保護したマリナ・イスマイールの希望を容れ、刹那はプトレマイオスの進路をアザディスタン王国に向ける。だが、そのうごきはアロウズ側に読まれていた。
海中で攻撃を受けた母艦の危機は、そのさなかに前線に復帰したスメラギ・李・ノリエガの的確な戦術予報とセラヴィー、ケルディム、ダブルオーの連携によって脱したものの。その後、応戦に空中に出たダブルオーは敵新型MSに阻まれ、アリオスはアレルヤがハレルヤの存在を失い脳量子波が使えず、苦戦を強いられる。
そこを狙い澄ましたかのように現れたカタロンの艦隊の助力で、アロウズは一時撤退した。プトレマイオスの進路をカタロンに伝えたのはジーンワン、すなわち現ロックオン・ストラトスを名告るライル・ディランディである。
反連邦勢力カタロン中東支部では自分たちの今後の活動のためにCBの存在を、あわよくば取り込み、少なくとも協力関係に持ち込もうと画策していた。そして、そのリーダー、クラウス・グラードはマリナ・イスマイールの保護を申し出る。カタロンの現構成員シーリン・バフティヤールがかつてアザディスタンで王女の側近を務めており友人でもあったためだ。
正式な会談を求められてマリナを砂漠にあるカタロン支部の秘密基地に送り届けることとなり、小型VTOL機には刹那とティエリアの操舵でマリナとスメラギと沙慈・クロスロードを乗せ、ライルとアレルヤがケルディムとアリオスでその護衛に付く。
その道中で、カタロンであることを隠しているにも関わらず中東情勢の詳細を通信で語るライルに、ティエリアは暗に釘を刺した。
「詳しいな」
「…そうかい? 常識の範疇だよ」
ライルがしれっとして云い繕ったところへ、カタロン基地からの管制通信が入る。刹那もそうだがティエリアも、ライルのスパイ行為のことを表沙汰にする気はないのだ。
表向き平静にライルはそれを受け容れながら、近い将来CBとカタロンが手を取りあう日が訪れると語るクラウスには、曖昧な応えを返すに留めた。
「さぁ…、どうですかね」
CBの敵はアロウズであり、カタロンの敵は連邦政府だ。カタロンと異なり政治的思想でうごいていないCBの取り込みは困難だったが、補給や整備だけでも協力したいという申し出は受け容れられた。ジーンワンの役割の重要度は増すだろう。
だがいまのままではライル自身が、刹那やティエリアと信頼関係を築けないのは明白だ。いや、刹那はライルを仲間だと云ったし、ティエリアは少なくともニールの弟としてライルを監護するのだろうから、問題は彼らのほうにではなくライル自身の気持ちにある。
会談を終えカタロンに保護されることになったマリナは、けれど秘かに祖国への帰国の意志を固めて刹那にそれを願い出た。それを汲んでアザディスタンまで送ることになった刹那にティエリアはちいさく笑って告げる。
「なんなら、そのまま帰ってこなくてもいい」
「…莫迦を云うな」
刹那は驚きと不審を視線に込めるが、ティエリアは意に介さずその場をあとにする。VTOL機でアザディスタンに向かうため、ティエリアとスメラギはアリオスとケルディムに分乗してトレミーに戻ることになったのだ。
ティエリアのらしからぬ冗談に驚くアレルヤだったが、本気で云ったと云い冗談だと笑むティエリアに、はぐらかされた。
* * *
「まさかあんたが、こっちに乗るとは思わなかったぜ。教官殿」
ケルディムのコクピットでライルは背後を気にしている。シートの背をつかみ機体との狭い隙間にティエリアは立っている。
「戦術予報士の選択に従ったまでだ。下手な操縦をしたらその場で警告を入れるから、そのつもりで」
「…俺への教授は終えたんじゃなかったのかい」
「ではきみも、その呼び名を改めるべきだ」
ティエリアの態度は以前と変わらなかった。
「……その、わるかったな。このあいだは」
マイスターとしての覚悟のちがいを見せつけられ、思わずティエリアに仕掛けた色めいた蛮行は、手酷い一撃で報いられたが。
「ぼくのことはいい。それよりあんな荒療治をするとは、きみはやはり自虐的だな」
シミュレーションでの訓練後、ピンクの髪のオペレーターが兄と自分をかさねて見ていることに耐えきれず、その差異を気づかせようと戯れのキスを仕掛けたことを云っているのだと気がついた。
「おいおい。教官殿はそんなことまでお見通しってか?」
「そうではない。ハロに聞いた」
ライルは思わず目のまえのオレンジ色の球体を見た。
「ハロさんよ。おしゃべりが過ぎるぜ」
情けなさそうな声を出したライルに、ハロは赤い目をちかちかと光らせる。
「はろ、オシャベリ、チガウ。チガウ。ふぇると、ナカマ。てぃえりあ、シンパイ。はろモ、シンパイ」
「…まったく、よくできてるよ。ハロさんは」
諦めたような溜め息を吐き、ライルはハロのあたまをぽんぽんと撫でた。ティエリアはそれをどこか懐かしそうな目で見ている。
「…なぁ、教官殿。あんたがいま闘ってるのは…兄さんのためなのか?」
「そう思うのか? ならばきみはいま、なんのために闘っている?」
「質問に質問で返すなよ。…むかしの兄さんと喋ってるみたいだぜ」
眉を蹙めるライルに、ティエリアはめずらしくくすくすと笑いだした。
「…いや、すまない。いまのはわざとだ。ロックオンが…ニールがよくそう返してきて、そのたびにぼくは咎めていたから。…そうか。むかしからそうだったのか」
その声に滲む愛しみに、いまもティエリアがニールに深くこころをよせていることが感じられて、ライルは黙った。意図的に応えをはぐらかされたことには気づいたが、さりとてライルのほうも明確に応えられるわけではなかったからだ。
「いずれにしてもきみの発言と態度は迂闊すぎる。とてもスパイに向いているとは思えない。現状、プトレマイオスはおひとよしの集団だからきみを咎めるものはいないと思うが、このまま蝙蝠をつづける気ならこころしておいたほうがいい」
笑みのあとで、さらりと辛辣なせりふを吐かれてライルは唸った。
「…そのおひとよしの筆頭は刹那と教官殿だろう。まさかクルー全員が知ってるとかじゃねぇだろうな」
「それも時間の問題だとは思うが。ぼくと刹那が知っていることを戦術予報士が気づいていないと考えるのは無理がある。スメラギ・李・ノリエガがこちらに乗らなかったことを熟考すべきだろうな」
スメラギにも承知のうえで黙認されているということだろうか。
「そんなに…ケルディムのマイスターが必要なのかい」
「我々は四機のガンダムの連携を戦闘フォーメーションの基本に置いている。それが崩れれば敗北の比率が高まることは四年前の闘いが証明している」
はっとなってライルは反射的に背後を振り返った。
「それって、兄さんが戦死したときの話か」
ティエリアは一瞬その深い紅玉を曇らせた。
「その一因はぼくにもある」
「…教官殿に?」
「そうだ」
精緻なつくりの人形のような冷淡な表情が幽かに翳る。
「なにを云っても弁明になる。詳細なミッションレポートの閲覧権限はきみにはないが、ハロに残っているデュナメスの戦闘データは見ることが可能だ」
つまり自分の口から話す気はないということだろう。それきりティエリアは口を閉ざした。
だが刹那がマリナとアザディスタンに向かい、ティエリアたちがプトレマイオスに戻ったあと、カタロン中東支部はアロウズの攻撃を受け壊滅に近い打撃を受ける。プトレマイオスは救援に向かうが時すでに遅く、先行したガンダム三機が掃蕩戦のさなかのMSとオートマトンを撃ち払うのがやっとのことだった。
CBを疑いマイスターたちに詰め寄って銃を突きつけるカタロン兵士たちをライルは制すが、これを機にライルは連邦政府だけではなくアロウズそのものを仇敵と認識するようになる。
この襲撃の原因は基地の場所が敵側に漏れたことにあり、CBからカタロンへと身柄を移されていた沙慈・クロスロードが、双方ともを戦争を招く存在として忌み嫌い、戦いから離れようとしておこした行動の結果であった。
現場での挙動を見咎めたティエリアによって明かされ、無自覚の悪意による愚かなふるまいだと頬を打たれて厳しく詰責された沙慈は泣き崩れ、その場を基地に戻ったばかりの刹那が目にする。
向かったアザディスタンは大規模な攻撃によって焼き払われていて、マリナは故国にもどれず、カタロン支部に引き返したところでのこの惨状だった。
カタロン中東支部をほかの支部へ移送するための物資の手配とその間の護衛をCBは請け負うことを決め、それを伝えにきたライルは、情報の流出経路を訝るクラウスに笑むしかなかった。
「スパイの俺にそれを聞くのか?」
教官殿の言ではないが、カタロンとてCBにスパイを送り込んでいるのだ。カタロンにアロウズや正規軍のスパイが送り込まれていないなどとだれが保証できるだろう。
それを措いても、たしかにおひとよしの集団だと思う。カタロンが一方的に持ちかけた協力体制にまだCB側はほとんど実質を得ていないのに、この危難に援助するというのだから。感謝には思うが、目論見とは逆だ。
「これは兄さんの置きみやげと見るべきかね…」
VTOL機とガンダム三機が揃ってプトレマイオスへと帰投するなか、ケルディムのコクピットでライルはひとりごちた。兄は優秀でそつがないくせに、世話好きが高じて貧乏くじを引くタイプでもあったから。
* * *
プトレマイオスに帰還して、アロウズの攻撃に備える。
カタロンでの虐殺事件をきっかけとして心因性のショックで昏倒したスメラギは、医療ポッドに入っている。だがスメラギの戦術プランがなくとも、カタロンが移送を開始し無事完了するまで、敵の目をCBに引きつけておく必要があった。
支部から離れて対監視衛星用の光学迷彩被膜を解き、敵にプトレマイオスの位置を見つけさせる。それまでにマイスター四人は戦闘フォーメーションの打ち合わせだけをかるく済ませて、残りの時間を短い休息に当てた。
いったん自室に戻った刹那は、VTOL機内で帰投命令を受けて中途になっていた話をすべく、ティエリアを訪ねた。ティエリアにはきちんと伝えておくべきだと考えたからだ。
アザディスタンを襲撃したMSのなかにガンダムの機体があった。その機体のカラーから、刹那が導き出したこたえを。
「…スローネの発展型だと?」
ティエリアはたしかめるように、扉を背に立つ刹那を見た。
「ああ、あのガンダムはまちがいなくそうだった。そしてそのパイロットは…おそらく」
アリー・アル・サーシェス。いまとなっては刹那との因縁以上に、ロックオン・ストラトスの仇と呼ぶべき傭兵。
「生きているというのか。……やはり」
ぽつりと落とされたティエリアのことばに刹那は耳を疑った。
「…やはり?」
ティエリアは眉根を寄せて、苦しそうにかぶりを振った。
「信じたくはなかった。だが、スローネツヴァイの疑似GNドライブは回収されていた。…その可能性を否定できなかった」
「国連軍の情報をハッキングしていたのか」
察した刹那の問いに、首肯した紫黒の髪が揺れる。
「あの闘いのあと、連邦政府がヴェーダで地上の情報統制を図るまでには間があった。おそらくその間に、ヴェーダを掌握したなにものかとなんらかの取り決めが成されたのだろうと思うが…。ともかく、ぼくが意識を取り戻したころはいまほど情報操作されていなかった。そのときに」
「…ティエリア」
「だが、…だとするなら」
いつもの冷徹さは影を潜めて、沈鬱な色を浮かべた紅い双眸が、ベッドに腰を掛け膝に置かれて握られた両手に視線を落とす。
「いったいなんのために、ロックオンは……」
震える声で唇を噛み締め、そのさきをティエリアは呑み込んだ。四年前の水の幕を張った紅い眸と散った涙の粒を刹那は思い起こしたが、その双眸が涙を湛えることはなかった。
「…了解した。刹那。そのことはこの闘いのあとで、また決着をつける機会もあるだろう」
ひとつ息を吐き、つとめて冷静に告げて、ティエリアは身を起こす。無意識にその傍らに寄っていた刹那が、立ち上がろうとした薄い肩を押さえた。
「……刹那?」
素通しの眼鏡の向こうの紅玉が怪訝そうに見あげてくる。あのころのようには、もうティエリアは脆くない。だがそのすべてを支えているのがロックオンという存在なのだとしたら、その仇敵の生存に平静でいられるはずもない。
「無茶は、するな」
ティエリアはきょとんと目をまるくして、ついでかるく吹き出した。
「きみに云われるとは思わなかった。そのことば、そっくりそのまま返させてもらおう」
刹那はいささか決まりわるそうに、だが真面目に応じる。
「だからだ。おまえまで無茶をしてはトレミーには叱る人間がいなくなる」
「なんだ、それは」
ティエリアはまだおかしそうに笑いながら、壁のホロモニターで時刻を確認した。
「移送開始まであと少しだな」
「ああ」
「よかったのか、刹那。あの女性をカタロンに置いてきて」
肩に乗せられていた刹那の手を取って、そのまま見あげてくる。
「アザディスタンは帰れる状況じゃない。かといってソレスタルビーイングに置くわけにもいかないだろう」
「べつにここに連れてくる必要はない」
刹那は取られていた手を無意識のうちに握りかえした。
「…おまえはなにか誤解している」
「そうか?」
たしかにマリナには、ともにアザディスタンに来ないかと誘われた。王国が火の海になるまえのことだ。しかし刹那は断った。
「マリナと俺とでは求めるものへの方法が真逆だ」
「だがきみは彼女を慕わしく思っている」
斟酌なく断じられて、咄嗟に返答に窮したのは、その説明がひとことですむものではなかったからだ。刹那がマリナに抱いている感情は、おのが手で打ち砕いた母性という温かなものへの回帰に近い。
「きみが彼女になにを見ているかはぼくにはわからない。ただ、彼女のちからになりたいと考えるなら、それをえらぶのも途のひとつと思ったまでだ」
刹那は首を振った。
「ティエリア。俺はもう二度と、…マリナが住むような状景に交じることは、できない」
「きみが…破壊者だからか」
「そうだ」
深紅の眸が少し哀しそうに、だがやわらかに笑んだ。
「刹那。きっときみは、それだけのものではない。そう、ぼくは思う」
「それだけのものでは…ない?」
刹那は不思議なものを見るように櫨色の眸を見開いた。細い指を握ったままの刹那の手を、ティエリアはもう片方の手でくるむ。
「まあ、無責任な勘というやつだな」
そう、軽口を云って笑って、ティエリアは立ち上がった。
艦内アナウンスが第一種戦闘態勢を告げていた。
待機中のダブルオーのコクピットで刹那はおのれの手を見ている。
先刻のティエリアのぬくもりがまだそこにはあって、告げられたことばとともに刹那を奇妙な感覚で浸していた。
なんだったのだろう、あれは。
どこか啓示にも似たそれは、刹那がかつてガンダムに神を見たときのように圧倒されるものではなく、刹那の奥深くに降り立ってうちなるものを押し上げてくるかのようだった。
「ロックオン…。おまえがティエリアに見ていたものは……これなのか?」
寄り添いあっていた姿を思い出す。俺はあいつに甘えちまうからな、と云った姿を。
「だとすれば、俺は…」
ティエリアがひとならざるものであることを、刹那とてすでに察している。しかし刹那にとってもほかの仲間たちにとっても、やはりティエリアは人間なのだ。そしておそらくそのことにいち早く気づいていただろうロックオンは、だれよりティエリアを愛した。
その戦闘でアリオスの機体の反応を失い、行方不明となったアレルヤを捜すさなか。ティエリアがおのれの存在意義を揺るがされる出来事と遭遇したことを、刹那が知るまでにはまだしばらくの時を置く。
了 2011.11.25.