とりま、ついったにつぶやいたのをまとめて、ちょろっとだけ追加。
引き続き現在軸に桂さんが登場してないので、本篇は保留。
ヅラさん、もうずっと菩薩さまだと思ってたけど、如来さまに進化しかねなくなってきた。
(もうずばっと云っちゃうけどうちの桂さんのイメージは弥勒菩薩です)
つかもういっそ如来になっちゃえよ。そうすれば現世の人間に寄り添っていっしょに苦しむこともなくなるよ…。
あの身なりからしてお婆(実の祖母かはまだわからない)亡くしたあとはどこかに引き取られてるんだろうけど、迷惑や心配かける相手はいないという口振りだから、すごくこう、ビジネスライクな間柄なのかな…。
こう、神童と呼ばれる才能と引き替えるだけの間柄だったのなら、そのほうがシビアで重たいよな。いっそひとりぐらししてくれてたほうがまだしもな気もする。
奨学金で暮らしてたりしたのかな…どこかのお寺で間借り?して。
身のまわりのことはぜんぶひとりできちんとやっちゃいそうだもんなぁ(料理以外。でもおにぎりはつくれる)。いまはエリーや攘夷党のおっさんがいるから任せちゃってるけど。
このあと先生と暮らしたんだろうか…三人で。だとしたらますます甘っちょろいもんじゃねえ、んだけど。
(志した)自由なサムライではあると思う。心配かけまくってる幼なじみずのこと以外では。
ついでに明かしちゃうと。
うちの桂受けのシリーズタイトル「天涯の遊子」は〝この遙かな世界をひとり流離う旅人〟というくらいの意味合いなんですが。
まさか幼少の時点で天涯孤独の身になっていようとは。
なんとゆーか。
おとな桂さんは最初からそういうイメージで(だから作中でだれかひとりのものになっていないんです)、当人的には泰然自若で達観してるのに(菩薩だから)いっしょに苦しんでくれるわけですよ。んでもって世界を救済してくれるんですよ。
桂さんの黒さとかうちなる狂気とかは、柳のようにつよくて折れないこととの表裏一体で。
いつかどんなかたちでか桂さんもしあわせになってくれい、という気持ちでいたんですよね…。
だれより『ひとり』なのは桂さんなんですよ。銀さんじゃない。
ちっちゃなころから天涯孤独の桂さんを、よくも置いていったよなぁ…。
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ついでに明かしちゃうと。
うちの桂受けのシリーズタイトル「天涯の遊子」は〝この遙かな世界をひとり流離う旅人〟というくらいの意味合いなんですが。
まさか幼少の時点で天涯孤独の身になっていようとは。
なんとゆーか。
おとな桂さんは最初からそういうイメージで(だから作中でだれかひとりのものになっていないんです)、当人的には泰然自若で達観してるのに(菩薩だから)いっしょに苦しんでくれるわけですよ。んでもって世界を救済してくれるんですよ。
桂さんの黒さとかうちなる狂気とかは、柳のようにつよくて折れないこととの表裏一体で。
いつかどんなかたちでか桂さんもしあわせになってくれい、という気持ちでいたんですよね…。
だれより『ひとり』なのは桂さんなんですよ。銀さんじゃない。
ちっちゃなころから天涯孤独の桂さんを、よくも置いていったよなぁ…。
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