「トリック・オア・トリート」
吸血鬼、カボチャお化け、魔女、白布の幽霊。
緊急用件だからと戦術予報士に云われて開けた扉の向こうで、奇っ怪な仮装をした面子が目のまえに並んでいた。
「なんですか、あなたがたは」
ティエリアは眉を顰めた。腕を組み仁王立ちして睨みつける。
「…ト、トリック・オア・トリート。ティエリア」
「だから、ここはやめようって、云ったんっすよう」
「なに云ってるのよ、こういうものはみんなを巻き込むからたのしいんじゃないの」
「………」
声から察するに、ブリッジのクルーたちのようだ。
「なにをしているんだ。これはいったい…」
「おー、なつかしいなぁ」
かさねて問い詰めようとしたティエリアの声に、奇っ怪な集団のその向こうから声が被った。
「あ、ロックオン。どこ行ってたんすか。部屋にいないから…」
カボチャお化けがほっとしたような声を上げた。
「なんだ。俺の部屋にも来たのか。そいつはわるかったな」
「そうよ。せっかくいちばん最初に行ったのに、あなたいないんですもの」
グラマラスな魔女が濃紺のアイシャドウの目でかるく睨む。
「ちょっと買いもので」
「あ、じゃあここでいいじゃない。トリック・オア・トリート!」
吸血鬼にしてはキュートな声が両手を差し出す。ついでにとなりの白いシーツを被ったお化けを肘でつついた。
「ほら、云わなきゃ。教えたでしょ」
「……ート」
ぼそりと呟いた声が、あたまから被った白布を引き摺っておずおずと手を出した。
「はいはい。ちょうどよかったよ」
ロックオンはその白布の手に、ふくらんだポケットから出したきれいな包み紙のちいさな菓子をあまるほど載せて、そのあたまをぽすんと撫でた。
「俺からと、ティエリアからのぶん、な」
そう云いながら、吸血鬼の手にもおなじように載せる。
「あら、ずいぶんと準備がいいわね」
魔女が感心したように云って、手にしたグラスからひとくち呷った。
「おいおい、酒浸りの魔女かい」
「いいじゃない。お祭りですもの。じゃ、つぎ、行くわよぉ」
「あとはラッセさんっすかね」
「イアンさんとドクターモレノはトレミーに残ってるもの」
魔女に率いられた一団がまたがやがやと、廊下を渡っていく。
云い忘れたが、ここは太平洋第六スポット。エージェント王留美の別荘である。プトレマイオスの一行は地上での義務休暇に降りてきていた。
半ばあきれてそれを見送るティエリアを、扉まえにひとり残ったニールがたのしそうに見つめてくる。
「…なんのまねですか、あれは」
ティエリアは柳眉を寄せて訝った。
「今夜はハロウィンだろ」
ほら、とカボチャをくりぬいたジャック・オー・ランタンのミニチュアを、ポケットから取り出してティエリアの手に握らせる。
「ハロウィン…、…万聖節前夜か。古くは年納めの収穫祭…」
いつもながら知識としてはちゃんと持っているのだ。
「そ。俺の故郷のあたりはけっこう盛大にやるし馴染みも深いんだが」
「…あのような巫山戯たものを?」
不機嫌そうに蹙めた頬を、革手袋の手が撫でる。
「秋の収穫を祝い、死者の霊を導き、悪霊を祓う。格好は巫山戯ていても、もとはちゃんとした意味合いがあるんだよ」
「それで、トリック・オア・トリート、か」
ティエリアはその手を避けるように一歩身を退いた。強引に手渡されたちいさなランタンを覗き込む。なかには蠟燭の代わりにひとくちサイズの焼き菓子が入っていた。
「そう、御馳走をくれないと悪戯するよ、てね。こどもたちで仮装してご近所を回るのさ。そのあとは、もらったお菓子を持ち寄ってパーティしたり」
「では、あなたも?」
「そりゃまあ、ちびのころには」
「…人間の風習というものは、理解しがたい」
ひとつ溜め息を落として、ティエリアはそのまま部屋へと身を反す。
「トリック・オア・トリート」
閉じかけるドアを片手片脚で阻んで、ニールは背中越しにティエリアの耳もとで唱えた。
ティエリアの肩がぴくりと揺れて、周章てたように耳もとを押さえて振り返る。
「巫山戯ないで欲しい。あなたまで」
「巫山戯てませんって」
「おれは菓子など持ち合わせていない」
幽かに朱を差した眦に、ニールはすばやくキスを落とす。
「ロックオン・ストラトス!」
「お菓子がもらえなかったときは報復の悪戯がゆるされるんだぜ?」
かるく片目を瞑って、笑んだ。
「悪戯なら、御免被る」
正面切って睨みつけてきた紅玉に、ニールは目を瞠り、思わず息を呑む。
「…え、とぉ」
ティエリアは目を眇め不遜な笑みを口の端に刻んで、ぷいっと、こんどこそ部屋に引きあげる。ニールは周章ててその背を追い、ドアの閉まる音とともに抱きしめた。
「…悪戯じゃ、なければいいんだ?」
吐息のように耳朶に囁いて、背後から回した腕で頸筋を撫で紫黒の髪に指を差し込む。ティエリアの身がふるりと震えた。また耳を押さえるしぐさをして肩越しにかるく睨む。
「あなたに差し出すお菓子などないが?」
手にしていたプチランタンを潰さぬように、サイドボードに載せた。
「おまえさんが、俺には御馳走なんだって」
「そういう喩えは不愉快だ」
ティエリアは身を竦めるようにして、ニールの腕から逃げる。むろんのことゆるさない。
「こーら、逃げるな。…逃がすかよ」
ぎゅっと抱く腕をつよめて耳朶を食んだ。
「…っ」
ティエリアが身をこわばらせてかぶりを振る。そのくせその耳もとに朱を散らせているのだ。
「ティエリア? …なんだよ、さっきから」
「……」
華奢な身を両腕に囲って紫黒の髪に頬を寄せる。赤らめた耳のうしろに口接けながら、ニールは不満げに呟いた。
「喩えが不愉快だってんなら謝る。けど悪戯じゃないことくらい、もうとっくにわかってるだろ」
「…ちがう。声が…、」
「…声?」
ティエリアは囲い込まれた腕を細い指でつかんで、まだ逃れたそうにしている。
「だから、逃がさねぇって。…声が、なに?」
「……響く、から。あんまり、耳のそばで…」
「………こう?」
わざと耳に息を吹き込むように云うと、薄い肩がきゅっと寄せられた。
「ロックオンっ」
「…っと。ティエリアってさ…なに、この声、そんなに好きだった?」
その囁きに、諦めたように華奢な身のこわばりが解けた。ティエリアはひとつ息を吐いて、その背の重みをニールに預ける。
「……」
無言のままだったが、それが肯定だとわからぬニールではない。出会ってから三年以上になるのに。いまさらのようにそんなことを。
「そりゃ…そいつはどうも。…よろこんでいいのかな、これは」
「知らない」
ニールは面映ゆそうに口もとをほころばせたが、また耳もとで喋るとこんどは逆に不機嫌にさせそうで、少しばかり顔を退いた。
「声だけで…感じてくれるってのも、うれしいけどさ」
「…笑えばいい。こんなことおかしいと、自分でも思う」
拗ねたようにふくれて云うから、たまらずに、抱く身を腕のなかでくるりと反して、キスをする。
「じゃあ、俺もきっと…おかしいんだな」
「…? なにがだ」
繰り返し口唇を啄めば、それに応えるように啄み返して、ティエリアは視線で問うてくる。
「俺も…」
その先はキスに濁してニールは両腕でしなやかな身を攫った。
別荘でマイスターズにあてがわれた個室は、プトレマイオスのそれとは異なり必要充分なゆとりがあり、ベッドもちょうど心地のよいやわらかさだ。
ティエリアに覆い被さるように身を横たえたニールは、繰り返すキスのあいまあいまに耳もとでティエリアの名を呼んだ。
「…わざと、だっ」
朱を昇らせてかるく抗いながら、それでも革手袋を外すニールの手に指を絡めて自ら剥いでいく。その手はティエリアに預けておいて、倦くことなく口接けを交わし、先に素手となった掌で肌理の細かい肌を探った。
「んむ…」
目を閉じその接吻にこたえつつ、ティエリアは残った革手袋を抜き取る。空いたその手がカーディガンとシャツを捲り上げて忍んでくるのを拒むことはない。
常日頃ていねいに扱われる狙撃手の指が、ティエリアの繊細な肌を暴いて、いささか粗野に蠢く。ティエリアは身を仰け反らせて愛撫に喘いだ。
「…あ、…ふ、はぁ……、んあ」
眉根を寄せて閉ざされた深紅の双眸が、ときおり思い出したように薄く開かれてニールの碧緑をたしかめる。その瞼にもキスを落としながら、ニールはティエリアの下肢を覆う布を剥ぎ取り、膝を捉えて引き抜いた。
まさぐっていた指で、すでに兆しているものをつかんでゆるく扱く。
「はっ、あぁ」
熱く乱れてきた息が、伸ばされたたおやかな腕にぎゅっと抱え寄せられた、胡桃色の髪の耳もとを掠める。
「…ん、ロックオン…」
ずくりとした熱が、芯を持ってきたものに注ぎ込まれて、ニールは低く呻いた。
「…っ…ティエリア…」
よゆうを削がれて逸る指先が、湿った奥へと這入り込む。
「つぅ、…や、痛…い、ロック…オン」
苦痛に喘ぐのを口接けで宥め、ニールはいったん手指を退いてティエリアの濡れた口唇をなぞった。
「…ティエ…」
薄く目蓋を擡げた紅玉のその間近でおのれの手指を舐めて見せ、促すように朱唇にあてがう。赤い舌がそろりとその指を口腔に迎え入れ、くちゅりと濡れた音を立てて絡んだ。
銀糸を引いて離れた指先が、ふたたび奥に潜り込む。ニールの口唇が、よくできました、とばかりにティエリアの口唇を啄んで、ついいましがたまで指を銜えていた舌に嫉妬したかのように熱く深く舌を絡めた。
深奥で蠢く手指が増えていくたび、甘く喘いで身を捩る。
「ん、ぁぁ…や、あ、…」
濡れて外れた口唇から漏れる吐息は艶めいて、抱くおとこの背を凶暴な竜となって駆け昇る。
「ティエリア…」
口唇の触れあう距離で掠れた声で名を呼べば、その深奥は指を呑み込むようにきゅうと締まる。それを合図に引き抜くように後退して、ニールは両の手でまるい膝を押し開き、細い腰にぐいとおのれを埋め込んだ。
か細い悲鳴はたがいの口腔のなかに呑み込まれて、ティエリアは背を撓らせてその侵攻に堪えた。ぐ、ぐ、とたしかな足取りで身を押し進めていくのに、滲む深紅の双眸から涙があふれて零れる。頬にその感触を感じて、ニールはつよくかさねていた口唇をゆるめ、そのまま滑らかな肌を辿って眦の水滴を吸った。
「ティエ…リア」
雫を追って耳殻に舌を這わせながら、名を紡ぐ。ふるりと震えたティエリアの腕がニールの背中に爪を立てた。
「…ロックオ…ン……ぁ」
くるりと耳に絡む胡桃色の髪が、その吐息に揺れる。ざわりとまた背筋を這い上がる愉楽がニールの脳髄をとろりと蕩かして、奥を穿つ熱の塊は容赦なく剥き出しの欲に晒されていく。
「ひぁ…、ん…ん」
刻みだした律動がティエリアを揺らす。ともに揺れながら打ち付ける身の音が、荒ぶるおとこの呼吸にかさなる。
「……ロッ…ク…オン…、…ロックオ……んむ………ん」
なんども喘ぐように紡がれるのを、遮るようにニールは口接ける。
「ティ…エ……」
こんなにも息は苦しいのに、たがいの口唇はたがいを求めて止まない。
繰り返し吸う。応えて口を開く。舌が絡まる。それはたぶんきっとその名を呼ばせないためだ。その声を耳に感じないためだ。
情欲に急き立てられて激しくなっていくニールの抽送に、ティエリアはそれを包みこむことで応えた。
だってもう感じてる。もうこれ以上の愉悦は毒だ。ただ、こわいだけ。
汗を散らせ、その律動を極めた一刹那。
ティエリアの口を吐いた甘い嬌声に、ニールは堪えきれずにその身を弾けさせた。
なのにその最後の耳に残るのは、やはりたがいの声なのだ。
寝乱れたベッドのシーツにくるまり、ふんわりとした上掛けを引き寄せる。浮かんだ汗の引いていくティエリアの肩は、まだほんのりと桜色に染まっている。
「…ティエ。シャワー浴びる?」
仰向いたニールの肩口に抱きよせた紫黒の髪に、囁きを落とす。
「…ん………もうすこし…このまま…」
ティエリアは猫のようにしなやかに伸びをして呟き、その吐息が耳朶を掠めた。
「…ぅ」
そしてまたちいさくまるまろうとする。その拍子に耳もとから頸筋に掛かる胡桃色の髪が、濡れた口唇に絡む。
「ロックオン…」
「っ」
反射的にぴくりと撥ねた胸板に、ティエリアが訝しげにニールを見た。
「…ロックオン?」
碧緑の双眸は紅玉を避けるように視線を逸らせた。
「なにか?」
肩口にあたまを載せたそのままの姿勢で喋ってくるから、どうしたって声が耳に近い。
そのまま見ようとしないニールに焦れたティエリアが、耳朶を咬んだ。
「わっ」
らしくもなく狼狽えて、ニールは耳を押さえてティエリアを見る。
「なぜ、目を逸らす」
情事の名残の熱を宿したままの深紅の双眸が、いつものきつい眼差しで睨めてくる。
「…ティエ。……だからさ、俺もだめなんだって」
ニールは降参のポーズをして、そのちいさなあたまを強引に胸もとに抱え込んだ。
「っ、苦しい、ロックオン。なにがだ。意味がわからない」
「だから。俺もおかしいんだよ」
胸もとから、紫黒の前髪越しに紅玉が見あげてきた。
「…?」
「声。俺も…おまえの声に感じるから」
びっくりしたように、切れ長の双眸がまんまるくなる。
「……」
「イキ声が、とくにやばい」
驚きに見つめられる気恥ずかしさに、ついよけいなひとことを付け足せば、案の上、ティエリアは眉を吊り上げてニールの口唇を指で捻った。
「てっ」
「おれの云うのはそういうことではない」
「わかってるって。こういうふうにふつうに喋ってる声にでも、…感じることがあるってことだろう?」
生真面目に云い返してくるおもてを抱え寄せ、後半、わざと声を低く落として耳もとで囁いてやる。ティエリアはおもしろいくらいに反応して、眦に朱を刷いてニールをひと睨みすると、頸筋に掛かる胡桃色の髪をつかんでニールの耳もとを顕わにした。
「ちょ、ティエリア」
ぎょっとなって身を退くニールに、疑似人格のときのような嫣然とした笑みをつくって微笑むと、逃すまいとその口唇を寄せてくる。
「そうとも…、万死に値する」
いつもの科白を、いつもとは裏腹な、このうえもなくとろけるような妖艶さで囁かれて、ニールは撃沈した。
これならほんとうに、なんどでも死ねる。…かもしれない。
了 2011.10.31.