「天涯の遊子」土桂篇。全4回。
土方と桂。
桂の江戸潜伏後あたりから、紅桜直後まで。時系列。
「…………らい」
「…もざむらい」
「起きろ、芋侍」
だんだんに近づく声に、はっとして土方は目を開けた。あわてて身を起こし左右を見る。あのまま寝ちまったのか。そのとおり、目のまえに、ふとんに半身を起こした桂の姿があった。
「これは、どういうことだ?」
声にも少しちからが戻ってきている。目線で、絡ませたままのおたがいの手指を示した。
「どう、って。これはてめぇが、放しやがらねえから…」
「おれが? ふざけたことを抜かすな。おおかた怪我人相手によからぬことを考えてだな」
感情を乗せぬ表情で、本気とも冗談ともつかぬ口調で云ってくる。
「だっ。どっちがだ。ふざけんな。てめぇが誰かとまちがえて、縋ってきたんだろうが!」
いまさらにあわててはねのけようとして、土方は桂が真顔に変わったのを見た。
「だれと、だと?」
こんどは意図的に絡めとられた指に、ちからがこもる。長い指先。刀を扱う人間とはいえ、傷病人とは思えぬちからだった。
「俺が知るか」
「なにか、云ったか。おれは」
目を据えて、桂は真正面から土方の視線を捉えた。痛いほどに絡められた指。逃れようにも逃れられない。というか、近い。近い近い、近い。
「知らねぇよ。晋助…高杉と、あとぎんとかたつとか、そんなような名まえだ」
「…………」
ああ、そうか。ふいに、桂の懸念に、土方は思い至った。
「いまさら、攘夷戦争時代の仲間の名ぐれぇで、しょっぴいたりしねえから、安心しろ」
「…とうぜんだ。そのような愚行を冒してみろ。天に代わってこの桂小太郎が誅してくれる」
淡々と、だが背筋を凍らせるほどの、声音で云った。
「おめぇよ、そんなこと抜かせる立場だと、いま、思ってんのか?」
桂のかつての戦友へのおもいの深さを垣間見せられて、土方のなかのなにかが軋んだ。気分がささくれ立つのを止められない。
「さて、な。みたところ屯所ではないし、貴様におれを捕らえる気があるのなら、軍医のところか警察病院にでも放り込んでいるだろうしな」
「…………ぅ」
云って桂は、ようやく土方の指を解放した。
「だから、まあ、抜かせる立場だと思うが。貴様こそ、どう説明する気だ?」
「………」
内心怖れていた問いを面と向かって投げられて、土方は返答に窮した。血行の止まったようなおのれの指を揉んでほぐしながら、目を彷徨わせる。だがそのことにはさして関心がなかったのか、桂は答えを待たずに続けた。
「まぁどうやら不覚にも、貴様にたすけられたようだが。…何日眠っていた?おれは」
「きょうを数えて4日だ」
「4日…か。どの程度、ことがうごいているか、だな…」
目線を遠くに馳せて、桂がつぶやく。正気づいたとたんに、これか。気にくわねえ。なにかをたくらんでやがる。
「…信じるのか」
「うん?」
「俺のことばを、あっさり信じるのかよ」
目のまえの土方の思惑など、このおとこには些末なことなのか。
「…妙なことを。貴様がいまここで日数をごまかすことになんの益がある? よしんば偽りであろうと、ここをでれば、すぐに知れることだ」
「俺がおめぇを、あっさりここから逃すとでも?」
「……」
「俺が屯所に連絡入れて、わざとここに匿ってるとは考えねぇのか」
「なんのためにだ?」
「それは、つまりだ。おめぇを油断させるためとか」
桂はくすりと笑う。
「なんのために油断させる?おれは怪我人だぞ。しかも意識を失っていた。そんな回りくどい上に意味のない手段など、とるようなら真選組は馬鹿で阿呆の集団だ」
そりゃそうだろう。土方自身、ただその場の思いつきで喋っているという自覚があった。だがそうしなければ、いられなかっただけだ。なぜ。なんのために。
「俺個人が、匿ってるとしたら、その理由はなんだ?」
「……自分の胸に聞け。芋侍」
「俺が、おめぇをここから出す気はないとしたら?」
「その気なら、怪我人の傍で寝こけたりはするまいよ」
「…………」
「さっきから、おまえは自分でも答えの出せないことをおれに訊ねてきているな」
土方は知らず赤面する。桂はさらりと云い足した。
「まあいい。ついでにもう数日、療養させてもらおう。狗の息のかかった場所におれがいようとはだれも思うまいからな。ちゃんとうごけるようにならなくては、為すべきことも成せん。そのあいだにゆっくり考えろ」
そういって、桂は床(とこ)に寝直した。痛みに顔をしかめたが、自由になるほうの片半身で身を支えて、ふとんに潜り込む。
「ゆっくり、って、てめぇなぁ。何様のつもりだ」
肩先まで掛け布団を引き寄せて、目を閉じた。
「何様のつもりでもない。桂だ。貴様にも必要な時間と思うが、ちがうか?」
応えられなかった。そのとおりだった。土方が、おのれのした行動の意味付けにせよ、つじつま合わせにせよ、するには時間は足りないくらいだ。
「桂。…ひとつだけ、聞かせろや」
「なんだ」
目を閉じたまま、応える。疲労の影が濃い。あたりまえだ。ついさっきまで意識不明も同然だったのだ。あまりにも桂がふつうに会話していたので、つい土方は、桂のからだが衰弱していることを失念していた。
「おめぇを襲ったのは、件の辻斬りか。そいつの面は割れてんのか」
桂が薄目を開けて、微笑した。ようやく発せられた土方のまともな問いに、
「世話になった礼に、教えてやろう。鬼の副長殿」
あくまで尊大な口調で、だがはじめて、狗だの芋侍だのとの呼称を、桂は口にしなかった。
「蕎麦が食いたい」
「ああ? ぜいたく云ってんじゃねえぞ。こら。ひとにメシ運ばせといて」
土方が屯所帰りに調達してきたコンビニの袋を覗いて、桂が文句を云う。
「ふん。敵に対する調べが足りんな。おれが蕎麦を好むことくらい、周知かと思ったが」
「だあっ。わかったよ。買ってくりゃいいんだろ、買ってくりゃ」
土方がやけになって、買いに戻ろうとするのへ、
「明日でよい」
云って、がさごそと、袋の中身を卓へ並べはじめた。
「てめぇがいま、食いたいと云ったんだろうが」
「これらが、もったいないではないか。せっかく貴様が買ってきたものを」
桂は、部屋に設えてある急須に土方の買ってきた茶葉を入れ、電気ぽっとのお湯を注ぐ。揃いの茶器の湯呑みにふたりぶんの茶を淹れた。
「傷口は、痛まねぇのか。そんな、うごいて」
妙にくすぐったい気分になるのを紛らすように云って、土方は卓についた。
「痛まぬわけがなかろう。まあ、手当てがよかったらしいな。うごけぬ痛みではない」
「そーかよ。そりゃ、よかったな」
ぶっきらぼうに云うのへ、桂が思い出したように笑う。桂がふつうに笑うのを、はじめて土方は見た。
「な、んだよ。気色悪ぃな」
「どうも、どこかしら誰かに似ていると思ったんだ」
「ああ?」
「いや、いい。気にするな。こちらの話だ」
まだくすくす笑いながら、云うものだから
「気になるだろうがよ。だれが、だれに似てるって?」
「貴様が、古い友人に、な」
熱に浮かされた桂が、つぶやいたいくつかの名を思い出した。
「そりゃ、あれか。攘夷の戦友か、なにかか」
「そうなるが、まあ、幼なじみだ」
ああ、やべぇ。反射的に、土方は思った。
そりゃ、いるよな、幼なじみぐらい。土方に、近藤や沖田という存在があるように。桂にも、こころを許せる存在がある。そんな、これ以上、桂のひととしての部分に触れるようなことは、土方の抱く昏迷の度を増すだけだというのに。なんで俺は、ままごとみたいに、こんなところで、こいつとメシ食ってんだろ。
だいたい、こいつのこの順応性の高さはなんだ。警戒心を完全に解いたわけではないことは、買ってきた食料品をさりげなくあらためる手つきでわかる。だがそれは土方に対して、というより日頃の習慣に根ざしたもののようだった。おのれの命を脅かすものの存在する日常に、慣れている。だからか、桂はたった数日のこの環境にもなじんでしまっている。戦争を生き抜きいまもまだ闘い続けるおとこの、したたかさとでもいうものを、土方は感じざるを得なかった。
そのくせ、
「ああ、ちげーよ。こっちを先にひっぱるんだって」
コンビニのおにぎりの、包装ラップの剥き方に悩む桂に、土方が手を出す。
「ほら、こう。いいかげん覚えろや」
「ふだん、食いつけぬのだ。だから蕎麦がいいと…」
「だから、そりゃ明日買ってきてやるから。それでいいって、てめぇが云ったんだろうが」
「絶対だからな」
云って、ぱくつく。まるきり、子どものようだ。だが食べるしぐさは、あくまで優雅で品がいい。こういうのを、育ちのちがい、というのだろうか。少なくとも、自分たち真選組には、持ち合わせない部分だった。
弁当からサンドイッチ、握り飯にまでマヨネーズをかける土方に、桂は最初こそ眉をひそめて苦言を呈したが、そのあとは文句を云いつつも土方のこの癖に怯むでもなく、おなじ卓で向かい合わせて食事をとるのに、平然としている。
ああ、やべぇ。と、また、土方は思った。
この気分を、打ち払わなければ。
「連絡、つけてんのか」
土方のいない昼間のうちに。同志たちに。そのくらいのことは、たやすいだろう。こいつなら。
「ゆえあって控えている。いやいや、つけていたとして、それを貴様に正直に云うと思うか?」
含み笑いで、桂が返す。土方も、口の端で笑った。
「そりゃ、そーだ」
桂が食後の茶をたのしむ時間を待ってから、からだを拭い浄めて、薬と包帯を変える。意識が戻ってから土方に世話されるのにも、桂はさしたる抵抗を示さなかった。むしろ当然、といった顔つきで土方の手当てを受けている。どうあれ、いまの土方に桂を売る気はない、と判断しているのだろう。そうとわかれば、無駄な体力も神経も使わないというのが、やはり並の感覚ではない。
続 2008.01.22.
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「…………らい」
「…もざむらい」
「起きろ、芋侍」
だんだんに近づく声に、はっとして土方は目を開けた。あわてて身を起こし左右を見る。あのまま寝ちまったのか。そのとおり、目のまえに、ふとんに半身を起こした桂の姿があった。
「これは、どういうことだ?」
声にも少しちからが戻ってきている。目線で、絡ませたままのおたがいの手指を示した。
「どう、って。これはてめぇが、放しやがらねえから…」
「おれが? ふざけたことを抜かすな。おおかた怪我人相手によからぬことを考えてだな」
感情を乗せぬ表情で、本気とも冗談ともつかぬ口調で云ってくる。
「だっ。どっちがだ。ふざけんな。てめぇが誰かとまちがえて、縋ってきたんだろうが!」
いまさらにあわててはねのけようとして、土方は桂が真顔に変わったのを見た。
「だれと、だと?」
こんどは意図的に絡めとられた指に、ちからがこもる。長い指先。刀を扱う人間とはいえ、傷病人とは思えぬちからだった。
「俺が知るか」
「なにか、云ったか。おれは」
目を据えて、桂は真正面から土方の視線を捉えた。痛いほどに絡められた指。逃れようにも逃れられない。というか、近い。近い近い、近い。
「知らねぇよ。晋助…高杉と、あとぎんとかたつとか、そんなような名まえだ」
「…………」
ああ、そうか。ふいに、桂の懸念に、土方は思い至った。
「いまさら、攘夷戦争時代の仲間の名ぐれぇで、しょっぴいたりしねえから、安心しろ」
「…とうぜんだ。そのような愚行を冒してみろ。天に代わってこの桂小太郎が誅してくれる」
淡々と、だが背筋を凍らせるほどの、声音で云った。
「おめぇよ、そんなこと抜かせる立場だと、いま、思ってんのか?」
桂のかつての戦友へのおもいの深さを垣間見せられて、土方のなかのなにかが軋んだ。気分がささくれ立つのを止められない。
「さて、な。みたところ屯所ではないし、貴様におれを捕らえる気があるのなら、軍医のところか警察病院にでも放り込んでいるだろうしな」
「…………ぅ」
云って桂は、ようやく土方の指を解放した。
「だから、まあ、抜かせる立場だと思うが。貴様こそ、どう説明する気だ?」
「………」
内心怖れていた問いを面と向かって投げられて、土方は返答に窮した。血行の止まったようなおのれの指を揉んでほぐしながら、目を彷徨わせる。だがそのことにはさして関心がなかったのか、桂は答えを待たずに続けた。
「まぁどうやら不覚にも、貴様にたすけられたようだが。…何日眠っていた?おれは」
「きょうを数えて4日だ」
「4日…か。どの程度、ことがうごいているか、だな…」
目線を遠くに馳せて、桂がつぶやく。正気づいたとたんに、これか。気にくわねえ。なにかをたくらんでやがる。
「…信じるのか」
「うん?」
「俺のことばを、あっさり信じるのかよ」
目のまえの土方の思惑など、このおとこには些末なことなのか。
「…妙なことを。貴様がいまここで日数をごまかすことになんの益がある? よしんば偽りであろうと、ここをでれば、すぐに知れることだ」
「俺がおめぇを、あっさりここから逃すとでも?」
「……」
「俺が屯所に連絡入れて、わざとここに匿ってるとは考えねぇのか」
「なんのためにだ?」
「それは、つまりだ。おめぇを油断させるためとか」
桂はくすりと笑う。
「なんのために油断させる?おれは怪我人だぞ。しかも意識を失っていた。そんな回りくどい上に意味のない手段など、とるようなら真選組は馬鹿で阿呆の集団だ」
そりゃそうだろう。土方自身、ただその場の思いつきで喋っているという自覚があった。だがそうしなければ、いられなかっただけだ。なぜ。なんのために。
「俺個人が、匿ってるとしたら、その理由はなんだ?」
「……自分の胸に聞け。芋侍」
「俺が、おめぇをここから出す気はないとしたら?」
「その気なら、怪我人の傍で寝こけたりはするまいよ」
「…………」
「さっきから、おまえは自分でも答えの出せないことをおれに訊ねてきているな」
土方は知らず赤面する。桂はさらりと云い足した。
「まあいい。ついでにもう数日、療養させてもらおう。狗の息のかかった場所におれがいようとはだれも思うまいからな。ちゃんとうごけるようにならなくては、為すべきことも成せん。そのあいだにゆっくり考えろ」
そういって、桂は床(とこ)に寝直した。痛みに顔をしかめたが、自由になるほうの片半身で身を支えて、ふとんに潜り込む。
「ゆっくり、って、てめぇなぁ。何様のつもりだ」
肩先まで掛け布団を引き寄せて、目を閉じた。
「何様のつもりでもない。桂だ。貴様にも必要な時間と思うが、ちがうか?」
応えられなかった。そのとおりだった。土方が、おのれのした行動の意味付けにせよ、つじつま合わせにせよ、するには時間は足りないくらいだ。
「桂。…ひとつだけ、聞かせろや」
「なんだ」
目を閉じたまま、応える。疲労の影が濃い。あたりまえだ。ついさっきまで意識不明も同然だったのだ。あまりにも桂がふつうに会話していたので、つい土方は、桂のからだが衰弱していることを失念していた。
「おめぇを襲ったのは、件の辻斬りか。そいつの面は割れてんのか」
桂が薄目を開けて、微笑した。ようやく発せられた土方のまともな問いに、
「世話になった礼に、教えてやろう。鬼の副長殿」
あくまで尊大な口調で、だがはじめて、狗だの芋侍だのとの呼称を、桂は口にしなかった。
「蕎麦が食いたい」
「ああ? ぜいたく云ってんじゃねえぞ。こら。ひとにメシ運ばせといて」
土方が屯所帰りに調達してきたコンビニの袋を覗いて、桂が文句を云う。
「ふん。敵に対する調べが足りんな。おれが蕎麦を好むことくらい、周知かと思ったが」
「だあっ。わかったよ。買ってくりゃいいんだろ、買ってくりゃ」
土方がやけになって、買いに戻ろうとするのへ、
「明日でよい」
云って、がさごそと、袋の中身を卓へ並べはじめた。
「てめぇがいま、食いたいと云ったんだろうが」
「これらが、もったいないではないか。せっかく貴様が買ってきたものを」
桂は、部屋に設えてある急須に土方の買ってきた茶葉を入れ、電気ぽっとのお湯を注ぐ。揃いの茶器の湯呑みにふたりぶんの茶を淹れた。
「傷口は、痛まねぇのか。そんな、うごいて」
妙にくすぐったい気分になるのを紛らすように云って、土方は卓についた。
「痛まぬわけがなかろう。まあ、手当てがよかったらしいな。うごけぬ痛みではない」
「そーかよ。そりゃ、よかったな」
ぶっきらぼうに云うのへ、桂が思い出したように笑う。桂がふつうに笑うのを、はじめて土方は見た。
「な、んだよ。気色悪ぃな」
「どうも、どこかしら誰かに似ていると思ったんだ」
「ああ?」
「いや、いい。気にするな。こちらの話だ」
まだくすくす笑いながら、云うものだから
「気になるだろうがよ。だれが、だれに似てるって?」
「貴様が、古い友人に、な」
熱に浮かされた桂が、つぶやいたいくつかの名を思い出した。
「そりゃ、あれか。攘夷の戦友か、なにかか」
「そうなるが、まあ、幼なじみだ」
ああ、やべぇ。反射的に、土方は思った。
そりゃ、いるよな、幼なじみぐらい。土方に、近藤や沖田という存在があるように。桂にも、こころを許せる存在がある。そんな、これ以上、桂のひととしての部分に触れるようなことは、土方の抱く昏迷の度を増すだけだというのに。なんで俺は、ままごとみたいに、こんなところで、こいつとメシ食ってんだろ。
だいたい、こいつのこの順応性の高さはなんだ。警戒心を完全に解いたわけではないことは、買ってきた食料品をさりげなくあらためる手つきでわかる。だがそれは土方に対して、というより日頃の習慣に根ざしたもののようだった。おのれの命を脅かすものの存在する日常に、慣れている。だからか、桂はたった数日のこの環境にもなじんでしまっている。戦争を生き抜きいまもまだ闘い続けるおとこの、したたかさとでもいうものを、土方は感じざるを得なかった。
そのくせ、
「ああ、ちげーよ。こっちを先にひっぱるんだって」
コンビニのおにぎりの、包装ラップの剥き方に悩む桂に、土方が手を出す。
「ほら、こう。いいかげん覚えろや」
「ふだん、食いつけぬのだ。だから蕎麦がいいと…」
「だから、そりゃ明日買ってきてやるから。それでいいって、てめぇが云ったんだろうが」
「絶対だからな」
云って、ぱくつく。まるきり、子どものようだ。だが食べるしぐさは、あくまで優雅で品がいい。こういうのを、育ちのちがい、というのだろうか。少なくとも、自分たち真選組には、持ち合わせない部分だった。
弁当からサンドイッチ、握り飯にまでマヨネーズをかける土方に、桂は最初こそ眉をひそめて苦言を呈したが、そのあとは文句を云いつつも土方のこの癖に怯むでもなく、おなじ卓で向かい合わせて食事をとるのに、平然としている。
ああ、やべぇ。と、また、土方は思った。
この気分を、打ち払わなければ。
「連絡、つけてんのか」
土方のいない昼間のうちに。同志たちに。そのくらいのことは、たやすいだろう。こいつなら。
「ゆえあって控えている。いやいや、つけていたとして、それを貴様に正直に云うと思うか?」
含み笑いで、桂が返す。土方も、口の端で笑った。
「そりゃ、そーだ」
桂が食後の茶をたのしむ時間を待ってから、からだを拭い浄めて、薬と包帯を変える。意識が戻ってから土方に世話されるのにも、桂はさしたる抵抗を示さなかった。むしろ当然、といった顔つきで土方の手当てを受けている。どうあれ、いまの土方に桂を売る気はない、と判断しているのだろう。そうとわかれば、無駄な体力も神経も使わないというのが、やはり並の感覚ではない。
続 2008.01.22.
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