「天涯の遊子」沖桂篇。
沖田と桂。と、銀時。3回に分ける。
動乱篇を挟んで、その前哨と後日譚。
連作時系列では、銀桂『弦月』をまたいで、そのあと。
沖桂『雪白』の流れを受け継ぐ。
バズーカはぶっ放すが爆薬は専門ではない。ことは慎重を要する。なにしろ姉亡き後、この世でいちばんたいせつな存在とおのれの身代に関わってくる。だが急がねばならない。あの狐は隊士募集の列車行をお人好しの大将に承知させてしまった。
沖田は畳に額をすりつけた。
相手はいつもの表情の薄い端正な面(おもて)に、きっと驚きを乗せていることだろう。まあ無理もない。常日頃、バズーカの轟音とともに挨拶に来るか、知った隠れ家に顔を見に寄るかの両極端な行動しか、沖田はしていない。
「このとおりでさぁ」
あるいは侮蔑の表情だろうか。だがなりふりかまっている場合ではなかった。
「なにも聞かずに、教えてやってくだせィ。俺ぁいのち張ってでも、そいつを守らなきゃならねぇんで」
「…………」
切羽詰まっている。独学で学んでいる暇などない。だいちこうしたことは机上ではない、経験値がものをいう。それを問うのにこれ以上の存在を沖田はほかに知らなかった。攘夷志士、桂小太郎。いまでこそ穏健派の指名手配犯は、かつて名を馳せた剣術と戦略だけではない、テロ戦術と爆薬の専門家である。
「随分と虫のいい話だな」
その自覚は十二分にある。真選組はそのテロを理由にこのおとこを追っているのだから。温度を感じさせない桂の声音に、らしくもなく肝が冷える。
「そこを曲げて、お頼みもうしあげてるんで、旦那」
「旦那ではない、桂だ。…童」
ああ、まだ童呼ばわりか。思いながら、沖田はさらにあたまを低くした。
「頼みます。旦…桂さん。誓って余人は巻き込まねぇ」
あとには退けないのだ。断られればすべてを自力でやるしかないが、おのれはともかく局長のいのちを沖田が無駄に危険にさらすわけにはいかない。
「…その列車の型、動力、車両の編成、乗車人員とその配置、路線図」
静かな淡々とした声で桂が列挙し始める。沖田ははっとして思わず顔をあげた。
「旦那」
「闇雲に爆破してしまうのならば、むしろ仕掛けは簡単だがな。標的の安全を図りつつ敵の戦力を削ぐというなら、できるかぎり正確な情報を示せ。ことの仔細は訊かぬが、最低限いま上げたものは必要だ」
感謝のことばとともに、もういちど深々とあたまを下げた沖田に、桂はひとことだけ釘を刺すのをわすれなかった。
「その腹の内に虚偽あらば、おのがいのちはないと思えよ」
沖田は頷いて桂を見あげた。桂の漆黒の双眸が正面から沖田を射抜く。冷徹で、だがどこかしら包み込む大きさを持った澄んだ眼差し。長(おさ)の目だ、と沖田は思う。このおとこもまた、まごうことなき一軍の将たる人間なのだ、という初めての実感に知らず震えを覚えた。
犠牲は大きかった。だが沖田のだいじなものは守られた。
桂に教授されたとおりの場所へ、教授されてつくった爆弾を仕込み、あとは沖田の勘とタイミングで、遠隔操作で爆発させる。そのすきに近藤を逃がし、のこりはおのれの剣だけが頼みだ。車内は伊東の手のもので固められている。ならば逆に、一気に一掃できる機会と捉えればいいだけのこと。
伊東の背後になにかあるような気はしていたが、それが鬼兵隊だとまでは思わず、そこに万事屋の旦那が土方を連れて現れる段になって、沖田は絡まった奇妙な縁に舌打ちする。けれどそれは不可解ではあっても不快ではない。
そうして死地をくぐり抜けた。
* * *
沖田がふたたび桂の隠れ家を訪なったのは、真選組に土方が帰ってまもなくのころである。
「ち。降ってきやがった」
まだ朝方の空気の残るなかを歩く。爪先が濡れるのを忌んで、真白い足袋を脱いでまとめて袷の懐につっこみ、袴穿きの素足を草履に押し込んだ。
郊外の畑地の脇のこぢんまりとした一軒家。軒先を借りて雨宿りしながら、どう切り出そうかと考える。
頼むときには勢いもあり、のっぴきならない情勢だったから苦もなくあたまを下げられたが。礼も兼ねた訪問とあってはさすがにバズーカを打ち込むわけにもいかず、かといって単純に、顔を見に来たんでさぁ、ではすまされまい。
実際沖田の気分としては、ひさしぶりに桂の顔をゆっくり見て、ことの成否を告げるだけで、事足りるのだが。
めずらしくあれこれ考えていると、からりと門扉の格子戸の開く音がした。反射的に身を隠そうとして、思いとどまる。なにをびくついているのだろう。まったく、らしくもねぇ。
番傘を差した優美な人影が姿を現した。いつも付き従えてる白いものの姿はない。これを幸運と見るべきか。
小雨に烟る雨宿りの人影に気づいたろうに。そのひとは沖田のまえを素通りする。傘に隠れて顔は見えないが、背に流れた長い黒髪と過ぎゆく際の仄かに漂った香りが桂の存在を実感させた。つ、と傘が立ち止まり、振り返る。そのうごきにつられるように沖田はふらりと歩み寄っていた。
「…お出かけですかィ」
桂は沖田の顔をしばし眺めると、無言で傘を差し掛けた。
はからずも相合い傘となった道行きで、沖田は結果だけを短く告げて礼を云う。桂は、そうか、とひとこと頷いただけで。こんどもまた、それ以上を問うことをしなかった。
伊東の謀反の背後に鬼兵隊が絡んでいたのだから、攘夷一派として桂のほうにもそれなりの情報は入っているのだろうが。いやそれよりも今回の真選組の騒動は、幕府の意向が働いてかなり表現が抑えられたとはいえ、報道にも乗った。だから当然、沖田の行動と結びつけているはずだ。おのれの知識と経験が結果的には真選組を救う一助となったことを、桂はよしとしているのだろうか。
「貴様がいのちを張って守ろうとするものなど、最初(はな)から察しはつく」
沖田の疑問に桂はあっさりと応えた。
「だいち、救ったことにはなるまいよ。真選組が被った打撃を思えばな」
「でたらめを教えることも可能だったはずですぜ。桂の旦那。それを見極められるほどの知識を俺ぁ持ち合わせちゃいませんからねィ」
肩が触れあうほどの距離で、桂はちらりと沖田を一瞥する。
「生死を賭して懇願してきたものを欺くほど、落ちぶれてはおらん」
小雨はいつのまにか篠突く雨に変わった。沖田が濡れぬよう傘を差し掛ける桂の、一方の肩が濡れて、着物の薄縹が濃く色を変えている。
「そもそもそういう懸念を貴様が抱いていたなら、おれに訊ねなどすまい」
そうなのだ。深く差し掛けられた傘を、手で少し桂のほうへと押し戻しながら、沖田は考える。
近藤の生死がかかっていたとはいえ、いや、むしろ生死がかかっていたにもかかわらず、なぜおのれは桂を頼みにしたのだろう。あのとき断られることは覚悟していたが、瞞されることなど念頭になかった。つゆほども。あとから気づいてぞっとなったのだ。桂がその気なら、沖田も沖田の守ろうとしたものも、沖田が排除しようとしたものごと、粉微塵に吹き飛ばされていた可能性だってあったのだと。
いつのまにか手懐けられていた自覚はあったが、ここまでとは。正直意外で空恐ろしい。いまもそうだ。礼がてら顔を見に来て、めずらしく逡巡したのはそのせいだった。これ以上桂に近づくのは危険な気がした。なのに我が身は、いったん素通りされた桂に振り返られたとたん、ふらふらと声を掛け。そうして差し掛けられた傘にのうのうと納まっている。
これでは土方のことを揶揄できなくなってきた。というか、やっぱり万事屋の旦那とマジ牽制しあって、消えて欲しいところだ。
雨脚が強まる。沖田は、桂の足の赴くまま、どこへ向かうとも知れず、ただ同道する。いつのまにか繁華街の一角の花屋に辿り着いていた。おそろしげな風貌をした天人の、だがやさしい物腰の店主から、桂は季節の花を買い求め、店を出かけて空を見あげた。
「さて。どうする?」
それが沖田に掛けられたことばだと気づくのに、少しかかった。
「おれはまだ向かうところがある。ここからなら屯所はさほどの距離ではないと思うが、この降りではな」
このさきは濡れて帰れと云えばすむのに、わざわざ問う桂の意図を量りかねて、沖田は返した。
「お邪魔なら退散いたしやすが」
「べつに邪魔ではない。ただ貴様には意味のないところゆえ」
「なら、お伴しますぜィ。非番にやることなんざぁべつにないんで」
そう云って、沖田はひょいと桂の手から傘を奪う。
「西の空が明るくなってる。じきに雨もあがりまさぁ」
桂がめずらしく苦笑してみせた。
「無理するな。おれが持つのが自然だ」
身長差のことを云われているのはわかったが、なんとなくおもしろくない。
「せっかくの花束が濡れますぜィ」
云いながら促す沖田に、桂はどこかしら懐かしいものを見る目になり、やがて素直に従って歩み始めた。
続 2008.05.17.
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バズーカはぶっ放すが爆薬は専門ではない。ことは慎重を要する。なにしろ姉亡き後、この世でいちばんたいせつな存在とおのれの身代に関わってくる。だが急がねばならない。あの狐は隊士募集の列車行をお人好しの大将に承知させてしまった。
沖田は畳に額をすりつけた。
相手はいつもの表情の薄い端正な面(おもて)に、きっと驚きを乗せていることだろう。まあ無理もない。常日頃、バズーカの轟音とともに挨拶に来るか、知った隠れ家に顔を見に寄るかの両極端な行動しか、沖田はしていない。
「このとおりでさぁ」
あるいは侮蔑の表情だろうか。だがなりふりかまっている場合ではなかった。
「なにも聞かずに、教えてやってくだせィ。俺ぁいのち張ってでも、そいつを守らなきゃならねぇんで」
「…………」
切羽詰まっている。独学で学んでいる暇などない。だいちこうしたことは机上ではない、経験値がものをいう。それを問うのにこれ以上の存在を沖田はほかに知らなかった。攘夷志士、桂小太郎。いまでこそ穏健派の指名手配犯は、かつて名を馳せた剣術と戦略だけではない、テロ戦術と爆薬の専門家である。
「随分と虫のいい話だな」
その自覚は十二分にある。真選組はそのテロを理由にこのおとこを追っているのだから。温度を感じさせない桂の声音に、らしくもなく肝が冷える。
「そこを曲げて、お頼みもうしあげてるんで、旦那」
「旦那ではない、桂だ。…童」
ああ、まだ童呼ばわりか。思いながら、沖田はさらにあたまを低くした。
「頼みます。旦…桂さん。誓って余人は巻き込まねぇ」
あとには退けないのだ。断られればすべてを自力でやるしかないが、おのれはともかく局長のいのちを沖田が無駄に危険にさらすわけにはいかない。
「…その列車の型、動力、車両の編成、乗車人員とその配置、路線図」
静かな淡々とした声で桂が列挙し始める。沖田ははっとして思わず顔をあげた。
「旦那」
「闇雲に爆破してしまうのならば、むしろ仕掛けは簡単だがな。標的の安全を図りつつ敵の戦力を削ぐというなら、できるかぎり正確な情報を示せ。ことの仔細は訊かぬが、最低限いま上げたものは必要だ」
感謝のことばとともに、もういちど深々とあたまを下げた沖田に、桂はひとことだけ釘を刺すのをわすれなかった。
「その腹の内に虚偽あらば、おのがいのちはないと思えよ」
沖田は頷いて桂を見あげた。桂の漆黒の双眸が正面から沖田を射抜く。冷徹で、だがどこかしら包み込む大きさを持った澄んだ眼差し。長(おさ)の目だ、と沖田は思う。このおとこもまた、まごうことなき一軍の将たる人間なのだ、という初めての実感に知らず震えを覚えた。
犠牲は大きかった。だが沖田のだいじなものは守られた。
桂に教授されたとおりの場所へ、教授されてつくった爆弾を仕込み、あとは沖田の勘とタイミングで、遠隔操作で爆発させる。そのすきに近藤を逃がし、のこりはおのれの剣だけが頼みだ。車内は伊東の手のもので固められている。ならば逆に、一気に一掃できる機会と捉えればいいだけのこと。
伊東の背後になにかあるような気はしていたが、それが鬼兵隊だとまでは思わず、そこに万事屋の旦那が土方を連れて現れる段になって、沖田は絡まった奇妙な縁に舌打ちする。けれどそれは不可解ではあっても不快ではない。
そうして死地をくぐり抜けた。
* * *
沖田がふたたび桂の隠れ家を訪なったのは、真選組に土方が帰ってまもなくのころである。
「ち。降ってきやがった」
まだ朝方の空気の残るなかを歩く。爪先が濡れるのを忌んで、真白い足袋を脱いでまとめて袷の懐につっこみ、袴穿きの素足を草履に押し込んだ。
郊外の畑地の脇のこぢんまりとした一軒家。軒先を借りて雨宿りしながら、どう切り出そうかと考える。
頼むときには勢いもあり、のっぴきならない情勢だったから苦もなくあたまを下げられたが。礼も兼ねた訪問とあってはさすがにバズーカを打ち込むわけにもいかず、かといって単純に、顔を見に来たんでさぁ、ではすまされまい。
実際沖田の気分としては、ひさしぶりに桂の顔をゆっくり見て、ことの成否を告げるだけで、事足りるのだが。
めずらしくあれこれ考えていると、からりと門扉の格子戸の開く音がした。反射的に身を隠そうとして、思いとどまる。なにをびくついているのだろう。まったく、らしくもねぇ。
番傘を差した優美な人影が姿を現した。いつも付き従えてる白いものの姿はない。これを幸運と見るべきか。
小雨に烟る雨宿りの人影に気づいたろうに。そのひとは沖田のまえを素通りする。傘に隠れて顔は見えないが、背に流れた長い黒髪と過ぎゆく際の仄かに漂った香りが桂の存在を実感させた。つ、と傘が立ち止まり、振り返る。そのうごきにつられるように沖田はふらりと歩み寄っていた。
「…お出かけですかィ」
桂は沖田の顔をしばし眺めると、無言で傘を差し掛けた。
はからずも相合い傘となった道行きで、沖田は結果だけを短く告げて礼を云う。桂は、そうか、とひとこと頷いただけで。こんどもまた、それ以上を問うことをしなかった。
伊東の謀反の背後に鬼兵隊が絡んでいたのだから、攘夷一派として桂のほうにもそれなりの情報は入っているのだろうが。いやそれよりも今回の真選組の騒動は、幕府の意向が働いてかなり表現が抑えられたとはいえ、報道にも乗った。だから当然、沖田の行動と結びつけているはずだ。おのれの知識と経験が結果的には真選組を救う一助となったことを、桂はよしとしているのだろうか。
「貴様がいのちを張って守ろうとするものなど、最初(はな)から察しはつく」
沖田の疑問に桂はあっさりと応えた。
「だいち、救ったことにはなるまいよ。真選組が被った打撃を思えばな」
「でたらめを教えることも可能だったはずですぜ。桂の旦那。それを見極められるほどの知識を俺ぁ持ち合わせちゃいませんからねィ」
肩が触れあうほどの距離で、桂はちらりと沖田を一瞥する。
「生死を賭して懇願してきたものを欺くほど、落ちぶれてはおらん」
小雨はいつのまにか篠突く雨に変わった。沖田が濡れぬよう傘を差し掛ける桂の、一方の肩が濡れて、着物の薄縹が濃く色を変えている。
「そもそもそういう懸念を貴様が抱いていたなら、おれに訊ねなどすまい」
そうなのだ。深く差し掛けられた傘を、手で少し桂のほうへと押し戻しながら、沖田は考える。
近藤の生死がかかっていたとはいえ、いや、むしろ生死がかかっていたにもかかわらず、なぜおのれは桂を頼みにしたのだろう。あのとき断られることは覚悟していたが、瞞されることなど念頭になかった。つゆほども。あとから気づいてぞっとなったのだ。桂がその気なら、沖田も沖田の守ろうとしたものも、沖田が排除しようとしたものごと、粉微塵に吹き飛ばされていた可能性だってあったのだと。
いつのまにか手懐けられていた自覚はあったが、ここまでとは。正直意外で空恐ろしい。いまもそうだ。礼がてら顔を見に来て、めずらしく逡巡したのはそのせいだった。これ以上桂に近づくのは危険な気がした。なのに我が身は、いったん素通りされた桂に振り返られたとたん、ふらふらと声を掛け。そうして差し掛けられた傘にのうのうと納まっている。
これでは土方のことを揶揄できなくなってきた。というか、やっぱり万事屋の旦那とマジ牽制しあって、消えて欲しいところだ。
雨脚が強まる。沖田は、桂の足の赴くまま、どこへ向かうとも知れず、ただ同道する。いつのまにか繁華街の一角の花屋に辿り着いていた。おそろしげな風貌をした天人の、だがやさしい物腰の店主から、桂は季節の花を買い求め、店を出かけて空を見あげた。
「さて。どうする?」
それが沖田に掛けられたことばだと気づくのに、少しかかった。
「おれはまだ向かうところがある。ここからなら屯所はさほどの距離ではないと思うが、この降りではな」
このさきは濡れて帰れと云えばすむのに、わざわざ問う桂の意図を量りかねて、沖田は返した。
「お邪魔なら退散いたしやすが」
「べつに邪魔ではない。ただ貴様には意味のないところゆえ」
「なら、お伴しますぜィ。非番にやることなんざぁべつにないんで」
そう云って、沖田はひょいと桂の手から傘を奪う。
「西の空が明るくなってる。じきに雨もあがりまさぁ」
桂がめずらしく苦笑してみせた。
「無理するな。おれが持つのが自然だ」
身長差のことを云われているのはわかったが、なんとなくおもしろくない。
「せっかくの花束が濡れますぜィ」
云いながら促す沖田に、桂はどこかしら懐かしいものを見る目になり、やがて素直に従って歩み始めた。
続 2008.05.17.
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