背の雪肌にいくつか走る疵痕を確かめながら、ちいさな朱の証をいくつも散らす。ああ、だいじょうぶ。知らない傷が増えていないことにほっとした。
なだらかな背筋からまるくひきしまった双丘を割って顔を埋め、奥のすぼみをほどき、まえの昂ぶりを促す。
や、あ。枕に顔を埋めても抑えきれない喘ぎの間に、ぎんとき、とあえかに呟く。愛撫の腕に返されるまま身を撚り、敷布の波のまにまに漂うように自由の利かない身をまかせながら、けれど足首の怪我など忘れたかのように、桂の脚が銀時の腿に絡んだ。
かつら。我ながら蕩けた声でめったに呼ばない正しい名を呼んで、とうに熱く固く滴るほどに熟しきったおのれの芯を深く深く射し込んだ。
ぎん。ぎん。絡みあったまま揺れあう桂の口唇が、そう象られる。甘く掠れて声にならない声で、こたろう、と返す。やがてあたまの奥が痺れたように、なにも考えられなくなって。桂を抱きしめたまま銀時は、高く天空へ舞い上がり、ともに奈落の底へと墜ちるのだ。天空は眩いばかりに、奈落は深く昏いけれど。ここは天国であり地獄。それで本望なのだから。
午後たっぷりの時間を使って、ゆるゆるとふたりきりのときを過ごす。
情事のノリのまま、ホールのケーキをフォークで掬って食べさせあって、たっぷり乗ったいちごを一粒ずつ口で啄んでは、親鳥よろしく相手の口に差し入れる。スポンジケーキと生クリームはほとんどが銀時の腹に納まったが、桂もいちごは半々で食べた。
あいまあいまに繋がっては果てて、しまいにはケーキを食べているのかおたがいを食べているのか判然としなくなるありさまだ。
こんな誕生日ならわるくない。いま腕のなかで、桂はちいさな寝息を立てている。その微睡みにつられるように銀時はひとつ欠伸をすると、薄い背中をさらに抱き寄せるようにして、瞼を閉じた。
夜半になって目覚めたらしい桂が、ごそごそと身を起こすのを感じて、銀時もまた目が覚めた。
「なに。厠? ああ、風呂入りたいの?」
「ん…」
まだ半分眠った顔で、桂はうざったそうに髪をかきあげる。
「きもちわるい」
さんざんに銀時が弄ったせいで、べたついているのが気にくわないらしい。それでもあちこち絡まったりしていないところが、桂の髪の髪たるゆえんで、羨ましいような、腹が立つような。
銀時は起きあがって、桂のからだを両腕で抱えるように抱き上げた。
「こら。なにをする」
「なんもしません。その足で風呂まで行くのはたいへんだろうという、銀さんの気遣いです」
「その怪我人を、思うさま好きにしておいて、云うせりふか」
「あたっ」
桂が銀時の白銀髪を思い切りつかんだ。こちらは案の定、絡まり放題に絡んでいる。
「なにすんだてめーはよぉ」
「なんでこんなに絡まってるんだ。いつものふわふわがだいなしだ」
「てめーのせいでしょうが。ひっつかんで、掻き回したのは、無意識ですか。そんなに我を忘れるほどよかったんですか」
「貴様こそ、ひとの髪を咬んだり舐ったり、汚したではないか。この天パ」
口ではあーだこーだと云いあいながらも、銀時はそのまま、はだかの桂の身を風呂に運んで横たえて、湯船に浅めの湯を張る。桂もそれに逆らわない。
「ほら、こっち乗せろ」
その背後に回り込んで腰をおろし、立てた膝で両脇を支えるようにして促す。桂の後頭部をおのが胸に押し付けるようにして、シャワーでまず軽く流した。
掌にシャンプーをとって泡立てる。黒髪を包み込むように揉み込んで洗う。手慣れているのはこれが初めてではないからで、桂は気持ちがいいのか、目を閉じてされるがままになっている。
むかしに比べてシャンプーの質もよくなったなと思う。
「ヅラくーん。痒いところは?」
「んー。ない」
眠そうな声が応える。
二度洗いしてよくすすぎ、こんどはトリートメントを掌に伸ばしてから、髪の付け根から毛先まで馴染ませた。しばし置く。
桂の髪に触れるのは好きだから、洗髪自体はいやではない。てか、たのしい。銀時にだけゆるされた特権のような気がして、髪を洗うのも渇かすのも結わくのも、億劫に感じたことはなかった。だがこれを桂がゆるすのは、そんな浪漫的な理由ではない。ただ、長い髪はめんどうだから、なのだった。
実際、たまにこうしてやらないと桂は髪を切りかねない。ことに情事のあとには、よくごねる。いちど本気で鋏を持ち出されて、銀時は焦った。そんな理由でこの髪を切られてたまるか。
桂が髪を伸ばしているのはこまめに鋏を入れるのが面倒だからで、そうして伸びた髪の世話が面倒になっては気短に散髪しようとする、その繰り返しだ。
戦時にも、銀時や高杉や坂本に請われてしぶしぶ翻意したことが幾度もあった。ほんと、みかけによらないのだ、こいつは。
こっくりと、桂のあたまが傾ぐ。
ぽっかん。
「…ぃたっ」
「寝るんじゃねー。溺れ死ぬぞ」
銀時が叩(はた)くと、桂が睨めた。
「だから、とりーとめんとなど要らぬとゆうのに」
「うっさい。おめーの黒髪長髪がいかに厭味なくらいさらっさらっでまっすぐでなめらかで頑丈にできてても、欠かしちゃなんねーのよ、これは。銀さんがいつも云ってるでしょーが」
「ううう。面倒だ。もう切ろっかな」
ぱっかん。
ほら、これだ。
「毛先揃えるくらいなら、いましてやる」
「痛いなーもうっ。ならもう、こんどからエリザベスに洗ってもらう」
目を剥いた。
「だめぇえええええええええっ!!! なに考えてんの、おまえ。そんなこと銀さんゆるしませんよ」
「なにゆえ貴様のゆるしを得ねばならん」
「なんででも、だめ。銀さん以外のおとこにこんな真似させたらだめ。てか、こんなふうに器用にやってやれるのは、銀さんだからよ。俺だけでしょーが」
「いや、わからんぞ。エリザベスはあれでなかなか器用だからな」
「とにかく、だめ」
桂はぷぅとふくれたが、それ以上は反論しなかった。
まったく。これだから。油断も隙もありゃしない。
銀時はぶつぶつ云いながら、そのあいだに自分の髪も洗って、こっちは手っ取り早くすませた。
桂のトリートメントを軽くすすいでから、湯船の栓を外して泡にまみれた湯をいったんすべて抜く。湯を落としながら、ついでにおたがいのからだも軽く流して、使った湯が流れきったところで、風邪を引かないようにシャワーにあたりながら、またきれいな湯を溜める。洗い髪は手拭いで纏めあげてあたまのうえに。そうして、こんどはたっぷりと湯を張って、芯まで温まるのだ。
銀時に背をあずけたまま、桂の気分はふわりふわりと湯に揺蕩う。こんなふうに茫洋と安心しきっている姿を見るのが好きだった。
銀時は背後からうなじを啄むように軽く口唇を落とす。揺蕩わせていた意識が戻ってきて、桂がくすくすと笑う。こうしたときはたいていもう満ち足りているから、性的な意味あいは薄くて、無言の伝達交換、触れあうだけの対話のようなものだ。
膝を曲げた状態で投げ出された桂の足首に手を伸ばして、そっと腫れを確かめる。
「あとで湿布しなおさねーとな」
「うん、たのむ」
「なあ、ヅラ」
「ヅラじゃない」
「桂。…切んなよ、髪」
「…………」
「なんで、そこで無言? はい、って返事は? はい、って」
「切りたくても、だれも切ってくれぬではないか。貴様といい晋助といい、先を揃えるばかりで」
「だからなんでそこで晋ちゃんんんん??」
「山科にいたころの話だ」
うわっうわわっ。地雷踏んだ。銀時が離れていた時期のことなのだ。
「てか、あいつに刃物持たせたらやばいでしょーが」
なんとか気を取り直す。
「いや、なんかやりたがるのでな。前髪や後ろ髪の長さを、こう、揃えるくらいのことは。うまいものだったぞ」
「…………」
返答に詰まる。その当時に妬ける立場にないことは承知してはいるのだが。
黙った銀時の気配に、察したのか、桂は悪戯っぽく
「…切らぬさ。せっかくまた伸びたのだからな」
云って、銀時の顎から胸もとに、まとめた洗い髪のあたまを擦りよせた。
「……やなこと、思い出させるんじゃねーよ」
目のまえに突きつけられなぶられた、ひと束の黒髪。浮かんだ悪夢の光景を振り払うように、桂の額に手をやってさらに引き寄せる。そのまま上向かせた額に口接けた。
「貴様が云ったのだぞ。忘れたか」
後頭部を押し付けたまま、目線だけを向けてくる。銀時は桂の濡れた前髪を弄っていた手指のうごきをとめた。
「? なにを?」
「みな、おれの髪を褒めるが。貴様が最初に云ったのだ。この髪を好きだと」
視線をまえに戻して、思い出すかのように淡々と、桂はつづけた。
「へ…」
忘れてなどいない。だが桂が憶えているとは思わなかった。
まだ出会ってまもないころの、なかば羨望の混じったこっぱずかしい本音。自分にないものをあたりまえのように持つ桂が、羨ましく。そしてそれ以上に、眩しかった。
「だから、切らぬ。忘れたのか」
「おまえ、銀さんの記憶力をみくびってんじゃねーよ」
内心の動揺を押し隠して、そう返す。
「そうか。なら、いい」
あいかわらず平板な声音だが、口の端には微かな笑みが乗っていた。
だから、切らない? 俺がこの髪を好きだから?
ったく、なんてことを云い出すんだ、この莫迦は。これだから、こいつはこわいんだ。無自覚にもほどがある。
ほんとうに、なんてことを。
「また、洗ってやっから」
「うむ」
白ペンギンに頼むなんて気を起こすんじゃねぇぞ。
ああ、もっとも、俺がエリぐるみに入ってるときなら、べつだけどな。
バスタオルで濡れた桂のからだを包み、風呂から寝台まで抱きかかえる。が、なにかにつまずき足を取られた。あやうく投げ出されかけた桂の身は寝台に救われたが、銀時は寝台の脚にしたたかに向こう脛をぶつける。寝台際に置きっぱなしの大きな荷物のことを、うっかり失念していた。
「あぃたたたたたたたっ」
涙目になっている銀時をよそに、桂は目をまるくして床の一点を見つめていた。なにかと思って、痛む脛をさすりながら銀時が目をやると。そこには。
「…やべっ」
つまずいた拍子に引っ張り、ほどけかけたのだろう。大きな風呂敷包みからエリぐるみが白い顔の黄色い嘴を覗かせている。
桂が無言のまま、銀時をじろりと睨めた。
いいわけも沈黙もゆるさぬていの威圧感。桂が小言を云っているうちは、うざいだけでぜんぜんこわくはないが、こいつはこわい。
やばい、まずい、怒らせた。ああいやあのそのこれはだな。
坂本からの誕生日の祝いで。めずらしくしどろもどろになって、ようように銀時がことの経緯を白状すると。うごけない桂は、銀時にエリぐるみを持ってこさせるや、あたまからすっぽりと銀時にそれを被せた。
「たばかった、罰だ。帰るまで取るなよ。せっかくのプレゼントなのだろう」
と、寝台に投げ出した足首を顎でくいっと示す。ああ、湿布のしなおしをするんだっけ。ここはとにかく不興を宥めなければ。
「へいへい」
そう口に出すと、ぽかりと殴られる。
「貴様はいまエリザベスなのだぞ」
『おめー、エリザベスなら殴ったりしねーだろうがよ』
それでも律儀に看板で抗議する銀時に、にっこりと、桂はおそろしいほどの笑顔で微笑んだ。
「湿布がすんだら、髪を切ってもらおうか。エリザベス。ばっさりと、な」
それは脅迫めいて。
すいません。勘弁してください。それだけは。
その晩から江戸へ帰る当日まで、エリぐるみ姿で銀時は、平謝りに謝った。
自前のしろふわを、エリぐるみのしろふわに化けさせたおとこの、ちょっぴり情けない、でもしあわせな、ことの顛末。
了 2008.10.16.