。あいにくとな」
土方もグラスに新しい氷を落とし、自分の手でボトルから酒を注ぐ。
万事屋は桂から視線を返し、土方を静かに睨めた。
「笑わせんな。あいつの手を取りながら、もう片手で手錠掛けようって腹か」
「笑わせんな。ンな簡単にお縄につくようなタマなら、俺たちゃとうに、特別ボーナスで祝杯あげてるぜ」
グラスをマドラーでかき混ぜ、万事屋はこんどは嘗めるように口に運んだ。
「ほら、みろ。それがそもそも、てめーらのオシゴトでしょーが。土方くん」
土方がグラスを両手でつかんで軽く回すと、カランと氷が崩れてぶつかる音がした。
「仕事とプライベートは別だろうが」
「爪の先までどっぷり真選組のやつが、ぬかすな」
それはそうなのだ。そのとおりなのだが、理屈どおりにいかないのが感情だ。手前ぇでわかっていることを、こいつに云われるのは癪に障る。
「てめぇこそ、攘夷なんざ関係ねえってつらして、桂に肩入れしてんじゃねぇか」
「関係ねぇよ。攘夷は。ありゃ、ただの古なじみの、腐れ縁のダチだ。肩入れしてるって思われてんなら、それだけの理由だ」
ああ、そうかよ。そんな煙幕張って、お茶を濁すってんなら、おめぇの感情だってたかが知れてる。
「なら、よけいによけいな口挟むんじゃねえ。俺は、惚れてる」
「…!………」
万事屋の紅い眸が驚愕するように瞠られた。
口の端で、土方は笑った。こいつは喧嘩だ。しかも最初(はな)からアドバンテージを握られてる、劣勢歴然の。だがだからこそ、恥も外聞もつぶれるような面子(めんつ)もなかった。土方は桂に惚れた。桂が欲しいのだ。真選組としての立場などいまここで、この喧嘩を放棄する理由にはならない。いずれ立場を選び取らねばならない事態になるとしても、それはまだ、いまじゃない。
「なぁ、万事屋。惚れてんだよ、俺は」
ゆっくり、噛んで含めるように云う。土方は挑戦的な眼差しで万事屋を見据えた。
「てめぇが昔なじみで腐れ縁のダチだってんなら、それがなんだ? 知ったこっちゃねえ」
そのままどれほどのあいだか、たがいを睨み据えていた。
土方の手のグラスも万事屋のそれも、テーブルの上に据えられたまま、ぴくりともうごかない。溶け出した氷が自然にかさなりを崩して、またグラスのなかで音を立てる。
その音で我に返ったように、万事屋がことばを紡いだ。
「…正気で云ってんの?」
「冗談で云えることかよ」
固まっていたからだをほぐすように、土方もようやくまたグラスを傾ける。
それを見てか万事屋も酒で口を湿らせると、小さく息を吐いた。知らぬまに乗りだすようになっていたからだをソファーに凭せ掛け、視線が天井を仰ぐ。
そうして、観念したようにその視線を土方へと巡らせた。
「……あのさ。あれは、俺のだから」
つねの気怠い口調で告げる。
「幼なじみで腐れ縁でか」
「そう。幼なじみで腐れ縁で戦友で、唯一無二のツレ、だから」
口調とは裏腹に、紅い双眸は真摯な色を帯び、占有を主張する苛烈な焰の色に取って代わった。
「…ツレ、ね」
こいつの最大限の吐露で、惚気だ、と土方は思う。桂におもわれているという確たる自信があるのか。牽制の強がりか。いずれにせよ、ここまで引き出せたなら上等だ。おなじ土俵に引き摺り出さなければ、喧嘩にもならない。
万事屋のほうにも当然それは伝わったか、即座に一手打ち込まれた。
「おめーがちょっかい出すのは勝手だけど、真選組もなんも関係なしで、本気で正気だってんなら、相応の犠牲が出るぜ」
グラスの氷を含んで噛み砕きながら、ソファにふんぞり返る。
「犠牲? てめぇが邪魔をするとでも云いてぇのか」
万事屋が鼻で笑った。
「莫迦か。わかってねぇ。ヅラはな。おめーの手には余る。てか、たいがいの野郎の手には余るんだよ。あれは」
だが土方を小馬鹿にしたわけではないらしく、目線だけをまたカウンターのほうに流して、諦念を滲ませる。
「あれはそーゆう、イキモノなの」
そう云いながらもその眼差しはやわらかく、いつぞやの見送る姿を思わせた。
まったく。いろにでりけり、ってやつだ。隠そうとして、ことばより態度に出ちまうタイプだ。もっともおのれとて、我が身を振り返れば、ひとのことを云えた義理ではないのだろう。いやいや、俺はここまで拗くれてねぇ。
「…ふん。てめぇの手には余らないってのか」
土方に視線をもどして、万事屋は小さく笑った。
「銀さんは、付き合い長いからね。手に余っても、余ったぶんも食えるのよ」
残りの酒を呷って、とん、とグラスをテーブルに置く。
「食って腹こわしても、食いつづけられんの。てか食いたくなるの」
おまえにその覚悟があんの? それができるの?
言外にそう糺す。
「云っとくが、おめーの仇は俺だけじゃねぇよ。わかってる?」
付け足されたことばに、土方は苦虫を噛み潰したような顔をした。
あの容姿だ。その身のこなし、頭の切れ、加えて剣の腕も立つ。妙に抜けたかわいらしさも相俟って、いま現に、同志という名の信奉者や崇拝者を全国くまなくかかえているであろう、ばけものじみた党首さまは、そうしたけなげに慕う僕(しもべ)だけでなく。戦時あるいはそれ以前から、横恋慕だの劣情だのの暴走も含めた色恋には事欠かなかったことだろう。
当人だけがどこ吹く風で、繰り広げられる恋の鞘当て、丁々発止の駆け引きは、きっとなにもいまに始まったことではないのだ。
「てこたぁ、それはつまり、てめぇの恋敵も俺だけじゃねぇってことだよな」
こんどは万事屋が、それはそれはいやーな顔をしてみせたので、土方は少しだけ溜飲を下げた。
「おめーより強力なやつが、それはもう、うじゃうじゃと」
「ほぉ。情けねえ。ガキのころから連んでるくせして、そいつら追っぱらえねぇのか」
「なにを追い払うのだ?」
またぞろ陰険漫才をしだしたところへ、知らぬまに桂がもどってきていた。
「「こいつを」」
たがいにたがいを指さして、土方と万事屋の声がまたハモる。
「そうか。やはり漫才ネタの打ち合わせをしていたのだな。コンビ名はなんにする。中二ーず、とかどうだ」
見慣れた能面のまま至極まじめにふざけたことをぬかす桂の額に、万事屋が慣れたしぐさで手刀を落とした。
* * *
桂のバイトの日々が終わって、土方はまた、会うすべを失った。
やはりまだヅラ子姿で以外、たとえば保土ヶ谷の宿のときのように、会ってくれる気はないらしい。またバイトに出る日を待つしかないか。それを教えてくれればいいが。知らぬまにうごくかもしれない。
そんな稀な偶然を期待して、土方は店にちょくちょく足を運んだ。すっかり常連(なじみ)の態である。
ときおり町で見かける万事屋は、土方を見かけても以前とまったく変わらぬ態度だったが、内心のほどはわからない。
こいつも会いたいときに会えるわけではないらしいと、最近気づいた。考えてみればおたずねものなのだから、あたりまえと云えば云える。
それでも、桂のほうから万事屋のもとへ出向くこともあるのだろうから、だからといって土方の悋気が消えるわけでもないのだが、慰めにはなる。
われながら器が小さいと苦笑しながら、見あげた頭上の屋根に、駆ける桂の姿があった。遠くからバズーカ砲の轟音と沖田の声が追ってきていた。見廻り中の一番隊と出くわしたか。
桂は足下の土方の姿に気づいたが、一瞥しただけで瞬く間に遠ざかる。土方は携帯で桂目撃を隊に伝えてあわててあとを追うのだが、この脚と腕とが桂に届くとは思われない。そう、いつものごとく。
見失った後ろ影に、土方は嘆息する。同時にほっとする。
この鬩ぎあいはつづくだろう。
こんなのをなんといったか。たしか、ああ。
陽炎稲妻水の月。
きょうもまた恋しいひとは、形(なり)は見えても捕らえられない。
了 2008.04.02.
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