Armed angel #23 二期終幕後 ニルティエ
兄貴の闇。でも甘々。R18。
少し長めの全三回。その3。終話。
馴染みのある重い熱が腰にたまっていくのを覚えて、おのれの欲がまた主張しだすのを感じる。
「な、イノベイドってのはみな無性なのか?」
つとめて意識を逸らそうとしたが、きっと悪足搔きに終わるだろう。
「本質は、そうだ」
ティエリアの拘りが性差にないことは以前から気づいていた。ティエリアに在ったのは『人間』と『そうでない自分』であり、重要なのは『マイスターにふさわしい存在であるか否か』という一点に尽きたからだ。
性別に拠らない超絶する美貌はたしかにニールの恋情を後押ししたが、ティエリアが少年であることをおのれが問題視しなかったのもまた、そんなことよりほかに引っ掛かりが多すぎてそれどころではなかった、というのがほんとうのところだ。
「情報タイプは人間として社会生活を送る必要性から、必ず性別があたえられるが、それも脳の形状と表現体が生み出す差異でしかない」
ライルが愛したというアニュー・リターナーが、それに当たるのだとティエリアは云う。
「…ティエリアは?」
「ぼく? …この身が男性型の表現体を採っているのは、マイスターとして人間社会と関わる機会が多いことを前提とされていたからだろう」
徐々に嵩を増してゆく湯を掌で掬っては流すことをどこか稚(いとけな)いしぐさで繰り返しながら、ティエリアは茫洋とその流れを見つめている。
「ぼくは自分がイノベイドでよかったと思う。あなたとおなじ場所にいけないことだけが悲しかったけれど」
「いけるだろ、いまは。というか、死んでも俺とともにいるって誓ったよな」
湯水を掬っては零す白い手をつかんで、ニールはその掌に口接けた。
「…決めた。あした指輪買いに行こうぜ」
左の薬指を口唇で啄みながら告げる。それはかつてニールの果たせなかったささやかな希みだった。
「いらない」
「そう云うと思ったよ」
幽かな、既視感。
すげなく首を振るティエリアの肌に抱き込んでいた腕を滑らせて、そのまま下肢に指を絡める。ティエリアはおとなしく目を閉じて、あたたかなぬくもりからもたらされる愛撫に身を委ねた。
「…ん、っ、は、……………ああ」
湯槽に揺蕩う身がしなやかに反って、うすい白濁を放った。
かさねた腰の、下から突き上げられていたティエリアがくったりと浴槽の縁に凭れかかる。
「…ニール…」
縺れるように立ち上がらせて、壁の操作パネルを叩いてシャワーを捻った。降りそそぐ水流のなか、そのまま浴室の壁に手をつかせて背後から突き入れ、倦くことなく抽送を開始する。
「あ、はぁ。ニール…ニ……ル。…」
打ち付ける肉の音が弾ける水音に雑じり、白い両の五指が濡れた壁を掻く。
執拗なまでに求めつづけるニールに、ティエリアもまた抗うそぶりを見せない。とうに理性は飛んでいるのだろう、細い腰はニールのなすがままに揺れ、振られ乱れて、深く浅く、突き、こね回すたびにその内壁はいっそう甘くニールの芯に絡みついてくる。
「…う、く、」
「ニール…、ぅ…あ、い…ぃ」
「ティエリ…、は、ティ…エ。…」
間断なくもたらされる律動に合わせて、ニールが掌に握り込んだものはゆるりとまたあたまを擡げてくる。苦しげに喘いで半開きに開かれた口腔に、シャワーの温水が流れ込む。息苦しさに振られた紫黒の髪が濡れて頬に張り付き、まだときおり思い出したように開かれる瞼の隙間から、深紅の双眸は妖しい光を放って淫欲の淵にニールを引き摺り込む。
水音に掻き消されがちな荒ぶるたがいの息遣いと呻きと嬌声とが、浴室に満ちて、いくど果てようとも欲望はとどまるところを知らない。
根もと深く双玉までをめり込ませんばかりに突き上げながら、ニールは焦がされる我が身の熱に狂れていく。狂気すら孕ませた蹂躙に、ティエリアはどこか歓喜さえ滲ませて応えつづけた。
ああ。
感極まった声がどちらからともなく溢れ零れて、放たれたニールの精が繰り返し注ぎ込まれていく。
「ティエリア、…ティエリア……ティエリア」
もうそこには互いしか存在せず、つながる肉の境目さえも曖昧で、流れ落ちる温水とたがいの体液との区別もつかない。
仰向かせて背後から強引に口唇を奪い、捻られたたおやかな頸筋を愛しげにニールは撫でる。このまま締めたらどうなるのか。悖徳の誘惑にすら駆られながら、ニールはそのままティエリアのうすいからだを返して、大腿から片脚を擡げ、いま抜いたばかりのそこへ厭きず挿し込み突き上げ、華奢な腰をつかんで荒々しく揺すりあげた。
掠れた悲鳴がティエリアの咽を衝き、すすり泣くような嗚咽がニールのうごきに連れて昂ぶりを見せる。
「や、ああ、い、…ぃや、も…だ、やだ」
呻き喘ぐ音の羅列も、濡れて擦れる粘膜の音も、たがいの耳には届かない。抗拒のことばを吐きながら、だがティエリアの腕はそこにしかもう我が身を支えるものはないのだとばかりにニールの背をひたすらに掻き抱く。ただただ狂おしく攻め立てる下肢のうごきとは裏腹に、華奢な背と腰に回されたニールの腕もまたどこか縋りつくかのようで、その滑稽さに、片隅に追いやられたわずかばかりの理性の欠片が自身を嗤った。
貪欲も過ぎた情交に、完全に落ちたティエリアのからだをていねいに洗い上げ、清潔なバスタオルでくるんでこんどこそニールは、そのからだをもうひとつのベッドに運んでそっと寝かせた。
おのれは水気を拭っただけの裸身のまま華奢な肢体の傍らに身を滑り込ませて、掛布を頸元まで引きあげる。バスタオルごと抱き込んでしっくりと馴染む位置にティエリアを落ち着かせると、急激な疲労と充足とが身を浸すのを自覚するまもなく、ニールもまた深い睡りの淵をすべり落ちた。
ゆっくりと浮上する意識に、瞼をすかして外光が赤く滲む。ぱちりと音がするかの唐突さで、深紅の双眸は見開かれた。
「…ん」
眩しさに二度三度瞬きをしてまとわりつく睡魔の残滓を払うと、ここはどこだろうとティエリアは考える。ぼんやりとしていた視界が端正に整った精悍な面差しをようよう捉えて、それがニールであることを確認する。が、これが夢か幻か現実なのか、まだティエリアには判然としなかった。
もそりとからだを動かし、下肢に走った鈍い痛みに、おのれが意識体ではなく現実の肉体を得ていることを認識した。
ああ、そうだ。そうだった。
それと同時に、ゆうべからおそらくは今朝方までつづいたのだろう情交と、おのが痴態が甦り、ティエリアは火照る頬を自覚してそっとそこから抜けだそうとしたのだが。背に回されたニールの腕はしっかりとティエリアを抱き込んで解かれることはなく、気持ちよさそうに眠る目のまえのおとこを起こすことなしに抜け出るのは困難と判断して、もういちどその場所に身を落ち着けた。
至近の距離で胡桃色の前髪の乱れかかるおもてを眺めながら、そっとそれを横に払ってやわらかに撫でつける。碧緑は閉ざされたままだが、規則正しい穏やかな寝息と疵痕のない右の瞼に安堵を覚えて、ティエリアは誘(いざな)われた情動のままに、かたちのよい鼻先に触れるか触れないかのキスを落とした。
そうだった。再会ののちに晴れて殴ってやったのだから、そのあとには、そう。
百万遍のキスを。
贈らなければと考えて、ゆうべはそのうちのどのくらいを果たしただろうかと、つらつらと考える。考えたところで、ところどころ記憶が飛んでいるから正確な数などわかろうはずもない。いや、この身は生体端末なのだから記憶層と感覚をフル稼動させればそれも把握できるのだろうが、無為に思えてやめた。それに。
そんなことをしなくても、いずれそのくらいはキスすることになるだろう。うごきのとれる片方の手の指先で、ゆうべさんざんにおのれを貪った口唇のかたちをそっとなぞる。
ありえないほど甘ったるい発想にティエリアは辟易として、小声で我が身を罵った。
「万死に値する…!」
きつく目を閉じておのれの視界から愛しいおとこの姿を閉め出すと、どうせうごけないならもう少し眠ろうとちいさく息を整えた。
「…なんだ、おしまい?」
その声にぎょっとして見開いた紅玉に、まだ眠気をまといつかせた碧緑が、残念そうに笑むのが映る。
「…悪趣味なひとだ。いつから起きていた」
「や、なんか夢で、抱っこしてたうさぎが逃げようとしたんで、…捉まえようとしたら」
目が覚めた。
しくじった、とティエリアは柳眉を寄せる。ニールが気配に敏いのは狙撃手として慣らした時代の習い性だと、云っていたことを失念していた。
負の遺産だよ、と苦く嗤ったロックオン・ストラトスに、それはマイスターには有益な習性だろうと、そのときのティエリアは意にも介さなかったのだ。
いまだってそう思うが、自嘲にも似た彼の苦笑の意味は、いまならわかる。そんな習慣など忘れる日常がニールに訪れることを願う自分がいることも。
「ぼくはあなたから逃げたりしない」
「あたりまえだ。逃がすかよ」
笑んだ眸の奥に、いささか剣呑な光が浮かんで消える。
このおとこの見せる裏と表をもうずいぶんと以前にティエリアは、無自覚なままに暴いてしまっていたから、驚かない。ちがうのは、当時まったく理解できなかったその人間というものの矛盾するありようが、いまは尊くも愛しくも思えることだ。
「それであんなふうに抱いたのか」
「あ?」
虚を衝かれたニールがちいさく口を開けて固まる。
「…少しうごいただけでも酷く痛む。いかに御無沙汰でもあれは、その、やりすぎではないかと思う」
まじまじと深紅の双眸を見つめていた碧緑が、困惑を映して眇められ、ニールは抱き込んだ腕をゆるめて、癖のつよいおのれの髪を掻き回した。
「………おまえさん、怖いね、ほんと。…参る」
理性の欠片が嘲笑ったニールの怯えなど、この無垢なる紅玉のまえには見透かされて粉砕されるのだ。いつだって。それゆえに落ちた恋でもあったが、そこにただ断罪を待つ身では、もうない。
「そうなのか?」
「…否定はできねぇ、かな」
自分でもわかっていなかったが。そこにある狂気をニールは自覚する。あれは捨てられなかった復讐とおなじ、おのれに巣くう闇だ。
「あなたは、愚かだ」
「…聞き飽きたよ、それ」
「こちらも云い厭きた。あなたをひとりにしないと、なんど誓わせれば気がすむ」
こちらから放した手を、恨みも憎みもせずに。
あきれたように云ってばっさりと切るくせに、けっきょくどこまでも受容する、この天使は。
「…刹那とキスしたくせにー」
拗ねた口調で駄々を捏ねる児を真似れば、本気でいやそうに眉根を寄せて、ニールの胸もとから見あげてくる。
「甘えた云い方をするな、気持ちわるい」
「俺は、だれとも浮気してねぇのにさ」
「勝手に死んでおいて浮気もなにもないだろう。だいいちあなたと刹那では、存在の意味がちがう」
むきになって反論してくるところは、かつてのティエリアを彷彿とさせた。
「…あいしてる、ティエリア」
「…っ。いきなり、なんだ」
至近の距離で、艶麗なおもてが鼻白む。
「好きだよ」
「知っている、そんなこと」
ぷいと横向き、腕のなかで背を向けた紫黒の髪。さらさらと流れ落ちた髪のあいまから覗く真白いうなじが幽かに朱を刷いて、ニールはそっと口接けた。
「だからさ…ティエ。俺、抱き潰すかもしれねぇよ」
おまえを愛するしかもうほかにないから。
胸に回された鍛え抜かれた元狙撃手の腕に手指を掛け、肩越しに振り向いたティエリアは、かつての不遜な口調そのままに纏った冷徹さで冷ややかに笑んだ。
「おれは、そんなやわな生きものではない」
天上人(ソレスタルビーイング)の審判者。生粋のガンダムマイスター。無垢なるヴェーダの申し子。
優秀なイノベイドで、このうえなく手のかかる人間で。人類の変革のために生み出された存在。
それでもそれよりなによりも。
ティエリア・アーデは、ニールの天使で、至上の恋人なのだった。
了 2012.04.24.
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馴染みのある重い熱が腰にたまっていくのを覚えて、おのれの欲がまた主張しだすのを感じる。
「な、イノベイドってのはみな無性なのか?」
つとめて意識を逸らそうとしたが、きっと悪足搔きに終わるだろう。
「本質は、そうだ」
ティエリアの拘りが性差にないことは以前から気づいていた。ティエリアに在ったのは『人間』と『そうでない自分』であり、重要なのは『マイスターにふさわしい存在であるか否か』という一点に尽きたからだ。
性別に拠らない超絶する美貌はたしかにニールの恋情を後押ししたが、ティエリアが少年であることをおのれが問題視しなかったのもまた、そんなことよりほかに引っ掛かりが多すぎてそれどころではなかった、というのがほんとうのところだ。
「情報タイプは人間として社会生活を送る必要性から、必ず性別があたえられるが、それも脳の形状と表現体が生み出す差異でしかない」
ライルが愛したというアニュー・リターナーが、それに当たるのだとティエリアは云う。
「…ティエリアは?」
「ぼく? …この身が男性型の表現体を採っているのは、マイスターとして人間社会と関わる機会が多いことを前提とされていたからだろう」
徐々に嵩を増してゆく湯を掌で掬っては流すことをどこか稚(いとけな)いしぐさで繰り返しながら、ティエリアは茫洋とその流れを見つめている。
「ぼくは自分がイノベイドでよかったと思う。あなたとおなじ場所にいけないことだけが悲しかったけれど」
「いけるだろ、いまは。というか、死んでも俺とともにいるって誓ったよな」
湯水を掬っては零す白い手をつかんで、ニールはその掌に口接けた。
「…決めた。あした指輪買いに行こうぜ」
左の薬指を口唇で啄みながら告げる。それはかつてニールの果たせなかったささやかな希みだった。
「いらない」
「そう云うと思ったよ」
幽かな、既視感。
すげなく首を振るティエリアの肌に抱き込んでいた腕を滑らせて、そのまま下肢に指を絡める。ティエリアはおとなしく目を閉じて、あたたかなぬくもりからもたらされる愛撫に身を委ねた。
「…ん、っ、は、……………ああ」
湯槽に揺蕩う身がしなやかに反って、うすい白濁を放った。
かさねた腰の、下から突き上げられていたティエリアがくったりと浴槽の縁に凭れかかる。
「…ニール…」
縺れるように立ち上がらせて、壁の操作パネルを叩いてシャワーを捻った。降りそそぐ水流のなか、そのまま浴室の壁に手をつかせて背後から突き入れ、倦くことなく抽送を開始する。
「あ、はぁ。ニール…ニ……ル。…」
打ち付ける肉の音が弾ける水音に雑じり、白い両の五指が濡れた壁を掻く。
執拗なまでに求めつづけるニールに、ティエリアもまた抗うそぶりを見せない。とうに理性は飛んでいるのだろう、細い腰はニールのなすがままに揺れ、振られ乱れて、深く浅く、突き、こね回すたびにその内壁はいっそう甘くニールの芯に絡みついてくる。
「…う、く、」
「ニール…、ぅ…あ、い…ぃ」
「ティエリ…、は、ティ…エ。…」
間断なくもたらされる律動に合わせて、ニールが掌に握り込んだものはゆるりとまたあたまを擡げてくる。苦しげに喘いで半開きに開かれた口腔に、シャワーの温水が流れ込む。息苦しさに振られた紫黒の髪が濡れて頬に張り付き、まだときおり思い出したように開かれる瞼の隙間から、深紅の双眸は妖しい光を放って淫欲の淵にニールを引き摺り込む。
水音に掻き消されがちな荒ぶるたがいの息遣いと呻きと嬌声とが、浴室に満ちて、いくど果てようとも欲望はとどまるところを知らない。
根もと深く双玉までをめり込ませんばかりに突き上げながら、ニールは焦がされる我が身の熱に狂れていく。狂気すら孕ませた蹂躙に、ティエリアはどこか歓喜さえ滲ませて応えつづけた。
ああ。
感極まった声がどちらからともなく溢れ零れて、放たれたニールの精が繰り返し注ぎ込まれていく。
「ティエリア、…ティエリア……ティエリア」
もうそこには互いしか存在せず、つながる肉の境目さえも曖昧で、流れ落ちる温水とたがいの体液との区別もつかない。
仰向かせて背後から強引に口唇を奪い、捻られたたおやかな頸筋を愛しげにニールは撫でる。このまま締めたらどうなるのか。悖徳の誘惑にすら駆られながら、ニールはそのままティエリアのうすいからだを返して、大腿から片脚を擡げ、いま抜いたばかりのそこへ厭きず挿し込み突き上げ、華奢な腰をつかんで荒々しく揺すりあげた。
掠れた悲鳴がティエリアの咽を衝き、すすり泣くような嗚咽がニールのうごきに連れて昂ぶりを見せる。
「や、ああ、い、…ぃや、も…だ、やだ」
呻き喘ぐ音の羅列も、濡れて擦れる粘膜の音も、たがいの耳には届かない。抗拒のことばを吐きながら、だがティエリアの腕はそこにしかもう我が身を支えるものはないのだとばかりにニールの背をひたすらに掻き抱く。ただただ狂おしく攻め立てる下肢のうごきとは裏腹に、華奢な背と腰に回されたニールの腕もまたどこか縋りつくかのようで、その滑稽さに、片隅に追いやられたわずかばかりの理性の欠片が自身を嗤った。
貪欲も過ぎた情交に、完全に落ちたティエリアのからだをていねいに洗い上げ、清潔なバスタオルでくるんでこんどこそニールは、そのからだをもうひとつのベッドに運んでそっと寝かせた。
おのれは水気を拭っただけの裸身のまま華奢な肢体の傍らに身を滑り込ませて、掛布を頸元まで引きあげる。バスタオルごと抱き込んでしっくりと馴染む位置にティエリアを落ち着かせると、急激な疲労と充足とが身を浸すのを自覚するまもなく、ニールもまた深い睡りの淵をすべり落ちた。
ゆっくりと浮上する意識に、瞼をすかして外光が赤く滲む。ぱちりと音がするかの唐突さで、深紅の双眸は見開かれた。
「…ん」
眩しさに二度三度瞬きをしてまとわりつく睡魔の残滓を払うと、ここはどこだろうとティエリアは考える。ぼんやりとしていた視界が端正に整った精悍な面差しをようよう捉えて、それがニールであることを確認する。が、これが夢か幻か現実なのか、まだティエリアには判然としなかった。
もそりとからだを動かし、下肢に走った鈍い痛みに、おのれが意識体ではなく現実の肉体を得ていることを認識した。
ああ、そうだ。そうだった。
それと同時に、ゆうべからおそらくは今朝方までつづいたのだろう情交と、おのが痴態が甦り、ティエリアは火照る頬を自覚してそっとそこから抜けだそうとしたのだが。背に回されたニールの腕はしっかりとティエリアを抱き込んで解かれることはなく、気持ちよさそうに眠る目のまえのおとこを起こすことなしに抜け出るのは困難と判断して、もういちどその場所に身を落ち着けた。
至近の距離で胡桃色の前髪の乱れかかるおもてを眺めながら、そっとそれを横に払ってやわらかに撫でつける。碧緑は閉ざされたままだが、規則正しい穏やかな寝息と疵痕のない右の瞼に安堵を覚えて、ティエリアは誘(いざな)われた情動のままに、かたちのよい鼻先に触れるか触れないかのキスを落とした。
そうだった。再会ののちに晴れて殴ってやったのだから、そのあとには、そう。
百万遍のキスを。
贈らなければと考えて、ゆうべはそのうちのどのくらいを果たしただろうかと、つらつらと考える。考えたところで、ところどころ記憶が飛んでいるから正確な数などわかろうはずもない。いや、この身は生体端末なのだから記憶層と感覚をフル稼動させればそれも把握できるのだろうが、無為に思えてやめた。それに。
そんなことをしなくても、いずれそのくらいはキスすることになるだろう。うごきのとれる片方の手の指先で、ゆうべさんざんにおのれを貪った口唇のかたちをそっとなぞる。
ありえないほど甘ったるい発想にティエリアは辟易として、小声で我が身を罵った。
「万死に値する…!」
きつく目を閉じておのれの視界から愛しいおとこの姿を閉め出すと、どうせうごけないならもう少し眠ろうとちいさく息を整えた。
「…なんだ、おしまい?」
その声にぎょっとして見開いた紅玉に、まだ眠気をまといつかせた碧緑が、残念そうに笑むのが映る。
「…悪趣味なひとだ。いつから起きていた」
「や、なんか夢で、抱っこしてたうさぎが逃げようとしたんで、…捉まえようとしたら」
目が覚めた。
しくじった、とティエリアは柳眉を寄せる。ニールが気配に敏いのは狙撃手として慣らした時代の習い性だと、云っていたことを失念していた。
負の遺産だよ、と苦く嗤ったロックオン・ストラトスに、それはマイスターには有益な習性だろうと、そのときのティエリアは意にも介さなかったのだ。
いまだってそう思うが、自嘲にも似た彼の苦笑の意味は、いまならわかる。そんな習慣など忘れる日常がニールに訪れることを願う自分がいることも。
「ぼくはあなたから逃げたりしない」
「あたりまえだ。逃がすかよ」
笑んだ眸の奥に、いささか剣呑な光が浮かんで消える。
このおとこの見せる裏と表をもうずいぶんと以前にティエリアは、無自覚なままに暴いてしまっていたから、驚かない。ちがうのは、当時まったく理解できなかったその人間というものの矛盾するありようが、いまは尊くも愛しくも思えることだ。
「それであんなふうに抱いたのか」
「あ?」
虚を衝かれたニールがちいさく口を開けて固まる。
「…少しうごいただけでも酷く痛む。いかに御無沙汰でもあれは、その、やりすぎではないかと思う」
まじまじと深紅の双眸を見つめていた碧緑が、困惑を映して眇められ、ニールは抱き込んだ腕をゆるめて、癖のつよいおのれの髪を掻き回した。
「………おまえさん、怖いね、ほんと。…参る」
理性の欠片が嘲笑ったニールの怯えなど、この無垢なる紅玉のまえには見透かされて粉砕されるのだ。いつだって。それゆえに落ちた恋でもあったが、そこにただ断罪を待つ身では、もうない。
「そうなのか?」
「…否定はできねぇ、かな」
自分でもわかっていなかったが。そこにある狂気をニールは自覚する。あれは捨てられなかった復讐とおなじ、おのれに巣くう闇だ。
「あなたは、愚かだ」
「…聞き飽きたよ、それ」
「こちらも云い厭きた。あなたをひとりにしないと、なんど誓わせれば気がすむ」
こちらから放した手を、恨みも憎みもせずに。
あきれたように云ってばっさりと切るくせに、けっきょくどこまでも受容する、この天使は。
「…刹那とキスしたくせにー」
拗ねた口調で駄々を捏ねる児を真似れば、本気でいやそうに眉根を寄せて、ニールの胸もとから見あげてくる。
「甘えた云い方をするな、気持ちわるい」
「俺は、だれとも浮気してねぇのにさ」
「勝手に死んでおいて浮気もなにもないだろう。だいいちあなたと刹那では、存在の意味がちがう」
むきになって反論してくるところは、かつてのティエリアを彷彿とさせた。
「…あいしてる、ティエリア」
「…っ。いきなり、なんだ」
至近の距離で、艶麗なおもてが鼻白む。
「好きだよ」
「知っている、そんなこと」
ぷいと横向き、腕のなかで背を向けた紫黒の髪。さらさらと流れ落ちた髪のあいまから覗く真白いうなじが幽かに朱を刷いて、ニールはそっと口接けた。
「だからさ…ティエ。俺、抱き潰すかもしれねぇよ」
おまえを愛するしかもうほかにないから。
胸に回された鍛え抜かれた元狙撃手の腕に手指を掛け、肩越しに振り向いたティエリアは、かつての不遜な口調そのままに纏った冷徹さで冷ややかに笑んだ。
「おれは、そんなやわな生きものではない」
天上人(ソレスタルビーイング)の審判者。生粋のガンダムマイスター。無垢なるヴェーダの申し子。
優秀なイノベイドで、このうえなく手のかかる人間で。人類の変革のために生み出された存在。
それでもそれよりなによりも。
ティエリア・アーデは、ニールの天使で、至上の恋人なのだった。
了 2012.04.24.
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