「天涯の遊子」沖桂篇。全3回。
沖田と桂。と、銀時。
動乱篇を挟んで、その前哨と後日譚。
「なんなんでさぁ、さっきのは」
「さっきの?」
沖田の予想どおり弱まってきた雨脚に、桂は変わらぬ足取りで、市中を離れた小高い丘のほうへと径を取った。
「なんか妙に懐かしそうに見られた気がするんですがねィ」
「…ああ」
そうだったかな、と桂はまた追憶の顔になる。
「むかしな。おなじように、傘を持つと云って聞かなかったものがいたのだ。それを思い出したのだろう。ずっと幼いころの話だ」
語る面(おもて)は無表情だがその眼差しはやわらかで、沖田は半ば無意識に桂の追憶へとおもいを馳せた。
万事屋の旦那のことだろうか。いや旦那は桂よりちっとばかしでかかったっけ。まあガキのころからそうだった保証はないが、旦那と桂の年齢(とし)や体格からいって、自分と桂ほどの身長差があった時期があるとは、考えにくい。てことは、幼なじみの、べつのだれか、か。
いったいだれだろう、と沖田が思い巡らせていたところへ、桂がつと立ち止まる。傘の外へと手を伸べて、微かに笑んだ。
「ああ、上がってきたな。幸いだ」
丘の頂はもうすぐそこで、楓の木だろうか、目印のように何本か茂っているのが見えた。雨にぬかるんだ小径が背の低い草木のあいだを、曲がりくねって続いている。このむこうになにがあるのだろう。
沖田が頂を見晴らすように傘を下ろすと、桂はいま来た径を振り返った。
「いい歳をして忍者ごっこでもあるまい」
唐突に背後に向かって掛けられた桂の声に、沖田があわてて振り返る。葛折りの道の向こうから、ひょっこり白いあたまが姿を現した。
「その忍者ごっこで、ペット救出劇やらかしたやつに云われたかねぇよ」
見慣れた気怠げな佇まいは、ついいましがた沖田が思い浮かべていた、桂の幼なじみにちがいない。
「あのときも貴様、居たではないか」
「てか、いつから気づいてたの」
射し込みはじめた微かな陽のなか白銀髪をぽりぽりとかきながら、破れ傘を片手にゆっくりと歩み寄ってくる。
「花屋を出て、しばらくしてだ。そういえばあの近くだったな、貴様の住み処は」
交わされるふたりの会話を、沖田はしばし呆気にとられて聞くにまかせた。
「茶屋で雨宿りしてたら、たまたま、見かけたんだよ」
では街からずっと、つけてきていたわけで。仮にも沖田は真選組の一番隊隊長だ。常人にくらべれば遥かにそうした気配には敏い。それなのに。
「またパフェでも食ってたんですかィ、万事屋の旦那」
その自分に気づかれずにあとをつけてきた銀時も銀時なら、それに気づきながら素知らぬ顔で流していた桂は、さすがに現役の指名手配犯だけのことはある。
などと妙な感心のしかたをしつつ、手にした傘を窄めながら口を挟んだ沖田を、ちらりと一瞥して銀時は、桂に目線をもどす。
「おめー、なんで総一郞くん連れてんの」
「総悟でさぁ、旦那」
「なりゆきだ」
銀時の視線が沖田の手の傘に落ちる。ああ、そうか。と沖田は覚ったが。
「なりゆきって。多串くんといい、ゴリラといい、おまえ真選組となにやってんの? なに連んでるの」
「貴様に云われたくはないぞ。銀時?」
銀時の口調はあいかわらず気怠くゆるいが、なかみはどうみても詰問だった。つねの能面のまま淡々と受け応える桂は、それに気づいているのかどうか。
「俺は万事屋銀ちゃんなの。おめーは攘夷志士でしょーが。なんで真選組と」
「相合い傘なんぞしてるのか、と。焼き餅ですかィ、旦那」
意地悪く揶揄った沖田に、銀時も負けずのらりくらりと返す。
「子どもに妬くほど、おとなげなくありませんー。てか、総一郞くん、職務放棄ですか?」
「たんに非番なだけでさぁ」
「銀時。ここまでついてきたのなら、ついでに貴様も来い」
沖田と銀時のやりとりには取り合わず、桂が花束を抱えなおして、頂を指し示した。
「へいへい。やっぱ、そのつもりだったか」
銀時は肩を竦める。
「わかっていて、ついてきたのだろう?」
「まあ、なんとなく。ただ真選組と、てぇのが解せねーよ」
「だからそれはなりゆきだ。うじうじと、ちいさいことを気にするな」
「どこがちいさいんだよ。てめー、日頃追走劇やらかしてるやつと、かんたんになりゆきってんじゃねーよ」
ぶつぶつ云いながらも先に立って歩き出した桂のあとにおとなしく続く銀時は、してみるとこのさきになにがあるかを承知しているのだろう。そのふたりのあとを、沖田も追うようにして小径を登った。
頂の楓の木のはざまからは江戸の町が見渡せた。その向こうには傾きかけた橙色の陽が、たなびく雲のあいまに顔を覗かせる。
「雲が流れているな」
「ああ。じき晴れ渡って、いい夕焼けになるだろうぜ」
語らいながら並び立つふたつの背を、沖田はわずか後方から眺めた。
桂は些と進み出て跪き、楓の根元に花束をそっと置く。いや、供えるといったほうが適切だったろう。合掌こそしなかったが、いっとき瞼を伏せ、黙禱を捧げたように、沖田には思えた。おそらくきっと、だれかの。
「墓標…か」
そのままうごかない桂の背をみつめながらちいさくひとりごちた沖田の呟きを、聞き取ったらしい銀時が振り返ることなく小声で告げる。
「墓はねーんだ。だからまあ、似たようなもんかもしんねーけど」
「…この地で亡くなられたんですかィ?」
「…………」
「いや」
桂がゆっくり立ち上がりながら、口を噤んだ銀時から話を引き取った。
「この季節にここから見える景色を好んでいたから」
その眼差しは、眼下の町から上空、緋に染まりはじめた浮雲へと流れる。
「ことにいまぐらいの時刻。沈む夕陽の美しい頃合いを愛でていた」
桂の白い面(おもて)も、斜めに差し込む陽を受けて色付いていく。黙したままにその横顔を見つめる銀時の、紅い眸の湛える色がそのだれかへの哀悼だけではないことに、沖田は気づいた。
「毎年来なさるんで?」
短い時間に鮮やかさをましてゆく夕空を背に、佇む桂は、ひどく孤独に見える。すぐ傍らに立つ銀時にさえ届かぬ、孤絶した光を纏うかのようだ。
「できればそうしたいが、これが二度目でな。また来られてよかった」
そういって口許をほころばせた姿は、沖田の身の裡のどこかやわらかな部分をきゅっと締め付けた。慣れないその感覚が沖田を戸惑わせ、いたずらに視線を泳がせる。その視界の隅で、おもむろに銀時がうごいた。桂のあたまを片手でぽんぽんと宥めるように叩く。
「なんだ、いきなり」
桂はちいさく銀時を睨めたが、それよりほかはなにも云わなかった。
いつのまにか晴れ渡った茜の空に、落陽は、ひときわ鮮やかな最後の輝きを放って、消えた。
* * *
残照のなか、葛折りを下る。
慣れた足取りで数歩先を水先案内のように歩む桂に、少し遅れて沖田、しんがりを銀時がだらりとした歩調で続いた。
「旦那」
前方の桂に聞こえぬよう、声を潜めて沖田は銀時を呼ばわった。
「んー?」
「旦那は、桂さんが気懸かりであとをつけなすったんですねィ」
「そりゃ、あーた。真選組といたら、驚くでしょうが」
銀時の気のない口調が返る。
「それもそうでしょうが、そうじゃなくて」
「なに? 相合い傘に妬いたと云わせたいの」
「事実そうでやしょう? や、そのことじゃなくて」
真選組との道行きを心配したのも、妬心を煽られたのも、真実あったろう。けれど。この旦那が案じたのはきっとそればかりじゃない。
「なにが云いたいの、総一郞くんは」
「お仲間、なんで亡くなったんですかィ」
沖田は躊躇うことなく訊ねた。だって、気になる。桂の端麗な能面を掠めた寂寥、なのにどこか達観した微笑。それを見つめるこのおとこの気遣わしげな眸。
「なんで?」
「いや、ただの戦死じゃ、なさそうなんで」
「…………」
銀時の表情からはなにも窺えない。立ち入った質問だということはわかっていたから、返事がないのは予期していた。
「ただの好奇心でさぁ。べつだん応えなくてかまいやせん」
続 2008.05.17.
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「なんなんでさぁ、さっきのは」
「さっきの?」
沖田の予想どおり弱まってきた雨脚に、桂は変わらぬ足取りで、市中を離れた小高い丘のほうへと径を取った。
「なんか妙に懐かしそうに見られた気がするんですがねィ」
「…ああ」
そうだったかな、と桂はまた追憶の顔になる。
「むかしな。おなじように、傘を持つと云って聞かなかったものがいたのだ。それを思い出したのだろう。ずっと幼いころの話だ」
語る面(おもて)は無表情だがその眼差しはやわらかで、沖田は半ば無意識に桂の追憶へとおもいを馳せた。
万事屋の旦那のことだろうか。いや旦那は桂よりちっとばかしでかかったっけ。まあガキのころからそうだった保証はないが、旦那と桂の年齢(とし)や体格からいって、自分と桂ほどの身長差があった時期があるとは、考えにくい。てことは、幼なじみの、べつのだれか、か。
いったいだれだろう、と沖田が思い巡らせていたところへ、桂がつと立ち止まる。傘の外へと手を伸べて、微かに笑んだ。
「ああ、上がってきたな。幸いだ」
丘の頂はもうすぐそこで、楓の木だろうか、目印のように何本か茂っているのが見えた。雨にぬかるんだ小径が背の低い草木のあいだを、曲がりくねって続いている。このむこうになにがあるのだろう。
沖田が頂を見晴らすように傘を下ろすと、桂はいま来た径を振り返った。
「いい歳をして忍者ごっこでもあるまい」
唐突に背後に向かって掛けられた桂の声に、沖田があわてて振り返る。葛折りの道の向こうから、ひょっこり白いあたまが姿を現した。
「その忍者ごっこで、ペット救出劇やらかしたやつに云われたかねぇよ」
見慣れた気怠げな佇まいは、ついいましがた沖田が思い浮かべていた、桂の幼なじみにちがいない。
「あのときも貴様、居たではないか」
「てか、いつから気づいてたの」
射し込みはじめた微かな陽のなか白銀髪をぽりぽりとかきながら、破れ傘を片手にゆっくりと歩み寄ってくる。
「花屋を出て、しばらくしてだ。そういえばあの近くだったな、貴様の住み処は」
交わされるふたりの会話を、沖田はしばし呆気にとられて聞くにまかせた。
「茶屋で雨宿りしてたら、たまたま、見かけたんだよ」
では街からずっと、つけてきていたわけで。仮にも沖田は真選組の一番隊隊長だ。常人にくらべれば遥かにそうした気配には敏い。それなのに。
「またパフェでも食ってたんですかィ、万事屋の旦那」
その自分に気づかれずにあとをつけてきた銀時も銀時なら、それに気づきながら素知らぬ顔で流していた桂は、さすがに現役の指名手配犯だけのことはある。
などと妙な感心のしかたをしつつ、手にした傘を窄めながら口を挟んだ沖田を、ちらりと一瞥して銀時は、桂に目線をもどす。
「おめー、なんで総一郞くん連れてんの」
「総悟でさぁ、旦那」
「なりゆきだ」
銀時の視線が沖田の手の傘に落ちる。ああ、そうか。と沖田は覚ったが。
「なりゆきって。多串くんといい、ゴリラといい、おまえ真選組となにやってんの? なに連んでるの」
「貴様に云われたくはないぞ。銀時?」
銀時の口調はあいかわらず気怠くゆるいが、なかみはどうみても詰問だった。つねの能面のまま淡々と受け応える桂は、それに気づいているのかどうか。
「俺は万事屋銀ちゃんなの。おめーは攘夷志士でしょーが。なんで真選組と」
「相合い傘なんぞしてるのか、と。焼き餅ですかィ、旦那」
意地悪く揶揄った沖田に、銀時も負けずのらりくらりと返す。
「子どもに妬くほど、おとなげなくありませんー。てか、総一郞くん、職務放棄ですか?」
「たんに非番なだけでさぁ」
「銀時。ここまでついてきたのなら、ついでに貴様も来い」
沖田と銀時のやりとりには取り合わず、桂が花束を抱えなおして、頂を指し示した。
「へいへい。やっぱ、そのつもりだったか」
銀時は肩を竦める。
「わかっていて、ついてきたのだろう?」
「まあ、なんとなく。ただ真選組と、てぇのが解せねーよ」
「だからそれはなりゆきだ。うじうじと、ちいさいことを気にするな」
「どこがちいさいんだよ。てめー、日頃追走劇やらかしてるやつと、かんたんになりゆきってんじゃねーよ」
ぶつぶつ云いながらも先に立って歩き出した桂のあとにおとなしく続く銀時は、してみるとこのさきになにがあるかを承知しているのだろう。そのふたりのあとを、沖田も追うようにして小径を登った。
頂の楓の木のはざまからは江戸の町が見渡せた。その向こうには傾きかけた橙色の陽が、たなびく雲のあいまに顔を覗かせる。
「雲が流れているな」
「ああ。じき晴れ渡って、いい夕焼けになるだろうぜ」
語らいながら並び立つふたつの背を、沖田はわずか後方から眺めた。
桂は些と進み出て跪き、楓の根元に花束をそっと置く。いや、供えるといったほうが適切だったろう。合掌こそしなかったが、いっとき瞼を伏せ、黙禱を捧げたように、沖田には思えた。おそらくきっと、だれかの。
「墓標…か」
そのままうごかない桂の背をみつめながらちいさくひとりごちた沖田の呟きを、聞き取ったらしい銀時が振り返ることなく小声で告げる。
「墓はねーんだ。だからまあ、似たようなもんかもしんねーけど」
「…この地で亡くなられたんですかィ?」
「…………」
「いや」
桂がゆっくり立ち上がりながら、口を噤んだ銀時から話を引き取った。
「この季節にここから見える景色を好んでいたから」
その眼差しは、眼下の町から上空、緋に染まりはじめた浮雲へと流れる。
「ことにいまぐらいの時刻。沈む夕陽の美しい頃合いを愛でていた」
桂の白い面(おもて)も、斜めに差し込む陽を受けて色付いていく。黙したままにその横顔を見つめる銀時の、紅い眸の湛える色がそのだれかへの哀悼だけではないことに、沖田は気づいた。
「毎年来なさるんで?」
短い時間に鮮やかさをましてゆく夕空を背に、佇む桂は、ひどく孤独に見える。すぐ傍らに立つ銀時にさえ届かぬ、孤絶した光を纏うかのようだ。
「できればそうしたいが、これが二度目でな。また来られてよかった」
そういって口許をほころばせた姿は、沖田の身の裡のどこかやわらかな部分をきゅっと締め付けた。慣れないその感覚が沖田を戸惑わせ、いたずらに視線を泳がせる。その視界の隅で、おもむろに銀時がうごいた。桂のあたまを片手でぽんぽんと宥めるように叩く。
「なんだ、いきなり」
桂はちいさく銀時を睨めたが、それよりほかはなにも云わなかった。
いつのまにか晴れ渡った茜の空に、落陽は、ひときわ鮮やかな最後の輝きを放って、消えた。
* * *
残照のなか、葛折りを下る。
慣れた足取りで数歩先を水先案内のように歩む桂に、少し遅れて沖田、しんがりを銀時がだらりとした歩調で続いた。
「旦那」
前方の桂に聞こえぬよう、声を潜めて沖田は銀時を呼ばわった。
「んー?」
「旦那は、桂さんが気懸かりであとをつけなすったんですねィ」
「そりゃ、あーた。真選組といたら、驚くでしょうが」
銀時の気のない口調が返る。
「それもそうでしょうが、そうじゃなくて」
「なに? 相合い傘に妬いたと云わせたいの」
「事実そうでやしょう? や、そのことじゃなくて」
真選組との道行きを心配したのも、妬心を煽られたのも、真実あったろう。けれど。この旦那が案じたのはきっとそればかりじゃない。
「なにが云いたいの、総一郞くんは」
「お仲間、なんで亡くなったんですかィ」
沖田は躊躇うことなく訊ねた。だって、気になる。桂の端麗な能面を掠めた寂寥、なのにどこか達観した微笑。それを見つめるこのおとこの気遣わしげな眸。
「なんで?」
「いや、ただの戦死じゃ、なさそうなんで」
「…………」
銀時の表情からはなにも窺えない。立ち入った質問だということはわかっていたから、返事がないのは予期していた。
「ただの好奇心でさぁ。べつだん応えなくてかまいやせん」
続 2008.05.17.
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