「天涯の遊子」坂桂篇。終話。
坂本と桂のお話。戦後から紅桜前まで。攘夷時代も行ったり来たり。
銀桂前提の坂桂微エロあり、注意。R15 で。高桂要素も含む。
このあと、高桂。の予定。銀の短篇、挟むかも。
ちょい、村塾時代にも触れてみたい気が。
攘夷一巡りしたら、銀にもどるか、土に進むか。たぶんどちらか。
とうぶん連作枠でのんびり続くはず。沖までちゃんと行くのか、おい。
「…かもと」
「坂本」
「辰馬。いいかげん起きぬか。もう陽は中天にあり、だぞ」
薄目を開けてみる。障子越しに差し込む光は、なるほど、すでに高い。坂本はのっそりと身を起こした。座敷にふたつ並べて敷かれた夜具の、片方はすでに折りたたまれ、仕舞うばかりになっている。もっともそれは、昨晩、使われることの無かったひと組だ。桂は台所のほうにいて坂本を呼んだらしく、見れば手にお玉を抱えている。味噌汁の香ばしい匂いが漂ってきた。
「いっておくが、おれがつくったわけではないぞ」
ちゃぶ台に、白飯を盛った大降りの碗。大豆と鹿尾菜の煮物、小女子の佃煮、白菜と蕪菁の浅漬け。大根菜と揚げの味噌汁を手にした椀によそいながら、やけに尊大な口調で桂が告げる。
「飯は今朝炊いたが、これは温めなおしだ。煮物とともにエリザベスが作り置きをしておいてくれたのだ」
気が利くだろう。と、それを云いたかったのだろう、表情からはわかりづらいが、内心にこにこと機嫌がいいようだ。そこに昨夜の、というか早暁までの、艶はない。銀時ならばふてくされるであろうほどの切り替えの早さであったが、坂本には、小太郎らしいと微笑ましくさえなる。桂は手先の器用なたちではない。料理はするが、得意とは云い難いのだ。ステファンを置いてよかったのお、と坂本はさっそく箸をとる。エリザベスだ、と決まり文句で訂正して、いただきます、と手を合わせた。
差し向かいでもくもくと食する花の容(かんばせ)を眺めながら、坂本は思い馳せる。戦線離脱後しばらくは幾度となく見た夢は、桂との再会後は鳴りを潜めていたのだが。今朝見たそれは、繰り返し見たそれより、鮮やかに残った。昨夜の閨での会話のせいだろうか。
奥の庭に面した壁に、桂は寄りかかっていた。そのすぐ横、細く明けられた障子の隙間から、夜気が運ばれてくる。エリザベスの調えてくれた膳も大半はふたりの胃袋に収まり、いまは廊下近くの角に寄せられてある。酔いに些かふらつきながらも空いた間に床(とこ)を並べて延べたのは桂だが、奥庭近くの夜具にさっさと陣取った坂本は、壁にもたれて酔い覚ましの風にあたる桂の、投げ出された脚先を片方枕もとに引き込んでいる。
「こたろ。金時とは、よりをもどさんがか」
腹這いで枕を胸元に敷き込み、肘をついた姿勢で、細い爪先をひとつずつ確かめるように指先と口唇とでなぞる。舌を這わせ浅く含みながら、云わずもがなのことを口にしてしまっていた。桂がゆっくりと、庭に向けていた視線を坂本の眉間に落とす。そのまましばらく、ぼうっとした目顔で、見つめてきた。問われた内容がちゃんと意味をなすのに時間がかかったようだった。
「より、とは? 貴様も云っていたではないか。無駄と知りながら攘夷に誘っておると。おれには、あやつの暮らしを打ち砕くことはできぬと。貴様が云ったのだぞ、辰馬」
坂本に愛撫されるままだった爪先をもたげ、土踏まずの横から親指の付け根を辿り指の先へと、滑らすようにして坂本の頬を撫で、桂は云った。わずかに乱れた裾の奥に覗く肌の白さが艶めかしい。
「じゃき、攘夷だのなんだのは、聞きもしやーせんろうが」
行ったり来たり、脚先でゆったり頬を撫でてくるなめらかな感触を味わいながら、坂本はその脚をとって、甲に口接ける。
「おんしが、攘夷のためでもなく白夜叉のちからを求めるでもなく、ただ銀時を欲しいと云えば」
そのまま、肌理の細かい肌に軽く歯を立てた。
「あれは、一も二もなく、馳せ参じる。もとより、おんしのがやき」
「辰馬」
「おんしは、それをわかっちゅう。やき、それをしやーせんのだ」
「銀時は、いちど、おれのもとから去った」
「ほんじゃき、よけいに、銀時はおんしを忘れられん」
脚先を摑んで、縹の袷の裾を割っていく。
「まして、いま、おんしは金時の目ぇのまえにおる。手を伸ばせば届くねきに」
帯を解き、自然はだけた袷のまえに手を入れて、なかの襦袢をはだける。肌襦袢とのあいだの胴衣の紐を、解いた。袷が羽織ごと、桂の肩から落ちる。
「届けば触れたくなるがは、情ぜよ」
ついで襦袢が滑り落ち、肌襦袢は肩から抜いた。薄く筋肉ののったしなやかな背と二の腕とが、夜気に晒され、ふるりと震える。それごと夜具へと抱き込んだ。
「触れれば手に入れたくなるがが、恋情ちや」
巧みに肌を晒させてゆく坂本の手を、桂は時折あやし賺して、上手に欲を誘う。慣れるほどにからだを重ねたわけではないが、再会後、時がゆるせばこうして肌を合わせた。だが、それも。
いちど手放したおもいびとをふたたび手にすることがゆるされたなら。
「二度と手放さぬと、こんどこそ金時が腹を括ったなら。そんときにゃ」
口唇と舌と指とで触れ、肌という肌に情愛の証を立ててから、坂本は桂の身を押し開いた。性急さの些かもないうごきで、深く分け入る。
「おんしは、どうする。こたろう?」
身のなかの熱と質量とにようやく馴染んだのか、桂は少し息を吐いた。それを確かめて坂本は、ゆるゆると、揺さぶってみる。逆らわず、ともに揺らぎながら、桂の双眸が見返してきた。
「あれの夢は、な。辰馬。おのれの家族を得ることだ」
「お登勢どの。万事屋の子ら。ほかにも身近で知己を得たものたち。それがいまのあれのまもるべき家族なのだ」
「そこに、おんしも入っちゅう」
坂本の指摘に、桂は薄く笑う。
「いいや、おんしは…そればあにゃ納まらんか」
否定も肯定もなかった。あのときの記憶がよみがえる。応えがないのが応えなのだ。やはり桂は、わかっている。銀時のおのれへの執着を。そして自身の、銀時への。
「おれは、銀時にはしあわせになってもらいたい。だが」
云って、坂本の首を抱きよせた。
「それは、銀時のしあわせを願っていることにはならん。ただおれが、あいつの不幸な顔をみたくないだけなのだ。それだけだ」
頬の触れ合わさった感触で、桂が瞼を閉じたのがわかる。
「おれは勝手なのだよ、たつま」
こめかみに、熱を持った雫が伝い落ちた。それが生理的なものなのか、情動によるものなのか、判断がつかなかった。たぶんそのどちらもなのだろうと、坂本は理解した。
「わしも勝手ぜよ。こたろう。わしも、おんしにゃしあわせに暮らしたちらいたい。わしもおんしのしあわせな顔を見ちょったがいばあよ」
抑えが効かなくなりはじめていた。知らず、うごきが速まる。
「勝手もの同士か」
喘ぎに混じって、小さく笑う気配があった。深く浅く攻め立てては、反応を窺い、窺っては、また攻める。ときにそれさえも、桂に乗せられ煽られているかのようで、坂本はおのれの罪科と福利とを身をもって味わっていた。
「そうじゃ。勝手もん同士ちや」
さらなる深奥へと穿ったとき、撓ったからだから、ひときわ細く高い声が漏れた。
* * *
遅い朝餉をすませると、坂本は桂を連れ立って、桜の名にし負う公園まで脚を伸ばした。
仮にも指名手配犯なのだから、ひるまっから市中を出歩くのは憚られそうなものだが、奇妙なところで似ている坂本も桂も、頓着しない。季節を外しているせいか、ひとはまばらだ。すっかり寒々とした木々のさまも、きょうの小春日和には、枯れ枝の手足を伸ばしたかのように見える。
「花見の季節に来たいもんちや。むかしみたいに、みなそろうて。たのしかろうよぉ」
「貴様も銀時も、弱いくせにがぶ飲みをする。酒に呑まれて真っ先に大はしゃぎするのが貴様で、真っ先につぶれるのが銀時だ。おれと高杉が、なんど引き摺って帰ったと思っている」
ことのほかみごとな枝振りの古木の、樹下に入って見上げた。春にはさぞや、と思わせる。たしかにむかし、このような桜の下で宴を張ったことがあった。
「小太郎は笊やいか。晋坊にいたってはザル通り越してワクぜよ、枠」
「笊じゃない、桂だ。加減を知れ、貴様は」
「わしゃあ、加減を知っちゅうよ。酒もおなごも花見のまつりも。酔うて気分がようなるまでが、えいがちや。なにごともなぁ」
なにを云わんとしたかを察したのだろう。桂は灰色がかった木肌にもたれ、袂に腕を入れて組んだ。その桂のあたまを、あやすように、ぽんぽんと軽く叩く。
「ぞうをもむな。わしが全力を挙げて、鬼兵隊と春雨のいらわりを確かめちゃるき。晋坊のこととなると、おんしはむかしっから、親かぇにかのように案じちゅう」
「親ではないが。そうだな、手のかかる赤子のようなところが、あるのだ。晋助は。頭は切れるのに。切れすぎて、才気走る。先を見据えているようで、まったく見えていない」
憮然として云うのに、おもわず坂本は吹き出した。
「金時も、逆しーの意味で手がかかろうが。おんしは手ぇのかかるもんらぁに好かれる。おんしもまた、手ぇのかかるもんを、さらに手ぇをかけたがる。けんど」
もったいつけて、ことばを切る。
「おんし自身がいちばん手ぇがかかるもんと、知っちゅうか?小太郎」
そう、またぽんぽんと叩いてくる坂本の手を、些か煩そうに受けながら
「おい、辰馬。おれのどこが、手がかかる?」
怪訝そうに問う桂に、からからと笑うだけで、坂本はこたえなかった。
手がかかると自覚していないものこそが、いっとうたちが悪いのだ。
銀時も高杉も、おのれが手のかかる性質(たち)であることをおそらく自覚している。自覚していながら自身ではどうしようもないだけだ。かたちこそ違え、ふたりともが、それを桂にだけぶつけている。ぶつけられる桂にしてみればたまったものではないはずだったが、桂はその見目に反して神経が太い。細やかさには欠けるが情は深く豊かだ。だからふたりを受けとめ、反発しつつも受け入れてしまった。受け入れたものを桂は無下にできない。
やっかいなのは、桂のその、ありようのほうなのだ。
すっかり葉を落とした桜の木の下で怪訝に坂本を見る桂は、いまそこにない満開の花のごとく、ひとを惹きつけてやまない。
仰ぎ見、讃えるだけなら近づくことをゆるされても、枝を手折り、あるいは花を散らすほどに揺さぶれば、散った花弁は視界を覆い尽くし、そのものを桜花の闇へと誘うだろう。
坂本はおもった。
自ら強いた別離を経てのち再会し、桂との距離の在り方に惑っているであろう銀時と。攘夷の戦を最後までともにしながら、袂を分かち迷走をはじめた高杉と。いまだ桂に執着を残す、ふたりの昔なじみを思った。
耐えきれぬと退くことで銀時はなんとかおのれをたもったが、高杉はひたすら突き進んで敗れて折れた。いったん折れて捩れた感情は、だから容易に回復しない。
銀時が、桂の不在を、べつのものを支えにやり過ごそうとしたようには。
高杉は、その不在を埋められないでいる。
べつのものにそれを見いだすことなど、思考の端にも浮かんではいまい。かつての松陽の死を埋められなかったように。
松陽の死に際し、高杉がなんとかおのれを律していられたのは、近しい立場の桂や銀時がいたからではなかったか。ことに、最も早い時期から最も長い時間を最も最後まで、ともに過ごすことになった桂の存在は、高杉にとって、ほかのなにものにも代えがたい侵しがたい領域だったのではなかろうか。
その高杉を、おそらくは銀時にする以上に案じているであろう桂は、このときすでに、不穏な空気を感じとっていた。
それを桂自らに告げられながら、おのれが後手に回ったことを坂本が知るのは、桂が襲われ姿を消し、やがて銀時とともに高杉と対峙するという、ばかげた事態に陥ってからのことである。
了 2008.01.04.
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「…かもと」
「坂本」
「辰馬。いいかげん起きぬか。もう陽は中天にあり、だぞ」
薄目を開けてみる。障子越しに差し込む光は、なるほど、すでに高い。坂本はのっそりと身を起こした。座敷にふたつ並べて敷かれた夜具の、片方はすでに折りたたまれ、仕舞うばかりになっている。もっともそれは、昨晩、使われることの無かったひと組だ。桂は台所のほうにいて坂本を呼んだらしく、見れば手にお玉を抱えている。味噌汁の香ばしい匂いが漂ってきた。
「いっておくが、おれがつくったわけではないぞ」
ちゃぶ台に、白飯を盛った大降りの碗。大豆と鹿尾菜の煮物、小女子の佃煮、白菜と蕪菁の浅漬け。大根菜と揚げの味噌汁を手にした椀によそいながら、やけに尊大な口調で桂が告げる。
「飯は今朝炊いたが、これは温めなおしだ。煮物とともにエリザベスが作り置きをしておいてくれたのだ」
気が利くだろう。と、それを云いたかったのだろう、表情からはわかりづらいが、内心にこにこと機嫌がいいようだ。そこに昨夜の、というか早暁までの、艶はない。銀時ならばふてくされるであろうほどの切り替えの早さであったが、坂本には、小太郎らしいと微笑ましくさえなる。桂は手先の器用なたちではない。料理はするが、得意とは云い難いのだ。ステファンを置いてよかったのお、と坂本はさっそく箸をとる。エリザベスだ、と決まり文句で訂正して、いただきます、と手を合わせた。
差し向かいでもくもくと食する花の容(かんばせ)を眺めながら、坂本は思い馳せる。戦線離脱後しばらくは幾度となく見た夢は、桂との再会後は鳴りを潜めていたのだが。今朝見たそれは、繰り返し見たそれより、鮮やかに残った。昨夜の閨での会話のせいだろうか。
奥の庭に面した壁に、桂は寄りかかっていた。そのすぐ横、細く明けられた障子の隙間から、夜気が運ばれてくる。エリザベスの調えてくれた膳も大半はふたりの胃袋に収まり、いまは廊下近くの角に寄せられてある。酔いに些かふらつきながらも空いた間に床(とこ)を並べて延べたのは桂だが、奥庭近くの夜具にさっさと陣取った坂本は、壁にもたれて酔い覚ましの風にあたる桂の、投げ出された脚先を片方枕もとに引き込んでいる。
「こたろ。金時とは、よりをもどさんがか」
腹這いで枕を胸元に敷き込み、肘をついた姿勢で、細い爪先をひとつずつ確かめるように指先と口唇とでなぞる。舌を這わせ浅く含みながら、云わずもがなのことを口にしてしまっていた。桂がゆっくりと、庭に向けていた視線を坂本の眉間に落とす。そのまましばらく、ぼうっとした目顔で、見つめてきた。問われた内容がちゃんと意味をなすのに時間がかかったようだった。
「より、とは? 貴様も云っていたではないか。無駄と知りながら攘夷に誘っておると。おれには、あやつの暮らしを打ち砕くことはできぬと。貴様が云ったのだぞ、辰馬」
坂本に愛撫されるままだった爪先をもたげ、土踏まずの横から親指の付け根を辿り指の先へと、滑らすようにして坂本の頬を撫で、桂は云った。わずかに乱れた裾の奥に覗く肌の白さが艶めかしい。
「じゃき、攘夷だのなんだのは、聞きもしやーせんろうが」
行ったり来たり、脚先でゆったり頬を撫でてくるなめらかな感触を味わいながら、坂本はその脚をとって、甲に口接ける。
「おんしが、攘夷のためでもなく白夜叉のちからを求めるでもなく、ただ銀時を欲しいと云えば」
そのまま、肌理の細かい肌に軽く歯を立てた。
「あれは、一も二もなく、馳せ参じる。もとより、おんしのがやき」
「辰馬」
「おんしは、それをわかっちゅう。やき、それをしやーせんのだ」
「銀時は、いちど、おれのもとから去った」
「ほんじゃき、よけいに、銀時はおんしを忘れられん」
脚先を摑んで、縹の袷の裾を割っていく。
「まして、いま、おんしは金時の目ぇのまえにおる。手を伸ばせば届くねきに」
帯を解き、自然はだけた袷のまえに手を入れて、なかの襦袢をはだける。肌襦袢とのあいだの胴衣の紐を、解いた。袷が羽織ごと、桂の肩から落ちる。
「届けば触れたくなるがは、情ぜよ」
ついで襦袢が滑り落ち、肌襦袢は肩から抜いた。薄く筋肉ののったしなやかな背と二の腕とが、夜気に晒され、ふるりと震える。それごと夜具へと抱き込んだ。
「触れれば手に入れたくなるがが、恋情ちや」
巧みに肌を晒させてゆく坂本の手を、桂は時折あやし賺して、上手に欲を誘う。慣れるほどにからだを重ねたわけではないが、再会後、時がゆるせばこうして肌を合わせた。だが、それも。
いちど手放したおもいびとをふたたび手にすることがゆるされたなら。
「二度と手放さぬと、こんどこそ金時が腹を括ったなら。そんときにゃ」
口唇と舌と指とで触れ、肌という肌に情愛の証を立ててから、坂本は桂の身を押し開いた。性急さの些かもないうごきで、深く分け入る。
「おんしは、どうする。こたろう?」
身のなかの熱と質量とにようやく馴染んだのか、桂は少し息を吐いた。それを確かめて坂本は、ゆるゆると、揺さぶってみる。逆らわず、ともに揺らぎながら、桂の双眸が見返してきた。
「あれの夢は、な。辰馬。おのれの家族を得ることだ」
「お登勢どの。万事屋の子ら。ほかにも身近で知己を得たものたち。それがいまのあれのまもるべき家族なのだ」
「そこに、おんしも入っちゅう」
坂本の指摘に、桂は薄く笑う。
「いいや、おんしは…そればあにゃ納まらんか」
否定も肯定もなかった。あのときの記憶がよみがえる。応えがないのが応えなのだ。やはり桂は、わかっている。銀時のおのれへの執着を。そして自身の、銀時への。
「おれは、銀時にはしあわせになってもらいたい。だが」
云って、坂本の首を抱きよせた。
「それは、銀時のしあわせを願っていることにはならん。ただおれが、あいつの不幸な顔をみたくないだけなのだ。それだけだ」
頬の触れ合わさった感触で、桂が瞼を閉じたのがわかる。
「おれは勝手なのだよ、たつま」
こめかみに、熱を持った雫が伝い落ちた。それが生理的なものなのか、情動によるものなのか、判断がつかなかった。たぶんそのどちらもなのだろうと、坂本は理解した。
「わしも勝手ぜよ。こたろう。わしも、おんしにゃしあわせに暮らしたちらいたい。わしもおんしのしあわせな顔を見ちょったがいばあよ」
抑えが効かなくなりはじめていた。知らず、うごきが速まる。
「勝手もの同士か」
喘ぎに混じって、小さく笑う気配があった。深く浅く攻め立てては、反応を窺い、窺っては、また攻める。ときにそれさえも、桂に乗せられ煽られているかのようで、坂本はおのれの罪科と福利とを身をもって味わっていた。
「そうじゃ。勝手もん同士ちや」
さらなる深奥へと穿ったとき、撓ったからだから、ひときわ細く高い声が漏れた。
* * *
遅い朝餉をすませると、坂本は桂を連れ立って、桜の名にし負う公園まで脚を伸ばした。
仮にも指名手配犯なのだから、ひるまっから市中を出歩くのは憚られそうなものだが、奇妙なところで似ている坂本も桂も、頓着しない。季節を外しているせいか、ひとはまばらだ。すっかり寒々とした木々のさまも、きょうの小春日和には、枯れ枝の手足を伸ばしたかのように見える。
「花見の季節に来たいもんちや。むかしみたいに、みなそろうて。たのしかろうよぉ」
「貴様も銀時も、弱いくせにがぶ飲みをする。酒に呑まれて真っ先に大はしゃぎするのが貴様で、真っ先につぶれるのが銀時だ。おれと高杉が、なんど引き摺って帰ったと思っている」
ことのほかみごとな枝振りの古木の、樹下に入って見上げた。春にはさぞや、と思わせる。たしかにむかし、このような桜の下で宴を張ったことがあった。
「小太郎は笊やいか。晋坊にいたってはザル通り越してワクぜよ、枠」
「笊じゃない、桂だ。加減を知れ、貴様は」
「わしゃあ、加減を知っちゅうよ。酒もおなごも花見のまつりも。酔うて気分がようなるまでが、えいがちや。なにごともなぁ」
なにを云わんとしたかを察したのだろう。桂は灰色がかった木肌にもたれ、袂に腕を入れて組んだ。その桂のあたまを、あやすように、ぽんぽんと軽く叩く。
「ぞうをもむな。わしが全力を挙げて、鬼兵隊と春雨のいらわりを確かめちゃるき。晋坊のこととなると、おんしはむかしっから、親かぇにかのように案じちゅう」
「親ではないが。そうだな、手のかかる赤子のようなところが、あるのだ。晋助は。頭は切れるのに。切れすぎて、才気走る。先を見据えているようで、まったく見えていない」
憮然として云うのに、おもわず坂本は吹き出した。
「金時も、逆しーの意味で手がかかろうが。おんしは手ぇのかかるもんらぁに好かれる。おんしもまた、手ぇのかかるもんを、さらに手ぇをかけたがる。けんど」
もったいつけて、ことばを切る。
「おんし自身がいちばん手ぇがかかるもんと、知っちゅうか?小太郎」
そう、またぽんぽんと叩いてくる坂本の手を、些か煩そうに受けながら
「おい、辰馬。おれのどこが、手がかかる?」
怪訝そうに問う桂に、からからと笑うだけで、坂本はこたえなかった。
手がかかると自覚していないものこそが、いっとうたちが悪いのだ。
銀時も高杉も、おのれが手のかかる性質(たち)であることをおそらく自覚している。自覚していながら自身ではどうしようもないだけだ。かたちこそ違え、ふたりともが、それを桂にだけぶつけている。ぶつけられる桂にしてみればたまったものではないはずだったが、桂はその見目に反して神経が太い。細やかさには欠けるが情は深く豊かだ。だからふたりを受けとめ、反発しつつも受け入れてしまった。受け入れたものを桂は無下にできない。
やっかいなのは、桂のその、ありようのほうなのだ。
すっかり葉を落とした桜の木の下で怪訝に坂本を見る桂は、いまそこにない満開の花のごとく、ひとを惹きつけてやまない。
仰ぎ見、讃えるだけなら近づくことをゆるされても、枝を手折り、あるいは花を散らすほどに揺さぶれば、散った花弁は視界を覆い尽くし、そのものを桜花の闇へと誘うだろう。
坂本はおもった。
自ら強いた別離を経てのち再会し、桂との距離の在り方に惑っているであろう銀時と。攘夷の戦を最後までともにしながら、袂を分かち迷走をはじめた高杉と。いまだ桂に執着を残す、ふたりの昔なじみを思った。
耐えきれぬと退くことで銀時はなんとかおのれをたもったが、高杉はひたすら突き進んで敗れて折れた。いったん折れて捩れた感情は、だから容易に回復しない。
銀時が、桂の不在を、べつのものを支えにやり過ごそうとしたようには。
高杉は、その不在を埋められないでいる。
べつのものにそれを見いだすことなど、思考の端にも浮かんではいまい。かつての松陽の死を埋められなかったように。
松陽の死に際し、高杉がなんとかおのれを律していられたのは、近しい立場の桂や銀時がいたからではなかったか。ことに、最も早い時期から最も長い時間を最も最後まで、ともに過ごすことになった桂の存在は、高杉にとって、ほかのなにものにも代えがたい侵しがたい領域だったのではなかろうか。
その高杉を、おそらくは銀時にする以上に案じているであろう桂は、このときすでに、不穏な空気を感じとっていた。
それを桂自らに告げられながら、おのれが後手に回ったことを坂本が知るのは、桂が襲われ姿を消し、やがて銀時とともに高杉と対峙するという、ばかげた事態に陥ってからのことである。
了 2008.01.04.
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