日曜日のアクセスがここ最近の平均に比べて格段に多かった。
最近はものがたりの更新頻度が落ちてるので一時期の五〜七割程度の需要が日常的なんだが。これはあれかな。劇場版の感想を求めてお出でなのかしら。
なんつうか。ことばで具体的に書けば書くほど、感じたものが薄っぺらくなるようで。終わったあとはある種の喪失感があって萌えるというよりは寂しかったんだけど、時間をおいたら逆にじわじわと来るものが…。
こう、うまくたとえて評せられるんならいいんだけど、そんなエスプリはないしなぁ。細かい不満も逐一上げる気にはならないし。おもしろさやたのしさやせつなさといった感動は、いかにことばを尽くしてもやっぱりほんものには遠く及ばないのだ。
まあ。また水曜に二回観てくるんだけどな!
なので、劇場版の感想というか、そこから思い描いたあれこれ。
ねたばれしてるので、未見のかたはスルー推奨。で、鑑賞後にごらんいただけたらうれしい。
ほんとにアニメ銀魂をそのまま劇場版にブラッシュアップした感じの出来映えで。まずはのっけからその「らしさ」を堪能しつつ、本篇に入っていくくだりが、つかみはおっけー的な。
過去の村塾情景、艦上での高杉と桂との対話、銀桂共闘の凄まじいまでのつよさ、パラシュート場面の秀逸なこと。そしてその全篇を貫く桂の美麗さ。
あの場面を観るためだけにでも劇場に足を運ぶよ。んでもって、一刻も早くDVD化を!切望!!
高杉はその背中から漂うものが(原作者がそう願ったように)大きく描かれてるし。危惧したほど、銀時vs高杉の変な脚色もなされてなかったし、真選組も夜兎も極力自然な流れのなかでの登場。河上が春雨との交渉に向かう場面もスケールアップされてて、ラストでつぶやくだけの河上というキャラが至極立つようになっている。
遠景にちいさくパラシュートが揺れて漂っていく場面で、自分はらぴゅたのラスト場面を思い浮かべたですよ。あの白く浮かぶパラシュートはたとえようもなく美しく切ない。
そのあとに、離脱していく鬼兵隊の艦が画面をなめて上昇していく(これ、劇場版ガンダムでもシャアの乗艦でやってた手法なんですが)ことで、本篇中で生死のわからないままのキャラの生存を仄めかし(明かし)、春雨場面の挿入ものちのちの本篇に絡む伏線になっている。
原作にあった似蔵視点の独白や鍛冶屋兄妹を主眼からあえて外し、物語の核を彩るエピソードのひとつにすることで、その核である村塾三人の、過去・現在・未来、が明確に浮かびあがってくる。銀さんvs似蔵が表の、高杉vs桂が裏の、軸だった原作(TV版紅桜)とは異なる切り口の新訳紅桜。
いまこのタイミングで紅桜をやるうえで、銀さんvs似蔵でなく銀桂共闘をクライマックスに持ってきた構成・演出の着眼のすばらしさ。
なんでかっていうとね。原作の流れでこの話は「銀さんのなかの白夜叉をふたたび覚醒させる」役割を担っているわけです。でも視聴者&読者側はもうそのことを知っている。その先の銀さんを知っている。だからここで「覚醒したのか!」を押しても、気持ち的に「なにをいまさら」という気分が心のどこかで引っ掛かっちゃうはずなんですよ。
ゆえにそこはさらりと原作どおりに描いて、原作ではかんたんに触れられるだけだった銀桂共闘からパラシュート脱出の場面を、これでもか、というほどのハイクオリティで、しかも尺を割いて描く。
もうここの銀桂のよゆうぶっこいたすさまじいまでのつよさは、筆舌に尽くしがたい。美しく冷酷に剣を振るう桂と、ある意味野放図な鬼のようにかっこいい銀さん。それぞれが独り立ちして闘いながら、きちんとおたがいの背をまもっているという、戦線離脱のその瞬間までの息の合いっぷり。
ああ、このふたりはずっとこんなふうに闘ってきたんだなぁ。と、ことばではなく視覚的に伝わってくる。彼らの過去からの濃密な時間の流れがそこに見える。
で。つづくパラシュート場面にもこれまた尺を取り、描き込み、ここのふたりをじっくり描くことで、彼らとともにあった(そしていま、ここにいない)高杉との関係性の深みまでもが描きだされてくるわけですよ。「同士なんて甘っちょろいもんじゃない」わけですよ。
そのあとのおまけ的詐欺予告も、真選組のセルフ突っ込みも、アバンからのつながりでWB弄って遊ぶのも、まさかの坂本&陸奥と、文字どおりオールキャラの登場も、なんとも銀魂らしい、やっちまえ的なサービス精神にあふれてて、ほんとうにたのしい!
以下、蛇足。
桂は高杉を救いたくて、でも救えなかった。
高杉が、おのれが救われることなどもう希んでいないのだ、と桂はこのとき感じたと思うのさ。だからこそ剣を突きつけ、ぶった斬る、と宣言したんだと。だからこそ、パラシュート場面で教本を手にした桂は、あれほどに切なげなのだと。
このとき桂は同時に考えたと思うの。
おのれの攘夷の行く末を。成すべき未来を。
おのれは高杉をまるごと救いたかったけど、高杉はもう(わるい意味で)腹を括ってる。単純に心身ともに救える場所に高杉はもういない。ならば、せめて。
それしかもう、高杉(の魂)を救う手立てはないから。
そしてそうすることでしか、自分のたいせつなものも、銀時(のたいせつなもの)も護れないから。
桂さんはここで、それを覚悟したと思うんだ。
このとき銀さんはたしかに前に進んだと思うの。
逃げ出した過去を(捨てたと嘯くのでなしに)見つめることのようやくできはじめていた銀さんが、自分の弱さが招いた現実をふたたび眼前に突きつけられて、その弱さを認め、そのうえでたしかにあった過去の時間を取り戻し、それを受け容れることで新たなリスタートを切る。
この銀さんにはそれができていたと思うんだ。
そして高杉。この高杉には夢見てもゆるされる気がした。
立つ場所がちがっても、いま見てる方向が違っても、道は違えても、行き着いた先にあるものが重なることはあると思うんだよ。
覚悟しちゃった桂さんのためにも、高杉の腹の括り方が意図したものと(結果としてであれ画策したものであれ)別の目に転ぶというのを切に期待したい。
攘夷四人のうち、よくもわるくも腹を括れてないのは(いま現在の原作の)銀さんだけですよ。このあとに来る竜宮篇やねこ篇を踏まえたうえで、銀さんにはこの新訳紅桜のラストバトルまでもういちど立ち戻ってほしい。この紅桜の銀さんになら夢を見られる。
と、書いたところで今週の原作を読んだら、ちょっとだけ銀さんに希望の持てそうな展開だった…かも。まだ次週以降如何だけど。後日別項。
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ほんとにアニメ銀魂をそのまま劇場版にブラッシュアップした感じの出来映えで。まずはのっけからその「らしさ」を堪能しつつ、本篇に入っていくくだりが、つかみはおっけー的な。
過去の村塾情景、艦上での高杉と桂との対話、銀桂共闘の凄まじいまでのつよさ、パラシュート場面の秀逸なこと。そしてその全篇を貫く桂の美麗さ。
あの場面を観るためだけにでも劇場に足を運ぶよ。んでもって、一刻も早くDVD化を!切望!!
高杉はその背中から漂うものが(原作者がそう願ったように)大きく描かれてるし。危惧したほど、銀時vs高杉の変な脚色もなされてなかったし、真選組も夜兎も極力自然な流れのなかでの登場。河上が春雨との交渉に向かう場面もスケールアップされてて、ラストでつぶやくだけの河上というキャラが至極立つようになっている。
遠景にちいさくパラシュートが揺れて漂っていく場面で、自分はらぴゅたのラスト場面を思い浮かべたですよ。あの白く浮かぶパラシュートはたとえようもなく美しく切ない。
そのあとに、離脱していく鬼兵隊の艦が画面をなめて上昇していく(これ、劇場版ガンダムでもシャアの乗艦でやってた手法なんですが)ことで、本篇中で生死のわからないままのキャラの生存を仄めかし(明かし)、春雨場面の挿入ものちのちの本篇に絡む伏線になっている。
原作にあった似蔵視点の独白や鍛冶屋兄妹を主眼からあえて外し、物語の核を彩るエピソードのひとつにすることで、その核である村塾三人の、過去・現在・未来、が明確に浮かびあがってくる。銀さんvs似蔵が表の、高杉vs桂が裏の、軸だった原作(TV版紅桜)とは異なる切り口の新訳紅桜。
いまこのタイミングで紅桜をやるうえで、銀さんvs似蔵でなく銀桂共闘をクライマックスに持ってきた構成・演出の着眼のすばらしさ。
なんでかっていうとね。原作の流れでこの話は「銀さんのなかの白夜叉をふたたび覚醒させる」役割を担っているわけです。でも視聴者&読者側はもうそのことを知っている。その先の銀さんを知っている。だからここで「覚醒したのか!」を押しても、気持ち的に「なにをいまさら」という気分が心のどこかで引っ掛かっちゃうはずなんですよ。
ゆえにそこはさらりと原作どおりに描いて、原作ではかんたんに触れられるだけだった銀桂共闘からパラシュート脱出の場面を、これでもか、というほどのハイクオリティで、しかも尺を割いて描く。
もうここの銀桂のよゆうぶっこいたすさまじいまでのつよさは、筆舌に尽くしがたい。美しく冷酷に剣を振るう桂と、ある意味野放図な鬼のようにかっこいい銀さん。それぞれが独り立ちして闘いながら、きちんとおたがいの背をまもっているという、戦線離脱のその瞬間までの息の合いっぷり。
ああ、このふたりはずっとこんなふうに闘ってきたんだなぁ。と、ことばではなく視覚的に伝わってくる。彼らの過去からの濃密な時間の流れがそこに見える。
で。つづくパラシュート場面にもこれまた尺を取り、描き込み、ここのふたりをじっくり描くことで、彼らとともにあった(そしていま、ここにいない)高杉との関係性の深みまでもが描きだされてくるわけですよ。「同士なんて甘っちょろいもんじゃない」わけですよ。
そのあとのおまけ的詐欺予告も、真選組のセルフ突っ込みも、アバンからのつながりでWB弄って遊ぶのも、まさかの坂本&陸奥と、文字どおりオールキャラの登場も、なんとも銀魂らしい、やっちまえ的なサービス精神にあふれてて、ほんとうにたのしい!
以下、蛇足。
桂は高杉を救いたくて、でも救えなかった。
高杉が、おのれが救われることなどもう希んでいないのだ、と桂はこのとき感じたと思うのさ。だからこそ剣を突きつけ、ぶった斬る、と宣言したんだと。だからこそ、パラシュート場面で教本を手にした桂は、あれほどに切なげなのだと。
このとき桂は同時に考えたと思うの。
おのれの攘夷の行く末を。成すべき未来を。
おのれは高杉をまるごと救いたかったけど、高杉はもう(わるい意味で)腹を括ってる。単純に心身ともに救える場所に高杉はもういない。ならば、せめて。
それしかもう、高杉(の魂)を救う手立てはないから。
そしてそうすることでしか、自分のたいせつなものも、銀時(のたいせつなもの)も護れないから。
桂さんはここで、それを覚悟したと思うんだ。
このとき銀さんはたしかに前に進んだと思うの。
逃げ出した過去を(捨てたと嘯くのでなしに)見つめることのようやくできはじめていた銀さんが、自分の弱さが招いた現実をふたたび眼前に突きつけられて、その弱さを認め、そのうえでたしかにあった過去の時間を取り戻し、それを受け容れることで新たなリスタートを切る。
この銀さんにはそれができていたと思うんだ。
そして高杉。この高杉には夢見てもゆるされる気がした。
立つ場所がちがっても、いま見てる方向が違っても、道は違えても、行き着いた先にあるものが重なることはあると思うんだよ。
覚悟しちゃった桂さんのためにも、高杉の腹の括り方が意図したものと(結果としてであれ画策したものであれ)別の目に転ぶというのを切に期待したい。
攘夷四人のうち、よくもわるくも腹を括れてないのは(いま現在の原作の)銀さんだけですよ。このあとに来る竜宮篇やねこ篇を踏まえたうえで、銀さんにはこの新訳紅桜のラストバトルまでもういちど立ち戻ってほしい。この紅桜の銀さんになら夢を見られる。
と、書いたところで今週の原作を読んだら、ちょっとだけ銀さんに希望の持てそうな展開だった…かも。まだ次週以降如何だけど。後日別項。
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