「天涯の遊子」の読み切り短篇。
画面字数の都合上、前後篇。
銀桂。
ニンジャー以降、紅桜まえ。
*『仮寝』と一部連動
奥の和室に通して、いささか乱暴に桂を座らせた。そのまえに跪くようにして、銀時はあらためて額の傷を確かめる。顔をしかめた。
「子らはどうした」
「新八は、神楽連れて、定時で帰宅。きょう銀さん遅くなる予定だったんで」
手慣れたしぐさで傷口を診て、消毒して置き薬を塗る。腫れも鬱血もあり、血も外に出ているのだから、むしろ安心といえばいえるが、あたまの傷は用心するに越したことはない。戻る道すがらコンビニで調達した滅菌済のガーゼをあてて、絆創膏でとめる。
「明日まだ、ふらつくようだったら、マジで医者に診せろよ。いいな」
めずらしく真剣な口調で云う銀時に、桂がふっと微笑した。
「…んだよ。笑うところじゃねーだろが」
「おまえは、妙なところで神経が細かい」
「てめーの神経ほど、杜撰にできてねーだけです」
その上から、押さえの意味で包帯を巻いた。
「大げさだな」
云って、額に手をやって思いついたように笑った。
「だれかのようだ」
苦いものを感じて、銀時はその包帯を軽く叩く。
「いたっ。なにをするか」
「やなやつ、思い出させんじゃねーよ」
「いやなやつ、か」
また、桂は笑う。だがそれはすぐに、消えた。どこかしら思案げだった。
「ヅラ」
「ヅラじゃない。桂だ。なんだ」
「あのさ」
高杉とは、いまでも会ってるんだろう。そのひとことが、聞けなかった。聞けば、そのあとを問いつめてしまいそうだった。あいつとは、どうなってんの。もっと有り体に云えば。あいつと、やってんの? もしくは、やってたの?
いまさら云えた義理ではないのは百も承知で、だがしかし、もしそうなら。いやきっと、そうなのだろう。それなら、よけいに。
「渡したくねーんですけど」
「は?」
中間の思考を端折って告げられたことばに、桂は当然、意味不明の顔をしている。小首をかしげるしぐさは、むかしからの癖で妙にかわいらしくて、こまる。年齢(とし)だけくっても、こんなところは変わらない。額の治療をしていた体勢のままだから、銀時の手はまだ桂のあたまにあって、とんでもなく、近いし。
目のまえの、白い肌と、漆黒の眸と、薄紅い口唇と。
吸い寄せられるように銀時は、その紅(あか)に、口接けていた。ぴくりと桂のからだに緊張が走るのを感じる。感じたとたん本能的に逃すまいと、あたまに添えていただけの手を、両の掌で桂の顔を覆うようにつかみなおした。
「…………っ」
かさねた口唇から、くぐもった音が漏れた。桂の指が、銀時のむきだしの腕にかかる。食い込むように握られたが、引き剥がそうといううごきにはならないまま、しばらくおたがいそうしてつかみあって、口を吸い合っていた。
深く口唇をかさねて銀時は、つかんだ頬にかかる桂の黒髪に指をとおす。そのまま梳くようなしぐさで後頭部へと、掌を滑らせた。なつかしいなじみのある感触。かつて幾度となくこうして触れた。もう二度と手にすることはないと、思っていたのに。
両の手で交互に桂の長い髪を乱し、また梳きながら、なんども角度を変えては一瞬たりとも解放しないまま、口唇を、舌を、求め続けた。
食い込んで銀時の腕に爪痕を残した桂の指は、二の腕を彷徨って銀時の肩へと廻り、そこから背の脇を通って、腰のあたりで落ち着いた。
いつのまにか、たがいに跪いて密着していたからだが、熱を孕んでくる。そのまま押し倒したい衝動を、かろうじて、銀時は怺え押しとどめていた。いまここでそれをやったら、それこそおのれはあのころのままだ。なにも変わらない。迫り上がる欲望を抑えつけ、だが、口唇を放すことができなかった。
「…ん」
「ぎん」
角度を変えるそのわずかなあいまに、桂が切れ切れに訴える。目を開けてみると、桂のきつくよせられた眉が、近すぎてぼやけて見えた。閉じられた瞼がわずかに開く。苦しげに。そしてまた、こまったようにあきらめたように閉じられる。それを見、ようやく、銀時は桂の口唇を解放した。つかんだ掌は弛めない。
…あ。はあはあ。はあ。せわしなく呼吸する桂の首筋に鼻をよせた。わずかに湿った肌の香りをかぐ。銀時の息も荒い。
たがいのからだをたがいで支え合うような姿勢のまま、跪いていた膝が崩れた。そのままぺたんと座り込んで、ふたりともただ乱れた息を整える。つかんでいた頬から離れた銀時の手が、畳に落ちていた桂の手を探った。
銀時は指を絡めて、握り込む。桂の指が、応えた。
* * *
ふたり連れだって河川敷の屋台へ向かい、鍋底に残ったおでんをつまみに酒を呑んだ。あのまま万事屋にいることを、どちらもが、避けた。
銀時が強引にでも組み敷けば、おそらく桂は拒まなかったろう。むかしからそういうところが、あった。銀時が、闘い終えても最中(さなか)の白夜叉を引き摺っているようなときとくに、桂はそうだった。いや、対応こそ違え、桂は高杉に対しても、そうだった。
甘えやわがままや理不尽な怒りでさえ、受け入れてしまう。むろん、おとなしく受け入れるのではなくて、そこには必ず小言が付き、ときには一発二発手の出ることも、珍しくはなかったのだけれど。
思い出したように桂が笑った。皿の厚揚げに甘味噌を絡ませて、はふはふと口にする。
「思い出し笑いは気味が悪いんですけどー」
コップ酒を片手に煮崩れた大根に箸を入れた銀時が、割った一切れを桂の皿にのせると、代わりにとばかりに、桂の箸の食べかけの厚揚げを、ぱくりとほおばった。
「あ、こら」
「ん。うまい」
屋台の親爺は知らぬ顔を決め込んでくれている。桂は憮然として云った。
「まったく。貴様は変わらん」
「変わったでしょーが。銀さん、耐えたんだからね」
「どこがだ。窒息死するかと思ったぞ」
だが銀時の云わんとするのを察していることは、笑みを抑え込んだような声音でわかる。
「だから、さっきから、不気味なんですけど。なにを笑ってんの」
「いや、おとなになったのか、たんに枯れたのか、どちらだろうと」
「枯れ…って、おめーな。ひとがどれほどの気合いでもって、耐えきったと思ってやがんだ」
「理性ではなく、気合いか」
「理性なんざ、とうにありませんー。てか、ヅラくんがちゃんとその気だったら、気合いなんぞも捨ててました」
ふうん?とでもいいたげな視線を、桂は向けた。
「貴様が、ああいうとき、おれの気分などかまうとは思わなかった」
「だーかーらー」
たしかに、かつてそうだったことは否めないが。それだって、あとで内心謝ったりはしてたわけで。
「なんかさ、もう考えるのやめにしたから、云うけど。おめーが、どういうつもりで俺のこと探し出したのか、俺んとこ顔出すのか、知んねーけど」
ことばを切って、酒を呷る。
「おめーが、どんな線引こうが、無駄だから」
桂が、だまって銀時を見た。その拍子にさらりと、長い髪が肩から胸元へ流れ落ちる。表情からはなにも読みとれない。こいつは、こうだ。むかしから。ふだんわかりやすいぐらいに、わかるのに。肝心なところだけ、絶対に気取らせない。
「だれにだろーと、渡す気、ないから」
それがどれほど、身勝手な感情だとしても。
だから、
「覚悟しやがれ」
桂はただ、微笑した。
胸元で揺れる黒髪が、それから長く、銀時の目に残った。手に残るなめらかな感触は、こののちの一件で、銀時の心臓を凍てつかせる。
もう少しだけ早く、遠慮なしに踏み込んでいたら、よかったんだ。
了 2008.01.21.
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奥の和室に通して、いささか乱暴に桂を座らせた。そのまえに跪くようにして、銀時はあらためて額の傷を確かめる。顔をしかめた。
「子らはどうした」
「新八は、神楽連れて、定時で帰宅。きょう銀さん遅くなる予定だったんで」
手慣れたしぐさで傷口を診て、消毒して置き薬を塗る。腫れも鬱血もあり、血も外に出ているのだから、むしろ安心といえばいえるが、あたまの傷は用心するに越したことはない。戻る道すがらコンビニで調達した滅菌済のガーゼをあてて、絆創膏でとめる。
「明日まだ、ふらつくようだったら、マジで医者に診せろよ。いいな」
めずらしく真剣な口調で云う銀時に、桂がふっと微笑した。
「…んだよ。笑うところじゃねーだろが」
「おまえは、妙なところで神経が細かい」
「てめーの神経ほど、杜撰にできてねーだけです」
その上から、押さえの意味で包帯を巻いた。
「大げさだな」
云って、額に手をやって思いついたように笑った。
「だれかのようだ」
苦いものを感じて、銀時はその包帯を軽く叩く。
「いたっ。なにをするか」
「やなやつ、思い出させんじゃねーよ」
「いやなやつ、か」
また、桂は笑う。だがそれはすぐに、消えた。どこかしら思案げだった。
「ヅラ」
「ヅラじゃない。桂だ。なんだ」
「あのさ」
高杉とは、いまでも会ってるんだろう。そのひとことが、聞けなかった。聞けば、そのあとを問いつめてしまいそうだった。あいつとは、どうなってんの。もっと有り体に云えば。あいつと、やってんの? もしくは、やってたの?
いまさら云えた義理ではないのは百も承知で、だがしかし、もしそうなら。いやきっと、そうなのだろう。それなら、よけいに。
「渡したくねーんですけど」
「は?」
中間の思考を端折って告げられたことばに、桂は当然、意味不明の顔をしている。小首をかしげるしぐさは、むかしからの癖で妙にかわいらしくて、こまる。年齢(とし)だけくっても、こんなところは変わらない。額の治療をしていた体勢のままだから、銀時の手はまだ桂のあたまにあって、とんでもなく、近いし。
目のまえの、白い肌と、漆黒の眸と、薄紅い口唇と。
吸い寄せられるように銀時は、その紅(あか)に、口接けていた。ぴくりと桂のからだに緊張が走るのを感じる。感じたとたん本能的に逃すまいと、あたまに添えていただけの手を、両の掌で桂の顔を覆うようにつかみなおした。
「…………っ」
かさねた口唇から、くぐもった音が漏れた。桂の指が、銀時のむきだしの腕にかかる。食い込むように握られたが、引き剥がそうといううごきにはならないまま、しばらくおたがいそうしてつかみあって、口を吸い合っていた。
深く口唇をかさねて銀時は、つかんだ頬にかかる桂の黒髪に指をとおす。そのまま梳くようなしぐさで後頭部へと、掌を滑らせた。なつかしいなじみのある感触。かつて幾度となくこうして触れた。もう二度と手にすることはないと、思っていたのに。
両の手で交互に桂の長い髪を乱し、また梳きながら、なんども角度を変えては一瞬たりとも解放しないまま、口唇を、舌を、求め続けた。
食い込んで銀時の腕に爪痕を残した桂の指は、二の腕を彷徨って銀時の肩へと廻り、そこから背の脇を通って、腰のあたりで落ち着いた。
いつのまにか、たがいに跪いて密着していたからだが、熱を孕んでくる。そのまま押し倒したい衝動を、かろうじて、銀時は怺え押しとどめていた。いまここでそれをやったら、それこそおのれはあのころのままだ。なにも変わらない。迫り上がる欲望を抑えつけ、だが、口唇を放すことができなかった。
「…ん」
「ぎん」
角度を変えるそのわずかなあいまに、桂が切れ切れに訴える。目を開けてみると、桂のきつくよせられた眉が、近すぎてぼやけて見えた。閉じられた瞼がわずかに開く。苦しげに。そしてまた、こまったようにあきらめたように閉じられる。それを見、ようやく、銀時は桂の口唇を解放した。つかんだ掌は弛めない。
…あ。はあはあ。はあ。せわしなく呼吸する桂の首筋に鼻をよせた。わずかに湿った肌の香りをかぐ。銀時の息も荒い。
たがいのからだをたがいで支え合うような姿勢のまま、跪いていた膝が崩れた。そのままぺたんと座り込んで、ふたりともただ乱れた息を整える。つかんでいた頬から離れた銀時の手が、畳に落ちていた桂の手を探った。
銀時は指を絡めて、握り込む。桂の指が、応えた。
* * *
ふたり連れだって河川敷の屋台へ向かい、鍋底に残ったおでんをつまみに酒を呑んだ。あのまま万事屋にいることを、どちらもが、避けた。
銀時が強引にでも組み敷けば、おそらく桂は拒まなかったろう。むかしからそういうところが、あった。銀時が、闘い終えても最中(さなか)の白夜叉を引き摺っているようなときとくに、桂はそうだった。いや、対応こそ違え、桂は高杉に対しても、そうだった。
甘えやわがままや理不尽な怒りでさえ、受け入れてしまう。むろん、おとなしく受け入れるのではなくて、そこには必ず小言が付き、ときには一発二発手の出ることも、珍しくはなかったのだけれど。
思い出したように桂が笑った。皿の厚揚げに甘味噌を絡ませて、はふはふと口にする。
「思い出し笑いは気味が悪いんですけどー」
コップ酒を片手に煮崩れた大根に箸を入れた銀時が、割った一切れを桂の皿にのせると、代わりにとばかりに、桂の箸の食べかけの厚揚げを、ぱくりとほおばった。
「あ、こら」
「ん。うまい」
屋台の親爺は知らぬ顔を決め込んでくれている。桂は憮然として云った。
「まったく。貴様は変わらん」
「変わったでしょーが。銀さん、耐えたんだからね」
「どこがだ。窒息死するかと思ったぞ」
だが銀時の云わんとするのを察していることは、笑みを抑え込んだような声音でわかる。
「だから、さっきから、不気味なんですけど。なにを笑ってんの」
「いや、おとなになったのか、たんに枯れたのか、どちらだろうと」
「枯れ…って、おめーな。ひとがどれほどの気合いでもって、耐えきったと思ってやがんだ」
「理性ではなく、気合いか」
「理性なんざ、とうにありませんー。てか、ヅラくんがちゃんとその気だったら、気合いなんぞも捨ててました」
ふうん?とでもいいたげな視線を、桂は向けた。
「貴様が、ああいうとき、おれの気分などかまうとは思わなかった」
「だーかーらー」
たしかに、かつてそうだったことは否めないが。それだって、あとで内心謝ったりはしてたわけで。
「なんかさ、もう考えるのやめにしたから、云うけど。おめーが、どういうつもりで俺のこと探し出したのか、俺んとこ顔出すのか、知んねーけど」
ことばを切って、酒を呷る。
「おめーが、どんな線引こうが、無駄だから」
桂が、だまって銀時を見た。その拍子にさらりと、長い髪が肩から胸元へ流れ落ちる。表情からはなにも読みとれない。こいつは、こうだ。むかしから。ふだんわかりやすいぐらいに、わかるのに。肝心なところだけ、絶対に気取らせない。
「だれにだろーと、渡す気、ないから」
それがどれほど、身勝手な感情だとしても。
だから、
「覚悟しやがれ」
桂はただ、微笑した。
胸元で揺れる黒髪が、それから長く、銀時の目に残った。手に残るなめらかな感触は、こののちの一件で、銀時の心臓を凍てつかせる。
もう少しだけ早く、遠慮なしに踏み込んでいたら、よかったんだ。
了 2008.01.21.
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